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「法華経」の版間の差分

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== 内容 ==
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=== 概説 ===
=== 概説 ===
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている。{{Efn|この28品が法華経成立当初から全て揃っていたかどうかは後述の成立年代についての議論の通り、疑問だが、少なくとも智顗の説は28品全てがはじめから揃っていたことを前提として展開されている。岩本・坂本1976}}現在、日本で広く用いられている[[智ギ|智顗]](天台大師)の教説によると、前半14品を''迹門''(しゃくもん)、後半14品を''本門''(ほんもん)と分科する。迹門とは、[[出世]]した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく[[五百塵点劫]]という久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の''[[天台宗]]''や''[[法華宗一致派]]''は両門を対等に重んじ、''[[法華宗勝劣派]]''は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている。{{Efn|この28品が法華経成立当初から全て揃っていたかどうかは後述の成立年代についての議論の通り、疑問だが、少なくとも智顗の説は28品全てがはじめから揃っていたことを前提として展開されている。岩本・坂本1976}}現在、日本で広く用いられている[[智顗]](天台大師)の教説によると、前半14品を''迹門''(しゃくもん)、後半14品を''本門''(ほんもん)と分科する。迹門とは、[[出世]]した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく[[五百塵点劫]]という久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の''[[天台宗]]''や''[[法華宗一致派]]''は両門を対等に重んじ、''[[法華宗勝劣派]]''は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。


また、[[三分]](さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。
また、[[三分]](さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。
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*[[本仏]]
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*[[聖徳太子]]
*[[聖徳太子]]
*[[智ギ|智顗]]
*[[智顗]]
*[[天台山]]
*[[天台山]]
*[[最澄]]
*[[最澄]]

2020年8月16日 (日) 12:10時点における版

白い蓮の花。蓮は、泥の中に生まれても、泥に染まらず、清浄な花を咲かせる[注釈 1]

法華経』(ほけきょう、ほっけきょう)は、大乗仏教の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想の原点が説かれている[1]聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来した[2]

名称

サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』(: सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma Puṇḍarīka Sūtra「正しい教えである白い蓮の花の経典」の意[注釈 2])の漢訳での総称であり、梵語サンスクリット)原題の意味は、「サッ」(sad)が「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)が「」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)が「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)が「たて糸:経」であるが、漢訳に当たってこのうちの「白」だけが省略されて、例えば鳩摩羅什訳では『妙法蓮華経』となった。さらに「妙」、「蓮」が省略された表記が、『法華経』である。「法華経」が「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合が多い。[注釈 3]

漢訳は、部分訳・異本を含めて16種が現在まで伝わっているが、完訳で残存するのは

  • 正法華経』10巻26品(竺法護訳、286年、大正蔵263)
  • 妙法蓮華経』8巻28品(鳩摩羅什訳、400年、大正蔵262)[5]
  • 添品妙法蓮華経』7巻27品(闍那崛多・達磨笈多共訳、601年、大正蔵264)

の3種で、漢訳三本と称されている。漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、「最も優れた翻訳」[注釈 4]として流行し、天台教学や多くの宗派の信仰上の所依として広く用いられている。

内容

概説

鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている。[注釈 5]現在、日本で広く用いられている智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科する。迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく五百塵点劫という久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の天台宗法華宗一致派は両門を対等に重んじ、法華宗勝劣派は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。

また、三分(さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。

経本としても流通しているが、『妙法蓮華経』全体では分量が大きいこともあり、いくつかの品を抜粋した『妙法蓮華経要品』(ようほん)も刊行されている。

迹門

前半部を迹門(しゃくもん)と呼び、般若経で説かれる大乗を主題に、二乗作仏二乗成仏が可能であるということ)を説くが、二乗は衆生から供養を受ける生活に余裕のある立場であり、また裕福な菩薩が諸々の眷属を連れて仏の前の参詣する様子も経典に説かれており、説法を受けるそれぞれの立場が、仏を中心とした法華経そのものを荘厳に飾り立てる役割を担っている。

さらに提婆達多の未来成仏(悪人成仏)等、“一切の衆生が、いつかは必ず「」に成り得る”という平等主義の教えを当時の価値観なりに示し、経の正しさを証明する多宝如来が出現する宝塔出現、虚空会、二仏並座などの演出によってこれを強調している。 また、見宝塔品には仏滅後に法華経を弘める事が大難事(六難九易)であること、勧持品には滅後末法に法華経を弘める者が迫害をされる姿が克明に説かれる等、仏滅後の法華経修行者の難事が説かれる。

本門

後半部を本門(ほんもん)と呼び、久遠実成(くおんじつじょう。釈迦牟尼仏は今生で初めて悟りを得たのではなく、実は久遠五百塵点劫の過去世において既に成仏していた存在である、という主張)の宣言が中心テーマとなる。これは、後に本仏論問題を惹起する。

本門ではすなわちここに至って仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。それにより“一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る”という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。

説法の対象は、菩薩をはじめとするあらゆる境涯に渡る。また、末法愚人を導くとして上行菩薩を初めとする地涌の菩薩たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。

妙法蓮華経二十八品一覧

  • 前半14品(迹門)
    • 第1:序品(じょほん)
    • 第2:方便品(ほうべんぽん)
    • 第3:譬喩品(ひゆほん)
    • 第4:信解品(しんげほん)
    • 第5:薬草喩品(やくそうゆほん)
    • 第6:授記品(じゅきほん)
    • 第7:化城喩品(けじょうゆほん)
    • 第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
    • 第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
    • 第10:法師品(ほっしほん)
    • 第11:見宝塔品(けんほうとうほん)
    • 第12:提婆達多品(だいばだったほん)
    • 第13:勧持品(かんじほん)
    • 第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)
  • 後半14品(本門)
    • 第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)
    • 第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
    • 第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
    • 第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
    • 第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
    • 第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)
    • 第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
    • 第22:嘱累品(ぞくるいほん)
    • 第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
    • 第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
    • 第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)(観音経)[注釈 6]
    • 第26:陀羅尼品(だらにほん)
    • 第27:妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)
    • 第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)

その他の追加部分

  • 第29:廣量天地品(こうりょうてんちぼん)[6]
  • 第30:馬明菩薩品(めみょうぼさつぼん)[7]

28品のほか、以上の追加部分も成立しているが、偽経扱いとなり普及しなかった。「廣量天地品第二十九」は冒頭部分のみを除いて失われている。『妙法蓮華経』28品と同じくネット上でも大正新脩大蔵経データベースで閲覧できる。

法華七喩(ほっけしちゆ)

法華経では、7つのたとえ話として物語が説かれている。これは釈迦仏がたとえ話を用いてわかりやすく衆生を教化した様子に則しており、法華経の各品でもこの様式を用いてわかりやすく教えを説いたものである。これを法華七喩、あるいは七譬(しちひ)ともいう。

  1. 三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品)
  2. 長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品)
  3. 三草二木(さんそうにもく、薬草喩品)
  4. 化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)
  5. 衣裏繋珠(えりけいしゅ、五百弟子受記品)
  6. 髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)
  7. 良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)


成立年代

『法華経』の成立時期については諸説ある。

代表的な説として布施浩岳が『法華経成立史』(1934)で述べた説がある[8]。これは段階的成立説で、法華経全体としては3類、4記で段階的に成立した、とするものである。第一類(序品〜授学無学人記品および随喜功徳品の計10品)に含まれる韻文は紀元前1世紀ころに思想が形成され、紀元前後に文章化され、長行(じょうごう)と呼ばれる散文は紀元後1世紀に成立したとし、第二類(法師品〜如来神力品の計10品)は紀元100年ごろ、第三類(7品)は150年前後に成立した、とした[8]。その後の多くの研究者たちは、この説に大きな影響を受けつつ、修正を加えて改良してきた[8]。だが、近年になって苅谷定彦によって、「序品〜如来神力品が同時成立した」とする説[9]が唱えられたり、「勝呂信静によって27品同時成立説[10]が唱えられたことによって、成立年代特定の問題は『振り出しにもどった』というのが現今の研究の状況だ」と管野博史は1998年刊行の事典において解説した[8]

中村元は、(法華経に含まれる)《長者窮子の譬喩》に見られる、金融を行って利息を取っていた長者の臨終の様子から、「貨幣経済の非常に発達した時代でなければ、このような一人富豪であるに留まらず国王等を畏怖駆使せしめるような資本家はでてこないので、法華経が成立した年代の上限は西暦40年である」と推察した[11]。また、渡辺照宏も、「50年間流浪した後に20年間掃除夫だった男が実は長者の後継者であると宣言される様子から、古来インド社会はバラモンを中心とした強固なカースト制度があり、たとえ譬喩であってもこうしたケースは現実味が乏しく、もし考え得るとすればバラモン文化の影響が少ない社会環境でなければならない[12]」と述べた。

流布

ユーラシア大陸での法華経の流布

この経は日本に伝わる前、ユーラシア大陸東部で広く流布した。先ず、インドに於いて広範に流布していたためか、サンスクリット本の編修が多い。羅什の訳では真言・印を省略する。添品法華経ではこれらを追加している。

またチベット語訳、ウイグル語訳、西夏語訳、モンゴル語訳、満洲語訳、朝鮮語諺文)訳などがある。これらの翻訳の存在によって、この経典が広い地域にわたって読誦されていたことが理解できる。チベット仏教ゲルク派開祖ツォンカパは主著『菩提道次第大論』で、滅罪する方便として法華経を読誦することを勧めている[13]

ネパールでは九法宝典(Navagrantha)の一つとされている[14]

中国天台宗では、『法華経』を最重要経典として採用した。中国浙江省に有る天台山国清寺の智顗(天台大師)は、鳩摩羅什の『妙法蓮華経』を所依の経典とした。

日本での法華経の流布

『法華義疏』
平家納経』観普賢経見返し 長寛2年(1164年

日本では正倉院に法華経の断簡が存在し、日本人にとっても古くからなじみのあった経典であったことが伺える。

天台宗日蓮宗系の宗派には、『法華経』に対し『無量義経』を開経、『観普賢菩薩行法経』を結経とする見方があり、「法華三部経」と呼ばれている。日本ではまた護国の経典とされ、『金光明経』『仁王経』と併せ「護国三部経」の一つとされた。

なお、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五は『観音経』として多くの宗派に普及している。また日蓮宗では、方便品第二、如来寿量品第十六、如来神力品第二十一をまとめて日蓮宗三品経と呼ぶ。

606年(推古14年)に聖徳太子が法華経を講じたとの記事が日本書紀にある。

「皇太子、亦法華経を岡本宮に講じたまふ。天皇、大きに喜びて、播磨国の水田百町を皇太子に施りたまふ。因りて斑鳩寺に納れたまふ。」(巻第22、推古天皇14年条)

615年には聖徳太子が法華経の注釈書『法華義疏』を著したとされる (「三経義疏」参照)。聖徳太子以来、法華経は仏教の重要な経典のひとつであると同時に、鎮護国家の観点から、特に日本国には縁の深い経典として一般に考えられてきた。多くの天皇も法華経を称える歌を残しており[15]聖武天皇の皇后である光明皇后は、全国に「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」を建て、これを「国分尼寺」と呼んで「法華経」を信奉した。

最澄によって日本に伝えられた天台宗は、明治維新までは皇室の厚い尊崇を受けた。また最澄は、自らの宗派を「天台法華宗」と名づけて「法華経」を至上の教えとした。

平安時代末期以降に成立した『今昔物語集』では法華経の利益が多く描かれている。

鎌倉時代~戦国時代

鎌倉新仏教においても法華経は重要な役割を果たした。大念仏を唱え融通念仏宗の祖となる良忍は後の浄土系仏教の先駆として称名念仏を主張したが、華厳経と法華経を正依とし、浄土三部経を傍依とした。

曹洞宗の祖師である道元は、「只管打坐」の坐禅を成仏の実践法として宣揚しながらも、その理論的裏づけは、あくまでも法華経の教えの中に探し求めていこうとし続けた。臨終の時に彼が読んだ経文は、法華経の如来神力品であった。

日蓮は、「南無妙法蓮華経」の題目を唱え(唱題行)、妙法蓮華経に帰命していくなかで凡夫の身の中にも仏性が目覚めてゆき、真の成仏の道を歩むことが出来る(妙は蘇生の儀也)、という教えを説き、法華宗各派の祖となった。それまでも祈祷や懺悔滅罪のために法華経の読誦や写経は盛んに行われていたが、日蓮教学の法華宗は、この経の題目(題名)の「妙法蓮華経」(鳩摩羅什漢訳本の正式名)の五字を重んじ、南無妙法蓮華経(五字七字の題目)と唱えることを正行(しょうぎょう)とした所に特色がある。

一方で浄土宗の祖である法然浄土真宗を開いた親鸞などは、比叡山で万人成仏を説く法華経を学んだのちに、持戒や難行を必要としない称名念仏を万人成仏の具体的な手段として見出し、専修念仏を説いた。浄土教と法華経の戦いは時として激しい衝突に至った(法華一揆安土問答)。

近世

近世における法華経は罪障消滅を説く観点から、戦国の戦乱による戦死者への贖罪と悔恨、その後の江戸期に至るまでの和平への祈りを込めて戦国武将とその後の大名家に広く信奉されるようになった。例として加藤清正は法華経を納経している。

江戸期における大名家菩提寺も江戸城下に寄進し法華・日蓮宗系の菩提寺が多く建築され、また紀伊徳川家や加藤清正らによって元よりあった池上本門寺への寄進改築も進んだ。これら大名による諸宗派寺社寄進には軍役奉仕である参勤交代や天下普請といった江戸幕府からの奉仕負担を少しでも大目に見てもらおうという目的と、このような菩提寺はいざ国外からの有事軍役の際に自藩の江戸藩邸屋敷以外の砦としてもの利用も想定するためである。現にこういった寺社は幕末の動乱の際に砦として活用された(上野戦争における加賀藩邸および寛永寺)。

上記の理由以外に特に武家の妻女・子女らには変成男子せずとも女人成仏ができると説いた日蓮の教えに感化され勧んで信奉するものがこぞって多くなった。

近代

近代においても法華経は、おもに日蓮を通じて多くの作家・思想家に影響を与えた教典である。島地大等編訳の『漢和対照妙法蓮華経』に衝撃を受け、のち田中智学国柱会に入会した宮沢賢治(詩人・童話小説家)や、高山樗牛(思想家)、妹尾義郎(宗教思想家)、北一輝(革命家)、石原莞爾(軍人)、創価学会を結成することとなる牧口常三郎戸田城聖(両者とも元教員)らがよく知られている。

一方で西欧式の仏教研究が輸入され大乗非仏説も常識化した[16]

1945年太平洋戦争での敗戦後、宗教の自由化によって、創価学会立正佼成会といった日蓮系の教団が大きく勢力を伸ばした。

法華経は女人成仏は可か否かなど一部の文言については進駐軍の意向もあり教学上、解釈の変更も一部の宗派では余儀なくされた[要出典]

法華経の写本の例 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)平安時代

経典としての位置づけ

文献学的研究者の立場

文献学的研究では、成立年代を釈迦存命時より数百年後する大乗非仏説論が強い。上座部仏教大乗仏教の対立の止揚として、両者を融合させてすべてを救うことを主張するため作成されたと推測する説[17]龍樹の創作説、文中に登場する「法師」の創作説[16]、西暦紀元前後、部派仏教と呼ばれる専従僧侶独占に反発する教団によって編纂されたと推測する説[要出典]などがある [注釈 7]

法華経を所依の経典とする派の立場

法華経を所依の経典として重視する諸派は、法華経を、釈迦が晩年に説いたとする釈迦の法(教え)の極意・正法(妙法)と位置づける天台智顗の教説、五時八教を多かれ少なかれ継承している。

文献学的研究に対する反応

日本では、江戸時代に発行された富永仲基出定後語』の影響に加え、西洋系の近代仏教学を導入した影響から大乗非仏説論が広く浸透した[18]

法華経の成立が、釈迦存命時より数世紀後だという文献学の成果に対し、日本の法華系教団では、釈迦の発言を継承していき後代に文章化したとする[19]、釈迦の直説を長い時を経て弟子から弟子へと継承される課程で発展していったものとする、師の教義を弟子が継承し発展させることは、生きた教団である以上あり得ることから、後世の成立とされる大乗経典は根無し草の如き存在ではないとするなど、後世の経典もまた「釈迦の教義」として認める、という類の折衷的解釈を打ち出す傾向がある。さらに一歩進んで、非仏説論が正しくても問題ないロジックを組むべきという立場もある[20]

対して非仏説論に対抗すべきとの派閥もあり、例えば日蓮正宗は古来からの五時八教説を支持している[21]

漢訳一覧

  • 『妙法蓮華経』 八巻 鳩摩羅什訳 (大正蔵262)
  • 『正法華経』 十巻 竺法護訳 (大正蔵263)
  • 『添品妙法蓮華経』 七巻 闍那崛多・笈多訳 (大正蔵264)
  • 『薩曇分陀利経』 一巻 訳者不明 (大正蔵265)
  • 『仏説阿惟越致遮経』 三巻 竺法護訳 (大正蔵265)
  • 『不退転法輪経』 四巻 訳者不明 (大正蔵267)
  • 『仏説広博厳浄不退転輪経』 六巻 智厳訳 (大正蔵268)
  • 『仏説法華三昧経』 一巻 智厳訳 (大正蔵269)
  • 『大法鼓経』 二巻 求那跋陀羅訳 (大正蔵270)
  • 『仏説菩薩行方便境界神通変化経』 三巻 求那跋陀羅訳 (大正蔵271)
  • 『大薩遮尼乾子所説経』 十巻 菩提留支訳 (大正蔵272)
  • 『金剛三昧経』 一巻 訳者不明 (大正蔵273)
  • 『仏説済諸方等学経』 一巻 竺法護訳 (大正蔵274)
  • 『大乗方広総持経』 一巻 毘尼多流支訳 (大正蔵275)
  • 『無量義経』 一巻 曇摩伽陀耶舎訳 (大正蔵276)
  • 『仏説観普賢菩薩行法経』 1巻 曇無蜜多訳 (大正蔵277)

訳本

主な現代語訳

参考文献

  • 『哲学 思想事典』岩波書店、1998年、【法華経】、pp.1485-1486。菅野博史 担当

脚注

注釈

  1. ^ 法華経の 現代の解説書にはしばしば、このような写真とこのような主旨の解説が添えられている。
  2. ^ 原題については記事のように説明されてきたが、「プンダリーカ」が複合語の後半にきて、前半の語を譬喩的に修飾する(持業釈)というサンスクリット文法に照らしても、欧米語の訳し方からしても「白蓮のように最も優れた正しい教え」と訳すべきで、白蓮華が象徴する「最も勝れた」と「正しい」という意味を「妙」にこめて鳩摩羅什が「妙法蓮華」と漢訳したということが植木雅俊によって詳細に論じられている。[3][4]
  3. ^ 経の字をはずすと「法華」になるが、これは一般に「ほっけ」と発音する。
  4. ^ 優れたといっても、サンスクリット語原本に忠実な訳というわけではなく、漢文として読みやすいという方がより正確であろう。方便品末尾の十如是など、鳩摩羅什の創意により原本にない文章が付け加えられた所もある。岩本・坂本1976
  5. ^ この28品が法華経成立当初から全て揃っていたかどうかは後述の成立年代についての議論の通り、疑問だが、少なくとも智顗の説は28品全てがはじめから揃っていたことを前提として展開されている。岩本・坂本1976
  6. ^ 観世音菩薩の救済を説いた章だが、法華経との関連性は薄い。元々は別の経典だったとする説が根強い。詳細は観音菩薩の項目参照。
  7. ^ また、文献学といっても、たとえば、サンスクリット重視の立場で研究しても、そのサンスクリット原典そのものが、原典ではなく、写本であり、その成立年代も漢訳の仏典より、さらに新しいという例も多々あり、文献学もいまだ発展途上である。

出典

  1. ^ NHK 100分de名著 法華経[新]第1回「全てのいのちは平等である」2018年4月2日放送
  2. ^ 聖徳太子によって著されたとされる法華経の注釈書「法華経義疏」は、三経義疏の1つである。
  3. ^ 植木雅俊、「Saddharmapundarika の意味」 『印度學佛教學研究』 2000 年 49 巻 1 号 p. 431-429, doi:10.4259/ibk.49.431, 日本印度学仏教学会
  4. ^ 植木雅俊 『仏教、本当の教え』 中央公論新社〈中公新書〉、2011年、82-97頁。
  5. ^ 中文维基文库『妙法蓮華経』
  6. ^ 妙法蓮華經廣量天地品第二十九 (No. 2872 ) in Vol. 85
  7. ^ 妙法蓮華經馬明菩薩品第三十 (No. 2899 ) in Vol. 85
  8. ^ a b c d 『哲学 思想事典』岩波書店、1998年、pp.1485-1486 【法華経】
  9. ^ 苅谷定彦『法華経一仏乗の研究』1983
  10. ^ 『法華経の成立と思想』1993
  11. ^ 宮本正尊 編『大乗仏教の成立史的研究』(昭和29年) 附録第一「大乗経典の成立年代」
  12. ^ 渡辺照宏『日本の仏教』岩波書店、2002年6月12日、188頁。ISBN 978-4004121510 
  13. ^ チベット仏教書籍のご紹介
  14. ^ 藤谷厚生, 「金光明経の教学史的展開について (PDF) 」『四天王寺国際仏教大学紀要』 平成16年度 大学院 第4号 人文社会学部 第39号 短期大学部 第47号, p.1-28(p14), NAID 110006337539
  15. ^ 法華経は佛教の生命「仏種」である。第2章 第2話 法華宗真門流
  16. ^ a b 大南龍昇, 「大乗経典のゴーストライター」『印度學佛教學研究』 1991年 39巻 2号 p.524-529, 日本印度学仏教学会, doi:10.4259/ibk.39.524, NAID 110002661557
  17. ^ 『法華経』成立の背景 | NHKテキストビュー
  18. ^ 柴田章延「日蓮宗の宗論と問答 」 『教化学研究4』p.32, 日蓮宗現代宗教研究所
  19. ^ 「『法華経』─仏教研究の要」 M・I・ヴォロビヨヴァ = デシャトフスカヤ/江口満 訳 東洋哲学研究所(創価学会
  20. ^ 柴田章延「日蓮宗の宗論と問答 」 『教化学研究4』p.34, 日蓮宗現代宗教研究所
  21. ^ 大乗非仏説論 - 日蓮正宗 妙通寺 <ホームページ>

関連項目

外部リンク