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2021年5月4日 (火) 22:56時点における版

村上 博幸
Hiroyuki Murakami
基本情報
本名 村上 博幸
むらかみ ひろゆき
愛称 ひろゆき
生年月日 (1979-04-15) 1979年4月15日(45歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 167cm
体重 73kg
選手情報
所属 日本競輪選手会京都支部
期別 86期
分野 競輪
役割 選手
特徴 自在
アマチュア経歴
1995-1998 花園高等学校
プロ経歴
2001- 日本競輪選手会京都支部
主要レース勝利
G2 共同通信社杯競輪 2007
G1 日本選手権競輪 2010
G1 SSシリーズ風光る 2010
GP KEIRINグランプリ 2010
G2 西日本王座決定戦 2011
G1 全日本選抜競輪 2014
G2 サマーナイトフェスティバル 2019
G1 寛仁親王牌 2019
S級S班 2010 - 2011 2015 2019
最終更新日
2019年7月15日

村上 博幸(むらかみ ひろゆき、1979年4月15日 - )は競輪選手京都府京都市出身。日本競輪学校第86期卒業。日本競輪選手会京都支部所属。師匠は兄でもある村上義弘(73期)。ホームバンクは京都向日町競輪場

戦績

花園高等学校在学中からインターハイや国民体育大会等で活躍し、日本競輪学校に86期生として入学する。同期には井上昌己稲垣裕之らがおり、在校競走成績第10位で卒業した。デビュー戦は2001年8月8日奈良競輪場で迎え、初勝利も同日。またこの開催では完全優勝も果たす。2003年7月3日に、S級戦で初勝利(S級初優勝は同年11月10日の富山競輪場)。

2004年寬仁親王牌前橋競輪場)でGI・GII通じての初出場を果たす。以後はビッグレースの常連選手となるが、一次予選もなかなか突破できない状況が続いた。

だが、2007年5月に行われた大垣記念でGIII初優勝を果たしたあたりから徐々にS級トップクラスでも活躍できるようになった。そして同年10月に地元バンクの向日町で開催された共同通信社杯競輪では、初日の優秀戦で山崎芳仁らを破って勝利すると勢いづき、翌日行われた京の雅賞では、兄・義弘との連携が実現し、義弘マークから直線で鋭く伸びて2着。さらに準決勝(10R)では金山栄治マークから2センター付近で捲り切り1着。決勝ではジャンから逃げる武田豊樹 - 室井竜二の3番手をキープし、山崎、新田康仁の動きを尻目にバックから捲って優勝を果たした。

2009年全日本選抜競輪決勝の3着などで年間獲得賞金上位となり、2010年は兄の村上義弘と共に兄弟でS級S班格付となった。

2010年は2月西日本王座決定戦市田佳寿浩に次いで2着に入り、3月7日松戸競輪場で行われた第63回日本選手権競輪決勝では、打鐘過ぎより先行した兄義弘の番手より追込み優勝。自身GI初勝利と共に兄義弘も2着に粘り、1976年オールスター競輪での藤巻昇藤巻清志兄弟以来史上2例目のGI決勝兄弟ワンツーフィニッシュとなった。

5月にはSSシリーズ風光る決勝でも兄義弘の捲りに乗り、直線で先行した武田豊樹を捕えGI2度目の優勝を果たす。同月のスーパープロピストレーサー賞函館競輪場)も制覇し、直後に同地で行なわれた競技大会の全日本プロ選手権自転車競技大会でもケイリン種目において武田豊樹の同大会同種目5連覇を阻み優勝した。

なお特別競輪の優勝でKEIRINグランプリ2010の出場権を獲得したが、後に兄の義弘も賞金で出場権を獲得したことからグランプリ史上初の兄弟出場となり、そして12月30日のグランプリ(立川競輪場)では最後バック過ぎから前を回る兄の後位より自力で抜け出し、直線では山崎芳仁と激しい一騎討ちを繰り広げほとんど同時にゴールラインを駆け抜けて写真判定に勝負の結果が委ねられたが、微差で1着となり初のグランプリ制覇を果たした(歴代18人目の覇者)。また、これにより村上博幸は2010年の獲得賞金が2億3,700万円となったことから当年の競輪賞金王にも輝いた[1]

2011年2月豊橋競輪場で行なわれた東西王座戦の西日本王座決定戦決勝でもグランプリ10同様に兄の義弘後位から抜け出し優勝している。

その後はケガなどで不調が続いているが、2014年全日本選抜競輪決勝では中団の内から最終4角での集団落車を堪えて直線伸びGI3勝目を手に入れた。しかし直前の2013年12月SS11への加担があったことからKEIRINグランプリ2014への出場は微妙な情勢だったが、日本競輪選手会より当初受けた処分が軽減されたことによりグランプリへの選出要件を全て満たしたことから出場できることになった。

KEIRINグランプリ2018で自身3度目のGP出場。今回も兄・義弘と一緒だった。

2019年サマーナイトフェスティバル寬仁親王牌を、それぞれ自身初優勝した。

主な獲得タイトルと記録

競走スタイル

デビュー2・3年目あたりまでは先行や捲りを主体とした競走に努めていたが、兄ほど上背がないこともあって、現在は追い込みが主体。しかし、タテの脚に目を見張るものがあり、目標選手が行ききれない場合、展開次第によっては自力勝負に出ることもある。加えて、目標選手が行き切れなくなったときに素早く切り替える術も持ち合わせており、ゴール直前における伸び脚も鋭い。

脚註

  1. ^ 村上博が優勝、初の賞金王に=競輪GP 時事通信 2010年12月30日閲覧

関連項目

外部リンク