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内閣総理大臣の一覧

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内閣総理大臣の一覧(ないかくそうりだいじん の いちらん)は、日本の行政府の長である内閣総理大臣の一覧である。


歴代の内閣総理大臣

大日本帝国憲法は1890年11月29日、第3代の第一次山縣内閣の時に施行。

日本国憲法は1947年5月3日、第32代の第一次吉田内閣の時に施行。

以下表中、 は歴代内閣、 は何人目の総理。

日数 は在職日数、ただし在職期間が連続していない場合は、各次の在職日数をあげたのち、最終次の在職日数の後に通算の在職日数を加えた。

氏名 在職期間 日数 出身地 学職歴 備考
明治
1 1 伊藤博文
いとう ひろぶみ
第一次伊藤内閣
1885年12月22日
- 1888年4月30日
861 長州藩
山口県
松下村塾出身
後に元老
長州閥
2 2 黒田清隆
くろだ きよたか
黒田内閣
1888年4月30日
- 1889年10月25日
544 薩摩藩
鹿児島県
後に元老 薩摩閥
在任中単独辞任
三條實美
(さんじょう さねとみ)
(黒田内閣)
1889年10月25日
- 1889年12月24日
内大臣三條實美が内閣総理大臣兼任
大日本帝国憲法
3 3 山縣有朋
やまがた ありとも
ファイル:591px-Ymagata,A cropped.jpg
第一次山縣内閣
1889年12月24日
- 1891年5月6日
499 長州藩
山口県
松下村塾出身
陸軍軍人
後に元老
長州閥
4 4 松方正義
まつかた まさよし
第一次松方内閣
1891年5月6日
- 1892年8月8日
461 薩摩藩
鹿児島県

後に元老
薩摩閥
5 伊藤博文
第二次伊藤内閣
1892年8月8日
- 1896年8月31日
1,485 (略) (略) 在任中単独辞任
(黒田清隆)
(第二次伊藤内閣)
1896年8月31日
- 1896年9月18日
枢密院議長黒田清隆が内閣総理大臣臨時兼任
6 松方正義
第二次松方内閣
1896年9月18日
- 1898年1月12日
482
通算943
(略) (略)
7 伊藤博文
第三次伊藤内閣
1898年1月12日
- 1898年6月30日
170 (略) (略)
8 5 大隈重信
おおくま しげのぶ
第一次大隈内閣
1898年6月30日
- 1898年11月8日
132 佐賀藩
佐賀県
佐賀藩蘭学寮出身 肥前閥
憲政党総裁
最初の政党内閣
9 山縣有朋
ファイル:591px-Ymagata,A cropped.jpg
第二次山縣内閣
1898年11月8日
- 1900年10月19日
711
通算1,210
(略) (略)
10 伊藤博文
第四次伊藤内閣
1900年10月19日
- 1901年5月10日
204
通算2,720
(略) (略) 立憲政友会総裁
在任中単独辞任
西園寺公望
(さいおんじ きんもち)
(第四次伊藤内閣)
1901年5月10日
- 1901年6月2日
(枢密院議長西園寺公望が内閣総理大臣臨時兼任)
11 6 桂太郎
かつら たろう
第一次桂内閣
1901年6月2日
- 1906年1月7日
1,681 長州藩
山口県
陸軍軍人
台湾総督
後に内大臣、元老
長州閥
(予備役陸軍大将)
12 7 西園寺公望
第一次西園寺内閣
1906年1月7日
- 1908年7月14日
920
京都府
ソルボンヌ大学
パリ講和会議全権特使
後に元老
立憲政友会総裁
13 桂太郎
第二次桂内閣
1908年7月14日
- 1911年8月30日
1,143 (略) (略)
14 西園寺公望
第二次西園寺内閣
1911年8月30日
- 1912年12月21日
480
通算1,400
(略) (略)
大正
15 桂太郎
第三次桂内閣
1912年12月21日
- 1913年2月20日
62
通算2,886
(略) (略)
16 8 山本權兵衞
やまもと ごんべえ
第一次山本内閣
1913年2月20日
- 1914年4月16日
421 薩摩藩
鹿児島県
海軍兵学寮
海軍軍人
薩摩閥
(予備役海軍大将)
17 大隈重信
第二次大隈内閣
1914年4月16日
- 1916年10月9日
908
通算1,040
(略) (略)
18 9 寺内正毅
てらうち まさたけ
寺内内閣
1916年10月9日
- 1918年9月29日
721 長州藩
山口県
陸軍軍人 長州閥
朝鮮総督
現役陸軍大将
19 10 原敬
はら たかし
原内閣
1918年9月29日
- 1921年11月4日
1,133 盛岡藩
岩手県
司法省法学校中退
郵便報知新聞社記者
外務官僚
立憲政友会総裁
衆議院議員
在任中暗殺
内田康哉
(うちだ こうさい)
(原内閣)
1921年11月4日
- 1921年11月13日
外務大臣内田康哉が内閣総理大臣臨時兼任)
20 11 高橋是清
たかはし これきよ
高橋内閣
1921年11月13日
- 1922年6月12日
212 仙台藩
東京府
ヘボン塾[1]
日銀総裁
立憲政友会総裁
衆議院議員
21 12 加藤友三郎
かとう ともさぶろう
加藤友三郎内閣
1922年6月12日
- 1923年8月24日
440 広島藩
広島県
海軍兵学寮卒
海軍軍人
ワシントン海軍軍縮会議主席全権
(予備役海軍大将)
在任中に病死
(内田康哉)
(加藤友三郎内閣)
1923年8月24日
- 1923年9月2日
(外務大臣内田康哉が内閣総理大臣臨時兼任)
22 山本權兵衞
第二次山本内閣
1923年9月2日
- 1924年1月7日
128
通算549
(略) (略)
23 13 清浦奎吾
きようら けいご
清浦内閣
1924年1月7日
- 1924年6月11日
157 熊本藩
熊本県
咸宜園出身
司法官僚
貴族院議員
24 14 加藤高明
かとう たかあき
加藤高明内閣
1924年6月11日
- 1926年1月28日
597 尾張藩
愛知県
東京大学
法学部卒業
三菱役員
外務官僚
憲政会総裁
衆議院議員
憲政会・政友会・革新倶楽部連立(1925年8月2日以降憲政会単独)
在任中に病死
若槻禮次郎
(わかつき れいじろう)
(加藤高明内閣)
1926年1月28日
- 1926年1月30日
内務大臣若槻禮次郎が内閣総理大臣臨時兼任)
25 15 若槻禮次郎
第一次若槻内閣
1926年1月30日
- 1927年4月20日
446 松江藩
島根県
帝国大学
法科卒業
大蔵官僚
衆議院議員
ロンドン海軍軍縮会議主席全権
憲政会総裁
昭和
26 16 田中義一
たなか ぎいち
田中義一内閣
1927年4月20日
- 1929年7月2日
805 長州藩
山口県
陸軍大学校卒業
陸軍軍人
立憲政友会総裁
(予備役陸軍大将)
27 17 濱口雄幸
はまぐち おさち
濱口内閣
1929年7月2日
- 1931年4月14日
652 土佐藩
高知県
東京帝国大学
法科卒業
大蔵官僚
衆議院議員
立憲民政党総裁
在任中狙撃され、外務大臣 幣原喜重郎が1930年11月14日から翌年3月10日まで116日間にわたって臨時代理
28 若槻禮次郎
第二次若槻内閣
1931年4月14日
- 1931年12月13日
244
通算690
(略) (略) 立憲民政党総裁
29 18 犬養毅
いぬかい つよし
犬養内閣
1931年12月13日
- 1932年5月16日
156 庭瀬藩
岡山県
慶應義塾中退
新聞記者
衆議院議員
立憲政友会総裁
在任中襲撃(五・一五事件
総理死亡は5月15日
午後11時26分
(高橋是清)
(犬養内閣)
1932年5月16日
- 1932年5月26日
大蔵大臣高橋是清が内閣総理大臣臨時兼任)
30 19 齋藤實
さいとう まこと
齋藤内閣
1932年5月26日
- 1934年7月8日
774 仙台藩
水沢藩
/岩手県
海軍兵学校
海軍軍人
朝鮮総督(2期)
ジューヴ海軍軍縮会議主席全権
(予備役海軍大将)
31 20 岡田啓介
おかだ けいすけ
岡田内閣
1934年7月8日
- 1936年3月9日
611 越前藩
福井県
海軍大学校卒業
海軍軍人
(予備役海軍大将)
在任中襲撃(二・二六事件
内務大臣後藤文夫が臨時代理
32 21 廣田弘毅
ひろた こうき
廣田内閣
1936年3月9日
- 1937年2月2日
331 福岡県 東京帝国大学
法学部
政治学科卒業
外務官僚
33 22 林銑十郎
はやし せんじゅうろう
林内閣
1937年2月2日
- 1937年6月4日
123 石川県 陸軍大学校卒業
陸軍軍人
(予備役陸軍大将)
34 23 近衞文麿
このえ ふみまろ
第一次近衞内閣
1937年6月4日
- 1939年1月5日
581 東京府
東京都
京都帝国大学
法学部卒業
公家華族
貴族院議長
35 24 平沼騏一郎
ひらぬま きいちろう
平沼内閣
1939年1月5日
- 1939年8月30日
238 津山藩
岡山県
帝国大学
法科卒業
司法官僚
大審院長
枢密院議長
36 25 阿部信行
あべ のぶゆき
阿部内閣
1939年8月30日
- 1940年1月16日
140 石川県 陸軍大学校卒業
陸軍軍人
後に朝鮮総督
(予備役陸軍大将)
37 26 米内光政
よない みつまさ
米内内閣
1940年1月16日
- 1940年7月22日
189 岩手県 海軍大学校
海軍軍人
連合艦隊司令長官
(予備役海軍大将)
38 近衞文麿
第二次近衞内閣
1940年7月22日
- 1941年7月18日
362 (略) (略)
39 第三次近衞内閣
1941年7月18日
- 1941年10月18日
93
通算1,035
40 27 東條英機
とうじょう ひでき
東條内閣
1941年10月18日
- 1944年7月22日
1,009 岩手県[2] 陸軍大学校卒業
陸軍軍人
現役陸軍大将
41 28 小磯國昭
こいそ くにあき
小磯内閣
1944年7月22日
- 1945年4月7日
260 栃木県 陸軍大学校卒業
陸軍軍人
朝鮮総督
(予備役陸軍大将)
→ 現役復帰
42 29 鈴木貫太郎
すずき かんたろう
鈴木貫太郎内閣
1945年4月7日
- 1945年8月17日
133 関宿藩
千葉県[3]
海軍大学校卒業
海軍軍人
連合艦隊司令長官
侍従長
枢密院議長
(予備役海軍大将)
43 30 東久邇宮稔彦王
ひがしくにのみや
なるひこおう

東久邇宮内閣
1945年8月17日
- 1945年10月9日
54 京都府
皇族
陸軍大学校卒業
陸軍軍人
1945年8月15日より
連合軍の占領下
9月6日主権放棄)
44 31 幣原喜重郎
しではら きじゅうろう
幣原内閣
1945年10月9日
- 1946年5月22日
226 大阪府 帝国大学
法科大学
卒業
外務官僚
貴族院議員
内閣総理大臣臨時代理
元外務大臣
進歩自由連立
連合軍の占領下
45 32 吉田茂
よしだ しげる
第一次吉田内閣
1946年5月22日
- 1947年5月24日
368 東京府
東京都[4]
東京帝国大学
法科大学
政治科卒業
外務官僚
貴族院議員
日本自由党総裁
自由・進歩連立
連合軍の占領下
日本国憲法
46 33 片山哲
かたやま てつ
片山内閣
1947年5月24日
- 1948年3月10日
292 和歌山県[5] 東京帝国大学
法学部
独法科卒業
弁護士
日本社会党委員長
社会民主国協連立
連合軍の占領下
47 34 芦田均
あしだ ひとし
芦田内閣
1948年3月10日
- 1948年10月15日
220 京都府 東京帝国大学
法学部
仏法科卒業
外務官僚
民主党総裁
民主・社会・国協連立
連合軍の占領下
48 吉田茂
第二次吉田内閣
1948年10月15日
- 1949年2月16日
125 (略) (略) 民主自由党総裁
連合軍の占領下
49 第三次吉田内閣
改造内閣 一
改造内閣 二
改造内閣 三
1949年2月16日
- 1952年10月30日
1,353
連合軍の占領下
(1952年4月28日主権回復)
50 第四次吉田内閣
1952年10月30日
- 1953年5月21日
204 自由党総裁
51 第五次吉田内閣
1953年5月21日
- 1954年12月10日
569
通算2,616
52 35 鳩山一郎
はとやま いちろう
第一次鳩山内閣
1954年12月10日
- 1955年3月19日
100 東京府
東京都
東京帝国大学
法学部
英法科卒業
東京市議会議員
弁護士
日本民主党総裁
53 第二次鳩山内閣
1955年3月19日
- 1955年11月22日
249
54 第三次鳩山内閣
1955年11月22日
- 1956年12月23日
398
通算745
自民党総裁
55 36 石橋湛山
いしばし たんざん
石橋内閣
1956年12月23日
- 1957年2月25日
65 山梨県[6] 早稲田大学
大学部
文学科卒業[7]
東洋経済新報社社長
自民党総裁
発足直後に脳梗塞で執務不能、
外務大臣岸信介臨時代理
56 37 岸信介
きし のぶすけ
ファイル:Nobusuke Kishi 1956.jpg
第一次岸内閣
改造内閣
1957年2月25日
- 1958年6月12日
473 山口県 東京帝国大学
法学部
法律学科(独法)卒業
商工官僚
自民党総裁
57 第二次岸内閣
改造内閣
1958年6月12日
- 1960年7月19日
769
通算1,241
58 38 池田勇人
いけだ はやと
ファイル:Hayato Ikeda 1956.jpg
第一次池田内閣
1960年7月19日
- 1960年12月8日
143 広島県 京都帝国大学
法学部卒業
大蔵官僚
自民党総裁
59 第二次池田内閣
改造内閣 一
改造内閣 二
改造内閣 三
1960年12月8日
- 1963年12月9日
1,097
60 第三次池田内閣
改造内閣
1963年12月9日
- 1964年11月9日
337
通算1,575
61 39 佐藤榮作
さとう えいさく
第一次佐藤内閣
改造内閣 一
改造内閣 二
改造内閣 三
1964年11月9日
- 1967年2月17日
831 山口県 東京帝国大学
法学部
法律学科(独法)卒業
運輸官僚
自民党総裁
62 第二次佐藤内閣
改造内閣 一
改造内閣 二
1967年2月17日
- 1970年1月14日
1,063
63 第三次佐藤内閣
改造内閣
1970年1月14日
- 1972年7月7日
906
通算2,798
64 40 田中角榮
たなか かくえい
第一次田中角栄内閣
1972年7月7日
- 1972年12月22日
169 新潟県 中央工学校卒業
会社社長
自民党総裁
65 第二次田中角栄内閣
改造内閣 一
改造内閣 二
1972年12月22日
- 1974年12月9日
718
通算886
66 41 三木武夫
みき たけお
三木内閣
改造内閣
1974年12月9日
- 1976年12月24日
747 徳島県 明治大学
法学部卒業
職歴無
自民党総裁
67 42 福田赳夫
ふくだ たけお
福田赳夫内閣
改造内閣
1976年12月24日
- 1978年12月7日
714 群馬県 東京帝国大学
法学部卒業
大蔵官僚
自民党総裁
68 43 大平正芳
おおひら まさよし
第一次大平内閣
1978年12月7日
- 1979年11月9日
338 香川県 東京商科大学[8]卒業
大蔵官僚
自民党総裁
69 第二次大平内閣
1979年11月9日
- 1980年6月12日
217
通算554
在任中心筋梗塞で急死
伊東正義
(いとう まさよし)
(第二次大平内閣)
1980年6月12日
- 1980年7月17日
内閣官房長官伊東正義が内閣総理大臣臨時代理)
70 44 鈴木善幸
すずき ぜんこう
鈴木善幸内閣
改造内閣
1980年7月17日
- 1982年11月27日
864 岩手県 水産講習所卒業[9]
漁協役員
自民党総裁
71 45 中曾根康弘
なかそね やすひろ
第一次中曽根内閣
1982年11月27日
- 1983年12月27日
396 群馬県 東京帝国大学
法学部
政治学科卒業
内務官僚
自民党総裁
72 第二次中曽根内閣
改造内閣 一
改造内閣 二
1983年12月27日
- 1986年7月22日
939 自民・新自由クラブ連立
73 第三次中曽根内閣
1986年7月22日
- 1987年11月6日
473
通算1,806
自民単独
74 46 竹下登
たけした のぼる
竹下内閣
改造内閣
1987年11月6日
- 1989年6月3日
576 島根県 早稲田大学
商学部卒業
中学校教師
島根県議会議員
自民党総裁
平成
75 47 宇野宗佑
うの そうすけ
宇野内閣
1989年6月3日
- 1989年8月10日
69 滋賀県 神戸商業大学[10]中退
滋賀県議会議員
自由民主党総裁
76 48 海部俊樹
かいふ としき
第一次海部内閣
1989年8月10日
- 1990年2月28日
203 愛知県 早稲田大学
第二法学部卒業
議員秘書
自由民主党総裁
77 第二次海部内閣
改造内閣
1990年2月28日
- 1991年11月5日
616
通算818
78 49 宮澤喜一
みやざわ きいち
宮澤内閣
改造内閣
1991年11月5日
- 1993年8月9日
644 広島県[2] 東京帝国大学
法学部
政治学科卒業
大蔵官僚
自由民主党総裁
79 50 細川護熙
ほそかわ もりひろ
細川内閣
1993年8月9日
- 1994年4月28日
263 熊本県[2] 上智大学
法学部卒業
朝日新聞記者
熊本県知事
日本新党代表
非自民・非共産8党派連立
1955年以来の非自民総理
80 51 羽田孜
はた つとむ
羽田内閣
1994年4月28日
- 1994年6月30日
64 長野県[2] 成城大学
経済学部
経営学科卒業
小田急バス社員
新生党党首
非自民・非共産
(首相指名直後に社会党離脱)
81 52 村山富市
むらやま とみいち
ファイル:G8-halifax-1995-01 cropped.jpg
村山内閣
改造内閣
1994年6月30日
- 1996年1月11日
561 大分県 明治大学
専門部
政治経済科卒業[11]
大分県議会議員
日本社会党委員長
自民・社会・さきがけ連立
82 53 橋本龍太郎
はしもと りゅうたろう
第一次橋本内閣
1996年1月11日
- 1996年11月7日
302 岡山県[2] 慶應義塾大学
法学部
政治学科卒業
呉羽紡績社員
自由民主党総裁
自民・社民・さきがけ連立
83 第二次橋本内閣
改造内閣
1996年11月7日
- 1998年7月30日
631
通算932
自民単独
84 54 小渕恵三
おぶち けいぞう
小渕内閣
改造内閣 一
改造内閣 二
1998年7月30日
- 2000年4月5日
616 群馬県 早稲田大学
大学院
政治学研究科
修士課程修了
会社役員
自由民主党総裁
自民・自由公明連立
在任中に脳梗塞で執務不能、
内閣官房長官青木幹雄が臨時代理
85 55 森喜朗
もり よしろう
第一次森内閣
2000年4月5日
- 2000年7月4日
91 石川県 早稲田大学
第二商学部卒業
日本工業新聞記者
自由民主党総裁
自民・公明・保守連立
86 第二次森内閣
改造内閣 再編前
改造内閣 再編後
2000年7月4日
- 2001年4月26日
297
通算387
87 56 小泉純一郎
こいずみ じゅんいちろう
第一次小泉内閣
改造内閣 一
改造内閣 二
2001年4月26日
- 2003年11月19日
938 神奈川県 慶應義塾大学
経済学部卒業
議員秘書
自由民主党総裁
88 第二次小泉内閣
改造内閣
2003年11月19日
- 2005年9月21日
673 自民・公明連立
89 第三次小泉内閣
改造内閣
2005年9月21日
- 2006年9月26日
371
通算1,980
90 57 安倍晋三
あべ しんぞう
安倍内閣
改造内閣
2006年9月26日
- 2007年9月26日
366 山口県[2] 成蹊大学法学部
政治学科卒業
神戸製鋼所社員
自由民主党総裁
91 58 福田康夫
ふくだ やすお
福田康夫内閣
改造内閣
2007年9月26日
- 2008年9月24日
365 群馬県[2] 早稲田大学
政治経済学部
経済学科卒業
丸善石油社員
自由民主党総裁
92 59 麻生太郎
あそう たろう
麻生内閣
2008年9月24日
-
福岡県 学習院大学
政治経済学部
政治学科卒業
モントリオール五輪日本代表
麻生セメント社長
自由民主党総裁

記録

在職日数の多い総理大臣

通算在職日数
  1. 桂太郎: 2886日(第11、13、15代)
  2. 佐藤栄作: 2798日(第61、62、63代)
  3. 伊藤博文: 2720日(第1、5、7、10代)
  4. 吉田茂: 2616日(第45、48、49、50、51代)
  5. 小泉純一郎: 1980日(第87、88、89代)
連続在職日数
  1. 佐藤栄作: 2798日(第61、62、63代)
  2. 吉田茂: 2248日(第48、49、50、51代)
  3. 小泉純一郎: 1980日(第87、88、89代)
  4. 中曽根康弘: 1806日(第71、72、73代)
  5. 桂太郎: 1681日(第11代)
一代当たりの在職日数
  1. 第1次桂内閣: 1681日
  2. 第2次伊藤内閣: 1485日
  3. 第3次吉田内閣: 1355日
  4. 第2次桂内閣: 1143日
  5. 原内閣: 1133日

在職日数の少ない総理大臣

  1. 東久邇宮稔彦王: 54日
  2. 羽田孜: 64日
  3. 石橋湛山: 65日
  4. 宇野宗佑: 69日
  5. 林銑十郎: 123日

就任年齢の低い総理大臣

  1. 伊藤博文: 44歳
  2. 近衞文麿: 45歳
  3. 黒田清隆: 47歳
  4. 山縣有朋: 51歳
  5. 安倍晋三: 52歳(戦後最年少)

就任年齢の高い総理大臣

  1. 鈴木貫太郎: 77歳
  2. 犬養毅: 76歳
  3. 清浦奎吾: 73歳9ヵ月
  4. 齋藤實: 73歳5ヵ月
  5. 幣原喜重郎: 73歳1ヵ月(戦後最年長)

都道府県別の総理大臣輩出数

  1. 山口県:8人(伊藤博文山縣有朋桂太郎寺内正毅田中義一岸信介佐藤栄作安倍晋三
  2. 岩手県:5人(原敬斎藤実米内光政東條英機鈴木善幸
  3. 群馬県:4人(福田赳夫中曽根康弘小渕恵三福田康夫)(戦後では最多の輩出県)
  4. 東京都石川県京都府岡山県広島県鹿児島県:各3人

その他の記録

内閣総理大臣の各種記録を参照。

脚注

  1. ^ 現・明治学院大学
  2. ^ a b c d e f g 出生地は東京府/東京都 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "TOKYO"が異なる内容で複数回定義されています
  3. ^ 出生地は泉州/大阪府
  4. ^ 選挙区は高知県
  5. ^ 選挙区は神奈川県
  6. ^ 出生地は東京府/東京都、選挙区は静岡県
  7. ^ 現在の早稲田大学文学部
  8. ^ 現在の一橋大学
  9. ^ 現在の東京海洋大学
  10. ^ 現在の神戸大学
  11. ^ 現在の明治大学政治経済学部

関連項目

外部リンク

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