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=== 登場曲 === |
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* 「Bad City」[[ |
* 「Bad City」[[SHŌGUN]](2002年) |
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* 「[[HERO(ヒーローになる時、それは今)]]」[[甲斐バンド]](2002年)※チャンス時 |
* 「[[HERO(ヒーローになる時、それは今)]]」[[甲斐バンド]](2002年)※チャンス時 |
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* 「James Bond Theme」Paul Oakenfold(2003年) |
* 「James Bond Theme」Paul Oakenfold(2003年) |
2021年7月11日 (日) 01:14時点における版
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野球日本代表 内野守備・走塁コーチ #82 | |
---|---|
![]() 中日時代 (2008年7月4日、阪神甲子園球場にて) | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 神奈川県川崎市川崎区 |
生年月日 | 1975年5月12日(49歳) |
身長 体重 |
173 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト5位 |
初出場 | 1998年9月8日 |
最終出場 | 2015年10月17日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
| |
国際大会 | |
代表チーム |
![]() |
五輪 | 2003年(アジア予選) |
WBC | 2013年 |
この表について
|
獲得メダル | ||
---|---|---|
![]() | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
銅 | 2013 | 野球 |
【イバTV】井端弘和公式チャンネル | ||||||||
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YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2019年9月3日 - | |||||||
ジャンル | 野球 | |||||||
登録者数 | 約12.3万人 | |||||||
総再生回数 | 約1073万回 | |||||||
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2021年1月14日時点。 |
井端 弘和(いばた ひろかず、1975年5月12日 - )は、神奈川県川崎市川崎区出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)。現在は、野球日本代表内野守備・走塁コーチ兼侍ジャパン強化本部編成戦略担当、野球解説者、野球評論家、YouTuber。
中日ドラゴンズ時代は同僚の荒木雅博と共に「アライバコンビ」の愛称で親しまれ、ファンを魅了した。妻は元テレビ朝日アナウンサーの河野明子。
経歴
プロ入り前
川崎市立川中島中学校時代までは投手で県立高校への進学を考えていたが、城南品川リトルシニア在籍時に対戦した港東ムースとの試合を観ていた野村克也の助言で堀越高等学校に進学し、遊撃手に転向[1]。堀越高等学校時代、2年時に第64回選抜高等学校野球大会、3年時に第75回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後亜細亜大学に進学。東都大学1部リーグ通算81試合出場、269打数78安打、打率.290、4本塁打、33打点。3年秋から3季連続ベストナイン(二塁手)に選ばれた。2部リーグ(2年春のみ)通算11試合出場、48打数14安打、打率.291、1本塁打、5打点。
1年時は4年・沖原佳典と二遊間を組み、1年上に部坂俊之、中野栄一(プロでも同僚)、1年下に赤星憲広がいた3年秋にリーグ戦優勝。
1997年のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。
中日時代
1年目の1998年は一軍で18試合に出場したが、2年目の1999年は一軍出場なし。2000年から試合終盤の守備固め・代走、またはレギュラーとして出場機会を増やしていく。
2001年から全試合出場し、2番遊撃手としてレギュラーに定着した。2002年には初のベストナインを受賞、オフに背番号を6に変更。
2004年には選手会長に就任し、チームの柱としてリーグ優勝に貢献した。また、自身2度目となるベストナイン(以降、2007年までに4年連続)、自身初の打率3割、ゴールデングラブ賞を受賞した。
2005年には2年連続の打率3割とともに、規定打席到達者中12球団トップの得点圏打率を残す。
国際大会での日本代表経験は、2001年に台湾で開催されたIBAFワールドカップ(4位)を皮切りに、2002年キューバで開催されたIBAFインターコンチネンタルカップ(準々決勝リーグ敗退)出場。2003年アテネオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権では長嶋ジャパンの一員として優勝し、2007年の北京オリンピック予選では2大会連続での本戦出場権獲得。一方で、2006年および2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではメンバーに入らなかった[2]。
2008年8月3日にFA権を取得するも、その日の中日スポーツ朝刊で残留を宣言[3]、12月16日に球団史上最長の5年契約を結ぶ[4]。オフの12月22日、テレビ朝日アナウンサー河野明子と結婚した[5]。
2009年の初めグアムに自主トレに行った際に目の腫れや痛みを訴え、帰国後の医師による診断で上皮角膜ヘルペスによるものだと判明した。肩の故障もあり二塁手にコンバートされる予定であったが、井端本人の調整が目の不調により遅れたことに加え、代わって遊撃手を務める予定であった荒木雅博が開幕直前に足を痛めたことで見送られた[6]。調整は遅れていたもののシーズンでは主に1番打者として全試合に出場し、4年ぶりに打率3割を達成。12月3日には社団法人日本プロ野球選手会の理事長に就任した(2013年12月に退任)。
2010年は予定通り二塁手にコンバート、またチーム方針により6番の打順を任されることが多かった。6月5日の対ロッテ戦で、1500本安打を達成した[7]。6月11日に登録抹消。7月15日に一度一軍復帰するも、途中出場3試合のみで7月25日に再び登録抹消。復帰は10月2日の最終戦になった。離脱の理由は眼病によるもので、ボールがぼやけて見える不調が生じこの年は144試合中53試合しか出場できなかった。長期離脱により2000年以来の規定打席未到達、前年まで6年連続で受賞していたゴールデングラブ賞も逃し、二塁のレギュラーポジションも堂上直倫に明け渡した。11月26日には減額制限一杯となる40パーセントダウン(3億円→1億8千万円・推定)で契約更改[8]。治療を続けていた目に回復の兆しが見られず痛みが続いていたため、このシーズンには引退も考えていた。
2011年は再び2番打者として起用される。7月26日、第一子となる長男が誕生する。打撃面ではプロ入り後で最低の成績に終わった。9月1日にはNPBから反ドーピング規則違反の処分を受けるが、これは目の治療のために使用していた薬物の許可期限切れに伴う継続申請を怠っていた中日球団の過失によるところが大きいと認定され、最も軽いけん責処分となっている。
2012年、開幕戦から6番打者として起用されていたが、シーズン中盤からは5番を務めた。守備面では再び遊撃手に戻り、荒木も元の二塁手に再コンバートされた。最終的に打率.284を残し、3年ぶりにゴールデングラブ賞を受賞した。オフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され[9]代表入りした[10]。12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[11]候補入りした[12]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/03/Hirokazu_Ibata_on_March_8%2C_2013.jpg/180px-Hirokazu_Ibata_on_March_8%2C_2013.jpg)
2013年2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された[13]。背番号は「3」だった。ブラジル戦で同点打、3月8日の台湾戦では9回二死から同点打を放ち、打率.556と決勝ラウンドに進出した全選手の中で最も高い打率を記録した。指名打者としても出場し、東京ラウンドのMVPを獲得、大会ベストナインの指名打者部門にも選出された。特に2次ラウンドの台湾戦の同点適時打については「一生忘れない」と語った[14]。シーズン公式戦では100試合出場で打率.236、1本塁打、シーズン後は年俸減額限度額を越える大幅減俸の提示を受け、秋季キャンプには1人だけ不参加[15][16]。11月4日に球団が来季の契約を結ばないと発表された[17]。
巨人時代
2013年11月26日に読売ジャイアンツとの契約の合意が発表され[18]、12月3日に入団会見する。背番号は2[19]。プロ入り後ずっと打倒巨人を唱えていた男が[20]、巨人の強さの秘密を探る為に入団したと語った[信頼性要検証]。12月13日、第2子となる長女誕生。
2014年は、脚に不安を抱える片岡治大に次ぐ二塁手など、主に内野の守備要員として試合に出場する。また、片岡が連戦の疲れを考慮して休養する際は二塁手でスタメン出場し、正遊撃手の坂本勇人が故障等で先発出場ができない際には遊撃手として先発する。7月6日には古巣の中日からの第1号となる本塁打を濱田達郎から打つ。5年ぶりにシーズン3本塁打、CSファイナルステージ阪神戦では第2戦の7回に岩田稔から2ラン本塁打を打つ。
2015年は開幕スタメンで出場し、序盤はレギュラーとしても出場していた。6月12日、第3子となる次女誕生。最終的に片岡の故障離脱もあって98試合に出場したが、10月24日、読売巨人軍球団事務所で記者会見を行い、同級生の高橋由伸の監督就任に伴って今季限りで現役を引退することを表明[21]。日本プロ野球名球会の入会基準である通算2000本安打まであと88本[22]。高橋からの引退報告を電話で聞き「彼より長くやることはないと思っていた。電話をもらい、すぐに辞めようと思った」と決断したことを会見で明かした[23]。
引退後
2015年10月27日には、2016年からの一軍内野守備走塁コーチ就任が発表され[24]、11月5日に日本野球機構(NPB)より任意引退公示された[25]。
2017年9月11日に11月に開催される第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表内野守備・走塁コーチを務めることが発表された[26]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/%E4%BA%95%E7%AB%AF%EF%BD%83.jpg/180px-%E4%BA%95%E7%AB%AF%EF%BD%83.jpg)
2018年10月22日、コーチ退任が発表された[27]。11月26日に2019年から東海テレビ・ニッポン放送・東海ラジオの野球解説者になることが発表された[28]。新たに中日スポーツ・東京中日スポーツの野球評論家にも就任する。その他『プロ野球ニュース(フジテレビONE)解説者と日本テレビ・中京テレビ放送のゲスト解説者にも出演する。
2019年1月、侍ジャパンの強化本部編成戦略担当に就任したことを日本野球協議会が発表した[29]。同年10月に日本テレビサービスがYouTubeチャンネル『イバTV〜井端弘和公式チャンネル』を開設し、同チャンネルでYouTuber活動を開始することとなった。チャンネルでは現役時代の裏話や野球界が抱える問題、注目の選手についてなど野球にまつわる話題を、アシスタントMCのみっちーとともに井端独自の目線で語る動画が週一回のペースで投稿される[30]。
また、亜細亜大学時代の同期である飯塚智広が監督を務めているNTT東日本硬式野球部の臨時コーチを務めている[31]。
選手としての特徴
守備・走塁
プロ入り後一軍出場当初は外野を守ることもあったが、プロ入りまで外野の守備経験はほとんどなかった。これは当時遊撃手としては年下の福留孝介がおり、一軍出場が難しいチーム事情から二軍監督の仁村徹は一軍首脳陣に「井端は元々外野手だった」と報告、内外野を守れるユーティリティプレーヤーとして一軍に昇格したためである。
2001年から遊撃手のレギュラーに定着。荒木雅博とは守備で二遊間、打順で1・2番を組むことから「アライバコンビ」というコンビ名で呼ばれる。外野に抜けようかという打球を荒木が捕球したのち、無理に自ら一塁に送球せず井端にトスして送球を委ねるというプレーを始めとした数々の芸術的な守備を見せ[32]、荒木と共に2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。2010年からは年齢的な負担を考慮して二塁手にコンバートされ、荒木と守備位置の入れ替えを行った。2012年からはこの年から監督に就任した高木守道の「井端は(二塁を守っている時は)気持ちが吹っ切れてなかったし、荒木も肩に不安があるから」という意見と井端本人が遊撃手を希望したことにより、再び守備位置を入れ替えることになり、この年は守備イニング1000以上の遊撃手で両リーグ2位となるUZR15.9を記録した[33]。
走塁面でもシーズン20盗塁以上を三度記録し、右打者ながら一塁到達3.98秒を記録するスピードを誇ることもあるが[32]、大半は4秒台前半-6秒台前半とムラが大きい[34]。また盗塁の成功率も通算で62%と低い。
打撃
打撃では、2001年から2011年までは主に2番打者として起用され、荒木が不調の場合は井端が1番に入ることもあった。また、監督の方針により3番、5番、6番などの打順を任されることもあった。柔らかいリストワークを生かしたバットコントロールの良さを持ち味とする[35]。大きく左足を上げるバッティングフォームだが、タイミングやステップを微調整するため対応力が高い[36]。
2006年から2010年までの5年間で左投手に対して打率.307を残し、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年も打率.285を記録するなど左投手を得意としている。空振りは少なく[37]、外角の球に限らず内角の厳しいコースも腕をたたんで右方向へ運ぶ技術を備え[36]、得点圏時には右方向に8割以上の割合で打球を運ぶなど場面に応じたバッティングもできる他[38]、ファウル打ちは球界屈指の技術を誇る[35]。
人物
趣味はボートレース。年末年始には、愛知県にあるBOAT RACE蒲郡でトークショーに出演するのがここ数年の恒例行事となっている。ボートレーサーの中では原田幸哉と仲が良い[39]。
2004年から2018年まで、出身校である川崎市立川中島小学校で開催される「井端祭り[40]」に参加し、子ども達との交流を図っていた。2006年から2015年まで川崎市の野球少年のために「井端弘和杯[41]」を主催していた。
2012年よりスパイクをミズノからアシックスにしたが、ミズノとアンバサダー契約をしているため自腹で購入してもらってるとアシックスの担当者は語っている。ちなみに井端が要望したのは「痛くないスパイク」である。[要出典]
井端のファンであると公言している人物としては、井端の妻である河野明子[42]や、SKE48の高柳明音[43]、吉田沙保里[44]などが知られている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | 中日 | 18 | 60 | 49 | 2 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 2 | 4 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | 1 | 8 | 0 | .245 | .339 | .265 | .605 |
2000 | 92 | 270 | 242 | 35 | 74 | 7 | 0 | 3 | 90 | 16 | 6 | 8 | 8 | 2 | 16 | 0 | 2 | 22 | 1 | .306 | .351 | .372 | .723 | |
2001 | 140 | 625 | 531 | 53 | 139 | 25 | 3 | 1 | 173 | 32 | 14 | 12 | 37 | 2 | 49 | 2 | 6 | 60 | 10 | .262 | .330 | .326 | .656 | |
2002 | 135 | 596 | 531 | 67 | 154 | 25 | 1 | 4 | 193 | 25 | 6 | 9 | 6 | 0 | 53 | 1 | 6 | 77 | 11 | .290 | .361 | .363 | .724 | |
2003 | 105 | 447 | 386 | 44 | 103 | 14 | 0 | 5 | 132 | 27 | 5 | 3 | 30 | 1 | 28 | 0 | 2 | 50 | 9 | .267 | .319 | .342 | .661 | |
2004 | 138 | 642 | 562 | 81 | 170 | 30 | 2 | 6 | 222 | 57 | 21 | 10 | 18 | 3 | 54 | 0 | 5 | 74 | 16 | .302 | .367 | .395 | .762 | |
2005 | 146 | 659 | 560 | 87 | 181 | 22 | 5 | 6 | 231 | 63 | 22 | 8 | 19 | 2 | 72 | 3 | 6 | 77 | 11 | .323 | .405 | .413 | .817 | |
2006 | 146 | 666 | 573 | 97 | 162 | 19 | 2 | 8 | 209 | 48 | 17 | 12 | 27 | 1 | 61 | 0 | 4 | 72 | 13 | .283 | .355 | .365 | .720 | |
2007 | 144 | 665 | 588 | 87 | 174 | 34 | 4 | 5 | 231 | 45 | 23 | 6 | 8 | 1 | 63 | 1 | 5 | 74 | 13 | .296 | .368 | .393 | .761 | |
2008 | 106 | 466 | 408 | 51 | 113 | 16 | 3 | 5 | 150 | 23 | 8 | 3 | 16 | 2 | 37 | 1 | 3 | 56 | 7 | .277 | .340 | .368 | .708 | |
2009 | 144 | 657 | 569 | 80 | 174 | 24 | 2 | 5 | 217 | 39 | 13 | 7 | 8 | 2 | 72 | 0 | 6 | 66 | 13 | .306 | .388 | .381 | .770 | |
2010 | 53 | 212 | 180 | 18 | 47 | 6 | 0 | 0 | 53 | 16 | 0 | 0 | 6 | 2 | 21 | 1 | 3 | 28 | 13 | .261 | .345 | .294 | .639 | |
2011 | 104 | 434 | 376 | 28 | 88 | 9 | 1 | 1 | 102 | 29 | 3 | 3 | 31 | 2 | 25 | 1 | 0 | 53 | 10 | .234 | .280 | .271 | .551 | |
2012 | 140 | 553 | 489 | 35 | 139 | 17 | 0 | 2 | 162 | 35 | 4 | 4 | 8 | 1 | 52 | 2 | 3 | 58 | 14 | .284 | .356 | .331 | .687 | |
2013 | 100 | 376 | 326 | 30 | 77 | 9 | 0 | 1 | 89 | 18 | 0 | 2 | 8 | 0 | 38 | 0 | 4 | 51 | 13 | .236 | .323 | .273 | .596 | |
2014 | 巨人 | 87 | 187 | 164 | 16 | 42 | 3 | 0 | 3 | 54 | 16 | 0 | 0 | 4 | 1 | 18 | 0 | 0 | 24 | 11 | .256 | .328 | .329 | .657 |
2015 | 98 | 321 | 269 | 20 | 63 | 9 | 0 | 1 | 75 | 19 | 3 | 3 | 10 | 2 | 37 | 0 | 3 | 36 | 4 | .234 | .331 | .279 | .610 | |
NPB:17年 | 1896 | 7836 | 6803 | 831 | 1912 | 270 | 23 | 56 | 2396 | 510 | 149 | 90 | 248 | 24 | 702 | 12 | 59 | 886 | 169 | .281 | .352 | .352 | .706 |
- 各年度の太字はリーグ最高
WBCでの打撃成績
年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 日本 | 6 | 23 | 18 | 6 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 3 | 0 | .556 | .652 | .611 |
日米野球での打撃成績
年 度 |
チ | ム |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | NPB | 6 | 13 | 10 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | .100 | .100 | .231 | .331 |
年度別守備成績
- 内野
年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
1998 | - | 6 | 5 | 10 | 1 | 2 | .938 | - | 12 | 23 | 34 | 0 | 10 | 1.000 | ||||||||||
2000 | - | 23 | 15 | 22 | 0 | 7 | 1.000 | 2 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 51 | 70 | 122 | 5 | 16 | .975 | |||||
2001 | - | 15 | 9 | 10 | 0 | 3 | 1.000 | - | 134 | 193 | 381 | 4 | 66 | .993 | ||||||||||
2002 | - | - | - | 134 | 237 | 387 | 6 | 69 | .990 | |||||||||||||||
2003 | - | - | - | 104 | 150 | 319 | 2 | 62 | .996 | |||||||||||||||
2004 | - | - | - | 138 | 213 | 472 | 4 | 90 | .994 | |||||||||||||||
2005 | - | - | - | 146 | 204 | 480 | 5 | 97 | .993 | |||||||||||||||
2006 | - | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 146 | 242 | 475 | 4 | 77 | .994 | ||||||||||
2007 | - | - | - | 144 | 222 | 465 | 6 | 97 | .991 | |||||||||||||||
2008 | - | - | - | 106 | 139 | 311 | 8 | 50 | .983 | |||||||||||||||
2009 | - | - | - | 144 | 218 | 477 | 8 | 92 | .989 | |||||||||||||||
2010 | - | 45 | 114 | 114 | 1 | 27 | .996 | - | 8 | 15 | 18 | 2 | 1 | .943 | ||||||||||
2011 | - | 102 | 260 | 328 | 5 | 54 | .992 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||
2012 | - | - | - | 140 | 186 | 450 | 4 | 94 | .994 | |||||||||||||||
2013 | - | 2 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | 93 | 118 | 248 | 6 | 40 | .984 | ||||||||||
2014 | 14 | 36 | 2 | 0 | 7 | 1.000 | 42 | 84 | 84 | 1 | 21 | .994 | 16 | 4 | 7 | 0 | 1 | 1.000 | 14 | 9 | 18 | 0 | 4 | 1.000 |
2015 | 26 | 154 | 10 | 1 | 9 | .994 | 33 | 63 | 55 | 1 | 10 | .992 | 39 | 23 | 35 | 2 | 2 | .967 | 11 | 11 | 28 | 1 | 4 | .975 |
通算 | 40 | 190 | 12 | 1 | 16 | .995 | 268 | 551 | 626 | 9 | 124 | .992 | 61 | 30 | 47 | 2 | 3 | .975 | 1525 | 2250 | 4685 | 65 | 869 | .991 |
- 外野
年 度 |
外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
2000 | 21 | 18 | 0 | 1 | 0 | .947 |
2001 | 11 | 16 | 2 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 32 | 34 | 2 | 1 | 0 | .973 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 太字年はゴールデングラブ賞受賞
表彰
- NPB
- ベストナイン:5回 (2002年、2004年 - 2007年)
- ゴールデングラブ賞:7回 (2004年 - 2009年、2012年)
- 月間サヨナラ賞:1回 (2015年6月)
- オールスターゲーム優秀選手賞:1回 (2007年第2戦)
- オールスターゲーム・ベストバッター賞:1回 (2009年第2戦、イチロー(オリックス・ブルーウェーブ)、内川聖一(横浜ベイスターズ)に次ぐ5打席連続安打)
- アジアシリーズMVP:1回 (2007年)
- 月間アットホームヒーロー賞:1回 (2015年6月)
- 日本代表
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:1998年9月8日、対阪神タイガース23回戦(ナゴヤドーム)、7番・遊撃手で先発出場
- 初打席:同上、1回裏にダレル・メイから投手ゴロ
- 初安打・初打点:同上、3回裏にダレル・メイから中前2点適時打
- 初犠打:1998年9月15日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、5回表に川崎憲次郎から投手前犠打
- 初盗塁:1998年9月17日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、1回表に二盗(投手:山部太、捕手:古田敦也)
- 初本塁打:2000年6月8日、対ヤクルトスワローズ9回戦(明治神宮野球場)、1回表にドナルド・レモンから左越ソロ
- 節目の記録
- 1000本安打:2007年4月1日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に藤井秀悟から左中間二塁打 ※史上243人目
- 1000試合出場:2007年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(ナゴヤドーム)、3番・遊撃手で先発出場 ※史上419人目
- 1500本安打:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に吉見祐治から右中間へ適時二塁打 ※史上105人目
- 200犠打:2011年9月1日、対阪神タイガース18回戦(ナゴヤドーム)、6回裏にジェイソン・スタンリッジから投手前犠打 ※史上32人目(高木守道と並ぶ通算犠打の球団タイ記録)
- 1500試合出場:2012年5月3日、対阪神タイガース6回戦(ナゴヤドーム)、6番・遊撃手で先発出場 ※史上174人目
- その他の記録
背番号
- 中日ドラゴンズ
- 48 (1998年 - 2002年)
- 6 (2003年 - 2013年)
- 読売ジャイアンツ
- 2 (2014年 - 2015年)
- 82 (2016年 - 2018年)
- 3 (2013年)
登場曲
- 「Bad City」SHŌGUN(2002年)
- 「HERO(ヒーローになる時、それは今)」甲斐バンド(2002年)※チャンス時
- 「James Bond Theme」Paul Oakenfold(2003年)
- 「One Night Carnival」氣志團(2004年 - 2006年)
- 「スウィンギン・ニッポン」氣志團(2005年)※チャンス時
- 「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」DJ OZMA(2006年 - 2008年)
- 「超!」DJ OZMA(2007年)
- 「While My Guitar Gently Weeps」The Beatles(2009年 - 2010年)
- 「あとひとつ」FUNKY MONKEY BABYS(2011年 - 2015年)
代表歴
コーチ歴
関連情報
メディア出演
- ラジオ
- 久野誠のドラゴンズワールド、宮部和裕のドラゴンズEXPRESS(CBCラジオ。週一回程度電話出演。主に月曜日)
- ニッポン放送ショウアップナイター(ニッポン放送)(2019年 - )
- ガッツナイター(東海ラジオ)(2019年 - )
- CM
- 広告
- コラム
- 井端弘和の一の野球
- 不定期更新。同僚の岩瀬仁紀(岩瀬仁紀の人生野球)とともに中日スポーツの携帯サイト「ドラゴンズ情報」内で、「現状レポート」とファンからの質問に答える「なんでもQ&A」(質問は同じページで受付中)・井端からのメッセージ動画(ダウンロードが必要)のほか、井端オリジナルコンテンツとして「マイブーム」(ただし更新頻度は他の3つと比べると少ない)で構成されている。
- ブログ
- 匠の言葉(2019年 - )
- 動画配信
- イバTV(YouTube、2019年 - 、毎週水曜更新)
- その他
著書
- 『土壇場力:悔しさと憧れが無限の力を生み出す』(竹書房、2013年7月、ISBN 978-4812495964)
- 『勝負強さ』(角川oneテーマ21、2013年7月、ISBN 978-4041105160)
- 『守備の力』(光文社新書、2014年12月、ISBN 978-4334038328)
- 『内野守備の新常識 4ポジションの鉄則・逆説&バッテリー・外野・攻撃との関係』(廣済堂出版、2019年8月、ISBN 978-4331522387)
- 『井端弘和の遊撃手「超」専門講座』(ベースボール・マガジン社、2019年9月、ISBN 978-4583112350)
- 『アライバの鉄則』(廣済堂出版、2020年7月20日、ISBN 978-4-331-52296-7)- 荒木雅博と共著
関連書籍
- 『プロ野球の名脇役』(二宮清純著、光文社新書、2014年4月、ISBN 978-4334037925)
脚注
- ^ 「井端弘和氏の野球人生を変えたノムさんからの1本の電話「感謝しても感謝しきれません」」『中日スポーツ』、2020年2月11日。2020年6月19日閲覧。
- ^ 「WBC初参加 37歳井端がキーマン!」『日刊スポーツ』、2012年11月7日。2013年3月10日閲覧。
- ^ 「井端は残留します きょうFA権取得」『中日スポーツ』、2008年8月3日。2009年6月10日閲覧。オリジナルの2015年4月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「井端、ドラ史上最長の5年契約 33歳「生涯竜」宣言に球団もジ〜ン」『中日スポーツ』、2008年12月17日。2009年6月10日閲覧。オリジナルの2010年4月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ “おのろけ中日井端「河野アナの全部好き」 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2020年12月19日閲覧。
- ^ 「中日・荒木、井端、黄金の二遊間コンバートお預け」『スポーツニッポン』、2009年4月1日。2009年4月8日閲覧。オリジナルの2013年2月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「中日・井端が1500安打 史上105人目」『サンケイスポーツ』、2010年6月5日。2010年10月12日閲覧。オリジナルの2010年6月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「制限いっぱい減俸 中日 井端「何もやってないので」」『スポニチアネックス』、2010年11月26日。オリジナルの2010年11月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ “侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー”. 日本野球機構 (2012年11月6日). 2015年4月14日閲覧。
- ^ “日本代表メンバー”. 日本野球機構 (2012年11月6日). 2015年4月14日閲覧。
- ^ “2013WBC日本代表候補選手発表”. 日本野球機構 (2012年12月4日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ “2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手”. 日本野球機構 (2012年12月4日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ “2013WBC日本代表28選手の発表”. 日本野球機構 (2013年2月20日). 2015年4月2日閲覧。
- ^ 「井端、台湾戦「一生忘れない」」『nikkansports.com』、2013年3月20日。2013年3月21日閲覧。
- ^ 「井端連絡絶つ…中日キャンプ3日連続欠席」『日刊スポーツ』、2013年11月4日。2020年12月11日閲覧。
- ^ 「中日 井端と来季契約せず WBCベストナインに事実上の「戦力外」」『スポーツニッポン』、2013年11月4日。2020年12月11日閲覧。
- ^ “来季の契約について”. 中日球団公式サイト (2014年11月4日). 2020年12月11日閲覧。
- ^ 「巨人、井端獲得を発表 二塁手強化、右の代打としても期待」『スポーツニッポン』、2013年11月26日。2020年12月11日閲覧。
- ^ 「井端が巨人入団会見「ここで全うしたい」強い意気込み 背番号は2」『スポーツニッポン』、2013年12月3日。2020年12月11日閲覧。
- ^ 上野亮治「巨人で燃え尽きる!井端、背番は2「小さい頃からの夢」」『サンケイスポーツ』、2013年12月4日。2020年4月22日閲覧。
- ^ “井端弘和選手が現役引退を発表-由伸監督誕生で決断。いい野球人生でした”. 読売巨人軍公式サイト (2015年10月24日). 2020年12月11日閲覧。
- ^ “個人年度別成績 【井端弘和 (読売ジャイアンツ)】”. 日本野球機構. 2020年12月11日閲覧。
- ^ 「巨人の井端引退「由伸より長くやることはない」」『YOMIURI ONLINE』読売新聞社、2015年10月24日。2015年10月24日閲覧。
- ^ “来季の一、二軍コーチングスタッフについて”. 読売巨人軍公式サイト (2015年10月27日). 2020年12月11日閲覧。
- ^ “2015年度 任意引退選手”. 日本野球機構. 2015年11月5日閲覧。
- ^ “「ENEOS アジア プロ野球チャンピオンシップ2017」コーチングスタッフについて”. 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2017年9月11日). 2017年10月8日閲覧。
- ^ Giants(読売巨人軍), Yomiuri. “コーチングスタッフの退任について”. www.giants.jp. 2020年12月19日閲覧。
- ^ ニッポン放送ショウアップナイター (2018年11月26日). “ショウアップナイター解説陣に川相氏、井端氏が加わる!”. ベースボールキング. 2020年12月11日閲覧。
- ^ 「井端弘和氏が編成戦略担当に就任 侍ジャパン強化本部」『サンケイスポーツ』、2019年1月31日。2020年12月11日閲覧。
- ^ "元プロ野球選手 井端弘和氏のYouTubeチャンネル「イバTV〜井端弘和公式チャンネル」開設のお知らせ" (Press release). 日テレサービス. 1 October 2019. 2019年10月3日閲覧。
- ^ 「【巨人】2軍21日に井端氏が臨時コーチのNTT東日本と交流戦…早大とは3軍、2軍で2連戦」『スポーツ報知』、2020年3月19日。2020年12月11日閲覧。
- ^ a b 西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2009』小関順二(監修)、アスペクト〈アスペクトムック〉、2009年、452-453頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート』 2巻、水曜社、2013年、37頁。ISBN 978-4-88065-319-8。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2007』アスペクトムック、2007年、248-249頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。
- ^ a b 西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2008』小関順二(監修)、アスペクト〈アスペクトムック〉、2008年、72-73頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』〈アスペクトムック〉2010年、72-73頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ 小関順二、泉直樹、荒井太郎『プロ野球スカウティングレポート2006』アスペクトムック、2006年、254-255頁頁。ISBN 978-4-7572-1246-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』白夜書房、2009年、111頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
- ^ 中日ドラゴンズ井端弘和選手・原田幸哉選手トークショー& サイン会 - ウェイバックマシン(2008年5月13日アーカイブ分)
- ^ “「諦めない事が大切」 井端コーチ、母校で授業 | 川崎区・幸区”. タウンニュース (2018年1月26日). 2020年12月19日閲覧。
- ^ “「井端弘和杯」表彰式に井端コーチが出席”. 読売巨人軍公式サイト (2015年11月30日). 2020年12月11日閲覧。
- ^ “井端結婚!お相手は“大ファン”キャスター”. www.sponichi.co.jp. 2020年12月19日閲覧。
- ^ “SKE48・高柳明音 名古屋で生まれ育った生粋の竜党の私…一番最初に好きになったのは井端選手 見に行くと必ず活躍してくれた:中日スポーツ・東京中日スポーツ”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2020年12月19日閲覧。
- ^ “吉田沙保里が井端結婚にファンとして祝福 - 芸能ニュース”. nikkansports.com. 2020年12月19日閲覧。
- ^ “2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表個人成績”. 日本野球機構. 2017年6月1日閲覧。
- ^ “イオン オールスターシリーズ2004 日米野球 チーム・個人成績(NPBオールスターチーム)”. 日本野球機構. 2014年11月12日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 井端弘和 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB
- 井端弘和_Official (@hirokazu_ibata) - X(旧Twitter)
- 井端弘和オフィシャルWEBサイト「匠の言葉」
- 【イバTV】井端弘和公式チャンネル - YouTubeチャンネル
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