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佐渡流人行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐渡流人行
作者 松本清張
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出オール讀物1957年1月
出版元 文藝春秋新社
刊本情報
収録 『佐渡流人行』
出版元 新潮社
出版年月日 1957年2月28日
装幀 杉本健吉
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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佐渡流人行』(さどるにんこう)は、松本清張短編小説。『オール讀物1957年1月号に掲載され、同年2月に短編集『佐渡流人行』収録の表題作として、新潮社より刊行された。

あらすじ

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佐渡支配組頭を命ぜられた寺社奉行吟味取締役の横内利右衛門は、下役の黒塚喜介を金山方広間役にして、佐渡に連れていくことにした。横内から金山の水替人足の補充の話を聞いているうちに喜介は、出牢早々の弥十を佐渡送りにすることを思いあたる。喜介の弥十への憎しみは、横内の仲人により喜介がくみを妻にした三年前に始まった。弥十の紹介の場で、妻が慄えているのを見た喜介は、くみと弥十の間の過去を察し憎悪を覚えた。弥十が無頼の仲間にはいっていることを聞いた喜介は、与力の一人を金で誘い、弥十を入牢させた。

喜介は佐渡から出張してきた地役人の占部三十郎を、江戸での出世を餌で釣って握った上で、くみを伴って佐渡に着任、くみの目と鼻の先で弥十を心いくまで弄ろうと考える。十日後に横内も到着、三十郎によって弥十はたびたび落盤する間歩へと送られ、他の流人たちとの強訴の話が伝わると、弥十は敷内追い込みに処される。敷内追い込みの水替人足が遁走した夜、いよいよ始末つけようと、廃坑の入口へと弥十を連行した喜介だったが、喜介の足は急に止まる。

エピソード

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  • 著者は1963年に「『佐渡流人行』は、上石神井の新居に越してからまもなく書いた。このときは流人の水替作業の実際がわからず、やはり現地に行ってみなければと思って佐渡の相川まで渡った」「佐渡から帰っても、今度はもっと関連文献を読みたいと思ったが、適当なものはなかった。たまたま麓三郎氏の『佐渡金銀山史話』が出版されたのを知って、さっそく読んで、大いに助かった。それで、世田谷の奥に著者麓氏をたずね、さらに氏の話を聞いたりした」と記している[1]
  • 小説家の阿刀田高は、本作を契機に著者が連作集『無宿人別帳』の連載に進んだと推測している[2]
  • 1963年公開の映画『無宿人別帳』では、本小説の登場人物および設定の一部が、小国英雄による脚色の上で使用された[3]
  • 推理作家の有栖川有栖は、本作の最後の一行について「清張作品で一番好きなエンディング」と述べている[4]

脚注

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出典

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  1. ^ 『松本清張短編全集』3(1964年、カッパ・ノベルス)巻末の著者による「あとがき」参照。
  2. ^ 阿刀田高と山本一力による対談「清張さんの横顔」(『松本清張研究 第7号』(2006年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  3. ^ 【作品データベース】無宿人別帳”. 松竹. 2023年6月18日閲覧。
  4. ^ 北村薫と有栖川有栖による対談「清張の<傑作短編>ベスト12」(『オール讀物』2023年6月号掲載)参照。