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中部日本放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中日放送から転送)
中部日本放送株式会社
CHUBU-NIPPON BROADCASTING CO., LTD.
中部日本放送本社(CBC会館)
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社
市場情報
名証プレミア 9402
1960年10月10日上場
略称 CBC[注釈 1]
本社所在地 日本の旗 日本
460-8405
愛知県名古屋市中区新栄一丁目2番8号
北緯35度10分8.8秒 東経136度54分59.5秒 / 北緯35.169111度 東経136.916528度 / 35.169111; 136.916528座標: 北緯35度10分8.8秒 東経136度54分59.5秒 / 北緯35.169111度 東経136.916528度 / 35.169111; 136.916528
設立 1950年12月15日
業種 情報・通信業
法人番号 7180001038107 ウィキデータを編集
事業内容 認定放送持株会社
代表者
資本金
  • 13億2000万円
(2023年3月31日現在)[1]
発行済株式総数
  • 2640万株
(2023年3月31日現在)[1]
売上高
  • 連結: 327億1300万円
  • 単独: 46億3900万円
(2023年3月期)[1]
営業利益
  • 連結: 12億3300万円
  • 単独: 10億1300万円
(2023年3月期)[1]
経常利益
  • 連結: 17億7300万円
  • 単独: 14億7200万円
(2023年3月期)[1]
純利益
  • 連結: 11億2300万円
  • 単独: 14億7900万円
(2023年3月期)[1]
純資産
  • 連結: 613億5000万円
  • 単独: 547億0000万円
(2023年3月31日現在)[1]
総資産
  • 連結: 754億2600万円
  • 単独: 645億7300万円
(2023年3月31日現在)[1]
従業員数
  • 連結: 695人
  • 単独: 70人
(2023年3月31日現在)[1]
決算期 3月31日
会計監査人 有限責任監査法人トーマツ[1]
主要株主 資本構成の節を参照
主要子会社 連結子会社の節を参照
関係する人物
外部リンク https://hicbc.com/corporation/
特記事項:1951年9月1日、日本で初めての民間放送ラジオ局として開局。
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中部日本放送株式会社(ちゅうぶにっぽんほうそう、: CHUBU-NIPPON BROADCASTING CO., LTD.[2])は、日本認定放送持株会社。本社所在地は愛知県名古屋市中区新栄。略称はCBC[2] で、放送局の分社化後も傘下の特定地上基幹放送事業者とその略称を共用している。名古屋市に本社を置く放送事業者では唯一、名証プレミア市場[注釈 2]上場しており、名古屋証券取引所プレミア市場単独上場銘柄である。

概要

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1951年昭和26年)9月1日に、日本で最初の民間ラジオ放送局[注釈 3] として開局。同時にこれまで日本放送協会(NHK)が独占的に放送を行ってきた時代が幕を閉じ、日本の民間放送の草分け的存在となった放送局である。1956年(昭和31年)12月1日テレビジョン放送を開始し、ラジオ・テレビ兼営局となった。系列新聞社中日新聞社で、社名も創立当時の中部日本新聞社に因んだといわれている。

中部日本放送は1950年(昭和25年)、中部日本新聞社(現:中日新聞社)が名古屋商工会議所中部地方の財界と連携して設立計画を進め、松坂屋(現:大丸松坂屋百貨店)の社長を務めた第16代伊藤次郎左衛門(伊藤祐茲)が設立発起人総代に就任し、当時松坂屋の副社長であった佐々部晩穂が初代社長に就任して設立された。佐々部は当時松坂屋が経営していた伊藤銀行の副社長だった1941年(昭和16年)、伊藤銀行と愛知銀行名古屋銀行の3行を合併して東海銀行(現:三菱UFJ銀行)を発足させた経緯があった。中部日本放送創立事務局の実行委員会には中部日本新聞社と松坂屋、東海銀行、中部電力東邦瓦斯名古屋鉄道豊田自動織機が参加した。

2013年平成25年)4月1日、ラジオ部門がCBCラジオへ、2014年(平成26年)4月1日、テレビ部門がCBCテレビへ分社化され、認定放送持株会社となる。これはキー局以外の、いわゆる地方局では初の試みとされている[3]

またロサンゼルスに海外支局を設けており、現在の支局長は尾関淳哉である[4]

沿革

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創業当初の社屋
CBCラジオ長島送信所(三重県桑名市)
CBC放送センター(名古屋市中区)

開局当初の動き

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開局数日前、小嶋源作は全社員に『これから我々は、NHK島に敵前上陸を敢行する。NHKの牙城に迫る民放の第一陣として、その使命は重い。諸君はこの決意で邁進されたい。』と鼓舞激励した[21]

CBCは名古屋の放送局であるが、開局段階から放送番組に関しては東京との結び付きが不可欠とされていた。したがって、CBCでは東京のキー局を求めることとなったが、中日新聞と競合する朝日新聞毎日新聞の系列局では具合が悪かったため、当時名古屋に進出しておらずかつ中日と編集協定を結んでいた読売新聞と手を携えることとした[注釈 19]。こうして読売を母体に読売放送(略称・YBC)が設立され、開局を目指したが結局ペーパーカンパニーに終わり、一切はラジオ東京(JOKR。現在のTBSラジオ)に統合された。このためCBCもラジオ東京をキー局とする事となった。また、そのことがきっかけでザ・ビートルズの来日公演を読売新聞と共同主催することとなった。

上記と矛盾するようではあるが、昭和30年代の一時期、『朝日新聞ニュース』『毎日新聞ニュース』の放送を行っていた(名古屋テレビ開局とともに終了)。これは#中日ドラゴンズとの関係の項目で触れた東海テレビ開局時の様々な問題がこじれたことによる副産物である。つまり、中日とはドラゴンズの独占中継権を得ていたのが東海テレビも割り込む形で中継権を得ることとなり、CBCと中日との関係が複雑になったためと、元々朝日・毎日の2社ニュースをメインとする予定であった東海テレビが結局中日ニュースをメインとして放送することに決めたので、両社は抗議の意味でCBCにニュース放送の申し入れを行ったところ、既述の通りCBCは中日との関係が複雑となっていたこともあってこれを了承したため。

浜松放送局を開設しようとして、地元・静岡放送(SBS)と競合した。

その他中部地区のラジオ・テレビ各局各局の開設に伴い、以下の支援を行っている。

  • 信濃放送→信越放送(SBC)は創業時出資状況が芳しくなく、地元・信濃毎日新聞の支援も期待できなかったことから代わりにCBCが支援の手を差し伸べることとなり、当時はCBC番組を直接受信し、そのまま中継しようと検討していた。
  • 北日本放送(KNB)も先行きが不安であったことや、戦前から中日の母体である新愛知名古屋新聞が北陸に進出していた関係で、CBC首脳陣とKNB首脳陣にも交流があったためCBCがKNBに一部出資を行っていた。
  • 福井放送(FBC)は開局直後に経営が悪化。地元・福井新聞とは無関係であったことから、CBCは中日新聞とともにFBCの支援に乗り出すこととなり契約締結まで漕ぎ着けたが、その後FBCの経営権を握った加藤ビルディング一派により契約は解除され、CBCと中日新聞は撤退。その代わりにFBCは福井新聞と関係を結んだ。
  • 三重県の県域局・ラジオ三重(RMC)は経営難から中日新聞が支援に乗り出したが、中日はCBCに対しラジオ三重への支援を要請。CBCの電波料を増額し、増額分をラジオ三重へ付け回すように指示した。別エリアにあるネット局に対するのならともかく、同一エリア内の競合局に対するこの行為はスポンサーへの背信となるためCBCは拒絶。それでも中日への義理を果たすため、以降営業支援金が毎月一定額CBCからラジオ三重へ送金されていた。なお、このラジオ三重は近畿東海放送(KTB)を経て、1959年(昭和34年)に岐阜のラジオ東海(RTC)と合併。現在の東海ラジオ放送(JOSF)となっている。
  • チューリップテレビ(TUT)には、CBCが設立当初から出資を行っている。また、CBCは同局の3.00%の株を保有する主要株主でもある。

鉄道無線を利用した鉄道放送を企画。長距離列車の乗客を対象として需要があると判断。当時の運輸省(現在の国土交通省)へ積極的に働きかけたが、実現には至らなかった。なお、鉄道無線を利用したラジオ放送は、ラジオ関東(JORF、現在のラジオ日本)が1958年(昭和33年)12月から1964年(昭和39年)までの朝夕のラッシュ時に東急東横線急行電車車内にて同社ニュース番組を放送する形で実現している。

CBC放送会館火災

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1969年(昭和44年)5月5日昼、CBC会館で火災が発生し、地下1階の機械室、地上1階のテレビ主調整室・放送機器室、2階のテレビ送出用電算機室が焼けた[22]。このとき真っ黒に焼け焦げたテレビマスターの写真が社史に掲載されている。

この影響でテレビは約1時間17分停波したが、ラジオは奇跡的に停波せずに放送を継続した。CBCは車庫から中継車を出してテレビ塔に横付けして短いニュースなどのミニ番組スタジオ兼臨時マスターとし、東京や大阪からの回線の番組をそのまま放送波に乗せることで放送を再開した。このため、関東・関西ローカルのCMがそのまま流れる事態も起きたが、通常番組の大半はほぼ通常通り放送された[23]

その後テレビは復旧作業を急ぐため、同日の深夜放送を23時35分で打ち切りとした。休止の旨と放送終了時の局名告知のアナウンスは生放送で行われた。

火災の時系列
  • 同日は会館の空調設備の入れ替え工事が行われていた。
  • 午後2時頃 - テレビ主調整室から異臭が見られ、ダクトから白煙が出ていたことが分かる。この頃地下の空調室で溶接が行われていた中、埃に引火し火災が発生したものと見られている。ワイドショー『この街は この風は』の放送が中断[22]
  • 午後2時45分頃 - テレビ主調整室から黒煙、本格的に炎上。テレビの映像部分が停止。
  • 午後2時50分頃 - 名古屋市消防本部から消防隊出動。
  • 午後3時05分頃 - テレビの音声部分が停止。
  • 午後3時10分頃 - 放水が始まるが、出火場所はまだ特定できなかった。
    • この間、スタッフはテレビ塔近くに中継車を横付けし、テレビ放送の特設放送会場を設置。
  • 午後4時過ぎ - テレビ放送再開。火災の詳細を伝え、「視聴者・市民にご迷惑をかけました」と謝罪。
  • 午後5時頃 - 地下を破壊しての放水活動を開始。
  • 午後5時30分頃 - 必要最低限の人員を除き、その場を退去するよう命令(全員退去命令)。そのため、放送を継続していたラジオは、暫定的に1階のラジオ準備室に特設会場を設けて放送を続ける。
  • 午後8時前 - ラジオ放送を鳴海送信所に暫定移転するために一時中断し、フィラーとしてレコード音楽を放送。
  • 午後8時30分過ぎ - ラジオ放送、鳴海送信所の特設スタジオでの放送開始。
  • 午後9時過ぎ - 出火場所が2階にあるテレビ調整室であったことが判明。
  • 午後11時35分 - テレビ放送を臨時に打ち切り。5月6日6時55分から再開する旨をアナウンスする。
  • 午後11時50分過ぎ - 鎮火。
  • 5月6日 - 復旧工事が終わり、通常のスタジオからの放送を再開。

コールサインの変遷

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期間 ラジオ テレビ 変更理由
コールサイン 免許人 コールサイン 免許人
1951年9月1日 - 1956年11月30日 JOAR 中部日本放送 (未開局) ラジオ本放送開始
1956年12月1日 - 2003年11月30日 JOAR-TV 中部日本放送 テレビ本放送開始
2003年12月1日 - 2011年7月24日 JOAR-(D)TV デジタルテレビ放送開始
2011年7月25日 - 2013年3月31日 JOAR-DTV アナログテレビ放送停波
2013年4月1日 - 2014年3月31日 CBCラジオ JOGX-DTV ラジオ分社化
2014年4月1日 - 現在 CBCテレビ テレビ分社化

社史・記念誌

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  • 東海の虹[注釈 20]中部日本放送十年史 - 1960年12月発行、689ページ[24]
  • 二十五年の歩み 中部日本放送 - 1975年12月15日発行、119ページ
  • 三十年の歩み 中部日本放送 - 1980年12月発行、157ページ
  • 中部日本放送50年のあゆみ - 2000年12月発行、459ページ。
  • CBC60年の軌跡 - 2011年発行、DVDのみ。
  • CBC70年の軌跡 - 2021年発行、DVDのみ。

本社

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愛知県名古屋市中区新栄1-2-8 郵便番号460-8405

アクセス:名古屋市営地下鉄東山線新栄町駅」より徒歩約5分。栄駅地下鉄)または栄町駅名鉄瀬戸線)及び栄バスターミナルオアシス21)からは徒歩約10分。

2013年(平成25年)1月22日の年頭記者会見で本社地区の再開発を発表[25]、3期に分けて工事を進めている。これが完了することにより、「放送送出機能」と「編成営業機能および本社機能」の一体化、建物の維持費などの効率化、点在するグループ企業の社屋集約が図られることになる。

  • 第1期:放送センター南東部の隣接地に増築棟を建設、2013年(平成25年)3月に着工し、2015年(平成27年)8月に竣工、CBC会館と放送センターで分かれていた部署を一ヶ所に集約して同年10月15日より業務を開始した。なお35,000リットルの燃料備蓄タンクを2台設置することで、停電時の放送継続日数を5.58日にまで延長している[26]
  • 第2期:2015年(平成27年)よりCBC西別館を解体し新築工事を実施、2016年(平成28年)に完成した後はグループ企業を新ビルに集約する。
  • 第3期:2020年令和2年)以降にCBC会館の大規模改修工事に着手。2018年(平成28年)3月27日の定例会見で明らかにされた物で、当初は老朽化から解体も検討されていたが、最終的にスタジオ使用を前提として今の形を保ったままリニューアル工事を行うことになる[27]2022年(令和4年)4月に工事完了[7]

本社周辺環境(五十音順)

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支社・支局

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CBC東京総局(千代田会館7F)(東京都千代田区)

閉鎖した支局

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連結子会社

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2023年4月1日現在[30]

※ かつての関連企業として、PCMセントラルがCS-PCMラジオ局を運営していた。また、同じくかつての関連事業にタクシー会社の文化交通があるが、2022年6月29日に大阪バスに売却している。[20]

資本構成

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企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[31][32][33][34][35]

2023年3月31日現在

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出典:[36]

資本金 発行済株式総数 株主数
13億2000万円 26,400,000株 3,318
株主 株式数 比率
中日新聞社 2,602千株 9.85%
竹田本社 1,700千株 6.43%
三菱UFJ銀行 1,300千株 4.92%
三井住友信託銀行 1,167千株 4.42%
ナゴヤドーム 1,040千株 3.93%
中部電力 0,883千株 3.34%
名古屋銀行 0,825千株 3.12%
名古屋鉄道 0,822千株 3.11%
小林茂 0,791千株 2.99%
日本電気(NEC) 0,696千株 2.64%

過去の資本構成

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脚注

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注釈

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  1. ^ 定款で定められた略称の他、「中日放送」、新聞の証券欄などでは「中日放」と略される。(銘柄略称)
  2. ^ 旧名証1部。
  3. ^ ただし、元毎日放送社長の斎藤守慶は、NHKの前身の3つの社団法人こそ民放第一号だという説を唱えている(出典:『放送新時代〜「星の時代」の挑戦〜』)。
  4. ^ この日は、日本初の民間放送のラジオ放送の予備免許が、全国の16局に対して、一斉に交付された。その内の1局である。
  5. ^ 予備免許は新日本放送の方が早いが、こちらの本放送は正午から。
  6. ^ a b 『TBS50年史』各種資料(P54の記述・資料編掲載の年表・DVD-ROM『ハイブリッド検索編』ラジオ番組データベース収録『大相撲春場所実況』データカード)を参照。
  7. ^ 『東京放送のあゆみ』P500、『TBS50年史』(P54の記述・DVD-ROM『ハイブリッド検索編』ラジオ番組データベース収録『大相撲春場所実況』データカード内記述)を参照。
  8. ^ 同放送最初の番組は、「カラー日本めぐり」(午前11時15分からの30分番組)。
  9. ^ 小堀は当日7時から自身が担当する「小堀勝啓の新栄トークジャンボリー」があるが終了後駆けつけた。
  10. ^ 番組開始当初、東海地区に於いて民放テレビのスタジオ番組制作のカラー制作は、例がなかった。
  11. ^ 当時CBC社長を務めていた小嶋源作は、朝日放送が朝日新聞社からネットチェンジを迫られている今こそ、こちら(五社連盟)から朝日放送に対してテレビネットワークの打ち切りを通告すべきと考えていたという。(小嶋源作「CBCとともに」より)
  12. ^ 当時は三重県桑名郡長島町
  13. ^ 郵便番号が7桁化される前は大口事業所個別番号として「〒460-05」を使用していた。
  14. ^ 「CBC LOVEARTH」→ローソンとなっているスペースは、かつて「レインボースタジオ」というラジオのワイド番組用のオープンスタジオがあった場所で、殆どの生番組はここから放送していた。なお、これとは別に「フロントスタジオ」というテレビ用オープンスタジオもあり、『ぱろぱろエブリデイ』『ミックスパイください』『CBCニュースワイド』等の番組がここから放送されていたが、こちらは「CBCスタジオギャラリー」に改装されて絵画などの展示スペースとなっている。
  15. ^ エスカにはかつて『エスカスタジオ』というCBCラジオのサテライトスタジオがあり、平日16時台に公開リクエスト番組『ゴーゴージュークボックス』の生放送が行われていた。
  16. ^ 3月31日までは東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に対応するため、radikoのエリア規制が解除され、先に本格サービスを開始した関東・関西の13局とともに全国で聴取可能である。
  17. ^ JOGXのサインは1958年に当局と同じJNN系列の西部毎日テレビジョンに割り当てられていたが、開局前にラジオ九州と合併しRKB毎日放送関門テレビジョン(JOFO-TV。アナログ放送終了に伴いAMラジオのサインのみ存続)となったため、使用されていなかった。
  18. ^ テレビ朝日テレビ朝日ホールディングス)と同日に移行。
  19. ^ 読売新聞は1975年、中部読売新聞(現:読売新聞中部支社)として名古屋に進出した。また中日新聞は1956年、東京中日新聞(現:東京中日スポーツ)として東京に進出して、1963年には東京新聞の発行元である東京新聞社の経営に参加。1967年に東京新聞の編集・発行に関する一切の事業を中日新聞社に譲り受けた。
  20. ^ 『東海の虹』はCBCの社歌のタイトルでもある。かつて使用されていたラジオの『レインボースタジオ』の名称も『東海の虹』に由来している。ちなみにラジオカーの愛称も『レインボーカー』であるが、こちらは一般公募によって命名されたものである。
  21. ^ 土地はCBCの所有。[28]
  22. ^ 当時の中部日本放送代表取締役会長

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 第97期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書” (PDF). 中部日本放送株式会社 (2023年6月29日). 2024年1月15日閲覧。
  2. ^ a b 中部日本放送株式会社 定款 第1章第1条
  3. ^ 今日を超える明日を創るために(中部日本放送代表取締役社長・大石幼一あいさつ)”. 中部日本放送 公式サイト. 中部日本放送株式会社. 2014年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月2日閲覧。
  4. ^ 「アメリカの不幸な現実」中絶問題で医療現場に葛藤 “中絶ピル”は解決策になるか | TBS NEWS DIG (2ページ)”. TBS NEWS DIG. 2023年12月2日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j 1961、「中部日本放送 年表」、『民間放送十年史』、日本民間放送連盟 ASIN B000JAKH9A p. 465
  6. ^ RadiChubu 【コラム】民放ラジオ番組の変遷(1)”. RadiChubu. radiko.jp (2017年4月16日). 2017年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月17日閲覧。
  7. ^ a b c d 沿革 | 中部日本放送株式会社”. 中部日本放送株式会社. 2023年11月25日閲覧。
  8. ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、135頁。 
  9. ^ 大村亨『「ビートルズ」と日本 熱狂の記録 -新聞、テレビ、週刊誌、ラジオが伝えた「ビートルズ現象」のすべて-』シンコーミュージック・エンタテイメント、2016年、219頁。ISBN 978-4-401-64281-6 
  10. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'72』日本放送出版協会、1972年、41頁。 
  11. ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、183頁。 
  12. ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、216-217頁。 
  13. ^ 「放送日誌(54年8月)」『月刊民放』1979年11月号、日本民間放送連盟、54頁。 
  14. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'80』日本放送出版協会、1980年、31頁。 
  15. ^ 『ラジコ、東海でも配信開始』「中日新聞」朝刊15面(芸能面)2011年2月21日より。
  16. ^ 中部日本放送株式会社所属放送局の識別信号(呼出符号)の変更』(プレスリリース)総務省東海総合通信局、2013年3月29日https://www.soumu.go.jp/soutsu/tokai/kohosiryo/25/0329-2.html2013年3月29日閲覧 
  17. ^ 認定放送持株会社体制への移行並びに吸収分割契約の締結及び子会社(分割準備会社)の設立に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)中部日本放送株式会社、2013年5月10日http://hicbc.com/whatscbc/ir/library/release/pdf/130510_kogaisha.pdf2013年5月11日閲覧 
  18. ^ 「放送技術 2017年9月号」兼六館出版、2017年9月1日発行、77-84頁。
  19. ^ 株式会社ケイマックスの株式取得(子会社化)に関する株式譲渡契約書締結についてのお知らせ』(PDF)(プレスリリース)中部日本放送株式会社、2020年10月15日https://hicbc.com/corporation/ir/library/release/pdf/20201015_subsidiary.pdf2020年10月15日閲覧 
  20. ^ a b 連結子会社の異動(株式譲渡)に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)中部日本放送株式会社、2022年6月29日https://hicbc.com/corporation/ir/library/release/pdf/20220629_subsidiary.pdf2023年12月7日閲覧 
  21. ^ 石井清司 1998, p. 198.
  22. ^ a b 【放送事故伝説】放送局で大火災発生! 番組中断の大事故”. リアルライブ. リアルライブ (2021年7月8日). 2021年7月8日閲覧。
  23. ^ 岡村黎明『テレビは変わる』(岩波ジュニア新書、1979年)
  24. ^ 東海の虹 : 中部日本放送十年史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  25. ^ hicbc.com:What's CBC | 中部日本放送 大石社長年頭記者会見』(プレスリリース)中部日本放送株式会社。オリジナルの2013年2月21日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20130221071751/http://hicbc.com/whatscbc/press/130122_interview/index.htm2013年1月22日閲覧 
  26. ^ 放送ビルの増築により放送継続日数を2.1日から5.58日へ” (PDF). 内閣官房. 2023年7月21日閲覧。
  27. ^ “「天才クイズ」など収録の会館、改修へ 名古屋のCBC”. 朝日新聞. (2018年3月29日). オリジナルの2018年3月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180329121534/https://www.asahi.com/articles/ASL3W5H5KL3WOIPE01W.html?iref=pc_ss_date 2018年4月11日閲覧。 
  28. ^ 会社案内”. 千代田会館. 株式会社千代田会館. 2023年12月5日閲覧。
  29. ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、185頁。 
  30. ^ 会社概況 グループ企業紹介”. 中部日本放送. 2023年4月1日閲覧。
  31. ^ 中部日本放送株式会社 (情報・通信業) - 有価証券報告書を閲覧・検索するなら有報リーダー”. 有報リーダー. Lafla. 2017年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月8日閲覧。
  32. ^ 総務省 電波利用ホームページ”. 総務省. 2015年10月11日閲覧。
  33. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、216頁。 
  34. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、337頁。 
  35. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、337-338頁。 
  36. ^ 中部日本放送株式会社『第97期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書 株式等の状況』(レポート)2023年6月29日。 

参考文献

[編集]
  • 岡村黎明『テレビは変わる』岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、1979年。 
  • 石井清司『日本の放送をつくった男 フランク馬場物語』毎日新聞社、1998年(原著1998年10月30日)、198頁。ISBN 4-620-31247-9 

関連項目

[編集]
上記2社は共にCBCと同じく中日新聞が親会社。

外部リンク

[編集]