コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

シドニー・ポワチエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シドニー・ポワチエ
Sidney Poitier
Sidney Poitier
シドニー・ポワチエ
生年月日 (1927-02-20) 1927年2月20日
没年月日 (2022-01-06) 2022年1月6日(94歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国フロリダ州 マイアミ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州 ビバリー・ヒルズ
国籍 バハマの旗 バハマ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優監督
配偶者 Juanita Hardy(1950 - 1965)
ジョアンナ・シムカス(1976 - 2022)
著名な家族 シドニー・ターミア・ポワチエ(娘)
主な作品
暴力教室』(1955年)
手錠のままの脱獄』(1958年)
野のユリ』(1963年)
いつか見た青い空』(1965年)
いのちの紐』(1965年)
夜の大捜査線』(1967年)
いつも心に太陽を』(1967年)
招かれざる客』(1967年)
影なき男』(1988年)
スニーカーズ』(1992年)
ジャッカル』(1997年)
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1963年野のユリ[1]
名誉賞
2001年 優れた芸術性と人間性を持ち、活躍してきたことを称えて
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(男優賞)
1958年手錠のままの脱獄[2]
1963年『野のユリ』[3]
AFI賞
生涯功労賞
1992年
AFIアメリカ映画100年シリーズ
映画スターベスト100
1998年(男優部門第22位)
英国アカデミー賞
外国男優賞
1958年『手錠のままの脱獄』
フェローシップ賞
2015年
グラミー賞
スポークン・ワード・アルバム賞
2001年『The Measure of a Man』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1963年『野のユリ』
セシル・B・デミル賞
1982年
全米映画俳優組合賞
生涯功労賞
1999年
その他の賞
ケネディ・センター名誉賞
1995年
備考
大英帝国勲章
大統領自由勲章
テンプレートを表示

シドニー・ポワチエSidney Poitier [ˈpwɑːtjeɪ], KBE1927年2月20日 - 2022年1月6日)は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の映画俳優監督黒人俳優としての先駆者的存在のひとりで、黒人としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞した。KBEを与えられた。

人物

[編集]

生い立ち

[編集]

両親はバハマトマト栽培で生計を立てる農夫であった[4]。出荷先のマイアミで母の妊娠がわかり、そこで生まれたのがポワチエである[5]。予定日より2か月早く生まれたため、育つかどうか心配した両親はマイアミに3カ月滞在する[6]。アメリカで生まれたため、アメリカの市民権を有することとなる[6]。15歳のとき、生活の事情で単身で再び渡米。17歳の時にニューヨークに移り、あらゆる種のアルバイトを転々とし、年齢を詐称してアメリカ軍に入隊。生年月日に諸説があるのはこのためである。

俳優デビュー

[編集]

除隊後は、アメリカン・ニグロ・シアターに入団し[7][8]、俳優を志し始めるが、故郷バハマの訛りが取れなかったため、裏方での仕事に終始していたといわれる。1945年頃に映画デビューを飾り、1946年には黒人俳優だけの舞台でブロードウェイに初出演。1955年『暴力教室』の生徒役で注目されてからは知名度が上がり、続く1958年に公開された『手錠のままの脱獄』では主演のトニー・カーティスと共にアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、その後は順調にキャリアを重ねた。1950年代のハリウッドで、黒人が主要なスター俳優を務めたのはポワチエ唯一人だった。ポワチエは「当時MGMのスタジオには、黒人は私一人しかいなかった」とコメントしている。

評価

[編集]

ポワチエが映画に進出し始めた時期は、以前の黒人俳優には労働者のような端役や悪役程度にしか活躍の場が与えられていなかった時期から、公民権運動の活発化を受けて徐々に待遇が改善されていた一方で、そういった気風も抜け切ってはいないという、いわば黒人俳優の黎明期であった。その中にあって、黒人俳優の最古参の一人とも言える人物で、当時人気を博していたウディ・ストロードのようなパワフルで逞しい肉体を擁したアクション系の黒人俳優の個性が定着しつつあったが、ポワチエはあえて肉体のパワーではなく演技と「知」のイメージでの活躍を意識したという。

こうした一見、地道な個性が1963年の社会派作品『野のユリ』におけるアカデミー主演男優賞及びゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)受賞という歴史的快挙に結実するのである。この授賞式でポワチエは「私一人で貰ったとは思っていない。これまで努力した何百人もの黒人映画人の努力が実ったものだと思っている」とコメントしている。

一方、同胞である黒人たちからは、「ショーウィンドウの中の黒人」とも揶揄された。ポワチエの演じる「黒人」像とは、あくまで白人が望む「素直でおとなしく、礼儀正しい黒人」だった。

ポワチエが演じる男たちは、教養があり、きちんとした英語を話し、マナーを身につけ地味な服装をし、中性的でおとなしい、扱いやすく無害なものばかりだった。彼の出演作に「Who's Coming to Dinner(「今日のディナーに(悪い意味で)誰が来ると思う?」。邦題「招かれざる客」)」があるが、簡単に言えば、ポワチエが各作品で演じる黒人男性たちは、進歩的な白人なら「夕食の席に招きたい」と思わせるような、非の打ちどころのない理想的な黒人だった[9]

1950年代からの公民権運動の高まりの中、「白人にとって理想的な黒人」を演じ続けたポワチエだが、1965年、ついにワッツ暴動によって、今まで白人から暴力を受け続けてきた黒人が、白人に対して暴力をふるう時代がやってきた。こうしたポワチエの演じる黒人像は、時代に合わないものとなっていく[10]

1964年(昭和39年)10月、『野のユリ』の公開のため来日。

功績

[編集]
夜の大捜査線』(1967年)

しかし、こういった制限の中であっても、黒人スター俳優として、それまでのハリウッド映画における黒人俳優の地位を向上させたポワチエの功績は大きい。1967年『招かれざる客』、『夜の大捜査線』『いつも心に太陽を』と社会的かつ人種差別問題を真正面から提起する題材に挑み、多くの支持を獲得した。こうして黒人俳優という道を開拓したのである。

公民権運動が公民権法の制定という形で一段落を見せると、ハリウッドの白人資本は、白人映画の脇役扱いしかされない黒人スターに不満を持っていた黒人観客向けに「ブラックスプロイテーション」を濫作するようになった。これらは黒人がヒーローを演じ、白人は悪人か脇役として扱われるもので、ポワチエの時代とはまったく別次元のものだった。そしてこれらは黒人たちの圧倒的な人気を得るようになるのである。次第にポワチエの演じる黒人は古いものとなり、スクリーンでの活躍は激減していく。ハリウッド白人資本下での黒人俳優の扱われ方が変わるとともに、ポワチエの役割は終わったのである。

1970年代以降はポール・ニューマンらとプロダクションを設立し、監督業にも挑んでいる。その後、ポワチエの拓いた黒人スターの道を継承して多くの演技派の黒人俳優が台頭、スクリーンでは違和感なく黒人ヒーローが活躍するようになった。2001年に贈られたアカデミー名誉賞は、こうしたポワチエの功績に対するアメリカ白人映画界の敬意を象徴している。

2009年には大統領自由勲章を受章した。彼以外の受章者にはアメリカ初の女性最高裁判事サンドラ・デイ・オコナーや理論物理学者のスティーブン・ホーキングデズモンド・ツツ元大主教など人種や性別、身体障害などでハンディを負ったマイノリティの人々が選ばれており、授章者であるバラク・オバマ大統領は「人の気力は、人種や性別、身体の強弱で制限されるものではない」と賞賛しており、社会的ハンディを克服した偉人の一人に数えられている。

晩年

[編集]

近年の主な代表作は1988年の主演作『リトル・ニキータ』や『影なき男』でのタフガイ刑事、豪華スターが結集した1997年『ジャッカル』でのFBI副長官役、2001年に主演したTV作品『希望の大地』での知的で温厚なレンガ職人などが名高い。1990年代後半から2000年代以降はTVドラマでの活躍を軸に演技を披露、更なる新境地を開いている。中でも南アフリカアパルトヘイト時代の終焉を描いた1997年の大型TVドラマ『マンデラとデクラーク』で、主人公ネルソン・マンデラを演じた。また1998年主演作『デビッド&リサ~心の扉~』では、心に傷を持つ少年と少女を優しくかげながら見守るミラー医師役で抑制のきいた演技をみせた。

一方で、娘のシドニー・ターミア・ポワチエとは、製作・主演の異色スリラー『フリー・オブ・エデン』で父娘共演を果たしている。2010年代以後も、数多くのTV作品に精力的に出演を続けている。

1997年から10年間、バハマ駐日特命全権大使に任命された経験もあり(非常勤のため、日本への赴任はしていない)[11]、人望を買われて政界への進出を請われたが、本人は拒んだともいわれる。

2012年ごろに転倒事故で頭を打った[12]

2022年1月6日、米ロサンゼルスの自宅で死去した[13]

私生活

[編集]

1950年に結婚、4人の娘がいるが1965年に離婚。

1976年には女優のジョアンナ・シムカスと再婚し二女がいる。そのうちのシドニー・ターミア・ポワチエは女優。

出演作品

[編集]

太字表記は主演。

公開年 題名 役名 備考 吹替
1950 復讐鬼
No Way Out
ルーサー・ブルックス 不明
1951 泣け!愛する祖国よ
Cry, the Beloved Country
Msimangu
1955 暴力教室
Blackboard Jungle
グレゴリー・W・ミラー 木村幌
1957 黒い牙
Something of Value
Kimani Wa Karanja 不明
南部の反逆者
Band of Angels
ラウ・ルー 田中信夫
暴力波止場
Edge of the city
トミー・テイラー
1958 手錠のまゝの脱獄
The Defiant Ones
ノア・カレン
1959 ヴァージン・アイランド
Virgin Island
マーカス 不明
ボギーとベス
Porgy and Bess
ボギー
1960 戦う若者たち
All the Young Men
エディ
1961 パリの旅愁
Paris Blues
エディ・クック 田中信夫
レーズン・イン・ザ・サン
A Raisin in the Sun
ウォルター・リー・ヤンガー 不明
1964 野のユリ
Lilies of the Field
ホーマー・スミス 田中信夫
長い船団
The Long Ships
エル・マンスー
1965 いつか見た青い空
A Patch of Blue
ゴードン・ラルフ
駆逐艦ベッドフォード作戦
The Bedford Incident
マンスフォード
いのちの紐
The Slender Thread
アラン・ニューウェル
偉大な生涯の物語
The Greatest Story Ever Told
キレネのシモン
1966 砦の29人
Dual at Diablo
トーラー
1967 いつも心に太陽を
To Sir, With Love
マーク・サッカレー
夜の大捜査線
In the Heat of the Night
バージル・ティッブス
招かれざる客
Guess Who's Coming to Dinner
ジョン・プレンティス
1968 愛は心に深く
For Love of Ivy
ジャック・パークス 不明
1969 失われた男
The Lost Man
ジェイソン・ヒッグス
1970 続・夜の大捜査線
They Call Me Mister Tibbs!
バージル・ティッブス 田中信夫(TBA版)
新克利(日本テレビ版)
1972 ブラック・ライダー
Buck and the Preacher
バック 兼監督 田中信夫
1973 12月の熱い涙
A Warm December
マット・ヤンガー 不明
1971 夜の大捜査線/霧のストレンジャー
The Organization
バージル・ティップス 田中信夫
1975 ケープタウン
The Wilby Conspiracy
Shack Twala
シドニー・ポワチエ/ 一発大逆転
Let's Do It Again
クライド・ウィリアムズ 兼監督 不明
1977 シドニー・ポワチエ/ピース・オブ・アクション
A Piece of Action
マニー
1980 スター・クレイジー
Stir Crazy
監督 なし
1982 ハンキー・パンキー
Hanky Panky
1984 ファスト・フォワード
Fast Forward
1988 影なき男
Shoot to Kill
ウォーレン・スタンティン 田中信夫
リトル・ニキータ
Little Nikita
ロイ・パーメンター
1990 ゴースト・パパ
Ghost Dad
監督 なし
1991 裁かれた壁 アメリカ・平等への闘い
Separate But Equa
サーグッド・マーシャル テレビ映画 不明
1993 スニーカーズ
Sneakers
ドナルド・クリース 田中信夫
1995 いつも心に太陽を2
To Sir, With LoveII
マーク テレビ映画 不明
1997 マンデラとデクラーク
Mandela and de Klerk
ネルソン・マンデラ
1998 ジャッカル
The Jackal
カーター・プレストン 田中信夫
デビッド&リサ~心の扉~
David and Lisa
ジャック・ミラー博士 テレビ映画 不明
1999 フリー・オブ・エデン
Free of Eden
ウィル テレビ映画
兼製作総指揮
2001 希望の大地
The Last Brickmaker in America
ヘンリー・コブ テレビ映画

Ralph Bunche: An American Odyssey
本人 ドキュメンタリー映画
2004 マイ・シネマトグラファー
Tell Them Who You Are
2022 シドニー
Sidney

吹替声優

[編集]
田中信夫
1957年公開『南部の反逆者』以降、日本公開された映画の大半の声優を務めている。

受賞とノミネート

[編集]
候補 賞/映画祭 部門 結果
1957 暴力波止場
Edge of the city
英国アカデミー賞 最優秀外国男優賞 ノミネート
1958 手錠のまゝの脱獄
The Defiant Ones
受賞
ベルリン国際映画祭 銀熊賞 (男優賞) 受賞
アカデミー賞 主演男優賞 ノミネート
1961 レーズン・イン・ザ・サン
A Raisin in the Sun
英国アカデミー賞 最優秀外国男優賞 ノミネート
1964 野のユリ
Lilies of the Field
アカデミー賞 主演男優賞 受賞
ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ドラマ部門) 受賞
ベルリン国際映画祭 銀熊賞 (男優賞) 受賞
英国アカデミー賞 最優秀外国男優賞 ノミネート
1966 いつか見た青い空
A Patch of Blue
ノミネート
1967 夜の大捜査線
In the Heat of the Night
ノミネート
1968 シドニー・ポワチエ
Sidney Poitier
ゴールデングローブ賞 ヘンリエッタ賞(世界で最も好かれた男優) 受賞
1982 セシル・B・デミル賞 受賞
2001 アカデミー賞 名誉賞 受賞
2016 英国アカデミー賞 フェローシップ賞 受賞

脚注

[編集]
  1. ^ Sidney Poitier – Awards, Internet Movie Database
  2. ^ Berlinale 1958: Prize Winners”. berlinale.de. January 11, 2016閲覧。
  3. ^ Berlinale 1963: Prize Winners”. berlinale.de. 2016年1月11日閲覧。
  4. ^ Davis Smiley interviews Sidney Poitier[リンク切れ]
  5. ^ Sidney Poitier Film Reference biography
  6. ^ a b Adam Gourmand, Sidney Poitier: Man, Actor, Icon (2004), p.8.
  7. ^ Poitier, Sidney. The Measure of a Man. (2000). New York: HarperCollins Publishers
  8. ^ Chenrow, Fred; Chenrow, Carol (1974). Reading Exercises in Black History. Elizabethtown, PA: The Continental Press, Inc.. p. 46. ISBN 08454-2108-5 
  9. ^ 『Toms, Coons, Mulattoes, Mammies and Bucks: An Interpretative History of Blacks in Films』(Donald Bogle著、Viking Press 1973年)
  10. ^ 『ブラック・ムービー アメリカ映画と黒人社会』(井上一馬著、講談社現代新書)
  11. ^ シドニー・ポワチエさん死去 黒人初のアカデミー主演男優賞受賞 94歳”. 日刊スポーツ (2022年1月8日). 2022年1月10日閲覧。
  12. ^ 85歳のシドニー・ポワチエ、自宅で転倒し頭にケガ-シネマトゥデイ
  13. ^ S・ポワチエさんが死去 黒人初のアカデミー男優賞”. 産経ニュース (2022年1月8日). 2022年1月8日閲覧。

関連項目

[編集]

関連文献

[編集]

外部リンク

[編集]