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「円谷プロダクション」の版間の差分

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|社名 = 株式会社円谷プロダクション
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|略称 = 円谷プロ
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|設立 = 1963年4月12日
| 設立 = 1963年4月12日
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| 業種 = 5250
|事業内容 = テレビ事業<br />映画事業<br />コマーシャル事業<br />映像音楽事業<br />ブルーレイDVD事業<br />キャラクター事業<br />イベント事業<br />テーマパーク事業<br />レジャー施設事業<br />コンピューターのソフトウェア及びハードウェア事業<br />コンピューターグラフィックス事業<br />インターネット事業<br />特殊美術設計施工
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| 資本金 = 3億1000万円(2008年1月21日時点)
|売上高 = 55億8884万円(2007年2月期実績)
| 売上高 = 55億8884万円(2007年2月期実績)
|総資産 = 52億896万円(2007年2月期実績)
| 総資産 = 52億896万円(2007年2月期実績)
|従業員数 = 71人
| 従業員数 = 71人
|決算期 = 2月末日
| 決算期 = 2月末日
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| 主要株主 = [[フィールズ (企業)|フィールズ]] 51.0%<br />[[バンダイ]] 49.0%<!--2009年7月23日のTYO取締役会においてバンダイに若干の株式譲渡を行い、持株比率が変動しました。詳細はプレスリリースを参照のこと http://group.tyo.jp/files/doc/373/pdf/090723.pdf-->
|関係する人物 = [[円谷英二]](創業者)
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|外部リンク = [https://www.tsuburaya-prod.co.jp/ 円谷プロダクション公式サイト]
| 外部リンク = {{Official website|https://www.tsuburaya-prod.co.jp/}}
|特記事項 = <br />フィールズの[[連結子会社]]。<br />[[バンダイナムコホールディングス]]の[[持分法|持分法適用会社]]。<br />1963年4月12日、株式会社円谷特技プロダクションとして設立。<br />1968年12月6日、株式会社円谷プロダクションに商号変更。
| 特記事項 = フィールズの連結子会社[[バンダイナムコホールディングス]]の[[持分法|持分法適用会社]]である。<br />1963年4月12日、株式会社円谷特技プロダクションとして設立。<br />1968年12月6日、株式会社円谷プロダクションに商号変更。
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'''株式会社円谷プロダクション'''(つぶらやプロダクション、{{Lang-en-short|Tsuburaya Productions Co., Ltd.}})は、[[円谷英二]]が設立した[[日本]]の独立系映像製作会社。
'''株式会社円谷プロダクション'''(つぶらやプロダクション、{{Lang-en-short|Tsuburaya Productions Co., Ltd.}})は、[[円谷英二]]が設立した[[日本]]の独立系映像製作会社。


高度な[[SFX|特殊撮影技術]]を用いた作品を作ることで知られており、『[[ウルトラシリーズ]]』を始めとする数多くの[[テレビ]]番組や劇場用[[映画]]を製作し続けている。
高度な[[SFX|特殊撮影技術]]を用いた作品を作ることで知られ、『[[ウルトラシリーズ]]』を始めとする数多くのテレビ番組や劇場用映画を製作し続けている。


== 経営母体の変遷 ==
== 経営母体の変遷 ==
円谷プロダクションの作品は『[[ウルトラシリーズ]]』に代表されるように、クオリティの高い作品が多いが、それゆえに1本当たりの制作費が高くなり、作れば作るほど制作費の赤字がかさむという負の連鎖に長年悩まされていた。やがてこの問題は円谷プロダクションの経営にたびたび大きく影響を及ぼしはじめた。
円谷プロダクションの作品は『[[ウルトラシリーズ]]』に代表されるように、クオリティの高い作品が多いが、それゆえに1本当たりの制作費が高くなり、作れば作るほど制作費の赤字がかさむという負の連鎖に長年悩まされていた。やがてこの問題は円谷プロダクションの経営にたびたび大きく影響を及ぼしはじめた。

=== 東宝の傘下 ===
=== 東宝の傘下 ===
円谷プロダクションの設立当初は、創業者の[[円谷英二]]出身の映画会社である[[東宝]]との結びつきが強く、円谷プロダクションの筆頭株主にもなっており、東宝役員が非常勤役員を兼ねたり支配人など事務系スタッフを出向させていた。また、東宝の[[東京都]][[世田谷区]][[砧 (世田谷区)|砧]]の[[映画スタジオ|撮影所]]近くにある衣装部の倉庫や東京美術センター(現:[[東宝ビルト]])の提供を受けたり、東宝受注のテレビ映画を孫受け受注するなどしていた。
円谷プロダクションの設立当初は、創業者の[[円谷英二]]出身の映画会社である[[東宝]]との結びつきが強く、円谷プロダクションの筆頭株主にもなっており、東宝役員が非常勤役員を兼ねたり支配人など事務系スタッフを出向させていた。また、東宝の[[東京都]][[世田谷区]][[砧 (世田谷区)|砧]]の[[映画スタジオ|撮影所]]近くにある衣装部の倉庫や東京美術センター(現:[[東宝ビルト]])の提供を受けたり、東宝受注のテレビ映画を孫受け受注するなどしていた。


[[1969年]]に『[[怪奇大作戦]]』が終了する頃になっても、テレビ局からの新番組の発注はなく、仕事が途絶える。経営に行き詰まった円谷プロダクションは資金調達のために増資し、筆頭株主の東宝はこれを引き受けて円谷プロダクションの60%の株を取得、[[子会社]]化した。社長は円谷英二だったが、東宝からは7人の役員が派遣されて、東宝の[[藤本真澄]]も代表権を持った。専務取締役は[[円谷皐]]、取締役は[[円谷一]]と[[有川貞昌]]が就任した。東宝は[[リストラ]]による経営再建策で、[[金城哲夫]]の所属する企画文芸部を廃止して、約150人いた社員を40人にまで圧縮した{{Sfn|円谷英明|2013|pp=49 - 50}}<ref>[[白石雅彦]]「円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代」[[双葉社]]、2006年、p.239</ref>。滞っていた業者への支払いや借金返済についても、親会社となった東宝の力によって5年間の猶予期間が設けられた。そのおかげで、円谷プロダクションは制作を継続することができた<ref>[[伊藤孝一]]、[[公野勉]]、[[小林義寛]]「映画はこうしてつくられる」[[風塵社]]、2008年、p.225。円谷粲インタビューより</ref>。[[1970年]][[1月25日]]に円谷英二が病死し、取締役の円谷一が2代目社長に就任した。円谷一は[[1973年]][[2月9日]]に急死し、専務取締役の円谷皐が3代目社長に就任した。
[[1969年]]に『[[怪奇大作戦]]』が終了する頃になっても、テレビ局からの新番組の発注はなく、仕事が途絶える。経営に行き詰まった円谷プロダクションは資金調達のために増資し、筆頭株主の東宝はこれを引き受けて円谷プロダクションの60%の株を取得、[[子会社]]化した。社長は円谷英二だったが、東宝からは7人の役員が派遣されて、東宝の[[藤本真澄]]も代表権を持った。専務取締役は[[円谷皐]]、取締役は[[円谷一]]と[[有川貞昌]]が就任した。東宝は[[リストラ]]による経営再建策で、[[金城哲夫]]の所属する企画文芸部を廃止して、約150人いた社員を40人にまで圧縮した{{Sfn|円谷英明|2013|pp=49 - 50}}<ref>[[白石雅彦]]「円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代」[[双葉社]]、2006年、p.239</ref>。滞っていた業者への支払いや借金返済についても、親会社となった東宝の力によって5年間の猶予期間が設けられた。そのおかげで、円谷プロダクションは制作を継続することができた<ref>[[伊藤孝一]]、[[公野勉]]、[[小林義寛]]「映画はこうしてつくられる」[[風塵社]]、2008年、p.225。円谷粲インタビューより</ref>。[[1970年]][[1月25日]]に円谷英二が病死し、取締役の円谷一が2代目社長に就任した。円谷一は[[1973年]][[2月9日]]に急死し、専務取締役の円谷皐が3代目社長に就任した。
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* [[2011年]]7月、本社を東京都世田谷区八幡山から東京都[[渋谷区]][[桜丘町]]に移転。
* [[2011年]]7月、本社を東京都世田谷区八幡山から東京都[[渋谷区]][[桜丘町]]に移転。
* [[2017年]]8月、大岡新一が辞任して[[塚越隆行]]が11代目社長に就任。
* [[2017年]]8月、大岡新一が辞任して[[塚越隆行]]が11代目社長に就任。
* [[2018年]][[4月18日]]、カリフォルニア中央区地方裁判所は「[[開示手続|ディスカバリー]]」を用いた調査の結果「ウルトラマンの海外利用権」に関する契約書は偽造されたものであると認定、譲渡は無効と判決<ref>{{Cite web |date=2018-04-24 |url=http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1804/24/news077.html |title=円谷プロ、米国のウルトラマン海外権利訴訟で勝訴 タイ人実業家の契約書は「真正ではない」との判断 |accessdate=2018-04-25 |publisher=[[ITMedia|ねとらぼ]]}}</ref>。
* [[2018年]][[4月18日]]、カリフォルニア中央区地方裁判所は「[[開示手続|ディスカバリー]]」を用いた調査の結果「ウルトラマンの海外利用権」に関する契約書は偽造されたものであると認定、譲渡は無効と判決<ref>{{Cite web |date=2018-04-24 |url=http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1804/24/news077.html |title=円谷プロ、米国のウルトラマン海外権利訴訟で勝訴 タイ人実業家の契約書は「真正ではない」との判断 |accessdate=2018-04-25 |publisher=[[ITMedia|ねとらぼ]]}}</ref>。[[2019年]][[12月5日]][[アメリカ合衆国連邦裁判所#控訴裁判所|第9巡回区控訴裁判所]]における控訴審においてもこの結論は維持された<ref>{{Cite press release |title=米国訴訟(控訴審)の勝訴判決に関するお知らせ |publisher=円谷プロダクション |date=2019-12-10 |url=https://www.tsuburaya-prod.co.jp/pressrelease/191210-winning_judgment/ |accessdate=2020-03-15}}</ref><ref>{{Cite web |date=2019-12-10 |url=https://otakei.otakuma.net/archives/2019121005.html |title=ウルトラマン訴訟アメリカ控訴審判決 再び円谷プロの勝訴 |accessdate=2020-03-16 |publisher=[[おたくま経済新聞]]}}</ref>。
** その結果、合衆国憲法で「ウルトラマンの海外利用権」は依然、円谷プロダクションにあることとなる。
** その結果、合衆国憲法で「ウルトラマンの海外利用権」は依然、円谷プロダクションにあることとなる。
* [[2019年]][[4月1日]]、塚越隆行が辞任して[[永竹正幸]]が12代目社長に就任。塚越隆行は会長に就任。
* [[2019年]][[4月1日]]、塚越隆行が辞任して[[永竹正幸]]が12代目社長に就任。塚越隆行は会長に就任。


== 歴代社長 ==
== 歴代社長 ==
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!歴代
!歴代
!氏名
!氏名
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|[[永竹正幸]]
|[[永竹正幸]]
|2019年 -
|2019年 -
|[[タカラトミー]]海外部「トミーインターナショナル」で事業を経験
|[[タカラトミー]]海外部「トミーインターナショナル」で海外事業を経験
|}
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[[円谷浩]]をマネジメントする目的で設置された。また、円谷浩が他社へ移籍した後も所属タレントのマネジメントを行っていた。
[[円谷浩]]をマネジメントする目的で設置された。また、円谷浩が他社へ移籍した後も所属タレントのマネジメントを行っていた。


慢性的な赤字体質を脱却できず、経営改革に伴い、[[2007年]][[10月31日]]をもって閉鎖。所属タレントとスタッフの大半は、[[円谷ミュージック]]の新会社の[[T.M.Lab]]に移籍している
慢性的な赤字体質を脱却できず、経営改革に伴い、[[2007年]][[10月31日]]をもって閉鎖。所属タレントとスタッフの大半は、[[円谷ミュージック]]の新会社の[[T.M.Lab]]に移籍し


なお、T.M.Labは[[2013年]]11月をもって所属アーティストと所属タレントのマネジメント業務を終了。所属タレントの大半は新たに設立した[[芸能事務所]]の[[vif]]に移籍している
なお、T.M.Labは[[2013年]]11月をもって所属アーティストと所属タレントのマネジメント業務を終了。所属タレントの大半は新たに設立した[[芸能事務所]]の[[vif]]に移籍し


=== 過去の所属タレント ===
=== 過去の所属タレント ===
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* [[市村直樹]](現:アール・クルー)
* [[市村直樹]](現:アール・クルー)
* [[打出親五]]
* [[打出親五]]
* [[エド山口]](現:アール・クルー)([[オフィス・オーパ]]と業務提携)
* [[エド山口]](現:アール・クルー[[オフィス・オーパ]]と業務提携)
* [[遠藤哲司]]
* [[遠藤哲司]]
* [[大橋祐太郎]]
* [[大橋祐太郎]]
* [[影丸茂樹]](現:[[OSB (芸能事務所)|OSB]])
* [[影丸茂樹]](現:[[OSB (芸能事務所)|OSB]])
* [[柏木佑介]](現アール・クルー)
* [[柏木佑介]](現 :アール・クルー)
* [[川村悠椰]](現:アール・クルー)
* [[川村悠椰]](現:アール・クルー)
* [[岸田真弥]](旧名:川岸晋也、岸田新也)(現:[[ジェイ・クリップ]]と業務提携)
* [[岸田真弥]](旧名:川岸晋也、岸田新也現:[[ジェイ・クリップ]]と業務提携)
* [[佐原健二]](現:[[佐原プロモーション]])
* [[佐原健二]](現:[[佐原プロモーション]])
* [[周防進]]
* [[周防進]]
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* [[Masahiro.]]
* [[Masahiro.]]
* [[松原剛志]]
* [[松原剛志]]
* [[右田昌万]]([[俳優]]としても所属していた
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* [[三村幸司]](現:[[BOSアクションユニティ]]の提携メンバー)
* [[三宅敏夫]]
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* [[磯崎亜紀子]]
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* [[伊東香緒]](旧名:伊東花桜、伊東佳乙)(現:vif)
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* [[岩崎光里]](現:[[アール・クルー (芸能事務所)|アール・クルー]])
* [[大水亜里紗]]
* [[大水亜里紗]]
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* [[三上ユリエ]](現:A-PRO)
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [https://www.tsuburaya-prod.co.jp/ 円谷プロダクション公式サイト]
* {{Official website|https://www.tsuburaya-prod.co.jp/}}
* [https://m-78.jp/ 円谷ステーション]
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2020年3月17日 (火) 05:36時点における版

株式会社円谷プロダクション
Tsuburaya Productions Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 円谷プロ
本社所在地 日本の旗 日本
150-0044
東京都渋谷区南平台町16番17号
渋谷ガーデンタワー
設立 1963年4月12日
業種 情報・通信業
法人番号 8011001070222 ウィキデータを編集
事業内容 テレビ事業
映画事業
コマーシャル事業
ブルーレイ、DVD事業
音楽、映像事業
キャラクター事業
イベント事業
テーマパーク事業
レジャー施設事業
コンピューターのソフトウェア及びハードウェア事業
コンピューターグラフィックス事業
インターネット事業
特殊美術設計施工
代表者 代表取締役会長CEO 塚越隆行
代表取締役社長COO 永竹正幸
資本金 3億1000万円(2008年1月21日時点)
売上高 55億8884万円(2007年2月期実績)
総資産 52億896万円(2007年2月期実績)
従業員数 71人
決算期 2月末日
主要株主 フィールズ 51.0%
バンダイ 49.0%
関係する人物 円谷英二(創業者)
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:フィールズの連結子会社、バンダイナムコホールディングス持分法適用会社である。
1963年4月12日、株式会社円谷特技プロダクションとして設立。
1968年12月6日、株式会社円谷プロダクションに商号変更。
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株式会社円谷プロダクション(つぶらやプロダクション、: Tsuburaya Productions Co., Ltd.)は、円谷英二が設立した日本の独立系映像製作会社。

高度な特殊撮影技術を用いた作品を作ることで知られ、『ウルトラシリーズ』を始めとする数多くのテレビ番組や劇場用映画を製作し続けている。

経営母体の変遷

円谷プロダクションの作品は『ウルトラシリーズ』に代表されるように、クオリティの高い作品が多いが、それゆえに1本当たりの制作費が高くなり、作れば作るほど制作費の赤字がかさむという負の連鎖に長年悩まされていた。やがてこの問題は円谷プロダクションの経営にたびたび大きく影響を及ぼしはじめた。

東宝の傘下

円谷プロダクションの設立当初は、創業者の円谷英二の出身の映画会社である東宝との結びつきが強く、円谷プロダクションの筆頭株主にもなっており、東宝役員が非常勤役員を兼ねたり支配人など事務系スタッフを出向させていた。また、東宝の東京都世田谷区撮影所近くにある衣装部の倉庫や東京美術センター(現:東宝ビルト)の提供を受けたり、東宝受注のテレビ映画を孫受け受注するなどしていた。

1969年に『怪奇大作戦』が終了する頃になっても、テレビ局からの新番組の発注はなく、仕事が途絶える。経営に行き詰まった円谷プロダクションは資金調達のために増資し、筆頭株主の東宝はこれを引き受けて円谷プロダクションの60%の株を取得、子会社化した。社長は円谷英二だったが、東宝からは7人の役員が派遣されて、東宝の藤本真澄も代表権を持った。専務取締役は円谷皐、取締役は円谷一有川貞昌が就任した。東宝はリストラによる経営再建策で、金城哲夫の所属する企画文芸部を廃止して、約150人いた社員を40人にまで圧縮した[1][2]。滞っていた業者への支払いや借金返済についても、親会社となった東宝の力によって5年間の猶予期間が設けられた。そのおかげで、円谷プロダクションは制作を継続することができた[3]1970年1月25日に円谷英二が病死し、取締役の円谷一が2代目社長に就任した。円谷一は1973年2月9日に急死し、専務取締役の円谷皐が3代目社長に就任した。

1979年に映画『ウルトラマン怪獣大決戦』が松竹富士系で大ヒットしたが、これに関して『キネマ旬報』に「ライバルの松竹に塩を送った格好の東宝は渋い顔」という内容の記述がある(東宝での配給は断ったという)。1983年円谷一夫が円谷プロダクションに入社して営業課長に就任する。

経理は東宝の出向重役が管理しており、代表印も東宝が保有していた。これにより、東宝のメインバンクであった三和銀行(現:三菱UFJ銀行)からの融資も容易になっており、経営難を乗り越えることができていた[4]。円谷皐はこの状況を快く思っておらず、1992年TBSへ期限付きで譲渡していた『ウルトラシリーズ』の販売権や窓口権が戻ってくると、これらの権利を担保に得た資金で、円谷皐の事実上の個人会社であった円谷エンタープライズが東宝の保有する円谷プロダクションの株を買い取り、東宝との資本関係を解消した[4]

円谷家の経営

東宝の傘下を離れた円谷プロダクションの株は、円谷皐が過半数の株を保有する円谷エンタープライズが45.5%、円谷皐個人が15%を保有した。こうして、円谷皐が株の過半数を握るオーナー社長として円谷プロダクションの経営にあたった[5]

1995年6月11日に円谷皐が病気により退任し、営業部長の円谷一夫が4代目社長に就任した。21世紀初頭からは特撮テレビシリーズの本格的再開により、制作費は増加となった。しかしその一方で、大ヒットに恵まれなかったことと東宝からの離反に伴い、かつての後ろ盾であった三和銀行が抜けたために経営基盤が弱体化し[6]、加えてTBSとの関係悪化[7]などにより、2007年2月の期決算では売上高約56億円に対して当期純利益は約4400万円に止まった。累積赤字の膨張による倒産を危惧した役員は、円谷一夫から制作部の円谷昌弘への社長交代を要求し、2003年に円谷昌弘が5代目社長、円谷一夫が代表権を持つ会長に就任した。さらに円谷プロダクションを退社していた円谷粲円谷英明が復帰して、一族で経営にあたることになった[8]。一方で専務取締役の高野宏一は、この過程でバンダイの乗っ取りに加担する「クーデター」を計画したとして、辞表を出すように要求されて円谷プロダクションを去る事態になった[9]

2004年に円谷昌弘が女性社員へのセクハラ問題により辞任し、円谷英明が6代目社長に就任した[10]。経理の正常化を目指した円谷英明もまた、1年後に役員会で解任動議が出されて、過半数の株を持つ会長の円谷一夫の同意により解任され[11]東宝不動産の取締役だった大山茂樹が7代目社長に就任した。しかし、2007年6月の取締役会で、大幅なリストラを主張した大山を円谷一夫が解任し、円谷一夫が復帰する形で8代目社長に就任した[12]

TYOの連結子会社化

円谷プロダクションは銀行からの融資がストップし、30億円の累積赤字を抱えて倒産の危機に直面して、2007年10月に非常勤取締役の森島恒行の紹介により、CM映像のコンテンツ製作などを手がける映像会社のTYOから当面の資金繰りのため数千万円の融資を受けた。しかしそれを返済できず、担保となっていた円谷エンタープライズの過半数の株をTYOが取得した。さらにTYOが第三者割当増資で取得した株と合わせて、円谷エンタープライズの筆頭株主(80%を保有)となった。また、円谷一夫が当時保有していた円谷プロダクションの株の22.5%を円谷エンタープライズに譲渡することにより、円谷エンタープライズにおける円谷プロダクションの株保有比率を45.5%から68.0%に引き上げた。これらのプロセスを経て、円谷プロダクションの経営権はTYOが取得してTYOのグループ入りした[13]。円谷一夫は社長を解任され、森島恒行が9代目社長に就任した。

TYOの経営参画後は、円谷一夫が円谷プロダクションと円谷エンタープライズの取締役会長として残ったものの、円谷プロダクションの設立以来続いてきた設立者一族の円谷家による同族経営に終止符が打たれることとなった。

バンダイナムコグループの資本参加

TYOによる内部的な組織改革などが進み、これらと並行して円谷プロダクションとは『ウルトラシリーズ』で強い縁を持つバンダイナムコグループが資本参加した。2008年1月21日に、TYOは持ち株のうち33.4%をバンダイナムコグループの子会社であるバンダイに譲渡売却した。同年に森島恒行が辞任して制作統括の大岡新一が10代目社長に就任した。2009年7月にはさらなる株式譲渡が行われており(現在のバンダイ持ち株比率は49%)、バンダイナムコグループの円谷プロダクションにおける経営発言力は増加している。

この間に円谷一夫は会長から名誉会長へ退き、その名誉職も2009年に退任となり、これで円谷家は円谷プロダクションの経営から一切排除されることとなった。

フィールズの連結子会社化

2010年4月2日TYOは保有する51%の株すべてをパチンコの開発販売会社のフィールズに売却し、円谷プロダクションはフィールズの子会社となった[14][15]

沿革

  • 1948年太平洋戦争中に戦意高揚映画を撮影したことから東宝を公職追放(依願解雇)された円谷英二が、自宅に特殊映画技術研究所(通称「円谷研究所」)を設立。
  • 1950年、東宝の撮影所に研究所を移転。
  • 1952年、円谷英二が公職追放を解除されて東宝に戻る。
  • 1956年、円谷英二が自宅に円谷特技研究所を設立。
  • 1963年4月12日、円谷特技研究所を法人化して株式会社円谷特技プロダクションを設立[16]
  • 10月27日、円谷特技プロダクションとしての初仕事となる映画『太平洋ひとりぼっち』を公開[16][17]
  • 1964年3月30日、東宝が資本と役員を投入。また東宝の東京都世田谷区の撮影所近くにある衣装部の倉庫や東京美術センター(現:東宝ビルト)を円谷特技プロダクションに提供。うしおそうじが退社[18]
  • 1966年1月2日、初の特撮テレビシリーズ『ウルトラQ』を放映開始。
  • 7月17日、特撮カラーテレビシリーズ『ウルトラマン』を放映開始(キー局での放送開始が『マグマ大使』に約2週遅れとなったため、最初のカラーテレビ特撮作品とはならなかった。)。
  • 1968年円谷皐フジテレビを退社して円谷特技プロダクションに入社。成田亨野長瀬三摩地が退社。
  • 4月1日、円谷皐が円谷エンタープライズを設立。
  • 12月6日、東宝が増資を引き受けて60%の株を持つ親会社になり、役員10人中7人が東宝からの派遣と東宝の主導で150人の社員を40人にまでリストラして企画文芸部も廃止。円谷皐は専務に就任。株式会社円谷プロダクションに商号変更[16]
  • 1969年金城哲夫上原正三池谷仙克が退社。
  • 1970年1月25日、円谷英二の病死により円谷一が2代目社長に就任。
  • 1973年2月9日、円谷一の急死により円谷皐が3代目社長に就任。
  • 同年、田口成光が退社。
  • 1974年、タイ資本のチャイヨー・プロダクションと共同で『ジャンボーグA&ジャイアント』と『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』を制作。
  • 1979年4月4日、初のアニメーションザ☆ウルトラマン』を放映開始。
  • 1981年高野宏一が取締役に就任。
  • 1983年4月、円谷一夫円谷英明が入社[19]
  • 1984年、経営危機に陥り倒産回避のため、この年より7年間の期間限定で番組販売権と窓口権をTBSに数千万円で売却[20]
  • 1987年アメリカハリウッドウルトラコムを設立。
  • 1989年6月、円谷粲が退社。
  • 7月、円谷粲が資本関係のない円谷映像(現:円谷エンターテインメント)を設立[21]
  • 1991年中国上海市円谷アニメーションスタジオカンパニーを設立[22]
  • 同年、隣接地のアパートと一軒屋を購入。母屋敷地は東宝の所有のまま。業務使用の他、撮影にも使用。
  • 1992年、親会社の東宝から自社株を買い戻して東宝の傘下から独立。円谷皐が過半数の株を取得して経営権を掌握。諸権利を円谷プロダクション、円谷エンタープライズ、円谷音楽出版(現:円谷ミュージック)の3社に配分[23]
  • 1995年5月、円谷皐が病気により退任して円谷一夫が4代目社長に就任。
  • 6月11日、円谷皐が死去したため円谷プロダクションの過半数の株を円谷一夫が相続[24]
  • この頃(1995年末)から、チャイヨー・プロダクションにより「『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』及び『ジャンボーグA』の7作品において、日本以外における独占権(以下、本項において「ウルトラマンの海外利用権」)」の主張がなされる(チャイヨー・プロダクション#ウルトラマン訴訟参照)
  • 2002年5月、円谷粲が副社長として再入社して製作部を担当[21]
  • 6月、資金繰りに行き詰まり、銀行からの借り入れも出来ずにバンダイから経営改善を条件に12月を返済期限に2億円の融資を受ける[9]
  • 2003年、円谷一夫が辞任して円谷昌弘が5代目社長に就任。
  • 同年、クーデターを企てたとして辞表を提出させられていた専務取締役の高野宏一が退任[9]
  • 同年、右田昌万が退社。
  • 2004年4月、チャイヨー・プロダクションに対する著作権確認訴訟に関する敗訴が最高裁判所判決において確定。
    • その結果、円谷プロダクションは、日本法において「ウルトラマンの海外利用権」を喪失。なお、この権利は、1998年にチャイヨーがバンダイから1億円受け取りタイ以外の独占利用権行使放棄と引き換えに譲渡しており(本件は、チャイヨーの円谷プロダクションへの著作権侵害損害賠償訴訟の敗訴の過程で最高裁判決により確定している)、日本法においては「ウルトラマンの海外利用権」はバンダイが保有していることになる。
    • 平行して訴訟されているタイ王国、アメリカ合衆国等での判決については後述
  • 6月、円谷昌弘が女性社員へのセクハラ問題により辞任して円谷英明が6代目社長に就任。
  • 2005年4月、本社を東京都世田谷区砧から東京都世田谷区八幡山に移転。旧本社は改装して砧社屋としてヒーローと怪獣の着ぐるみの保管やCG製作に使用。
  • 6月、円谷英明が解任されて大山茂樹が7代目社長に就任。副社長の円谷粲が退社[21]
  • 7月、円谷英明が円谷コミュニケーションズ(現:円谷ドリームファクトリー)を設立。
  • 2007年6月、大山茂樹が解任されて円谷一夫が8代目社長に就任。
  • 10月、円谷プロダクションの株の68.0%をTYOが取得して子会社化。円谷一夫が解任されて森島恒行が9代目社長に就任。設立以来の円谷家による円谷プロダクションの経営に終止符が打たれた。
  • 2008年1月7日、円谷エンタープライズ、同じTYOの傘下のビルドアップ、円谷プロダクションの3社が合併。円谷プロダクションが存続会社となり、TYOの完全子会社化が完了。ビルドアップは円谷プロダクションの特撮製作セクションとして再スタートしたと同時に資本金を1000万円から3億1000万円へ大幅増資。
  • 1月21日、『ウルトラシリーズ』の玩具を長年手がけてきたバンダイがTYOより株の33.4%を取得して円谷プロダクションに出資して同時に従来は年毎更新であった円谷プロダクションの作品の商品化権を独占化。丸山浩が退社。
  • 2月、タイの最高裁判所は「ウルトラマンの海外利用権」に関する契約書は偽造されたものであると認定、譲渡は無効と判決。
    • その結果、タイ法では、「ウルトラマンの海外利用権」は、依然、円谷プロダクションにあることとなる。
  • 2月6日、砧社屋(旧本社)を閉鎖して敷地を東宝へ返却及び隣接地の自社所有分を東宝不動産へ売却して取り壊しを発表。最後のマスコミ向け公開を実施[25]
  • 同年、森島恒行が辞任して大岡新一が10代目社長に就任。
  • 12月24日ユーエム株式会社(代表取締役上松盛明)が、チャイヨーから、「ウルトラマンの海外利用権」を譲受、各種訴訟を承継。
  • 2010年4月2日、TYOは保有する全株式をフィールズに譲渡。円谷プロダクションはフィールズの連結子会社となりフィールズの代表取締役会長の山本英俊が円谷プロダクションの取締役会長に就任。
  • 2011年7月、本社を東京都世田谷区八幡山から東京都渋谷区桜丘町に移転。
  • 2017年8月、大岡新一が辞任して塚越隆行が11代目社長に就任。
  • 2018年4月18日、カリフォルニア中央区地方裁判所は「ディスカバリー」を用いた調査の結果「ウルトラマンの海外利用権」に関する契約書は偽造されたものであると認定、譲渡は無効と判決[26]2019年12月5日第9巡回区控訴裁判所における控訴審においてもこの結論は維持された[27][28]
    • その結果、合衆国憲法で「ウルトラマンの海外利用権」は依然、円谷プロダクションにあることとなる。
  • 2019年4月1日、塚越隆行が辞任して永竹正幸が12代目社長に就任。塚越隆行は会長に就任。

歴代社長

歴代 氏名 在職期間 備考
初代 円谷英二 1963年 - 1970年 円谷プロダクションの創業者
第2代 円谷一 1970年 - 1973年 円谷英二の長男
第3代 円谷皐 1973年 - 1995年 円谷英二の次男
第4代 円谷一夫 1995年 - 2003年 円谷皐の長男
第5代 円谷昌弘 2003年 - 2004年 円谷一の長男。女性社員へのセクハラ問題で退任
第6代 円谷英明 2004年 - 2005年 円谷一の次男
第7代 大山茂樹 2005年 - 2007年 東宝不動産の取締役から招致。円谷家以外から初の社長就任
第8代 円谷一夫 2007年 大山茂樹を解任して復職
第9代 森島恒行 2007年 - 2008年 円谷エンタープライズの設立に参加
第10代 大岡新一 2008年 - 2017年 円谷プロダクションの生え抜きカメラマン
第11代 塚越隆行 2017年 - 2019年 ウォルト・ディズニー・ジャパンMovieNEXの仕掛け人
第12代 永竹正幸 2019年 - タカラトミーの海外部門「トミーインターナショナル」で海外事業を経験

作品

テレビ

映画

オリジナルビデオ

CM

舞台

制作協力

ヒーロー一覧

エピソード

エイプリルフール

2000年代後半からエイプリルフールになるとインターネットで手の込んだネタを発表していた[29][30]。これらのネタは円谷プロダクション公式サイト「円谷ステーション」を運営するサイバーエデン円谷英二のひ孫にあたる円谷洋平が所属する会社)が企画して、最後に円谷プロダクションが監修するという形をとっていた[30]

2011年東北地方太平洋沖地震東日本大震災)への配慮からこの企画は行われず、代わりに「ウルトラ5つの誓い2011」をYouTubeで配信した[31]2012年イベントに携わっていた円谷洋平が転職したことを機に行われないことをTwitterで経緯とともに告知。以降は行われていない。

これまで発表された主なネタは下記の通り。

人気投票

2010年2013年の2度に渡りインターネットで歴代キャラクターの人気投票を実施している。

所属スタッフ

過去の所属スタッフ

過去の関連スタッフ

円谷プロダクション芸能部

円谷浩をマネジメントする目的で設置された。また、円谷浩が他社へ移籍した後も所属タレントのマネジメントを行っていた。

慢性的な赤字体質を脱却できず、経営改革に伴い、2007年10月31日をもって閉鎖。所属タレントとスタッフの大半は、円谷ミュージックの新会社のT.M.Labに移籍した。

なお、T.M.Labは2013年11月をもって所属アーティストと所属タレントのマネジメント業務を終了。所属タレントの大半は新たに設立した芸能事務所vifに移籍した。

過去の所属タレント

男性

女性

グループ

円谷プロダクションから独立した会社

関連施設

砧社屋

東京都世田谷区の旧社屋(旧本社)

東京都世田谷区に存在した円谷プロダクションの初代社屋。元々は東宝スタジオ京都衣裳(現:東宝コスチューム)の衣装倉庫として使用されていた施設であり1964年東宝が資本参加した際に円谷プロダクションへ提供[36]。京都衣装以前は医療関係の建物であったとされる[36]

2005年の本社移転により名称をKinuta Digital SymphonyとしてCG部門の編集スタジオとして使用されていたが2008年に解体。

快獣ブースカ』に登場した大作発明研究所や『ウルトラセブン』第8話に登場した警察署などは砧社屋の建物を使用して撮影されている[36]

円谷プロダクションの製作以外の作品では『有言実行三姉妹シュシュトリアン』第40話で砧社屋がロケ地の1つとして使用されている。

怪獣倉庫

東京都世田谷区社屋2階に存在したヒーロー怪獣着ぐるみを保管する倉庫。当初は着ぐるみに特化していたわけではなくミニチュアなども保管されていた[36]

2005年の本社移転に伴い収蔵物の多くも新社屋に移されて[37]、その後、着ぐるみや小道具などの一部を陳列した展示スペースとして不定期に一般公開していた[38]

2008年の砧社屋の閉鎖により倉庫も解体されたが京都衣装(現:東宝コスチューム)の時代から存在した衣装整理用の札が貼られた柱の一部は円谷プロダクションで保管されている[39]

怪獣倉庫が『ウルトラファイト』第196話や『ウルトラマンマックス』第24話などの撮影に使用されている[36]

東宝ビルト

2009年まで存在した東宝撮影所の1つ。円谷プロダクションの所有施設ではないが『ウルトラQ』以来多くの作品が撮影されて円谷プロダクションの出資により改築も行われるなど関係性は深かった[36]

関連書籍

  • 円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』講談社講談社現代新書〉、6。ISBN 978-4-06-288215-6 

脚注

  1. ^ 円谷英明 2013, pp. 49–50.
  2. ^ 白石雅彦「円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代」双葉社、2006年、p.239
  3. ^ 伊藤孝一公野勉小林義寛「映画はこうしてつくられる」風塵社、2008年、p.225。円谷粲インタビューより
  4. ^ a b 円谷英明 2013, pp. 87–92.
  5. ^ 円谷英明 2013, pp. 129.
  6. ^ 円谷英明 2013, pp. 89.
  7. ^ 円谷英明 2013, pp. 64–65.
  8. ^ 円谷英明 2013, pp. 140–142.
  9. ^ a b c 大揺れ円谷プロ、セクハラ後はリストラ騒動 前専務のカリスマ特技監督が怒りの提訴ZAKZAK、2003年9月2日
  10. ^ 円谷英明 2013, pp. 170.
  11. ^ 円谷英明 2013, pp. 182.
  12. ^ 円谷英明 2013, pp. 183.
  13. ^ 円谷英明 2013, pp. 163、186.
  14. ^ 子会社化(株式会社円谷プロダクションの株式取得)に係る株式会社ティー・ワイ・オーとの譲渡契約締結に関するお知らせ (PDF)
  15. ^ 円谷プロ、パチンコ機器関連会社の傘下に YOMIURI ONLINE読売新聞)2010年3月17日
  16. ^ a b c 「円谷特技プロの創立」『不滅のヒーローウルトラマン白書』(初版)朝日ソノラマ〈ファンタスティック・コレクション・スペシャル〉、1982年12月31日、11頁。雑誌コード:67897-80。 
  17. ^ 白石雅彦「円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代」双葉社、2006年、p.177
  18. ^ 白石雅彦「円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代」双葉社、2006年、pp.179-180
  19. ^ 円谷英明 2013, pp. 73、77.
  20. ^ 円谷英明 2013, pp. 74–75.
  21. ^ a b c プロフィール 円谷夢工房公式サイト内
  22. ^ 津田浩司「国境を越える日本映像ビジネスの現状」、1996年2月号、pp.56-57
  23. ^ 円谷英明 2013, pp. 90.
  24. ^ 円谷英明 2013, pp. 126、129.
  25. ^ 円谷プロの“聖地”にお別れMSN産経ニュース 2008年2月6日報道(現在は公開終了)。Internet Archive Wayback Machineに納められた当時のコンテンツは このリンク 先から閲覧可能。
  26. ^ 円谷プロ、米国のウルトラマン海外権利訴訟で勝訴 タイ人実業家の契約書は「真正ではない」との判断”. ねとらぼ (2018年4月24日). 2018年4月25日閲覧。
  27. ^ "米国訴訟(控訴審)の勝訴判決に関するお知らせ" (Press release). 円谷プロダクション. 10 December 2019. 2020年3月15日閲覧
  28. ^ ウルトラマン訴訟アメリカ控訴審判決 再び円谷プロの勝訴”. おたくま経済新聞 (2019年12月10日). 2020年3月16日閲覧。
  29. ^ 2010年4月1日、今年もすごいぞ! エイプリルフールネタ合戦、円谷プロから2ちゃんまで
  30. ^ a b c d e f g h 毎年話題のエイプリルフール企画を生み出す「円谷プロ」インタビュー、INTERNET watch(インプレス)、2010年4月23日 6:00。
  31. ^ 【ウルトラマン基金】ウルトラ5つの誓い2011 ウルトラチャンネル
  32. ^ 「ニュース 「円谷ヒーロー&怪獣・星人ランキング」実施中!壁紙プレゼント!」、円谷プロダクション公式サイト、2010年8月17日
  33. ^ 円谷ヒーロー・怪獣&宇宙人ランキング!結果」、ウルトラマンシリーズ45周年記念サイト(円谷プロダクション公式サイト)、2011年1月
  34. ^ 円谷プロダクション創立50周年記念 ウルトラ怪獣総選挙」、円谷プロダクション公式サイト、2013年9月
  35. ^ ウルトラヒーロー総選挙2013」、円谷プロダクション公式サイト、2013年9月
  36. ^ a b c d e f ウルトラマン全史 2013, pp. 4–5.
  37. ^ 宇宙船編集部 編 編「マックス怪獣造型の秘密 開米プロダクション」『ウルトラマンマックス マックス!マックス!マックス!怪獣大画報』円谷プロダクション 監修、朝日ソノラマファンタスティックコレクション〉、2006年10月30日、72頁。ISBN 4257037350 
  38. ^ 「さらば、空想特撮の夢工場」『宇宙船』Vol.120(2008年春号)、ホビージャパン、2008年4月1日、pp.84-87、ISBN 978-4-89425-693-4 
  39. ^ 『円谷プロ図録』ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2013年、160頁。ISBN 978-4-7770-1440-8 

関連項目

外部リンク