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タニノムーティエ

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タニノムーティエ
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1967年5月9日
死没 1991年2月9日
ムーティエ
タニノチエリ
生国 日本の旗 日本北海道静内町
生産者 カントリー牧場
馬主 谷水信夫
調教師 島崎宏京都
競走成績
生涯成績 18戦12勝
獲得賞金 1億666万5100円
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タニノムーティエとは日本競走馬である。

概要

東京優駿(日本ダービー)まで14戦を使うという2011年現在の中央競馬では考えられないローテーション二冠を達成した。3歳時(旧表記4歳)までに賞金獲得額1億円を記録した最初の馬でもある。同馬の宿命のライバルとして、「AT対決」と騒がれたアローエクスプレスが挙げられる。

主戦騎手安田伊佐夫。ただし2歳(旧3歳)時は宮本悳も騎乗しており、宮本騎乗でデイリー杯3歳ステークスを勝利している。

菊花賞喘鳴症で11着に敗れたため幻の三冠馬の一頭に数えられている。後方から豪快に追い込むレーススタイルが印象的で、このことから同馬のレーススタイルは俗にムーティエ街道と呼ばれた。半弟タニノチカラ天皇賞(秋)有馬記念)がいる。

戦績

1969年7月18日にデビューすると2歳時(旧3歳)だけで9戦を使われ7勝をあげた。デビュー4戦目のはまなす賞では大差勝ちを記録し、7戦目のオープン特別競走ではレコード勝ち、重賞デイリー杯3歳ステークス阪神3歳ステークスに勝利した。

3歳時(旧4歳)になるとまずきさらぎ賞弥生賞を連勝し、スプリングステークスではのちにライバルとなるアローエクスプレスと初対決となった。レースはアローエクスプレスが早めに先頭に立ちそのまま勝つかと思われたが、タニノムーティエが最後方から追い込みを決め、アローエクスプレスを4分の3馬身差し切って勝利した。2着と3着の差は6馬身も付いていた。皐月賞でも最後の直線でアローエクスプレスが先頭に並びかけたところを外から追い込み、アタマ差差しきり一冠目を獲得した。

次走のNHK杯では逆にアローエクスプレスが2馬身半差押し切っている。ダービーでもこの2頭の争いになると予想されたが、単勝1番人気に推されたアローエクスプレスは距離の壁に泣き5着に沈み、一方同2番人気のタニノムーティエはダテテンリュウとの叩き合いを制し二冠目も獲得した。この時点での通算成績は15戦12勝。ダービーまでの出走レース数は、同じカントリー牧場出身のタニノハローモア(18戦)に次ぐ多さで、勝利数は中央競馬の長いダービー史でも最多と言われている。

ダービーのあと、に備えるため滋賀県の谷水牧場に放牧に出された。しかしここで異変が起こる。タニノムーティエは喘息の一種である喘鳴症(喉なり)を発症してしまう。しかも症状はかなり重症のものであった。ただでさえ、喘鳴症は競走馬にとって致命的とも言われる病であり、当時は手術で能力回復を試みる技術もまだ存在していなかった。このときの原因は牧場に撒かれた石灰か、この年は雨の多い冷夏でこの雨による高湿で喉を痛めたせいだと言われている。ここまでの実績に鑑みると、このアクシデントがなければ古馬になってからも大活躍していただろうと言われている[1]

しかし、関係者はわずかな可能性に賭け朝日チャレンジカップに出走させた。だが、やはり喘鳴症を克服することはできず4秒7差の最下位に大敗した。次走の京都盃でも惨敗したため、菊花賞で引退させることが決定。菊花賞ではすでに喘鳴症であることが発表されていたにもかかわらず5番人気に推されていた。結果は11着に敗北してしまったが、それでも第4コーナー手前から直線入口までの間で見せ場を作った。宿命のライバル・アローエクスプレスは1番人気に推されたものの距離の壁は如何ともし難く、タニノムーティエより2つだけ上の9着に沈んでいる。

その後

引退後は種牡馬入りしたが、目立った産駒はハローキング(東海桜花賞名古屋大賞典)・タニノレオ(京都3歳ステークス、菊花賞5着)・タニノサイアス(京都3歳ステークス、紅梅賞桜花賞4着)程度で、ライバルで種牡馬として成功したアローエクスプレスには大きく水を開けられる結果になった。

晩年は故郷・カントリー牧場で余生を過ごしたが、1991年2月9日に老衰のため死亡。墓は同牧場の一角に建てられている。

なお、弟のタニノチカラは、故障による長期休養を立ち直り、数々の重賞に勝利するなど活躍して兄の無念を晴らし、この血統の優秀さを示した。

2000年日本中央競馬会が実施した「20世紀の名馬大投票」では56位に選出された。

血統表

タニノムーティエ血統(プリンスビオ系(プリンスローズ系) / Nogara5×5=6.25%) (血統表の出典)

*ムーティエ
Moutiers
1958 栗毛
父の父
Sicambre
1948 黒鹿毛
Prince Bio Prince Rose
Biologie
Sif Rialto
Suavita
父の母
Ballynash
1946 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Ballywellbroke Ballyferis
The Beggar

タニノチエリ
1963 栗毛
*ティエポロ
Tiepolo
1955 鹿毛
Blue Peter Fairway
Fancy Free
Trevisana Niccolo Dell'Arca
Tofanella
母の母
*シーマン
Seaman
1951 栗毛
Able Seaman Admiral's Walk
Charameuse
Vermah Vermeer
Marheke F-No.12-g


脚注

  1. ^ 同放牧地は何もない場所を切り崩して作った場所であり、設備もなければ管理する人材もいないため、厩舎関係者全体が連れて行くのを猛反対したが、馬主谷水信夫は「自分の馬だから自分で見る」と押し切って連れて行った

外部リンク