冨士大和
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県さいたま市 |
生年月日 | 2006年8月26日(18歳) |
身長 体重 |
186 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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冨士 大和(ふじ やまと、2006年8月26日 - )は、埼玉県さいたま市出身[1]の野球選手(投手)。左投左打。
経歴
[編集]小学校1年生のとき[2]に『大宮パワーズ』で野球を始め[1]、さいたま市立三橋中学校では軟式野球部に所属[3]。3年時は『埼玉西武ライオンズジュニアユース』に選出された[4]。
大宮東高校へ進学し、入学当初の最速は120km/hであったが、兄・隼斗(当時平成国際大学でプレー)が実家に帰ってきた際に、大和は自身の投球映像を見せて助言を求めると[1]、「胸のしなりを使えていない」と教わった。隼斗は大学で故障を経験し、身体の使い方や練習法について勉強しており[5]、大和は胸郭のトレーニングに励むと、球速が上昇[1]。2年春から背番号1を付け[6]、県大会ではチーム9年ぶりのベスト4入りに貢献した[7]。2年夏は埼玉大会5回戦敗退[8]、2年秋は県大会3回戦敗退[2]、3年夏は埼玉大会4回戦で敗退[6]で甲子園出場経験はなし[9]。高校時代の最速は144km/hであった[3]。
2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから育成1位指名を受けた[9]。
選手としての特徴
[編集]足を上げた後に膝を胸につけ[9]、テイクバックに入ると、トップでは左肘が落ち、そのまま低い位置から左腕を振り抜く[10]変則的でリリースポイントが見えにくい独特な投球フォーム[9]。いわゆる「肘が落ちる」故障が懸念される腕の使い方であるが、その点について本人は「自分は胸郭を柔らかく使う腕の振りなんですけど、テイクバックで胸を張ると両肘の位置が下がるのは自然だと考えています」と話し[3]、アマチュア時代は肩肘の故障歴はなく、フォームを指導されたこともないという[5]。
打者の手元で伸びる[10]最速144km/hのストレートと独特の軌道を描くチェンジアップが武器[3]。持ち球はその他にスライダーなどがある[2]。
詳細情報
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “大宮東・冨士大和「憧れであり目標」の兄へ恩返しを 助言を受け球速20キロ以上アップ/埼玉”. 日刊スポーツ (2024年6月26日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ a b c “【24ドラフト先取り選手紹介】大宮東・冨士大和、球に角度があり出どころが打者に見えにくいのが特長”. サンケイスポーツ (2024年1月26日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ a b c d “【菊地選手の「隠し玉」発掘】大宮東・冨士大和 「左の戸郷」“クセスゴ”だけど…放つ剛球は一級品!”. Sponichi Annex (2024年10月18日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ “埼玉県中学軟式野球選抜チーム「埼玉西武ライオンズジュニアユース」第二期メンバー決定”. 埼玉西武ライオンズ (2021年8月24日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ a b “【大宮東】冨士大和 一番下から這い上がる夏、プロ見据えるMAX144キロ左腕”. Timely! WEB (2024年7月13日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ a b “力み出て4失点 それでも前を向き、めざすはプロ 大宮東・冨士投手”. 朝日新聞デジタル (2024年7月20日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ “【注目選手】大宮東・冨士大和、ドラフト候補の兄に負けぬ 春の悔しさ糧に「甲子園を」/埼玉”. 日刊スポーツ (2023年7月6日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ “埼玉大会 7月23日のスコア” (日刊スポーツ). 2024年10月30日閲覧。
- ^ a b c d “【埼玉西武ライオンズ】1位で素材型の大型ショート齋藤大翔、2位では屈指のスラッガー渡部聖弥を指名”. DAZN News JP (2024年10月29日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ a b “出る杭になれ! 低迷球団にお薦めのドラフト候補「チーム変える」野心家選手たち”. AERA dot. (2024年10月23日). 2024年10月30日閲覧。