鹿児島市電谷山線
谷山線 | |
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郡元停留場から谷山方面を望む | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 鹿児島市 |
路線網 | 鹿児島市電 |
起点 | 武之橋停留場 |
終点 | 谷山停留場 |
停留所数 | 14箇所 |
開業 | 1912年12月1日 |
所有者 | 鹿児島市交通局 |
運営者 | 鹿児島市交通局 |
路線諸元 | |
路線距離 | 6.4 km |
軌間 | 1,435 mm |
線路数 | 複線 |
電化方式 | 直流600 V 架空電車線方式 |
最大勾配 | 35.0 ‰[1] |
最小曲線半径 | 160 m[1] |
最高速度 | 60 km/h[1] (涙橋 - 谷山間) |
停留場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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谷山線(たにやません)は、鹿児島県鹿児島市高麗町の武之橋停留場から鹿児島市東谷山二丁目の谷山停留場までを結ぶ鹿児島市交通局(鹿児島市電)の軌道路線である。一部の資料では、第一期線の全区間を含めて谷山線としていることもある。
沿線概要
[編集]沿線には、カーフェリー乗り場のある鴨池港や鴨池球場がある。南鹿児島駅前停留場付近から谷山停留場まで指宿枕崎線と併走する。路線のうち涙橋停留場から谷山停留場の間は専用軌道区間である。
運行形態
[編集]- 1系統(鹿児島駅前 - 武之橋 - 谷山) - 日中の谷山線全区間を6 - 8分間隔で運行。ラッシュ時は4 - 5分間隔で運転される。
利用状況
[編集]2022年度の最混雑区間は南鹿児島駅前停留場→涙橋停留場間(7:30-8:30)で、混雑率は約105%である[2]。
歴史
[編集]1912年に鹿児島で最初に開業した電車の路線は鹿児島電気軌道谷山線であるが、この路線は法規上軽便鉄道として建設された。これは連結運転を考慮したためといわれている[3]。開業時7両の電車(木製単車)が用意され、1913年以降に電動貨車が加わり手小荷物や鮮魚の運搬に使用された[4]。また路線では1915年以降鴨池 - 谷山間が単線化され捻出した軌条や枕木などを新線建設に転用した。この区間が複線に復活したのは1949年であった。
開業時より武之橋 - 谷山間は全線専用軌道であったが1960年に武之橋附近の路線の東側に新道が建設され中央部に軌道を移設することになった。1959年度より軌道基面降下工事(道床を道路と同平面まで下げる)がすすめられていき、1963年11月に鴨池 - 郡元間も鴨池停留場付近の高架線が併用軌道となり、同停留場は二階建ての駅舎であったが解体された。1964年2月武之橋併用橋完成により新屋敷-郡元間が併用軌道となった[5]。
- 1911年(明治44年)8月3日 - 軽便鉄道免許状下付(鹿児島-谷山間)[6]
- 1912年(大正元年)12月1日 - 鹿児島電気軌道が武之橋 - 谷山間を開業[7]。
- 1915年(大正4年)9月15日 - 単線変更申請が認可(二軒茶屋-谷山間)され着工[8]。
- 1917年(大正6年)5月16日 - 単線変更申請認可(鴨池-二軒茶屋間)[8]。
- 1927年(昭和2年)1月24日 - 延長免許申請(谷山より慈眼寺まで約1100m)[9]
- 1928年(昭和3年)7月1日 - 鹿児島市電気局に移管[10]
- 1928年(昭和3年)12月28日 - 軽便鉄道から軌道へ変更認可[9][11]
- 1933年(昭和8年)1月26日 - 鹿児島市交通課に改組
- 1944年(昭和19年)10月24日 - 鹿児島市交通部に改組。
- 1949年(昭和24年)10月24日 - 二中通停留場が交通部前停留場に改称。
- 1952年(昭和27年)10月1日 - 鹿児島市交通局に改組。交通部前停留場が交通局前停留場に改称。
- 1945年(昭和20年)6月17日 - 空襲により運休。29日再開[12]。
- 1947年(昭和22年)12月20日 - 複線化工事竣工運行認可(鴨池-二軒茶屋間)[12]。
- 1948年(昭和23年)2月3日 - 複線化工事竣工運行認可(二軒茶屋-脇田間)[12]。
- 1949年(昭和24年)12月29日 - 複線化工事竣工(脇田-谷山間)谷山線全線で複線が復活[13]。
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 競馬場前停留場を南港入口停留場に改称。
- 1959年(昭和34年)10月1日 - 郡元停留場を新川停留場に改称。
- 1967年(昭和42年)1月1日 - 新川停留場を涙橋停留場に、南港入口停留場を南鹿児島駅前停留場に改称。
- 1960年(昭和35年)2月28日 - 軌道移設(下り武之橋-荒田八幡間)[14]。
- 1960年(昭和35年)3月1日 - 軌道移設(上り武之橋-荒田八幡間)[14]。
- 2015年(平成27年)5月1日 - 交通局前停留場を二中通停留場に改称。
- 2019年(令和元年)7月3日 - 大雨の影響で南鹿児島駅付近で崖崩れが発生し、郡元 - 谷山間が運休となる(翌4日の17時より運転再開)。
停留場一覧
[編集]電停 番号 |
停留場名 | 読み方 | 周辺施設・接続路線 | 軌道 |
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I11 | 武之橋 | たけのはし | 併用軌道 | |
I12 | 二中通 | にちゅうどおり | 鹿児島県立甲南高等学校・中央消防署 | |
I13 | 荒田八幡 | あらたはちまん | フレスポジャングルパーク・ニシムタ与次郎本店・米盛病院 | |
I14 | 騎射場 | きしゃば | 鹿児島県総合体育センター体育館・鹿児島大学水産学部 | |
I15 | 鴨池 | かもいけ | 鹿児島県立鴨池野球場・鹿児島県立鴨池陸上競技場・鴨池市民球場・鹿児島市立図書館・鹿児島市立科学館 | |
I16 I17 |
郡元 | こおりもと | 鹿児島市電2系統(唐湊線) 鹿児島県庁舎・鹿児島市医師会病院・イオン鹿児島鴨池店 | |
I18 | 涙橋 | なみだばし | ||
I19 | 南鹿児島駅前 | みなみかごしまえきまえ | JR九州 指宿枕崎線 南鹿児島駅 志學館中等部・高等部・志學館大学 鹿児島第二地方合同庁舎(鹿児島地方気象台・第十管区海上保安本部ほか) |
専用軌道 |
I20 | 二軒茶屋 | にけんぢゃや | ||
I21 | 宇宿一丁目 | うすきいっちょうめ | ||
I22 | 脇田 | わきだ | JR九州 指宿枕崎線 宇宿駅・オプシアミスミ・スクエアモール鹿児島宇宿・鹿児島大学医学部・歯学部 | |
I23 | 笹貫 | ささぬき | ||
I24 | 上塩屋 | かみしおや | ||
I25 | 谷山 | たにやま | ラ・サール中学校・ラ・サール高等学校・鹿児島情報高等学校・イオンモール鹿児島・鹿児島南警察署・鹿児島南郵便局 |
接続路線は、JR線は駅が隣接している停留場、鹿児島市電は無賃での乗り換えが認められている停留場のみ記述。
かつて存在した停留場
[編集]- 海浜院通停留場(1912年12月1日開業、1918年1月13日廃止)
- 笹貫停留場は官報[15]によれば海浜院道停留場と同日に廃止されており、昭和2年版の鉄道停車場一覧[16]によるとその後1920年2月9日に復活している。
接続路線
[編集]脚注および参考文献
[編集]- ^ a b c 寺田裕一『データブック 日本の私鉄』(ネコ・パブリッシング、2002年) p.176
- ^ 朝ラッシュ時(1時間帯)の混雑状況 『九州運輸要覧』令和5年度版(国土交通省九州運輸局) p.57
- ^ 『鹿児島の路面電車50年』26頁
- ^ 魚売り人に対しては乗車料半額、魚50斤まで5銭の優遇措置をとった。(1918年4月特別取り扱い廃止)『鹿児島の路面電車50年』162-163頁
- ^ 『鹿児島市電が走る街今昔』122-123頁
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年8月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1912年12月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『鹿児島の路面電車50年』163頁
- ^ a b 『鹿児島の路面電車50年』164頁
- ^ 5月25日譲渡許可「鉄道譲渡」『官報』1928年5月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 書類上では1928年12月28日軽便鉄道廃止、1929年1月17日軌道開業としている免許失効特許、開業『鉄道統計資料. 昭和3年 第3編 監督』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 『鹿児島の路面電車50年』165頁
- ^ 『鹿児島の路面電車50年』166頁
- ^ a b 『鹿児島の路面電車50年』167頁
- ^ 「軽便鉄道停車場及停留場廃止」『官報』1918年1月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 鉄道省編集『鉄道停車場一覧』昭和2年版(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 鹿児島市交通局『鹿児島の路面電車50年』、1978年
- 水元景文『鹿児島市電が走る街今昔』JTBパブリッシング、2007年