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=== 采配面 ===
=== 采配面 ===
采配はデータに基づく緻密な「分析野球」の傾向が強いが、「情に厚い」<ref name="ramirezsportsnavi2016" /><ref name="ramireznumber2016" />面もある。DeNAの功労者である[[三浦大輔]]は引退試合で先発起用して7回途中まで登板<ref>{{Cite web|publisher=Full-Count|url=http://full-count.jp/2016/09/30/post47148/|title=引退のDeNA三浦、ラミレス監督の配慮で7回もマウンドへ 「感謝しかない」|accessdate=2016-11-24}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=スポーツ報知|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160929-OHT1T50225.html|title=【DeNA】大きな大きな「三浦」コール…三浦大輔、涙の引退|accessdate=2016-11-24}}</ref><ref group="注">日本の野球における投手の引退試合は、「打者1人限定」あるいは「1イニング限定」としての登板が多い。そのため、引退試合にて先発として長いイニングを投げたことは異例であるといえる。</ref><ref group="注">この采配について、ラミレスは、「もちろん勝ちゲームをしたかったけど、三浦投手に勝ちをつけたい。5割を目指す。この線引きが難しかった。代えるなら、マウンド上で代えたいと思っていた。ファンから声援をもらってマウンドから降りてもらおうと。代打を送りたくもなかった。今日は多くのファンが三浦さんを見に来ていたので見せたかった」と述べている。なお、この采配については、「粋な采配」と評価されて、実際、球場全体が盛大で温かい拍手に包まれて、三浦は引退登板を終えることとなった。</ref>させ、2016年シーズンの[[山康晃]]、[[梶谷隆幸]]、[[ホセ・ロペス (野球)|ホセ・ロペス]]<ref>{{Cite web|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20160812/den16081222120004-n1.html|title=DeNA・山崎康、8月は6登板中5試合で失点…ラミレス監督「抑えは変わらない」|accessdate=2016-11-24|publisher=サンケイスポーツ}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://baseballking.jp/ns/86668|title=直近4戦で11安打! ラミレス采配的中で“3番”ロペスが大爆発|accessdate=2016-11-24|publisher=ベースボールキング}}</ref>など主力と位置付けているが不調に苦しむ選手は、復調を信じて辛抱強く起用し続けて「スランプは誰しもがある。大きなスランプの後には大きな波がくる。自分の現役時代の経験でもそうだった」<ref>{{Cite web|publisher=ベースボールキング|url=https://baseballking.jp/ns/86668|title=直近4戦で11安打! ラミレス采配的中で“3番”ロペスが大爆発|accessdate=2016-11-24}}</ref>と述べている。自身の現役時代の経験から「外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事」<ref>{{Cite web|publisher=スポーツ報知|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/nolatin_nobaseball/20160523-OHT1T50108.html|title=DeNA・ラミレス監督インタビュー(後編)外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事|accessdate=2016-11-24}}</ref>と考えており、「ここ日本では、全てやり方が違う。メンタルも全くも違う。野球は野球で同じだけど、全く違うやり方なんだ。僕らは日本の野球に合わせなければならない。そんな中で大事なのは、そういうことをきっちり伝えるコミュニケーションだね。新しく入ってきた選手とは必ず、日本での違いについて話をするようにしている」<ref>{{Cite web|publisher=スポーツ報知|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/nolatin_nobaseball/20160523-OHT1T50108.html|title=DeNA・ラミレス監督インタビュー(後編)外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事|accessdate=2016-11-24}}</ref>と述べている。
采配はデータに基づく緻密な「分析野球」の傾向が強いが、「情に厚い」<ref name="ramirezsportsnavi2016" /><ref name="ramireznumber2016" />面もある。DeNAの功労者である[[三浦大輔]]は引退試合で先発起用して7回途中まで登板<ref>{{Cite web|publisher=Full-Count|url=http://full-count.jp/2016/09/30/post47148/|title=引退のDeNA三浦、ラミレス監督の配慮で7回もマウンドへ 「感謝しかない」|accessdate=2016-11-24}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=スポーツ報知|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160929-OHT1T50225.html|title=【DeNA】大きな大きな「三浦」コール…三浦大輔、涙の引退|accessdate=2016-11-24}}</ref><ref group="注">日本の野球における投手の引退試合は、「打者1人限定」あるいは「1イニング限定」としての登板が多い。そのため、引退試合にて先発として長いイニングを投げたことは異例であるといえる。</ref><ref group="注">この采配について、ラミレスは、「もちろん勝ちゲームをしたかったけど、三浦投手に勝ちをつけたい。5割を目指す。この線引きが難しかった。代えるなら、マウンド上で代えたいと思っていた。ファンから声援をもらってマウンドから降りてもらおうと。代打を送りたくもなかった。今日は多くのファンが三浦さんを見に来ていたので見せたかった」と述べている。なお、この采配については、「粋な采配」と評価されて、実際、球場全体が盛大で温かい拍手に包まれて、三浦は引退登板を終えることとなった。</ref>させ、2016年シーズンの[[山康晃]]、[[梶谷隆幸]]、[[ホセ・ロペス (野球)|ホセ・ロペス]]<ref>{{Cite web|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20160812/den16081222120004-n1.html|title=DeNA・山崎康、8月は6登板中5試合で失点…ラミレス監督「抑えは変わらない」|accessdate=2016-11-24|publisher=サンケイスポーツ}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://baseballking.jp/ns/86668|title=直近4戦で11安打! ラミレス采配的中で“3番”ロペスが大爆発|accessdate=2016-11-24|publisher=ベースボールキング}}</ref>など主力と位置付けているが不調に苦しむ選手は、復調を信じて辛抱強く起用し続けて「スランプは誰しもがある。大きなスランプの後には大きな波がくる。自分の現役時代の経験でもそうだった」<ref>{{Cite web|publisher=ベースボールキング|url=https://baseballking.jp/ns/86668|title=直近4戦で11安打! ラミレス采配的中で“3番”ロペスが大爆発|accessdate=2016-11-24}}</ref>と述べている。自身の現役時代の経験から「外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事」<ref>{{Cite web|publisher=スポーツ報知|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/nolatin_nobaseball/20160523-OHT1T50108.html|title=DeNA・ラミレス監督インタビュー(後編)外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事|accessdate=2016-11-24}}</ref>と考えており、「ここ日本では、全てやり方が違う。メンタルも全くも違う。野球は野球で同じだけど、全く違うやり方なんだ。僕らは日本の野球に合わせなければならない。そんな中で大事なのは、そういうことをきっちり伝えるコミュニケーションだね。新しく入ってきた選手とは必ず、日本での違いについて話をするようにしている」<ref>{{Cite web|publisher=スポーツ報知|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/nolatin_nobaseball/20160523-OHT1T50108.html|title=DeNA・ラミレス監督インタビュー(後編)外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事|accessdate=2016-11-24}}</ref>と述べている。


自身の拘りにとらわれない柔軟性もあり、就任当初は梶谷を2番打者として起用することをチームの基軸の一つとしていたが、チーム状況や梶谷自身の状態に応じて起用法を変化させ、2016年シーズンはレギュラーシーズンで梶谷の2番打者起用は8試合であった。この年の梶谷は107試合に出場して最多は3番としての47試合で、[[2016年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|ポストシーズン]]は出場7試合中5試合で2番打者として起用された<ref name="ramirezyahoo2016">{{Cite web|publisher=yahoo!ニュース|url=http://news.yahoo.co.jp/feature/366|title=エンタメを封印した知将・アレックス・ラミレスの挑戦|accessdate=2016-12-15}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=webスポルティーバ|url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2016/01/02/dena_17/|title=ラミレス監督が語る「DeNAの優勝プランと2番・梶谷に込める思い」|accessdate=2016-12-15}}</ref>。しかし、就任以来初めてAクラスを逃した2018年シーズン終了後、コーチ陣との意思疎通をしないで独断で選手起用や作戦指示をしていたことを明かし、コーチ陣に対して異例の謝罪をした<ref>{{Cite news|url=https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20181010-OHT1T50238.html|newspaper=スポーツ報知|title=【DeNA】ラミレス監督、続投正式決定も反省「コーチとの間にギャップ。私が変わらないと」|date=2018-10-10|accessdate=2018-12-17}}</ref>。
自身の拘りにとらわれない柔軟性もあり、就任当初は梶谷を2番打者として起用することをチームの基軸の一つとしていたが、チーム状況や梶谷自身の状態に応じて起用法を変化させ、2016年シーズンはレギュラーシーズンで梶谷の2番打者起用は8試合であった。この年の梶谷は107試合に出場して最多は3番としての47試合で、[[2016年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|ポストシーズン]]は出場7試合中5試合で2番打者として起用された<ref name="ramirezyahoo2016">{{Cite web|publisher=yahoo!ニュース|url=http://news.yahoo.co.jp/feature/366|title=エンタメを封印した知将・アレックス・ラミレスの挑戦|accessdate=2016-12-15}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=webスポルティーバ|url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2016/01/02/dena_17/|title=ラミレス監督が語る「DeNAの優勝プランと2番・梶谷に込める思い」|accessdate=2016-12-15}}</ref>。しかし、就任以来初めてAクラスを逃した2018年シーズン終了後、コーチ陣との意思疎通をしないで独断で選手起用や作戦指示をしていたことを明かし、コーチ陣に対して異例の謝罪をした<ref>{{Cite news|url=https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20181010-OHT1T50238.html|newspaper=スポーツ報知|title=【DeNA】ラミレス監督、続投正式決定も反省「コーチとの間にギャップ。私が変わらないと」|date=2018-10-10|accessdate=2018-12-17}}</ref>。

2020年10月29日 (木) 03:25時点における版

アレックス・ラミレス
Alex Ramírez
横浜DeNAベイスターズ 監督 #80
2013年4月6日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本[1][2]
出身地 ベネズエラの旗 ベネズエラ カラカス
生年月日 (1974-10-03) 1974年10月3日(49歳)
身長
体重
180 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1998年 アマチュア・フリーエージェントとしてクリーブランド・インディアンスと契約
初出場 MLB / 1998年4月12日
NPB / 2001年3月30日
最終出場 MLB / 2000年9月27日
NPB / 2013年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 群馬ダイヤモンドペガサス (2014)
  • 横浜DeNAベイスターズ (2016 - 2020)
Alex Ramichan Ramirez
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年4月3日 -
ジャンル ブログ
登録者数 2340人
総再生回数 約23,000回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年9月20日時点。
テンプレートを表示

アレキサンダー・ラモン・ラミレス・キニョーネスAlexander Ramón Ramírez Quiñónez, 1974年10月3日 - )は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手外野手)、横浜DeNAベイスターズ監督(第30代)。就任時点で外国籍を有する監督としてはNPB史上9人目で、NPB史上初の米国籍以外の監督である[3]。2019年に日本帰化した。

ヤクルト時代は入団1年目の2001年にチームのリーグ優勝・日本一に貢献。以降も主力選手として活躍し、2003年には本塁打王・打点王・最多安打のタイトルを獲得。2007年には外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成し2度目の最多安打を獲得した。

巨人時代は主力として2008年に打点王、2009年に首位打者を獲得するとともに2年連続でMVPを受賞し、2度のリーグ優勝、日本一(2009)に大きく貢献した。

DeNA時代は2013年に日本通算2000安打を達成し、外国人選手では史上初の名球会への入会を果たした。8年連続100打点超えの記録を持つ。

経歴

プロ入り前

実家はベネズエラの首都・カラカス近郊の「ピニャンゴ・デ・ジャレ」という小さな町にある。人口は約200人で、そのうち4分の3程がラミレスの一族だという[4]

5歳で兄の影響を受け野球を始め、8歳で地元リトルリーグの監督にスカウトされチームに所属。15歳になると本格的に野球選手を目指すため学校を退学。当時は主に投手を務めていた。

プロ入りとインディアンス時代

18歳で[注 1]ベネズエラの国内選手権に出場した際に外野手として試合に出ていたところをクリーブランド・インディアンズのスカウトの目に留まりマイナーリーグ契約をする[5]

1994年2月に結婚[6]し、8月から1995年4月までメジャーリーグ史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のメジャーリーグスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャーリーグ選手会への加入を認められなかった[7]

1998年はAAA級バッファロー・バイソンズで121試合に出場。34本塁打103打点6盗塁、打率.299と結果を残し、9月19日に初のメジャーリーグ昇格を果たした。同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。1打数無安打1三振に終わった。

パイレーツ時代

2000年7月28日にウィル・コルデロとのトレードエンリケ・ウィルソンと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍。しかしパイレーツへの移籍直後は好調だったものの、8月に入るとスランプに陥りスタメンから外されるようになる。ラミレスによれば「打撃コーチ(ロイド・マクレンドン)に打席でのスタンスを変えるよう指示されそれに従ったところスランプに陥ったため、コーチに『スタンスを元に戻したい』と言ったら、次の日からスタメンを外された」という[8]

ヤクルト時代

2000年11月1日、ヤクルトスワローズに入団。背番号は3。ただし、当時ラミレスはフロリダ州で家と車を購入したばかりでそのローンが残っていたため、当初は「1年だけ日本で金を稼いで、(ローンを)返済したらすぐに戻る」つもりだったという[9]

来日1年目の2001年は138試合出場、打率.280・29本塁打・88打点の好成績をマークし、チームのリーグ優勝と日本一に貢献した。当初の契約では「5番・右翼手」での出場を確約されていたが、キャンプ初日に当時右翼手のレギュラーだった稲葉篤紀の守備を見て「自分は彼(稲葉)には勝てない」と感じ、左翼手に転向した[10]

2002年も139試合に出場し、3割近い打率を残した。一方でリーグ最多の146三振を喫した。

2003年読売ジャイアンツへ移籍したロベルト・ペタジーニに替わって4番に座り、全140試合に出場[注 2]、打率.333・40本塁打・124打点の成績を収めて打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインの各タイトルを獲得。来日3年目で初の3割達成となった。

2004年8月21日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)では、トレイ・ホッジスからランニング本塁打を放った。この年は故障離脱もあり、ヤクルト時代では最も少ない129試合の出場だったが打率.305、31本塁打、110打点の成績を残した。終盤には代理人の意向もあって移籍が取り沙汰されたが、本人の希望もあって残留。その際、義理の息子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの入団が決め手となった。

2005年は打率3割は逃したが、引き続きチームの4番打者としてチームに貢献した。

2006年は26本塁打・112打点を記録するものの、636打席で四球はわずか19個と選球眼の悪さが露呈し、出塁率.289は両リーグで最低だった。

2007年10月4日の対横浜ベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)において、外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成、打率も.343、安打数は最終的に204安打まで達した[注 3]。また、このシーズンは打率.343、122打点をマークして、100打点、200安打、打率.300以上の「100・200・300」を同時達成しているが、これは日本プロ野球史上唯一の記録で、メジャーリーグに渡った日本人選手でも、2005年の松井秀喜ニューヨーク・ヤンキース)が116打点、192安打、打率.305を残したのが「最接近記録」で、NPB/MLBを通じて100打点以上の経験がないイチローも到達していない。この記録は確実性と長打力に加えてケガにも強い耐久性を兼ね備えていることの証ともいえるもので、MLBで最も多く記録しているのは2130試合連続出場記録を残したルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の8回である。

シーズン終了後に球団側との契約交渉が決裂したことで退団が決まり、11月30日に自由契約公示。12月29日、読売ジャイアンツへの入団が正式に発表された。入団会見は巨人初のビデオレターによるものとなり、会見では「このチーム(巨人)に足りないものを加えに来た」とコメントした。

巨人移籍への背景

シーズン終了後、球団側からラミレス側への残留要請が行われたが、提示された条件は契約年数1年、推定年俸4億円というラミレス側の希望とはかけ離れたものであった。7年在籍した球団に対する彼の希望は、高年俸ではなく契約年数で、ラミレスは球団側が複数年契約を認めればヤクルトに残留する選択も考えていた。実際、ラミレスは後に「現状維持の2年契約の提示があれば残留していた」と記している[11]が、最終的に球団側は複数年契約を提示しなかったため、ヤクルトを退団することとなった。

自由契約となったラミレスに対し、右の大砲を探していた巨人とオリックス・バファローズが獲得を検討していたが、オリックスはアレックス・カブレラを獲得したため、巨人が獲得した。推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)。背番号は、「3」が長嶋茂雄永久欠番となっているため、「5」となった。ラミレスは以前から「巨人では外国人選手が大変な思いをしている」と聞かされていたため、巨人は一番行きたくないチームだったが[12]、巨人がラミレス自身が希望する複数年契約を提示したことに加え、ラミレス自身が原辰徳の指揮に以前から興味を持っていたこともあって巨人入りを決めたという[13]

巨人時代

ファイル:YG-Alex-Ramirez.jpg
巨人時代(2009年、東京ドーム)

2008年は開幕から5番打者としてシーズンを迎えたが、開幕から結果を残したことと、4番候補の李承燁高橋由伸の不振により、主に4番で起用されるようになった。前年の高打率を維持しながら長打力も発揮し、45本塁打、125打点で2年連続3度目の打点王を獲得し、チームのリーグ連覇に貢献した。そして2008年のセ・リーグ最優秀選手に選ばれた。交流戦はパ・リーグのチームの主催試合が指名打者制のため、この試合では主に指名打者として起用された。中日ドラゴンズとのCS第2ステージでは第4戦に8回に勝ち越しの2ラン本塁打を放って勝利し、6年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦は指名打者で出場し、第4・5戦では阿部慎之助が負傷して指名打者で出場したため左翼手として出場した。同シリーズでは第7戦では最後の打者となってしまったが、第1戦の唯一の打点、第2戦のサヨナラ本塁打、第3戦でもソロ本塁打を放ち、第5戦では逆転のきっかけを作る二塁打を放つなど随所で活躍し、同シリーズ敢闘賞を受賞した。この年にフリーエージェント資格を取得したため、2009年から外国人枠の適用外となった。

2009年は144試合全てで4番に座り、前年に続く活躍。3割30本100打点を達成したほか、打率.322で自身初の首位打者と3度目の最多安打を獲得。チームの3連覇に貢献し、2年連続の最優秀選手に選ばれた。シーズン通しての調子の波も少なく、6月以外の月間打率は全て3割以上だった。巨人の右打者の首位打者獲得は1971年長嶋茂雄以来38年ぶりである。日本シリーズで、観戦に来た小笠原道大の娘にファウルボールを当ててしまうが、翌日「ゴメンナサイ」と書いた自身のサインボールを小笠原に渡した[14]。同シリーズでは第4戦の7点ビハインド場面で金森敬之から打った3点本塁打が同シリーズでのラミレスにとって唯一の本塁打だった。チームはこの試合は敗れたが、第5・6戦と勝利し、巨人での日本一を達成した。

2010年4月に孫のD・J・ラミレスが誕生(夫人の連れ子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの子)。好不調の波が少なかった過去2年と違ってシーズン当初は低打率に苦しんだが、その中でも得点圏においては勝負強い打撃を見せ、本塁打と打点を量産。夏場に入ると一気に調子を上げて打率も向上させ、最終的に打率.304・49本塁打・129打点で本塁打・打点の二冠王に輝いた。49本塁打は巨人軍の右打者における1シーズン最多本塁打であり、巨人の外国人打者においても最多本塁打記録である。また2003年から続くシーズン100打点を8年連続とし、王貞治の7年連続(1963年~1969年)を抜いてプロ野球新記録を樹立した。しかし、首位打者の青木宣親(ヤクルト)、シーズンMVPの和田一浩中日)、シーズン安打数の日本新記録を挙げたマット・マートン(阪神)の3人に阻まれ、ベストナインには選出されなかった。打撃二冠のタイトルを獲得しながらベストナインに選ばれなかったのは、1960年藤本勝巳に次いで二人目である。そして、このシーズンで自身4度目の年間120打点超えを記録した(これは松中信彦と並んで日本プロ野球歴代1位である)。

2011年5月1日に4番としての連続先発出場記録を416試合として、松井秀喜が持つ415試合を抜き、球団新記録を達成する。しかし7月13日の対阪神戦で受けた死球の影響で7月14日に先発から外れ、長野久義が4番で先発出場し、記録は469試合で途切れた。代打で途中出場したため連続試合出場は続いたが、翌日の試合では途中出場もなかったため、連続試合出場は985試合で止まった。この記録は外国人選手としては歴代最長記録となった[15]。8月5日、3回表に内野安打を放ち、NPB通算1793安打を記録。タフィ・ローズの1792安打を越え、歴代外国人選手の通算最多安打記録を更新した[16]。シーズン成績は137試合、打率(.279)が巨人入団以来初めて3割を切り、打点(73)は連続100打点が8年で止まり、来日以来最低の数字となった。本塁打数(23)も来日以来最低の数字となり、打撃三部門で来日以来最低の記録となった。但し、本塁打数はリーグ2位でチーム内では1位である。これは「飛ばないボール」(統一球)に変わったこともあり、セ・リーグの選手全体の本塁打数も減少したため、本塁打数に関しては決して不振とは言える数字ではなかった(最多は、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)の31本)。10月31日のクライマックスシリーズ・ファーストステージ終了を以て、正式に退団を表明した。この年から導入された統一球によって本塁打が減少したことで大量得点を期待できず、いかに守備で失点を防いでいくかの戦いになったことでラミレスの守備難はネックとなった。お世辞にも上手い守備とは言えず、終盤は打順の降格だけでなく、スタメンを外れる試合もあった。ラミレス自身は打撃でチームに貢献したかったが、チームとしては守備面を重視する方針となっていたため、チームにとって絶対的な存在ではなくなっていた[17]

DeNA時代

2011年12月8日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表し、入団会見を行った[18]。背番号は、ヤクルト時代と同じ3

2012年はオープン戦での肉離れにより開幕スタメンこそ逃すも、4月4日より新チームの4番として定着。しばらくは調子が上がらない時期が続いたが、徐々に調子を上げ、7月5日、NPB/MLB通算2000本安打を達成(MLBでは86安打・NPBでは1914安打を記録)。同14日、外国人選手最高記録となる12年連続2桁本塁打を達成。7月にはDeNA移籍後初、通算9回目の月間MVPを受賞した。3球団で月間MVPを受賞するのは史上初[19]。前年と同じ137試合の出場で打率は3割ちょうどだったが、規定打席に到達した年では初めて本塁打が20本未満となり、19本塁打に留まった。

2013年トニ・ブランコの入団により5番に回り、4月6日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)で6回表、元チームメイトである石川雅規から左翼席へ弾丸ライナーで飛び込む本塁打を放ち外国人選手枠で入団した選手としては史上初となる、NPB通算2000本安打を達成した[20]。しかし、巨人退団の要因となった守備難が顕著になってきたことに加え、特に2000本安打を達成してからは打撃面でも精彩を欠いたことから、4月25日の対巨人戦を最後にスタメン落ち。その後は代打や交流戦での指名打者として出場していたが、代打には不慣れなこともあって結果を残せず、6月2日の日本ハム戦で本塁打を放ったのを最後に22打席連続凡退のまま、前半戦終了後の7月18日に来日13年目にして初の二軍降格となった。結局、来日1年目から12年連続で続けてきたシーズン100試合出場・規定打席到達・シーズン100安打・シーズン二桁本塁打の全てが途切れた。9月27日、戦力外通告を受けていたことが判明[21]。10月2日、球団側が14年シーズンは契約しないことを正式に発表した[22]。この年は来日後最低の出場試合数56、打率.185、2本塁打、14打点に終わった。

BCリーグ・群馬時代

群馬ダイヤモンドペガサス時代
(2014年4月20日)

横浜DeNAから戦力外通告を受けた後は、KOYO都市開発の社長に就任[23]する一方で、NPBの他球団で現役生活を続けることを希望。好物の炭酸飲料を断つなど、例年以上に節制と自主トレーニングに努めることで、他球団からのオファーに備えていた[24]

2014年2月13日にベースボール・チャレンジ・リーグ群馬ダイヤモンドペガサスが、ラミレスを打撃コーチ兼任の外野手として入団させることを発表した[25]。背番号はヤクルト・DeNA時代と同じ3[26]。なお、打撃コーチ料を含めた推定年俸は、巨人時代の最高額(5億円)の100分の1に相当する500万円(選手としての月給にはリーグ規定上限額の40万円を適用)[27]。また、ラミレスにNPB復帰への意向が強いことから、群馬との契約には「シーズン途中にNPBの球団から(ラミレスの)獲得を打診された場合には契約を解除できる」という旨の付帯条項が添えられた[24](なお、NPBの支配下選手登録の新規獲得可能期間は7月31日までである)。

入団した群馬では、4番・指名打者として5番カラバイヨとの強力クリーンナップを形成。4月にまたも西武が獲得を検討していると報道されたものの[28]、契約は見送られた[29]。6月23日に球団がラミレスの緊急帰国を発表[30]。帰国に至った経緯として、「家族の病気療養に付き添うため」としている。その後、チームに再合流して7月11日の試合より一度復帰する[31][32]も、同様の理由のため9月4日に球団が2回目の緊急帰国を発表した[33]。2度目の帰国後は、復帰することなく、シーズンを終えた。シーズン通算では、45試合の出場で、打率.305、7本塁打、38打点。10月14日に、球団を通じて現役引退を表明した[34]

引退後

群馬シニアディレクター・オリックス巡回アドバイザー時代

2014年10月29日から、群馬のシニアディレクターに就任した[35]。就任後の11月9日に第1回トライアウトを視察[36]して、年内限りとDeNAから戦力外通告を受けていた元チームメイトの伊藤拓郎を群馬に入団させる[37]など、編成面で手腕を発揮していた。

2015年6月22日からオリックス・バファローズと3ヶ月間の契約を結び、同球団の巡回アドバイザーを兼務した。群馬で指導していたフランシスコ・カラバイヨヨヘルミン・チャベスが相次いでオリックスへ移籍したこと[38]による就任で、外国人選手のサポートを中心に、月に数回のペースで一・二軍を指導していた[39]

オリックスは2015年10月5日に、ラミレスと巡回アドバイザー契約を延長しないことを発表した。球団本部長の瀬戸山隆三は、契約期間の満了を機に別のポストへの就任をラミレスへ打診したところ、就任の辞退と退団の申し出があった、としている[40]

DeNA監督時代

2015年10月19日にDeNA球団がラミレスの一軍監督就任を発表した。同球団の監督に外国人が就任するのは前身の横浜大洋ホエールズと横浜ベイスターズ時代を含めても初めて[41]

現役時代に横浜DeNAベイスターズおよび前身球団に在籍していた人物が同球団の監督に就任するのは2004年に退任した山下大輔以来で、DeNA球団のOBとして監督に就任するのは球団史上初となる。

現役時から「日本のプロ野球で監督をやってみたい」[42]と願っており、就任当時12球団で唯一CS出場実績がなかったことから80勝への願いを込めて背番号は80とし、「来季優勝するために必要な数字」と語った。

2016年シーズンは5月3日時点で借金11と低迷するが、そこから15勝4敗1分の驚異的な巻き返しで5月28日に借金を完済し[43]、シーズン3位で球団初のクライマックスシリーズへ進出した。1stステージで2位の巨人に2勝1敗で勝利してクライマックスシリーズ・ファイナルステージに進出したが、シーズン1位の広島に1勝4敗(広島に1勝のアドバンテージ含む)で敗れて日本シリーズ進出はならなかった。

2017年10月24日 マツダスタジアムにて

2017年シーズンも3位でリーグ戦を終え、クライマックスシリーズへ進出。また、球団として16年ぶりの2年連続Aクラスとなった。3位が確定したのは10月1日の広島戦(横浜スタジアム。13 - 7で勝利)で、この日に1年契約で2018年シーズンの続投が決まった[44]。クライマックスシリーズでは1stステージで2位の阪神に2勝1敗で勝利し、クライマックスシリーズ・ファイナルステージへ進出。シーズン1位の広島に4勝2敗(広島に1勝のアドバンテージ含む)で勝利し球団として19年ぶりの日本シリーズ進出を果たした。これにより、2010年代でセ・リーグは21世紀になってから日本シリーズに1度も出場したことがない球団がなくなった。日本シリーズではソフトバンクと戦い、2勝4敗に終わった[45]

2018年シーズンは先発投手陣の不調など誤算もあり優勝争いから早々と脱落し、クライマックスシリーズ争いにも敗れ4位に終わり、就任3年目で初めてAクラスを逃した。苦戦のシーズンであったが、得失点-70で4位を堅持しており、ラミレス監督の手腕を評価する声が上がった[46][47]。同じシーズンから監督就任した巨人の監督高橋由伸、阪神の監督金本知憲は成績不振で3年目で辞任したが、ラミレスは4年目も続投が決まった[48][49]

2019年は開幕カードを監督就任後初めて2勝1敗で勝ち越したものの、4月16日の中日戦から28日の巨人戦まで2015年以来となる10連敗、5月3日の阪神戦から8日の巨人戦まで5連敗を喫するなど春先に大きく躓いた。しかし毎年鬼門といわれるセ・パ交流戦を監督就任後初めて10勝7敗1分と勝ち越すなど持ち直し、前半戦を首位・巨人と9.5ゲーム差の2位で終える。後半戦に入ってからも7月19日の中日戦から引き分け1を挟んで7連勝するなど好調を維持。8月2日からの首位・巨人との直接対決に3連勝し、最大10.5あったゲーム差を0.5にまで縮めた。最後まで優勝争いに絡んだものの、9月21日の直接対決で巨人に敗れたことで優勝を逃す。9月24日の中日戦に勝利し、シーズン2位を確定させ、2年ぶりのAクラス&クライマックスシリーズ進出が決まった。2位以上につけるのは最後に優勝した1998年以来で、2位自体は1997年以来22年ぶりだった。また球団史上初めて、クライマックスシリーズを本拠地で開催することとなった(これにて12球団すべてが本拠地でクライマックスシリーズ主催経験を持つ事となった)。そのクライマックスシリーズでは3位の阪神と対戦したが、第1戦に6点差を逆転され敗れるなど苦戦を強いられ、第2戦こそ乙坂智のサヨナラ2ラン本塁打で勝利したものの第3戦では打線が湿ってしまい1点しか奪えず、1勝2敗で敗退した。DeNAがファーストステージで敗退するのは初めてである。しかし南場智子オーナーから「優勝はできなかったけども、ここまで持ってくれたことは評価をしたい」と実績を評価され、翌年の2020年も続投が決まった[50]

選手としての特徴

打席に立つラミレス
(2012年3月18日、横浜スタジアム)

現役時代は故障が少なく、長期離脱したことがほとんどなかった。2004年8月8日以降、2011年7月15日に欠場するまで全試合に出場。日本の外国人枠選手の連続出場試合記録(985試合連続出場)、日本人選手を含めても歴代8位の記録を保持している。

打撃

首位打者を1度、本塁打王を2度、打点王を4度、さらに最多安打を3度獲得するなど打撃に優れている。早打ちの傾向があり[51]2007年の初球打ちの打率は5割を超えたが、それゆえに四球が非常に少ない。2012年に至っては、シーズンの約3分の1を消化した6月14日の試合の183打席目でようやくシーズン初四球を記録するという有り様だった[52]。ヤクルト時代は三振が多く、7年連続100三振以上を記録していた。しかし巨人移籍後は出場試合が多いながらも全てのシーズンで100を下回るようになった。

来日当初は典型的なプルヒッターだったが、近年[いつ?]はボールを手元まで呼び込んで外角球を捌くことができるようになった[53]。追い込まれると右方向に流し打つ柔軟さも兼ね備える[54]。球種的な弱点も少なく[55]、巨人移籍以降2010年までの通算得点圏打率.347とチャンスに強い他、同じく通算対左打率.337と左投手にも強い。

また、名球会入りした打者で唯一犠打を一度も記録していない(メジャー時代には通算2犠打を記録)。

守備・走塁

主に左翼を守る機会が多かったが、守備範囲は非常に狭く、2010年には得点換算で両リーグワーストであった[56]

巨人時代の2009年シーズンオフに監督の原辰徳から一塁への挑戦を打診されたり[57]、DeNAに移籍した直後にも監督の中畑清が「ラミレスに外野を守らせるという固定観念はない。一塁も考えている」と発言するなど[58]、守備の負担が軽減される一塁へコンバートする案もたびたび出たが実現しなかった。来日前のメジャーリーグ時代は一塁手で1試合、新人だったルーキーリーグ時代は遊撃手で64試合に出場した。[要出典]

走塁面は企図も含めて盗塁数が少なく、ベースランニングで手を抜くことが多いが、右打者ながら一塁到達4.2秒台前半を記録するなど走力は劣らない[54]。200安打を達成した2007年は内野安打22本を記録し、200本目は三塁への内野安打であった。

監督・指導者としての特徴

監督観・チーム作り

DeNA監督としての就任会見(2015年10月)、及び、DeNA監督としてのインタビュー記事(2016年5月)において、自身の監督観、あるいは自身が目指すチーム作りにおいて、下記のことを述べている。

  • 「ご存じの通り、若く将来有望な選手が多い中で、積極的な野球ができればと思っています。必要なときに積極性を出し、個々の選手が力を合わせて協力して、みんなが1つの目標に向かっていければいいと思います」[59]
  • 「できるだけ多くのコミュニケーションを選手ととれる監督になりたいと思います。同時に積極性をもって、多くの選手にいろいろ教えたいと思います。野球は身体的なものよりメンタルな面が大事だと思いますので、そういうところも含めて指導していけたらと思います」[60]
  • 「監督は選手より有名になるべきじゃないというのが、僕の持論。選手が注目されるべきだと思うんだ。監督はゲームに集中して、必要以上に目立ったパフォーマンスをしない」[61]

試合終了後の監督会見、選手に対する日々のミーティング、各種メディアにおけるインタビューにおいて、下記のことを折に触れて述べている。

  • 「凡事徹底」(基本的なこと、当たり前のことを徹底的に大切にする)[62]
  • 「どう始まるかより、どう終わるかが大事だ」(試合が終わった瞬間から、次の試合に対しての準備が始まる)[63]
  • 「Tomorrow is Another Day.」(明日は明日、また頑張ります)[64]
  • 「That happens.」(そういうこともある。終わったことは気にしない)[64]
  • 「Cross the Line.」(線を越えろ。一度でもその線を越えれば風景が、意識が変わる)[64]

また、下記のように、中長期的な視点を意識したコメントも、しばしば発信している。

  • 「経験がこのチームをより一層、強くしていくと思う」(2016年10月、クライマックスシリーズファイナルステージで広島に1勝4敗で敗退が決まったことを受けての、シーズン終了会見にて)[65]
  • 「最後の20試合が重要だと多くの監督が言うが、首位とのゲーム差が10ゲーム以上あることを考えれば、残り20試合では追いつけない。『残り20試合の時点でどういう状態にチームを持って行くか』が最も重要だ」(2016年7月、オールスターを終えてシーズン後半戦を迎えるにあたってのコメントにて)[66]

チームの一体感を生み出す「雰囲気作り」を重要視すること、基本的なことを大切にする重要性、前向きなメッセージを常に発信し続けること、を通して「(選手を)やる気にさせてくれた。それがあってこそ、選手全員が自信をもってできたと思う」(筒香嘉智[64]という効果をもたらし、監督就任1年目の2016年、DeNAを球団史上初のクライマックスシリーズ進出に導いた。この年のDeNAは選手の年俸総額が12球団で最下位であった[67][68]

采配面

采配はデータに基づく緻密な「分析野球」の傾向が強いが、「情に厚い」[68][64]面もある。DeNAの功労者である三浦大輔は引退試合で先発起用して7回途中まで登板[69][70][注 4][注 5]させ、2016年シーズンの山﨑康晃梶谷隆幸ホセ・ロペス[71][72]など主力と位置付けているが不調に苦しむ選手は、復調を信じて辛抱強く起用し続けて「スランプは誰しもがある。大きなスランプの後には大きな波がくる。自分の現役時代の経験でもそうだった」[73]と述べている。自身の現役時代の経験から「外国人選手のメンタルケアは監督の大きな仕事」[74]と考えており、「ここ日本では、全てやり方が違う。メンタルも全くも違う。野球は野球で同じだけど、全く違うやり方なんだ。僕らは日本の野球に合わせなければならない。そんな中で大事なのは、そういうことをきっちり伝えるコミュニケーションだね。新しく入ってきた選手とは必ず、日本での違いについて話をするようにしている」[75]と述べている。

自身の拘りにとらわれない柔軟性もあり、就任当初は梶谷を2番打者として起用することをチームの基軸の一つとしていたが、チーム状況や梶谷自身の状態に応じて起用法を変化させ、2016年シーズンはレギュラーシーズンで梶谷の2番打者起用は8試合であった。この年の梶谷は107試合に出場して最多は3番としての47試合で、ポストシーズンは出場7試合中5試合で2番打者として起用された[76][77]。しかし、就任以来初めてAクラスを逃した2018年シーズン終了後、コーチ陣との意思疎通をしないで独断で選手起用や作戦指示をしていたことを明かし、コーチ陣に対して異例の謝罪をした[78]

また、2016年の就任以来、3年連続で「12球団最多故意四球」を記録した[79]。また、申告敬遠導入年度の2018年には56敬遠を記録した[79][注 6]

人物

愛称は「ラミちゃん[80]。座右の銘は「仕方がない」。

ベネズエラ出身で母語はスペイン語だが、マスコミ向けのインタビューには通訳を通して英語で答えている。スペイン語は熱き星たちよの2020年バージョンで披露している。

日本語はメディアの前で披露することは少ないが、選手とのコミュケーションは可能でT-岡田が「今まで考えていなかったことに気づかせてくれた。日本語も上手だし、わかりやすい」と評している[81]。また監督就任時の挨拶で「フィールド上では、日本語を使いたいと思っています。みなさんが思っているよりも日本語が話せますので! もし、フィールド場で私が笑顔で話して、選手が笑顔で返していたら、コミュニケーションができるということなので!」「戦略や細かいことなどは、通訳を通していきたいと思います。」と語っていた[82]

ヤクルト時代は「ヒゲ」がトレードマークだった。巨人では原則ヒゲが禁止なため移籍した際に剃り落とした。ヒゲを剃ることに慣れたのか、横浜DeNAに移籍後に再びヒゲを生やすようなことはなかったが、監督就任後、2020年シーズンより再びヒゲを生やすようになっている。

「試合を支配する要素の70%はメンタリティー、残り30%がフィジカル」との考え方を持っている[83]。またメンタリティーの強化のためには「相手を研究し準備する」ことが不可欠であると考えており、そのためシーズン中は試合前に過去の試合のDVDを、試合後にはその日の自分の打席のDVDを観ることを日課にしていた[84]。過去のDVDを観る際は主に「得点圏にランナーがいるときのバッテリーの配球」に主眼を置くとのことで[85]、特に日本に来てからは、捕手が配球の主導権を握る日本野球のスタイルに合わせ「捕手を中心に研究する」ようになったとのことである[86]。そのような自らの意識から「日本の選手はフィジカル面ばかりでなく、もう少しメンタリティーに重きを置いてもいいのではないか」とも感じているという[87]

2010年代以降は、球団を問わず後輩選手にアドバイスしている。特にウラディミール・バレンティン長野久義石川雄洋らと頻繁に情報交換を行っている[88]

2013年2月に、東京・西麻布にプエルトリコ料理のレストラン『ラミちゃんカフェ』を開店した[89]。実際の店舗運営は妻に任せるものの、本人も時折店を訪れ来店客に挨拶したりしていた[90]が、店名変更などを経て2014年9月に閉店した[91]

口癖は「マタ明日ガンバリマス」[92]。2000本安打達成後の記者会見ではジャイアンツ時代からの通訳担当者を労うコメントもしている[93][94]

巨人退団の要因としては守備難だったが、打撃成績は悪くなかった。巨人退団年となる2011年は前述のように3割30本100打点を逃し、主力打者として物足りない数字ではあるものの、特別不振というほどの数字ではなかった。日本の他球団から巨人に移籍してきた選手の中で、年単位の不振はなく、巨人退団年の数字も特別悪い数字を残さなかった数少ない選手であった[注 7]

尊敬する人物として、若松勉原辰徳古田敦也を挙げている[95][96][76]。また、ベネズエラ時代に自身に野球を教えたトマス・ガルシアが恩師であるという[76]。選手、指導者を通しての野球人生において、「ポジティブに生きる」「リスペクト」を座右の銘としているが、これはガルシアの教えがもとになっているという[76][注 8]

プライベートでは、14歳年上の女性と来日前に結婚し、来日後は巨人時代の2009年にベスト・ファーザー イエローリボン賞(プロ野球部門)の1人に選出される[97]など、家族を大切にすることで知られていた。現役引退後の2014年5月から家族と別居して11月に夫人がその事実をFacebookで公表した[98]。双方の協議を経て2015年3月に離婚が成立した。

同年4月23日に7歳年下の日本人女性と再婚[99]。2016年初頭に再婚女性との間に誕生した息子がダウン症であることを公表[100]。2018年には知的障害をもつ若者に寄付されるLINEスタンプを発売する[101]など社会活動に力を入れており、2019年にはその息子が「スペシャル・ビューティー・ジャパン」親善大使に就任している[102]

2018年1月22日に、日本国籍取得のため帰化申請を手続きしており年内に許可が下りる見込みと報じられ、「これまで日本でいろんな人に支えられて多くのことを学び、今の自分がある。日本のことや人々を愛しており、お返しや貢献をしたいと考えて日本人になることにした」と説明し、帰化後の夢として「監督など指導者として日本代表のユニフォームを着たい」と語った[103]。書類不備があり許可に時間がかかっていたが、2019年1月23日、日本国籍を取得した[1][2]

2005年から2007年に東京ヤクルトスワローズ、2008年にILリーグ高知ファイティングドッグスに所属したアレックス・ラミレス・ジュニアは義理の息子(前妻の連れ子)。2015年からBCリーグ群馬ダイヤモンドペガサスに所属しているラミレス・ヨンデルは甥(実兄の息子)。

パフォーマンス

現役時代、本塁打を打った際やヒーローインタビューの際に、パフォーマンスを行うことで知られた。芸人の芸を取り入れたパフォーマンスが人気だった。他の選手がHRを打った際は、互いに肘を曲げあいスタンド方向を指さすなど独特のハイタッチで応じる事が多かった。本塁打ではベンチ前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特にホームゲームでは、球団マスコット(ヤクルト:つば九郎、巨人:ジャビット)とコンビでアクションを行うほか、本塁打や適時打でチームに貢献した場合、直後に守備に就く際にもファンの声援に応え、パフォーマンスを交えてお辞儀や敬礼で感謝の意を伝えている。

パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられ、シーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集していたこともある。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。2011年3月11日に東日本大震災が発生した後のシーズンは、中継のカメラなどを通して「We are One ! ガンバレ!ニッポン!」と手話を交えながらエールを送る姿が報道され好評を博した。

ラミレスによれば、元々はキャンプ中にロッカールームで選手数人が互いに「アイーン」をやって遊んでいたのを目撃した際に、同僚だった度会博文から「お前もやってみろ」と言われて、その日の練習中に数人の子供の前でやってみたところ、大変好評だったのがきっかけだという。メジャーリーグでは選手が試合中にパフォーマンスを行うことは相手を挑発しているように受け取られるため、通訳などに相談したところ「日本では問題ない」と言われたので、積極的にパフォーマンスを行うようになったとのこと[104]。その後もパフォーマンスを続けている理由としては、「野球のことをよく知らない小さな子供が『アイーン』『ゲッツ』として自分のことを覚えてくれるのが嬉しい」ことを挙げている[105]

ラミレスのパフォーマンスが定着したために、ダンディ坂野のように元ネタの演者の方が「ラミレスのまね」と思われる逆転現象も起きた[106]

監督就任後は、立場を弁えてパフォーマンスは封印している。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1998 CLE 3 8 8 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .125 .125 .125 .250
1999 48 102 97 11 29 6 1 3 46 18 1 1 1 0 3 0 1 26 1 .299 .327 .474 .801
2000 41 117 112 13 32 5 1 5 54 12 1 0 0 0 5 0 0 17 3 .286 .316 .482 .798
PIT 43 123 115 13 24 6 1 4 44 18 1 0 1 0 7 2 0 32 6 .209 .254 .383 .637
'00計 84 240 227 26 56 11 2 9 98 30 2 0 1 0 12 2 0 49 9 .247 .285 .432 .716
2001 ヤクルト 138 547 510 60 143 23 0 29 253 88 1 2 0 5 27 0 5 132 11 .280 .320 .496 .816
2002 139 569 539 65 159 25 0 24 256 92 0 4 0 4 22 6 4 146 10 .295 .325 .475 .800
2003 140 614 567 105 189 34 3 40 349 124 4 6 0 7 34 6 6 104 14 .333 .373 .616* .988
2004 129 557 525 79 160 30 2 31 287 110 2 0 0 2 23 1 7 118 22 .305 .341 .547 .888
2005 146 629 596 70 168 19 1 32 285 104 5 1 0 3 23 5 7 121 13 .282 .315 .478 .793
2006 146 636 603 79 161 28 2 26 271 112 0 0 0 10 19 1 4 104 28 .267 .289 .449 .739
2007 144 628 594 80 204 41 3 29 338 122 0 0 0 5 23 3 6 106 14 .343 .371 .569 .940
2008 巨人 144 600 548 84 175 28 0 45 338 125 1 0 0 3 39 9 10 90 20 .319 .373 .617 .990
2009 144 608 577 66 186 35 0 31 314 103 4 3 0 6 21 4 4 88 12 .322 .347 .544 .891
2010 144 606 566 93 172 28 0 49 347 129 1 2 0 7 21 1 12 98 14 .304 .338 .613 .951
2011 137 515 477 39 133 12 1 23 216 73 2 1 0 5 30 1 3 72 9 .279 .322 .453 .775
2012 DeNA 137 504 476 40 143 25 0 19 225 76 0 0 0 3 18 1 7 60 18 .300 .333 .473 .806
2013 56 139 130 6 24 0 0 2 30 14 0 0 0 1 8 0 0 20 7 .185 .230 .231 .461
MLB:3年 135 350 332 38 86 17 3 12 145 48 3 1 2 0 15 2 1 78 10 .259 .293 .437 .730
NPB:13年 1744 7152 6708 866 2017 328 12 380 3509 1272 20 19 0 61 308 38 75 1259 192 .301 .336 .523 .859
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 2003年は規定打席到達者の中でリーグ1位。この年はロベルト・ペタジーニが規定打席に20打席不足していたが、20打席分を凡打と仮定しても、長打率.644でラミレスを上回る。そのため、公認野球規則10.22(a)(当時は10.23(a))より、ペタジーニがリーグの最高長打率打者となる。

年度別守備成績

MLB


一塁(1B) 中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)
















































1998 CLE - - 2 4 0 0 0 1.000 1 1 0 1 0 .500
1999 - 1 1 0 0 0 1.000 5 6 0 0 0 1.000 23 15 1 2 0 .889
2000 - 1 1 0 0 0 1.000 15 18 1 0 0 1.000 16 25 0 1 0 .962
PIT 1 0 0 0 0 .--- - - 31 55 1 3 0 .949
'00計 1 0 0 0 0 .--- 1 1 0 0 0 1.000 15 18 1 0 0 1.000 47 80 1 4 0 .953
MLB[107] 1 0 0 0 0 .--- 2 2 0 0 0 1.000 22 28 1 0 0 1.000 71 96 2 7 0 .933
NPB


外野












2001 ヤクルト 137 176 9 6 0 .969
2002 139 227 9 4 0 .983
2003 140 220 10 6 2 .975
2004 129 175 8 4 1 .979
2005 146 218 6 3 1 .987
2006 134 205 8 5 0 .977
2007 132 184 4 2 0 .989
2008 巨人 134 171 2 4 0 .977
2009 133 147 2 6 0 .961
2010 132 150 5 4 0 .975
2011 120 119 3 3 0 .976
2012 DeNA 118 126 1 3 0 .977
2013 22 29 2 2 1 .939
NPB 1616 2147 69 52 5 .977

タイトル

NPB

表彰

NPB

記録

NPB節目の記録
  • 100本塁打:2004年6月5日、対読売ジャイアンツ10回戦(明治神宮野球場)、9回裏に岡島秀樹から左中間へ2ラン ※史上234人目
  • 150本塁打:2005年8月19日、対阪神タイガース15回戦(明治神宮野球場)、1回裏に下柳剛から左越2ラン ※史上137人目
  • 1000安打:2007年4月21日、対中日ドラゴンズ5回戦(明治神宮野球場)、3回裏に吉見一起から左前安打 ※史上244人目
  • 200本塁打:2007年8月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、4回表に金刃憲人から中越ソロ ※史上89人目
  • 1000試合出場:2008年4月18日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、5番・左翼手で先発出場 ※史上425人目
  • 250本塁打:2008年9月17日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から右越ソロ ※史上53人目
  • 1500安打:2009年8月26日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤドーム)、5回表に川井雄太から中前安打 ※史上104人目
  • 1000三振:2009年9月20日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、2回表に由規から ※史上47人目
  • NPB/MLB通算300本塁打:2010年4月1日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、2回表にスティーブン・ランドルフから左越満塁本塁打
  • 1000打点:2010年4月10日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、8回裏に鈴木義広から左越満塁本塁打 ※史上37人目
  • 300本塁打:2010年5月15日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)、5回裏に成瀬善久から左越ソロ ※史上36人目
  • 3000塁打:2010年9月19日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、4回表に福原忍から中前安打 ※史上70人目
  • NPB/MLB通算350本塁打:2011年4月15日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表にディオーニ・ソリアーノから左越3ラン
  • 1500試合出場:2011年8月14日、対広島東洋カープ15回戦(東京ドーム)、4番・左翼手で先発出場 ※史上170人目
  • 350本塁打:2011年8月24日、対阪神タイガース17回戦(東京ドーム)、4回裏に能見篤史から中越ソロ ※史上26人目
  • NPB/MLB通算2000安打:2012年7月5日、対読売ジャイアンツ8回戦(横浜スタジアム)、5回裏にディッキー・ゴンザレスから右中間二塁打
  • 2000安打:2013年4月6日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、6回表に石川雅規から左越ソロ ※史上42人目(外国人選手枠で入団した選手としては初)
  • 3500塁打:2013年5月17日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(横浜スタジアム)、9回表に鶴岡一成の代打として出場、武田久から右前安打 ※史上27人目
NPBその他の記録
  • オールスターゲーム出場:8回 (2002年、2003年、2007年 - 2012年)
  • シーズン200安打以上:1回(2007年)※史上3人目、外国人選手・右打者では史上初
  • シーズン204安打(2007年)※歴代6位
  • 9年連続シーズン150安打以上(2002年 - 2010年)※NPB記録
  • シーズン150安打以上:9回(2002年 - 2010年)※歴代3位タイ
  • 8年連続シーズン100打点以上(2003年 - 2010年)※NPB記録
  • シーズン100打点以上:8回(2003年 - 2010年)※歴代2位
  • シーズン120打点以上:4回(2003年、2007年、2008年、2010年)※NPBタイ記録

独立リーグでの打撃成績











































O
P
S
2014 群馬 45 190 33 58 13 1 7 38 23 8 0 0 4 0 0 6 .305 .327 .605 .932
通算:1年 45 190 33 58 13 1 7 38 23 8 0 0 4 0 0 6 .305 .327 .605 .932

年度別監督成績




























2016 DeNA 3位 143 69 71 3 .493 19.5 140 .249 3.76 42歳
2017 3位 143 73 65 5 .529 14.5 134 .252 3.81 43歳
2018 4位 143 67 74 2 .475 14.0 181 .250 4.18 44歳
2019 2位 143 71 69 3 .507 5.5 163 .246 3.93 45歳
通算:4年 572 280 279 13 .501 Aクラス3回 Bクラス1回
ポストシーズン










2016 DeNA セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ

第1ステージ
読売ジャイアンツ(セントラル・リーグ2位) 2勝1敗=第2ステージ進出
セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ
第2ステージ
広島東洋カープ(セントラル・リーグ1位) 1勝4敗=敗退
(※1)
2017 セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ

第1ステージ
阪神タイガース(セントラル・リーグ2位) 2勝1敗=第2ステージ進出
セントラル・リーグ
クライマックスシリーズ
第2ステージ
広島東洋カープ(セントラル・リーグ1位) 4勝2敗=日本シリーズ進出(※1)
日本シリーズ 福岡ソフトバンクホークス(パシフィック・リーグ1位) 2勝4敗=敗退
2019 セントラル・リーグ

クライマックスシリーズ

第1ステージ

阪神タイガース(セントラル・リーグ3位) 1勝2敗=敗退
  • ※ 勝敗の太字は勝利したシリーズ
  • (※1)リーグ優勝球団に与えられるアドバンテージによる1敗を含む

背番号

  • 61 (1998年 - 2000年)
  • 3 (2001年 - 2007年、2012年 - 2013年)
  • 5 (2008年 - 2011年)
  • 80 (2016年 - )

脚注

注釈

  1. ^ ラミ流』159頁では「16歳」とされている。ただし同ページには「1年後の1993年にルーキーリーグでデビュー」との記述もあるため、本記事ではそちらを基準とした。
  2. ^ 2001年から2004年までは共に140試合制だった。
  3. ^ この年、ラミレスが放った204安打は当時のセ・リーグ最多記録で、両リーグ最多記録はイチローの210安打(1994年)だった。2010年にマット・マートン阪神タイガース)が214安打を放ち、セ・リーグ記録とシーズン記録の両方を更新した(のちにシーズン記録は2015年に秋山翔吾が記録を塗り替える)。
  4. ^ 日本の野球における投手の引退試合は、「打者1人限定」あるいは「1イニング限定」としての登板が多い。そのため、引退試合にて先発として長いイニングを投げたことは異例であるといえる。
  5. ^ この采配について、ラミレスは、「もちろん勝ちゲームをしたかったけど、三浦投手に勝ちをつけたい。5割を目指す。この線引きが難しかった。代えるなら、マウンド上で代えたいと思っていた。ファンから声援をもらってマウンドから降りてもらおうと。代打を送りたくもなかった。今日は多くのファンが三浦さんを見に来ていたので見せたかった」と述べている。なお、この采配については、「粋な采配」と評価されて、実際、球場全体が盛大で温かい拍手に包まれて、三浦は引退登板を終えることとなった。
  6. ^ 2位は楽天の36敬遠。
  7. ^ 2003年と2004年に巨人でプレーしたロベルト・ペタジーニもその一人である。
  8. ^ この場合における「リスペクト」とは、「相手をリスペクトする」「チームメイトをリスペクトする」「試合をリスペクトする」の3つの意味が込められているとのこと。

出典

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参考文献

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関連項目

外部リンク