1987年から2004年までの名古屋鉄道ダイヤ改正
本項では1987年1月1日改正から2005年1月29日白紙改正までに実施された名古屋鉄道ダイヤ改正(なごやてつどうダイヤかいせい)について記述する。
- 1987年1月1日改正より前のダイヤについては1986年までの名古屋鉄道ダイヤ改正を参照。
- 2005年1月29日白紙改正以降のダイヤついては2005年からの名古屋鉄道ダイヤ改正を参照。
目次
[編集]脚注(注釈 - 出典) - 参考文献(電子 - 書籍 - 時刻表 - 雑誌 - 新聞) - 関連項目 - 外部リンク
1980年代
[編集]1987年1月1日改正
[編集]- 名古屋本線の高速、急行を増発[1]。20-22時台の上りに高速1本・急行4本、下り高速2本・急行3本が新設され、名古屋本線国府駅 - 新岐阜駅間は7時台から22時台まで高速・急行あわせて毎時6本となった[2][1]。
- 朝ラッシュ時の新岐阜駅発の高速・急行各1本と新一宮駅発の準急2本を8両化。これにより新岐阜または新一宮駅始発の高速・急行・準急で新名古屋に7時20分から8時40分までに到着する列車が全て8両になった[3]。
- 名古屋駅23時19分着の新幹線「ひかり」からの乗り換えを可能にするため、名古屋本線、犬山線、常滑線、河和線の終電を繰り下げ[2][4]。
- 急行の運行系統を豊川稲荷駅 - (名古屋本線西部経由)新岐阜駅間と河和駅・内海駅 - (犬山線経由)新岐阜駅間に変更[5][6]。
1987年2月12日改正
[編集]支線直通ネットワークの高密度化を図った白紙改正[7]。
- 朝ラッシュ時の名古屋本線優等列車を完全8両化[7]。
- 名古屋本線20時台 - 22時台の高速・急行を増発し、7時台 - 22時台の急行以上の運行本数を計毎時6本以上とした[7]。5700系電車、5300系電車を中心に運用[8]。
- 平日の午前時間帯に本宿駅 - 新安城駅間と太田川駅 - 知多半田駅間に普通を増発[7][1]。
- 広見線明智駅 - 御嵩駅間では昼間の電車運転を取り止めてキハ10形気動車による折り返し運転に変更した。
- 平日朝ラッシュ時の豊田線は12分間隔での運転となった[1]。
- 揖斐線急行の美濃北方駅 - 黒野駅間は各駅停車となった。
- 美濃町線新関駅 - 美濃駅間の日中の運転間隔が60分に[9]。
1987年11月24日改正
[編集]須ヶ口駅、二ツ杁駅配線変更に伴う名古屋本線西部、津島線ダイヤ改正[10]。
1988年3月13日改正
[編集]1988年7月8日改正
[編集]- 名古屋本線豊橋駅 - 新岐阜駅間直通運転開始40周年に合わせ、1000系電車(パノラマsuper)全車指定席編成が9編成登場し運転開始[11]。
- 平日新名古屋駅23時10分発東岡崎行、新岐阜行特急をそれぞれ増発し、名鉄はこの列車を「イレブンライナー」とPRした[14]。
- 新一宮駅発着の準急を増発[4]。
- 新名古屋駅 - 内海駅に設定されていた一部特別通過する急行(“快速急行”)を高速に格上げ[15]。これにより常滑線に高速が再び設定された(河和線、知多新線は初)。
- 広見線新可児駅 - 御嵩駅間の昼間時間帯の運転を気動車と電車との交互運用に変更した。
- 動態保存された2両を除く3400系電車(いもむし)、および850系電車(なまず)がこの改正で運用を離脱した。
- 西尾線直通特急を増発[16]。
- 瀬戸線の休日20時以降の列車を増発[4]。
- 岐阜市内線と揖斐線の直通列車を増発[4]。
1989年3月11日改正
[編集]1989年7月15日改正
[編集]7月9日の金山総合駅開業と「世界デザイン博覧会」の開催に合わせて実施。
- 新名古屋駅通過列車の原則100%冷房化を達成[17]。
- 豊橋駅 - 新岐阜駅間の特急を1000系電車に統一[17]。このほか、昼間帯の西尾線直通特急[17]や犬山線・河和線・知多新線系統の特急の一部にも1000系を投入。
- 8800系電車を3両編成に[17]。
- デザイン博開催期間中に限り、西尾線直通特急を西尾駅 - 新岐阜駅間に変更[17]。蒲郡駅発着の特急を減便[18]。
- 休日の午前に運転されていた豊橋発新鵜沼行特急(407列車[19])と太田川発新岐阜行特急(103列車[19])を統合して豊橋発新岐阜行特急(103列車[20])に変更。これにより豊橋駅始発の犬山線直通特急が一旦消滅。
1989年11月27日改正
[編集]- デザイン博終了に伴い、1往復の運転に縮小されていた休日昼間帯の蒲郡駅発着特急を3往復に戻した[18]。
1990年代
[編集]1990年3月10日改正
[編集]JR側のダイヤ改正に伴うダイヤ改正。
1990年4月8日改正
[編集]名古屋本線神宮前駅 - 金山駅間の複々線化完成に伴うダイヤ改正[18]。
1990年10月1日改正
[編集]1990年10月29日改正
[編集]名古屋本線一部区間での120km/h運転(1000系電車のみからなる4両または8両の全車指定席編成)を開始したことに合わせて全線で実施[21]。
- 種別整理。「高速」を「特急」に、「準急」を「急行」に統合し、本線区の種別を特急・急行・普通の3種別体制とする[21][注釈 1]
- 全線で列車を増発(平日52本、休日66本)。特に20時代のダイヤ増強と終電繰り下げに努めた[21]。
- この改正に合わせて7000系電車と7700系電車の一部で編成替えが行われ、7700系電車はすべて2両組成の白帯車となり、同車の捻出された中間車は7000系電車(一般車4両組成)のうちの4本に組み込まれた[24]。
- 本改正より、民鉄では初めてとなる全列車・全路線での前照灯の昼間点灯を開始(瀬戸線では同月1日のダイヤ改正で先行実施済)。
- 内海駅発の急行とデラックス特急の待避駅を聚楽園駅から金山駅に変更。急行が聚楽園駅で運転停車する光景が見られなくなった。
- 三河線の猿投駅 - 知立駅 - 碧南駅間の直通運転を取り止め知立駅で系統分離された[25]。
- 季節臨時便として1往復設定されていた三河線直通特急(碧南駅発309列車・豊田市駅発609列車および新鵜沼駅発352列車[注釈 4][26])の運転区間を変更。碧南駅 - 新鵜沼駅間の運転が廃止され[27]、豊田市駅発403列車、新鵜沼駅発352列車の運転となる[27][28]。
1991年3月16日改正
[編集]- 特急「北アルプス」にキハ8500系気動車を導入し、下り2時間22分、上り2時間21分にスピードアップ[21]。これにより従来「北アルプス」として走っていたキハ8000系気動車は全車廃車になった。
1991年4月8日改正
[編集]- 豊田線ダイヤ改正。朝間、夜間列車の増発[29]。
1991年4月14日改正
[編集]- 100系電車16両が名古屋本線・犬山線・常滑線などに先行投入[29]され、平日朝ラッシュ時の最混雑列車では8両での運転もみられた。
- 昼間時間帯の新名古屋駅 - 鳴海駅間に急行を毎時1本増発[29]。代替として常滑線、河和線の普通1本が金山駅発着となった。
- 小牧線の小牧駅 - 上飯田駅間は朝ラッシュ時10分間隔での運転となった[29]。
1991年5月20日改正
[編集]1991年10月21日改正
[編集]パノラマSuperの一般席車に当たる1200系電車と一般席車増結用の1800系電車が登場[30]。
- 朝ラッシュ時など一部例外を除き、豊橋駅 - 新岐阜駅間の特急は原則として一部指定席特急とした[29]。
- 休日朝に運転されていた常滑駅発新可児駅行特急(497列車[31])を廃止。これにより太田川駅以南の特急運用が一旦消滅した[32]。
- 新名古屋駅 - 常滑駅間の急行、普通を2分短縮した。
- 昼間時間帯の小牧線は全区間20分間隔での運転となった。また、夕方ラッシュ時には小牧駅 - 上飯田駅間を10分間隔とした[29]。
- 早朝と深夜に数本だけ残っていた豊橋駅始発の普通列車[33][注釈 5]をすべて伊奈駅始発に変更[34]。豊橋駅に乗入れる普通列車が消滅した。
- 豊田市駅 - 新鵜沼駅間の季節臨時特急運転を廃止。これにより定期的な臨時列車を含む三河線特急が全廃[27]。
- 新型車両導入に伴って6000系電車が三河線を除くローカル線区へ進出。普通列車のスピードアップが図られた[35]。
- 3400系、800系電車の休日運用を取りやめ[35]。
1992年11月24日改正
[編集]名古屋本線における120km/h運転可能区間の拡大、およびパノラマsuper(1000系電車)の大量増備に伴う白紙改正[36]。豊田線、美濃町線、田神線、モノレール線を除く全線で実施[37]。
- 名古屋本線のロングレール化に伴う最高速度向上により、特急や急行がスピードアップ。特急は豊橋駅 - 新名古屋駅間が最短49分、新名古屋駅 - 新岐阜駅間が最短24分とした[36]。これにより、豊橋駅 - 新名古屋駅間はJRの新快速と互角の所要時間となった[38]。
- 特急車両として1200系電車(2次車)と1030-1230系・1850系電車を投入。一部指定席特急を更に増加させるとともに全列車をパノラマSuperによる一部指定席編成に統一[注釈 6][38]。全車一般席特急は平日の新岐阜発豊橋行き(6000・6500系電車8両で運転。東岡崎駅で1200系電車と車両交換のうえ、同駅からは一部指定席扱い)の1本を残して全廃された[37]。
- JRに対抗するため、昼間の毎時4本の本線特急のうち1本を知立駅通過とする。また、同様の理由で、三河線(海線)碧南駅まで直通の急行(三河線内は普通)を毎時1、2往復設定[38]。
- デラックス特急を廃止[40]。8800系電車使用の列車とその他の車両との座席指定料金が統一された[41]。
- 西尾線直通特急を尾西線佐屋駅まで延長し、津島線の特急を増発(平日25本、休日26本)[38]。
- 昼間帯の佐屋駅 - 蒲郡駅間の急行は西尾線内の新安城駅 - 西尾駅間でも急行運転をするようになった[42]。
- 豊川線の名古屋本線直通急行を増発[43]。夜間時間帯に美合駅止まりであった急行を日中と同じく豊川稲荷駅発着に変更した。
- ラッシュ時間帯に全車指定席の特急が名古屋本線、犬山線、常滑線、河和線で増発された。犬山線、常滑線、河和線の特急は「おはよう特急」(朝間)、「お帰り特急」(夜間)と名付けられ、「おはよう特急」は新名古屋駅で下車して新幹線(上り方面の「のぞみ302号」)や近鉄特急(「アーバンライナー57号」)に連絡できる時間に設定された[42]。
- 竹鼻線・羽島線では線内急行の大幅削減に伴いダイヤパターンが変更された。急行は朝ラッシュ時に「ひかり」に連絡する上り5本、下り1本のみとなり、日中は笠松駅 - 新羽島駅間が普通毎時3本、羽島市役所前駅 - 大須駅間が普通毎時2本の運転になった[43]。
- 三河線碧南駅 - 吉良吉田駅間の運転を15分間隔に[44]。
1993年2月21日改正
[編集]- 新一宮駅付近の高架化に伴う名古屋本線、尾西線ダイヤ改正[36]。
1993年3月28日改正
[編集]1993年8月12日改正
[編集]名古屋市営地下鉄鶴舞線と犬山線との相互直通運転が開始された(平日140本、休日136本)[45]。
- 当初の基本の運転パターンは犬山駅発着と岩倉駅発着が毎時1 - 2往復ずつで、本改正時点では上小田井駅の折り返し設備が未完成であったため、鶴舞線電車のうち、犬山線に直通しないものについては引き続き庄内緑地公園駅で折り返していた[46]。
- 鶴舞線との相互直通列車はすべて普通だが、朝ラッシュ時に3本だけ大山寺駅と徳重駅を特別通過する列車が設定された(種別は普通)[47]。
- 車両面では100系電車の中間車のみ20両が製造され、在来の4両組成に2両ずつ組み込まれ6両組成化された[46]。また、直通相手である名古屋市交通局側は従来より使用してきた3000形電車の4両から6両への組み替えと3050形電車52両の新造で対処した。
- 西春駅での空港アクセスを考慮し、名古屋本線豊橋方面から犬山線への直通列車を新設[45]。さらに、平日の朝には同駅に停車する特急が下りのみ5本設定され、「空港ライナー」と名付けられた[48]。
- 名古屋本線では伊奈駅 - 国府駅間のロングレール化などにより120km/h運転区間が拡大。豊橋駅 - 新名古屋駅間の所要時間が知立駅通過の特急で上下線とも48分になった[48]。
- 従来西尾駅止まりであった西尾線特急を吉良吉田駅まで区間延長した(この改正より西尾線に1000系電車はほとんど入線しなくなった)。また、平日下り1本を除いて鳴海駅にも停車するようになった[49]。
- 桜町前駅が急行停車駅に昇格[50]。
- 三河線直通急行を増発し、昼間帯には1800系電車や7700系白帯車を使用。また、知立駅 - 碧南駅間の昼間帯と夜間の運行本数を毎時3本から4本に増発[49]。
- 夕方時間帯、各務原線の新岐阜駅 - 三柿野駅間の普通を毎時2本増発[51]。
- 午前中の新名古屋駅 - 常滑駅間に全車指定席の特急を新設。最短所要時間30分[49]。
- 夕ラッシュ時の新名古屋駅発・本線東部方面行きの全車指定席特急を増発、延長。東岡崎駅止まりだった全車指定席特急を豊川稲荷駅まで延長し、豊川線に通年運転の特急を新設。新安城駅、美合駅、国府駅、諏訪町駅に特別停車[49]。
- 昼間時間帯に毎時2本運行されていた新一宮駅発着の急行を廃止。代替として須ヶ口駅 - 新一宮間の普通を増発し、一部時間帯は毎時4本になった[52]。
- 毎時1本運転されている津島線の急行の発着駅が佐屋駅から津島駅に変更された。
- キハ8500系気動車の間合い運用が全廃された[49]。
- この改正に先駆けて3500系電車が運用を開始。この時より平日朝に1本だけ残されていた全車一般席特急は同車での運行となった[49]。
- 本改正と同時に路線図と運賃表のデザインを刷新した[53]。
1994年3月30日改正
[編集]- 上小田井駅の折り返し設備が完成し、すべての地下鉄鶴舞線の電車が同駅へ乗り入れるようになった。これにあわせて上小田井駅に一部の急行が停車するようになる[54]。
- 朝ラッシュ時に広見線始発の全車指定席特急を2本新設。うち1本(488列車)は犬山駅で新鵜沼駅発の特急(288列車)と併結し、8両編成で東岡崎駅まで運転[54]。
- 名古屋本線、常滑線、犬山線、広見線の急行運行系統を一部変更。前改正で設定された、本線東部 - 犬山線間の直通列車(西春駅接続による空港アクセス輸送)を拡充するため、日中は豊橋駅 - 新岐阜駅、常滑駅 - 新可児駅・御嵩駅間で運行される急行を交換し、夕方のみ豊橋駅 - 新可児駅・御嵩駅、常滑駅 - 新岐阜駅(名古屋本線)間とした。これにより名古屋空港から東岡崎・豊橋方面への利便性も増した[55]。同列車のうち下りは1度(新安城駅)、上りは2度(布袋駅と前後駅)、特急の通過待ちを行っていた。
- 三河線猿投方面(山線)への直通急行が復活。夕方の三河線(海線)直通急行のうちの2本を6両に増結のうえ、後部2両を猿投行きとした[55]。
- 広見線と各務原線とを直通する急行を数本新設。具体的には平日朝に新岐阜行きを1本、全日とも夕方に新岐阜行き1本、新可児行き3本が設定された[54]。
- 名古屋本線、犬山線、豊田線、瀬戸線などで終電を延長(最大36分の繰り下げ)[55]。
1994年7月11日改正
[編集]1000系電車4次車12両の増備に伴い一部ダイヤが修正された[56]。また、この時をもって7700系電車の定期特急運用は完全になくなった。
- 名古屋本線、犬山線、常滑線、河和線において、朝夕ラッシュ時の列車増発(平日10本、休日4本)や運転区間の延長が実施された[56]。
- 西春駅に特別停車する特急の本数が平日5本から毎日8本に増加[56]。
1994年11月28日改正
[編集]1995年4月5日改正
[編集]- JRへの対抗措置として、新一宮始発の快速急行を午前中に上りのみ3本新設[44]。途中国府宮駅にのみ停車し、新名古屋駅からは普通に種別変更して常滑線へ直通した。車両は1800系電車2両編成を使用[58]。また、あわせて平日の朝に1本だけ残されていた新岐阜駅発豊橋行きの全車一般席特急(80列車[注釈 7])は新岐阜駅発東岡崎行きの快速急行(800列車)に改められ、東岡崎駅で豊橋行き一部指定席特急に接続する形に変更された[58]。
- 竹鼻線では普通・急行がほぼ15分間隔で運転されるようになり[44]、笠松駅での本線急行との接続が改善された。
- 日中時間帯の新名古屋駅方面から広見線への列車が従来の新可児駅または明智駅発着からほとんど御嵩駅発着となった。
- 常滑沖の空港開業に向けた常滑線改良工事が進捗し、太田川駅 - 常滑駅間の曲線改良・重軌条化が完了した。これにより同区間の最高速度が110km/hに向上し、新名古屋駅 - 常滑駅間の特急は最速29分となった[59]。
- 終電が従来より最大38分延長された。
1995年5月8日改正
[編集]- 瀬戸線ダイヤ改正。尾張旭駅が急行停車駅に昇格し、朝ラッシュ時の栄町駅 - 喜多山駅間の普通の一部を尾張旭駅まで延長した[39]。
- 6000系中期車2両組成8本の計16両が転入[39]。3780系電車が代替廃車されたものの廃車は一部に止まり、同線の所属車両数は56両→64両に増強された。
1996年4月8日改正
[編集]車両の増備および伊奈駅の配線増強に伴い実施。
- 本改正をもって電圧1500V区間では非冷房車は完全に淘汰され、同区間の冷房化率が100%になった[60]。
- 豊橋駅から名古屋空港への利便性確保のため、平日朝に下り1本のみ豊橋発新鵜沼行きの一部指定席特急(275列車。西春駅にも停車)を新設。これにより犬山線にも一部指定席特急が走るようになった[44][58]。
- 1800系電車(2次車)8両が増備され、本線特急の8両編成で運転される列車が増加した。
- 前年の改正で登場した新一宮駅始発の快速急行を増発[60]。新一宮駅9時発より30分ヘッド、計6本の運転となった。また、使用車両もそれまでの1800系電車2両から4両(1800系電車2連または3500系)に増強された[58]。
- 3500系電車がさらに増備されたため、6000系電車系列の豊橋駅までの定期運用が消滅した。また、6000系中期車ののうち、中間車のみ16両が捻出のうえ、前年に引き続いて瀬戸線に転属し、前年に転属していたうちの8本に組み込まれた。
- 各務原線朝ラッシュ時の列車を増発。10分間隔で運転[60]。
- 三河線(山線)、豊田線(平日のみ)が昼間20分間隔から15分間隔に変更された[60]。
- 伊奈駅留置線整備に伴い、早朝時間帯に同駅を始発する列車が増やされた。
- 3700系(2代目)、3730系電車が全廃されたため、従来それらの車両で運行されていた築港線には3300系電車(2代目)が投入された。
- 7300系電車が三河線から撤退したことに伴い新名古屋駅を発着する列車から旧性能車の運用が消滅した。
1996年6月3日改正
[編集]- 瀬戸線ダイヤ改正。6000系電車12両が転入してきたことにより同線では全列車3ドア車での運転となり、スピードアップが実施された。同時に従来瀬戸線を走っていた3780系電車が全廃となった。
1997年4月5日改正
[編集]パノラマsuper(1000系電車)の増備や新型車両投入(1500V線区へ3700系電車(3代目)、3100系電車、600V線区へモ780形電車を投入)に伴うダイヤ改正。
- 豊橋駅を発着する特急がすべて一部指定席となり、同駅を発着する列車はすべて乗車券のみで利用できるようになった[61]。
- 名古屋本線の特急をさらにスピードアップ。最速パターンで豊橋駅 - 新名古屋駅間47分[61]、新名古屋駅 - 新岐阜駅間23分にまで短縮。
- 国府駅、国府宮駅に特急が、加納駅、上小田井駅、扶桑駅に急行が特別停車する列車が増加した[62]。
- 新一宮駅発の快速急行を増発。計8本に[39]。
- 尾西線新一宮駅 - 津島駅間で普通列車を増発し一部時間帯で15分間隔での運転を実施[61]。森上駅 - 新一宮駅間は終日15分間隔の運転となった[63]。なお、1994年11月改正で設定された新一宮駅経由で名古屋本線に直通する列車1往復のうち、森上駅着の1本[注釈 8]が当改正で廃止され、森上駅発1本のみの設定となった[65]。
- 岐阜市内線から揖斐線(黒野駅まで)の直通運転を増発。モ780形電車投入によりスピードアップ[61]。
- 3100系電車の投入により、3500系電車は6両編成の列車にも充当が可能となり、それまでは使用されることが少なかった豊川線や河和線に直通する急行にも常時使用されるようになった。また、1000系電車の最終増備車となった5次車が就役したのに伴い、7000系白帯車はさらに定期特急運用を縮小、ラッシュ時にごく一部が残されていた2編成併結の8両編成での定期運用は消滅し、犬山線 - 河和線系統への使用がほとんどなくなり、同車の特急運用は西尾線 - 津島・尾西線系統が主体となった。
- キハ8500系気動車の名鉄線内の運用が4年振りに復活した(「北アルプス号」の運用前に新岐阜駅発常滑行き、常滑駅発金山行きを各1本)。この関係で北アルプス号の発着が新名古屋駅に変更された。
- 本改正より土曜日も休日ダイヤとなった。従来の休日ダイヤから朝間帯に111本の増発を実施し、土曜出勤・登校にも配慮した[61]。
- 同日、舞木定期検査場が完成した[39]。
1998年4月6日改正
[編集]前回の改正で登場した3700系、3100系、モ780形電車のさらなる増備に伴い実施。
- 新木曽川駅、南加木屋駅、巽ヶ丘駅、南成岩駅に特別停車する特急を増加。また、前回改正に続き扶桑駅に特別停車する急行を追加した[62]。
- 三河線では全区間において平日に終日毎時4本の運転を実施[66]。
- 尾西線新一宮駅 - 津島駅間で普通列車をさらに増発し平日朝も15分間隔で運転するようになる[66]。
- 常滑線では夜間下りの急行を太田川駅から普通に種別変更し、太田川駅以南を各駅停車とした[67]。
- 広見線では土・休日の急行が廃止となり、急行は平日のみの運転となった。
- 各務原線では1993年8月12日改正で増発された夕方時間帯の新岐阜駅 - 三柿野駅間の普通列車のうち、休日ダイヤの設定がなくなり、平日のみの運転となった[68]。
- モ780形電車の増備により、揖斐線黒野発着列車のほとんどが岐阜市内線直通となった。また、忠節駅 - 黒野駅間の冷房率が100%に達した[66]。
- 谷汲線、三河海線レールバス運転区間で列車本数の削減が行われた。
- 休日の午後に1往復のみではあったが、1996年4月改正をもって消滅していた6000系電車系列の豊橋駅への定期乗り入れ運用が再開された。運行経路は新岐阜駅→豊橋駅→御嵩駅であった。
- 3100系、3700系電車の増備に伴い、7000系電車の廃車が本格的に行われるようになった。廃車対象は7015、7021、7023、7031各編成および中間車のモ7083、モ7084の計18両で、このうち7015編成は白帯車のまま廃車となった[69]。この他岐阜線ではモ570形、モ700形、モ750形に廃車が発生し、モ700形は形式消滅した[69]。
- 西尾線・蒲郡線(西尾駅 - 蒲郡駅間)では改正後の6月1日よりワンマン運転を開始[70]。西尾駅以南へ向かう列車は特急・急行と一部の列車を除いてワンマン運転となり、ほとんどの急行が西尾駅折り返しとなった[67]。
1999年5月10日改正
[編集]1600系電車の登場に伴い実施。
- 1600系電車の投入により、特急列車は専用の車両で運転されるようになったため、従来の指定席車が特別車に変わり、座席指定券はミューチケットに名称が変更された。あわせて、一般席車も一般車と改称された[71]。これにより、7000系、7700系白帯車は臨時も含めた指定席特急の運用から完全に離脱した[62]。
- 国府宮駅が特急停車駅に昇格し、知立駅の特急特別通過が廃止された[71]。このほか、岩倉駅、太田川駅、知多奥田駅の特急通過が無くなり、新木曽川駅の一部特急の特別停車が取り止められた[72]。
- 利用状況が悪い一部の全車特別車の特急の運転区間短縮が行われた[72]。
- 昼間の新一宮駅始発の快速急行を全廃[73]。この結果、快速急行は平日朝に走る新岐阜駅 - 東岡崎駅間の列車1本を残すのみとなった。
- 加納駅への急行特別停車本数を削減。朝間、夜間の一部列車を除き、急行が停車しなくなる[72]。
- 豊明検車区稼動に伴い、始発駅を鳴海駅から豊明駅へ変更する列車が増加。
- 平日朝に3本に運転されていた徳重駅と大山寺駅の両駅を特別通過していた犬山線からの鶴舞線直通普通列車はこの改正で両駅とも停車となった[72]。
- 昼間の羽島市役所前駅 - 新羽島駅間を毎時4本から2本に削減[74]。
- 前改正で休日にのみ再開されていた6000系電車系列の豊橋駅への定期乗り入れが再度消滅、これ以降、同系列の豊橋駅への定期乗り入れは再開されていない。その一方で、平日のみの午前中に1往復、7000系電車4両組成の御嵩駅への定期乗り入れが再開された。
- 7000系、7700系白帯車の特急運用廃止[75]。7000系電車の4両組成はそれまで白帯車と一般車とで運用が分けられていたが、白帯車の定期特急運用廃止に伴い、同車の4両組成は白帯の有無にかかわらず共通運用となった。
- 直前の4月1日には美濃町線の新関駅 - 美濃駅間が廃止され、その代替として新関駅 - 関駅間が開業して長良川鉄道との連絡運輸が行われるようになった。
- ダイヤ改正に合わせ、新名古屋駅の発車標などの案内設備を更新した。発車標はこの更新で「次々発」までの表示が可能になり、種別や行先に英語表示が付加された[72]。
- この改正に前後して、パノラマメイツの呼称は順次使用されなくなり、女性乗務員も男性と同様に扱われるようになった。
1999年12月4日改正
[編集]JR東海が名古屋近郊の在来線で大規模なダイヤ改正(東海道線における「特別快速」の新設、飯田線・武豊線から名古屋方面への直通列車の増発、など)を実施したこの日、名鉄でも一部ダイヤ改正が行われた。
- 平日朝の豊橋駅発急行2本を特急に格上げ(伊奈駅・国府駅に特別停車)。朝ラッシュ時に東岡崎駅発金山駅行特急を1本増発[74]。
- 豊明駅発豊橋行き急行を増発し、同区間急行停車駅の始発列車を最大34分繰り上げ[74]。
- 大野町駅7時48分発の金山行き普通を犬山駅発着(神宮前駅から急行)に変更[76]。
- 河和駅17時16分発の新鵜沼・新可児行き特急が住吉町駅に特別停車するようになる[76]。
- 北アルプス号が江南駅、犬山遊園駅に停車[74]。またJR東海の特急「ひだ」の増発(臨時列車の定期列車化および大阪駅発着の急行「たかやま」の特急「ひだ」への格上げ)に伴い、北アルプス号は美濃太田駅 - 高山駅間で「ひだ」との併結が毎日行われるようになった。
2000年代
[編集]2000年3月21日改正
[編集]- 従来新安城駅に特別停車していた毎時2本の本線特急が国府駅にも特別停車するようになり[77]、当該列車は国府駅で普通列車と緩急接続するようになった[78]。
- 平日朝と夕方に三柿野発名古屋方面行きの全車特別車特急が各1本設定された[78]。
- 津島線の木田駅と勝幡駅に昼間以降の下り特急が特別停車するようになる[78]。
- 常滑駅発着の急行が大江駅に特別停車するようになり、同駅で緩急接続ができるようになった[77]。
- 夕方に運転されていた、豊橋駅 - 御嵩駅または新可児駅間と常滑駅 - 本線経由新岐阜駅間の急行を昼間帯と同様、豊橋駅 - 新岐阜駅間および常滑駅 - 御嵩駅または新可児駅間の運転に再編。
- 前後駅、栄生駅、大里駅に特別停車する急行が増え、利便性が向上[77]。
- 須ヶ口駅 - 新木曽川駅間に普通列車を毎時2本増発し[77]、同区間では毎時4本になった。国府宮駅で特急、(上りのみ)新清洲駅で急行と緩急接続する[74]。なお、増発されたこの普通は新木曽川駅 - 新岐阜間を急行として運転[78]。
- 知多半田駅 - 金山駅間の普通列車が一部急行に格上げとなり、河和線急行停車駅 - 名古屋方面の所要時間の短縮が図られた。また、太田川駅 - 知多半田駅間で普通が増発され、一部時間帯を除いて毎時4本の運転となった[77][78]。
- 各務原線の急行(犬山線犬山駅以南から直通する系統)が三柿野駅で種別変更し、新岐阜駅 - 三柿野駅間を普通列車で運転するようになった[79](新岐阜駅 - 三柿野駅間の普通列車が運転される平日夕方時間帯は引き続き種別変更せず急行として運転[80])。
- 羽島市役所前駅 - 大須駅間の区間列車を、一部を除いて笠松方面へ延長運転[77]。名古屋本線と竹鼻線・羽島線全線でループ運用(大須駅→新岐阜駅→新羽島駅→笠松駅→大須駅)が組まれた[81]。このほか、平日朝の笠松方面急行4本、羽島市役所前方面急行2本を普通に格下げし、当該時間帯の普通列車を15分間隔とした[79]。
- 同年3月28日に犬山橋の道路と鉄道部分を分離した。その後、鉄道専用橋化工事の際に犬山遊園駅 - 新鵜沼駅間が単線運転となるため、それに対応したダイヤとした。
2000年6月10日改正
[編集]瀬戸線で実施。
2000年11月16日改正
[編集]- 美濃町線が全区間ワンマン運転になる。
2001年10月1日改正
[編集]岐阜県内の赤字路線(谷汲線、揖斐線(一部)、竹鼻線(一部)、八百津線)廃止に伴い全線で実施。
- 上小田井駅が急行停車駅、木田駅と勝幡駅が特急停車駅に格上げされる[82]。また中京競馬場前駅に豊川線系統の急行が特別停車するようになる[83]。
- 上小田井駅への急行の全列車停車に伴い、利用率の低かった昼間の岩倉駅折り返しの地下鉄鶴舞線直通列車が廃止された[82]。
- 犬山橋の鉄道専用橋化工事が完成し、犬山遊園駅 - 新鵜沼駅間の複線運転が行えるようになった。
- 竹鼻線の急行を廃止。本線直通列車は笠松駅で普通に種別変更するようになる[82]。
- 尾西線新一宮駅 - 津島駅間の普通列車が毎時2本増発され、ほぼ終日毎時4本の運転となる[82]。
- 三河線の山線区間(知立駅 - 猿投駅間)に駅集中管理システムが導入され、終日ワンマン運転となる。また、三河線全線で普通の増発も行われ、土休日もほぼ毎時4本の運転となる[82]。
- 前改正で三柿野駅にて種別変更するようになった犬山経由新岐阜発着の急行が犬山駅(名古屋方面は新鵜沼駅)で種別変更するようになる。その代替として、犬山駅 - 新岐阜駅間の普通列車が犬山駅 - 三柿野駅間を急行運転するようになった[82]。
- 前改正で設定された新木曽川で種別変更する普通(急行)は走行する全区間において普通として運転されるようになり、新木曽川駅 - 新岐阜駅間の普通停車本数も毎時4本となった[84]。
- 太田川駅 - 知多半田駅間で普通が減便され、昼間帯は毎時2本の運転となった[84]。
- 揖斐線は全列車が終日岐阜市内線への直通運転となり、美濃北方駅発着の列車を黒野駅発着へ延長した[82]。
- 岐阜バスとの共通乗車制の導入に伴い、昼間時間帯を中心に美濃町線の列車を減便[75]。
- 動態保存として運用されていた3400系電車が定期運用を離脱した[75]。
- 東海北陸自動車道開通の影響によるマイカー利用者増加などの要因により、JR高山本線直通特急「北アルプス」が廃止された[85]。キハ8500系気動車は名鉄線内の特急を含めて運用を離脱。同年12月に会津鉄道に譲渡された[75]。
2002年1月16日改正
[編集]中部国際空港連絡線(空港線)建設に伴う高架化工事のため榎戸駅 - 常滑駅間がバス代行となった。
- 榎戸駅、常滑駅前に隣接して代行バスの停留所を設け、榎戸駅発着列車に接続する形で代行バスを運行(多屋駅バス停は駅から少し離れた位置に設置)。各列車ごとの輸送実績から代行バスの両数が個別に割り出された。代行バスの運賃は鉄道運賃に準ずる[86]。
- 代行バス運転により、榎戸駅 - 常滑駅間の所要時間は約3分から約10 - 15分程度に伸びた[86]。
2003年3月27日改正
[編集]名古屋市営地下鉄上飯田線の開業と前後駅の下り待避線設置に合わせて全線で実施。
- 快速急行を廃止。平日朝に上り1本だけ残っていた東岡崎行き快速急行は特急豊橋行き(一部特別車)に変更。ただし、鳴海駅、新安城駅への停車は統合後も特別停車として存続[87]。
- 地下鉄上飯田線が開通し、同日より小牧線は犬山駅 - (地下鉄上飯田線)平安通駅との間で相互直通運転が開始された。また、かねてから進められていた小牧駅以南の複線化完成に伴い小牧線の列車が増発され、犬山駅 - 平安通駅間でほぼ終日毎時4本の運転が基本となり、朝夕には小牧駅 - 平安通駅間の列車が追加された。同区間では平日の8時台前半までは毎時8本、平日の8時台後半と9時台および夕間帯と休日の朝夕は毎時6本となる。同時に、小牧線は名鉄で初めてトランパスに対応した[88]。
- 上飯田線との相互直通開始により小牧線はワンマン運転となった[88]。
- また、同日より味鋺駅南方 - 上飯田駅間が地下化され、上飯田駅には名鉄の駅では初となるホームドアが設置された。
- 前後駅が急行停車駅[89]、可児川駅が特急停車駅[87]に格上げされる。また豊明駅に終日一部の急行が特別停車するようになる[87](停車の目的は特急待避。当時の上り列車の停車は日中のみ)。これに伴い、従来豊明駅で折り返していた毎時2本の普通が東岡崎駅まで直通運転されるようになり、東岡崎 - 豊明間の普通は毎時4本になった[87]。
- これに併せて、平日の夕方以降に豊橋駅発着の急行が特別停車していた矢作橋駅に停車する急行の本数が減少。同駅に停車する急行はほとんど朝ラッシュのみとなった。
- 名古屋方面へ向かう普通列車が前後駅で急行に接続するようになり、昼間時間帯に富士松駅、一ツ木駅から新名古屋駅への所要時間が13分短縮した[87]。
- 夜間、加納駅に特別停車していた急行がすべて通過するようになった。
- 各務原線の全車特別車特急を増発。それまで新鵜沼駅始発だった早朝の神宮前駅行き特急1本を三柿野駅始発に変更。またこの特急のみ名電各務原駅にも特別停車する[90]。
- 平日の昼間と休日の犬山方面と御嵩方面との直通運転が廃止され、新可児駅で系統分割される[85]。またこの時間帯の急行は常滑行きが各務原線新岐阜駅発、河和・内海行きが新可児駅発となる。
- 各務原線の昼間帯の急行運転区間が新那加駅 - 新鵜沼駅間に変更された。
- 豊田線の運行間隔を15分間隔に統一[87]。昼間の地下鉄鶴舞線から犬山線への直通列車を毎時2本から1本に減便。
- 平日夜間の常滑発(2003年10月3日までは榎戸発)新鵜沼行き特急を新可児行きに変更し、広見線内の特急停車駅への帰宅時の利便性が向上した[87]。
- 休日夕間帯の一部特別車特急が8両から6両に減車。
- 瀬戸線昼間の運転系統が変更され準急が尾張瀬戸駅発着となり[91]、普通毎時2本が尾張旭駅発着に変更。尾張旭駅発着の普通は同駅で急行と緩急接続。
- 2003年10月4日には榎戸駅 - 常滑駅間の高架化が完了し、列車運行が再開された[75]。
2004年4月1日改正
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「準急」は瀬戸線のみ存続し、従来の「急行」「準急」「普通」の3種別体制を改正後も維持した。
- ^ 名古屋本線の特急には「全車指定席車」が28本、「一部指定席車」が70本、「全車一般席車」が34本設定された。これは旧特急と旧高速を合わせた本数と同じであり、本数自体の増減はない。「一部指定席車」は主に昼間帯に設定され、朝夕ラッシュ時に「全車指定席車」「全車一般席車」を設定した[22]。
- ^ これら一部指定席特急の車両には、指定席車には1000系電車と7000系・7700系電車(白帯車)が使用され、一般席車には7000系電車(一般車)や5300系・5700系電車を主体に7100系電車や5500系電車も使用されていた。また、ラッシュ時を主体に設定された全車一般席特急には一部指定席特急の一般席車と同じ車両のほか、7500系電車や6000系列の車両も使用されていた。
- ^ 609列車は知立駅で309列車に併結。なお復路は知立駅で碧南行・猿投行が分割および当駅から普通として運転[26]。
- ^ 夜間は終日2本(新一宮行2353列車と東岡崎行き2281列車)、早朝は休日のみ1本(東岡崎行き681列車)設定されていた[33]。
- ^ これにより、7000系白帯車使用の定期特急はごくわずかとなり、7700系白帯車は予備車となった[39]。また、一般車仕様の7000系電車や5700系電車などの用いた定期特急運用は消滅した。
- ^ 3500系電車の8両編成で運転され、東岡崎駅で1000系・1200系電車6両に車両交換のうえ、同駅より一部指定席扱いとなっていた[58]。
- ^ 豊川稲荷駅発新岐阜・森上行列車(1821列車。新一宮駅で分割後は3822列車[64])。
出典
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参考文献
[編集]電子資料
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- “3月27日にダイヤ改正を実施します ―上飯田連絡線の開通や前後駅の下り副本線竣工に伴い、利便性が大幅に向上します―”(PDF)、名古屋鉄道(ウェイバックマシンによるアーカイブ。2003年3月8日取得)、2014年7月17日閲覧。
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- 徳田耕一 『名鉄の廃線を歩く―愛執の30路線徹底調査』 JTB 2001年 ISBN 978-4533039232
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- 『名鉄時刻表 Vol.14』名古屋鉄道株式会社交通事業本部 1997年
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- 『名鉄時刻表 Vol.16』名古屋鉄道株式会社交通事業本部 1999年
- 『名鉄時刻表 Vol.17』名古屋鉄道株式会社交通事業本部 2000年
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- 『名鉄時刻表 Vol.19』名古屋鉄道株式会社交通事業本部 2003年
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