「大山のぶ代」の版間の差分
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
タグ: 差し戻し済み ビジュアルエディター |
||
60行目: | 60行目: | ||
[[1956年]]、[[日本放送協会|NHK]]ドラマ『[[この瞳]]』で[[冨士眞奈美]]とともにデビュー{{R|週刊文春|昭和声優列伝}}。冨士とは、4年半ほど同居していた{{R|週刊文春|昭和声優列伝}}。同養成所卒業後の1957年、[[劇団朋友|劇団新人会]]に入団し、女優としての活動を始める{{R|sanspo20040320}}。所属事務所はその後、東京プロ<ref name="meibo">{{Cite book|和書|author=|title=出演者名簿(1962年版)|page=82|publisher=著作権資料協会|isbn=|date=1962}}</ref>、劇団でく{{R|meibo}}、[[青二プロダクション]]<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(1977年版)|page=216|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=|date=1977}}</ref>に所属していた。 |
[[1956年]]、[[日本放送協会|NHK]]ドラマ『[[この瞳]]』で[[冨士眞奈美]]とともにデビュー{{R|週刊文春|昭和声優列伝}}。冨士とは、4年半ほど同居していた{{R|週刊文春|昭和声優列伝}}。同養成所卒業後の1957年、[[劇団朋友|劇団新人会]]に入団し、女優としての活動を始める{{R|sanspo20040320}}。所属事務所はその後、東京プロ<ref name="meibo">{{Cite book|和書|author=|title=出演者名簿(1962年版)|page=82|publisher=著作権資料協会|isbn=|date=1962}}</ref>、劇団でく{{R|meibo}}、[[青二プロダクション]]<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(1977年版)|page=216|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=|date=1977}}</ref>に所属していた。 |
||
その後、そのうちに、「あなたの声は少年の役に向いている」と独特のハスキーボイスを買われて、声優としての活動を始める{{R|sanspo20040320|seigura1}}。声優業は1957年『[[名犬ラッシー]]』の吹き替えでデビュー<ref name="naruniwa">山本健翔『声優になるには』ぺりかん社、2007年、143頁。</ref><ref name="tvasahi">[https://www.tv-asahi.co.jp/hai/contents/100/034/ はい!テレビ朝日です]</ref>、1965年『[[ハッスルパンチ]]』にて初主演。その後、人形劇『[[ブーフーウー]]』のブー役を演じたのがきっかけになり、次第に声の仕事が増えてくるようになった{{R|seigura1}}。声優としては、アニメ黎明期より活躍<ref name="声優事典">{{Cite book |和書 |author=小川びい |title=こだわり声優事典'97 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム |page= 30|date=1997-03-10 |isbn=4-19-720012-9}}</ref>。のちに代表作となる『ドラえもん』以前では、『[[ハリスの旋風]]』の石田国松役や『[[無敵超人ザンボット3]]』の神勝平役のようにハスキー声でやんちゃな喋り方をする演技が特徴的で、後者ではおもにアドリブで「べらんめえ調」の喋りも多用した。また1970年から1971年にかけ、アニメ『[[のらくろ]]』の主人公であるのらくろ役を担当。ここまでがドラえもん以前のハスキー声で喉が痛くなるようなやんちゃな喋り方での活躍期である。その後、『ドラえもん』のドラえもん役は本人により丁寧な発声・演技が心掛けられ、以前のような荒々しい部分は影を潜め、長年の放送期間を経て徐々に低音でゆったりと喋る演技に変化していった。『ドラえもん』降板後は声質の変化もあり、『ダンガンロンパ』シリーズのモノクマ役や『ゼウシくん』でのみの太役など『ドラえもん』時代の演技に比べハイテンションで高く張りのある声が特徴的だった。 |
その後、そのうちに、「あなたの声は少年の役に向いている」と独特のハスキーボイスを買われて、声優としての活動を始める{{R|sanspo20040320|seigura1}}。声優業は1957年『[[名犬ラッシー|名犬プラッシー]]』の吹き替えでデビュー<ref name="naruniwa">山本健翔『声優になるには』ぺりかん社、2007年、143頁。</ref><ref name="tvasahi">[https://www.tv-asahi.co.jp/hai/contents/100/034/ はい!テレビ朝日です]</ref>、1965年『[[ハッスルパンチ]]』にて初主演。その後、人形劇『[[ブーフーウー]]』のブー役を演じたのがきっかけになり、次第に声の仕事が増えてくるようになった{{R|seigura1}}。声優としては、アニメ黎明期より活躍<ref name="声優事典">{{Cite book |和書 |author=小川びい |title=こだわり声優事典'97 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム |page= 30|date=1997-03-10 |isbn=4-19-720012-9}}</ref>。のちに代表作となる『ドラえもん』以前では、『カネボウ[[ハリスの旋風]]』の石田国松役や『[[無敵超人ザンボット3]]』の神勝平役のようにハスキー声でやんちゃな喋り方をする演技が特徴的で、後者ではおもにアドリブで「べらんめえ調」の喋りも多用した。また1970年から1971年にかけ、アニメ『[[のらくろ]]』の主人公であるのらくろ役を担当。ここまでがドラえもん以前のハスキー声で喉が痛くなるようなやんちゃな喋り方での活躍期である。その後、『ドラえもん』のドラえもん役は本人により丁寧な発声・演技が心掛けられ、以前のような荒々しい部分は影を潜め、長年の放送期間を経て徐々に低音でゆったりと喋る演技に変化していった。『ドラえもん』降板後は声質の変化もあり、『ダンガンロンパ』シリーズのモノクマ役や『ゼウシくん』でのみの太役など『ドラえもん』時代の演技に比べハイテンションで高く張りのある声が特徴的だった。 |
||
=== ドラえもん === |
=== ドラえもん === |
2023年11月23日 (木) 12:38時点における版
おおやま のぶよ 大山 のぶ代 | |
---|---|
プロフィール | |
本名 |
山下 羨代(旧姓:大山) (やました のぶよ)[1][2] |
愛称 | ペコ[3] |
性別 | 女性 |
出身地 |
日本・東京府東京市渋谷区伊達町 (現:東京都渋谷区恵比寿三丁目)[4][5] |
生年月日 | 1933年10月16日(91歳) |
血液型 | O型[6][7] |
職業 | 女優、声優、歌手、エッセイスト、タレント |
事務所 | アクターズ・セブン |
配偶者 | 砂川啓介[3][8](2017年死別) |
公称サイズ(時期不明)[9] | |
身長 / 体重 | 162 cm / 60 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1957年[2] - 2016年 |
ジャンル | アニメ、吹き替え、ラジオ |
デビュー作 | 『名犬ラッシー』[10][11] |
女優活動 | |
活動期間 | 1956年[12] - 2016年 |
ジャンル | テレビドラマ、テレビCM |
デビュー作 | 『この瞳』[4][7] |
大山 のぶ代(おおやま のぶよ、1933年〈昭和8年〉10月16日[注 4][6][8] - )は、日本の女優、声優、歌手、脚本家、エッセイスト、タレント。夫はタレントで『おかあさんといっしょ』初代体操のお兄さんの砂川啓介[3][8]。アクターズ・セブン所属。テレビ朝日版『ドラえもん』にて、ドラえもんの声を26年担当したことで有名[12][17][18][19]。2016年に後述する病気により、芸能活動を事実上終了した。
東京府東京市渋谷区伊達町(現在の東京都渋谷区恵比寿三丁目)出身[4][5][注 5]。
来歴
生い立ち
曾祖父母は江戸時代生まれ[5][18]、母は宮城県古川市(現:大崎市)の造り酒屋の娘、10歳年上の兄は海軍技術研究所に勤めていた[4]。
渋谷区立臨川小学校[3]、渋谷区立広尾小学校[3]、渋谷区立広尾中学校[3]、東京都立三田高等学校卒業[1][2][7]。
子供の頃から個性的な声を持ち、大山自身では全然気が付かなかった[5]。しかし「男みたいな声」と言われ、教師は出席を取っていた時、大山が「はい!」と答えていたところ、変な顔をされていた[5]。そのことがたびたびあり、だんだん「私の声っておかしいんだ」と思うようになった[5]。中学進学後、「嫌だなあ」と思う気持ちが続き、しまいに口をきくのが嫌になり、黙っているような子供になってしまった[5]。中学時代に同級生に「お前の声はおかしい」と指摘されて、初めて声の特徴に気付いたという[7]。
子供のころに特徴的な声が原因でいじめを受けて、引っ込み思案になっていたところに母が「黙ってばかりでは弱くなるからどんどん声を出して聞き取りやすい声の出し方や話し方を覚えるように」と言われる[20]。中学で応援部に入ろうとするも女性を理由に断られ、放送研究部に入ってアナウンスをやったり[20] ラジオドラマを作って流したりしていた[21]。周囲や担任教師にやめるように言われたが1か月経つと何も言われなくなり、演劇部[20] に誘われて初舞台でシンデレラの継母役を演じた[21]。高等学校2年生の時に、母親が子宮癌により42歳で死去[22]。高校では演劇部と水泳部に入部するも母の入院ですぐに退部し、母の死後は独身で子供もいない中、手に職をつけるために演劇の道に進む[20][23]。
女優・声優志望
俳優座養成所に第7期生として入所するが、演技の道に進むことに反対していた父から「役者になるなら出て行け!」と言われ、家出し、下宿で一人暮らしを始める[8][24]。その時、持って出たのは母が作っていたぬか床だけだったという[8]。応援してくれた兄からの仕送りだけでは生活できないために、様々なアルバイトをした[24]。俳優座養成所での同期に、冨士眞奈美、水野久美、露口茂、井川比佐志、山本學、藤岡重慶、田中邦衛がいる。
1956年、NHKドラマ『この瞳』で冨士眞奈美とともにデビュー[4][8]。冨士とは、4年半ほど同居していた[4][8]。同養成所卒業後の1957年、劇団新人会に入団し、女優としての活動を始める[2]。所属事務所はその後、東京プロ[14]、劇団でく[14]、青二プロダクション[25]に所属していた。
その後、そのうちに、「あなたの声は少年の役に向いている」と独特のハスキーボイスを買われて、声優としての活動を始める[2][24]。声優業は1957年『名犬プラッシー』の吹き替えでデビュー[10][11]、1965年『ハッスルパンチ』にて初主演。その後、人形劇『ブーフーウー』のブー役を演じたのがきっかけになり、次第に声の仕事が増えてくるようになった[24]。声優としては、アニメ黎明期より活躍[26]。のちに代表作となる『ドラえもん』以前では、『カネボウハリスの旋風』の石田国松役や『無敵超人ザンボット3』の神勝平役のようにハスキー声でやんちゃな喋り方をする演技が特徴的で、後者ではおもにアドリブで「べらんめえ調」の喋りも多用した。また1970年から1971年にかけ、アニメ『のらくろ』の主人公であるのらくろ役を担当。ここまでがドラえもん以前のハスキー声で喉が痛くなるようなやんちゃな喋り方での活躍期である。その後、『ドラえもん』のドラえもん役は本人により丁寧な発声・演技が心掛けられ、以前のような荒々しい部分は影を潜め、長年の放送期間を経て徐々に低音でゆったりと喋る演技に変化していった。『ドラえもん』降板後は声質の変化もあり、『ダンガンロンパ』シリーズのモノクマ役や『ゼウシくん』でのみの太役など『ドラえもん』時代の演技に比べハイテンションで高く張りのある声が特徴的だった。
ドラえもん
代表作である『ドラえもん』のドラえもんの声は1979年4月3日から2005年3月25日まで26年間担当した。大山がドラえもんを演じた作品はアニメ版2作目で、第1作にて富田耕生を継いだ野沢雅子の後任にあたる。番組リニューアルにより、2005年3月18日放送分の『ドラえもん オールキャラクター夢の大集合スペシャル!!』、2005年3月25日放送の映画『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(CM前のお別れコメント)をもってドラえもん役を引退。
大山が声優の仕事を休業していた時に、『ドラえもん』の出演オファーを受け、コミックスを読んで表面的には子供向けの漫画になっているが、大人でも読んでも面白いSFだと感じ、一晩で15冊読み終えて引き受けることにしたという[27]。
2001年に直腸癌が疑われ、手術で切除した際に悪性であることが判明した。その際に長期入院が必要となり、すべての取材と出演の仕事をセーブした。しかし、子供たちに夢をどうしても与えたいという強い思いからドラえもんのアフレコの仕事のみ一切休まなかった。体調の様子を見ながら、退院までの間アフレコに必要な機材を病院内に持ち込んだ上で、スタッフに見守られながら病室で収録に挑み、普段どおりのドラえもんの声を演じきった[22][28]。また、この入院を期に大山はドラえもんの声優の降板を申し入れたが、長年支えてきたスタッフの慰留やドラえもんというブランドの多大なる影響もあって2001年度すぐの降板はならず、長期的に話し合いを行った結果、最終的には2005年3月に他のキャストらと共に降板となった[28][29]。
ドラえもん引退後
2005年3月に放送ウーマン賞を受賞[30]。2006年11月の第11回アニメーション神戸では、その功績が称えられ、オリジナルレギュラー陣(テレビ朝日版)(小原乃梨子、野村道子、たてかべ和也、肝付兼太の4人)と共に特別賞を受賞。そして翌2007年3月にも、東京国際アニメフェア2007より、第3回功労賞を(4人と共に)受賞。同年4月には音響芸術専門学校(東京都港区西新橋)の校長に就任し、直接学生の指導に当たった。
アニメ歌手としても活躍。1980年には、EP『ドラえもん音頭』など大山が歌ったドラえもん関連のレコード売り上げが100万枚を突破し、日本コロムビアのゴールドディスクを受賞した[31]。
料理研究家としても活動し、著書に『大山のぶ代のおもしろ酒肴』(主婦の友社、1981年)、『おかずのアイディア180』(小学館、1995年)、『大山のぶ代の毎日のおかず』(グラフ社、2000年)などがある。中でも『大山のぶ代のおもしろ酒肴』は136万部のミリオンセラーを記録した[31]。
2000年代後半以降は、講演やタレントとしてのテレビ・ラジオ出演を中心に活動。『元祖!でぶや』などのナレーション活動にて、声優としての活動も続けた。
2006年5月に、26年間のドラえもん声優時代を記した自伝エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話』(小学館)を上梓した。
2008年4月24日に、音響芸術専門学校の校長室で授業準備中に、心筋梗塞と脳梗塞を併発して緊急入院したが、投薬治療を行い、同年8月17日に退院。自宅療養とリハビリにより、日常生活の不安はないまでに回復し、活動を再開した[32]。
しかし、その後も引き続き各種テレビやラジオ番組のゲスト出演、講演活動、雑誌・ネット・新聞各社取材・そして音芸での指導と活躍。多忙・激務が続いたことによる体調不良を理由に、2010年頃より徐々にではあるが仕事をセーブし、2013年に音響芸術専門学校の校長を退任した[33]。
2010年、PSP用ゲームソフト『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』のモノクマ役で『ドラえもん』降板以来 5年ぶりに声優復帰。さらに2012年発売の『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』にもモノクマ役で引き続き出演、2013年ではテレビアニメ化『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』にも出演。テレビアニメへの出演は『ドラえもん』降板以来であると同時に、深夜テレビアニメ作品もこれがデビュー作となった。
2022年2月、フジテレビ系で放送されたバラエティ番組『これが定番!世代別ベストアニメ エンタメジェネレーション』では、世代別で「好きな声優」がアンケート集計され、大山が「昭和世代(46歳以上)」の部で1位となった。
認知症との闘病
2012年秋にアルツハイマー型認知症との診断を受ける[34]。このことはしばらく内密にされたが、2015年5月13日、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」にゲスト出演した夫の砂川啓介により、認知症を発症し、闘病中であることが明らかにされた[35][36]。
また、アニメ声優を担当した作品としては2014年から2015年にかけて第1・2シーズン合わせて計17話、全農によって制作されたWebアニメ「おにくだいすき! ゼウシくん」が公式に認知症を公表した時点では最後である。以後、新しい作品は担当していないが、そのゼウシの時点ではすでに認知症を発症していたにもかかわらず、初期のドラえもんにおけるサブタイトル画面の声(ドラえもん)を彷彿とさせるサブタイトルの声(みの太)を披露している(ただし、第1シーズン最終話と第3シーズンを除く)。その他、2015年6月12日に砂川が『徹子の部屋』に出演した際には、黒柳徹子に向けての大山のボイスメッセージが流れた[37]。
認知症発症当初は砂川夫妻のマネージャーの小林明子、家政婦らによる在宅介護を受けていたが、砂川の尿管癌治療に伴い、2016年4月より老人ホームに入所している[38][39]。『ダンガンロンパ』のモノクマ役も降板し、舞台版からTARAKOに受け継がれた。
砂川は2017年5月に入院。退院4日後の6月13日、脳梗塞で意識を失い救急搬送され再入院。2017年7月11日早朝、容体が急変し午前4時30分に死去した[40]。大山は小林マネージャーに連れられ入院中の砂川を何度か見舞っていたが、大山・小林マネージャーともに砂川の臨終には立ち会えなかった。大山は数日後、葬儀所で棺の中の砂川と対面。大山が喪主となったが、通夜と葬儀には出席しなかった[41][42]。砂川は入院後、小林マネージャーに後事を託しており、大山は引き続き老人ホームで過ごす事となったが、主を失った自宅の管理は東京都内の税理士が行っている[43][44]。
その後、老人ホームには小林マネージャーが通って大山の面倒を見ている。小林マネージャーは『文藝春秋』2017年9月号に夫妻の闘病や介護に関する手記「大山のぶ代は夫の棺に涙ぐんだ」を寄稿した[45]。大山の認知症は進行しているが健康状態は良く、体調も回復。合唱などの活動に取り組み他の入所者との交流を楽しんでいる[46]。
人物像
声種はアルト[47]。「ウヒヒ」とも「ウフフ」ともつかない独特の節回しの笑い声が印象的[26]。
座右の銘は「私はパイプになりたい」[7]。
プライベート
- 夫の砂川啓介とは1963年(昭和38年)8月に舞台『孫悟空』での共演で知り合い、翌年2月に結婚した(結婚式は赤坂プリンスホテルで実施)[48]。知り合った当時、2022年現在のNHK『おかあさんといっしょ』内で放送されているコーナーにそれぞれレギュラー出演していた(大山は人形劇の『ブーフーウー』、砂川は歌と体操コーナー『うたのえほん』のたいそうのおにいさん)が、当時2人が出演していたコーナーはそれぞれ別番組としての放送であり、互いに面識はなかったため、楽屋に挨拶に来た砂川を出前のそば屋だと勘違いしたというエピソードがある。その後一緒にドライブに行った際、不良に絡まれている中学を卒業したぐらいの少年を見かけ、お互い相談もしていないにもかかわらず、とっさに田舎から出てきた夫婦を演じ、その不良に道を尋ねるふりをして、その隙に少年を逃がしてあげたという。それから結婚を考えるようになった。夫の回想記『カミさんはドラえもん』(双葉社、2001年)に詳しい。
- 32歳の時に第1子(男児)を妊娠したが妊娠7か月の時に死産[49]、38歳の時生まれた第2子(女児)も妊娠7か月の未熟児で生まれ、先天性の心臓と肺の疾患のため生後3か月で死去しており[50]、それ以降は子をもうけていない。近年の自伝などでは「子供に自分のガラガラ声が遺伝していじめられたらかわいそうだ」という葛藤があったこと、夫の砂川啓介の著書では「(大山が)2度の不幸から、『また同じことが繰り返されるのではないか』という葛藤やトラウマに囚われ、恐怖症によるセックスレスとなってしまった」ということが明かされた[51]。
趣味・嗜好
アルカノイド
- ブロックくずしゲームの『アルカノイド』(タイトー)が大のお気に入りで、自身の別荘にアルカノイドの筐体を置いていたほどである。自己記録の「およそ120万点」は、公式 2位の記録に匹敵する。1988年、空港や駅の待ち時間で暇潰しとして始めたのがきっかけで、それ以降、仕事で地方へ行くとゲームセンターを巡り回った[52]。その腕前は『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)のコーナー「ムダベストテン」や『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』(フジテレビ系)[52]、『ゲームセンターCX』の「たまに行くならこんなゲームセンター」などのバラエティ番組でも紹介し披露された。
- 2005年に新宿にあるセガのアミューズメント施設で一日店長を務めた際には、イベントとして多くの来客の前でアルカノイドの実力を披露し[53]、2007年には『アルカノイドDS』発売記念イベントに招かれ、マスコミ達を前にその腕前を披露した。しかし本人によると、実はアルカノイド以外のゲームは一切出来ないとのことである。
- 別荘を売却したタイミングでアルカノイドの筐体も手放され、ゲーセンミカドが譲り受けた[54]。一般の利用客もプレイできるよう、2022年現在も稼働・メンテナンスされている。
その他の趣味など
- 芸能界の中でも無類の麻雀好きとしても知られ、美空ひばりとも麻雀友達だった。きっかけは、子を失って苦しんでいることを気遣った仲間たちが毎日執拗に麻雀に誘っていたことである。親交が深く実弟のように可愛がっていた水谷豊やおりも政夫とは毎日のように麻雀をしていたと大山本人がTV番組で語った。
- 声優界の中でも著書が多く、自伝『ぼく、ドラえもんでした』(小学館)以外は、ほぼ全てが料理・栄養といった食関連の本で、夫らとの共著も入れると20数冊ある。料理の腕前もプロ級であり、かつては主婦向けのテレビ番組で、料理コーナーを持っていた。母親から受け継いだ糠床を今でも大切にしていると語っている。
- 優れた味覚・嗅覚を持っており、水を一口飲めばそれがどこの水かを言い当てることが出来るという。そのため、水の研究家としても名の通った存在であり、旧厚生省「おいしい水研究会」、旧国土庁「水を語る女性の会」の委員も務めている。健康・カルチャー番組にもよく出演している。特に『ためしてガッテン』での出演頻度は高く、1クールに1度は出演していた。
- 食べ物や健康には人一倍気を使っていたが、元々愛煙家で一日2箱を吸うほどであった。しかし、脳梗塞で倒れた後は、認知症の前兆もあってか、タバコに関心を示さなくなった[55]。
- ゴルフも趣味として挙げている[13]
仕事への姿勢や他人への評価
- 役者としての勉強や演技の実績が無いタレントの「ただ有名だから」といった話題作り目的の声優出演には否定的だった。現場でゲスト声優のタレントがNGを連発する度に「ちゃんと台本を読んでるの?」と当人たちやスタッフに苦言を呈することも少なくなかったといわれる。本職の声優として参加している『ドラえもん』の共演者たちも「(声の仕事・役者一筋で食べてきた)自分たちの総意を代弁してくれている」と認識しており、誰も大山を止めなかったとのこと[56]。
- 『ドラえもん』で26年もの長年に渡り共演したのび太役の小原やしずか役の野村、スネ夫役の肝付兼太とジャイアンこと剛田武役のたてかべ和也とは親交が深かった。特に同性の小原と野村とは3人で国内旅行や海外旅行も度々行っていた[57]。
その他のエピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 『おかあさんといっしょ』の人形劇では『ブーフーウー』から『とんでけブッチー』まで4作連続で声優を務め、後に『ミューミューニャーニャー』でも声優を担当。
- 俳優座養成所時代に脚本家に話を書かせて欲しいと頼み、実際に執筆したものが面白かったため『太陽にほえろ!』の脚本に採用され、5本共同執筆した[58]。
- 『サザエさん』で初代・磯野カツオ役を演じたが、番組開始後2か月半ほどで自主降板。『サザエさん』の制作会社エイケンの鷺巣政安によれば、大山の妊娠のために降板したと発言しているが[59]、大山は2004年3月放送のラジオ番組TOKYO FM『恵俊彰のディア・フレンズ』に出演した際、自ら降板を申し出た事を証言。放送開始時より使用されている『サザエさん』のエンディングテーマ『サザエさん一家』のフルバージョンの音源には、大山がカツオとして演じたセリフが収録されている。
- 一部週刊誌では、アフレコ時のマイクの位置が離れていたために小原との不仲説も報じられたが、廣田トモユキが当の小原に確認したところによると、大山は愛煙家のためにドア側のマイクを、小原は嫌煙家のために一番奥のマイクを好んで使っていたためだという。
- 野沢雅子とはどちらもドラえもんを演じていたという共通点があり、大山の演じる『ドラえもん』の映画にも何度か出演している。またTBSの『うたばん』に日髙のり子と共に3人での出演もある。
- 大山自身も顔が知られてたこともあり、何度かバラエティ番組にドラえもんの着ぐるみと共に出演し、大山自身とドラえもんの掛け合いを演じ分けたことがある。
大山とドラえもん
大山はドラえもんを演ずるに当たって、ロボットという感覚ではなく、ドジでおっちょこちょいだが憎めないイメージできちんとした喋り口にしようと考えていた。結果、大山の演技は視聴者に広く受け入れられた[60]。
ドラえもんの特徴的な声はほぼ地声であるが、若い頃は自分の声に対してかなり思い悩んでいたといい、結果的にはその声がドラえもん役に繋がることになった。また原作者の藤子・F・不二雄に初めて対面したとき、「ドラえもんの声、いかがでしょうか?」とおそるおそる聞いてみると「第1話を見ましたが、ドラえもんはああいう声をしてたんですね」と言われたという[27]。この声のコンプレックスを克服したエピソードは小学校の道徳教育の資料にも取り上げられた。
一時期、アニメの粗製乱造により自分の好みではない作品が増えたことで声優業から遠ざかっていたが大山が主演を務めた『ハリスの旋風』で録音監督だった浦上靖夫から、ドラえもんの声をやらないかと誘われ、見せられたパイロット版は絵が綺麗で細かく主人公を「こいつ、かわいいな」と思ったことで引き受け、当時16巻まで出ていた単行本を買って一晩で読んだ[23][11]。「こんにちは、ぼくドラえもんです」の自己紹介や『ドラえもんのうた』のサビ突入直前のセリフ「はい!タケコプター」 「それ、突撃」「フフフフフ、どこでもドア」、のび太が道具でいたずらし過ぎて返り討ちになった際に言う「ぼく知〜らない」などの台詞、次回予告の際の「楽しみに待っててね〜」は大山のアドリブである[要出典]。原作初期のドラえもんはかなりガサツでぶっきらぼうな口調が多いが、大山は「子供が見るものだから、悪い言葉は使わないようにしよう」という配慮をしていた[61]。またドラえもんの一人称が「おれ」だった場合も少なからずあり、「ドラえもんはいつでものび太を見守っているお母さんのような存在だし、未来から来た子守り用ねこ型ロボットなんだから乱暴な言葉は最初からインプットされていないはず」と思ったため、一人称を「ぼく」にするとともに、助動詞を「です」に、それぞれ統一した[61]。
ドラえもんを演じていた頃、ファンの子供がスタジオに遊びに来た際は忙しい時間を割いて、写真を撮ったり、サインをするなどの気配りをしていたが、度々「ドラえもんいますか?」と電話がかかってきて困った時期もあった[62]。
自宅には家中に「ドラえもんボックス」という箱に入れてドラえもんグッズがそろっており、1999年に『徹子の部屋』に出演した際は、毎朝自分の声のドラえもん目覚まし時計で起床していると語っていた。お腹の部分に時計が付いたドラえもんの金のブローチをつけていたこともある。ただし目覚まし時計は、降板後に「ドラえもんの卒業」を理由にオークションに出している。
アニメ化される以前にピー・プロダクションにより実写版『ドラえもん』が企画されており、結局製作されなかったが、その際に同プロダクションが大山が主演のアニメーション『ハリスの旋風』を製作していたため、その流れでドラえもん役の候補に挙がっていた。
『ドラえもん』降板の際のインタビューに対し、「ドラえもんはいつも私の中にいます。勿論、新しいドラえもんも観ますよ」と笑顔で語っていた。
何らかの形で毎年のようにテレビ番組・ラジオ番組でドラえもんの声を披露することが恒例だったものの、先述の闘病もあり、「ドラえもん」自体への公な関与としては2015年2月に神保町シアタービルで開催された、「ドラえもん映画祭2015」においての手紙での形が現時点では最後となっている[63]。
後任
大山の降板後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
後任 | 役名 | 概要作品 | 後任の初担当作品 |
---|---|---|---|
高橋和枝 | 磯野カツオ | 『サザエさん』 | 1969年12月28日放送分[注 6] |
坂本千夏 | 神勝平 | 『無敵超人ザンボット3』 | 『スーパーロボット大戦IMPACT』 |
TARAKO | モノクマ | 「ダンガンロンパシリーズ」 | 『ダンガンロンパTHE STAGE 〜希望の学園と絶望の高校生〜2016』 |
出演(女優・顔出し)
テレビドラマ
- この瞳(1956年)
- 奥様多忙(1957年) - 女給のさっちゃん
- 東芝日曜劇場「マンモスタワー」(1958年、大山羨代名義) - チャイナ服の女優
- 不道徳教育講座 第8話「教師を内心バカにすべし」(1959年12月3日)
- 特別機動捜査隊 第370話「挑戦」(1968年)
- おさな妻第8話「赤ちゃん誕生!」(1970年、東京12チャンネル)-ミヤコ 役 ※砂川啓介共演
- 清水次郎長 第12話「恋しぐれ清水港」(1971年7月24日)
- じゃがいも(1973年 - 1975年) - 時江 役
- ポーラテレビ小説「やっちゃば育ち」(1974年) - おかつ 役
- お茶の間エコノミー(1974年) - 夫の砂川啓介とW主演
- 敬礼!さわやかさん(1975年 - 1976年)- 松宮主任 役
- 水戸黄門(TBS・C.A.L)
- 子連れ狼 第3部 第2話「お乳母日傘」(1976年、NTV) - おとら 役
- 破れ傘刀舟悪人狩り(1976 - 1977年) - お新 役
- ナショナルゴールデン劇場「夫婦善哉」(1977年)
- 江戸を斬る 第3部 - 第6部(1977年 - 1981年) - 咲 役
- スターウルフ 第19話「ケンを狙う赤い流星」(1978年) - エルバ局長 役
- 熱中時代
- 教師編 第1シリーズ(1978 - 1979年) - 母親 役・セミレギュラー
- 刑事編 第19話「敵ながら天晴れ! 声色サギ」(1979年) - 中川ルイ 役
- 教師編 第2シリーズ 第2話(1980年) - 母親 役
- おはなちゃん繁昌記 第1話(1978年) - 腰元・松 役
- 花よめは16歳 第23話「スランプ脱出の救世主」(1980年)
- 黄土の嵐(1980年)
- 土曜ワイド劇場・運命の旅路・謎の特急出雲1号(1980年・テレビ朝日)
- 玉ねぎむいたら… 第14話「怪女ドラえもん出現」(1981年)
- 土曜ワイド劇場・女弁護士・朝吹里矢子(1983年 - 1992年・テレビ朝日) - 吉村サキ 役
- 母と呼ばれて(1984年)
- 妻たちの危険な関係(1986年・日本テレビ) - 高沢桃子 役
- 結婚する手続き(1988年)
- 火曜サスペンス劇場・逃げる(1989年・日本テレビ)
- 高原へいらっしゃい(2003年) - 関峰子 役
- 理由(2004年・WOWOW) - すれ違うおばさん 役
- 土曜ワイド劇場・事件12(2006年4月29日・テレビ朝日) - 倉田テル 役
- ジャッジ 〜島の裁判官奮闘記〜 第3回「告白」(2007年10月27日・NHK)三沢早苗 役
- 浅草ふくまる旅館(第2シリーズ) 第5話「十年前の予約客!」(2007年11月5日・TBS) - 村井和子(養護施設園長)役
- 月曜ゴールデン・探偵 左文字進11「完璧な犯罪」(2007年・TBS) - 家政婦・たえ子 役
邦画
- 思えば遠くへ来たもんだ(1980年) - よし子の母 役
- ねらわれた学園(1981年) - 主婦A 役
- 子象物語 地上に降りた天使(1986年) - 百代 役
テレビ番組
NHK
- クイズ面白ゼミナール(不定期出演)
- クイズ日本人の質問(不定期出演)
- ためしてガッテン(不定期出演)
日本テレビ系
- お笑いスター誕生!!(不定期・審査委員)
- 欽ちゃんの全日本仮装大賞(初期のレギュラー審査員)
- テレビ三面記事 ウィークエンダー(レポーターとして出演)
- 午後は○○おもいッきりテレビ(1996年 - 2005年、不定期出演)
- 中井正広のブラックバラエティ(2008年)
TBS系
- 大山のぶ代の料理朝一番(オフィス・ヘンミ制作、TBSテレビでは1980年代に放送。1990年代に北陸朝日放送で放送)
- クイズ☆タレント名鑑(「スター☆今の限界名鑑」、「芸能人!このオファー引き受けた?引き受けなかった?クイズ」のコーナーにゲストとして出演)
フジテレビ系
- 夕食ばんざい(初代司会者)
- 笑っていいとも!(声優特集のコーナーには不定期出演。テレフォンショッキングの出演もある)
- 快進撃TVうたえモン(1999年)
- ネプリーグ(2005年4月25日、芸能界常識人チームの回答者として出演)
- トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜(2006年、「ドラえもんでお馴染みの大山のぶ代はアルカノイドがうまい」というトリビアでVTR出演)[52]
- プライスバラエティ ナンボDEなんぼ(関西ローカル、2008年。元骨川スネ夫役の肝付兼太と共にゲスト出演)
テレビ朝日系
- やすきよ笑って日曜日(居酒屋のおかみさん役として出演。小料理コーナー)
- 徹子の部屋(初期から出演。司会の黒柳徹子とは盟友・親友であり、CGのドラえもんの声や砂川と夫婦としての出演もある)
- うじきつよしのワンダーポケット(ドラえもんの声役として顔出し)
- 大正週間漫画 ゲラゲラ45(おかみさん)
テレビ東京系
その他
CM
- 神州一味噌(1970年代中盤)
- 白鶴酒造 さけパック(1980年代後期)
- 小僧寿しチェーン(1980年代後期、ドラえもんの声と、顔出しでの出演と両方ある)
- カネヨン ハーブカネヨン(1990年代前期)
出演(声優)
太字はメインキャラクター。
テレビアニメ
- 1960年代
- 1970年代
-
- のらくろ(1970年、のらくろ)
- 国松さまのお通りだい(1971年、石田国松)
- ハゼドン(1972年、ハゼドン)
- けろっこデメタン(1973年、ヘソ蛙[66])
- 無敵超人ザンボット3(1977年 - 1978年、神勝平[67])
- ドラえもん(1979年版)(1979年 - 2005年、ドラえもん)
- 1990年代
-
- ザ☆ドラえもんズ ミステリーX'マス大作戦(1996年、ドラえもん)
- 2010年代
-
- ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 THE ANIMATION(2013年、モノクマ[68][69])
- うーさーのその日暮らし 覚醒編(2014年、モノクマ)
OVA
- ドラえもん 勉強べやのつりぼり(1978年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太と未来ノート(1994年、ドラえもん)
- ドラえもんのビデオ絵本シリーズ (2001年、ドラえもん)- 10作品
劇場アニメ
- 1970年代
-
- アリババと40匹の盗賊(1971年、アル・ハック)
- 北極のムーシカミーシカ(1979年、オーラ)
- 1980年代
-
- ドラえもん のび太の恐竜(1980年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の宇宙開拓史(1981年、ドラえもん)
- ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ(1981年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の大魔境(1982年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の海底鬼岩城(1983年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の魔界大冒険(1984年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の宇宙小戦争(1985年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太と鉄人兵団(1986年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太と竜の騎士(1987年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太のパラレル西遊記(1988年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の日本誕生(1989年、ドラえもん)
- 1990年代
-
- ドラえもん のび太とアニマル惑星(1990年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太のドラビアンナイト(1991年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太と雲の王国(1992年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太とブリキの迷宮(1993年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太と夢幻三剣士(1994年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の創世日記(1995年、ドラえもん)
- 2112年 ドラえもん誕生(1995年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太と銀河超特急(1996年、ドラえもん)
- ドラミ&ドラえもんズ ロボット学校七不思議!?(1996年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記(1997年、ドラえもん)
- ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!(1997年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の南海大冒険(1998年、ドラえもん)
- 帰ってきたドラえもん(1998年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太の宇宙漂流記(1999年、ドラえもん)
- のび太の結婚前夜(1999年、ドラえもん)
- ザ☆ドラえもんズ おかしなお菓子なオカシナナ?(1999年、ドラえもん)
- 2000年代
-
- ドラえもん のび太の太陽王伝説(2000年、ドラえもん)
- おばあちゃんの思い出(2000年、ドラえもん)
- ザ☆ドラえもんズ ドキドキ機関車大爆走!(2000年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太と翼の勇者たち(2001年、ドラえもん)
- がんばれ!ジャイアン!!(2001年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太とロボット王国(2002年、ドラえもん)
- ぼくの生まれた日(2002年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太とふしぎ風使い(2003年、ドラえもん)
- ドラえもん のび太のワンニャン時空伝(2004年、ドラえもん)
- ドラえもんアニバーサリー25(2004年、ドラえもん)
- 2010年代
-
- 秘密結社鷹の爪 鷹の爪GO 〜美しきエリエール消臭プラス〜(2013年、鷹のサターン)[注 7]
Webアニメ
- おにくだいすき!ゼウシくん(2014年 - 2016年、みの太[70])
ゲーム
- 1992年
-
- ドラえもん のび太のドラビアンナイト(ドラえもん)※SUPER CD-ROM2版。
- 1993年
-
- ドラえもん 夢どろぼうと7人のゴザンス(ドラえもん)
- 1994年
-
- ドラえもん3 のび太と時の宝玉(ドラえもん)
- 1995年
-
- ドラえもん 友情伝説ザ・ドラえもんズ(ドラえもん)
- ドラえもん4 のび太と月の王国(ドラえもん)
- 1996年
-
- ドラえもん のび太と復活の星(ドラえもん)
- 1997年
-
- ドラえもん のび太と3つの精霊石(ドラえもん)
- ドラえもん2 SOS!おとぎの国(ドラえもん)
- 1998年
-
- ドラえもん2 のび太と光の神殿(ドラえもん)
- 1999年
-
- エコーナイト#2 眠りの支配者(ロッカーの中に隠れて眠っている少年の亡霊)
- 2000年
-
- ドラえもん3 のび太の町SOS!(ドラえもん)
- ドラえもん3 魔界のダンジョン(ドラえもん)
- 2001年
-
- ドラえもん ひみつのよじげんポケット(ドラえもん)
- ドラえもん 緑の惑星ドキドキ大救出!(ドラえもん)
- ぼくドラえもん(ドラえもん)
- 2002年
-
- ドラえもん どこでもウォーカー(ドラえもん)
- 2003年
-
- ドラえもん みんなで遊ぼう!ミニドランド(ドラえもん)
- 2010年
-
- ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生(モノクマ)
- 2012年
-
- スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園(モノクマ)
- 2013年
-
- ダンガンロンパ1・2 Reload(モノクマ)
- 2014年
-
- 絶対絶望少女 ダンガンロンパ Another Episode(モノクマ)
- チェインクロニクル(学園長モノクマ)
吹き替え
映画
- おやじは億万長者(ジュニア)
- 吸血の群れ(アイリス〈ホリー・アーヴィング〉)
- すてきなケティ(スティーヴ)
ドラマ
テレビ番組
- ザ・ルーシー・ショー(シャーマン〈ラルフ・ハート〉)
アニメ
- タコのロクちゃん(ロクちゃん)
ラジオ
- 全国こども電話相談室(不定期出演)
- 大沢悠里のゆうゆうワイド(不定期出演)
- 大山のぶ代のサプライズ!(2006年9月5日、代役パーソナリティ)
- 大山のぶ代とドラえもんの十人十色(2005年・STVラジオ)
- くにまるワイド ごぜんさま〜邦流 ゲスト(2009年7月20日 - 24日、文化放送)
- 高田文夫のラジオビバリー昼ズ ゲスト
- テリー伊藤 のってけラジオ ゲスト
- 極楽とんぼの吠え魂 ゲスト
- 志の輔ラジオ 落語DEデート ゲスト
- 手塚るみ子・Earth Dreaming〜ガラスの地球を救え! ゲスト
ほか多数
人形劇
- とんちんこぼうず(かんねんぼう)
- ブーフーウー(ブー)
- ダットくん(ゴンタくん)
- とんでけブッチー(ブッチー)
- ひょっこりひょうたん島(雷門ゴロ助)
- ミューミューニャーニャー(ブル子さん)
- ロボッタン(クマのプー)
ラジオドラマ
- 封神演義(白鶴童子)
CM
ドラえもんの声で出演、※は2005年4月にドラえもん降板時点によるもの。
- ポピー(ガチャガチャドラえもん)
- 永谷園(ドラえもんお子様ランチ)
- 横浜ドリームランド(ドラリンピック)
- 永井海苔
- ナガサキヤ(主演期間途中に倒産しているが商品がタカラトミー移管後も継続、ドラえもんキャンディシリーズ)
- タカラトミー(旧 ナガサキヤ、ドラえもんキャンディシリーズ)
- 小僧寿司チェーン
- ゼロックス (エイブル)
- アートコーポレーション(アート引越センター)※
- ストロベリーコーンズ
- ファミリーレストランチェーン ココス※
- ドラネット/ドラゼミ※
- ACジャパン(当時の団体名は公共広告機構)(宣誓、2005年ポリオ撲滅、ポリオ撲滅キャンペーン)
- セブン-イレブン
- エポック社(ドラえもん四次元ランドゲーム、ドラえもんテレビパソコン、くるくるまわるR/Cドラえもん ほか)
- 小学館(ぼく、ドラえもん)
- JR北海道(ドラえもん海底列車・北海道ローカル)※
- 東京都交通局(都営地下鉄大江戸線全線開業)
- 雪印乳業(ドラえもんスティックチーズ)
- ニッスイ(ドラえもんソーセージ)
- 味の素(サラダオイル)※
- カンコー学生服
- ショウワノート(ジャポニカ学習帳)
- バンダイ(ドンジャラ)
- ツクダオリジナル(バトルドーム)
- 太子食品工業K・K(ドラえもん納豆)
- NTTパーソナル S316(PHS電話機・ドラえホン)
- ドラえもん以外
- クローバー(ザンボット3)
- デサント(スリープウェア)
- 白鶴(サケパック)
- なとり(みがきにしん)
- カネヨ石鹸(カネヨン)
- モノクマTVCM(ダンガンロンパ)
- 味の素(コーン油 胚芽100・牧瀬里穂と共演)
- DAIHATSU(のるもっと店長〈声〉)(2012年1月)
- オカムラ食品工業(味っ子漬)
その他コンテンツ
- ドラえもんの声で出演
- 新潟県中越地震被災者援助ドラえもん募金
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)車内放送 - 快速「海峡」(1998年 - 2002年)、臨時特急「ドラえもん海底列車」(2003年 - 2004年)。共に吉岡海底駅の「ドラえもん海底ワールド」開催時に担当。
- Kiss My Fake(ドラえもんひみつ道具のフェイクを見破れ!ナレーション)
- その他
- 日本コロムビアのレコードシリーズ「こども音楽百科」8巻「たのしい童話名作編(2)」のラジオ形式ドラマ「三匹の子ぶた」
- ニコニコ動画(ニコニコテレビちゃん)
- 武器人間 予告編
- ダンガンロンパ THE STAGE〜希望の学園と絶望の高校生〜 - モノクマ役
- ドラえもん、母になる〜大山のぶ代物語〜(2015年、NHK BSプレミアム)
- スーパーダンガンロンパ2 THE STAGE 〜さよなら絶望学園〜 - モノクマ役
- リアルスコープZ(2012年9月1日、リアルスコープくん2020の声。フジテレビ)
- CHOO CHOO - THE STORY OF A LITTLE ENGINE WHO RAN AWAY(1989年7月1日、日本語ナレーション。ラボ教育センター)
音楽
大山のぶ代名義
- ハッスルパンチの歌(作詞、作編曲・小林亜星、うた・大山のぶ代、水垣洋子、松島みのり、西六郷少年合唱団)/パンチ・タッチ・ブンの歌(作詞・若井基成、作編曲・小林亜星、うた・大山のぶ代、水垣洋子、久里千春)(1965年、朝日ソノラマ・ソノシートまんがの王者)- アニメ「ハッスルパンチ」主題歌。
- 雲がおしえてくれる道/この日のために(1971年、日本コロムビア、SCS-131)- 東映まんがまつり「アリババと40匹の盗賊」主題歌。ともに、作詞・山元護久、作編曲・宇野誠一郎、うた・大山のぶ代 ボーカル・ショップ。
- サルくんおねがいだ/さあ、さあ、かえりましょう(1971年、日本コロムビア、SCS-158)- アニメ「とんでけブッチー」主題歌。ともに、作詞・飯沢匡、作編曲・小森昭宏、うた・大山のぶ代、堀絢子、愛川欽也。
ドラえもんとして
- ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・ばばすすむ、作編曲・菊池俊輔、うた・大杉久美子、セリフ・大山のぶ代/ドラえもん
- ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・ばばすすむ、作編曲・菊池俊輔、うた・山野さと子、セリフ・大山のぶ代/ドラえもん
- ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・ばばすすむ、作曲・菊池俊輔、作編曲・鴨宮諒、うた・吉川ひなの、セリフ・大山のぶ代/ドラえもん
- ドラえもん・えかきうた - 作詞・楠部工、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
- ドラえもん音頭 - 作詞・藤子・F・不二雄、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代、こおろぎ'73
- ぼくドラえもん - 作詞・藤子・F・不二雄、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代、こおろぎ'73
- ドラえもん数えうた - 作詞・ばばすすむ、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代、こおろぎ'73
- ドラえもんじゃあニィ - 作詞・喜多條忠、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
- ドラえもんにゅうイヤー - 作詞・喜多條忠、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
- まる顔のうた - 作詞・高田ひろお、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
- サンタクロースはどこのひと - 作詞・高田ひろお、作曲・菊池俊輔、作編曲・青木望、うた・大山のぶ代
- ドラえもんのクリスマス - 作詞・ばばすすむ、作曲・菊池俊輔、作編曲・青木望、うた・大山のぶ代
- 浪曲ドラえもん - 作詞・小谷夏、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代
- ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・ばばすすむ、作編曲・菊池俊輔、うた・山野さと子、セリフ・大山のぶ代/ドラえもん
- ぼくドラえもん2112 - 作詞・藤子・F・不二雄、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代、こおろぎ'73
- ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、作曲・菊池俊輔、作編曲・山下康介、うた・ウィーン少年合唱団(東芝EMI株式会社)、セリフ・大山のぶ代/ドラえもん
- ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、作曲・菊池俊輔、作編曲・橘哲夫、うた・AJI、セリフ・大山のぶ代/ドラえもん
- ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・ばばすすむ、作曲・菊池俊輔、作編曲・岩戸崇、うた・東京プリン、セリフ・大山のぶ代/ドラえもん
- ドラえもんのうた - 作詞・楠部工、補作詞・ばばすすむ、作曲・菊池俊輔、作編曲・岩戸崇、うた・渡辺美里、セリフ・大山のぶ代/ドラえもん
- ポケットの中に - 作詞・武田鉄矢、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代、ヤング・フレッシュ
- 友達だから - 作詞・武田鉄矢、作曲・山木康世、作編曲・菊池俊輔、うた・大山のぶ代、森の木児童合唱団
- ドラえもん・九九のうた
脚本
著書
エッセイ
- 私のおもしろ人生 心豊かに生きてみませんか(廣済堂出版、1984年1月、ISBN 9784331501788)
- ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話(小学館、2006年5月26日、ISBN 9784093876544)
- ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話(小学館文庫、小学館、2011年8月5日、ISBN 9784094086393)
料理本
- 大山のぶ代のおもしろ酒肴 アッとおどろく美味珍味(主婦の友社、1981年7月 ISBN 9784079123402)
- パート2(主婦の友社、1982年5月 ISBN 9784079153720)
- 大山のぶ代のなんと2分間クッキング おもしろ酒肴アットホーム編(主婦の友社、1983年1月、ISBN 9784079193412)
- 大山のぶ代の新おもしろ酒肴塾(廣済堂出版、1984年7月、ISBN 9784331003312)
- 『大山のぶ代の新おもしろ酒肴塾』廣済堂出版〈廣済堂文庫〉、1986年7月10日。ISBN 9784331650097。NDLJP:12102169。
- 大山のぶ代の今夜の酒肴この一品 最新オリジナル酒肴 決定版130選(廣済堂出版、1984年9月、ISBN 9784331003428)
- 夕食ばんざい(リビングマガジン、1982年1月、ISBN 9784947609014)
- 第2巻(リビングマガジン、1983年3月、ISBN 9784947609021)
- 大山のぶ代の料理朝一番(グラフ社、1985年5月、ISBN 9784766200874)
- パート2(グラフ社、1985年12月、ISBN 9784766201086)
- はじめての料理ヒント あなたも今日からお料理自慢 (監修、イラスト:宇佐見セツ夫、1986年4月、ISBN 9784766201246)
- 啓介・のぶ代のおもしろ惣菜170 不意の来客、家計のピンチに安くてうまいスピード料理(共著:砂川啓介、グラフ社、1988年4月 ISBN 9784079256728)
- 啓介・のぶ代のおもしろ酒肴 5〜25分お待たせタイムつき(共著:砂川啓介、グラフ社、1991年8月、ISBN 9784079377416)
- 嫁と姑の面白クッキング(グラフ社、1991年5月、ISBN 9784766202304)
- 大山のぶ代のうちの味うちのおかず 嫁と姑の面白クッキング(グラフ社、1992年3月、ISBN 9784766202359)
- 魚を食べる健康法 おいしく簡単! すぐれた効用とらくらくメニュー(共著:延原和彦、ブックマン社、1992年10月、ISBN 9784893081865)
- おさかな博士の新・魚を食べる健康法 すぐれた効能、らくらくメニュー(共著:成瀬宇平、ブックマン社、2002年10月、ISBN 9784893084996)
- おかずのアイディア180(小学館、1995年5月、ISBN 9784093976619)
- おいしい店めぐり 味よし値段よし 日本全国穴場案内(共著:高木美千子、グラフ社、1996年2月、ISBN 9784766203448)
- 大山のぶ代の毎日のおかず 安い!簡単!おいしい!そして体によい!(グラフ社、2000年9月、ISBN 9784766205848)
- パッとできるおもしろ料理ブック イラストが楽しい!(グラフ社、2002年04月、ISBN 9784766206746)
その他
- 大山のぶ代の水なんだ!?(共著:グループH2O、グラフ社、1984年10月、ISBN 9784766200768)
演じた人物
- 鈴木砂羽 - 『ドラえもん、母になる〜大山のぶ代物語〜』(2015年12月13日、NHK BSプレミアム・プレミアムドラマ)[71]
脚注
注釈
- ^ 所属事務所のプロフィール ではそのまま表記されている。
- ^ 一時は1934年10月16日生まれ[14]と公表していた時期もある。
- ^ 1936年生まれと称していたのは、結婚した1964年当時は姉さん女房に抵抗のあった時代であり、砂川の両親に対する大山の心遣いとのことである。これに関して、大山本人の言及はない。
- ^ 長らく1936年10月16日生まれ[2][13]としていたが[注 1][注 2]、2015年5月15日(金曜日)、東京都内で記者会見した砂川によると、大山は1933年(昭和8年)10月16日生まれで、認知症公表の時点で81歳だった[注 3][15][16]。
- ^ 戦時中は福島県にいる父方の叔父宅に疎開していた[4]。その頃、曾祖父母と祖母を相次いで亡くしている[4]。
- ^ 高橋の体調不良に伴う降板後は冨永みーなに引き継がれた。
- ^ 本作品では声優としてだけでなく、劇中に登場するロボットのメカデザインも手掛けている。
出典
- ^ a b 「大山のぶ代とは」 。コトバンクより2023年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e f “大山のぶ代、「わが子同然」のドラえもんと25周年”. SANSPO.COM. (2004年3月20日). オリジナルの2005年3月7日時点におけるアーカイブ。 2023年10月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 「奥さんこんにちは 第100回 砂川啓介夫人 大山のぶ代さん」『週刊平凡』1976年6月3日号、平凡出版、1976年6月、146-151頁。
- ^ a b c d e f g h 「新 家の履歴書(92)大山のぶ代(女優・声優) 東京・恵比寿の生家は大家族。江戸明治大正の生き字引に囲まれて育った。」『週刊文春』2008年5月15日号、文芸春秋、2008年5月、92-95頁。
- ^ a b c d e f g h “ヘルシータイム:大山のぶ代さん” (PDF). 共済ニュース「すこやか」No.208. 奈良県市町村職員共済組合. pp. 2-3 (2007年6月). 2023年2月3日閲覧。
- ^ a b “大山のぶ代(出典:VIPタイムズ社)”. ORICON NEWS. オリコン. 2019年9月17日閲覧。
- ^ a b c d e “女優・声優 大山のぶ代”. 覚悟の瞬間. enjin. 2023年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g 勝田久『昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち』駒草出版、2017年2月22日、171-177頁。ISBN 978-4-905447-77-1。
- ^ “大山のぶ代”. 日本タレント名鑑. 2021年11月8日閲覧。
- ^ a b 山本健翔『声優になるには』ぺりかん社、2007年、143頁。
- ^ a b c はい!テレビ朝日です
- ^ a b 「極 声魂/大山のぶ代」『声優アニメディア』2010年3月号、学研ホールディングス、2010年2月、100-101頁。
- ^ a b 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、34頁。
- ^ a b c 『出演者名簿(1962年版)』著作権資料協会、1962年、82頁。
- ^ 夫砂川が新告白…大山のぶ代が年齢詐称、実は81歳 - 日刊スポーツ 2015年5月15日配信
- ^ 大山のぶ代、3歳サバ読んでいた!夫・砂川啓介が明かす - サンケイスポーツ 2015年5月15日配信
- ^ “大山のぶ代さん「徹子の部屋」を見て、自身の認知症公表を知り…”. 産経ニュース (2015年6月28日). 2021年4月25日閲覧。
- ^ a b “元気の秘訣”. 使ってヨカッタ. インペリアル・エンタープライズ. 2023年2月3日閲覧。
- ^ a b “●巻頭インタビュー 俳優・声優大山のぶ代さん” (PDF). Educo No.20/2009年秋号. 教育出版. pp. 2-3 (2009年9月18日). 2023年4月17日閲覧。
- ^ a b c d 主婦の友社『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』大山のぶ代「たくさんの事を教わった『ドラえもん』」P86。
- ^ a b 山本健翔『声優になるには』(ぺりかん社、2007年)p.144 ISBN 9784831511553
- ^ a b 中島久美子 (2007年10月7日). “直腸がん (1)夫のお陰でがん発見”. yomiDr. (読売新聞社) 2015年5月29日閲覧。
- ^ a b 山本健翔『声優になるには』(ぺりかん社、2007年)p.146
- ^ a b c d “大山のぶ代さん「たくさんのことを教わった『ドラえもん』」”. 声優グランプリWEB. 声優道. 主婦の友インフォス. p. 1 (2020年3月17日). 2023年2月3日閲覧。
- ^ 『日本タレント名鑑(1977年版)』VIPタイムズ社、1977年、216頁。
- ^ a b 小川びい『こだわり声優事典'97』徳間書店〈ロマンアルバム〉、1997年3月10日、30頁。ISBN 4-19-720012-9。
- ^ a b 主婦の友社『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』大山のぶ代「たくさんの事を教わった『ドラえもん』」P87。
- ^ a b 砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ -大山のぶ代「認知症」介護日記-』(双葉社、2015年)
- ^ NHK「ドラえもん、母になる〜大山のぶ代物語〜」
- ^ “歴代受賞者”. 日本女性放送者懇談会 SJWRT. 2016年6月21日閲覧。
- ^ a b 『ぼく、ドラえもんでした。』
- ^ 大山のぶ代 脳梗塞発症…言葉出ない Archived 2009年5月2日, at the Wayback Machine. デイリースポーツオンライン・2009年4月30日
- ^ Facebook(2015年5月17日閲覧)
- ^ 砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ -大山のぶ代「認知症」介護日記-』(双葉社、2015年)p.5
- ^ TBS RADIO 大沢悠里のゆうゆうワイド 女優・声優の大山のぶ代さんが認知症で闘病していることを、夫・砂川啓介さんが告白 - 大沢悠里のゆうゆうワイド公式ページ、2015年5月13日
- ^ “「ドラえもん」大山のぶ代が認知症で闘病”. 日刊スポーツ (2015年5月13日). 2015年5月13日閲覧。
- ^ 認知症の大山のぶ代、肉声公開「頑張ります」親友・徹子涙ぐむ スポニチアネックス、2015年6月12日
- ^ 大山のぶ代さん、老人ホームに入所 夫の砂川啓介さん「まずは僕自身のがんを治さないと」 ハフィントンポスト日本語版、2016年6月6日閲覧
- ^ “妻・大山のぶ代を残し砂川啓介さん死去 “老老介護”に世論も悲痛”. 東京スポーツ. (2017年7月19日) 2017年7月19日閲覧。
- ^ “砂川啓介さん死去 認知症の妻・大山のぶ代を残し…無念の最期― スポニチ Sponichi Annex 芸能”. 2022年4月15日閲覧。
- ^ “大山のぶ代 涙で「お父さん…」砂川さんとつらい別れ すぐに部屋退出”. スポーツニッポン. (2017年7月19日) 2017年7月19日閲覧。
- ^ 大山のぶ代 夫・砂川啓介さん葬儀に出られなかった悲しき理由 2017年7月27日 女性自身
- ^ “ひとりぼっちになった「ドラえもん」大山のぶ代さん 今は時折、笑顔も…”. AERA. (2017年7月19日) 2017年7月19日閲覧。
- ^ “認知症発症の『ドラえもん』声優・大山のぶ代、夫・砂川啓介さんの他界後から“空き家”状態の自宅、2人の個人事務所を引き継いだ税理士を直撃”. 週刊女性PRIME (2017年10月17日). 2023年8月21日閲覧。
- ^ 【文藝春秋 目次】2017年9月号 2017年8月10日 文春オンライン
- ^ 大山のぶ代 夫逝去から3カ月「老人ホームのジャイアンに」 2017年10月04日 女性自身
- ^ 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマ〈ファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、74頁。
- ^ 砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ -大山のぶ代「認知症」介護日記-』(双葉社、2015年)p.42
- ^ 砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ -大山のぶ代「認知症」介護日記-』(双葉社、2015年)p.45
- ^ 砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ -大山のぶ代「認知症」介護日記-』(双葉社、2015年)p.47、p.50
- ^ 砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ -大山のぶ代「認知症」介護日記-』(双葉社、2015年)p.56
- ^ a b c フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 19』講談社、2007年。
- ^ 船津稔 (2005年1月16日). “「クラブ セガ 新宿西口」オープン記念イベント 大山のぶ代1日店長、「アルカノイド」の腕前を披露”. GAME Watch. インプレス. 2018年11月30日閲覧。
- ^ “大山のぶ代の別荘にあったアルカノイド筐体(きょうたい) 高田馬場ゲーセン・ミカドが引き継ぐ”. ねとらぼ. 2022年5月6日閲覧。
- ^ 砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ -大山のぶ代「認知症」介護日記-』(双葉社、2015年)p.98
- ^ 『ドラえ本』より[要文献特定詳細情報]。
- ^ 主婦の友社『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』大山のぶ代「たくさんの事を教わった『ドラえもん』」P87-88
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 2』講談社、2003年。
- ^ 『アニメ・プロデューサー鷺巣政安 さぎすまさやす・元エイケン製作者』(ぶんか社、2016年) p.106
- ^ 『日本TVアニメーション全史』(2014年12月30日、世界文化社発行)127ページ。
- ^ a b “大山のぶ代さん「たくさんのことを教わった『ドラえもん』」”. 声優グランプリWEB. 声優道. 主婦の友インフォス. p. 2 (2020年3月17日). 2023年10月26日閲覧。
- ^ 松岡清治「第 1章 ドラえもんの章 17 「ドラえもんいますか」と電話がかかってくる大山のぶ代さん紹介!」『ドラえもん 秘密のポケット』文化創作出版、1993年8月5日、ISBN 4-89387-067-X、34-35頁。
- ^ 映画35周年を記念して先代の声優陣がサプライズ登壇!
さらにサプライズ! 大山のぶ代からの手紙にドラ泣き!? - 映画・映像|東宝WEB SITE - 2017年2月26日閲覧。 - ^ “ハッスルパンチ”. 東映アニメーション. 2016年6月15日閲覧。
- ^ “ハリスの旋風”. メディア芸術データベース. 2016年10月25日閲覧。
- ^ 第24話エンディングより。
- ^ “CHARACTER”. 『無敵超人ザンボット3』公式サイト. サンライズ. 2023年2月18日閲覧。
- ^ “CAST”. TVアニメ「ダンガンロンパ」公式サイト. 2012年12月10日閲覧。
- ^ “『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』のTVアニメ化が決定!”. ファミ通.com. 2012年12月10日閲覧。
- ^ “祝 アニメCM化決定!”. おにくだいすき! ゼウシくん公式サイト. 2013年12月20日閲覧。
- ^ “【TVクリップ】鈴木砂羽が「なんで私?!」 ドラえもん声優・大山のぶ代の半生を マネしようなんて…「唯一無二の声ですから」”. ZAKZAK (夕刊フジ). (2015年12月7日) 2015年12月13日閲覧。
外部リンク
※以下資料で生年月日について言及しているもののうち、1936年生まれのまま掲載しているものは2021年12月時点現在で、半分ほど。