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「伊勢中川駅」の版間の差分

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2020年2月14日 (金) 23:05時点における版

伊勢中川駅*
西口
いせ なかがわ
Ise-Nakagawa
地図
所在地 三重県松阪市嬉野中川新町一丁目93
北緯34度38分6.08秒 東経136度28分40.39秒 / 北緯34.6350222度 東経136.4778861度 / 34.6350222; 136.4778861座標: 北緯34度38分6.08秒 東経136度28分40.39秒 / 北緯34.6350222度 東経136.4778861度 / 34.6350222; 136.4778861
所属事業者 近畿日本鉄道(近鉄)
電報略号 ナカ
駅構造 地上駅
ホーム 5面6線
乗車人員
-統計年度-
4,136人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日 1930年昭和5年)5月18日
乗入路線 3 路線
所属路線 D 大阪線
駅番号  D61 
キロ程 108.9 km(大阪上本町起点)
D60 川合高岡 (4.5 km)
所属路線 E 名古屋線
駅番号  E61 
キロ程 78.8 km(**近鉄名古屋起点)
E43 桃園 (3.3 km)
所属路線 M 山田線
駅番号  M61 
キロ程 0.0 km(伊勢中川起点)
(3.0 km) 伊勢中原 M62
備考 各線直通運転実施
* 1941年に参急中川駅から改称。
** 正式な起点は当駅。
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4・5番線ホーム南端からみた構内 (右端が1番線)
4・5番線ホーム南端からみた構内
(右端が1番線)
大阪、名古屋方面の構内配線 (右が名古屋線) その奥に中川短絡線がある。
大阪、名古屋方面の構内配線
(右が名古屋線)
その奥に中川短絡線がある。
伊勢方面の構内配線
伊勢方面の構内配線
ホームの移動は階段のほか、車内を通って移動することも可能
ホームの移動は階段のほか、車内を通って移動することも可能

伊勢中川駅(いせなかがわえき)は、三重県松阪市嬉野中川新町一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)の。駅番号は、大阪線が「D61」、名古屋線が「E61」、山田線が「M61」。

概要

当駅は、大阪線、名古屋線、山田線の重要な接続点となっている。大阪線は当駅が終点、名古屋線・山田線は当駅が起点である。ただし名古屋線については列車運行上は近鉄名古屋駅を起点としている。

以前は、単に「中川駅」とアナウンスされていたことがあり、車両の方向幕も「中川」表記とされている場合がある。

駅長が置かれ、大阪線の東青山駅から当駅間と、山田線の当駅から東松阪駅間を管理している[1]

歴史

  • 1930年昭和5年)
  • 1938年(昭和13年)12月6日 - 津線を1067mm軌間に改軌[2]
  • 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道が発足[2]。駅名を伊勢中川駅に改称[3]。同時に線路名称が整理され参急本線は当駅を境に名張方面は大阪線、宇治山田方面は山田線となり、津線は旧伊勢電気鉄道線である名古屋伊勢本線の一部と統合して名古屋線となる[4]
  • 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併、近畿日本鉄道の駅となる[2]
  • 1959年(昭和34年)11月27日 - 名古屋線を標準軌(近鉄では広軌)に改軌[2]。大阪線・山田線と直通可能となるように配線を変更。
  • 1961年(昭和36年)3月29日 - 中川短絡線が開通し、伊勢中川駅を経由せずに大阪線と名古屋線を結ぶ特急が運転を開始[2]
  • 1972年(昭和47年)9月18日 - 構内地下道・乗降場増設工事竣工。
  • 2001年平成13年)2月1日 - SF(ストアードフェア)システムの導入および大阪地区における「スルッとKANSAI」対応カードの取り扱い開始に伴い、当駅における「途中下車指定駅」の制度が廃止される。
  • 2004年(平成16年)1月10日 - 地下駅舎化・自動改札機設置。
  • 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始[5]
  • 2012年(平成24年)1月21日 - 新中川短絡線の供用開始。

駅構造

5面6線のホームを持つ地上駅改札口・コンコースは地下に、ホームは地上にある。改札口は1ヶ所。駅の下を東西に走る地下道があり(歩行者通行専用)、そこに改札口が設けられる。東西両口から地下道へ降りる際には、エスカレータエレベーターとスロープも設置されており、地下改札内と各ホームの間には階段とエレベーターがある。

のりば

東側から以下のようにホームが並んでいる。線路は1番線から6番線まである。

  • 1・2番線ホーム(島式、2番線は普通列車の降車限定)
  • 2・3番線ホーム(島式)
  • 3・4番線ホーム(島式)
  • 4・5番線ホーム(島式)
  • 6番線ホーム(単式)

以上のように、1 - 5番線間には全てホームがあり、2 - 4番線は両側をホームで挟まれる構造になっている。これは、かつて名古屋線が狭軌であった当時に名古屋線・大阪線間の乗り継ぎをスムーズにするための所産であるが、現在も両側の扉を開いて複数の乗り換えに対応させたり、停車中の列車を通り抜けてホーム間を平面移動できる。

3・4番線の列車は両扉扱いを実施。名古屋線・大阪線間の特急・急行での乗り継ぎの大多数は同一ホーム上で可能である。2番線については普通列車発着時のみ1番線側から降車できる。なお、唯一単式ホームとなっている6番線は早朝・深夜帯を除く大阪線の普通列車が主として発着する。

ホームの使用状況
のりば 路線 行先 備考
1 M 山田線 M 宇治山田鳥羽賢島方面 普通のみ
E 名古屋線 E 四日市名古屋方面 夜の一部の普通のみ
2・3 M 山田線 M 宇治山田・鳥羽・賢島方面  
E 名古屋線 E 津・四日市・名古屋方面 朝の一部の列車のみ
D 大阪線 A 大阪神戸奈良方面 B 京都方面 当駅始発の急行・一部の普通
4・5 E 名古屋線 E 津・四日市・名古屋方面  
D 大阪線 A 大阪・神戸・奈良方面 B 京都方面  
6 D 大阪線 D 東青山名張方面 普通のみ

実用上では上記の取り扱いとしているが、大阪方面からは1・2・3・6番線(本線扱いは3番線)、名古屋方面からは1・2・3番線(本線扱いは2番線)、賢島方面からは4・5・6番線(本線扱いは5番線)へ入線可能。大阪・名古屋方面へは1 - 6番線全てから、賢島方面へは1 - 3番線から発車可能となっている。

配線図

近畿日本鉄道 伊勢中川駅 構内配線略図
名古屋線
四日市名古屋方面

中川短絡線
近畿日本鉄道 伊勢中川駅 構内配線略図
山田線
宇治山田鳥羽
賢島方面
大阪線
上本町難波京都方面
凡例
出典:[6]、および、[7]
1・2番ホームの2番のりば(白線クロスハッチ部分)は普通列車の降車専用


中川短絡線

宮古分岐と中川短絡線(大阪側より)

駅構内に、名古屋線・大阪線間を短絡する中川短絡線がある。この短絡線は伊勢中川駅の一部であって、信号場ではない。ただし、大阪線側の分岐点は宮古分岐、名古屋線側の分岐点は黒田分岐の名称がある。

短絡線を経由する列車はプラットホームを通らないが、伊勢中川駅構内を通過しているので、運賃・料金は単純に伊勢中川駅で折り返したとみなして計算する。

設置の経緯

この短絡線は、名阪特急の伊勢中川駅でスイッチバックするため、運転停車(ドア開閉省略)の不便を避け、途中無停車で名阪特急の運転を可能とする為に敷設された。名古屋線の改軌工事に関連し、当初は久居駅付近から川合高岡駅付近に4.7kmの新路線建設を計画、1959年2月に免許を得た。だが、用地買収の困難さや雲出川架橋などの出費を考慮して、結果伊勢中川駅の東側付近に延長420m、半径160mの曲線状の単線を敷設することに決定した(新路線計画は1963年1月に起業廃止)[8]

1961年3月29日に使用を開始[8]。当初は名阪甲特急(いわゆるノンストップ特急)のみが短絡線を利用し、名阪乙特急(沿線主要駅停車の特急)は従来どおり伊勢中川駅でスイッチバックを行っていたが、1963年3月21日から乙特急も短絡線を使用するようになった[9]。このため、同日をもって特急車の編成の向きは大阪線基準から名古屋線基準へと変更された(1961年3月29日より1963年3月21日までは名阪甲特急の編成の向きが名古屋線内で逆転していた)。この他にも、団体用車両の編成の向きを定位に戻す際や、奈良線系統用の一般車両を大阪線や名古屋線に配置転換する際に、パンタグラフの向きの関係で方向転換する目的で、短絡線のデルタ線を利用している場合がある。

急カーブを徐行することから、短絡効果はあまり高くないが、乗客が伊勢中川駅で方向転換をするため、座席の向きを反転させる手間を解消させるという、サービス面での効果が得られた。

1961年に完成した短絡線には、雲出川の支流である中村川を跨ぐコンクリート橋梁の部分があるが、この構造は中村川の治水に不十分であった。そのため国土交通省の補助を受けて橋梁の架け替え工事を2002年から行い、2012年1月21日に完成して供用を開始した。これにより橋梁部分の改良のみならず、短絡線の曲線半径が半径160mから半径200mへと大きくなった[10]

運用形態

近鉄の特急車の「向き」は、前述の通り、1963年3月21日以降は中川短絡線を通る名阪特急を基準にしている。そのため、大阪線と名古屋線を直通する特急車は必ず中川短絡線を経由し、伊勢中川駅ではスイッチバックしない。この関係上、伊勢中川 - 賢島間では大阪線系統と名古屋線系統の特急は編成の向きが異なり[11]、原則として名伊特急が折り返し阪伊・京伊特急になる、あるいは阪伊・京伊特急が折り返し名伊特急になる運用はない(例外的に1980年代の一時期のみ深夜に京伊→名伊乙特急、その折返しに早朝名伊乙→京伊特急での運用があった[12]が、この場合は名古屋線内での編成の向きが異なっていた)。

2018年3月16日まで大阪線から名古屋線に直通する料金不要列車として1本のみ存在した名張発近鉄名古屋行き急行は、直通に際してこの短絡線を使用せず[13]、当駅に停車してスイッチバックを行ったのち、名古屋線に入線していた。

駅設備面の特徴

  • PiTaPaICOCA対応の自動改札機および自動精算機回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。
  • 窓口および専用の自動券売機で特急券及び定期券の購入が可能で[14]、4・5番線ホームには売店が設置されている[14]
  • 2004年に完成した駅改良工事前は6番線ホームの大阪・名古屋寄りに駅舎があった。また6番線ホームは以前は宇治山田寄りに伸びていたが、駅改良工事と同時に短縮された。

停車列車

  • 甲特急や名阪特急観光特急「しまかぜ」を除いた全定期旅客列車が停車する[15][16]
  • 特急列車と快速急行の全列車および日中の急行は全て松阪駅以南に直通し[15][16]、早朝・夜間に各1本の名古屋線白塚駅 - 志摩線賢島駅直通の普通列車、平日朝に1本の山田線宇治山田駅始発白塚行き普通列車、早朝に1本の明星駅始発大阪線名張行き普通列車を除いて、普通列車の大多数が当駅で系統分割されている[15][16]
  • 松阪方面からの名古屋線急行は、当駅から江戸橋駅まで各駅に停車する[16]
  • 大阪線、名古屋線、山田線からの折り返し列車が多数設定されており、各系統の折り返し拠点となっている。
    • 名古屋方面へは、朝と夕方以降に当駅折り返しの急行および普通列車が設定されている[16]
    • 賢島方面へは終日、当駅折り返しの賢島駅発着の普通列車が、朝・夕方の一部に当駅 - 宇治山田駅・鳥羽駅間の普通列車が設定されている[16]
    • 大阪方面へは名張駅・青山町駅東青山駅から当駅折り返しの普通列車が終日毎時2本、朝と夕方以降に当駅折り返しの大阪方面行き急行が設定されている[15]
  • 当駅で特急待避を行うのは大半が普通列車であるが、急行の特急待避もわずかながら存在する[16]。他に当駅で車両の増結・解放を行う列車や、一旦当駅止まりとなって到着した列車が種別・行先変更を行って継続運転する列車もある。

当駅乗降人員

近年の1日乗降人員を以下に示す[17]

  • 2018年11月13日:7,264人
  • 2015年11月10日:7,229人
  • 2012年11月13日:6,876人
  • 2010年11月9日:7,058人
  • 2008年11月18日:7,323人
  • 2005年11月8日:6,843人

利用状況

「三重県統計書」によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通り。この数字には各線の乗り換え客は含まれていない。

年度 1日平均
乗車人員
1997年 3,420
1998年 3,292
1999年 3,274
2000年 3,298
2001年 3,291
2002年 3,307
2003年 3,293
2004年 3,370
2005年 3,529
2006年 3,660
2007年 3,784
2008年 3,803
2009年 3,715
2010年 3,696
2011年 3,695
2012年 3,708
2013年 3,855
2014年 3,821
2015年 3,959
2016年 4,071
2017年 4,136
  • 伊勢中川駅の利用状況の変遷を下表に示す。
    • 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
    • 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
    • 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(伊勢中川駅)
年 度 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 乗降人員調査結果
人/日
特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定期外 合 計 調査日 調査結果
1950年(昭和25年) 241,170 ←←←← 222,164 463,334      
1951年(昭和26年) 275,520 ←←←← 238,551 514,071      
1952年(昭和27年) 306,000 ←←←← 236,579 542,579      
1953年(昭和28年) 275,010 ←←←← 263,190 538,200      
1954年(昭和29年) 298,680 ←←←← 282,628 581,308      
1955年(昭和30年) 300,300 ←←←← 280,926 581,226      
1956年(昭和31年) 317,940 ←←←← 294,056 611,996      
1957年(昭和32年) 351,180 ←←←← 263,657 614,837      
1958年(昭和33年) 352,560 ←←←← 314,402 666,962      
1959年(昭和34年) 381,660 ←←←← 310,240 691,900      
1960年(昭和35年) 439,650 ←←←← 299,657 739,307      
1961年(昭和36年) 518,580 ←←←← 295,622 814,202      
1962年(昭和37年) 582,030 ←←←← 306,001 888,031      
1963年(昭和38年) 620,280 ←←←← 298,585 918,865      
1964年(昭和39年) 702,510 ←←←← 302,213 1,004,723      
1965年(昭和40年) 733,290 ←←←← 306,760 1,040,050      
1966年(昭和41年) 706,050 ←←←← 283,360 989,410      
1967年(昭和42年) 747,430 ←←←← 284,300 1,031,730      
1968年(昭和43年) 762,570 ←←←← 323,071 1,085,641      
1969年(昭和44年) 771,420 ←←←← 339,410 1,110,830      
1970年(昭和45年) 855,060 ←←←← 373,796 1,228,856      
1971年(昭和46年) 857,460 ←←←← 406,205 1,263,665      
1972年(昭和47年) 876,600 ←←←← 436,289 1,312,889      
1973年(昭和48年) 896,640 ←←←← 476,071 1,372,711      
1974年(昭和49年) 918,120 ←←←← 504,371 1,422,491      
1975年(昭和50年) 928,100 ←←←← 486,165 1,409,265      
1976年(昭和51年) 887,280 ←←←← 461,872 1,349,152      
1977年(昭和52年) 871,740 ←←←← 474,073 1,345,813      
1978年(昭和53年) 847,260 ←←←← 487,509 1,334,769      
1979年(昭和54年) 881,070 ←←←← 481,391 1,362,461      
1980年(昭和55年) 922,740 ←←←← 490,975 1,413,715      
1981年(昭和56年) 937,500 ←←←← 478,316 1,415,816      
1982年(昭和57年) 917,940 ←←←← 480,663 1,398,603 11月16日 6,634  
1983年(昭和58年) 927,510 ←←←← 479,889 1,407,399 11月8日 6,759  
1984年(昭和59年) 901,950 ←←←← 463,835 1,365,785 11月6日 6,523  
1985年(昭和60年) 906,090 ←←←← 463,314 1,369,404 11月12日 6,558  
1986年(昭和61年) 912,120 ←←←← 463,196 1,375,316 11月11日 6,956  
1987年(昭和62年) 933,990 ←←←← 448,776 1,382,766 11月10日 6,681  
1988年(昭和63年) 931,470 ←←←← 460,052 1,391,522 11月8日 6,790  
1989年(平成元年) 908,610 ←←←← 471,572 1,380,182 11月14日 6,640  
1990年(平成2年) 927,450 ←←←← 482,609 1,410,059 11月6日 6,939  
1991年(平成3年) 929,880 ←←←← 485,009 1,414,889      
1992年(平成4年) 930,810 ←←←← 491,598 1,422,408 11月10日 6,937  
1993年(平成5年) 921,030 ←←←← 496,003 1,417,063      
1994年(平成6年) 1,009,590 ←←←← 490,737 1,500,327      
1995年(平成7年) 903,090 ←←←← 455,875 1,358,965 12月5日 6,392  
1996年(平成8年) 876,030 ←←←← 454,502 1,330,532      
1997年(平成9年) 814,830 ←←←← 433,289 1,248,119      
1998年(平成10年) 783,900 ←←←← 417,709 1,201,609      
1999年(平成11年) 770,070 ←←←← 428,245 1,198,315      
2000年(平成12年) 769,890 ←←←← 434,026 1,203,916      
2001年(平成13年) 774,240 ←←←← 427,137 1,201,377      
2002年(平成14年) 778,470 ←←←← 428,559 1,207,029      
2003年(平成15年) 780,240 ←←←← 425,170 1,205,410      
2004年(平成16年) 780,060 ←←←← 449,872 1,229,932      
2005年(平成17年) 813,390 ←←←← 474,851 1,288,241 11月8日 6,843  
2006年(平成18年) 856,140 ←←←← 479,676 1,335,816      
2007年(平成19年) 884,130 ←←←← 500,947 1,385,077      
2008年(平成20年) 891,030 ←←←← 496,905 1,387,935 11月18日 7,323  
2009年(平成21年) 879,960 ←←←← 476,064 1,356,024      
2010年(平成22年) 868,590 ←←←← 480,359 1,348,949 11月9日 7,058  
2011年(平成23年) 868,980 ←←←← 483,516 1,352,496      
2012年(平成24年) 857,250 ←←←← 496,019 1,353,269 11月13日 6,876  
2013年(平成25年) 888,330 ←←←← 518,771 1,407,101  

駅周辺

駅としての知名度や拠点性の高さの割に閑静な駅周辺だったが、21世紀になってから駅周辺の再開発が進んでいる。これに伴い松阪市全体が人口減にある中、嬉野地域の人口は増加している[18]。駅の西側は民営の駐車場駐輪場、住宅などがあったが、駅前広場や銀行マンションが建設されている。東側は水田地帯であったが、バス発着場やマンションもでき、急速に市街化が進行している。主な施設は次のとおり。

バス路線

松阪市コミュニティバス 三雲地域 たけちゃんハートバス

  • 小舟江・三雲地域振興局・五主 方面 (1日5往復・平日のみ運行)

松阪市嬉野おおきんバス

  • 上小川 行(3往復。曜日により下記2ルートを運行)
    • Aルート(月・水・金運行):嬉野地域振興局・嬉野中学校経由、当駅前止
    • Bルート(火・木・土運行):薬王堂病院経由、当駅を通り嬉野地域振興局が起終点

2011年8月29日にそれまでの三重交通の一般路線(72系統嬉野線)をコミュニティバスに転換した。

隣の駅

近畿日本鉄道
D 大阪線・M 山田線
快速急行・急行
榊原温泉口駅(大阪線)(D57) - 伊勢中川駅 (D61) - 松阪駅(山田線)(M64)
普通(直通は上り1本のみ。それ以外は両方向とも当駅発着)
川合高岡駅(大阪線)(D60) - 伊勢中川駅 (D61)伊勢中原駅(山田線)(M62)
E 名古屋線・M 山田線
急行
桃園駅(名古屋線)(E43) - 伊勢中川駅 (E61) - 松阪駅(山田線)(M64)
普通(直通は下り1本と平日上り2本のみ。それ以外は両方向とも当駅発着)
桃園駅(名古屋線)(E43) - 伊勢中川駅 (E61) - 伊勢中原駅(山田線)(M62)

脚注

  1. ^ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
  2. ^ a b c d e f g 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7 
  3. ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年、30頁。ISBN 978-4-10-790026-5 
  4. ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、156頁。全国書誌番号:21906373 
  5. ^ "平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります" (pdf) (Press release). 近畿日本鉄道. 30 January 2007. 2016年3月12日閲覧
  6. ^ 川島令三、『全国鉄道事情大研究 - 名古屋都心部・三重篇』、ISBN 978-4-7942-0700-5、172p、草思社、1996
  7. ^ 川島令三、『全国鉄道事情大研究 - 大阪都心部・奈良篇』、ISBN 978-4-7942-0498-1、134p、草思社、1993年
  8. ^ a b 近畿日本鉄道『最近20年のあゆみ』1980年、13頁。 
  9. ^ 「近鉄特急列車変遷史」『鉄道ピクトリアル』1975年11月臨時増刊号、電気車研究会、1975年、52頁。 
  10. ^ 特定構造物改築事業 近畿日本鉄道中村川橋梁改築” (PDF). 国土交通省中部地方整備局三重河川国道事務所 (2008年7月1日). 2011年1月9日閲覧。
  11. ^ ただし、名阪直通運用が設定されていない23000系「伊勢志摩ライナー」50000系「しまかぜ」に限り、「向き」は伊勢中川 - 賢島間が基準となるため、大阪発着と名古屋発着とで編成の向きは同一となる。なお、23000系は2001年3月から2014年9月までの間は名阪特急が基準となっていたため、伊勢中川 - 賢島間は大阪発着と名古屋発着とで編成の向きが逆になっていた。
  12. ^ ジェー・アール・アール『決定版 近鉄特急』「30000系ビスタカー運用表」記事にその運用を記したものがある。
  13. ^ 一般車両の向きは全て伊勢中川 - 賢島間を基準としているため。
  14. ^ a b 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.78・p.81 - p.87
  15. ^ a b c d 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.124 - p.147・p.284 - p.306
  16. ^ a b c d e f g 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.150 - p.157・p.162 - p.184・p.308 - p.315・p.320 - p.342
  17. ^ 駅別乗降人員 - 近畿日本鉄道
  18. ^ 「若者定住策示せるか 進む中山間地域の人口減 未来への課題 上 〜松阪市長選を前に〜」井上喜博「事故撲滅の啓発 県境越えて協力 紀宝署と新宮署」中日新聞2015年9月23日付朝刊、三重版 三広域12ページ

関連項目

外部リンク