内閣総理大臣の一覧
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内閣総理大臣 |
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現職 第103代 石破茂 |
第2次石破内閣 就任日 2024年 (令和6年) 11月11日 |
歴代の首相と内閣 |
歴代内閣総理大臣 内閣(歴代) |
首相が使用する施設や機材 |
首相官邸 首相公邸 政府専用機 内閣総理大臣専用車 |
首相を補佐する人々 |
内閣官房長官(歴代) 内閣総理大臣補佐官 内閣総理大臣秘書官 (内閣官房) |
内閣を組織する人々 |
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首相関連の用語 |
首班指名選挙 内閣総理大臣臨時代理 班列と無任所大臣 内閣総理大臣の辞令 内閣総理大臣夫人 (内閣総理大臣配偶者) 内閣総理大臣夫人秘書 |
首相関連の表彰 |
内閣総理大臣杯 内閣総理大臣顕彰 国民栄誉賞 |
カテゴリ |
内閣総理大臣の一覧(ないかくそうりだいじん の いちらん)は、日本の行政府の長である内閣総理大臣の一覧である。
歴代の内閣総理大臣
大日本帝国憲法は1890年11月29日、第3代の第一次山縣内閣の時に施行。
日本国憲法は1947年5月3日、第32代の第一次吉田内閣の時に施行。
以下表中、代 は歴代内閣、人 は何人目の総理。
日数 は在職日数、ただし在職期間が連続していない場合は、各次の在職日数をあげたのち、最終次の在職日数の後に通算の在職日数を加えた。
代 | 人 | 氏名 | 在職期間 | 日数 | 出身地 | 学職歴 | 備考 |
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明治 | |||||||
1 | 1 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第一次伊藤内閣 1885年12月22日 - 1888年4月30日 |
861 | 長州藩 山口県 |
松下村塾出身 後に元老 |
長州閥 |
2 | 2 | 黒田清隆 くろだ きよたか |
黒田内閣 1888年4月30日 - 1889年10月25日 |
544 | 薩摩藩 鹿児島県 |
後に元老 | 薩摩閥 在任中単独辞任 |
― | (三條實美) (さんじょう さねとみ) |
(黒田内閣) 1889年10月25日 - 1889年12月24日 |
(内大臣三條實美が内閣総理大臣兼任) | ||||
大日本帝国憲法下 | |||||||
3 | 3 | 山縣有朋 やまがた ありとも ファイル:591px-Ymagata,A cropped.jpg |
第一次山縣内閣 1889年12月24日 - 1891年5月6日 |
499 | 長州藩 山口県 |
松下村塾出身 陸軍軍人 後に元老 |
長州閥 |
4 | 4 | 松方正義 まつかた まさよし |
第一次松方内閣 1891年5月6日 - 1892年8月8日 |
461 | 薩摩藩 鹿児島県 |
後に元老 |
薩摩閥 |
5 | 伊藤博文 |
第二次伊藤内閣 1892年8月8日 - 1896年8月31日 |
1,485 | (略) | (略) | 在任中単独辞任 | |
― | (黒田清隆) |
(第二次伊藤内閣) 1896年8月31日 - 1896年9月18日 |
(枢密院議長黒田清隆が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
6 | 松方正義 |
第二次松方内閣 1896年9月18日 - 1898年1月12日 |
482 通算943 |
(略) | (略) | ||
7 | 伊藤博文 |
第三次伊藤内閣 1898年1月12日 - 1898年6月30日 |
170 | (略) | (略) | ||
8 | 5 | 大隈重信 おおくま しげのぶ |
第一次大隈内閣 1898年6月30日 - 1898年11月8日 |
132 | 佐賀藩 佐賀県 |
佐賀藩蘭学寮出身 | 肥前閥 憲政党総裁 最初の政党内閣 |
9 | 山縣有朋 ファイル:591px-Ymagata,A cropped.jpg |
第二次山縣内閣 1898年11月8日 - 1900年10月19日 |
711 通算1,210 |
(略) | (略) | ||
10 | 伊藤博文 |
第四次伊藤内閣 1900年10月19日 - 1901年5月10日 |
204 通算2,720 |
(略) | (略) | 立憲政友会総裁 在任中単独辞任 | |
― | (西園寺公望) (さいおんじ きんもち) |
(第四次伊藤内閣) 1901年5月10日 - 1901年6月2日 |
(枢密院議長西園寺公望が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
11 | 6 | 桂太郎 かつら たろう |
第一次桂内閣 1901年6月2日 - 1906年1月7日 |
1,681 | 長州藩 山口県 |
陸軍軍人 台湾総督 後に内大臣、元老 |
長州閥 (予備役陸軍大将) |
12 | 7 | 西園寺公望 |
第一次西園寺内閣 1906年1月7日 - 1908年7月14日 |
920 | 京 京都府 |
ソルボンヌ大学 パリ講和会議全権特使 後に元老 |
立憲政友会総裁 |
13 | 桂太郎 |
第二次桂内閣 1908年7月14日 - 1911年8月30日 |
1,143 | (略) | (略) | ||
14 | 西園寺公望 |
第二次西園寺内閣 1911年8月30日 - 1912年12月21日 |
480 通算1,400 |
(略) | (略) | ||
大正 | |||||||
15 | 桂太郎 |
第三次桂内閣 1912年12月21日 - 1913年2月20日 |
62 通算2,886 |
(略) | (略) | ||
16 | 8 | 山本權兵衞 やまもと ごんべえ |
第一次山本内閣 1913年2月20日 - 1914年4月16日 |
421 | 薩摩藩 鹿児島県 |
海軍兵学寮卒 海軍軍人 |
薩摩閥 (予備役海軍大将) |
17 | 大隈重信 |
第二次大隈内閣 1914年4月16日 - 1916年10月9日 |
908 通算1,040 |
(略) | (略) | ||
18 | 9 | 寺内正毅 てらうち まさたけ |
寺内内閣 1916年10月9日 - 1918年9月29日 |
721 | 長州藩 山口県 |
陸軍軍人 | 長州閥 朝鮮総督 現役陸軍大将 |
19 | 10 | 原敬 はら たかし |
原内閣 1918年9月29日 - 1921年11月4日 |
1,133 | 盛岡藩 岩手県 |
司法省法学校中退 郵便報知新聞社記者 外務官僚 |
立憲政友会総裁 衆議院議員 在任中暗殺 |
― | (内田康哉) (うちだ こうさい) |
(原内閣) 1921年11月4日 - 1921年11月13日 |
(外務大臣内田康哉が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
20 | 11 | 高橋是清 たかはし これきよ |
高橋内閣 1921年11月13日 - 1922年6月12日 |
212 | 仙台藩 東京府 |
ヘボン塾[1] 日銀総裁 |
立憲政友会総裁 衆議院議員 |
21 | 12 | 加藤友三郎 かとう ともさぶろう |
加藤友三郎内閣 1922年6月12日 - 1923年8月24日 |
440 | 広島藩 広島県 |
海軍兵学寮卒 海軍軍人 ワシントン海軍軍縮会議主席全権 |
(予備役海軍大将) 在任中に病死 |
― | (内田康哉) |
(加藤友三郎内閣) 1923年8月24日 - 1923年9月2日 |
(外務大臣内田康哉が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
22 | 山本權兵衞 |
第二次山本内閣 1923年9月2日 - 1924年1月7日 |
128 通算549 |
(略) | (略) | ||
23 | 13 | 清浦奎吾 きようら けいご |
清浦内閣 1924年1月7日 - 1924年6月11日 |
157 | 熊本藩 熊本県 |
咸宜園出身 司法官僚 |
貴族院議員 |
24 | 14 | 加藤高明 かとう たかあき |
加藤高明内閣 1924年6月11日 - 1926年1月28日 |
597 | 尾張藩 愛知県 |
東京大学 法学部卒業 三菱役員 外務官僚 |
憲政会総裁 衆議院議員 憲政会・政友会・革新倶楽部連立(1925年8月2日以降憲政会単独) 在任中に病死 |
― | (若槻禮次郎) (わかつき れいじろう) |
(加藤高明内閣) 1926年1月28日 - 1926年1月30日 |
(内務大臣若槻禮次郎が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
25 | 15 | 若槻禮次郎 |
第一次若槻内閣 1926年1月30日 - 1927年4月20日 |
446 | 松江藩 島根県 |
帝国大学 法科卒業 大蔵官僚 衆議院議員 ロンドン海軍軍縮会議主席全権 |
憲政会総裁 |
昭和 | |||||||
26 | 16 | 田中義一 たなか ぎいち |
田中義一内閣 1927年4月20日 - 1929年7月2日 |
805 | 長州藩 山口県 |
陸軍大学校卒業 陸軍軍人 |
立憲政友会総裁 (予備役陸軍大将) |
27 | 17 | 濱口雄幸 はまぐち おさち |
濱口内閣 1929年7月2日 - 1931年4月14日 |
652 | 土佐藩 高知県 |
東京帝国大学 法科卒業 大蔵官僚 衆議院議員 |
立憲民政党総裁 在任中狙撃され、外務大臣 幣原喜重郎が1930年11月14日から翌年3月10日まで116日間にわたって臨時代理 |
28 | 若槻禮次郎 |
第二次若槻内閣 1931年4月14日 - 1931年12月13日 |
244 通算690 |
(略) | (略) | 立憲民政党総裁 | |
29 | 18 | 犬養毅 いぬかい つよし |
犬養内閣 1931年12月13日 - 1932年5月16日† |
156 | 庭瀬藩 岡山県 |
慶應義塾中退 新聞記者 衆議院議員 |
立憲政友会総裁 在任中襲撃(五・一五事件) † 総理死亡は5月15日 午後11時26分 |
― | (高橋是清) |
(犬養内閣) 1932年5月16日 - 1932年5月26日 |
(大蔵大臣高橋是清が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
30 | 19 | 齋藤實 さいとう まこと |
齋藤内閣 1932年5月26日 - 1934年7月8日 |
774 | 仙台藩 (水沢藩) /岩手県 |
海軍兵学校卒 海軍軍人 朝鮮総督(2期) ジューヴ海軍軍縮会議主席全権 |
(予備役海軍大将) |
31 | 20 | 岡田啓介 おかだ けいすけ |
岡田内閣 1934年7月8日 - 1936年3月9日 |
611 | 越前藩 福井県 |
海軍大学校卒業 海軍軍人 |
(予備役海軍大将) 在任中襲撃(二・二六事件) 内務大臣後藤文夫が臨時代理 |
32 | 21 | 廣田弘毅 ひろた こうき |
廣田内閣 1936年3月9日 - 1937年2月2日 |
331 | 福岡県 | 東京帝国大学 法学部 政治学科卒業 外務官僚 |
|
33 | 22 | 林銑十郎 はやし せんじゅうろう |
林内閣 1937年2月2日 - 1937年6月4日 |
123 | 石川県 | 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 |
(予備役陸軍大将) |
34 | 23 | 近衞文麿 このえ ふみまろ |
第一次近衞内閣 1937年6月4日 - 1939年1月5日 |
581 | 東京府 東京都 |
京都帝国大学 法学部卒業 公家華族 貴族院議長 |
|
35 | 24 | 平沼騏一郎 ひらぬま きいちろう |
平沼内閣 1939年1月5日 - 1939年8月30日 |
238 | 津山藩 岡山県 |
帝国大学 法科卒業 司法官僚 大審院長 枢密院議長 |
|
36 | 25 | 阿部信行 あべ のぶゆき |
阿部内閣 1939年8月30日 - 1940年1月16日 |
140 | 石川県 | 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 後に朝鮮総督 |
(予備役陸軍大将) |
37 | 26 | 米内光政 よない みつまさ |
米内内閣 1940年1月16日 - 1940年7月22日 |
189 | 岩手県 | 海軍大学校 海軍軍人 連合艦隊司令長官 |
(予備役海軍大将) |
38 | 近衞文麿 |
第二次近衞内閣 1940年7月22日 - 1941年7月18日 |
362 | (略) | (略) | ||
39 | 第三次近衞内閣 1941年7月18日 - 1941年10月18日 |
93 通算1,035 | |||||
40 | 27 | 東條英機 とうじょう ひでき |
東條内閣 1941年10月18日 - 1944年7月22日 |
1,009 | 岩手県[2] | 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 |
現役陸軍大将 |
41 | 28 | 小磯國昭 こいそ くにあき |
小磯内閣 1944年7月22日 - 1945年4月7日 |
260 | 栃木県 | 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 朝鮮総督 |
(予備役陸軍大将) → 現役復帰 |
42 | 29 | 鈴木貫太郎 すずき かんたろう |
鈴木貫太郎内閣 1945年4月7日 - 1945年8月17日 |
133 | 関宿藩 千葉県[3] |
海軍大学校卒業 海軍軍人 連合艦隊司令長官 侍従長 枢密院議長 |
(予備役海軍大将) |
43 | 30 | 東久邇宮稔彦王 ひがしくにのみや なるひこおう |
東久邇宮内閣 1945年8月17日 - 1945年10月9日 |
54 | 京都府 |
皇族 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 |
1945年8月15日より 連合軍の占領下 (9月6日主権放棄) |
44 | 31 | 幣原喜重郎 しではら きじゅうろう |
幣原内閣 1945年10月9日 - 1946年5月22日 |
226 | 大阪府 | 帝国大学 法科大学 卒業 外務官僚 貴族院議員 内閣総理大臣臨時代理 |
元外務大臣 進歩・自由連立 連合軍の占領下 |
45 | 32 | 吉田茂 よしだ しげる |
第一次吉田内閣 1946年5月22日 - 1947年5月24日 |
368 | 東京府 東京都[4] |
東京帝国大学 法科大学 政治科卒業 外務官僚 貴族院議員 |
日本自由党総裁 自由・進歩連立 連合軍の占領下 |
日本国憲法下 | |||||||
46 | 33 | 片山哲 かたやま てつ |
片山内閣 1947年5月24日 - 1948年3月10日 |
292 | 和歌山県[5] | 東京帝国大学 法学部 独法科卒業 弁護士 |
日本社会党委員長 社会・民主・国協連立 連合軍の占領下 |
47 | 34 | 芦田均 あしだ ひとし |
芦田内閣 1948年3月10日 - 1948年10月15日 |
220 | 京都府 | 東京帝国大学 法学部 仏法科卒業 外務官僚 |
民主党総裁 民主・社会・国協連立 連合軍の占領下 |
48 | 吉田茂 |
第二次吉田内閣 1948年10月15日 - 1949年2月16日 |
125 | (略) | (略) | 民主自由党総裁 連合軍の占領下 | |
49 | 第三次吉田内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 改造内閣 三 1949年2月16日 - 1952年10月30日 |
1,353 | 連合軍の占領下 (1952年4月28日主権回復) | ||||
50 | 第四次吉田内閣 1952年10月30日 - 1953年5月21日 |
204 | 自由党総裁 | ||||
51 | 第五次吉田内閣 1953年5月21日 - 1954年12月10日 |
569 通算2,616 |
|||||
52 | 35 | 鳩山一郎 はとやま いちろう |
第一次鳩山内閣 1954年12月10日 - 1955年3月19日 |
100 | 東京府 東京都 |
東京帝国大学 法学部 英法科卒業 東京市議会議員 弁護士 |
日本民主党総裁 |
53 | 第二次鳩山内閣 1955年3月19日 - 1955年11月22日 |
249 | |||||
54 | 第三次鳩山内閣 1955年11月22日 - 1956年12月23日 |
398 通算745 |
自民党総裁 | ||||
55 | 36 | 石橋湛山 いしばし たんざん |
石橋内閣 1956年12月23日 - 1957年2月25日 |
65 | 山梨県[6] | 早稲田大学 大学部 文学科卒業[7] 東洋経済新報社社長 |
自民党総裁 発足直後に脳梗塞で執務不能、 外務大臣岸信介が臨時代理 |
56 | 37 | 岸信介 きし のぶすけ ファイル:Nobusuke Kishi 1956.jpg |
第一次岸内閣 改造内閣 1957年2月25日 - 1958年6月12日 |
473 | 山口県 | 東京帝国大学 法学部 法律学科(独法)卒業 商工官僚 |
自民党総裁 |
57 | 第二次岸内閣 改造内閣 1958年6月12日 - 1960年7月19日 |
769 通算1,241 |
|||||
58 | 38 | 池田勇人 いけだ はやと ファイル:Hayato Ikeda 1956.jpg |
第一次池田内閣 1960年7月19日 - 1960年12月8日 |
143 | 広島県 | 京都帝国大学 法学部卒業 大蔵官僚 |
自民党総裁 |
59 | 第二次池田内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 改造内閣 三 1960年12月8日 - 1963年12月9日 |
1,097 | |||||
60 | 第三次池田内閣 改造内閣 1963年12月9日 - 1964年11月9日 |
337 通算1,575 |
|||||
61 | 39 | 佐藤榮作 さとう えいさく |
第一次佐藤内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 改造内閣 三 1964年11月9日 - 1967年2月17日 |
831 | 山口県 | 東京帝国大学 法学部 法律学科(独法)卒業 運輸官僚 |
自民党総裁 |
62 | 第二次佐藤内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 1967年2月17日 - 1970年1月14日 |
1,063 | |||||
63 | 第三次佐藤内閣 改造内閣 1970年1月14日 - 1972年7月7日 |
906 通算2,798 |
|||||
64 | 40 | 田中角榮 たなか かくえい |
第一次田中角栄内閣 1972年7月7日 - 1972年12月22日 |
169 | 新潟県 | 中央工学校卒業 会社社長 |
自民党総裁 |
65 | 第二次田中角栄内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 1972年12月22日 - 1974年12月9日 |
718 通算886 |
|||||
66 | 41 | 三木武夫 みき たけお |
三木内閣 改造内閣 1974年12月9日 - 1976年12月24日 |
747 | 徳島県 | 明治大学 法学部卒業 職歴無 |
自民党総裁 |
67 | 42 | 福田赳夫 ふくだ たけお |
福田赳夫内閣 改造内閣 1976年12月24日 - 1978年12月7日 |
714 | 群馬県 | 東京帝国大学 法学部卒業 大蔵官僚 |
自民党総裁 |
68 | 43 | 大平正芳 おおひら まさよし |
第一次大平内閣 1978年12月7日 - 1979年11月9日 |
338 | 香川県 | 東京商科大学[8]卒業 大蔵官僚 |
自民党総裁 |
69 | 第二次大平内閣 1979年11月9日 - 1980年6月12日 |
217 通算554 |
在任中心筋梗塞で急死 | ||||
― | (伊東正義) (いとう まさよし) |
(第二次大平内閣) 1980年6月12日 - 1980年7月17日 |
(内閣官房長官伊東正義が内閣総理大臣臨時代理) | ||||
70 | 44 | 鈴木善幸 すずき ぜんこう |
鈴木善幸内閣 改造内閣 1980年7月17日 - 1982年11月27日 |
864 | 岩手県 | 水産講習所卒業[9] 漁協役員 |
自民党総裁 |
71 | 45 | 中曾根康弘 なかそね やすひろ |
第一次中曽根内閣 1982年11月27日 - 1983年12月27日 |
396 | 群馬県 | 東京帝国大学 法学部 政治学科卒業 内務官僚 |
自民党総裁 |
72 | 第二次中曽根内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 1983年12月27日 - 1986年7月22日 |
939 | 自民・新自由クラブ連立 | ||||
73 | 第三次中曽根内閣 1986年7月22日 - 1987年11月6日 |
473 通算1,806 |
自民単独 | ||||
74 | 46 | 竹下登 たけした のぼる |
竹下内閣 改造内閣 1987年11月6日 - 1989年6月3日 |
576 | 島根県 | 早稲田大学 商学部卒業 中学校教師 島根県議会議員 |
自民党総裁 |
平成 | |||||||
75 | 47 | 宇野宗佑 うの そうすけ |
宇野内閣 1989年6月3日 - 1989年8月10日 |
69 | 滋賀県 | 神戸商業大学[10]中退 滋賀県議会議員 |
自由民主党総裁 |
76 | 48 | 海部俊樹 かいふ としき |
第一次海部内閣 1989年8月10日 - 1990年2月28日 |
203 | 愛知県 | 早稲田大学 第二法学部卒業 議員秘書 |
自由民主党総裁 |
77 | 第二次海部内閣 改造内閣 1990年2月28日 - 1991年11月5日 |
616 通算818 |
|||||
78 | 49 | 宮澤喜一 みやざわ きいち |
宮澤内閣 改造内閣 1991年11月5日 - 1993年8月9日 |
644 | 広島県[2] | 東京帝国大学 法学部 政治学科卒業 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 |
79 | 50 | 細川護熙 ほそかわ もりひろ |
細川内閣 1993年8月9日 - 1994年4月28日 |
263 | 熊本県[2] | 上智大学 法学部卒業 朝日新聞記者 熊本県知事 |
日本新党代表 非自民・非共産8党派連立 1955年以来の非自民総理 |
80 | 51 | 羽田孜 はた つとむ |
羽田内閣 1994年4月28日 - 1994年6月30日 |
64 | 長野県[2] | 成城大学 経済学部 経営学科卒業 小田急バス社員 |
新生党党首 非自民・非共産 (首相指名直後に社会党離脱) |
81 | 52 | 村山富市 むらやま とみいち ファイル:G8-halifax-1995-01 cropped.jpg |
村山内閣 改造内閣 1994年6月30日 - 1996年1月11日 |
561 | 大分県 | 明治大学 専門部 政治経済科卒業[11] 大分県議会議員 |
日本社会党委員長 自民・社会・さきがけ連立 |
82 | 53 | 橋本龍太郎 はしもと りゅうたろう |
第一次橋本内閣 1996年1月11日 - 1996年11月7日 |
302 | 岡山県[2] | 慶應義塾大学 法学部 政治学科卒業 呉羽紡績社員 |
自由民主党総裁 自民・社民・さきがけ連立 |
83 | 第二次橋本内閣 改造内閣 1996年11月7日 - 1998年7月30日 |
631 通算932 |
自民単独 | ||||
84 | 54 | 小渕恵三 おぶち けいぞう |
小渕内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 1998年7月30日 - 2000年4月5日 |
616 | 群馬県 | 早稲田大学 大学院 政治学研究科 修士課程修了 会社役員 |
自由民主党総裁 自民・自由・公明連立 在任中に脳梗塞で執務不能、 内閣官房長官青木幹雄が臨時代理 |
85 | 55 | 森喜朗 もり よしろう |
第一次森内閣 2000年4月5日 - 2000年7月4日 |
91 | 石川県 | 早稲田大学 第二商学部卒業 日本工業新聞記者 |
自由民主党総裁 自民・公明・保守連立 |
86 | 第二次森内閣 改造内閣 再編前 改造内閣 再編後 2000年7月4日 - 2001年4月26日 |
297 通算387 |
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87 | 56 | 小泉純一郎 こいずみ じゅんいちろう |
第一次小泉内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 2001年4月26日 - 2003年11月19日 |
938 | 神奈川県 | 慶應義塾大学 経済学部卒業 議員秘書 |
自由民主党総裁 |
88 | 第二次小泉内閣 改造内閣 2003年11月19日 - 2005年9月21日 |
673 | 自民・公明連立 | ||||
89 | 第三次小泉内閣 改造内閣 2005年9月21日 - 2006年9月26日 |
371 通算1,980 |
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90 | 57 | 安倍晋三 あべ しんぞう |
安倍内閣 改造内閣 2006年9月26日 - 2007年9月26日 |
366 | 山口県[2] | 成蹊大学法学部 政治学科卒業 神戸製鋼所社員 |
自由民主党総裁 |
91 | 58 | 福田康夫 ふくだ やすお |
福田康夫内閣 改造内閣 2007年9月26日 - 2008年9月24日 |
365 | 群馬県[2] | 早稲田大学 政治経済学部 経済学科卒業 丸善石油社員 |
自由民主党総裁 |
92 | 59 | 麻生太郎 あそう たろう |
麻生内閣 2008年9月24日 - |
福岡県 | 学習院大学 政治経済学部 政治学科卒業 モントリオール五輪日本代表 麻生セメント社長 |
自由民主党総裁 |
記録
在職日数の多い総理大臣
- 通算在職日数
- 桂太郎: 2886日(第11、13、15代)
- 佐藤栄作: 2798日(第61、62、63代)
- 伊藤博文: 2720日(第1、5、7、10代)
- 吉田茂: 2616日(第45、48、49、50、51代)
- 小泉純一郎: 1980日(第87、88、89代)
- 連続在職日数
- 佐藤栄作: 2798日(第61、62、63代)
- 吉田茂: 2248日(第48、49、50、51代)
- 小泉純一郎: 1980日(第87、88、89代)
- 中曽根康弘: 1806日(第71、72、73代)
- 桂太郎: 1681日(第11代)
- 一代当たりの在職日数
在職日数の少ない総理大臣
就任年齢の低い総理大臣
就任年齢の高い総理大臣
都道府県別の総理大臣輩出数
- 山口県:8人(伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三)
- 岩手県:5人(原敬、斎藤実、米内光政、東條英機、鈴木善幸)
- 群馬県:4人(福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫)(戦後では最多の輩出県)
- 東京都、石川県、京都府、岡山県、広島県、鹿児島県:各3人
その他の記録
内閣総理大臣の各種記録を参照。