プロジェクト‐ノート:相撲
ここはページ「相撲」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
過去ログ |
---|
最後の書き込みからおよそ180日以上経過した議題はArchiverBotによって自動的に過去ログ化されます。 |
「○○親方」というリダイレクトについて
[編集]岩友親方が木村山守にリダイレクトされていましたので、とりあえず他の「○○親方」という記事と同様、名跡のページにリダイレクトするよう変更しました。「親方」というのは敬称なので本来は不要なリダイレクトのような気がしますが、慣例として年寄は「○○親方」と呼ばれることが多いので、リダイレクトとしては必要なのかなという感じもします。
例えば浅香山親方というリダイレクトは存在しないのですが、そういうのも作成したほうがいいのでしょうか。 作成するなら、
- 現行の名跡105家は名跡のページへリダイレクト
- 廃止された名跡はどうするか(例:根岸親方→根岸 (相撲))
- 一代年寄は力士の記事へリダイレクト(例:貴乃花親方→貴乃花光司)
- 現役名年寄(例:栃東親方→栃東大裕)、木村庄之助・式守伊之助は作らない?
みたいなところなのでしょうか。リダイレクトそのものの必要性も含めて、皆様のご意見を伺いたいです。--Noname334(会話) 2024年10月5日 (土) 10:39 (UTC)
- 私はリダイレクト不要と感じますね・・・。それを言い出すと「○○関」もリダイレクトするのか?ってなってしまいますので。--You19994(会話) 2024年10月8日 (火) 03:23 (UTC)
遠藤の取り口の節に関して
[編集]遠藤聖大の取り口の節に関してですが、あれは完全にいろんな人の感想を羅列しているだけのように思えるです。現代の力士の項目を見ると必要性を感じないものが多いように思えますが、今回は遠藤の取り口だけを皆さんにお聞きしたいと思います。こんなに書く必要性ありますかね・・・?過剰な内容の整理に従って議論をしたいと思うのですがいかがでしょうか?--You19994(会話) 2024年10月10日 (木) 00:47 (UTC)
力士の四股名の曖昧さ回避について
[編集]力士の四股名の曖昧さ回避について、同名の力士が複数いる場合、現在曖昧さ回避の方法については以下のようなやり方が見られます。
- (○代) - 例:朝潮太郎 (4代)
- (○年生) - 例:綾川五郎次 (1883年生)
- (最高位) - 例:鳳谷五郎 (横綱)
- (他の四股名) - 例:両國梶之助 (國岩)
今回問題とするのは、一番目の(○代目)をつける方法です。現在最も多く使われているものですが、代数が独自研究である場合が散見されます。軽い調査の結果、以下の記事名について明白に誤りであることが確認できました。リダイレクトや赤リンクを含めれば、誤りはさらに多くなるとみられます。
- 稲川政右エ門 (4代) - 稲川では明治11年入幕の稲川政右エ門(酒井忠正『日本相撲史』中p.43)を含んでいない。
- 外ヶ濱浪五郎 (2代) - 外ヶ濱 (四股名)では文化5年まで名乗っていた柏戸利助(『日本相撲史』上p.230)を含んでいない。
- 玉垣額之助 (初代) - 彼が戸田川鷲之助を名乗っていた宝暦8年には彼の師匠の世話役・玉垣額之助がいたため初代ではない(『日本相撲史』上p.103-104)。玉垣額之助 (4代)も影響を受ける。
このような事態が生じている原因は、編集者が自ら確認できた範囲だけで代数を振ったために、数えそこねたことによるものとみられます。独自研究で記事名をつけたために改名が必要になることがあるだけでなく、後に未発見の力士が確認されることなどにより代数に変化が生じ、改名が必要となる事態を避けるためにも、独自研究による代数による曖昧さ回避をとることは避けてほしいと思います。
なお、独自研究でないならば(○代目)による曖昧さ回避を行うことは問題がないと考えられます。独自研究ではない典型例は朝潮太郎で、一見初代は「朝汐太郎」のため、2代目は「初代朝潮太郎」となりそうですが、一般に呼ばれている代数にもとづいて記事名をつけています。代数によって曖昧さ回避を行うのは、朝潮のように信頼できる情報源でも代数で呼ぶ例があり、代数が揺るがない場合に限定すべきではないでしょうか。 --こやまひろ(会話) 2024年12月16日 (月) 06:22 (UTC)
- 代数に関しては、提案に同意します。とりあえず「外ヶ濱浪五郎」の2件ついては、外ヶ濱信行の改名提案の内容の変更ならびに外ヶ濱浪五郎 (2代)の改名提案の追加を行いました。
- 今度は「四ツ車」についても相撲レファレンスなどで調べてみました。「二段目」については、相撲レファレンスでの表示は「十両」となっていますが、番付表記上十両が創設される(十両と幕下が分離される)以前です。
- 四ツ車 大八(相撲レファレンスID:2941)、生年不明、最高位小結(1759年3月場所)
- 四ツ車(相撲レファレンスID:6981)、生年不明、最高位二段目7枚目(1781年3月場所)、下の名前は番付実物画像によれば「伊之助」
- 四ツ車 大八(相撲レファレンスID:3217)、1772年生、最高位前頭3枚目(1805年10月場所)、個別ページあり→四ツ車大八(本文中に「2代」とあり)
- 四ツ車 勝五郎(相撲レファレンスID:3277)、1790年生、最高位前頭筆頭(1825年10月場所)(「四ツ車」としての最高位は前頭3枚目(1824年10月場所))
- 四ツ車(相撲レファレンスID:4525)、生年不明、最高位二段目4枚目(1836年11月場所)、下の名前は番付実物画像によれば「團治」(崩し字のため分かりにくいですが、相撲起顕を星取表にしていくホームページ(仮)も参照しました)
- 四ツ車(相撲レファレンスID:4808)、生年不明、最高位二段目筆頭格番付外(1885年5月場所)、下の名前は番付外なので確認できず
- 四ツ車(相撲レファレンスID:6118)、生年不明、最高位十両13枚目(1913年5月場所)、下の名前は番付実物画像によれば「庄太郎」
- 四ツ車 大八(相撲レファレンスID:511)、1980年生、最高位十両8枚目(2008年11月場所)、個別ページあり→四ツ車大八 (8代)
- このうち下の名前まで確実に「四ツ車大八」なのは、1番と3番と8番(いずれも念のため番付実物画像も見てみました)で、2・4・5・7番は少なくとも最高位の番付実物画像を見る限りでは下の名前が別の名前になっていますし、更に6番は下の名前が確認できません。他に1934年5月場所以前の幕下以下など相撲レファレンスの範囲外にいるかもしれないにしても、8番の四ツ車大八 (8代)が本当に四ツ車大八として8代とは言い切れず(というより誤りの可能性が高い)、やはり「四ツ車大八」についても代数不明確として代数によらない曖昧さ回避の方法に変更すべきだと思います。--Sdfvista7(会話) 2024年12月16日 (月) 13:50 (UTC)
- 8番の生年を忘れていたので追加しました。--Sdfvista7(会話) 2024年12月16日 (月) 14:00 (UTC)
- 簡単に小錦八十吉の代数を調べてみました。(利用者:Noname334/sandbox2):「小錦」を名乗った力士は6人居ますが、確実に「小錦八十吉」を名乗ったのは3人です。このケースは代数の出典があるとは言え、代数ではなく「○○年生」での曖昧さ回避としたほうがよさそうです。--Noname334(会話) 2024年12月16日 (月) 16:07 (UTC)
- とりあえず、2024/12/21現在、代数による曖昧さ回避がなされている力士のページや、それに関連する力士のページなどについて、一覧表にまとめてみました。そしてとりあえず、代数に誤りが指摘されているものや、実際の代数が不明確なものなどについては、改名候補を挙げてみました。
- 個人的には、下の名前まで四股名が同じ有名な力士が歴史上複数いるケースのうち、その全員が歴代横綱である場合は、今のところ代数のままでいいとも思うのですが、どうでしょうか。「梅ヶ谷藤太郎」「西ノ海嘉治郎」「若乃花幹士」がこれに当たります。
- 「四ツ車」に関する追記として、相撲レファレンスに登録されている8力士の他に、大坂相撲の眞鶴政吉の初名を確認しました。
- 参考情報ですが、「琴櫻傑將」と「琴櫻将傑」について、英語版は表音文字しかない言語ですので、それぞれ「ことざくら まさかつ」の初代と2代目と見なして「Kotozakura Masakatsu I」「Kotozakura Masakatsu II」となっている一方、ハングルで表される韓国語版については、前者に対応するページは存在せず、後者に対応するページは生年の1997年で曖昧さ回避を行って「코토자쿠라 마사카츠 (1997년)」としています。--Sdfvista7(会話) 2024年12月21日 (土) 14:31 (UTC)
- 小錦に関しては、代数があぶないなら、横綱・山泉(2代目の前名)・KONISIKI(タレント名)という形もありではないでしょうか。 --ねこぱんだ(会話) 2024年12月22日 (日) 00:50 (UTC)
- とりあえず改名候補として下表に追加しました。1963年生の小錦のタレント名は「KONISIKI」ではなく「KONISHIKI」ですのでこれも表では修正しています。--Sdfvista7(会話) 2024年12月22日 (日) 09:48 (UTC)
- 代数による曖昧さ回避の例として、平ノ戸三之助 (初代)も表に追加しました。--Sdfvista7(会話) 2024年12月22日 (日) 16:08 (UTC)
代数による曖昧さ回避がなされている力士のページ、およびその他曖昧さ回避に関する問題のある力士のページの一覧
[編集]ここでは、次のいずれかの条件を満たすページを一覧し、改名候補、備考の欄も付けてみます。
- 代数による曖昧さ回避がなされている力士のページ
- 代数による曖昧さ回避は直接なされていないが、上に関連すると考えられる力士のページ
- 下の名前まで同じ四股名の(有名な)力士が歴史上複数人いるが、曖昧さ回避のためのカッコがページ名に書かれていない力士のページ
2024/12/21現在のページ名 | 改名候補 | 備考 |
---|---|---|
朝汐太郎 (初代) | (改名不要) | 代数出典あり。 |
朝潮太郎 (2代) | (改名不要) | 代数出典あり。 |
朝潮太郎 (3代) | (改名不要) 朝潮太郎 (横綱) |
代数出典あり、歴代横綱(歴代横綱としての「朝潮太郎」はこの1人のみ)。 |
朝潮太郎 (4代) | ||
綾川五郎次 (初代) | 綾川五郎次 (横綱) | 歴代横綱だが、歴代横綱としての「綾川五郎次」はこの1人のみ。 |
綾川五郎次 (1883年生) | 「綾川五郎次」で代数ではなく生年による曖昧さ回避を用いている。過去には「綾川五郎次 (大正)」から改名したことがある。 | |
稲川政右エ門 (初代) | 稲川政右エ門 (1739年生) | |
稲川政右エ門 (4代) | 稲川政右エ門 (1871年生) | 代数誤り指摘済み。 |
梅ヶ谷藤太郎 (初代) | (改名不要) | 歴代横綱。 |
梅ヶ谷藤太郎 (2代) | (改名不要) | 歴代横綱。 |
鏡岩濱之助 | (歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。1769年生で最高位小結。「鏡岩濱之助」にはこの人物の他に、最高位大関の1809年生の人物(現在ページ未作成、作成するなら「鏡岩濱之助 (1809年生)」あるいは「鏡岩濱之助 (大関)」?)がいる。 | |
柏戸宗五郎 (初代) | 柏戸宗五郎 (大関) 柏戸宗五郎 (滝ノ音) |
|
柏戸宗五郎 (5代) | ||
越ノ海勇藏 (初代) | ||
小錦八十吉 (初代) | 小錦八十吉 (1866年生) 小錦八十吉 (横綱) |
歴代横綱だが、歴代横綱としての「小錦八十吉」はこの1人のみ。 |
小錦八十吉 (2代) | 小錦八十吉 (1887年生) 小錦八十吉 (山泉) |
「二代目小錦」と刻まれた墓石あり。前名「山泉」。 |
小錦八十吉 (6代) | 小錦八十吉 (1963年生) 小錦八十吉 (KONISHIKI) |
「小錦八十吉」としての実際の代数は不明確。引退後タレント「KONISHIKI」として活動。 |
小柳常吉 | 小柳常吉 (大関) 小柳常吉 (緑松) |
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。1817年生で最高位大関。 |
小柳常吉 (1838年生) | 「小柳常吉」で代数ではなく生年による曖昧さ回避を用いている。最高位関脇。 | |
境川浪右衛門 | (改名不要) | (歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。歴代横綱だが、歴代横綱としての「境川浪右衛門」はこの1人のみ。「境川浪右衛門」にはこの人物以外に、横綱免許を受けていない最高位大関(歴代大関としては118代)の1819年生の人物(現在ページ未作成、作成するなら「境川浪右衛門 (1819年生)」あるいは「境川浪右衛門 (大関)」(区別のため「大関境川」と呼ぶ出典あり)?)がいる。 |
不知火光右エ門 (初代) | ||
不知火光右衛門 | (改名不要) | (歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。歴代横綱だが、歴代横綱としての「不知火光右衛門(不知火光右エ門)」はこの1人のみ。 |
外ヶ濱浪五郎 (2代) | 外ヶ濱浪五郎 (1819年生) 春日山鹿右エ門 (1819年生) (改名提案中) |
代数誤り指摘済み。改名提案の議論において、2024/12/21現在外ヶ濱浪五郎 (1819年生)と春日山鹿右エ門 (1819年生)のどちらに改名するかまだ結論が出ていない。 |
外ヶ濱信行 | 外ヶ濱浪五郎 (1968年生) (改名提案中) |
下の名前の誤り(正しくは「外ヶ濱浪五郎」)から、「外ヶ濱浪五郎 (3代)」への改名として改名提案を提出し、柏戸利助が「外ヶ濱浪五郎」を名乗った事実の見落とし、代数の誤りおよび代数が不明確なことの指摘から改名提案の内容を「外ヶ濱浪五郎 (1968年生)」への改名に変更。(力士の代数による曖昧さ回避に関する議論の発端) |
谷風梶之助 (初代) | ||
谷風梶之助 (2代) | 谷風梶之助 (横綱) | 谷風梶之助としての代数出典あり。歴代横綱だが、歴代横綱としての「谷風梶之助」はこの1人のみ。 |
玉垣額之助 (初代) | 玉垣額之助 (1734年生) | 代数誤り指摘済み。 |
玉垣額之助 (4代) | 玉垣額之助 (1784年生) 玉垣額之助 (越ノ海) |
代数誤り指摘済み。 |
劔山谷右エ門 (初代) | 劔山谷右エ門 (鰐石) | |
劔山谷右エ門 (2代) | 劔山谷右エ門 (響矢) | 代数出典あり。 |
錦木塚右エ門 (2代) | ||
錦木塚五郎 (初代) | ||
錦木塚五郎 (2代) | ||
西ノ海嘉治郎 (初代) | (改名不要) | 歴代横綱。 |
西ノ海嘉治郎 (2代) | (改名不要) | 歴代横綱。 |
西ノ海嘉治郎 (3代) | (改名不要) | 歴代横綱。 |
緋縅力弥 (初代) | 緋縅力弥 (増見山) | |
緋縅力弥 (2代) | 緋縅力弥 (錦) | |
緋縅力弥 (3代) | ||
緋縅力弥 (4代) | ||
平石七太夫 | (歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。1825年生で最高位関脇。現在のところページは作成されていないが、「平石七太夫」にはこの人物の他に最高位大関の2人がおり、1768年生の第84代大関、1801年生の第110代大関がこれに当たり、前者の最終四股名は「平石七右エ門」。 | |
平ノ戸三之助 (初代) | ||
待乳山楯之亟 (3代) | ||
眞鶴政吉 | (歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。新字体表記の真鶴政吉のリダイレクトあり。大坂相撲の力士。初名は四ツ車。 | |
真鶴政吉 (5代) | ||
四ツ車大八 | 四ツ車大八 (1772年生) 四ツ車大八 (文化) |
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。本文中に「2代」とあり、代数出典あり。この人物の前に角界にいた1759年3月場所小結在位の四ツ車大八は生年不明なので、ページを作成するなら「四ツ車大八 (宝暦)」? |
四ツ車大八 (8代) | 四ツ車大八 (1980年生) 四ツ車大八 (平成)(リダイレクトあり) |
「四ツ車大八」としての実際の代数は不明確。 |
若乃花幹士 (初代) | (改名不要) | 歴代横綱。 |
若乃花幹士 (2代) | (改名不要) | 歴代横綱。 |
- まず、その前提として○代誰々、と呼ばれる場合、どのような数え方があるのかを確認しておきます。
- A. ほぼ同一の四股名の力士を代数に数える場合 - 例:朝汐・朝潮の場合。
- B. 姓にあたる部分が同一の力士を代数に数える場合 - 古い文献ではよく見られる。年寄名跡の場合、姓にあたる部分のみを襲名して名の部分が異なる四股名を名乗っても年寄の代数で呼ばれる場合がある。
- C. 姓・名にあたる部分が同一の力士を代数に数える場合 - Wikipediaでは最も基本的な方法。
- D. 姓・名にあたる部分が同一で、かつ最高位が同一の力士を代数に数える場合 - 横綱で用いられる場合がある。例:歴代横綱 - 日本相撲協会 ※ただしC.の方法によれば2代目と称するべき人物(谷風梶之助、鳳谷五郎)には代数が付されていないため、C.の方法である可能性もある。
- 以下の3冊について調査を行いました。
- ① 編集委員代表・池田雅雄『相撲百年の歴史』講談社、1970
- ② 小島貞二『大相撲名力士100選』秋田書店、1972
- ③ 安藤英男『大相撲人物志』日貿出版社、1977
- 朝汐太郎/朝潮太郎 - ①②は男女ノ川登三(朝潮供次郎)を3代朝潮として扱い(A.)、③は朝潮太郎 (3代)を「朝潮」として3代目、「朝汐」としても3代目とする(B.)。
- 綾川五郎次 - ①は2人に言及しているが特段呼び分けていない。
- 梅ヶ谷藤太郎 - ①②③いずれも初代・2代で呼び分け。
- 柏戸宗五郎 - ②は柏戸剛を11代目としている(B.)。
- 小柳常吉 - ①②③に阿武松緑之助が「小柳常吉」を名乗ったことがあると記述がある。②には小柳常吉の項もあるが特段呼び分けていない。
- 境川浪右衛門 - ②には境川浪右衛門の師で1814年生の大関・境川浪右衛門の項があり、「境川の名では彼が四代目、横綱境川が五代目となる。だから相撲史の中では"大関境川""横綱境川"と区別している」との記述あり。
- 不知火光右エ門 - ①には不知火を名乗った力士は江戸時代に4人、明治時代に1人おり、不知火諾右衛門を「初代不知火」不知火光右衛門を「二代不知火」と呼んでいるとある(B.とD.を合わせた形)。③は不知火光右エ門 (初代)を「不知火光右衛門」と書いている。
- 谷風梶之助 - ②は谷風梶之助 (2代)を「谷風の四代目、梶之助では二代目」(B.とC.)としており、谷風梶之助 (初代)を区別のため「讃州谷風」と呼ぶとある。
- 玉垣額之助 - ②は1769年生の大関を「千田川の玉垣」、彼は4代目玉垣(C.)で彼の先代が大関「鷲ヶ浜の玉垣」で次代が「越ノ海の玉垣」であるとしている。③は1769年生の大関玉垣を「六代 玉垣額之助」とし玉垣額之助 (4代)を「七代 玉垣額之助」としている(B.?)。
- 剣山谷右衛門 - ②③は劔山谷右エ門 (2代)を「二代(目)剣山谷右衛門」としている(B.またはC.)。
- 西ノ海嘉治郎 - ①②③いずれも初代・2代・3代で呼び分け。
- 緋縅力弥 - ②に緋縅力弥 (2代)の項があり、緋縅力弥 (初代)についても言及されているが特段呼び分けはされていない。
- 四ツ車大八 - ②にめ組の喧嘩で著名な「二代四ツ車大八」は文化3年新入幕という旨の記述がある。
- 提案 以上を考慮しながら、曖昧さ回避の方法について検討します。
- ① 姓・名にあたる部分が同一の横綱が複数いる場合、日本相撲協会がつけている代数を曖昧さ回避とする。(初代・2代梅ヶ谷藤太郎、初代・2代・3代西ノ海嘉治郎、初代・2代若乃花幹士) - これは現在の記事名と同じやり方で、異論はまずないと思います。
- ② 姓・名にあたる部分が同一の力士が複数いるが、そのうち横綱が1人しかいない場合、代表的なトピックとして括弧をつけない記事名もあり得るが、括弧をつける場合には(横綱)をつける。(綾川五郎次、谷風梶之助、不知火光右衛門、境川浪右衛門、小錦八十吉、鳳谷五郎) - 改名対象となりそうなのは「綾川五郎次 (初代)」→「綾川五郎次 (横綱)」、「谷風梶之助 (2代)」→「谷風梶之助 (横綱)」、「小錦八十吉 (初代)」→「小錦八十吉 (横綱)」、「朝潮太郎 (3代)」→「朝潮太郎 (横綱)」です。ほとんどの人物は同名の力士の中で横綱が圧倒的な知名度を有するのでこの方法が良いと思われますが、朝潮太郎は昨年まで存命だった元大関、小錦八十吉は現に存命の元大関がいるので統一しないで別の方法が適切かもしれません。--こやまひろ(会話) 2024年12月22日 (日) 17:39 (UTC)
- ひとまず歴史上下の名前まで同名の有名力士が複数おり、その全員が歴代横綱であるケース(初代・2代梅ヶ谷藤太郎、初代・2代・3代西ノ海嘉治郎、初代・2代若乃花幹士)につきましては、こやまひろさんに同意します。現状通り一覧表に(改名不要)としました。
- 次に、(横綱)による曖昧さ回避ですが、とりあえず一覧表に改名候補を追加しておきました。境川浪右衛門と不知火光右衛門は「代表的なトピックとして括弧をつけない記事名もあり得る」ということでとりあえず(改名不要)としました。
- 「小錦八十吉 (初代)」→「小錦八十吉 (横綱)」については、「小錦八十吉 (6代)」(ハワイ出身の元大関。「小錦八十吉 (1963年生)」への改名がNoname334さんから、「小錦八十吉 (KONISHIKI)」への改名がねこぱんださんから提案されている)が存命中とはいえ、その代数が不明瞭なので改名すべきことも考えると、一応ねこぱんださんの提案とも重なっており、有力そうです。今のところ小錦八十吉の3人に関しては、ねこぱんださん提案の「小錦八十吉 (初代)」→「小錦八十吉 (横綱)」、「小錦八十吉 (2代)」→「小錦八十吉 (山泉)」、「小錦八十吉 (6代)」→「小錦八十吉 (KONISHIKI)」とするのが有力かと。
- そこで、「朝汐太郎/朝潮太郎」の4人についてですが、この下の名前を含む四股名自体は冒頭で代数が独自研究でなく、強固な出典でも代数で呼ぶ例があり、代数が揺るぎないケースとして挙げられていますが、歴史上のその4人全員を現状のWikipediaと同じ代数の扱いとしている書籍等の強固な出典はあるのでしょうか。もしあれば歴代横綱である朝潮太郎 (3代)も含めて現状通り代数のままの方が自然かと思います。仮にその4人のうち朝潮太郎 (3代)だけを朝潮太郎 (横綱)に改名するようなことがあると、残りは初代・2代・4代となりちと不自然なことになってしまいますし、もし仮にその4人のうち誰かについてその代数を支持する強固な出典が見つからないとなると、代数によらない曖昧さ回避によるページ名に改名しようという話になろうかと思います。一覧表で「朝汐太郎/朝潮太郎」の4人全員に(改名不要)・代数出典ありと書いたのはちょっと早とちりと思いましたので、一旦は朝潮太郎 (3代)の「代数出典あり」以外は取り消し線を引きます。--Sdfvista7(会話) 2024年12月23日 (月) 17:04 (UTC)
- 失礼しました。『相撲百年の歴史』では朝汐太郎 (初代)を「初代朝汐太郎」、『大相撲名力士100選』は朝汐太郎 (初代)を「初代・朝汐太郎」、朝潮太郎 (2代)を「二代目・朝潮太郎」としていましたが記述するのを忘れていました。--こやまひろ(会話) 2024年12月24日 (火) 02:34 (UTC)
- 信頼できる情報源で代数が確認できれば最高位よりも代数が優先される。
- 同名の横綱が一人のみの場合は(横綱)を曖昧さ回避とする。同名の横綱が複数名いる場合は(○代目横綱(○は横綱としての代数))をあいまいさ回避とする。
- 大関以下は改名や芸能活動などで別名義を確認できれば別名義を曖昧さ回避とする。確認できない場合、最高位が大関であれば(大関)を曖昧さ回避とする。最高位が大関の力士が複数いる場合は(○代目大関(○は大関としての代数))を曖昧さ回避とする。
- それ以外は生年が判明すれば生年、生年不明の場合は最高位を記録した時の元号を曖昧さ回避とする。
- というルールを提案します。--Takagu(会話) 2024年12月24日 (火) 04:04 (UTC)
- 2.の後半部分は要らないように思います。同名の横綱は梅ヶ谷藤太郎、西ノ海嘉治郎、若乃花幹士の7名がいますが、全員日本相撲協会が代数を付けて紹介しているため、1.で処理できるようです。
- 3.については該当する力士がどの程度いるかをまず把握した方が良さそうです。大関一覧を一瞥した限りでは、曖昧さ回避が必要な大関は、
- 同名の大関が複数いる場合((大関)による曖昧さ回避は不可)
-
- 84代 平石七太夫・110代 平石七太夫 - 関脇・平石七太夫もいる。前名による曖昧さ回避の場合平石七太夫 (楯ヶ崎)、平石七太夫 (和田ノ浦)。
- 91代 玉垣額之助 (3代)・98代 玉垣額之助 (4代) - 代数は誤りの可能性が高い。前名による場合玉垣額之助 (千田川)、玉垣額之助 (越ノ海)。
- 97代 緋縅力弥 (初代)・106代 緋縅力弥 (2代) - 前名による場合緋縅力弥 (増見山)、緋縅力弥 (錦)。
- 113代 剱山谷右エ門 (初代)・131代 劔山谷右エ門 (2代) - 2代には代数出典があるため代数による曖昧さ回避もできそう。前名による場合剣山谷右衛門 (鰐石)、剣山谷右衛門 (響矢)。
- 140代 朝汐太郎 (初代)・151代 朝潮太郎 (2代)・217代 朝潮太郎 (4代) - 横綱・朝潮太郎 (3代)がいる。初代から3代までは代数出典があり、4代も探せば見つかる可能性がある。
- 同名の横綱がいる場合((大関)による曖昧さ回避もできるが、横綱も大関を経験している)
-
- 79代 不知火光右衛門 (大関) - 横綱・不知火光右衛門がいる。前名による場合不知火光右衛門 (盤石)。
- 95代 鳳谷五郎 (大関) - 横綱・鳳谷五郎 (横綱)がいる。前名による場合鳳谷五郎 (雪見山)。
- 118代 境川浪右衛門 (大関) - 横綱・境川浪右衛門がいる。前名による場合境川浪右衛門 (鬼面山)となるが鬼面山を名乗ったのは安政2年のみでその前の「六ッヶ峰」の期間の方が長い。
- 222代 小錦八十吉 (6代) - 横綱・小錦八十吉 (初代)などがいる。タレント名による場合小錦八十吉 (KONISHIKI)。
- 同名の関脇以下の力士がいる場合((大関)による曖昧さ回避で足りる)
-
- 89代 柏戸宗五郎 (初代) - 小結・柏戸宗五郎 (5代)などがいる。前名による場合柏戸宗五郎 (滝ノ音)。
- 114代 鏡岩濱之助 (大関) - 小結・鏡岩濱之助がいる。前名による場合鏡岩浜之助 (和田ノ浦)。
- 115代 小柳常吉 - 関脇・小柳常吉 (1838年生)がいる。前名による場合小柳常吉 (緑松)。
- 135代 大鳴門灘右エ門 (2代) - 関脇・大鳴門灘右エ門 (3代)などがいる。前名による場合大鳴門灘右エ門 (司天龍)。
- これ以外にも歴代に数えられていない大関である谷風梶之助 (初代)や両國梶之助 (初代)も気になるところですね。--こやまひろ(会話) 2024年12月24日 (火) 11:53 (UTC)(前名を追記)--こやまひろ(会話) 2024年12月24日 (火) 12:37 (UTC)
- とりあえず表を更新しておきました。「朝汐太郎/朝潮太郎」の4人に関しては、代数のままとするのが有力そうです。「朝潮太郎 (4代)」については、強固な出典には当たらないかもしれませんが、スポニチのニュース記事元大関朝潮の長岡末弘さん死去 67歳、小腸がんで闘病…「大ちゃん」の愛称で人気 朝青龍ら育てる(ログイン・会員登録・料金支払い等不要で全文閲覧可能)・スポーツ報知のニュース記事【伝説の8番】朝潮、流血なんの連敗止めて初賜杯へ再加速「いつものことや大丈夫」…1985年春場所(上)(ただし、全文を読むには会員登録必要)や、スポーツ伝説 5月4日~8日の放送内容といったページで、4代目として扱われているのを発見しました。
- 「四ツ車大八」については、「四ツ車大八 (8代)」の実際の代数が不明瞭なので当然改名すべき(有力候補は生年の四ツ車大八 (1980年生)?(四ツ車大八 (平成)はリダイレクトあり))なのと、1759年3月場所小結在位の四ツ車大八は生年不明なので、作成するならTakaguさんの案によれば「四ツ車大八 (宝暦)」となるところまではいいのですが、め組の喧嘩で著名な「四ツ車大八」(曖昧さ回避のカッコなし)を代表的なトピックとしてそのままとするか、「四ツ車大八 (2代)」(代数出典あり)、「四ツ車大八 (1772年生)」、「四ツ車大八 (文化)」などに改名するかという点も議論すべきですね。
- あと、現状で代数による曖昧さ回避がなされていて検討すべき名前として、「錦木塚右エ門」、「錦木塚五郎」、「越ノ海勇藏」、「平ノ戸三之助」、「待乳山楯之亟」、「真鶴政吉/眞鶴政吉」も残っていますね。--Sdfvista7(会話) 2024年12月24日 (火) 17:51 (UTC)
- プロレスラーやタレントに転身した元力士は芸名やリングネームをそのまま記事名にしてしまう(例えば小錦八十吉 (6代)はKONISHIKI)という手も考えられます。--Takagu(会話) 2024年12月25日 (水) 05:06 (UTC)
- 小錦八十吉 (6代)をKONISHIKIに改名するのは大いにありうると思います。現に大相撲出身のプロレスラー一覧を見ると大相撲の四股名ではなくリングネームを記事名としている人はかなりの人数がいます。プロジェクト:スポーツ人物伝#記事名では「登録名、本名、通称のうち一般によく知られている名前にしてください。」とあるように、KONISHIKIの名前がよく知られていると判断できれば問題ないと思われます。
- 錦木塚右エ門 - 大関・錦木塚右エ門は大関陥落後に二所ノ関軍右エ門を名乗ったパターンですね。現在は二所ノ関軍右エ門が記事名になっています。錦木塚右エ門 (大関)に改名した方が良いのでしょうか?小結・錦木塚右エ門 (2代)は前名なら錦木塚右エ門 (玉川)、生年なら錦木塚右エ門 (1822年生)。
- 錦木塚五郎 - 錦木塚五郎 (初代)と錦木塚五郎 (2代)は前名が同じ(三ツ鱗)で生年不明というパターンなので最高位を記録した元号から錦木塚五郎 (文化)、錦木塚五郎 (天保)?なお『大迫町史 教育・文化編』1983年、p.281では「錦木」を名乗った力士で代数をつけて「初代 錦木塚右エ門 大関」「二代 錦木塚五郎 小結」「三代 錦木塚五郎 小結」「四代 錦木塚右エ門 筆頭」「五代 錦木繁之助 明治年間」としています。
- 越ノ海勇藏 - 昔の人すぎて越ノ海勇藏 (初代)以前に越ノ海勇藏がいたかも分からないし生没年も分からないので越ノ海勇藏 (安永)ですかね。
- 平ノ戸三之助 - 平ノ戸三之助 (初代)は最高位の西前頭2枚目を記録した時の四股名ですが後に御用木雲右エ門(同名の別人あり)を名乗っていますね。平ノ戸千代蔵が一時期平ノ戸三之助を名乗ったようですが平ノ戸三之助 (初代)を平ノ戸三之助に改名してTemplate:Otherusesによる曖昧さ回避でも良いような気がします。別の四股名なら平ノ戸三之助 (御用木)?
- 待乳山楯之亟 - 待乳山楯之亟 (3代)が立項されていますが、『相撲の史跡』第2号、1978年、p.27によれば初代・待乳山楯之亟は安永から寛政、2代目(若ノ森太吉)が文化、3代目(荒滝伊之助)が文政から天保、4代目(鳴海潟倉吉)が安政から文久らしいので間違いのようです。むしろ待乳山楯之亟 (4代)もしくは待乳山楯之亟 (鳴海潟)のいずれを選択すべきかが問題でしょう。
- 真鶴政吉/眞鶴政吉 - 眞鶴政吉は大坂相撲の大関なので(大関)をつけるかが問題です。真鶴政吉 (5代)は前名によれば真鶴政吉 (荒鹿)ですね。真鶴に限らず剱山谷右エ門 (初代)・劔山谷右エ門 (2代)など字体に悩まされることが多いのですが、真鶴政吉ぐらいは統一したいところです。--こやまひろ(会話) 2024年12月25日 (水) 12:41 (UTC)