張芸謀
チャン・イーモウ 張芸謀 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
本名 |
張詒謀 张诒谋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1950年4月2日(74歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | 中国 陝西省西安 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 中国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
職業 | 映画監督 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『紅いコーリャン』 『紅夢』 『秋菊の物語』 『活きる』 『あの子を探して』 『初恋のきた道』 『HERO』 『金陵十三釵(原題)』 『グレートウォール』 『SHADOW/影武者』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第18回東京国際映画祭 審査委員長(2005年) 第64回ヴェネツィア国際映画祭 審査委員長(2007年) |
張芸謀 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 張藝謀 |
簡体字: | 张艺谋 |
拼音: | Zhāng Yìmóu |
ラテン字: | Zhang Yimou |
和名表記: | ちょう げいぼう |
発音転記: | チャン・イーモウ |
張 芸謀[1] (チャン・イーモウ[2]、漢字日本語読み:ちょう げいぼう[2][3][4][5]、1950年4月2日 - ) は、中国の映画監督。中国映画界の「第五世代」の監督として知られ、現代中国を代表する世界的な監督の1人[6]。また、撮影監督、俳優の経験もある。
来歴
[編集]1950年4月2日、陝西省西安で生まれる。1966年から起こった文化大革命では下放され、農民として3年間、工場労働者として7年間働いた[7]。その後、年齢制限に抵触していたものの北京電影学院撮影学科に入学を許可される。
1982年に北京電影学院を卒業。西安映画製作所に配属され、チェン・カイコー監督の『黄色い大地』(1984年)と『大閲兵』(1986年)で撮影監督を務める。1986年にはウー・ティエンミン監督の『古井戸』に主演し、第2回東京国際映画祭で男優賞を受賞した。1987年、『紅いコーリャン』で映画監督としてデビュー。翌1988年の第38回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した[8]。コン・リーのデビュー作にもなったこの映画は中国国内でも賛否両論が巻き起こった。
1990年の『菊豆(チュイトウ)』は第63回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた[9]。1991年の『紅夢』は第48回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。1992年の『秋菊の物語』は第49回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、コン・リーにも女優賞をもたらした。文化大革命を題材とした1994年の『活きる』は第47回カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞したが[10]、政治的理由により本国では上映が禁止された。1995年には『上海ルージュ』を監督するが、コン・リーと破局[11]し、コンビ作はそれを最後に一時途絶えた。
1997年には『キープ・クール』を監督。1999年の『あの子を探して』で自身二度目となるヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を、文化大革命を背景としチャン・ツィイーの映画デビュー作となった同年の『初恋のきた道』は翌2000年の第50回ベルリン国際映画祭で審査員グランプリを受賞した。なお、同映画祭の審査員長はコン・リーが務めた。
2000年、ジャコモ・プッチーニのオペラ『トゥーランドット』の演出を担当。同作はフィレンツェ歌劇場のプロダクションにより、北京の紫禁城で野外上演も行われた[12]。同年、『至福のとき』を監督。2002年、第13回福岡アジア文化賞大賞を受賞。同年、自身初の武術映画となった『HERO』を発表。翌2003年の第53回ベルリン国際映画祭でアルフレッド・バウアー賞を受賞。2004年、再び武術映画である『LOVERS』を監督した。同年、ギリシャでの2004年アテネオリンピックの閉会式で行われた2008年北京オリンピックへの引き継ぎ式の総監督を務めた[13][14][15]。
2005年、『単騎、千里を走る。』を高倉健を主演に迎えて製作。文化大革命後に中国で初めて公開された外国映画である日本の佐藤純彌監督作品『君よ憤怒の河を渉れ』で中国人から高い人気[16]を得ていた高倉を敬愛する張が熱心にオファーした結果、高倉の出演が実現した。2006年、10年ぶりにコン・リーを主演に迎えて大作時代劇『王妃の紋章』を監督。
2008年北京オリンピックの開会式および閉会式の総監督を行った。スティーヴン・スピルバーグが芸術顧問を辞任するなど国際的に物議を醸した北京五輪で演出を担当したことは「中国のレニ・リーフェンシュタール」との批判も一部で起きた[17]。2009年にはコーエン兄弟の『ブラッド・シンプル』(1984年)を時代劇風にリメイクした『女と銃と荒野の麺屋』を、2010年には文化大革命を題材とした3度目の映画『サンザシの樹の下で』を監督した。
2011年、中国映画史上最高額となる6億元(約78億円)の製作費を投じて南京事件を描いた『金陵十三釵(原題)』を発表。同年の中国年間第1位となる約71億円の興行収入を記録し[18]、中国社会に大きな影響を与えた[19]。同作は第69回ゴールデングローブ賞の外国語映画賞にノミネートされ[20]、第84回アカデミー賞外国語映画賞の中国代表作品にも選出され[21]、受賞の可能性も取り沙汰されるも主演のクリスチャン・ベールが軟禁状態にある陳光誠を訪問しようとして中国当局とトラブルを起こしたことで立ち消えとなった[22]。アメリカの批評家からは酷評されたが[23]、これに対して、ある作品に対して様々な評価があるのは当然とした上で、西洋人は南京大虐殺に対する理解が低すぎると語った[24]。
2013年、張が一人っ子政策に反して7人の子をもうけていたとして当局が調査に乗り出し[25]、張の事務所は妻との間に3人の子供がいることを認め当局の調査に協力することを表明[26]。2014年、江蘇省無錫市の計画生育局により、社会扶養費として748万7854元(約1億3000万円)の支払いを命じられた[27]。同年、文化大革命を題材とする4度目の映画『妻への家路』を監督。2016年、杭州で行われた第11回G20サミットの演出を監督した[28]。同年、ハリウッドスターのマット・デイモンを主演に迎え、万里の長城を舞台とした米中合作のファンタジー史劇アクション映画『グレートウォール』を監督。
2018年、韓国の2018年平昌オリンピックの閉会式で行われた2022年北京オリンピックへの引き継ぎ式の総合演出を担当した[29]。同年、架空の戦国時代を舞台にした影武者が主人公の大作時代劇『SHADOW/影武者』を監督。2020年には文化大革命を題材とする5度目の映画『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』を、2021年には1930年代の満州国を舞台としたサスペンス映画『崖上のスパイ』を監督した。
2022年北京オリンピックの開会式および閉会式、パラリンピックの開会式および閉会式の総監督を務め、好評を博した[30]。2023年の第36回東京国際映画祭で特別功労賞を受賞[31]。2024年の第17回アジア・フィルム・アワードでは生涯功労賞を受賞した[32]。
作風
[編集]『紅いコーリャン』(1987年)、『紅夢』(1991年)、『上海ルージュ』(1995年)は「紅三部作」として知られ、赤をはじめとする特定の色を強調する色彩構成を用いた。その一方で、『秋菊の物語』(1992年)や『活きる』(1994年)ではリアリズムに基づいた物語を展開した。『あの子を探して』(1999年)、『初恋のきた道』(1999年)、『至福のとき』(2000年)は「幸せ三部作」と位置づけられている。また、『ハイジャック/台湾海峡緊急指令』(1989年)や『キープ・クール』(1997年)のようなジャンル映画も手がけている。2000年代以降は『HERO』(2002年)や『LOVERS』(2004年)といったワイヤーアクションや特殊効果を多用した武侠映画も製作している。
初期の作品では当時の恋人でもあったコン・リーを重用したほか、『初恋のきた道』ではチャン・ツィイーをデビューさせた。一方、『あの子を探して』での演技が絶賛されたウェイ・ミンジには田舎に帰るように促したという。その他、イーモウの映画でデビューしたドン・ジエ、チョウ・ドンユイ、ニー・ニー、リウ・ハオツンらを含めて彼女たちは「謀女郎(モウ・ガールズ)」と呼ばれている。
作品
[編集]監督
[編集]- 紅いコーリャン 紅高梁 (1987年)
- ハイジャック/台湾海峡緊急指令 代號美洲豹 (1989年)
- 菊豆(チュイトウ) 菊豆 (1990年)
- 紅夢 大紅燈籠高高掛 (1991年)
- 秋菊の物語 秋菊打官司 (1992年)
- 活きる 活着 (1994年)
- 上海ルージュ 搖啊搖,搖到外婆橋 (1995年)
- キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒 Lumière et compagnie (1995年) - オムニバスの一篇
- キープ・クール 有話好好説 (1997年)
- あの子を探して 一個都不能少 (1999年)
- 初恋のきた道 我的父親母親 (1999年)
- 至福のとき 幸福時光 (2000年)
- HERO 英雄 (2002年)
- LOVERS 十面埋伏 (2004年)
- 単騎、千里を走る。 千里走單騎 (2005年)
- 王妃の紋章 滿城盡帶黃金甲 (2006年)
- それぞれのシネマ「映画をみる」 Chacun son cinéma - En regardant le film (2007年) - オムニバスの一篇
- 女と銃と荒野の麺屋 三槍拍案驚奇 (2009年)
- サンザシの樹の下で 山楂樹之恋 (2010年)
- 金陵十三釵 (2011年) - 日本未公開
- 妻への家路 帰来(2014年)
- グレートウォール The Great Wall / 長城 (2016年)
- SHADOW/影武者 影 (2018年)
- ワン・セカンド 永遠の24フレーム 一秒鐘 (2020年)
- 崖上のスパイ 懸崖之上 (2021年)
- 狙擊手 (2022年)
- 満江紅(マンジャンホン) 滿江紅 (2023年) - 第36回東京国際映画祭で上映
- 堅如磐石 (2023年)
- 第二十条 (2024年)
監督以外の作品
[編集]- 一人と八人 一個和八個 (1983年) - 撮影
- 黄色い大地 黄土地 (1984年) - 撮影
- 大閲兵 大閲兵 (1986年) - 撮影
- 古井戸 老井 (1986年) - 撮影・出演
- テラコッタ・ウォリア 秦俑 古今大戦秦俑情 (1989年) - 出演
- 画魂 愛、いつまでも 画魂 (1992年) - 製作総指揮
- 項羽と劉邦/その愛と興亡 西楚覇王 (1994年) - 総監修
- 龍城恋歌 龍城正月 (1996年) - 製作総指揮
- 「あの子を探して」ができるまで (2002年) - 監修・出演(ドキュメンタリー映画)
- 楊貴妃 レディ・オブ・ザ・ダイナスティ 王朝的女人·楊貴妃(2015年) - 監督補
- 愛しの故郷 我和我的家郷(2020年) - 製作総指揮
- ライツ・カメラ・アクション!(2021年) - 出演(ユニバーサル・スタジオ・北京のアトラクション)
- 父に捧ぐ物語 我和我的父輩(2021年) - 出演
- 北京冬季五輪2022 北京2022(2023年) - 製作総指揮(ドキュメンタリー映画)
受賞歴
[編集]賞 | 年 | 部門 | 作品 | 結果 |
---|---|---|---|---|
金鶏奨 | 1985年 | 撮影賞 | 『黄色い大地』 | 受賞 |
1988年 | 主演男優賞 | 『古井戸』 | 受賞 | |
作品賞 | 『紅いコーリャン』 | 受賞 | ||
監督賞 | ノミネート | |||
1993年 | 作品賞 | 『秋菊の物語』 | 受賞 | |
監督賞 | ノミネート | |||
1999年 | 監督賞 | 『あの子を探して』 | 受賞 | |
2000年 | 作品賞 | 『初恋のきた道』 | 受賞 | |
監督賞 | 受賞 | |||
2003年 | 監督賞 | 『HERO』 | 受賞 | |
2004年 | 作品賞 | 『LOVERS』 | ノミネート | |
東京国際映画祭 | 1987年 | 男優賞 | 『古井戸』 | 受賞 |
2023年 | 特別功労賞 | 受賞 | ||
ベルリン国際映画祭 | 1988年 | 金熊賞 | 『紅いコーリャン』 | 受賞 |
2000年 | 審査員グランプリ | 『初恋のきた道』 | 受賞 | |
エキュメニカル審査員賞 | 受賞 | |||
2003年 | アルフレッド・バウアー賞 | 『HERO』 | 受賞 | |
シカゴ国際映画祭 | 1990年 | ゴールド・ヒューゴ賞 | 『菊豆』 | 受賞 |
アカデミー賞 | 1990年 | 外国語映画賞 | 『菊豆』 | ノミネート |
1991年 | 外国語映画賞 | 『紅夢』 | ノミネート | |
2002年 | 外国語映画賞 | 『HERO』 | ノミネート | |
ヴェネツィア国際映画祭 | 1991年 | 銀獅子賞 | 『紅夢』 | 受賞 |
国際映画批評家連盟賞 | 受賞 | |||
1992年 | 金獅子賞 | 『秋菊の物語』 | 受賞 | |
1999年 | 金獅子賞 | 『あの子を探して』 | 受賞 | |
2018年 | 監督・ばんざい!賞 | 『SHADOW/影武者』 | 受賞 | |
英国アカデミー賞 | 1992年 | 非英語作品賞 | 『紅夢』 | 受賞 |
1994年 | 外国語作品賞 | 『活きる』 | 受賞 | |
2004年 | 外国語作品賞 | 『LOVERS』 | ノミネート | |
全米映画批評家協会賞 | 1992年 | 外国語映画賞 | 『紅夢』 | 受賞 |
1993年 | 外国語映画賞 | 『秋菊の物語』 | 受賞 | |
1994年 | 外国語映画賞 | 『活きる』 | 2位 | |
2004年 | 監督賞 | 『HERO』 『LOVERS』 |
受賞 | |
外国語映画賞 | 『LOVERS』 | 2位 | ||
ニューヨーク映画批評家協会賞 | 1992年 | 外国語映画賞 | 『紅夢』 | 受賞 |
1993年 | 外国語映画賞 | 『秋菊の物語』 | 次点 | |
2004年 | 監督賞 | 『LOVERS』 | 次点 | |
ロサンゼルス映画批評家協会賞 | 1992年 | 外国語映画賞 | 『紅夢』 | 次点 |
2004年 | 外国語映画賞 | 『LOVERS』 | 受賞 | |
カンザスシティ映画批評家協会賞 | 1992年 | 外国語映画賞 | 『紅夢』 | 受賞 |
ロンドン映画批評家協会賞 | 1992年 | 外国語映画賞 | 『紅夢』 | 受賞 |
フランス映画批評家協会賞 | 1992年 | 外国語映画賞 | 『秋菊の物語』 | 受賞 |
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 | 1992年 | 外国映画賞 | 『紅夢』 | 受賞 |
カンヌ国際映画祭 | 1994年 | 審査員グランプリ | 『活きる』 | 受賞 |
エキュメニカル審査員賞 | 受賞 | |||
ゴールデングローブ賞 | 1994年 | 外国語映画賞 | 『活きる』 | ノミネート |
1995年 | 外国語映画賞 | 『上海ルージュ』 | ノミネート | |
2002年 | 外国語映画賞 | 『HERO』 | ノミネート | |
2004年 | 外国語映画賞 | 『LOVERS』 | ノミネート | |
2011年 | 外国語映画賞 | 『金陵十三釵』 | ノミネート | |
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 | 1995年 | 外国語映画賞 | 『上海ルージュ』 | 受賞 |
ボストン映画批評家協会賞 | 2004年 | 監督賞 | 『LOVERS』 | 受賞 |
外国語映画賞 | 受賞 | |||
オンライン映画批評家協会賞 | 2004年 | 外国語映画賞 | 『HERO』 | 受賞 |
トロント映画批評家協会賞 | 2004年 | 外国語映画賞 | 『HERO』 | 受賞 |
サンディエゴ映画批評家協会賞 | 2006年 | 外国語映画賞 | 『単騎、千里を走る。』 | 受賞 |
出典・脚注
[編集]- ^ 名の日本語表記「芸」に関する問題は、新字体の既存の字との衝突を参照。
- ^ a b “张艺谋”. 中日辞典 第3版. 2022年7月2日閲覧。
- ^ “ノーベル文学賞の中国人作家莫言”. 関東学院大学国際文化学部. 2022年12月30日閲覧。
- ^ “張藝謀とは”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2022年12月30日閲覧。
- ^ 近藤 大介. “中ロ首脳会談「共同声明」から見えてきたウクライナ問題を巡る“微妙な温度差””. 現代ビジネス. 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Zhang Yimou Biography”. 2013年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月1日閲覧。
- ^ “Zhang Yimou - Biography”. 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月1日閲覧。
- ^ “Berlinale Archive Annual Archives 1988 Prize Winners”. Berlinale. 2014年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月21日閲覧。
- ^ “Red Sorghum: A Search for Roots”. 2007年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月28日閲覧。
- ^ “Festival de Cannes: Awards 1994”. Cannes. 2010年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月21日閲覧。
- ^ “Shanghai Triad”. 2012年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月21日閲覧。
- ^ “Turandot - Directed by ZHANG Yimou, at the Forbidden City Beijing” 21 August閲覧。
- ^ “[平昌五輪]チャン・イーモウ監督 閉会式での北京PR演出に自信”. 朝鮮日報. (2018年2月19日). オリジナルの2018年2月20日時点におけるアーカイブ。 2018年2月26日閲覧。
- ^ “[平昌五輪]チャン・イーモウ監督 閉会式での北京PR演出に自信”. 聯合ニュース. (2018年2月19日). オリジナルの2018年2月26日時点におけるアーカイブ。 2018年2月26日閲覧。
- ^ “平昌五輪閉会式、ハイテク駆使した演出「北京の8分」で世界の人々を招待”. 中国国際放送. (2018年2月23日). オリジナルの2018年2月26日時点におけるアーカイブ。 2018年2月26日閲覧。
- ^ 福島香織 (2014年11月26日). “中国人が愛した高倉健 文化の力、再考”. 日経ビジネス (日経BP). オリジナルの2017年9月5日時点におけるアーカイブ。 2018年3月3日閲覧。
- ^ “A Filmmaker Walks a Line Between Artistic Acceptance and Official Approval”. (2012年1月7日) 2019年10月18日閲覧。
- ^ “2011年の中国映画ランキング、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の『金陵十三釵(The Flowers of War)』が1位”. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月2日閲覧。
- ^ “【矢板明夫の中国ネットウオッチ】”. 2012年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月9日閲覧。
- ^ “第69回ゴールデン・グローブ賞ノミネーション作品が発表!『金陵十三釵』が外国語映画賞に”. 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月18日閲覧。
- ^ “Hong Kong chooses A Simple Life for Oscar race, China selects The Flowers Of War”. 2014年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月2日閲覧。
- ^ “クリスチャン・ベールの子役時代からの軌跡を振り返る”. ciatr. (2017年10月10日). オリジナルの2018年3月6日時点におけるアーカイブ。 2018年3月5日閲覧。
- ^ “南京大虐殺描くチャン・イーモウ監督新作、「リアリティない」と米国では大不評―SP華字紙”. 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月11日閲覧。
- ^ “張芸謀監督が西側の酷評に反論 「西側は南京大虐殺に対する理解が低すぎる」”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月18日閲覧。
- ^ “中国の張芸謀監督に子ども7人か、一人っ子政策違反で当局調査”. 2013年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月30日閲覧。
- ^ “中国映画界の巨匠、張監督 子ども3人認める 一人っ子政策違反疑惑で”. 2013年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月2日閲覧。
- ^ “チャン・イーモウ監督の一人っ子政策違反、やっと終結=罰金額は1億3000万円―中国”. 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月10日閲覧。
- ^ “間もなく開催のG20首脳会議、巨匠チャン・イーモウがライブ演出を指揮、北京五輪開会式も担当―中国”. Record China. (2016年9月3日). オリジナルの2018年1月5日時点におけるアーカイブ。 2018年1月4日閲覧。
- ^ “「相約北京!」中国・習近平国家主席が執務室からビデオ出演 安倍マリオと対照的”. 産経ニュース. (2018年2月25日). オリジナルの2018年2月27日時点におけるアーカイブ。 2018年3月5日閲覧。
- ^ “北京冬季五輪の開会式を見て、チャン・イーモウ監督の作品を無性に見たくなった日本人が続出した理由”. Yahoo!ニュース. (2022年2月5日) 2024年3月15日閲覧。
- ^ “チャン・イーモウ、ヴィム・ヴェンダース、安藤桃子監督らが登場!第36回東京国際映画祭オープニングセレモニー開催”. MOVIE WALKER PRESS. (2023年10月24日) 2023年10月26日閲覧。
- ^ “チャン・イーモウ、アジア・フィルム・アワードで生涯功労賞に輝く”. 映画ナタリー. (2024年3月7日) 2024年3月15日閲覧。