三明経
三明経[1](さんみょうきょう、巴: Tevijja-sutta, テーヴィッジャ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵長部の第13経。釈迦が「梵天界へ至る道」を説く。
類似の伝統漢訳経典として、『長阿含経』(大正蔵1)の第26経「三明経」がある。
経名の「三明」(さんみょう、巴: Tevijja, テーヴィッジャ)とは、「3つの智慧」の意味で、ここでは経中に話題として出てくる(バラモン達が伝統的に奉じる聖典である)「三ヴェーダ」(「リグ・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」)のこと。
構成
[編集]登場人物
[編集]- 釈迦
- ヴァーセッタ --- バラモンであるポッカラサーティの弟子
- バーラドヴァージャ --- バラモンであるタールッカの弟子
場面設定
[編集]ある時、釈迦は500人の比丘と共にコーサラ国のマナサーカタに赴き、アチラヴァティー川に差し掛かった。
そこでは、バラモンであるポッカラサーティの弟子ヴァーセッタと、同じくバラモンであるタールッカの弟子バーラドヴァージャが、互いの師の梵行の優越性について口論していた。
決着がつかない2人は、釈迦に2人の師のどちらの梵行を行えば梵天へと至れるのか問う。釈迦は、2人の師、ひいては「三明」(三ヴェーダ)に通じているとされる歴代のバラモン達の中で、存命中に梵天に至ったことがある者がいるのか問う。2人は否定する。釈迦は存命中に梵天に至れない者は、死後に梵天に至ることもないと述べる。
そして梵天へと至る梵行として、十善戒、六根清浄、正念正智、三衣一鉢による満足、五蓋の除去(五禅支の生成)、四無量心(四梵住)について述べ、それを行う比丘が梵天と共に住み、死後にも梵天へ生じるという。
内容
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釈迦はヴァーセッタに対して、自分が「梵天と梵天界へ至る道を知っている」と話す。ヴァーセッタは釈迦に、それを説くよう懇願する。
Brahmānañcāhaṃ vāseṭṭha pajānāmi brahmalokañca brahmalokagāminiñca paṭipadaṃ. Yathāpaṭipanno brahmalokaṃ upapanno, tañcapajānāmī"ti.
ヴァーセッタよ、私は梵天たち、および梵天と梵天界へ至る道を、よく知っている。行道し、梵天界へ再生した者を知っている。
日本語訳
[編集]脚注・出典
[編集]- ^ 『南伝大蔵経』、『原始仏典』中村、『パーリ仏典』片山
参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Tevijjasuttaṃ - Tipitaka.org