5人目のビートルズ
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5人目のビートルズ(5にんめのビートルズ)は、ビートルズの4人の正式メンバーに準じる立場にいる人物を指す呼称。
ビートルズは1962年のメジャー・デビューから1970年の解散まで、4人の正式メンバーしか在籍していない。だが、それ以外の人物がビートルズに直接或いは間接的に関わっている場合、ファン或いはマスコミによって「メンバーに準じる立場」と認められる場合がある。また、自称の場合もある。確認されているだけでも、以下の人物達が「5人目のビートルズ」と呼称された事があった。
元メンバー
[編集]- ピート・ベスト
- 元ドラマー。1962年8月15日、メジャーデビューの直前に事実上解雇された。後任はリンゴ・スター。
- スチュアート・サトクリフ
- 元ベーシスト。1962年のハンブルク巡業の後、画家になるため脱退した。後任はポール・マッカートニー(ギターからベースに転向)。
スタッフ
[編集]- ジョージ・マーティン
- デビュー・シングルの「ラヴ・ミー・ドゥ」から、実質的なラスト・アルバムである「アビイ・ロード」までのプロデュースを務めた。クラシック系の楽器の使用方法に疎いメンバーに数多くの助言やサポートを行ったり、初期には自らピアノでレコーディングに参加するなど、メンバー以外でビートルズ音楽に最も影響を与えた人物とされている。2016年3月に死去した時には、その訃報にも5人目のビートルズという呼称が使われていた[1][2]。また、ジョン・レノンの実子であるジュリアン・レノンも5人目のビートルズとしてジョージ・マーティンの名前を挙げている[3]。
- ブライアン・エプスタイン
- 1962年から1967年の死亡時までマネージャーを務めた。メジャー・デビューやアメリカでの成功はブライアンの功績が大きいとされている。また、実際にポール・マッカートニーは過去に「彼こそ5人目のビートルズだ」と述べている[4][5]。
- ニール・アスピノール
- 設立から2007年の退任まで長きに渡りアップル・コアの代表取締役として経営を行った。ジョージ・ハリスンが過去に5人目のビートルズとして名前を挙げたことがある[6]。
- デレク・テイラー(Derek Taylor)
- ビートルズの広報を担当。「平和を我等に」にコーラスで参加している。ニール・アスピノールと同様に、ジョージ・ハリスンが過去に5人目のビートルズとして名前を挙げたことがある[6]。
- ジェフ・リン
- エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のリーダーであり、自身は熱狂的なビートルズファン。音楽プロデューサーとしてジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターのソロアルバムなどを手掛け、ビートルズの「フリー・アズ・ア・バード」、「リアル・ラヴ」にもプロデューサーとして参加した。また、ハリスンと共にトラベリング・ウィルベリーズのメンバーの一人である。
セッション参加ミュージシャン
[編集]- トニー・シェリダン
- 無名時代のビートルズをバックに据えて録音したシングル盤を「トニー・シェリダンとザ・ビート・ブラザース」名義でリリースしている。
- アンディ・ホワイト(Andy White)
- デビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」でリンゴ・スターのドラムに満足がいかなかったジョージ・マーティンが代わりにドラムを叩かせたセッション・ミュージシャン。
- ジミー・ニコル(Jimmie Nicol)
- イギリスのドラマー。1964年6月のツアーで扁桃炎で入院したリンゴ・スターの代役でドラムを担当した。その後ザ・スプートニクスに加入し、1966年にはスプートニクスの一員としてビートルズより一足早く来日している。周りから調子を聞かれたときの口癖「It's getting better(だんだん良くなってるよ)」がビートルズの楽曲「ゲッティング・ベター」のタイトルの由来となった。
- エリック・クラプトン
- 「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のギター・ソロを担当[7]。1969年1月にジョージ・ハリスンがバンドを一時的に脱退した際に、ジョン・レノンが代わりに加入させることを提案したことがある。ハリスンとは親友で、そのソロアルバムにたびたび参加している。
- ビリー・プレストン
- 「ゲット・バック」におけるエレクトリック・ピアノの演奏などで有名。外部から招かれた演奏者としては、唯一公式にクレジットされたアーティストである。ブラック・ビートルと称されることもある[8]。
その他
[編集]- ジョージ・ベスト
- ビートルズと同時代に活躍したサッカー選手。華麗なプレーや甘いマスク、ファッションなどで非常に高い人気を博したことから、当時同じように人気のあったビートルズと掛けて5人目のビートルズやエル・ビートルと呼ばれるようになった[9][10][11]。
- マレー・ザ・K
- アメリカのDJ。ビートルズが初めてアメリカに上陸した際に彼の番組に電話出演し、マレーは自ら「5人目のビートルズ」を名乗り積極的に彼らの楽曲を紹介した。
- ビクター・スピネッティ
- イギリス出身の俳優。ビートルズ主演の映画『ハード・デイズ・ナイト』『ヘルプ! 4人はアイドル』『マジカル・ミステリー・ツアー』に出演していた[12]。
- ウィリアム・キャンベル(William Stuart Campbell)
- 都市伝説「ポール・マッカートニー死亡説」において、「ポールの替え玉として選ばれた」とされるポールのそっくりさん。
- ロイ・ヤング(Roy Young)
- ピアニスト、ビートルズのデビュー前に正式なオファーがあったが、断っている。
脚注
[編集]- ^ “「5人目のビートルズ」ジョージ・マーティンさん死去 90歳”. スポニチアネックス (2016年3月9日). 2016年3月9日閲覧。
- ^ 「『5人目のビートルズ』死去――ジョージ・マーティンさん90歳」(朝日新聞、2016年3月10日号・39面)
- ^ “Julian Lennon”. web.facebook.com (2016年3月9日). 2018年11月18日閲覧。
- ^ “Brian Epstein Play to Open in Liverpool”. The Daily Telegraph. (2012年8月27日) 2018年11月18日閲覧. "Sir Paul McCartney said of him: 'If anyone was the Fifth Beatle, it was Brian.'"
- ^ 記録映画『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』内のインタビュー
- ^ a b O'Dell, Chris; with Ketcham, Katherine (2009). Miss O'Dell: My Hard Days and Long Nights with The Beatles, The Stones, Bob Dylan, Eric Clapton, and the Women They Loved. New York, NY: Touchstone. ISBN 978-1-4165-9093-4
- ^ Adamson, Nancy (2002年8月11日). “Book Review: New rock 'n' roll trivia book hits a nice note”. Midland Reporter-Telegram
- ^ Martin, Philip (2001). Artificial Southerner: Equivocations and Love Songs. University of Arkansas Press. p. 76. ISBN 1557287163
- ^ “Manchester United Official Web Site”. Manchester United F.C.. 2018年11月18日閲覧。
- ^ “The birth of El Beatle - Premier League - Football”. The Independent (2005年12月7日). 2012年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月18日閲覧。
- ^ “The birth of El Beatle”. The Independent. 2018年11月18日閲覧。
- ^ “Victor Spinetti, the raconteur of genius -Wales Online”. 2018年11月18日閲覧。