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名鉄岡崎市内線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名鉄福岡線から転送)
名古屋鉄道 岡崎市内線
殿橋を渡る岡崎市内線
概要
現況 廃止
起終点 起点:大樹寺駅
終点:福岡町駅
駅数 23駅
路線 挙母線大樹寺 - 岡崎井田
岡崎市内線:岡崎井田 - 岡崎駅前
福岡線:岡崎駅前 - 福岡町
運営
開業 開業式典日
1898年12月28日[注釈 1]
営業運転開始日
1899年1月1日[注釈 2]
市内線全通 1924年12月27日 (1924-12-27)
福岡線開業 1951年12月1日 (1951-12-01)
廃止 1962年6月17日 (1962-6-17)
所有者 岡崎馬車鉄道→岡崎電気軌道
三河鉄道名古屋鉄道
路線諸元
路線総延長 8.8 km (5.5 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流600 V,
架空電車線方式
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岡崎市内線(おかざきしないせん)とは、愛知県岡崎市内の岡崎井田岡崎駅前を結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の路面電車。便宜的には福岡線(ふくおかせん)の岡崎駅前間 - 福岡町および挙母線(ころもせん)の大樹寺 - 岡崎井田間を含む、大樹寺 - 福岡町間を指す。

路線データ

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路線廃止時点のもの。

  • 路線距離:8.8 km
    • 挙母線:大樹寺 - 岡崎井田間 0.5 km(地方鉄道法による鉄道線)
    • 岡崎市内線:岡崎井田 - 岡崎駅前間 5.8 km(軌道法による軌道線)
    • 福岡線:岡崎駅前間 - 福岡町間 2.5 km(うち2.4 kmが地方鉄道法による鉄道線、0.1 kmが軌道法による軌道線[10]
  • 軌間:1067mm
  • 複線区間:康生町 - 岡崎駅前間(岡崎市内線)
  • 電化区間:全線(直流600V)

歴史

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岡崎の市街地(額田郡岡崎町)と官設鉄道(のちの国鉄、現・JR東海)岡崎駅(当時岡崎停車場、同郡岡崎村大字羽根)が離れていたのを結ぶため、当初は馬車鉄道として、1898年明治31年)12月に開業式典を行い[11][12][13][注釈 1]1899年(明治32年)1月に営業運転を開始した[5][6][7][8][9][注釈 2][疑問点]。区間は、岡崎町内殿橋南詰(所在地岡崎町明大寺下郷中、現・殿橋南詰交差点付近、現所在地岡崎市明大寺町下郷中[14])から岡崎停車場(距離:2哩0分3厘=2M03C≒約3.3 km、1M(哩)≒1.609 kmで換算)で[2][5][7][15][注釈 3](一部の文献では、開業区間を「明大寺(後の東岡崎駅前)- 岡崎停車場(後の岡崎駅前)間」[8][9]、殿橋南詰までの到達を「1899年(明治32年)12月」[9][16]と記載している)[注釈 4][注釈 5][注釈 6][疑問点]、1907年(明治40年)6月には、殿橋南詰対岸の殿橋北詰(距離:0哩1分2厘=0M12C≒約0.2 km、岡崎停車場までの合計距離:2哩1分5厘=2M15C≒約3.5 km、所在地岡崎町大字康生[17][18]、現・殿橋北交差点付近、現所在地岡崎市康生通南2丁目[19][20]、後の岡崎殿橋)まで延長した[5][7][15][21][注釈 7][注釈 8][注釈 9][疑問点]。以後順次延伸し、1924年大正13年)には路面電車として大樹寺 - 岡崎駅前間が全通した[4]

1951年昭和26年)には岡崎駅前 - 福岡町間を延伸[4][22][23]したが、モータリゼーションの流れに押され、1962年(昭和37年)に全線が廃止された[4][22][24]新設軌道であった福岡町 - 岡崎駅前間の廃線跡は名鉄バスバス専用道路に転用されたが、これも2016年3月末に廃止された[25]

年表

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  • 1898年明治31年)
  • 1899年(明治32年)1月1日:岡崎町内殿橋南詰(所在地岡崎町明大寺下郷中、現・殿橋南詰交差点付近、現所在地岡崎市明大寺町下郷中[14])から岡崎停車場(距離:2哩0分3厘≒約3.3 km)の間で営業運転開始[2][7][15][注釈 2](開業区間を「明大寺(後の東岡崎駅前)- 岡崎停車場(後の岡崎駅前)間」[8][9]、殿橋南詰までの到達を「1899年(明治32年)12月」と記載[9][16]している文献も存在する)[注釈 3][注釈 4][注釈 5][注釈 6][疑問点]。軌間762mmの単線軌道[16]
  • この間に殿橋が改築される[9]
  • 1907年(明治40年)6月22日:殿橋南詰対岸の殿橋北詰(距離:0哩1分2厘=0M12C≒約0.2 km、岡崎停車場までの合計距離:2哩1分5厘=2M15C≒約3.5 km、所在地岡崎町大字康生[17][18]、現・殿橋北交差点付近、現所在地岡崎市康生通南2丁目[19][20]、後の岡崎殿橋)まで延長[5][7][15][21][注釈 7][注釈 8][注釈 9][疑問点]
  • 1911年(明治44年)10月2日:臨時株主総会で馬車鉄道の電化・改軌および会社名を岡崎電気軌道に改めることを決議する[45][46][47]
  • 1912年
    • (明治45年)6月:電化改軌工事に伴い馬車鉄道の運行休止[46][47]
    • 大正元年)9月1日:電化・改軌完了。殿橋 - 岡崎停車場間電車運転開始[16][47][注釈 10][注釈 11]
  • 1921年(大正10年)8月10日:軌道特許状下付(岡崎市康生町 - 同市井田町間)[50]
  • 1922年(大正11年):岡崎殿橋 - 岡崎停車場間複線化[51]
  • 1923年(大正12年)9月8日:岡崎井田 - 岡崎殿橋間開業[4][7][51][52][53]
  • 1924年(大正13年)12月27日:鉄道線(郡部線)として岡崎井田 - 大樹寺 - 門立間が開通[4][54](後の岡崎線→挙母線。このうち市内線が乗り入れたのは大樹寺 - 岡崎井田間[37])。
  • 1927年(昭和2年)7月19日:岡崎電気軌道が三河鉄道と合併し、同社の路線となる[7][21][55]。岡崎電気軌道は同日付で解散[56][注釈 12]
  • 1934年(昭和9年)7月30日:ガソリンカー併用認可[6]挙母駅 - 岡崎駅前間の直通運転を目的にキ10形気動車を導入[60]
  • 1941年(昭和16年)6月1日:名古屋鉄道が三河鉄道を合併[7][61]。同社の岡崎市内線となる[44]。同時期にキ10形気動車は三河線非電化区間に転属し[60]、直通ガソリンカーの運転を休止。
  • 1945年(昭和20年)7月20日:岡崎空襲により車庫と殿橋貨物駅が被災。木造単車6両と散水車1両が焼失、電動貨車1両が破損[44]
  • 1951年(昭和26年)
    • 12月1日:戦時中に不要不急路線として休止になっていた旧西尾線岡崎新 - 西尾間のうち、岡崎駅前 - 福岡町間を岡崎市内線と直通運転する福岡線として復活[4][22][23]
    • 本年中に殿橋貨物駅の貨物扱いを東岡崎駅に集約。以後、殿橋貨物駅は場所を示す名義上のみの存在となる[62]
  • 1954年(昭和29年)4月17日:岡崎殿橋 - 康生町間を複線化[63]
  • 1962年(昭和37年)
    • 6月11日:殿橋貨物駅廃止。同駅所属の戸崎側線も廃止となる[64]
    • 6月17日:バスに転換する形で岡崎福岡線・岡崎市内線福岡町 - 岡崎駅前 - 大樹寺間廃止[4][22][24]。岡崎駅前 - 福岡町間の用地はレール撤去後、バス専用道路となる。
  • 2016年(平成28年)3月31日:都市基盤整備事業のため、そのバス専用道路が廃止となる[25]

車両

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出典:藤井建『名鉄岡崎市内線―岡崎市電ものがたり』、清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』。清水武、田中義人、澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』。
太字は廃線時に在籍した車両(貨車を除く。20両)。

岡崎電気軌道時代に入線

  • 木造単車
    • 1号→モ45形(47):1912年-1960年
    • 2・3号→モ50形(59・60):1912年-1962年
    • 4号:1912年-1922年
    • 5・6号:1914年-1922年
    • 7号→モ50形(61):1919年-1960年
    • 8号→モ50形(62):1919年-1962年
    • 9号→モ50形(63):1922年-1962年
    • 10号→モ45形(48):1922年-1960年
    • 11号→モ45形(49):1924年-1960年
    • 12号→モ50形(64):1924年-1962年
  • 100形(101・102)→モ530形(531・532):1923年-1962年
  • 200形
    • 201:1924年-1938年
    • 202:1924年-1941年
  • 散水車(1)→ミ1形(4):1922年-1947年
  • 貨車

三河鉄道時代に入線

  • キ10形(11-13):1934年-1941年
  • デワ1形(1・2)→デワ10形(11・12):1928年-1962年

名古屋鉄道時代に入線

  • モ90形(90-94):1945年-1954年
  • モ40形(40-43):1954年-1960年
  • モ50形(58):1954年-1962年
  • モ50形(56・57):1957年-1962年
  • モ20形(23):1960年-1962年
  • モ50形(50-54・65・66):1957年-1962年

駅・電停一覧

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地図外部リンク
名鉄岡崎市内線
廃止鉄道ノート
地形図にカーソルをかざすと廃線跡を表示
凡例
線路 … ∥:複線区間 |:単線区間 ◇:単線区間の交換可能駅 ∧:これより上は単線 ∨:これより下は単線
路線名 停留場名 駅間キロ 営業
キロ
接続路線 線路
路線毎 総延長
挙母線 大樹寺駅 - 0.0 0.0 名古屋鉄道:挙母線
岡崎井田駅 0.5 0.5 0.5
岡崎市内線 0.0
伊賀町電停 0.6 0.6 1.1
八幡社電停 0.3 0.9 1.4
神明社電停 0.3 1.2 1.7
能見町電停 0.3 1.5 2.0
本町電停 0.3 1.8 2.3
康生町電停 0.3 2.1 2.6
岡崎殿橋電停 0.3 2.4 2.9
東岡崎駅前電停 0.4 2.8 3.3 名古屋鉄道:名古屋本線東岡崎駅
大学下電停 0.4 3.2 3.7
芦池橋電停 0.3 3.5 4.0
車庫前電停 0.6 4.1 4.6
戸崎町電停 0.5 4.6 5.1
戸崎口電停 0.3 4.9 5.4
北羽根電停 0.6 5.5 6.0
岡崎駅前電停 0.3 5.8 6.3 日本国有鉄道東海道本線岡崎駅
福岡線 0.0
(鉄軌分界点) 0.6 0.1 6.4
柱町駅 0.6 6.9
東若松駅 0.4 1.0 7.3
西若松駅 0.6 1.6 7.9
福岡町駅 0.9 2.5 8.8

接続路線

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かつて岡崎市内線が敷設されていた道路

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岡崎市内線が走っていた道路には電車通りという愛称がある

脚注

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注釈

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  1. ^ a b c 『帝国鉄道要鑑. 第3版』『岡崎商工会議所五十年史』p.71、『RM LRBRARY 48 名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』などの文献では、この日を開業日として記載している[1][2][3][4]
  2. ^ a b c 『鉄道院年報 明治41 , 42 , 43年度 軌道之部』『地方鉄道及軌道一覧:附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』、『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』など文献では、この日を開業日として記載している[5][6][7][8][9]
  3. ^ a b 『鉄道院年報』では、特許区間および距離が「区間:岡崎町明大寺下郷中、岡崎村大字羽根 距離:2哩0分3厘」、営業路線区間および距離が「区間:岡崎町、岡崎村大字羽根 距離:2哩0分3厘」と記載[5]
  4. ^ a b 開業区間については、前述の『鉄道院年報』の岡崎町明大寺[26][17]は現・岡崎市明大寺町[14]と同市明大寺本町1 - 2丁目[27]、岡崎村大字羽根[28]は、現・岡崎市羽根町[29]に当たる。また、前述の『鉄道院年報』や『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』(開業区間は「岡崎停車場前 - 岡崎町」と記載)では、営業距離が2哩0分3厘≒3.26627 km(ただし、後者では「2M02C」(3.25018 km)との記載。両者1M≒1.609 kmで換算)[5][7]で、殿橋南詰の所在地は前述の地点[14]なので、開業時点では殿橋南詰(停留所名については後述)から岡崎停車場(後の岡崎駅前)間で営業を始めたと考えられる。なお、明大寺(東岡崎駅前)の所在地は現・名鉄名古屋本線東岡崎駅西側の明大寺本町交差点付近(岡崎市明大寺本町2丁目)[17][27][30]であり、ここから岡崎駅前までは3.0km[4]なので、「開業区間を明大寺 - 岡崎停車場間」と記載している文献[8][9]と前述の『鉄道院年報』とでは、開業区間および営業距離の矛盾が生じている。
  5. ^ a b 鉄道省監督局 編『地方鉄道及軌道一覧:附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』では、1899年(明治32年)1月時点で康生町電停まで開業との記載[6]であるが、1915年(大正4年)9月19日付の尾三新聞の記事にて「終点たる殿橋」との記述がある[31]。また、同年発行の『岡崎』でも「岡崎駅と市街の南、殿橋との間二哩十六鎖」としている(2M16C≒約3.5 km、小数点第5位まで3.47544 km)[32]。なお、岡崎殿橋電停が置かれた殿橋北詰も康生町地内[17][18](現・岡崎市康生通南[19][20])である[33]
  6. ^ a b 開業当時の岡崎町側の停留所名(後の東岡崎駅前)については、
    • 「明大寺」(記載文献:『名古屋鉄道社史』[8]、『新編岡崎市史 4 近代』[9]『RM LRBRARY 48 名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』〔通称名として〕[34]
    • 「是字寺」(記載文献:『日本鉄道旅行地図帳 全駅・全線・全廃線 7号 東海』[4]、『RM LRBRARY 48 名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』〔開業時の名称として〕[34]
    とそれぞれ記載されている。なお、殿橋の電停名ついては後述。
  7. ^ a b 『鉄道院年報』では、特許区間および営業距離が「区間:岡崎町明大寺下郷中 - 岡崎町大字康生 距離:0哩1分2厘 計:2哩1分5厘」、営業路線区間および距離が「区間:岡崎町地内 距離:0哩1分2厘 計:2哩1分5厘 開業年月日:40.6.22」との記載[5]
  8. ^ a b 殿橋南詰対岸の殿橋北詰まで延長については、延長距離が0M12C≒0.19308 km、岡崎停車場まで合計距離が2M15C≒約3.45935 km[5]となり、殿橋北詰の所在地は前述の位置に存在していた[19](ただし、1927年昭和2年)に殿橋が架け替えられる前は、乙川の上流側にあった木製の専用橋で渡り、電停も別の場所にあった[17][35])。この延長については、『新・鉄道廃線跡を歩く 3 北陸・信州・東海編』内「国鉄・私鉄の廃線停車場一覧」では「殿橋南 - 殿橋北間開業[21]」との記載で、その他『RM LRBRARY 48 名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』は「殿橋の北側の駅」と記載[15]、『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』は「距離:10C(2M12C)」(10C≒約0.16 km、2M12C≒約3.4 km)との記載[7]で、3者いずれも延長年月日は1907年(明治40年)6月22日であるが、『名古屋鉄道社史』、『鉄道ピクトリアル 1979年12月号』市川満著「姿を消した岡崎の名鉄線」、『名古屋鉄道百年史』は「1907年(明治40年)6月22日に康生町電停まで到達」[36][37][38]としている。また、『岡崎商工会議所五十年史』p.72では「明治40年5月殿橋南、殿橋間2分を延長」[39]との記載があり、『新編岡崎市史』や『鉄道ピクトリアル 1979年12月号』も5月延伸を支持している[9][16]
  9. ^ a b 殿橋南・北詰の電停名については、馬車鉄道開業直後が「殿橋南[16][9]、殿橋北詰まで延長時は「殿橋北[21][9]との名称で記載(電化・改軌前は前者と後者が両方存在していたともあるが、詳細は不明)している文献があれば、馬車鉄道開業当時から北詰まで延長時も含め「岡崎[4][40](殿橋北詰まで延長時は「岡崎 移 明40 1907.6.22」と記載[4])や「岡崎町[7][21][41]と記載する文献もあり、また『日本鉄道旅行地図帳 全駅・全線・全廃線 7号 東海』では「岡崎」→「岡崎町」へ改称(この改称は、1915年以降と記載)[4]との記載もある。しかし、これらの名称はいずれも通称名と考えられる。正式名称については、後述の電化および改軌後に「殿橋」が正式名称となり[21][42]、「岡崎殿橋」に改称したのは、鐵道院出版『鐵道停車場一覽』から1917年(大正6元年)[43]以前と考えられるが、1919年以前に改称と記載している文献(ただし、駅名は「岡崎町→改 岡崎殿橋」と記載)[4]もあり、時期は不詳である。さらに、殿橋駅に再改称したとする文献もある[44]
  10. ^ 岡崎市史では岡崎停車場 - 殿橋南間としている[48]。また、尾三新聞(1912年8月7日付)でも工事区間を「岡崎駅前より殿橋際まで」と報じている[49]。しかし、殿橋北詰までの電車延伸については市史に記載がない。
  11. ^ 終点の殿橋について、電化当初の回数乗車券には「岡崎」と印字されていた[48][44]
  12. ^ 両社の合併契約書では主務官庁の認可が下りることを条件に4月16日を合併予定日としていた[57]。しかし実際に認可されたのは6月1日であり、合併実施日もその影響で7月19日にずれ込んだ[55]。しかし名鉄社史の年表では当初の合併予定日である4月16日を掲載しており[58]、同年以降複数の文献がこれを採用している[4][16][59]

出典

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  1. ^ 『帝国鉄道要鑑. 第3版』著者:木下立安 出版者:鉄道時報局(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ a b c 『岡崎商工会議所五十年史』出版者:岡崎商工会議所 昭和17年 p.71(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、4頁。ISBN 978-4777050055 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 全駅・全線・全廃線』 7号 東海、新潮社、2008年11月18日、44頁。ISBN 978-4107900258 
  5. ^ a b c d e f g h i 『鉄道院年報』明治41 , 42 , 43年度 軌道之部 出版者:鉄道院(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ a b c d 『地方鉄道及軌道一覧:附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』著者:鉄道省監督局 編 出版者:鉄道同志会 昭和10年(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 和久田康雄著『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』「5552 岡崎馬車鉄道(1911.10.2改称)岡崎電気軌道(1927.7.19合併)三河鉄道」pp.105 , 106 電気車研究会 2014年4月25日
  8. ^ a b c d e f 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、723頁。 
  9. ^ a b c d e f g h i j k l 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 4 近代、新編岡崎市史編さん委員会、1991年、300頁。 
  10. ^ 名古屋鉄道 編『名古屋鉄道社史』1961年、689頁。ASIN B000JAMKU4 
  11. ^ a b 『扶桑新聞』1898年12月29日
  12. ^ a b 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 4 近代、新編岡崎市史編さん委員会、1991年、299頁。 
  13. ^ a b c 『神谷傳兵衛』(中日新聞社、2018年)250 - 260頁、新實守『三河鉄道(現・名鉄三河線)の救世主』
  14. ^ a b c d Googleマップ「愛知県岡崎市明大寺町」
  15. ^ a b c d e 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、4 - 5頁。ISBN 978-4777050055 
  16. ^ a b c d e f g 市川満「姿を消した岡崎の名鉄線」『鉄道ピクトリアル 1979年12月号』第370巻、電気車研究会、1979年12月、138頁。 
  17. ^ a b c d e f 『岡崎』岡崎市全図(明大寺町・康生町)著者:岡崎市 1925年9月(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ a b c 『岡崎案内』著者:岡崎案内発行所 編 明治43年5月 p.18(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ a b c d 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、13頁。ISBN 978-4777050055 
  20. ^ a b c Googleマップ「愛知県岡崎市康生通南」
  21. ^ a b c d e f g 石野哲(編)「国鉄・私鉄の廃線停車場一覧」、今尾恵介(編)『新・鉄道廃線跡を歩く』 3 北陸・信州・東海編、JTBパブリッシング、219頁。ISBN 978-4533078606
  22. ^ a b c d 和久田康雄著『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』「5505 名古屋電気鉄道(1921.7.1譲渡)名古屋鉄道(1930.9.5改称)名岐鉄道(1935.8.1譲渡)名古屋鉄道」p.101 電気車研究会 2014年4月25日
  23. ^ a b 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、353頁。 
  24. ^ a b 和久田康雄著『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』「5560 名古屋鉄道(1930.9.5改称)名岐鉄道(1935.8.1譲渡)名古屋鉄道」p.107 電気車研究会 2014年4月25日
  25. ^ a b 清水武、田中義人 『名古屋鉄道 1世紀の記録』 アルファベータブックス、2016年、101頁
  26. ^ 『岡崎案内』著者:岡崎案内発行所 編 明治43年5月 p.20(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. ^ a b Googleマップ「愛知県岡崎市明大寺本町」
  28. ^ 『岡崎』岡崎市全図(岡崎村羽根)著者:岡崎市 1925年9月(国立国会図書館デジタルコレクション)
  29. ^ Googleマップ「愛知県岡崎市羽根町」
  30. ^ 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、13 , 19頁。ISBN 978-4777050055 
  31. ^ 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 10 史料 近代下、新編岡崎市史編さん委員会、1987年、627頁。 
  32. ^ 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 10 史料 近代下、新編岡崎市史編さん委員会、1987年、629頁。 
  33. ^ 『鉄道停車場一覧 : 附・関係法規,線路図運賃早見表 昭和2年版』著者:鉄道省 編纂 出版者:鉄道教育会 昭和2年(国立国会図書館デジタルコレクション)
  34. ^ a b 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、19頁。ISBN 978-4777050055 
  35. ^ 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、4 - 5 , 21頁。ISBN 978-4777050055 
  36. ^ 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、613頁。 
  37. ^ a b 市川満「姿を消した岡崎の名鉄線」『鉄道ピクトリアル 1979年12月号』第370巻、電気車研究会、1979年12月、142頁。 
  38. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、885頁。 
  39. ^ 『岡崎商工会議所五十年史』出版者:岡崎商工会議所 昭和17年 p.72(国立国会図書館デジタルコレクション)
  40. ^ 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、8 , 21頁。ISBN 978-4777050055 
  41. ^ 和久田康雄『日本の市内電車 1895-1945』成山堂書店、2009年、106頁。ISBN 978-4425961511 
  42. ^ 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 10 史料 近代下、新編岡崎市史編さん委員会、1987年、626 , 627頁。 
  43. ^ 『鐵道停車場一覽』大正6年3月31日現在 出版者:鐵道院 1917年(国立国会図書館デジタルコレクション)
  44. ^ a b c d 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、8頁。ISBN 978-4777050055 
  45. ^ 『官報』1911年(明治44年)10月14日 出版者:大蔵省印刷局(編)(国立国会図書館デジタルコレクション)
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  47. ^ a b c 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、5頁。ISBN 978-4777050055 
  48. ^ a b 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 4 近代、新編岡崎市史編さん委員会、1991年、443頁。 
  49. ^ 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 10 史料 近代下、新編岡崎市史編さん委員会、1987年、626頁。 
  50. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1921年(大正10年)8月12日 出版者:大蔵省印刷局(編)(国立国会図書館デジタルコレクション)
  51. ^ a b 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 4 近代、新編岡崎市史編さん委員会、1991年、1078頁。 
  52. ^ 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、745頁。 
  53. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』著者:鉄道省 編 出版者:鉄道院 大正15年(国立国会図書館デジタルコレクション)
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  55. ^ a b 『鉄道統計資料. 昭和2年』著者:鉄道省 編 出版者:鉄道省 昭和4年(国立国会図書館デジタルコレクション)
  56. ^ 『官報』1927年(昭和2年)9月9日 出版者:大蔵省印刷局(編)(国立国会図書館デジタルコレクション)
  57. ^ 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 10 史料 近代下、新編岡崎市史編さん委員会、1987年、1194-1195頁。 
  58. ^ 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、751頁。 
  59. ^ 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、6頁。ISBN 978-4777050055 
  60. ^ a b 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年、109頁。ISBN 978-4865988475 
  61. ^ 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、227頁。 
  62. ^ 清水武、田中義人、澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォト・パブリッシング、2021年、183頁。ISBN 978-4802132701 
  63. ^ 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、786頁。 
  64. ^ 清水武、田中義人、澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォト・パブリッシング、2021年、185, 268頁。ISBN 978-4802132701 

参考文献

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各書籍
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 全駅・全線・全廃線』 7号 東海、新潮社、2008年11月18日、44頁。ISBN 978-4107900258 
  • 藤井建『名鉄岡崎市内線 -岡崎市電ものがたり-』ネコ・パブリッシング〈RM LRBRARY 48〉、2003年7月1日、各頁。ISBN 978-4777050055 
  • 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 4 近代、新編岡崎市史編さん委員会、1991年、各頁。 
  • 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史』 10 史料 近代下、新編岡崎市史編さん委員会、1987年、各頁。 
  • 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、岡崎市内線関連各頁。 
  • 和久田康雄著『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』電気車研究会 2014年4月25日
    • 「5505 名古屋電気鉄道(1921.7.1譲渡)名古屋鉄道(1930.9.5改称)名岐鉄道(1935.8.1譲渡)名古屋鉄道」、101頁
    • 「5552 岡崎馬車鉄道(1911.10.2改称)岡崎電気軌道(1927.7.19合併)三河鉄道」、105 , 106頁
    • 「5560 名古屋鉄道(1930.9.5改称)名岐鉄道(1935.8.1譲渡)名古屋鉄道」、107頁
  • 市川満「姿を消した岡崎の名鉄線」『鉄道ピクトリアル 1979年12月号』第370巻、電気車研究会、1979年12月、138,142。 
  • 石野哲(編)「国鉄・私鉄の廃線停車場一覧」、今尾恵介(編)『新・鉄道廃線跡を歩く』 3 北陸・信州・東海編、JTBパブリッシング、p.219 ISBN 978-4533078606
  • 清水武、田中義人 『名古屋鉄道 1世紀の記録』 アルファベータブックス、2016年、101頁
  • 『神谷傳兵衛』(中日新聞社、2018年)新實守『三河鉄道(現・名鉄三河線)の救世主』、250 - 260頁
  • 和久田康雄『日本の市内電車 1895-1945』成山堂書店、2009年、106頁。ISBN 978-4425961511 
  • 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年、109頁。ISBN 978-4865988475 
  • 清水武、田中義人、澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォト・パブリッシング、2021年、183 , 185 , 268頁。ISBN 978-4802132701 
国立国会図書館デジタルコレクション
  • 『鉄道院年報』明治41 , 42 , 43年度 軌道之部 出版者:鉄道院
  • 『帝国鉄道要鑑. 第3版』著者:木下立安 出版者:鉄道時報局
  • 『官報』1911年(明治44年)10月14日 出版者:大蔵省印刷局(編)
  • 『鐵道停車場一覽』大正6年3月31日現在 出版者:鐵道院 1917年
  • 「軌道特許状下付」『官報』1921年(大正10年)8月12日 出版者:大蔵省印刷局(編)
  • 『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』著者:鉄道省 編 出版者:鉄道院 大正15年
  • 『鉄道停車場一覧 : 附・関係法規,線路図運賃早見表 昭和2年版』著者:鉄道省 編纂 出版者:鉄道教育会 昭和2年
  • 『官報』1927年(昭和2年)9月9日 出版者:大蔵省印刷局(編)
  • 『鉄道統計資料. 昭和2年』著者:鉄道省 編 出版者:鉄道省 昭和4年
  • 『地方鉄道及軌道一覧:附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』著者:鉄道省監督局 編 出版者:鉄道同志会 昭和10年
  • 『岡崎商工会議所五十年史』出版者:岡崎商工会議所 昭和17年 pp.71 , 72

関連項目

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