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2016年11月11日 (金) 00:02時点における版
あいかわ きんや 愛川 欽也 | |
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本名 | 井川 敏明(いがわ としあき) |
生年月日 | 1934年6月25日 |
没年月日 | 2015年4月15日(80歳没) |
出生地 |
日本・東京府東京市豊島区巣鴨 (現:東京都豊島区巣鴨) |
死没地 | 日本・東京都渋谷区 |
身長 | 168 cm |
血液型 | A型 |
職業 | 俳優・タレント |
ジャンル | 映画・テレビドラマ・バラエティ番組 |
活動期間 | 1954年 - 2015年 |
配偶者 | うつみ宮土理(1978年 - 2015年) |
著名な家族 |
井川晃一(長男) 佳村萠(長女) |
事務所 | 愛川企画室(最終所属) |
主な作品 | |
テレビドラマ 『西村京太郎トラベルミステリー』 『峠の群像』 『渡る世間は鬼ばかり』 映画 『トラック野郎』シリーズ アテレコ 『マッハGoGoGo』 『いなかっぺ大将』 バラエティー番組など 『11PM』 『なるほど!ザ・ワールド』 『出没!アド街ック天国』 |
愛川 欽也(あいかわ きんや、1934年(昭和9年)6月25日 - 2015年(平成27年)4月15日)は、日本の俳優・声優・タレント・司会者・ラジオパーソナリティ・エッセイスト。本名は井川 敏明[1](いがわ としあき)[2]。愛称はキンキン[3]。
東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)出身。俳優座、劇団三期会を経て、最終所属先は愛川企画室(個人事務所)。身長168cm、体重72.5kg。妻はタレントのうつみ宮土理[4]。「おまっとさんでした」の名ゼリフで著名。
生涯
生い立ち
巣鴨で生まれ育った後、中学時代に埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)へ転居。埼玉県立浦和高等学校に入学。高校在学中に演劇にのめり込み、俳優を志すようになる。浦和高校を中退後、1954年俳優座養成所(3期生)に入所[5]。最初の結婚で、1958年に長男(俳優の井川晃一)、1960年に長女(佳村萠)をもうけている。
声優活動
1962年より、アメリカのテレビドラマ『ルート66』で主役のマーティン・ミルナーの吹き替えを行い、同ドラマは人気番組となる。役柄の設定から、当時の業界では「班長」というあだ名をつけられ[6]、声優業にも意欲的に活動し、『いなかっぺ大将』でのニャンコ先生役などは広く知られている。
しかし、1996年、映画『ドラゴンボール 最強への道』にて、宮内幸平の後任として亀仙人役を演じ、声優として17年ぶりとなった。この際には、『いなかっぺ大将』における野沢雅子との師弟コンビ復活が半世紀ぶりに実現し大きな話題となった。
司会者としてのブレイク以降
1971年より深夜番組『パックインミュージック』でパーソナリティとなり、若者を中心に人気を得る。このときより、「キンキン」の愛称が一般に定着した。深夜番組『11PM』の司会を大橋巨泉とともに1974年から1986年3月まで長年にわたり務め、司会者としての人気を確固たるものにした。
1972年、松下電器産業(現:パナソニック)のラジカセ「MAC」のCMにDJ役で出演、彼が発した「あんた、松下さん?」のフレーズは流行語になった。
1975年、満艦飾の長距離トラック運転手を主人公とした映画を企画し持ち込む。これが東映のドル箱シリーズとなった『トラック野郎』。菅原文太と共演し、相棒・やもめのジョナサンこと松下金造役を演じ、空前の大ヒットとなり、1979年までに全10作が製作・公開された。
1976年、同じ昭和9年(1934年)生まれの長門裕之、坂上二郎、藤村俊二らと共に芸能人の親睦団体『昭和九年会』を結成。愛川は長門とともにその発起人となった。
うつみ宮土理との出会い、そして結婚
二人は、1972年10月から1974年6月までコンビDJをした『きんきんケロンパ歌謡曲』にて出会い、1975年に放送開始し、愛川の司会者としてのレギュラーの一つだった昼のバラエティ番組『シャボン玉こんにちは』でも共演し親交を深めた。
1978年には、前妻と離婚し、その翌日にうつみと再婚した。うつみとは生涯長くコンビを組んだ[7]が、二人の間に実の子供は最期まで儲けられなかった。
司会者としての更なる躍進
1981年に開始した『なるほど!ザ・ワールド』に司会に抜擢され、ここで愛川はまたも大ブレイクした。
その後1995年に『出没!アド街ック天国』が開始され、以来不定期に放送される『土曜ワイド劇場 西村京太郎トラベルミステリー』と同じ時間に見られるようになった(2012年1月放送の第57作まで)。土曜ワイドでは『横溝正史の吸血蛾』(1977年)にて名探偵金田一耕助を演じるが、愛川金田一はこの1作となっている。
2000年10月、愛川の下に集まった後輩の俳優たちと共に「劇団キンキン塾」を結成。2001年11月に旗揚げ公演を行い、以降年1回のペースで本公演を上演する。以降、劇団をベースに舞台公演・自主映画製作を行い、プロデュース・脚本・演出・音楽を全て自ら手がける[8]。
2009年6月、私財を投じて建設した小劇場「キンケロ・シアター」を東京都目黒区青葉台にオープンさせた。劇団キンキン塾の活動拠点となる他、自主製作の映画なども上映する。
2009年12月1日、全日本空輸がかつての塗装デザインであるモヒカン塗装を1機に復刻させて運航を開始した際に羽田空港での出発式にうつみと共に招かれた。
2012年3月6日、3月で放送終了する『パックインジャーナル』の後継番組を放送するために、愛川企画室の製作・管理によるウェブ放送局「kinkin.tv(キンキン・ドット・ティーヴィー)」を開局することを発表した[9]。
2014年、『出没!アド街ック天国』での司会が「世界最高齢の情報番組司会者」としてギネス世界記録に認定された。
アド街ック天国降板、そして、最期
- 2015年3月に入り、長年出演してきた『出没!アド街ック天国』の司会を、放送1000回目となる2015年3月7日放送分(2月4日に収録)を以て急遽降板した[10]。当該放送分では愛川は降板についてコメントしなかった[11]。
- その次の放送回(2015年3月14日放送分)では、峰竜太が司会を代行。薬丸裕英らが「愛川さんはどうしたのか?」と質問すると、サブMCの須黒清華テレビ東京アナウンサーが「放送1000回を機に、愛川さんはバカンス中です。」と説明した。その後、3月28日放送分の終盤部分にてVTRで登場し、自身の降板に関して正式なコメントを発した[12]。
- また、「kinkin.tv」での自身のレギュラー出演番組においても、「愛川欽也パックインラジオTV」を2015年1月で終了させ[13]、「愛川欽也パックインジャーナル」の出演も、2015年3月21日付の配信では出演していたが、3月28日付の配信で「風邪をひき、大事を取って」という理由で欠席、4月3日も欠席した。4月6日には[10]、「kinkin.tv」の放送全体を「大変心苦しく申し訳ない気持ちで一杯ですが、諸事情のため、継続することができません」と同日の放送をもって終了することを発表、完全閉鎖となった。
- アド街ック天国の突然の降板以降、愛川の体調不安説のゴシップ報道が流れ始めるが、2015年3月30日のフジテレビの番組『ノンストップ!』にて、妻のうつみがVTR出演した。そのVTR中で、うつみはその場で愛川に電話をかけ、お互い何も変わった素振りも見せずに日常の会話を交わし一連の報道を否定してみせた。後日4月17日放送にて、このVTR収録が3月27日に行われたとの説明があった[14]。
- 2015年4月15日午前5時11分、肺がんのため東京都内の自宅で死去。満80歳没(享年82)。4月17日に所属事務所から正式に発表された。2014年冬に体調の不安を訴え検査したところ肺がんであることが判明したが、本人の希望で自宅療養を行い、最後まで仕事復帰する可能性に懸け病状を伏せていたという[15][2]。
- なお死去した4月15日は、奇しくも愛川が長年司会を務めた『出没!アド街ック天国』が20年前(1995年)に放送を開始した日でもあった。4月18日放送分の『出没!アド街ック天国』のスタッフロールが流れた後、右手を上げて笑顔の愛川の静止画と共に、「前宣伝本部長 愛川欽也さん 4月15日永眠」、「心よりご冥福をお祈りいたします。20年間ありがとうございました。」と、テロップが表示された[16]。
- テレビ朝日では過去の愛川の追悼プログラムとして「三橋十津川・愛川カメさん」時代の土曜ワイド劇場版・西村京太郎トラベルミステリーシリーズを地上波で連続放映。また、同年7月からCS放送のテレ朝チャンネルで不定期・順不同で集中放映している。
- 愛川の死は芸能界に大きな衝撃を与え、スポーツ新聞各紙は彼の訃報を大きく伝えた他、読売新聞、産経新聞は1面コラムで彼の業績を讃えた。また『アド街』で共演した峰竜太[17]と薬丸裕英[18]や公私ともに親交の深かった美川憲一、和田アキ子[19]、松方弘樹[20]、神田うの[20]らが追悼のコメントを寄せた。
- 愛川の死を受け、TBSラジオは5月10日23時より特別番組を放送した[21]。
- 四十九日が過ぎた6月4日、グランドプリンスホテル新高輪にて「愛川欽也を偲ぶ会」が開催された。親交の深かった約700人が参列し、大橋巨泉が弔辞を述べた[22]。
- また、一般のファンに対しては6月6日と7日に「中目黒キンケロ・シアター」にて「愛川欽也の思い出展示会」が開催された。一般向けの献花台の設置や各種思い出の品々が展示された他、愛川の第1回目監督映画「さよならモロッコ」の上映が行われた。
- 同年7月15日、東京都内の納骨堂に納骨された[23]。
- 一方、愛川が主宰していた「劇団キンキン塾」は、2月末のアトリエ公演以降休眠状態になっていたが、10月に追悼公演を行った。2016年現在も活動を続けている。
- 10月10日放送の『なるほど!ザ・ワールド2015秋』のラストに、「愛川欽也さん 1981年から15年間 なるほど!ザ・ワールド 司会を務める」、「心よりご冥福をお祈りいたします」と、追悼映像が放送された。
人物
- 1983年、三波伸介の急死により『笑点』の新春特番の1コーナーで司会を務めそのまま正式に司会就任を要請されるが、「大勢の落語家さんを相手にとても司会なんかできない」と辞退し、5代目三遊亭圓楽が就任した。なお、この司会の時には手が震えていた、と、収録時に隣にいた桂歌丸が『笑点 大博覧会 DVD-BOX』内で話している。
- 同年には参議院選挙出馬中の水野晴郎の代役として、彼の復帰まで短い間だったが、『水曜ロードショー』の解説を担当。「ようこそ僕の映画の部屋へ」というフレーズを使っていた。また『刑事コロンボ』を放送する際には、コロンボのトレードマークであるトレンチコートを着用したが、あまり評判はよくなかった。
- 1996年まで放送されていた『なるほど!ザ・ワールド』にて、コンビを組んだ楠田枝里子との身長差をカバーするために、楠田が椅子に掛け愛川が立ったまま、というスタイルが編み出される。
- 過去に3つのレストランを経営。しかし、たこ焼きをアレンジした「アメリカンボール」など、時代を先取りしすぎたのか全て3か月で倒産(業界用語では「1クール倒産」。他に天丼屋「天欽」といった普通の店も出していた)しており、多額の債務を背負ったが現在は完済している。
- 『出没!アド街ック天国』での司会の経験からか、街づくりに対する愛川なりの想いがあり、『東京新聞』の「わが街わが友」と題する愛川の随筆では、画一的なニュータウンもよいが、街ごとの香りが感じられる街に愛着を抱く様子が書かれていた。また『出没!アド街ック天国』のスタッフには「街を作るのは、建物じゃなく人なんだ」と力説していたという[24]。
- 女優でタレントの榊原郁恵とはアイドル歌手時代から親交があり、1987年に俳優の渡辺徹との結婚式では仲人を務めた。
- タレントの神田うのとも親交があり、2007年10月8日の挙式にも夫婦で出席した。
- 『世界ビックリ大賞』で巨乳の女性が登場するコーナーの前振りとして「目の保養」という言葉を使用したことでも有名。
- 2007年4月に自身が主宰する『劇団キンキン塾』の所属女優との不倫報道が出たが、妻のうつみは「あんたカッコいいじゃん」と擁護した[25]。その所属女優は愛川の死去後キンキン塾を退団している。
- 過去、革新自由連合結成大会の企画委員会に参加。政治討論番組で公明党に批判的な意見を発したこともある。
- 自身が司会を務める番組『パックインジャーナル』においては、時に戦時中の学童疎開の話も引き合いに出しながら、リベラルな立場からの発言を続けている。
- 愛川が司会をしていた『リブ・ヤング!』に出演し、TVデビューを果たしたロックバンド・キャロルだが、そのメンバーだった矢沢永吉を、愛川が機転と配慮でベスト・リーゼントに選んだことが、その後、バンド内ではっきりと決められていなかったリーダー=矢沢という認識を強める事になり、何かと注目されるきっかけを作ったという可能性を、同じくメンバーだったジョニー大倉が、自身の著書で述べている。[26]
- 生前、愛川が創価学会の会員であるとの虚偽情報がインターネット上で流れた。愛川は2009年2月28日自身の公式ホームページで「僕は創価学会の会員ではありません。」と否定。さらに「僕はこのサイトの方へ訂正して削除をするように連絡します。学会もそうして下さい。削除されないと、(創価学会がサイトを)黙認しているのかと思ってしまいます。僕にとっても、学会にとっても困ることだと思います」とサイト製作者や創価学会に向けてコメントした[27]。
受賞
- 2000年度ナイス・カップル賞(夫妻で受賞)
- 2014年9月、「情報テレビ番組の最高齢の現役司会者」としてギネス世界記録に認定[28](『出没!アド街ック天国』番組内にて、ギネス公認委員立会の元で認定書贈呈)[29]
出演
テレビドラマ
- 白い牙 第13話「トランペットは子守唄がお好き」(1974年、日本テレビ)
- ちんどんどん(1975年、日本テレビ)
- フライパンの唄(1975年、TBS)
- 銀河テレビ小説 雨やどり(1975年、NHK)
- いごこち満点(1976年、TBS)
- 大河ドラマ(NHK)
- 俺たちゃ・なんだい!(1977年、TBS)
- 東京メグレ警視シリーズ(1978年、テレビ朝日) - 主演
- ドラマ人間模様「僕は12歳」(1979年、NHK)
- 連続テレビ小説(NHK)
- ご近所の星(1979年、フジテレビ)
- 見知らぬ恋人(1979年、テレビ朝日)
- NHK特集 いも男爵と蒸気自動車と(1979年、NHK)
- 気になる天使たち(1981年、フジテレビ)
- おやじの台所(1981年、テレビ朝日) - 徳大寺亮吉 役
- だから青春 泣き虫甲子園(1983年、NHK)
- セーラー服反逆同盟(1986年、日本テレビ) - 特別出演
- 金曜ロードショー 湯けむり行進曲 ぼたんとリボン(1986年、日本テレビ)
- 水曜グランドロマン 私の心はパパのもの(1988年11月30日、日本テレビ) - 小沼陽平 役
- 街 男と女のミステリー(1989年 - 1991年、フジテレビ) - 牛尾正直 役
- ル・マンへ熱き涙を(1992年、テレビ朝日) - 安西亮一 役
- 金曜ドラマシアター 事件(1992年、フジテレビ)
- 月曜ドラマスペシャル一色京太郎事件ノート(1995年 - 1998年、TBS) - 村越誠治 役
- はみだし刑事情熱系(1996年・1997年、テレビ朝日) - 徳丸謙二郎警視正 役
- 寺子屋ゆめ指南(1997年、NHK)
- 渡る世間は鬼ばかり(1998年・2000年・2002年・2004年・2006年・2008年、TBS) - 神林清明 役
- 空への手紙(1999年、TBS) - 波田野海人 役
- 愛をください(2000年、フジテレビ)
- 女優・杏子(2001年、フジテレビ)
- 平岩弓枝のお美也(2002年、NHK)
- 新・愛の嵐(2002年、東海テレビ / 泉放送制作) - 山海和尚 役
- 女と愛とミステリー(テレビ東京)
- 夏樹静子サスペンス「死刑台のロープウェイ」(2001年7月) - 吉富静男 役
- 修善寺温泉殺人事件(2002年、テレビ東京) - 夏目邦雄 役
- 窓際信金マンの事件簿(2002年1月、テレビ東京) - 大西広三 役
- 窓際信金マンの事件簿2(2004年6月、テレビ東京) - 大西広三 役
- 人情刑事・宮本清四郎(2005年3月) - 宮本清四郎 役
- 月曜ミステリー劇場(TBS) - 楠銀平 役
- 税理士楠銀平の事件帳簿 消えた遺言書(2003年3月3日)
- 税理士楠銀平の事件帳簿2・領収書は語る(2004年11月15日)
- 昨日の友は今日の敵?(2004年、NHK)
- 水曜ミステリー9
- ハマの子宝先生 24時殺意の産声(2006年7月12日、テレビ東京)
- 西村京太郎サスペンス・トラベルライター 榊祐子の殺人紀行(2008年1月30日、テレビ東京) - 榊隆則役
- 家族善哉(2006年 - 2007年、TBS系)
- 土曜ワイド劇場(テレビ朝日)
映画
- 縞の背広の親分衆(1961年、東京映画)
- トラック野郎シリーズ(1975年-1979年、東映) - やもめのジョナサン(松下金造) 役
- トラック野郎・御意見無用(1975年)
- トラック野郎・爆走一番星(1975年)
- トラック野郎・望郷一番星(1976年)
- トラック野郎・天下御免(1976年)
- トラック野郎・度胸一番星(1977年)
- トラック野郎・男一匹桃次郎(1977年)
- トラック野郎・突撃一番星(1978年)
- トラック野郎・一番星北へ帰る(1978年)
- トラック野郎・熱風5000キロ(1979年)
- トラック野郎・故郷特急便(1979年)
- キンキンのルンペン大将(1976年、東映)
- 春男の翔んだ空(1977年) - 白石先生 役
- 伊能忠敬 子午線の夢 - 善右衛門 役
- 喜劇役者たち 九八とゲイブル(1978年、松竹) - 芸利九八 役
- 二百三高地(1980年) - 卯吉 役
- 北斎漫画(1981年) - 歌麿 役
- 私の心はパパのもの(1992年6月13日公開、監督:大林宣彦) - 小沼陽平 役
- いつかA列車に乗って(2003年) - 志賀 役
- この胸いっぱいの愛を(2005年) - 青木保 役
テレビアニメ
- 宇宙エース(1965年、フジテレビ) - ヤドカリ記者 役
- とびだせ!バッチリ(1967年、日本テレビ) - チビス警部、ロバ 役
- 悟空の大冒険(1967年、フジテレビ) - 沙悟浄 役
- ドンキッコ(1967年、フジテレビ) - ゴンベイ 役
- 冒険少年シャダー(1967年、日本テレビ) - キャッ太 役
- マッハGoGoGo(1967年、フジテレビ) - 覆面レーサー 役
- 妖怪人間ベム(1968年、フジテレビ) - カール 役
- ハクション大魔王(1969年、フジテレビ) - 石川二ヱ門半、それからおじさん 役
- アタックNo.1(1970年、フジテレビ) - 浜紀中コーチ 梶岡 役 ※初代
- いなかっぺ大将(1970年、フジテレビ) - ニャンコ先生 役
- 新オバケのQ太郎(1971年、日本テレビ) - ヒョーロク 役
- バンパイヤン・キッズ(2001年、フジテレビ) - ナンチアーテ伯爵 役
劇場アニメ
- ピノキオの宇宙大冒険(1968年、ユニバーサル・東映) - キツネ 役
- 長靴をはいた猫(1969年、東映) - 殺し屋猫のボス 役
- くるみ割り人形(1979年、サンリオ) - 死刑執行人 役 ※人形アニメーション
- ドラゴンボール 最強への道(1996年、東映) - 亀仙人 役
ゲーム
- ヘビーメタルサンダー(2005年) - フルーツ100 役
吹き替え
俳優
- ジャック・レモン
- ミスタア・ロバーツ
- 夜の乗合自動車
- お熱いのがお好き(テレビ朝日版=ソフト収録)
- おかしな夫婦
- 南太平洋ボロ船作戦
- アパートの鍵貸します(日本テレビ版=HDリマスター版DVD収録)
- ちょっとご主人貸して
- ヤムヤムガール
- あなただけ今晩は
- グレートレース
- カウボーイ(フジテレビ版)
- 女房の殺し方教えます
- お熱い夜をあなたに
- フロントページ
- オーディ・マーフィ
洋画
- 雨に唄えば(ジーン・ケリー)
- 魅惑の巴里(ジーン・ケリー)
- 博士の異常な愛情(1971年8月8日、テレビ朝日〈デラックスエディションBlu-ray収録〉)(ピーター・セラーズ)
- ラジオ・デイズ(1994年3月26日、NHK総合)(ウッディ・アレン)
- 偽将軍(レッド・バトンズ)
- 気球船探検(レッド・バトンズ)
- アロウヘッド(ブライアン・キース)
- 北西戦線(ケネス・モア)
- 三十九階段(ケネス・モア)
- 四時の悪魔(フランク・シナトラ)
- 脱走大作戦(ポール・ニューマン)
- 見知らぬ乗客(ファーリー・グレンジャー)
- 道(リチャード・ベイスハート)
- 禁断の惑星(アール・ホリマン)
- 検察官閣下(ダニー・ケイ)
- パピヨン(ダスティン・ホフマン)
- まぼろしの市街戦(ジュリアン・ギオマール / デイジー司教)
- 遊星よりの物体X(ボブ)
海外ドラマ
- シカゴ・ホープ(ヘクター・エリゾンド/フィリップ・ワッターズ医師)
- 奥さまは魔女(オービス 他)
- OK捕虜収容所
- かわいい魔女ジニー(ビル・デイリー/ロジャー少佐)
- プリズナーNo.6 (#17 No.48/アレクシス・カナー)
- 幽霊探偵ポップカーク
- ラット・パトロール(ジャスティン・ター/ペティグルー二等兵)
- ルート66(マーティン・ミルナー/トッド・スタイルズ)
- バークにまかせろ(レオン・ロントック/運転手ヘンリー)
- おかしなおかしな女の子(ピーター・カストナー/ティモシー・ティミー・ブレア)
- スパイ大作戦(ガソリンスタンドの青年 他)
- 海底大戦争 スティングレイ (#1ジョン・フィッシャー少尉)
- 0011ナポレオン・ソロ(#17パンジーニ/パット・ハリントン・ジュニア、#44アーティ・キング/ドン・フランクス、#48ゾンマー博士、#56ピフニック/レオニード・キンスキー)
- 逃亡者 (1963年のテレビドラマ) #32(グール君/ロバート・ドライヴァス), #50(ダン/マーク・ゴダード)
- FBIアメリカ連邦警察 #29(フランク・コリンズ/ドン・クワイン),#41(ドッド/ジョージ・ブレンリン),#48(ジョージ・アーマー/ルディ・ソラーリ),#59(ウェイン・リム/ウェイン・ロジャース)
- ローハイド(1964) #147「盗まれた権利書」(エルウッド・ギルロイ/ディック・ヨーク)
海外アニメ
- スーパースリー - マイト 役 ※主題歌も担当
- リッピーとハーディー - ハーディー 役
- 宇宙わんぱく隊 - わんぱく隊隊長 役
人形劇
- ひょっこりひょうたん島(1964年10月 - 1969年3月) - ハガキ 役
- ダットくん(1967年4月 - 1969年9月) - コダマ 役
- とんちんこぼうず(1969年10月 - 1971年3月) - 親ねこ 役
- ネコジャラ市の11人(1970年4月 - 1973年3月) - アップル〈初代〉 役
インターネットテレビ
- 愛川欽也のパックインニュース(2012年4月7日~2013年3月30日 、kinkin.tv)
- 愛川欽也のパックインラジオ(2012年4月 - 、kinkin.tv)
ニュース
- 愛川欽也 パックインジャーナル(パックインJ)(1999年 - 2012年 、朝日ニュースター)
- ニッポン大予想(1987年 - 1993年、テレビ朝日)
ワイドショー
ラジオ
- パックインミュージック(TBSラジオ)
- キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲(TBSラジオ)
- ラジオ劇画 愛川欽也の立川文庫(ニッポン放送)
- 欽欽之欽欽学学教室(ニッポン放送)
- 電リク75(文化放送)
- キンキンのサタデー歌謡ベストテン(文化放送)
- MAZDA トークタウンTODAY(文化放送)
- 一発逆転大放送! サンデーSUPERキンキン(1994年4月17日 - 1996年3月24日、文化放送)
- ラジオ深夜便(2005年3月20日放送『NHK80周年・深夜便15周年記念スペシャル ビッグ・パーソナリティー 深夜の開放者たち』パネリスト)
- キンキンのサタデー・ラジオ(2005年10月 - 2006年3月、文化放送)
- キンキンのサンデー・ラジオ(2006年4月9日 - 2009年2月15日、文化放送)
- 小西康陽 これからの人生(2011年12月21日、NHK-FM)
バラエティ
- おはよう!こどもショー(1965年-日本テレビ系) - ロバくん(番組マスコット)役(声&スーツアクター、主題歌の歌唱にも参加)
- リブ・ヤング!(1972年4月 - 1975年3月、フジテレビ) - 司会
- ブリヂストンアワー クイズオンクイズ!!(1973年4月 - 1974年3月28日、日本テレビ系)
- シャボン玉こんにちは(TBS系)
- 人生ゲームハイ&ロー(1979年 - 1982年、TBS系)
- なるほど!ザ・ワールド(1981年 - 1996年3月、フジテレビ系)
- 変装グランプリ(1982年、1983年、1989年、日本テレビ系) - 司会担当
- おもしろ博士クイズ(1982年10月 - 1983年6月、日本テレビ系)
- 笑点(1983年、日本テレビ系) - 新春特番にて三波伸介急逝に伴う暫定司会者
- ザ・ヒットステージ(1983年 - 1984年、TBS系)
- クイズ!!ラブラブジャンプ(1984年1月 - 3月、日本テレビ系)
- 愛川欽也の探検レストラン → Eat9(1984年10月 - 1988年9月、テレビ朝日)
- キンキンの歌え!新婚カンコン(1985年10月 - 1986年3月、MBS)
- FNS番組対抗名珍場面傑作NG大賞(1986年 - 1988年、フジテレビ系)
- FNS番組対抗NG名珍場面大賞(1989年 - 1999年、フジテレビ系)
- 木曜スペシャル・世界ビックリ大賞(日本テレビ系)
- クイズ日本昔がおもしろい(1988年、TBS系)
- 愛川欽也の不思議ミステリーツアー(1989年4月 - 1990年9月、テレビ東京系 / IVSテレビ制作) - 司会
- 花嫁するの本当ですか(1989年10月 - 1990年3月、テレビ東京系)
- 今夜は好奇心!(1990年4月 - 1994年9月、フジテレビ系) - 笠井信輔アナと。
- 爆裂!異種格闘技TV(1994年、TBS系)
- キンキンのとことん好奇心(1995年4月 - 1996年3月、テレビ朝日系)
- 出没!アド街ック天国(1995年4月 - 2015年3月、テレビ東京系)
- ものまね王座決定戦(1997年 - 1998年、フジテレビ系) - 司会担当
- キンキンのコーヒーブレイク(2008年4月 - 不明、ファミリー劇場)
歌番組
- ベスト30歌謡曲(NETテレビ系)
- きんきんケロンパ歌謡曲(東京12チャンネル)
- きんレモ歌謡曲まいったタヌキの大放送(東京12チャンネル)
- きんきんギラギラ大放送(東京12チャンネル)
- 歌う新人王決定戦(TBS系)
- 俺たちゃ・なんだい!(TBS系)
- 日本有線大賞(TBS系)
- にっぽん名曲の街BEST30(テレビ東京)
CM
- 松下電器産業(現:パナソニック)・MAC (1972年、愛川が発した「あんた松下さん?」が流行語になった)
- キンケイ食品(現:西洋フード・コンパスグループ)
- ミノルタ(現:コニカミノルタ)・SR-Tスーパー(1973年、研ナオコと共演し、愛川が発した「美人しか撮らない」が流行語になった)
- プロミス
- メリタ
- ポピー(1975年、ジャンボマシンダー『勇者ライディーン』で、父親世代向けのCMが話題に。「アカガマキンニコ」なる謳い文句が有名)
- 松田食品(現:おやつカンパニー)・ベビースターカップラーメン(1979年)
- ミツカン(土佐酢)
- 創健社(べに花一番)
- 大正製薬(パブロン<顆粒> 1979年10月-1980年)
- 小林製薬(ハッキリ、ハッキリグリーン)
- ライオン(ママクリスタ)
- 埼玉新聞(2009年12月)
- 積善社・飛鳥(鹿児島県鹿児島市の葬儀会社)・鹿児島県限定の地方CM(2009年)
監督作品
全作、製作・脚本・音楽・監督・主演兼任
テレビドラマ
- 港古志郎警視シリーズ
映画
- さよならモロッコ(1974年) - 岡田正夫 役
- 黄昏れて初恋(2007年) ※主演女優:任漢香(以降すべて)
- いつも二人(2008年)
- 昭和の紅い灯(2010年)
- 黒駒勝蔵(2012年)
- 荷風はこんな男じゃない(2013年)
- 沓掛時次郎(2014年)
- 満洲の紅い陽(2015年) ※遺作
書籍
- じんじろげの詩(1972年、立風書房)
- 太陽のエトランゼ(1974年、立風書房)
- 泳ぎたくない川(2004年、文藝春秋)ISBN 4-16-323040-8
- 黄昏れて初恋(2006年、あ・うん)ISBN 4-901318-49-7
音楽
シングル
- 村はずれ(1973年、コロムビア)
- マンマンマーチ(1978年3月20日 東芝EMI) - うつみ宮土理とのデュエット。いろいろな正義の味方(○○マン)が現れるという内容。曲の出だしはベートーヴェンの「交響曲第5番・運命」であり、現在でもバラエティ番組の効果音として使われている。
- さよならモロッコ(1974年、東宝レコード。自主製作映画の作曲、台詞)
- まいったタヌキ(1974年、ミノルフォンレコード)
- 泣く泣くかぐや姫(1975年、CBSソニー)
- 一番星ブルース(1975年、東芝EMI) - 東映映画『トラック野郎』シリーズ主題歌。菅原文太とのデュエット。
- キンキンの夢は夜ひらく(1976年、東芝EMI)
- ジョナサン音頭(1976年、東芝EMI) - 東映映画『トラック野郎』シリーズ挿入歌。愛川のソロ。
- トラック音頭(1976年、東芝EMI) - 東映映画『トラック野郎・望郷一番星』挿入歌。菅原文太とのデュエット。
アルバム
作詞のみ
出典
- ^ “愛川欽也 とは - コトバンク”. 2012年3月3日閲覧。
- ^ a b “【愛川さん死去 事務所発表全文】肺がん判明も入院せず在宅治療”. スポニチ Sponichi Annex. (2015年4月17日) 2016年11月10日閲覧。
- ^ “タレントの愛川欽也さん死去”. NHK「かぶん」ブログ. 日本放送協会 (2015年4月17日). 2015年5月10日閲覧。
- ^ “俳優・タレントの愛川欽也氏が死去 「アド街」司会者”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2015年4月17日) 2015年5月10日閲覧。
- ^ “愛川欽也さん肺がんで死去 亡くなる直前まで「仕事に行こう」”. ORICON STYLE (オリコン). (2015年4月17日) 2015年5月10日閲覧。
- ^ 仲間で集った際に場を取り仕切りたがる性格のためについたあだ名、という説もある(山藤章二他『軟派にっぽんの100人』 集英社文庫、1981年 pp.286-289 小沢昭一「愛川欽也」)。
- ^ “愛川欽也さん肺がんで死去 亡くなる直前まで「仕事に行こう」”. ORICON STYLE (オリコン). (2015年4月17日) 2015年5月10日閲覧。
- ^ http://kinkinjuku.sakura.ne.jp/index.php?option=com_content&view=article&id=662:2016-05-04-01-10-37&catid=36:newscategori1&Itemid=27
- ^ 愛川欽也がインターネット放送局開局へ - 芸能ニュース : nikkansports.com
- ^ a b “愛川欽也、映画制作に意欲 “長期療養”報道に妻うつみが現状説明”. ORICON STYLE (オリコン). (2015年4月8日) 2015年5月10日閲覧。
- ^ キンキンの「アド街」守る! デイリースポーツ 2015年5月3日閲覧
- ^ 愛川欽也「アド街」降板に初言及 自ら退任報告 明るくお別れ スポニチannex 2015年5月3日閲覧
- ^ kinkin.tvHP内残存ページ・2014年6月-2015年1月までの番組表 2015年5月3日閲覧
- ^ “ノンストップ!|2015/04/17(金)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年5月10日閲覧。
- ^ 愛川欽也さん死去:息を引き取る直前まで「仕事に行こう」と…所属事務所コメント全文,毎日新聞,2015年4月17日
- ^ “『アド街』愛川欽也さんを追悼 テロップで感謝”. ORICON STYLE (オリコン). (2015年4月18日) 2015年5月10日閲覧。
- ^ “愛川欽也死去、峰竜太が涙ながらにラジオ出演 「兄貴みたいな存在」「愛川さんだけは甘えられた」”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2015年4月17日) 2015年5月10日閲覧。
- ^ “愛川さん死去…薬丸裕英「心の整理つかない」 『アド街』須黒清華アナ「涙止まりません」”. ORICON STYLE (2015年4月17日). 2016年11月10日閲覧。
- ^ “アッコ 愛川さんと靴の思い出語る”. デイリースポーツ online (デイリースポーツ). (2015年4月19日) 2015年5月10日閲覧。
- ^ a b “【愛川欽也さん急死】松方弘樹、神田うのなど芸能人からお悔やみコメント続々”. デイリーニュースオンライン (DMM.com). (2015年4月17日) 2015年5月10日閲覧。
- ^ “愛川さん監督映画が公開 テレビでは追悼番組放送”. スポニチ Sponichi Annex. (2015年4月17日) 2016年11月10日閲覧。
- ^ 「夕刊フジ」2015年6月5日分記事より
- ^ “うつみ宮土理 自責の涙…傷心支えてくれた義妹が交通事故死”. 女性自身 (2015年8月18日). 2016年11月10日閲覧。
- ^ テレビ東京『アド街』、愛川さん追悼 「街を作るのは、建物じゃなく人なんだ」を胸に ORICON STYLE 2015年4月17日閲覧
- ^ 「愛川欽也の10年来の愛人」女優の父 2人の関係を告白 NEWSポストセブン 2015年5月14日
- ^ ジョニー大倉著「キャロル 夜明け前」P149-150,155-156 青志社 ISBNコード:9784903853765
- ^ “愛川欽也が「僕は創価学会の会員ではありません」と異例の公式コメント”. ガジェット通信. (2009年3月1日) 2016年11月10日閲覧。
- ^ “「アド街」愛川欽也、情報番組の最高齢司会者ギネス認定「感無量」”. スポニチ Sponichi Annex. (2014年9月26日) 2016年11月10日閲覧。
- ^ “出没!アド街ック天国|2014/09/27(土)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年5月10日閲覧。