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比丘尼相応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

比丘尼相応[1](びくにそうおう、: Bhikkhunī-saṃyutta, ビックニー・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第5相応。

構成

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全10経から成る。

  1. Āḷavikā-sutta
  2. Somā-sutta
  3. Kisāgotamī-sutta
  4. Vijayā-sutta
  5. Uppalavaṇṇā-sutta
  6. Cālā-sutta
  7. Upacālā-sutta
  8. Sīsupacālā-sutta
  9. Selā-sutta
  10. Vajirā-sutta

ヴァジラー経

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ヴァジラー経は無我問答とも呼ばれる[2]

ある時、阿羅漢ヴァジラー比丘の中に、以下のような思いが起こった[2]

Kenāyaṃ pakato satto kuvaṃ2 sattassa kārako, Kuvaṃ satto samuppanno kuvaṃ satto nirujjhatīti.
衆生は何者によって作られたのか、衆生の作者はどこにいるのか、 どのような状況で衆生は発生し、どのような状況で衆生は滅するのか。」

ヴァジラー尼比丘はこれをマーラ(悪魔)と断じ、以下の詩句をもって退散させた[2][3]

Kinnu sattoti paccesi māradiṭṭhigatannu te, Suddhasaṅkhārapuñjoyaṃ nayidha sattūpalabbhati.
Yathā hi aṅgasambhārā hoti saddo rato iti, Evaṃ khandhesu santesu hoti sattoti sammuti3.

いったい何を衆生(を衆生たらしめる原理)と信じているのか、マーラよ、あなたには悪見がある。
(それは)単なる現象(サンカーラ)の集合体にすぎず、衆生(を衆生たらしめる原理)と言えるものは見いだせない。
部品の集まりによって、「車」といった呼称が起こるように、五蘊(の集まり)によって、「衆生」という世間の合意がある。

Dukkhameva hi sambhoti dukkhaṃ tiṭṭhati veti ca,
Nāññatra dukkhā sambhoti nāññatra dukkhā nirujjhatīti.

発生するのは苦である、そこにあるものは苦である、消えるのも苦である。
苦以外のものは発生しておらず、苦以外に消滅するものもない。

これを聞いたマーラは、己を見透かされていることを苦しみ、消滅した。

日本語訳

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  • 『南伝大蔵経・経蔵・相応部経典1』(第12巻) 大蔵出版
  • 『パーリ仏典 相応部(サンユッタニカーヤ) 有偈篇II』 片山一良訳 大蔵出版
  • 『原始仏典II 相応部経典1』 中村元監修 春秋社
  • 『ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 』中村元訳 岩波文庫

脚注・出典

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  1. ^ 『南伝大蔵経』、『パーリ仏典』片山
  2. ^ a b c アルボムッレ・スマナサーラ『般若心経は間違い?』Evolving〈スマナサーラ長老クラシックス〉、2017年、Chapt.4 無我問答。ISBN 978-4796660327 
  3. ^ 清水俊史『ブッダという男 ――初期仏典を読みとく』筑摩書房、2023年、161-162頁。ISBN 978-4480075949 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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