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2020年3月24日 (火) 23:13時点における版
鹿児島県立鶴丸高等学校 | |
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過去の名称 |
鹿児島県鶴丸高等学校 鹿児島県鹿児島高等学校第三部 鹿児島県立第一高等女学校 鹿児島県立高等女学校 鹿児島県鹿児島高等学校第五部 鹿児島県立第一鹿児島中学校 鹿児島県立鹿児島中学校 鹿児島県第一中学校 鹿児島県第一尋常中学校 鹿児島県尋常中学校 |
国公私立の別 | 公立学校(県立) |
設置者 | 鹿児島県 |
学区 | 鹿児島学区 |
設立年月日 | 1894年4月19日 |
創立記念日 | 4月19日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制(2002年度 - ) |
高校コード | 46101G |
所在地 | 〒890-8502 |
北緯31度35分23.8秒 東経130度32分17.2秒 / 北緯31.589944度 東経130.538111度座標: 北緯31度35分23.8秒 東経130度32分17.2秒 / 北緯31.589944度 東経130.538111度 | |
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鹿児島県立鶴丸高等学校(かごしまけんりつつるまるこうとうがっこう 英語: Tsurumaru High School)は、鹿児島県鹿児島市薬師二丁目にある同県立の高等学校。校名は島津氏の居城鹿児島城の愛称「鶴丸」に由来。
概要
-
一中校章
-
一高女校章
-
新制県立鹿児島高校校章
-
鶴丸高校校章
- 前身
- 建学の理念
- 好学愛知
- 自律敬愛
- 質実剛健
- 校風を表す言葉
- For Others(For Othersの精神)
- 1965年、鶴丸高校第5代校長・栗川久雄が提唱。
- 文武一道
- 鶴丸は勉強するところである
- 1950年当時の生徒会長による発言[4]。
- 生活規範12箇条
建学の理念に基づいて1966年に制定され、「ミニマム・エッセンシャルズ」とも称される。同校生徒としての自覚に基づいた、日常生活および学習活動の基盤として継承されており、天野貞祐の言葉をリード文とする。上述の校風を表す言葉「For Others」もこの中に記されている。
- 校名の由来
「鶴丸」の名は、薩摩藩主島津氏の居城であった鹿児島城の別名鶴丸城に由来する。名称候補として「第一」「中央」「東」「朝日」「鹿児島」「造士館」などがあったが、「封建思想を打破すること」「県下高等学校の中心を自任するような名称を避けること」「1948年設立の新制・鹿児島県鹿児島高等学校の本統を継承したとの誤解を与えないように配慮すること」とした県政当局および進駐軍の方針ならびに他校との連絡協議会における協定により、PTA関係者から寄せられた「鶴丸」に決定した。当時進駐軍は、「鶴丸」が封建領主時代における城の別名であったことに気付かず、「鶴が飛んでくるとは平和的でよろしい」として認可した。
- 校旗・スクールカラー
- 前身である一中、一高女の校旗が現存している。一中校旗は、前身の「鹿児島県立尋常中学校」の頃に製作されたもので、上部にはえんじ色の線が引かれている。これが後に改称されて「第一鹿児島中学校」となり、この線が略称の「一中」の「一」に見えたのは、全くの偶然であるが、引き立つことになった。
- スクールカラーは臙脂色で、これは一中時代の校旗に由来する。一世代前の男子襟章と、女子の冬服スカーフ止めには中央に臙脂色の線が用いられていた。現在の校舎は、「一中」の「一」をイメージして配置されている。また、体育系の部では、臙脂色を用いたデザインのユニフォームやジャージー、バッグを採用している場合が多い。
- 校歌
- 鶴丸高校校歌「はろばろと」(作詞: 中馬幸子、作曲: 郡山正)
- 一中校歌(作詞: 樋渡清廉、作曲: 石倉小三郎、E.プッチェル)
- 一高女校歌(作詞: 一高女国語科、作曲: 近森出来治)
なお、同校歌「はろばろと」は、別題「青雲(あをぐも)」がついている。
- 甲鶴戦(甲南・鶴丸スポーツ交歓会)
1971年から毎年、鹿児島県立甲南高等学校とスポーツ交歓会(対抗試合)を実施している。
- 学習
- 週番活動
- ホームルーム
- 1964年4月にホームルーム研究指定校となった。
- 学級は「R(ルーム)」と称する(例えば1年1組は11R(じゅういちルーム))。
- 1学年の学級数が2桁だったときには、例えば1年1組は101R(いちまるいちルーム)のように呼ばれていた。
沿革
- 鹿児島県立第一鹿児島中学校
- 1893年3月 鹿児島県尋常中学校(旧制中学校)設立許可。山下町校地(現・県民交流センター敷地)を起工し、翌年3月に竣工。
- 1894年4月 鹿児島県尋常中学校開校。4月19日に校舎落成式兼開校式を挙行し、この日を創立記念日とする。
- 1897年4月 鹿児島県尋常中学校より第2学年から第4学年までの各40名を鹿児島県尋常中学造士館に移籍[5]。
- 1898年4月 鹿児島県第一尋常中学校と改称。
- 1899年4月 鹿児島県第一中学校と改称。
- 1901年5月 第七高等学校造士館の設立にともない、鹿児島県中学造士館の生徒の第4学年以上の生徒が鹿児島県第一中学校に移籍[6]。
- 1901年9月 鹿児島県立鹿児島中学校と改称。
- 1906年4月 鹿児島県立第一鹿児島中学校(通称・一中)と改称[7]。
- 1910年3月8日 数室の一部と附属建物6棟が焼失。4月4日より寄宿舎の一部を、9月11日より元県立商船水産学校の校舎を代わりの教室にする。
- 1913年2月 薬師町に移転。6月に竣工し、10月17日に落成式挙行。
- 同年6月 一中校歌制定
- 1921年10月 プール竣工
- 1945年6月17日 戦災により全校舎焼失。10月1日、鹿児島県立第二鹿児島中学校校地に一時移転。同18日、伊敷の旧兵舎に移転し授業開始。
- 1947年9月 薬師町校地に4・5年生移転、授業開始。翌年2月9日に全校移転を完了。
- 1948年4月19日 学制改革によって新制高等学校となり、鹿児島県鹿児島高等学校第五部と称し、山下町に移転。6月20日に通信教育部を併設。
- 鹿児島県立第一高等女学校
- 1901年5月 鹿児島県立高等女学校設立許可[8]、7月に加治屋町に校舎起工(現・鹿児島県立鹿児島中央高等学校校舎)、翌年12月竣工。
- 1902年 鹿児島県立高等女学校開校。5月6日に授業を開始し、この日を創立記念日と定める。5月28日、落成式兼開校式。
- 1907年10月 校旗制定。
- 1910年3月 鹿児島県立第一高等女学校(通称・一高女)と改称[9]。
- 1922年4月 専攻科を附設。
- 1925年10月 校歌と校訓を制定。
- 1935年9月 奉安殿新校舎講堂落成。
- 1935年11月 一高女校舎、大本営(8 - 10日)、行在所(15 - 18日)となる。28日に新校舎使用開始。
- 1936年11月 同窓会館落成。
- 1945年 6月17日、戦災により講堂・洋和作法教室・教室・図書室の一部を焼失。8月6日、戦災により1階北側全部焼失。
- 1947年 新設された鹿児島女子専門学校に一高女専攻科の生徒を編入。
- 1948年4月19日 学制改革によって新制高等学校となり、鹿児島県鹿児島高等学校第三部と称す。
- 鹿児島県立鶴丸高等学校
- 1949年4月 鹿児島県鹿児島高等学校第三部(旧一高女)・第五部(旧一中)・第六部(旧鹿児島県立履正中学校)を統合して、第三部(旧・一高女)校舎に鹿児島県鶴丸高等学校発足。第五部通信教育部は鶴丸高校通信教育部、第六部は鶴丸高校夜間部となる。
- 1950年4月1日 鹿児島市高等学校[10]第四部(夜間・普通科)を鶴丸高校夜間部に統合。
- 1951年1月31日 鹿児島県鶴丸高等学校同窓会結成。
- 同年4月1日 鹿児島県鹿屋高等学校通信教育部を鶴丸高校通信教育部に統合。
- 1952年4月 校歌制定。
- 1956年4月 鹿児島県立鶴丸高等学校に改称。
- 1964年3月 薬師町の旧一中跡地(現在地)に新築移転。夜間部のみ加治屋町の旧一高女校舎に残る。(移転については鹿児島県立鹿児島中央高等学校#沿革の項も参照。)
- 同年4月1日 夜間部が鹿児島県立日新高等学校として独立。
- 同年4月19日 創立70周年記念式典挙行に際し、この日を鶴丸高校創立記念日と定める。
- 1968年 通信教育部を分離し、鹿児島県立鹿児島西高等学校(日新高校から改称)に移管。
- 1971年7月 第1回甲南・鶴丸スポーツ交歓会(甲鶴戦)開催。
- 1972年5月 第2生徒館竣工。
- 1974年10月 応援歌「蒼天翔ける」制定発表。
- 1982年3月 生徒館(普通教室棟)増改築竣工、新館竣工。
- 1985年 5月、体育館竣工。12月、弓道場「鶴心館」竣工。
- 1993年3月 礼法室「草寿庵」竣工
- 1994年6月 創立100周年記念庭園完成(一中生銅像及び一高女生銅像の製作は中村晋也)。
- 同年10月 文化館竣工。
- 2002年4月 3学期制から2学期制へ移行。
- 2003年1月 第2生徒館耐震補強工事完工。
- 2007年3月 生徒館第1期耐震補強その他工事完工(2006年7月着工)。
- 2008年2月 生徒館第2期耐震補強その他工事完工(2007年8月着工)。
旧鹿児島県立尋常中学校門(登録有形文化財)
- 概要
- 一中創立時の門柱は、当時の場所(鹿児島県鹿児島市山下町14-1)に保存され、かごしま県民交流センターの西門になっている。
- 薬師町(現在地)に移転後の1921年4月19日、一中同窓会によって一中の校名板が外され、片方に「鹿児嶋縣立尋常中學校門柱」の文字、もう片方に碑文が刻まれた。
- 登録年月日
- 登録基準
- 国土の歴史的景観に寄与しているもの
- 登録番号
- 第46-0064号
- 構造
- 洋風石造門柱2基
- 間口3.1m
- 本柱:高さ2.3m
- 脇柱:高さ2.2m
- 両側通用門付
- 用途の変遷
- 県立尋常中学校正門 → 県立図書館正門 → 鹿児島県庁舎裏門 → かごしま県民交流センター西門
※本項については以下を参照。
部活動
文化系17、体育系21の部がある。(2019年現在)
- 文化系
- 体育系
- 主な部活動の成績
-
- 野球部
野球の名付け親である中馬庚が赴任した1899年に創部された。ただし、中馬が野球部創設に関与したという史料はない。1925年、選抜中等学校野球大会(現・選抜高等学校野球大会)第2回大会に春夏通じて鹿児島県勢として初の甲子園出場(甲子園開場前の大会を含む)。
- サッカー部
全国高等学校サッカー選手権大会に計3回(1950年第28回大会、1951年第29回大会、1957年第35回大会)出場。
- 男子バレー部
1951年、広島国体出場。
- 女子バレー部
1946年、京都国体に出場、準優勝。1956年、兵庫国体出場。
- ラグビー部
1956年、兵庫国体出場。
- 百人一首部
1983年より全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会に県代表として連続出場を続けている。1984年に3位、1996年に4位入賞。2005年に9年ぶりのベスト8、2012年には準優勝を果たした。
- 山岳部
2009年よりインターハイに県代表として連続出場を続けている。(2016年現在)
アクセス
- JR九州新幹線、鹿児島本線、指宿枕崎線「鹿児島中央駅」西口より徒歩約12分
- 鹿児島市電「鹿児島中央駅前」電停より徒歩約15分
- 鹿児島市営バス 9、13、35番線「鶴丸高校前」バス停より徒歩約1分
- 鹿児島市営バス 2、9、13、23、35番線「西田本通」バス停より徒歩約3分
著名な出身者・関係者
政治・行政
- 池田清 旧制中 - 国会議員(貴族院、衆議院)、官僚(警視総監)
- 伊地知四郎 旧制中 - 官選鹿児島市長、海軍少将
- 井之口政雄 旧制中 - 国会議員(衆議院)、ジャーナリスト
- 岩切重雄 旧制中 - 国会議員(衆議院)、官選鹿児島市長
- 勝目清 旧制中 - 鹿児島市長
- 金丸三郎 旧制中 - 鹿児島県知事、国会議員(参議院)、閣僚(総務庁長官)、官僚(自治事務次官)
- 佐多忠隆 旧制中 - 国会議員(参議院)
- 下稲葉耕吉 旧制中 - 国会議員(参議院)、閣僚(法務大臣)、官僚(警視総監)
- 竹内可吉 旧制中 - 国会議員(貴族院)、官僚(商工次官、企画院総裁)
- 津崎尚武 旧制中- 国会議員(衆議院)、官僚(厚生政務次官)
- 鶴園哲夫 旧制中 - 国会議員(参議院)、官僚・労働組合幹部(全農林委員長)
- 寺園勝志 旧制中 - 鹿児島県知事
- 東郷茂徳 旧制中 - 外交官(大使)、閣僚(外務大臣、拓務大臣、大東亜大臣)
- 中村四郎 旧制中 - 官僚(官選徳島県知事)
- 東幸治 旧制中 - 国会議員(衆議院)、ジャーナリスト
- 持永和見 旧制中 - 国会議員(衆議院)、官僚
- 宇都隆史 鶴丸 - 国会議員(参議院)、自衛官
- 大田弘子 鶴丸 - 経済学者、閣僚(経済財政政策担当大臣)[11]
- 小里泰弘 鶴丸 - 国会議員(衆議院)
- 藤井信吾 鶴丸 - 茨城県取手市長
- 皆吉稲生 鶴丸 - 国会議員(衆議院)
- 宮路拓馬 鶴丸 - 国会議員(衆議院)
- 八板俊輔 鶴丸 - 西之表市長、ジャーナリスト(朝日新聞社)
- 柳田稔 鶴丸 - 国会議員(衆議院、参議院)、閣僚(法務大臣、拉致問題担当大臣)
- 湯元敏浩 鶴丸 - 姶良市長、日本テレビプロデューサー
- 森山裕 鶴丸一時在籍(※夜間課程入学、学校改編により日新高校卒業) - 国会議員(衆議院、参議院)、閣僚(農林水産大臣)
法曹
社会運動・社会活動
経済・実業
- 岩元達一 旧制中 - 山形屋会長
- 田丸秀治 旧制中 - 電通社長・相談役
- 岡俊子 鶴丸 - アビームM&Aコンサルティング社長、経営コンサルタント
- 上村基宏 鶴丸 - 鹿児島銀行頭取、九州フィナンシャルグループ社長
- 小村充広 鶴丸 - ジャパンネット銀行社長
- 島津忠裕 鶴丸 - 島津興業社長、島津宗家第32代当主
- 徳重剛 鶴丸 - 鹿児島プロスポーツプロジェクト社長、鹿児島ユナイテッドFC代表
- 吉田憲一郎 鶴丸 - ソニー社長CEO
- 吉留真 鶴丸 - 大和証券SMBC社長、大和証券キャピタル・マーケッツ社長・会長
報道・マスコミ・ジャーナリズム
- 有村かおり 鶴丸 - アナウンサー(TBS)
- 榎田卓央 鶴丸 - アナウンサー(テレビ東京)、教育者
- 大山勝美 鶴丸 - テレビプロデューサー(TBS)
- 岡田祐介 鶴丸 - アナウンサー(南日本放送)
- 小原茂 鶴丸 - アナウンサー(NHK)
- 鹿島綾乃 鶴丸 - アナウンサー(NHK)
- 川添佳穂 鶴丸 - アナウンサー(朝日放送テレビ)
- 黒木奈々 鶴丸 - アナウンサー(フリー)
- 瀬戸口克陽 鶴丸 - テレビプロデューサー(TBS)
- 瀬下恵介 鶴丸 - ジャーナリスト(毎日新聞社)
- 下松小百合 鶴丸 - アナウンサー(鹿児島テレビ放送・テレビ西日本)
- 中馬清福 鶴丸 - 朝日新聞社顧問
- 前原智子 鶴丸 - アナウンサー(北陸放送)
- 宮地麻理子 鶴丸 - アナウンサー(NHK・熊本朝日放送・北海道放送)
- 向原祥隆 鶴丸 - 南方新社代表、社会運動家
- 山上真実 鶴丸 - アナウンサー(NHK・鹿児島テレビ放送)
学術・研究(理・工・農・医系)
- 諏訪兼位 旧制中 - 地球科学者(岩石学、地質学)、名古屋大学名誉教授、日本福祉大学学長・名誉教授、歌人
- 江石清行 鶴丸 - 医学者、長崎大学教授(2018年度現在)
- 角秀秋 鶴丸 - 医師(心臓血管外科)
- 林明人 鶴丸 - 医学者(リハビリテーション医学)、順天堂大学教授(2019年度現在)
学術・研究(人文学・社会科学・人間科学系)
- 勝田有恒 旧制中 - 法学者、一橋大学名誉教授
- 森昭 旧制中 - 哲学者・教育学者(教育哲学)
- 山下徳治 旧制中 - 教育学者
- 山下俊郎 旧制中 - 教育心理学者、東京都立大学 (1949-2011)名誉教授
- 久木田重和 鶴丸 - 経済学者(会計学)、東京経済大学名誉教授・学長
- 久冨木原玲 鶴丸 - 国文学者(中古文学)、愛知県立大学名誉教授・学長
- 壽福眞美 鶴丸 - 社会学者、法政大学名誉教授
- 原口剛 鶴丸 - 地理学者(社会地理学、都市論)、神戸大学准教授(2019年度現在)
- 平田厚 鶴丸 - 法学者(民法、家族法)、明治大学教授(2019年度現在)、弁護士
- 深見聡 鶴丸 - 観光学者、長崎大学准教授(2018年度現在)
- 福留留美 鶴丸 - 心理学者、福岡女学院大学教授(2018年度現在)
- 好美清光 鶴丸 - 法学者、一橋大学名誉教授
文学・評論・文筆
- 黒田三郎 旧制中 - 詩人
- 中島河太郎(中嶋馨) 旧制中 - 文芸評論家、国文学者、和洋女子大学学長・名誉教授、日本推理作家協会第7代理事長、日本ミステリー文学大賞受賞者
- 河野修一郎 鶴丸 - 小説家、化学ライター
- 蔵前仁一 鶴丸 - 旅行作家、編集者、装丁家
- 柳田理科雄 鶴丸 - 文筆家
- 平川綾真智(※鶴丸中退) - 詩人
芸術・クリエーター・芸能
- 安藤実親 鶴丸 - 作曲家
- 尾崎衣良 鶴丸 - 漫画家
- 竪山博之 鶴丸 - 俳優、演出家、脚本家
- 辛島美登里 鶴丸 - シンガーソングライター
- 黒木真二 鶴丸 - 俳優
- 小宮路敏 鶴丸 - 作曲家、教育者
- 迫田孝也 鶴丸 - 俳優
- 渋谷昶子 鶴丸 - 映画監督
- 桃月庵白酒 鶴丸 - 落語家
- 野口たくお 鶴丸 - MBCタレント
- YANAGIMAN 鶴丸 - 音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、ベーシスト
スポーツ
軍人
- 有馬正文 旧制中 - 大日本帝国海軍軍人
- 牛島満 旧制中 - 大日本帝国陸軍軍人(一中を経て熊本陸軍地方幼年学校に入校。のちに配属将校として一中に赴任)
- 大室孟 旧制中 - 大日本帝国陸軍軍人、航空自衛隊自衛官(第7代航空幕僚長)
- 川越守二 旧制中 - 大日本帝国陸軍軍人
- 川原侃 旧制中 - 大日本帝国陸軍軍人
- 鮫島博一 旧制中 - 大日本帝国海軍軍人、防衛駐在官、海上自衛隊自衛官(第10代海上幕僚長、第9代統合幕僚会議議長)
- 寺師義信 旧制中 - 医師、大日本帝国陸軍軍医
- 中山源夫 旧制中 - 大日本帝国陸軍軍人
- 野田毅 旧制中 - 大日本帝国陸軍軍人
- 野村直邦 旧制中 - 大日本帝国海軍軍人、海軍大臣
- 牧野四郎 旧制中 - 大日本帝国陸軍軍人
- 山岡大二 旧制中 - 大日本帝国海軍軍人、海上自衛隊自衛官
著名な教職員
- 秋吉音治 - 旧制中校長
- 安藤貫一 - 旧制中教職員
- 岩崎行親 - 旧制中校長
- 佐々木季邦 - 旧制中教職員
- 中馬庚 - 旧制中教職員
- 長沢市蔵 - 旧制中校長
- 西村一意 - 旧制中教職員、鶴丸教頭
- 広谷致員 - 旧制中教職員
- 益田道三 - 旧制中教職員
- 安田尚義 - 旧制中教職員
- 児島文 - 旧制高女教職員
- 谷口午二 - 旧制高女教職員
- 名和君代 - 旧制高女教職員
脚注
- ^ これは近年の同校発行「学校要覧」よりの引用文であるが、「学校要覧」のみならず、入学式や創立記念式典の校長式辞などでもよく用いられる表現である。しかしながら一方では、1996年に同校百年史編修委員会が編集・発行した『創立百年』の「序章」においては、「本県における中学校設立は山口・九州各県で最後となっているが、女学校は熊本、佐賀、沖縄より早く設置されている。ただ女学校は別として中学校はこれまで見てきたように明治二十七年四月の同校前身である県立尋常中学校の設立が、本県中学校における全く最初のものではないので実質的には最後であったというわけではない。」と述べている。
- ^ 造士館と同校、および甲南高校の関係性について、前掲の『創立百年』は、次の如く指摘している。「四月、前年末の県議会などでも話題になっていた分校の独立が実現した。そこで同校は鹿児島県立第一鹿児島中学校と称することになり、分校は鹿児島県立第二鹿児島中学校と称したのである。その開校式は五月十三日に行われたが、その式辞で校長事務取扱沢田事務官の挨拶に『この學校は明治二十九年十二月二十五日新設され縣立中學造士館と称したものが明治三十四年四月三十日に廃され、その五月一日に縣立第一中學校分校として開校し、それが同年九月二日鹿兒嶋縣立鹿兒嶋中學校分校と改稱し三十五年五月二十九日にこの地に校舎新たになり』とその歴史を説いている。明らかに中学造士館から説きおこしている。そうなると現県立甲南高等学校の歴史は、この分校独立からということにはならないのではあるまいか。」このことについては、造士館#後裔および中学造士館も参照のこと。
- ^ 当時は既に明治17年設立の「鹿児島県立中学造士館(→官立鹿児島高等中学造士館→鹿児島県尋常中学造士館)」が存在し、これが本県旧制中学校(中等教育)課程を担っており、同校前身の県尋常中学校とは館馬場(やかたんばば、現在の国道10号線)を隔てて並立・対抗していた(『鹿児島県教育史 下巻』『創立百年』)。
- ^ 「高校グラフィティー」『読売新聞』 2006年10月9日朝刊。
- ^ 尋常中学造士館の規模維持のため
- ^ 鹿児島県中学造士館収容のために鹿児島県第一中学校分校が新設されたが、当時の規定で分校には第3学年までしか設置できなかったため
- ^ 鹿兒島縣立鹿兒島中學校改稱認可(明治三十九年文部省告示第十八号、 原文)
- ^ 鹿兒島縣立高等女學校設置開校認可(明治三十四年文部省告示第百十九号、 原文)
- ^ 鹿兒島縣立高等女學校改稱認可(明治四十三年文部省告示第七十一号、 原文)
- ^ 後の鹿児島玉龍高等学校・鹿児島商業高等学校・鹿児島女子高等学校
- ^ 同級生交歓 鹿児島県立鶴丸高校 - 文藝春秋WEB
関連文献
- 『鹿児島県史 第四巻』(1943) - 鹿児島県編
- 『鹿児島県教育史 下巻』(1961) - 鹿児島県教育委員会編
- 『鹿児島一中記』(1964) - 安田尚義編
- 『研究誌 鶴苑 創刊号』(1974) - 鹿児島県立鶴丸高等学校編
- 『創立百年』(1994) - 鹿児島県立鶴丸高等学校百年誌編集委員会編
- 『創立百周年記念誌 龍門』(1997) - 鹿児島県立加治木高等学校百年誌編集企画委員会編
- 『中学造士館の研究 史料の紹介と考察』(1997) - 山下玄洋
- 『卒業記念誌 はろばろと 第七号』(1999) - 鹿児島県立鶴丸高等学校編
- 『日本の名門高校ベスト100(公立高校編)』(2002) - 日本の名門高校ベスト100(公立高校編)編集委員会編