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「大宮アルディージャ」の版間の差分

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2021年8月8日 (日) 09:27時点における版

大宮アルディージャ
原語表記 大宮アルディージャ
呼称 大宮アルディージャ
愛称 ディージャ、栗鼠
クラブカラー

  オレンジ[1]

  ネイビー[1]
創設年 1969年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J2リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 埼玉県さいたま市[1]
ホームスタジアム
NACK5スタジアム大宮[1]
収容人数 15,491[1]
運営法人 エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社[1]
代表者 日本の旗 佐野秀彦
監督 日本の旗 霜田正浩
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社
NTT Sports Community Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 日本の旗 日本
330-0803
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-20-1[1][2]
設立 1998年12月4日[2]
業種 サービス業
法人番号 9030001001309 ウィキデータを編集
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 鈴木茂[1][2]
資本金 1億円 (2020年1月期)[3]
売上高 34億5400万円 (2020年1月期)[3]
営業利益 ▲400万円 (2020年1月期)[3]
経常利益 0万円 (2020年1月期)[3]
純利益 0円(2021年01月31日時点)[4]
純資産 1056万9000円(2021年01月31日時点)[4]
総資産 13億5084万9000円(2021年01月31日時点)[4]
決算期 1月期
主要株主 東日本電信電話[2]
NTTドコモ[2]
NTTデータ[2]
外部リンク www.ardija.co.jp
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大宮アルディージャ(おおみやアルディージャ、Omiya Ardija)は、日本埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。現監督は霜田正浩

1969年創部の電電関東サッカー部が前身であり、1999年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮、練習場は大宮アルディージャ練習場(さいたま市西大宮サッカー場)。運営会社はエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社(NTTスポーツコミュニティ)[1]。クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」はスペイン語で「リス」を意味する「Ardilla」に由来し[1] 、読みやすいように変更した造語(Ll参照。リスは大宮市(現:さいたま市)が1990年の市制施行50周年記念の際に定めたマスコット[1][5]

歴史

Jリーグ参入前

1969年に旧浦和市で結成された電電関東サッカー部が前身であり[1]1987年から1992年まで日本サッカーリーグ2部に在籍した。1998年、旧大宮市をホームタウンとしてチーム名を「大宮アルディージャ」へ改称[1]。1998/12、東日本電信電話[注 1] が中心となりNTTドコモNTTデータNTTファシリティーズNTTコムウェア日本コムシスなどのNTTグループおよび関連企業18社が出資して運営会社となる「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された[1]

1999-2004(J2)

1999年、オランダ人のピム・ファーベークが監督に就任。序盤は首位争いをしていたが、その牽引役だったヨルン・ブーレが、深夜の東京都内で暴漢に襲われ、左眼失明の重傷を負って引退して以降失速し、最終成績はリーグ6位。2000年、三浦俊也が監督に就任。初めて浦和との「さいたまダービー」が行われた(大宮の1勝3敗)。2001年、第11節から12連勝を記録し、前半戦を17勝3分2敗 勝点50の首位で終え、第8節から第24節まで17戦連続無敗で、第15節からは首位に立った。後半戦はジョルジーニョとパナマ代表 バルデスが重傷を負い、後半戦に加入したバレーが活躍したが、第25節 新潟戦での延長Vゴール負けによって3連敗し、第27節には2位、第30節にはJ1昇格圏外の3位に落ち、第33・35・36節には再度2位となったが、第37節 川崎戦で敗れて3位に落ちる。以降は昇格圏に戻れず、後半戦は9勝3分10敗で勝点28しか挙げられず、年間勝点は78、優勝した京都に勝点差6を付けられ、最終順位は5位。その後、三浦が監督を辞任した。2002年、前半戦は4位と8位の間を推移し、後半戦は第40節まで5位で、第41節に6位に落ち、1度も昇格圏内に入れずに6位でシーズンを終えた。2003年、第2節から3連勝し、第7節まで6戦無敗、第6・7節には昇格圏内の2位に浮上するも、第8節に3位に落ちた後は1度も昇格圏内に入ることなく、前年同様に6位でシーズンを終えた。2004年、3シーズンぶりに三浦が監督に就任した。11/20の水戸戦で勝利し、J1自動昇格条件の2位以上が確定し、シーズン2位の成績で2005年からのJ1昇格が確定した。

2005-2014(J1)

大宮アルディージャサポーター

2005年:クラブスローガン「「Departure」→走り出す大宮→」。三浦体制2年目。元ブラジル代表 クリスティアン、地元大宮出身 桜井直人、元日本代表 藤本主税などを補強した。リーグ戦は第16節時点で7位になったが、リーグ戦15試合6得点のクリスティアンがサンパウロFCに移籍した上に故障者が続出し、第22節から第28節まで7連敗。第28節時点で16位まで順位を下げたが、レアンドロ若林学らの活躍で第29節から4連勝して最終成績は13位となった。優勝したG大阪に2戦2勝で、ホームのさいたまダービーでは勝利した。ナビスコ杯はベスト8、天皇杯はベスト4へ進出した。

2006年:クラブスローガン「OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂」。三浦体制3年目。12位でシーズンを終えた。シーズン終了後に三浦が監督を退任した。

2007年:クラブスローガン「シンカ ~進化、真価、深化」。かつて監督を務めたピムの弟であるロバート・ファーベークが監督に就任した。リーグ戦は前半戦で3勝7分8敗の16位と低迷した。ファーベークは解任され、強化育成部長 佐久間悟が監督に就任した。その後もチームの調子は急浮上しなかったが、15位でJ1残留となった。

2008年:クラブスローガン「シンカ NEXT~進化、真価、深化」。三浦の監督退任時からオファーを出していた山形元監督 樋口靖洋が監督に就任した。樋口は攻撃的なサッカーを志向し、第14節時点で7位となったが、後半は無得点記録と6連敗を記録し、12勝7分15敗の12位でシーズンを終え、樋口が退任した。

2009年:クラブスローガン「橙想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009」。張外龍が監督に就任した。開幕当初から主将 小林慶行など、怪我人が続出し、その小林が張の構想外となり、柏へレンタル移籍した。苦戦が続いたが、シーズン終盤でJ1残留が確定した。

2010年:クラブスローガン「橙想心 より強く、より高く、より深く」。張体制2年目。開幕直前に塚本泰史が右大腿骨の骨肉腫を患っていたことが明らかになった。3/7のC大阪戦に3-0で勝利したことでチームとして初のJ1単独首位に立ったが、第8節終了時で1勝2分5敗の成績となった。張が監督を辞任し、鈴木淳が監督に就任するとチーム状態は上向きになり、ホーム最終戦の第33節でJ1残留が確定した。10/2の埼玉スタジアムでの浦和戦にて大宮の観客数水増しが発覚した。発覚当初はクラブ側は全面否定したが、翌日にリーグ事務局の本格調査が入ると、一転して4000人以上の水増しを認め、10/19に渡邉誠吾が代表取締役を辞任した。2007/11以降に主管した58試合で観客数を水増しし、合計は111737人であった[6]。11/16に社団法人日本プロサッカーリーグより譴責(始末書の提出)と制裁金2000万円の処分が課せられた[7]

2011年:クラブスローガン「上昇宣言 ~リスの木登り~」。鈴木体制2年目。リーグ戦は連勝も連敗もないという星取りで、ホームゲームで勝てない(8/27の第24節 磐田戦でようやく1勝目。12/3の第34節 甲府戦で2勝目)という状況だったが、11/19の第32節 鹿島戦前にJ1残留が確定した。最終順位は13位で、初めて浦和より上位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦の福岡大戦でのPK戦で敗退した。12月に塚本泰史との契約を解除し、塚本は翌年1月に大宮アンバサダーに就任した。

2012年:クラブスローガン「上昇宣言2012 ~リスの木登り~」。鈴木体制3年目。1月に塚本泰史が大宮アンバサダーに就任し、7年間在籍した藤本主税が熊本に移籍した。シーズン開始後は第2節終了時に8位であったが、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断直前の第13節終了時点で15位の順位であった。5月に監督の鈴木とヘッドコーチの石井知幸を解任し、6月にズデンコ・ベルデニックが監督、井上卓也がヘッドコーチに就任した。ベルデニックは就任早々、崩壊していた守備を迅速に整備して立て直し、堅守速攻をベースに、徹底した守備、コンパクトネス、ハードワークや積極的なアグレッシブネス、攻守切替のスピード、ゾーンプレス、規律を重視した[8]。大宮監督就任以前のベルデニックの基本フォーメーションは3バックであったが、大宮では4バックを採用し、ディエゴ・シメオネアトレティコ・マドリードで採用しているような4-2-2-2の強固なブロックも採用し、鉄壁を築いた[8](後に大宮はアトレティコとの比較対象になることが増える[9])。7月にFWラファエルボタフォゴFRへ移籍したが、DF 河本裕之の補強による守備力強化と、長身FW ズラタン ノヴァコヴィッチ 両名の補強による攻撃力強化を行なった。第24節時点で17位に順位を落としたが、第24節 浦和戦から最終節までリーグ戦11戦連続無敗、天皇杯を含めて公式戦13試合連続無敗を記録した。第33節 磐田戦での勝利時点でJ1残留が確定した。最終順位は13位。

2013年:クラブスローガン「大宮共闘」。ベルデニック体制2年目。リーグ戦は前年後半からの無敗を継続。第7節 浦和戦で鹿島のJ1連続無敗記録を更新すると、次の柏戦で首位に立ち、第11節 仙台戦で敗北するまでJ1通算無敗記録を21に伸ばした。ナビスコカップはグループリーグ敗退し、J1リーグ戦ではコンフェデレーションズカップによる中断明けの7月 第16節から連敗し、5連敗目となった第20節の翌日の8月11日にベルデニックが解任され、小倉勉が監督に就任した。小倉指揮下でもJ1リーグ戦での連敗を止めることができずに連敗は8まで伸びたが、第24節 横浜FM戦で連敗を止めた。第25節から第32節までシーズン2度目の8連敗となったが、第33・34節に勝利して最終順位は14位。第34節 湘南戦での勝利によりJ1通算100勝を達成した。シーズン終了後に小倉が監督、岡本武行がGM、古矢武士が強化部長を退任した。

2014年:クラブスローガン「大宮共闘」。大熊清が監督に就任した。RCDマヨルカから元日本代表 家長昭博を完全移籍で獲得した。リーグ戦では開幕2戦で連敗後に第3・4節に連勝して8位まで順位を上げたが、第5節から7試合連続未勝利となり、第12節時点で17位に順位を下げた。第12節以降はワールドカップによる中断期間前まで公式戦勝利から遠ざかる。中断期間終了後、リーグ戦10試合連続未勝利となった第24節終了後の8/31に大熊を解任し、コーチの渋谷洋樹が監督に就任した。渋谷の就任後は5勝1分5敗であったが降格圏に留まり、16位で迎えた最終節はC大阪に2-0で勝利したが、15位の清水が引き分け、J2降格が確定した。この年にJ2降格が確定するまで大宮は10年間のJ1在籍を記録した。

2015(J2)

クラブスローガン「挑む 頂点へ、未来へ」。渋谷体制2年目。大型補強を行い、元日本代表 播戸竜二大屋翼加藤順大塩田仁史清水慎太郎横谷繁などが加入し、2012年に期限付き移籍をしていた河本裕之が完全移籍で加入した。渋谷は攻撃的ポゼッションサッカーを志向し、前年度まで前衛MFとして不調に陥っていた家長昭博をCFとして起用し、持ち味に特化させることで得点力などを大幅に向上させていった(この年をきっかけに家長はFWをメインポジションとしてプレーすることが多くなった)[10]。リーグ戦序盤はスタートダッシュに失敗したが、その後はチームが安定していき、着々と勝ちを積み重ね、第15節からは首位を一度も譲ることはなかった。

2016-2017(J1)

2016年:クラブスローガン「挑む より高みへ、未来へ」。渋谷体制3年目。昇格初年度の目標として「勝ち点48」「年間順位7位から12位」を掲げた。戦力面では後の日本代表 江坂任などを補強した。この年の大宮は前年度のポゼッション重視からロングカウンター重視の堅守速攻にスタイルを変え、仮想アトレティコ・マドリードと評された[9][11]。開幕から順調に勝ち点を積み上げ、第13節 鳥栖戦での江坂のヘディングゴールでJ1通算400ゴールを達成し、家長が日本人選手J1初となる二桁得点を達成した。第28節 広島戦時点で残り6試合でJ1残留が確定した。第29節 川崎戦も3-2で勝利し、クラブJ1史上最高の勝ち点46以上が確定したが、この試合が発端となって大宮・川崎間での選手同士・サポーター同士のトラブルが発生した[12][13]。過去未勝利のカシマサッカースタジアムでの第31節 鹿島戦でも3-1で勝利したことで同スタジアムでの初勝利となり、勝ち点を50に伸ばし、シーズン目標の勝ち点48を達成した。最終節ではFC東京に1‐0で敗れ、ACL出場可能性のある4位にはならなかったが、リーグでのクラブ最高成績の5位でシーズンを終えた。2年ぶりのJリーグカップでは予選トーナメント2位で2005年以来の決勝トーナメントに進出した。前回進出時と同様に横浜FMとの準々決勝では、ホームでの第1戦は2-1で勝利、アウェーでの第2戦は0-1となり、2戦合計スコアは2-2となったがアウェーゴールでは劣るために準々決勝敗退となった。天皇杯では2005年以来2度目のベスト4まで勝ち上がったが、川崎に0-1で敗戦した。

2017年:クラブスローガン「挑む ~より強く、未来へ。~」。渋谷体制4年目。前年度のキープレイヤー家長昭博が川崎、泉澤仁がG大阪に移籍したが、2017年のエース・10番となる大前元紀を清水から完全移籍で獲得した。この年は前年度の堅守速攻重視から、2015年度のポゼッション重視にスタイルを戻した。リーグ戦では開幕から6連敗で最下位に沈み、第7節 清水戦でリーグ戦初勝点を挙げ、1-1で引き分けて連敗を止めるが、第8節 G大阪戦では6失点で大敗する。第9節 首位の浦和戦でのさいたまダービーにてシーズン初勝利を挙げるが、その後も低迷が続く。第13節 柏戦での4失点敗戦後の翌日 5/28に渋谷とヘッドコーチ 黒崎久志を解任し、伊藤彰の監督、海本慶治のヘッドコーチ就任を発表した[14][15]。監督交代後も成績は向上せず、残り3試合時点でフロントは2度目の監督交代を決断し、伊藤と強化本部長 松本大樹を解任し[16][17]、5月まで鹿島監督で鹿島を世界2位に導いた大宮前身のNTT関東出身であった石井正忠が監督、スカウト担当西脇徹也が強化本部長に就任した[18][19]。石井は就任会見時に涙を浮かべ、古巣残留のためにポゼッションから堅守速攻へとスタイルを緊急原点回帰させたが[20]、就任後の第32・33節でも勝利できずにJ2降格が決定。リーグ戦中断期間にカウエマルセロ・トスカーノキム・ドンスを補強したが、チーム状況は改善しなかった。最終節で川崎に5-0で大敗を喫し、皮肉にもこの試合で前年度までの大宮中心選手 家長在籍の川崎のリーグ初優勝が確定し、大宮のJ1最下位によるJ2降格が確定した。監督の石井にとっては、前年度では鹿島を優勝させてレアル・マドリードとの試合で世界2位という結果になったのにも関わらず、2017年度では優勝チームとの試合での大敗による最下位・J2降格という正反対の結果となった。最終結果5勝10分19敗の最下位18位でシーズンが終了した。YBCルヴァンカップではグループステージ6試合中4試合終了時点で2分2敗となり、この時点で決勝トーナメント進出の可能性が断たれ、最後の2試合は勝利したが、2勝2分2敗の4位でグループステージ敗退となった。

2018-(J2)

2018年:クラブスローガン「ONE 勝利のために」(石井を中心に考案された[21])。石井体制2年目。J2優勝を目標に掲げ、クラブ創立20年目のシーズンに臨んだ[22]。大型改革を行い、原崎政人大塚真司藤原寿徳大塚慶輔がコーチに就任。後の日本代表 江坂任などの多数の主力選手が他チームへ移籍したが、大型FW ロビン・シモビッチなどを補強した。石井は開幕前から1年を通して「アグレッシブに前に出る」「自ら自発的にアクションを起こす」ということを提唱し、石井の前所属 鹿島と同様に基本フォーメーションを4-4-2に固定し、堅守速攻をベースにした攻撃的な中央攻撃とショートカウンターの戦術によって42試合中39試合を4-4-2で戦い抜いた[23][20][24][25][26]。開幕戦・甲府戦では勝利するが、第9節終了時点で2勝1分5敗と黒星が先行して19位まで順位を落とす。第10-12節に3連勝してシーズン初連勝を記録し、その後は成績が向上した。第16-21節に6戦連続無敗を記録して前半戦を8位で折り返した。後半戦も最初の2節を連勝し、第24節 徳島戦にて敗れるまで8戦連続無敗を記録した。第29節で開幕戦以来のJ1参入プレーオフ圏内の5位に浮上し、その後は他チームとJ1昇格枠を争う展開となった。第39-最終節開始前に昇格圏外の7位に順位を落としたが、最終節 岡山戦にて菊地光将のゴールにより勝利すると、プレーオフ圏を争っていた東京Vと福岡が引き分けて5位に浮上し、参入プレーオフ出場が確定した。シーズン終了時65得点という記録を出し、石井の提唱する「アグレッシブネス」をストレートに体現して得点力を爆発させた大前元紀が合計24得点を記録し、得点王となる。しかし守備に難があり、48失点となった(シーズン終了時の大宮を首位の松本山雅FCと比較すると、松本山雅の54得点は大宮の65得点を11点下回っているが、松本山雅の34失点は大宮の48失点を14点下回っている)。参入プレーオフ1回戦では6位 東京Vと対戦。レギュレーションに基づきリーグ戦上位の大宮は引き分けの場合でも2回戦進出となる状況であったが[27]、東京V側が退場者を出し、11人対10人と数的有利の状況で後半26分に失点し[27]、その後はスコアが動かず、0-1で敗戦してプレーオフ敗退となった。シーズン終了後に石井が監督を退任した。

2019年:クラブスローガン「121%ORANGE」。前長崎監督の高木琢也が監督に就任。昨シーズンと比べ、大規模改革や人事異動などは行われず、コーチ陣は続投、移籍も少数に留まった。大宮が長年採用し続けてきた4バックの伝統を破り、3バックを取り入れ、高木の前所属 長崎と同様に3-4-2-1を基本フォーメーションとし、4バックは1度のみ使用した[28]。3バックへと変更を行ったことでサイド攻撃が減少し、カウンターによる中央攻撃が多くなり、昨シーズンよりもポゼッション比率が減少した[29]。3/23の水戸戦から6/29の金沢戦までの3ヶ月間に16戦連続無敗を記録して首位に立つなどしていた。昨シーズンの48失点よりも8点少ない40失点に抑え、得点数においても昨シーズンの65得点と同等の62得点を記録したが、他チームとの接戦の末に僅差でJ1自動昇格圏に入れずに3位でシーズンを終え、2年連続で参入プレーオフ出場となった。1回戦の山形戦にて0-2で敗戦し、2年連続の1回戦敗退となった。

2020年:クラブスローガン「WIN☆WIN」。高木体制2年目。昨シーズンとは打って変わり、大規模な改革が行われた。コーチの原崎政人藤原寿徳が退任し、北嶋秀朗松本拓也がコーチに就任。開幕前からシーズン終了までの入団者は19名に上り、退団者においては背番号10番・エース・キャプテンを兼任していた大前元紀を始め、得点源のフアンマ・デルカド、ベテラン選手、成績不振の選手を放出した。期限付き移籍選手を含め、合計17名もの大量放出となった。フォーメーションは前年に引き続き3-4-2-1を継続し、ポゼッションも取り入れるようになった[30]。開幕より4連勝したが、第2-4節で首位に立った直後に連敗した。その後は2位を維持したが、第9節 福岡戦直前に福岡選手の新型コロナウイルス感染判明により中止となった後、第10-前半最後の21節で福岡戦の振替試合を含む13試合中1勝5分7敗と不調に陥り、シーズン前半終了時点で勝点26・15位となる。シーズン後半は開始より連勝して10位となるが、第17-21節で6試合連続未勝利、第24-30節で7試合連続未勝利となり、17位にまで低迷した。出場機会が減っていた横浜FCのイバを得点力向上のために補強するが、それでも得点は増えず、チーム低迷に加えて怪我人続出の事態となり、他チームへの期限付き移籍中選手を呼び戻すなどの緊急補強が行われた。それでも低迷は続き、残り8試合時点で年間順位3位以下が確定し、翌シーズンJ1復帰の可能性が完全消滅となった。シーズン終了後に高木が監督を退任した。

2021年:クラブスローガン「SHOW 勝つ、笑う、昇格する」。森正志が代表取締役を退任し、2/1付で佐野秀彦が代表取締役に就任。監督には前年度まで大分のコーチで、大宮のJリーグ参入初年度メンバーだった岩瀬健が就任[31](岩瀬には監督経験が約2ヶ月程度しかなく、開幕前から指揮を執るのは初経験となった)。「変革」のシーズンと評され、岩瀬は「勝利」を強く提唱し、フォーメーションを3バックから大宮の伝統である4バックへ戻し、ポゼッションと堅守速攻(カウンター)の二枚刃を武器にした大分的な攻撃的戦術を採用したが[31][32][33]、自陣内ポゼッションが多くなり、岩瀬の志向する能動的なサッカーが上手く回らなくなっていった。第5節 長崎戦に4-0で大勝したり、第6節 琉球戦と第7節 秋田戦にて上位の琉球と前年度J3優勝の秋田に0-0で引き分けたりしたが、クラブ史上ワースト成績となるJ2最下位を記録し、クラブ側が緊急声明を発表する事態となった[34]。10戦連続未勝利となった北九州戦から2日後の5/25に岩瀬と強化本部長 西脇徹也が解任された[35]。後任監督には大宮トータルアドバイザーでVENTUS総監督の佐々木則夫が期間限定で就任し、Jリーグ参入後の大宮の合計20人目の監督となった(佐々木はJリーグ参入前の大宮トップチームで監督経験があるが、Jリーグ参入後の大宮トップチーム監督就任は初経験)[35]。強化部長代理には秋元利幸が就任し、本部長・強化部長は代表取締役である佐野自らが兼任するという事態となった[35]新強化部・新監督による体制強化が宣言され、前年度までの体制と比較した上で、代表取締役・強化部・監督が総替え・一新されたことになった[35]。佐々木は「能動的に試合を進める理想的なサッカー」から「現実的なサッカー」への転換を提唱し、前パスへの意識や球際に注視した[36][37]。佐々木は就任早々チーム再建に着手し、前への意識を出すことや声掛け徹底などベーシック・基本基礎的な部分を見直すことからチーム再建を始めた[37]。選手には自身を「佐々木監督」ではなく「ノリさん」と呼ばせ、選手との親近感や交流を重視した[36][37]。5/28には2020年度クラブ経営情報開示が先行発表され、大宮の営業収益が全J2クラブで最高額となった(全Jリーグクラブでは12位)[38][39]。佐々木体制第2戦となる6/6 第17節 金沢戦ではフォーメーション 4-1-4-1を使用するが、1-0で敗戦となった。翌日6/7に霜田正浩の監督就任が発表され、霜田は「魂を込める」「ファイト」「デュエル」という言葉を用いて、チャレンジャーとしてアグレッシブに相手に向かっていくハードワークの攻撃的サッカーを提唱した[40][41][42][43]。佐々木体制最終戦の6/9 天皇杯2回戦 千葉戦では佐々木は三門雄大をベンチキャプテンに指名し[41]、フォーメーション 4-2-3-1を使用するが敗戦となり、佐々木体制 全3戦は全敗の結果で終わった。6/11に渡部大輔に代わる三門のキャプテン就任が発表された[44]。6/13 第18節 栃木戦にて霜田体制初陣となり、フォーメーション 4-1-2-3を使用するが1-1 引き分けとなり、リーグ戦と天皇杯を含めて通算14戦未勝利となった。この試合でイバがJ2通算600得点を記録した。6/23に北嶋秀朗コーチのヘッドコーチ就任が発表された。6/19 第19節 松本戦にて引き分け、通算15戦未勝利となったが、6/27 第20節 山口戦にて霜田がJリーグで前監督だった山口に、背番号10を付ける黒川がシーズン初得点を入れ、1-0で勝利した[45]。7/3 第21節 山形戦ではフォーメーション 4-2-1-3を使用するが1-3で敗れた。この時点で2021年度の大宮はフォーメーションを5種類使用した(4-4-2、4-1-4-1、4-2-3-1、4-1-2-3、4-2-1-3)。3月決算のクラブを含めて反映させた2020年度クラブ経営情報が7/29に開示され、大宮が営業収益ランキング1位となった(前年度1位は磐田)[46][47][48]

概要

クラブの主軸は「スピード」「アクティブ」「アグレッシブ」[49]。エンブレム内の5本のストライプはスピード、ロゴはリスの素早い動きを表している[49]。エンブレム内のリスの尻尾に見立てた盾形は堅守とバランスを表している[49]。大宮は元々ピム・ファーベーク三浦俊也が構築したトータルフットボールを主軸にしていたが、2005年からのJ1では堅守速攻を主軸にするようになっていき、2014年にJ2降格となるまで堅守速攻で戦い抜き、トータルフットボールの組織力を組み合わせた堅守速攻が大宮の伝統として確立したが、2014年から2021年までは頻繁にスタイルが変わり続けており、伝統の守備重視の堅守速攻からは遠ざかっている[20]。堅守速攻の中でも特に守備を徹底したのはズデンコ・ベルデニックであり、アトレティコ・マドリードディエゴ・シメオネが採用する4-2-2-2の強固ブロックも採用した[8][9]

クラブマスコットはリスをモチーフとしたアルディミーヤで、仲良しのカップルという設定であり、アルディは1998年、ミーヤは2008年に登場し、2009年に公式マスコットとして認定され、2012年より「ゆる玉応援団」のメンバーとなっている[1][5][50][50]

アカデミー(育成期間)は大宮アルディージャユース、大宮アルディージャジュニアユース、大宮アルディージャジュニアが存在する。

姉妹チームに大宮アルディージャVENTUSが存在する。

ダービーマッチ

川崎フロンターレとの縁故

川崎は1999年に大宮と同時にJリーグに参入し、2004年に大宮と同時にJ1昇格が確定した縁故があり、ライバル関係とされている[51]。クラブ同士のスタイルも正反対であり、大宮が堅守やバランスを提唱していることに対し、川崎は開拓精神的な攻撃的サッカーを主軸としている[49][52][53][54]。2016年後半では、大宮と川崎間での選手同士・サポーター同士のトラブルが発生[55][56]。また、大宮の中心選手であった家長昭博が川崎へ移籍することになった(家長の2014年の大宮移籍後初ゴールは第3節 川崎戦であり、同時にJ1通算17500ゴールとなった)。2017年最終節では川崎に5-0で大敗した。この試合で川崎のリーグ初優勝が確定し、大宮のJ1最下位によるJ2降格が確定した[57][58][59]。大宮監督の石井正忠にとっては、前年度では鹿島を優勝させてレアル・マドリードとの試合で世界2位という結果になったのにも関わらず、2017年度では優勝チームとの試合での大敗による最下位・J2降格という正反対の結果となった[57][58][59]。2021年には大宮がJ2最下位になったことに対し、川崎はJ1首位で大宮のJ1通算21戦連続無敗記録を更新した[60][61][62][63]

成績

トップチーム

アカデミー

記録

(入場者数の上段は水増し発覚後である2010年J1第25節以降の数値で、下段は水増し発覚前である2010年J1第24節以前の数値。)

項目 数字 時期 対戦相手、結果、試合会場
最多連勝 13連勝 2004 J2 第32-44節
最長無敗期間 21試合 2012 J1 第24節-2013 J1 第10節(引分8試合)[注 2]
最多連敗 8連敗 2013 J1 第16-23節、第25-32節
最長未勝利期間 10試合 2003 J2 第8-17節(引分4試合)
最多得点試合 6得点 2019 J2 第22節 鹿児島ユナイテッドFC、6-0、NACK5スタジアム大宮
最多失点試合 6失点 2000 J2 第14節 浦和レッズ、0-6、大宮公園サッカー場
2003 J2 第21節 コンサドーレ札幌、2-6、札幌ドーム
2017 J1 第8節 ガンバ大阪、0-6、市立吹田サッカースタジアム
最多入場者数 29,575人 2010 J1 第25節 浦和レッズ、埼玉スタジアム2002
42,346人 2009 J1 第29節 川崎フロンターレ、埼玉スタジアム2002
最少入場者数 5,627人 2011 J1 第18節 ヴィッセル神戸、NACK5スタジアム大宮
844人 2000 J2 第35節 モンテディオ山形、大宮公園サッカー場

施設

熊谷スポーツ文化公園陸上競技場

ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮であり、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でも不定期にホームゲームを開催する。2013年よりさいたま市西区所在の「大宮アルディージャ練習場」(さいたま市西大宮サッカー場)を練習場として使用し、クラブハウス「オレンジキューブ」を併設している[1][64]。2012年以前は志木市所在のNTT東日本総合グラウンドを使用していた。2004/3より「大宮アルディージャ練習場」から近距離に位置する西区所在の秋葉の森総合公園サッカー場も練習場として使用している。

年度・スタジアム別ホームゲーム試合数

(公式ウェブサイト掲載による2001年以降の天皇杯を除外したデータ[65]。)

年度 リーグ戦 Jリーグ杯 備考
NACK大宮 駒場 埼玉ス 熊谷陸 その他
2001 21 0 0 - 鴻巣1 大宮 1
2002 20 1 1 なし 不参加
2003 0 2
2004 19 1 J1昇格。
2005 5 2 8 3 大宮 1

埼玉ス 2
駒場 1

熊谷陸 1

大宮は当時J1規格外であったために試合数を制限し、埼玉スを事実上の準本拠とした。
2006 - 10 5 2 駒場 3 大宮改修のために駒場を暫定本拠とした。
2007 2 13 2 1 10月まで駒場を暫定本拠とし、11月よりNACK大宮に本拠復帰した。
2008 17 0 0 2 NACK 2

熊谷陸 1

2009 13 3 1 NACK 3
2010 15 - 1
2011 16 0 NACK 1
2012 0 NACK 3
2013
2014 J2降格。
2015 20 不参加 J1昇格。
2016 16 NACK 4 当初Jリーグ杯グループリーグはNACK4だったが、FC東京のACL本戦出場のために1試合減少した
2017 NACK 3 J2降格。
2018 20 不参加
2019
2020
2021

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP 1st オレンジ ネイビー ネイビー
FP 2nd ネイビー
GK 1st 水色 水色 水色
GK 2nd
GK 3rd ピンク ピンク ピンク
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
NTTドコモ NTT docomo »5G 2008- 2000-2004:背中
2007:パンツ
(表記変遷は後述を参照。)
鎖骨 武蔵野銀行 武蔵野銀行 2018- 2012-2016:パンツ
2016 2nd-2017:背中下部

(両側に掲出。)

背中上部 東日本電信電話 NTT東日本 2007- 2000-2006:胸
(2004-2014は「FLET'S 光」表記。)
背中下部 しまむら しまむら 2018- 2017:パンツ
富士薬品 富士薬品 2005-
パンツ前面 武蔵コーポレーション 武蔵コーポレーション 2020-
パンツ背面 なし - -
ユニフォームサプライヤー
サプライヤー名 年度
ミズノ 1999-2006
ロット 2007-2008
アンダーアーマー 2009-
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 箇所 サプライヤー
鎖骨左 鎖骨右 背中上部 背中下部 パンツ前面 パンツ背面
1998 NTT 解禁前 - 解禁前 - - 解禁前 Mizuno
1999 NTT /
NTT東日本[注 3]
2000 NTT東日本 NTT
DoCoMo
Coca-Cola
2001 Club IT
2002 - NTT
オートリース
2003
2004 FLET'S -
2005 FOMA
NTT DoCoMo
富士薬品 アイダ設計
2006 -
2007 DCMX NTT DoCoMo FLET'S 光 NTT DoCoMo Lotto
2008 DCMX NTT DoCoMo /
NTT docomo
NTT Communications
2009 NTT docomo ひかりTV Under Armour
2010
2011 -
2012 武蔵野銀行
2013
2014
2015 NTT東日本
2016 ドコモ光 - /
武蔵野銀行[66]
2017 d
d POINT
武蔵野銀行 しまむら
2018 NTT docomo
(1st)
d POINT
(2nd・3rd)
武蔵野銀行 しまむら -
2019 NTT docomo
(1st)
d POINT
(2nd)
2020 NTT docomo »5G 武蔵コーポレーション -
2021
歴代ユニフォーム FP 1st
1999-2000
2001
2002-2003
2004-2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021-
歴代ユニフォーム FP 2nd
1999-2000
2001
2002-2003
2004-2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021-
歴代ユニフォーム FP 他
2018 3rd
2018
20周年記念

決算

損益

(金額の単位は百万円で、2005-2010年度人件費は事業費に含まれる。)

年度 収入 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 事業費 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 管理費 利益 純利益 出典
2005 2,242 1,359 311 256 316 2,232 1,648 N.A. 584 10 2 2005
2006 2,376 1,470 254 231 421 2,518 2,041 1,246 477 -142 -146 2006
2007 2,842 1,960 305 248 329 2,840 2,403 1,384 437 2 8 2007
2008 3,059 2,165 324 228 342 3,046 2,591 1,565 455 13 -2 2008
2009 3,553 2,396 379 220 558 3,546 3,090 1,954 456 7 0 2009
2010 3,308 2,286 375 220 427 3,290 2,802 1,850 488 18 -1 2010
2011 2,775 1,924 325 218 150 158 2,770 1,314 313 354 61 0 728 5 1 2011
2012 3,344 2,172 329 208 143 492 3,348 1,787 288 387 59 0 827 -4 0 2012
2013 3,228 2,296 341 214 142 235 3,226 1,606 226 472 68 0 854 2 0 2013
2014 3,422 2,405 347 205 164 301 3,423 1,720 207 561 67 0 868 -1 0 2014
2015 3,005 2,183 315 100 157 250 3,003 1,360 204 496 63 0 880 2 0 2015
2016 3,203 2,077 398 216 174 165 173 3,194 1,411 229 487 73 0 142 852 9 0 2016
2017 3,685 2,296 397 445 189 138 220 3,675 1,792 252 548 80 0 99 904 10 4 2017
2018 3,972 2,611 339 282 189 156 395 3,965 1,915 271 682 78 0 107 912 7 0 2018
2019 3,454 2,464 332 151 215 129 163 3,458 1,547 272 625 78 0 96 840 -4 0 2019
2020
2021
資産

(金額の単位は百万円。)

年度 総資産 総負債 純資産 資本金 出典
2005 753 602 151 100 2005
2006 612 608 4 100 2006
2007 1,044 1,031 12 100 2007
2008 1,015 1,004 11 100 2008
2009 661 650 11 100 2009
2010 441 430 10 100 2010
2011 976 966 10 100 2011
2012 1,505 1,494 11 100 2012
2013 1,236 1,225 11 100 2013
2014 1,155 1,145 11 100 2014
2015 1,184 1,174 10 100 2015
2016 1,310 1,299 11 100 2016
2017 1,670 1,659 11 100 2017
2018 2,722 2,711 11 100 2018
2019 1,512 1,501 11 100 2019
2020
2021

脚注

注釈

  1. ^ 法人設立当時は持ち株会社移行前で日本電信電話(NTT)本体が株主だったが、1999年7月の持ち株会社移行後はNTT東日本が親会社となった
  2. ^ J1リーグ1位記録。この間に天皇杯で柏レイソル、ナビスコ杯でジュビロ磐田とヴァンフォーレ甲府に負けている
  3. ^ 1999年7月1日付を持って持ち株会社移行。それに伴い7月以後の試合はNTTのロゴをNTT東日本に変更している。

出典

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  19. ^ 西脇徹也 強化本部長 就任のお知らせ - 大宮アルディージャ公式サイト 2017年11月5日
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関連項目

外部リンク