日光中宮祠事件 (松本清張)
日光中宮祠事件 | |
---|---|
作者 | 松本清張 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 短編小説 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
初出情報 | |
初出 | 『週刊朝日』別冊新緑特別読物号(1958年4月) |
出版元 | 朝日新聞社 |
刊本情報 | |
収録 | 『黒地の絵』 |
出版元 | 光文社 |
出版年月日 | 1958年6月1日 |
装幀 | 伊藤明 |
ウィキポータル 文学 ポータル 書物 |
『日光中宮祠事件』(にっこうちゅうぐうしじけん)は、松本清張の短編小説。1958年4月『週刊朝日』別冊新緑特別読物号に掲載され、同年6月に短編集『黒地の絵』収録の一作として、光文社から刊行された。
1959年にテレビドラマ化されている。
あらすじ
[編集]岡本綺堂『半七捕物帳』の愛読者である私は、雑誌『捜査研究』に掲載された日光市の一家無理心中事件の小さな紹介に興味を持ち、東京近県の県警察本部刑事部長のK氏とその部下の吉田警部に古い料亭で会い、長い話を聞きはじめる。
1955年の夏、三人組の強盗傷害事件が発生し、久喜警察署の捜査本部で事件に従事、主犯の新井志郎を調べるうちに、続々と未解決事件を自供する。するとある日、犯行記事を見た日光市の隆円寺の住職・加島竜玄が駆けつけ、1946年5月4日に起きた親戚の無理心中事件と手口が似ているので、取り調べてもらいたいと云う。日光市中宮祠の飲食店兼旅館業の芦尾厳市が、家族五人を殺し家に放火して無理心中したとされるこの事件は、町の人も殺人放火だと噂したくらいであるが、住職自ら資料を集め地検あてに嘆願書を出したものの、捜査のやり直しはされなかった。当時所轄の日光警察署は芦尾厳市による一家心中事件と断定していたが、加島竜玄の申告にもっともなところがあると思ったK捜査一課長(当時)は、検察庁や地検から事件記録をとりよせて目を通し、警察署の捜査が最初から一家無理心中と規定し、面子の上から最初の方針に固執、違背するデータが外されているとの感を抱く。新井志郎に尋問すると、自分と金子という朝鮮人の共犯と述べるが、供述にあいまいで不審な点が多かったため、K捜査一課長、吉田警部補(当時)および福島孝平刑事は、事件の再捜査に乗り出す。
エピソード
[編集]- 著者は「一刑事が犯人を探し回って追及する姿がある警察雑誌に出ていたので[1]、もっと詳しい関係書類を見たいと思い、当時の栃木県警察部長だった人を転任先の埼玉県警本部に訪ね、書類の一切を貸してもらった。これも、ほとんど記録通りに書いたが、話を聞いた場所の浦和の料亭の冬枯れた池の色がまだ眼に残っている」と記している[2]。
- 本小説では、被害者側の設定は実際の事件と異なっているが、犯人とされる在日朝鮮人は実名入りで書かれている。南富鎭は、本作は清張の小説名が事件の通称名になっているほど、清張の文学作品が実際の事件の枠組みを作ったといえると述べている[3]。
テレビドラマ
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
1959年12月8日、NETテレビの「サスペンスタイム」枠(20:00 - 21:00)にて放映。
- キャスト
- スタッフ
- 脚色:岡田達門
脚注・出典
[編集]- ^ 『捜査研究』71号(1957年10月発行)に掲載された神山武則「事件の解剖 一家心中として処理した強殺放火事件の捜査」を指す。
- ^ 『松本清張全集 第37巻』(1973年、文藝春秋)巻末の著者による「あとがき」参照。
- ^ 南富鎭「法と歴史と真実というフィクション : 松本清張「日光中宮祠事件」『小説帝銀事件』『黒い福音』を視座にして」『翻訳の文化/文化の翻訳』第8巻、静岡大学人文社会科学部翻訳文化研究会、2013年3月、23-49頁、doi:10.14945/00007318、hdl:10297/7318、CRID 1390290699780561152、2023年4月24日閲覧。また南富鎭『松本清張の葉脈』(2017年、春風社)中の「第五章 フィクション・ノンフィクション・真実」参照。