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浪江町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浪江村から転送)
なみえまち ウィキデータを編集
浪江町
浪江町旗 浪江町章
浪江町旗 浪江町章
1962年7月1日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
双葉郡
市町村コード 07547-7
法人番号 8000020075477 ウィキデータを編集
面積 223.14km2
総人口 -[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 -人/km2
隣接自治体 南相馬市二本松市田村市双葉郡葛尾村双葉町大熊町相馬郡飯舘村伊達郡川俣町
町の木
町の花 コスモス
町の鳥 カモメ
浪江町役場
町長 吉田栄光
所在地 979-1592
福島県双葉郡浪江町大字幾世橋六反田7-2
北緯37度29分40秒 東経141度00分03秒 / 北緯37.49458度 東経141.00072度 / 37.49458; 141.00072座標: 北緯37度29分40秒 東経141度00分03秒 / 北緯37.49458度 東経141.00072度 / 37.49458; 141.00072
浪江町役場
地図
町庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

浪江町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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浪江町(なみえまち)は、福島県浜通りに位置し、双葉郡(1896年以前は標葉郡)に属する

町内東部の請戸漁港 (cf.) は、福島県の最東端にあたる。

2011年平成23年)3月11日東日本大震災で被災。揺れや津波による被害に加えて、震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、同月15日以降、仮役場が同県内の二本松市に設置され、多くの住民が移動・避難した。避難民と避難所は他にも散在している。2017年3月31日に一部の全域避難指示は解除されたが、2020年2月までは「帰還困難地域」が町内の大半を占め、町内の居住人口は事故前より大幅に減少し[1]、現時点で約2100人余が居住している[2]

地理

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請戸川の流域を主な範囲とし、沿岸部は太平洋に面する。請戸川に沿って、国道114号が内陸部と連絡し、途中で国道399号国道459号が分岐する。交通の大動脈は太平洋岸に沿って走る国道6号JR常磐線で、町役場も国道114号が国道6号に接続する沿岸付近にある。

山地

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西に位置するものから順に列挙する。

  • 津島五山(つしまござん。阿武隈山系[3][4]
    • 日山(ひやま。標高1,057m。異称:天王山[てんのうざん])[3][4]
    • 高太石山(こうたいしやま、こうだいしやま。標高863.7m。異称:弘太師山[こうだいしやま])[3][4]
    • 中ノ森山(なかのもりやま。標高803m。異称:大曾根山[おおそねやま])[3][4]
    • 大ノ姿山(おおのすがたやま。標高722m。異称:足利立添山[あしかがたちぞえやま])[3][4]
    • 熊ノ森山(くまのもりやま。標高565m。異称:湯舟山[ゆぶねやま])[3][4]
  • 手倉山(てくらやま。標高631m)[3]
  • 戸神山(とがみやま。標高430m)[3]
  • 十万山(じゅうまんやま。標高448.4m)[3]

川・谷・水系

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  • 請戸川(うけどがわ)[5]
  • 高瀬川(たかせがわ)、高瀬川渓谷(たかせがわけいこく)[6]
  • 大柿ダム(おおがきダム)[7]
  • 金ヶ森溜池(かながもりためいけ)[8]

気候

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浪江(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.6
(65.5)
22.2
(72)
25.0
(77)
32.0
(89.6)
33.5
(92.3)
35.7
(96.3)
36.9
(98.4)
37.9
(100.2)
36.2
(97.2)
31.6
(88.9)
26.2
(79.2)
21.6
(70.9)
37.9
(100.2)
平均最高気温 °C°F 7.4
(45.3)
8.0
(46.4)
11.1
(52)
16.2
(61.2)
20.9
(69.6)
23.3
(73.9)
26.9
(80.4)
28.5
(83.3)
25.2
(77.4)
20.3
(68.5)
15.4
(59.7)
10.1
(50.2)
17.8
(64)
日平均気温 °C°F 2.2
(36)
2.7
(36.9)
5.7
(42.3)
10.7
(51.3)
15.5
(59.9)
18.8
(65.8)
22.6
(72.7)
24.0
(75.2)
20.6
(69.1)
15.1
(59.2)
9.7
(49.5)
4.7
(40.5)
12.7
(54.9)
平均最低気温 °C°F −3.0
(26.6)
−2.7
(27.1)
0.1
(32.2)
5.0
(41)
9.9
(49.8)
14.6
(58.3)
19.1
(66.4)
20.3
(68.5)
16.5
(61.7)
10.0
(50)
3.7
(38.7)
−0.7
(30.7)
7.8
(46)
最低気温記録 °C°F −11.9
(10.6)
−12.4
(9.7)
−8.0
(17.6)
−4.7
(23.5)
−1.1
(30)
4.6
(40.3)
9.9
(49.8)
10.2
(50.4)
5.5
(41.9)
−1.6
(29.1)
−5.6
(21.9)
−11.2
(11.8)
−12.4
(9.7)
降水量 mm (inch) 59.0
(2.323)
45.6
(1.795)
94.5
(3.72)
119.6
(4.709)
125.8
(4.953)
156.3
(6.154)
193.4
(7.614)
163.4
(6.433)
238.2
(9.378)
225.9
(8.894)
71.1
(2.799)
44.2
(1.74)
1,539.7
(60.618)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 4.7 5.0 7.9 9.2 10.0 12.8 14.3 11.0 12.8 9.6 6.3 5.0 109.1
平均月間日照時間 170.5 171.7 183.0 186.6 194.3 145.8 136.7 164.6 126.8 137.3 152.6 159.1 1,926.1
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[9]

隣接する自治体

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cf. 福島県の市町村全図 :≪外部リンク≫ 地図上検索”. (公式ウェブサイト). 福島県. 2011年4月18日閲覧。

歴史

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近世以前

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現在の浪江町を含む浜通り北部は、古代の令制国としては陸奥国の一部であった。中世以降は相馬氏の地盤であり、江戸時代相馬中村藩が治めていた。

施設誘致の歴史

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太平洋戦争後の1955年昭和30年)に人口約28,000人を数えた浪江町も、過疎財政難に悩まされ、その打開が必要であった。1960年昭和35年)頃、福島県が原子力発電所を誘致するに当たり、浪江町も候補地となった。最終的には同じ浜通りの双葉郡双葉町大熊町に跨る地域に決まり、福島第一原子力発電所東京電力)として開所する。それまで農業の出来ない冬には出稼ぎに行っていた大熊町双葉町など福島の海岸地帯の住民は原発関連の仕事をすることで一年中、地元で働けるようになったため安定的な働き口とかなりの補助金を与えてくれた“福の神”とされていた[10]

折りしも、1969年(昭和44年)に発足を控えていた宇宙開発事業団ロケット発射場の候補地を探しており、浪江町の方から手を挙げたものの、「原子力発電所の近郊に発射場を建設するのは危険」と判断され、この構想も消滅した[11]

ロケット発射場の次は「子供の村」構想への参画を目指したが、これも頓挫した。しかし、福島第一原子力発電所建設の経済波及効果は浪江町にもあり、1970年昭和45年)に約21,000人で底を打った人口は1970年代末には23,000人に回復し、作業員向けの宿泊施設、バー、スナックなどが建てられた[12]

浪江町が何か誘致できる施設が無いかを調べていたところ、東北電力が浪江町と小高町(現在の南相馬市小高区)に跨る地域に原子力発電所の誘致を持ちかける。当時、東北電力は宮城県で女川原子力発電所の建設計画も進めており、「女川町へ原発と付随する交付金雇用等を取られてしまう」という対抗心もあって、浪江町議会は賛成した。当時は公害に対する批判的な世論が芽生え始めた時期でもあり、地元の自民党支持層は分裂。自民党の原発誘致反対派は他党と組まず、長らく反対運動を続けることになる。1982年昭和57年)の雑誌対談で示された概要図では原子炉は4基となっていた[13](のちの浪江・小高原子力発電所計画。こちらは東日本大震災後の2013年に中止が発表された)。上述の宿泊施設、浪江町による水道などの社会資本投資は原子力発電所建設を見越した先行投資でもあったため、1980年代末時点で17人まで減ったものの団結力を高め、予定地に共同登記をしていた反対運動による遅延は、これら商工業者に莫大な損失を強いるものとなった[14]。原子力発電所の建設が進まないなか、近隣自治体に新地発電所原町火力発電所などが建設されていった[15]

年表

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近世以前
近代以降
東北地方太平洋沖地震に伴い発生した津波に呑まれて倒壊した浪江町の民家。2011年平成23年)4月12日撮影。
津波に洗われて塩害など深刻なダメージを被った農地にトラクターが埋没している。4月12日撮影。
福島第一原子力発電所事故の影響で人の姿が消えた浪江町の中心部。4月12日撮影。
避難した飼い主に解き放たれたか、自力で逃げ出したか、人影の無い道を歩く飼育牛。4月12日撮影。
震災以降
復興
  • 2017年(平成29年)
    • 3月31日:帰還困難区域を除き避難指示が解除された。
    • 4月1日:役場機能の大半が二本松市の仮役場から元の浪江町役場本庁舎へと戻された[25]。また浪江駅の営業が再開され、常磐線下り方向への通常運行と浪江駅〜竜田駅までの代行バス運行が開始された。
  • 2019年令和元年):近隣の自治体の楢葉町広野町と合同で、ももいろクローバーZが毎年実施するコンサート「ももクロ春の一大事」を、2020年に誘致することを決定。その後、新型コロナウィルスの影響で2022年に延期して実施された[26]。これに先立って2019年11月24日、同グループのメンバー・佐々木彩夏をリーダーとする7人組ユニット「浪江女子発組合」も結成された(以降、浪江町で無料コンサートを開催するなど、継続的に活動)[27]
  • 2022年(令和4年)3月:浪江駅周辺グランドデザイン基本計画が策定された。[28]
  • 2023年(令和5年)
    • 3月31日:特定復興再生拠点区域での避難指示が解除された[29]
    • 4月1日:ふれあいセンターなみえ内に福島国際研究教育機構が設立された。
  • 2022年(令和6年)3月:浪江国際研究学園都市構想が策定された。[30]

行政区域の変遷(市町村制施行以後)

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cf. 浪江町(双葉郡)(福島県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年4月20日閲覧。

行政

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歴代町長

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歴代 氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 石井登 1956年昭和31年) 1960年(昭和35年) 1期
2 石川正義 1960年(昭和35年) 1964年(昭和39年) 2期
3 1964年(昭和39年) 1968年(昭和43年)
4 上田鉄三郎 1968年(昭和43年) 1972年(昭和47年) 1期
5 上田善三郎 1972年(昭和47年) 1975年(昭和50年) 1期
6 石井潔 1975年(昭和50年) 1979年(昭和54年) 2期
7 1979年(昭和54年) 1983年(昭和58年)
8 紺野富夫 1983年(昭和58年) 1987年(昭和62年) 1期
9 叶幸一 1987年(昭和62年) 1991年平成3年) 4期
10 1991年(平成3年) 1995年(平成7年)
11 1995年(平成7年) 1999年(平成11年)
12 1999年(平成11年) 2003年(平成15年)
13 横山藏人 2003年(平成15年) 2007年(平成19年) 1期
14 馬場有[35] 2007年(平成19年)12月16日 2011年(平成23年) 在任中、東日本大震災が発生
3期目在任中死去
15 2011年(平成23年) 2015年(平成27年)
16 2015年(平成27年) 2018年(平成30年)6月27日
17 吉田数博 2018年(平成30年) 2022年(令和4年)7月10日 1期
18 吉田栄光 2022年(令和4年) 現職 1期目

経済・産業

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第一次産業

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水産業

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  • 施設:請戸漁港(うけど ぎょこう。第三種漁港。所在地:請戸地区[3]。福島第一原発事故の風評被害により浜通りの水産業は厳しい状況が続いているが、請戸漁港では2018年1月7日、漁船の出初式が7年ぶりに行われた[36]。2020年4月8日には請戸漁港の地方卸売市場での競りが再開された[37]

工業

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医薬品

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  • エスエス製薬福島工場が北幾世橋に所在する。東日本大震災以後は操業停止し、再開の見通しは立っていない[39]

エネルギー産業

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温暖化ガスである二酸化炭素を燃焼時に出さない水素の製造拠点があり、その供給・活用で丸紅パナソニックなどと連携している[40]

名産品

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大堀相馬焼 湯呑
浪江焼きそば

商業

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イオンリテールが震災復興を支援するため、浪江町と2019年2月に『商業環境整備に関する覚書』を締結。同年7月14日、町役場南側に新店を開業した[41]

2021年3月には、道の駅なみえ無印良品が出店した[42]

地域

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人口

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17,981人(平成28年6月末時点)

浪江町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 21,375人
1975年(昭和50年) 21,523人
1980年(昭和55年) 22,601人
1985年(昭和60年) 23,595人
1990年(平成2年) 23,515人
1995年(平成7年) 23,245人
2000年(平成12年) 22,609人
2005年(平成17年) 21,615人
2010年(平成22年) 20,905人
2015年(平成27年) 0人
2020年(令和2年) 1,923人
総務省統計局 国勢調査より


警察・消防

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郵便

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  • 浪江郵便局集配局
  • 津島郵便局(集配局、2019年時点では東日本大震災のため窓口やATM、集配業務は休止)
  • 請戸郵便局(東日本大震災のため窓口業務やATMは休止)
  • 大堀郵便局(同)
  • 苅野郵便局(同)
  • 幾世橋郵便局(同)

交通

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空港

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最寄りの空港は仙台空港(宮城県名取市岩沼市)。

鉄道路線

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路線バスなど

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避難指示解除後に運行開始されたもののみ掲載

このほか、町が本宮市二本松市内と二本松出張所を結ぶ生活支援バスを週1回運行している(運行区域は町外)。

道路

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教育

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町内の学校は原発事故により一時全て避難し、町外に仮設校舎を設置するなど大きな影響を受けた。2018年4月に小中学校を併設した「なみえ創成小・中学校」(旧・浪江町立浪江東中学校校地に設置)が開設される[44]一方で、福島県立浪江高等学校のように休校に追い込まれた学校もある[45][46]。2021年3月末には、前述の「なみえ創成小・中学校」と津島中学校、津島小学校を除き、浪江町立の小中学校は、廃校となった[47]

高等学校

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中学校

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小学校

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出身著名人

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脚注

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注釈

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  1. ^ cf. 写真で見る東日本大震災”. (公式ウェブサイト). 南相馬市役所. 2011年4月20日閲覧。
  2. ^ 10km以上、20km未満。
  3. ^ 住所 :二本松市針道字蔵下22。
  4. ^ 町長,YouTube(2011-04-02)
  5. ^ 20km以上、30km未満。
  6. ^ 1ヶ月程度かけて住民を圏外へ退避させるべき区域。
  7. ^ 30km以上、40km未満。
  8. ^ 緊急時には速やかに圏外へ退避できるよう、常に準備をしておくべき区域。
  9. ^ 浪江町での動員数。
  10. ^ 所在地は、地図でおおまかな地域が示されたのみであり、番組の企画上、あくまで「西部にある某所」。

出典

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  1. ^ (すぐわかる)浪江町の現状、浪江町ホームページ”. 2020年3月16日閲覧。
  2. ^ 浪江町公式ホームページトップに記載された「居住人口」の項目より。2023年8月末時点での居住人口は計764世帯2106人(2023年9月17日閲覧時点)。
  3. ^ a b c d e f g h i j 関連リンク-観光協会
  4. ^ a b c d e f うつくしま電子事典”. (公式ウェブサイト). 福島県教育委員会. 2011年4月13日閲覧。
  5. ^ 水土里ネット請戸川”. (公式ウェブサイト). 請戸川土地改良区. 2011年4月12日閲覧。
  6. ^ 高瀬川渓谷”. (公式ウェブサイト). 浪江町観光協会. 2011年4月12日閲覧。
  7. ^ 大柿ダムの紹介”. 水土里ネット請戸川(公式ウェブサイト). 請戸川土地改良区. 2011年4月12日閲覧。
  8. ^ 福島県双葉郡浪江町の地域情報”. onMap(地域情報検索エンジン). 2011年4月13日閲覧。
  9. ^ 浪江 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年1月26日閲覧。
  10. ^ [ルポ]福島原発事故、その後「原発事故から6年、まだ故郷に戻れません」ハンギョレ(2017年3月9日)2020年4月11日閲覧
  11. ^ a b 恩田(1991)、45頁。
  12. ^ 恩田(1991)、182頁。
  13. ^ 初期の経緯については、『原子力工業』1982年1月号。
  14. ^ 「第8章 凱歌」恩田(1991)、223頁。
  15. ^ 恩田(1991)、223頁。
  16. ^ 座談会「立地政策にもの申す」『原子力工業』1982年1月号。
  17. ^ 震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月10日). 2011年4月13日閲覧。
  18. ^ “【浪江町の津島避難】線量情報なく町民孤立 国と県、予測伝えず”. 福島民報(ウェブサイト) (福島民報社). (2011年12月11日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/12/post_2755.html 2015年7月28日閲覧。 
  19. ^ “県内で避難住民の受け入れ進む 浪江町は二本松市に臨時役場”. 福島民友ネット(ウェブサイト) (福島民友新聞社). (2011年3月16日). http://www.minyu-net.com/news/news/0316/news7.html 2011年3月17日閲覧。 
  20. ^ “東日本大震災 図説集”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月10日). オリジナルの2012年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/eeRn 2011年4月17日閲覧。 :被災状況全図。
  21. ^ “20キロ圏外に「計画的避難区域」 葛尾や浪江・飯舘”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年4月11日). http://www.asahi.com/politics/update/0411/TKY201104110293.html 2011年4月13日閲覧。 
  22. ^ “福島第一10キロ圏内、初の不明者捜索開始”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年4月14日). https://web.archive.org/web/20110417083626/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110414-OYT1T00554.htm 2011年4月15日閲覧。 
  23. ^ 警戒区域の設定について”. 浪江町 - 福島県二本松市(公式ウェブサイト). 二本松市 (2011年4月22日). 2011年4月22日閲覧。
  24. ^ 福島第1原発:警戒区域、22日午前0時から…20キロ圏”. 毎日jp. 毎日新聞社 (2011年4月21日). 2012年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月22日閲覧。
  25. ^ [1]2017年8月7日閲覧。
  26. ^ [2]2024年5月4日閲覧
  27. ^ 浪江女子発組合「第5回定期大会~青空の下で、また君と。~」(2021.04.11), https://www.youtube.com/watch?v=Uy7gaHRyXIQ 2021年5月22日閲覧。 
  28. ^ [3]浪江駅周辺グランドデザイン基本計画を公表します
  29. ^ 避難指示区域の概念図(令和5年11月30日時点)”. 福島県. 2024年11月8日閲覧。
  30. ^ [4]浪江国際研究学園都市構想を策定しました
  31. ^ 同年10月9日、総理府告示第190号「町村の廃置分合」
  32. ^ 同年4月30日、総理府告示第221号「町村の廃置分合」
  33. ^ 同日、総理府告示第94号「町の境界変更」
  34. ^ 同日、総理府告示第110号「町の境界変更」
  35. ^ 馬場有 - 政治家情報”. ザ選挙(ウェブサイト). VoiceJapan. 2011年4月16日閲覧。
  36. ^ 「浪江請戸漁港 7年ぶり出初め式…自分たちの漁場で再開を」毎日新聞』朝刊2018年1月3日
  37. ^ 「津波被害の市場、9年ぶり再開 福島・浪江の請戸漁港」日本経済新聞』夕刊2020年4月8日(2020年4月11日閲覧)
  38. ^ “前代未聞の間引き運転、JR西も翻弄した巨大震災”. MSN産経ニュース(ウェブサイト) (産業経済新聞社). (2011年3月27日). http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110327/biz11032712010006-n2.htm 2011年4月4日閲覧。 
  39. ^ 福島工場の操業停止とエスカップの生産見通しについて - エスエス製薬ホームページ
  40. ^ 「水素供給網構築で連携 丸紅、パナソニックなどと浪江町」日本経済新聞ニュースサイト(2021年7月2日)2021年7月10日閲覧
  41. ^ 「イオン浪江店」オープン 戻るにぎわい!年間約45万人見込む『福島民友』2019年07月15日(2019年7月24日閲覧)
  42. ^ 「無印良品が道の駅に初出店 福島・浪江の復興シンボルに」j-cast(2021年03月17日)2021年7月10日閲覧
  43. ^ 常磐線(富岡駅~浪江駅間)の運転再開及びおトクなきっぷの発売等について -東日本旅客鉄道水戸支社
  44. ^ 「7年ぶりに町内で小中学校が再開 福島県浪江町で入学式」朝日新聞デジタル(2018年4月6日)2019年7月24日閲覧
  45. ^ 平成29年度以降の証明書発行について…NEW !!浪江高校は、東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により、平成29年3月末をもって休校となります。福島県立浪江高等学校(2019年7月24日閲覧)
  46. ^ 卒業証書授与式・休校式福島県立浪江高等学校津島校(2017年3月1日)2019年7月24日閲覧
  47. ^ 浪江の小中7校来春廃校 全町避難後休校、児童生徒が減少」『河北新報』2020年2月11日。2021年9月26日閲覧。

姉妹都市

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参考文献

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  • 恩田勝亘『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』七つ森書館、1991年10月。ISBN 978-4-8228-9109-1 

関連項目

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外部リンク

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