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利用者:ネイ/貴族

1801年以降に叙爵されたアイルランド貴族

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1707年にグレートブリテン王国が成立した後、スコットランド貴族は創設されなくなった[1]。しかし、1801年にグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立した後、アイルランド貴族の創設は1800年合同法に基づき、引き続き行われた[1]

連合王国期のアイルランド貴族叙爵は合同法第4条により制限されている[2]。新しい叙爵は3つの爵位廃絶を必要とするが、爵位の昇叙は制限されていない[2]

  • ただし、アイルランド貴族の人数を増やす可能性のある叙爵のみ「新しい叙爵」として扱う。
    • たとえば、1816年に初代エニスモア=リストーエル子爵がリストーエル伯爵に叙されたときは2つの爵位を継承できる人物が同じため、新しい叙爵として扱われない。
    • 1827年に初代ノーベリー男爵がノーベリー伯爵に叙されたときはノーベリー伯爵位に特別残余権が規定され、同様の規定がノーベリー男爵位にないため新しい叙爵として扱われた。
  • 爵位廃絶はアイルランド貴族の人数を減らすもの、かつ爵位が合同以前に創設されたもののみカウントされる。
    • 1825年のブルームフィールド男爵位創設でロスコモン伯爵位が廃絶されたものとして扱われたが、実際には休止状態で1828年に継承者が確定したため、無効として扱われ、次の新しい叙爵である1831年のギラモア子爵位創設ではそれを補う4つ目の廃絶が必要だった[3]
    • 1827年のノーベリー伯爵位創設ではニューコメン男爵位の廃絶が根拠とされたが、これはニューコメン子爵が合同以降に創設された爵位だったため[3]
    • 1855年のファーモイ男爵位創設でマウントラス伯爵位の廃絶(1802年)が根拠とされたが、1802年時点で従属爵位であるキャッスル・クート男爵位が存続したため、貴族の人数が減ってないとして貴族院で無効とされた[4](キャッスル・クート男爵位は1827年に廃絶し、1831年のギラモア子爵位創設で根拠として使用済み)。これにより1856年にファーモイ男爵位の特許状が再び発行され、マウントラス伯爵位の代わりにオニール子爵位(1855年廃絶)が根拠とされた[4]
    • 王位に統合された爵位も貴族の人数を減らすものとしてカウントされる。1836年のオランモア=ブラウン男爵位創設でマンスター伯爵位(1830年、王位に統合)が根拠とされたことで確定した[3]
  • グレートブリテン貴族爵位、連合王国貴族爵位を所有しないアイルランド貴族が100人まで減ると、それ以降は1つの爵位廃絶で新しい叙爵ができる[5]
    • 貴族院に世襲できる議席を有しないアイルランド貴族の人数が少なくなりすぎないようにする措置だったが、ジョージ・エドワード・コケインは制度の穴として「イングランド貴族爵位を所有するアイルランド貴族」が除外されていないことを指摘した[5]。そのように除外された場合、1887年時点の人数は88人となる[6]

1875年に第14代インチクィン男爵エドワード・オブライエンがアイルランド貴族法案を提出して、上記のアイルランド貴族爵位創設権を廃止しようとした[6]。この法案は貴族院で可決され、1876年5月9日に庶民院に回付されたが、会期の終了とともに廃案となった[6]

下記の一覧において、叙爵日付、爵位名、叙爵を受けた人物の出典はSainty, John Christopher (2008). Peerage Creations: Chronological Lists of Creations in the Peerages of England and Great Britain 1649–1800 and of Ireland 1603–1898 (英語). The Parliamentary History Yearbook Trust. pp. 132–137. ISBN 978-1-4051-8043-6

日付 爵位 人物 創設根拠 備考
1801年1月1日 イーリー侯爵 初代イーリー伯爵チャールズ・ロフタス 昇叙
1801年1月1日 カリドン伯爵 初代カリドン子爵ジェームズ・アレグザンダー 昇叙
1801年1月1日 エイヴォンモア子爵 初代イェルヴァートン男爵バリー・イェルヴァートン 昇叙
1801年1月2日 ケンメア伯爵 初代ケンメア子爵ヴァレンタイン・ブラウン 昇叙
1801年1月2日 ロングヴィル子爵 初代ロングヴィル男爵リチャード・ロングフィールド 昇叙
1801年1月3日 バントリー子爵 初代バントリー男爵リチャード・ホワイト 昇叙
1801年1月5日 マンク子爵 初代マンク男爵チャールズ・マンク 昇叙
1801年1月6日 ダンロー子爵 初代キルコンネル男爵ウィリアム・トレンチ 昇叙
1801年1月7日 チャールヴィル子爵 初代タラモア男爵チャールズ・ベリー 昇叙
1801年1月8日 キルウォーデン子爵 初代キルウォーデン男爵アーサー・ウルフ 昇叙
1803年1月20日 リムリック伯爵 初代リムリック子爵エドモンド・ペリー 昇叙[7]
1803年1月20日 クランカーティ伯爵 初代ダンロー子爵ウィリアム・トレンチ 昇叙[7]
1803年2月11日 ニューコメン女子爵 初代ニューコメン女男爵シャーロット・グリードウ=ニューコメン 昇叙[7]
1806年2月1日 ゴスフォード伯爵 第2代ゴスフォード子爵アーサー・アチソン 昇叙[7]
1806年2月3日 ロス伯爵 初代オクスマントン子爵ローレンス・パーソンズ 昇叙[7]
1806年2月4日 ノーマントン伯爵 初代サマートン子爵チャールズ・エイガー 昇叙[7]
1806年2月5日 チャールヴィル伯爵 初代チャールヴィル子爵チャールズ・ベリー 昇叙[7]
1806年2月13日 テンプルトン子爵 第2代テンプルトン男爵ジョン・アップトン 昇叙[7]
1806年2月25日 レンドルシャム男爵 ピーター・テルソン ベートマン子爵ロス伯爵ホームズ男爵の廃絶[8][9]
1806年5月24日 リズモア子爵 第2代リズモア男爵コーネリアス・オキャラハン 昇叙[7]
1806年5月28日 ロートン子爵 初代エリス男爵ロバート・キング 昇叙[7]
1810年5月18日 キルタートン男爵 ジョン・プレンダーガスト=スミス マカートニー伯爵ラヴィントン男爵ペンリン男爵の廃絶[3][10]
1812年12月21日 カースルメイン男爵 ウィリアム・ハンドコック ペリー子爵ミルトン男爵デラヴァル男爵の廃絶[3][11]
1812年12月22日 デシーズ男爵 ウィリアム・ベレスフォード閣下 レカール男爵ファーマナ男爵ロングヴィル子爵の廃絶[3][12]
1816年1月12日 オーモンド侯爵 第18代オーモンド伯爵ウォルター・バトラー 昇叙[7]
1816年1月12日 ブレッシントン伯爵 第2代マウントジョイ子爵チャールズ・ガーディナー 昇叙[7]
1816年1月12日 フランクフォート・ド・モンモランシー子爵 初代フランクフォート男爵ロッジ・ド・モンモランシー 昇叙[13]
1816年1月13日 ロンドンデリー侯爵 初代ロンドンデリー伯爵ロバート・ステュアート 昇叙[7]
1816年1月13日 バントリー伯爵 初代バントリー子爵リチャード・ホワイト 昇叙[7]
1816年1月15日 カニンガム侯爵 初代カニンガム伯爵ヘンリー・カニンガム 昇叙[7]
1816年1月15日 グレンゴール伯爵 第10代ケア男爵リチャード・バトラー 昇叙[7]
1816年1月15日 エニスモア=リストーエル子爵 初代エニスモア男爵ウィリアム・ヘア 昇叙[13]
1816年1月16日 シェフィールド伯爵 初代シェフィールド男爵ジョン・ホルロイド 昇叙[7]
1816年1月16日 ゴート子爵 初代キルタートン男爵ジョン・プレンダーガスト=スミス 昇叙[13]
1816年2月3日 マウント・アール子爵 初代アデア男爵ヴァレンタイン・クィン 昇叙[13]
1819年1月30日 ガーヴァー男爵 ジョージ・カニング ベルヴェディア伯爵ハウ子爵カラン男爵の廃絶[3][14]
1819年10月19日 ハウデン男爵 ジョン・クラドック カレン子爵アッパー・オソリー伯爵サンダーリン男爵の廃絶[3][15]
1822年1月12日 ウェストミーズ侯爵 第8代ウェストミーズ伯爵ジョージ・ニュージェント 昇叙[13]
1822年1月12日 ラスダウン伯爵 第2代マンク子爵ヘンリー・マンク 昇叙[13]
1822年1月12日 カースルメイン子爵 初代カースルメイン男爵ウィリアム・ハンドコック 昇叙 男爵位と違い、特別残余権なし[3]
1822年2月5日 リストーエル伯爵 初代エニスモア=リストーエル子爵ウィリアム・ヘア 昇叙[13]
1822年2月5日 ダンレイヴン=マウント・アール伯爵 初代マウント・アール子爵ヴァレンタイン・クィン 昇叙[13]
1822年2月5日 キルモリー伯爵 第12代キルモリー子爵フランシス・ニーダム 昇叙[13]
1822年12月10日 ダウンズ男爵 ウィリアム・ダウンズ ダブリン伯爵ティローリー男爵タラ男爵の廃絶[3][16]
1825年5月14日 ブルームフィールド男爵 ベンジャミン・ブルームフィールド ロスコモン伯爵バークリー子爵グレンバーヴィー男爵の廃絶[3][17] 廃絶爵位のうちロスコモン伯爵は1828年に復活[3][17]
1825年10月5日 オーモンド侯爵 第19代オーモンド伯爵ジェームズ・バトラー 昇叙[13]
1825年11月26日 クランリカード侯爵 第14代クランリカード伯爵ユリック・ド・バーグ 昇叙[13]
1826年6月27日 フィッツジェラルド=ヴィージー女男爵 キャサリン・フィッツジェラルド アードリー男爵ミルフォード男爵コルレーン男爵の廃絶[3][18]
1827年6月23日 ノーベリー伯爵 初代ノーベリー男爵ジョン・トラー ニューコメン男爵ウィットワース男爵カールトン子爵の廃絶[3][19] 特別残余権つきのため新規扱い[19]
1831年1月6日 ギラモア子爵 スタンディッシュ・オグレイディ アルスター伯爵キャッスル・クート男爵バリーモア伯爵カーハンプトン伯爵の廃絶[3][20] 廃絶爵位のロスコモン伯爵が復活したため4件[3][20]
1831年5月28日 マラハイドのタルボット女男爵 マーガレット・タルボット マウントジョイ子爵クラーモント子爵キルウォーデン子爵の廃絶[3]
1831年9月14日 ランファーリー伯爵 第2代ノースランド子爵トマス・ノックス 昇叙[13]
1834年6月13日 カリュー男爵 ロバート・カリュー ブランデン男爵フィッツウィリアム子爵ランダフ伯爵の廃絶[3][21]
1836年5月4日 オランモア=ブラウン男爵 ドミニク・ブラウン マンスター伯爵バーンウォール子爵コノート伯爵の廃絶[3][22]
1845年6月3日 ダンサンドル=クランコナル男爵 ジェームズ・デイリー セント・ヘレンズ男爵ラッドロー伯爵アスローン伯爵の廃絶[7]
1848年7月10日 ベリュー男爵 パトリック・ベリュー ハートランド男爵アレン子爵マウント・サンドフォード男爵の廃絶[7][23]
1852年2月11日 クラーモント男爵 トマス・フォーテスキュー ランクリフ男爵ニュージェント男爵ロスコモン伯爵の廃絶[7][24]
1855年5月14日 ファーモイ男爵 エドモンド・ロッシュ ティアコネル伯爵メルバーン子爵マウントラス伯爵の廃絶[4] 貴族院で「貴族代表議員選挙の投票権なし」判決[4]
1856年9月10日 ファーモイ男爵 エドモンド・ロッシュ ティアコネル伯爵メルバーン子爵オニール子爵の廃絶[4]
1863年12月14日 アスラムニー男爵 第5代準男爵サー・ウィリアム・サマーヴィル ケア男爵リヴァーズデイル男爵ダンガノン子爵の廃絶[7]
1868年8月10日 アバコーン公爵 第2代アバコーン侯爵ジェームズ・ハミルトン 昇叙[5] アイルランド貴族爵位のストラバン子爵を所有のため[5]
1868年12月21日 ラスドネル男爵 ジョン・マクリントック クレア伯爵パーマストン子爵キース男爵の廃絶[7][25]
1898年11月11日 ケドルストンのカーゾン男爵 ジョージ・カーゾン アイルランド貴族の人数が100人未満[26]

Lord Chamberlain一覧

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Lord Chamberlainの訳語には宮内長官[27][28]、宮内大臣[29]、内大臣[30]、侍従長[31]、王室長官[32]、チェンバレン卿[33]、チャンーバーレイン卿[34]がある。

出典

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  1. ^ a b Cokayne 1888, p. 1.
  2. ^ a b Cokayne 1888, p. 2.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Cokayne 1888, p. 148.
  4. ^ a b c d e Cokayne 1888, p. 4.
  5. ^ a b c d Cokayne 1888, p. 6.
  6. ^ a b c Cokayne 1888, p. 7.
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v Cokayne 1888, p. 149.
  8. ^ Cokayne 1888, p. 147.
  9. ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 765–766.
  10. ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 28.
  11. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 934.
  12. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 111.
  13. ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne 1888, p. 150.
  14. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 624–625.
  15. ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 594.
  16. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 455–456.
  17. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 194.
  18. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 406.
  19. ^ a b Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1936). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Moels to Nuneham) (英語). Vol. 9 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 565–567.
  20. ^ a b Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 219.
  21. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 21–22.
  22. ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 75.
  23. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 103–104.
  24. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 278.
  25. ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 741.
  26. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 536–537.
  27. ^ LordChamberlainoftheHousehold」『プログレッシブ英和中辞典』小学館https://kotobank.jp/word/LordChamberlainoftheHouseholdコトバンクより2024年11月3日閲覧 
  28. ^ 君塚, 直隆『イギリスの歴史』河出書房新社、2022年3月。ISBN 978-4-309-22848-8 
  29. ^ 宮内大臣一座」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』https://kotobank.jp/word/%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%A4%A7%E8%87%A3%E4%B8%80%E5%BA%A7コトバンクより2024年11月3日閲覧 
  30. ^ 内大臣一座」『世界大百科事典(旧版)』平凡社https://kotobank.jp/word/%E5%86%85%E5%A4%A7%E8%87%A3%E4%B8%80%E5%BA%A7コトバンクより2024年11月3日閲覧 
  31. ^ 笹山隆「ジョンソン」『改訂新版 世界大百科事典』平凡社https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3コトバンクより2024年11月3日閲覧 
  32. ^ 佐藤, 伴近「イギリスにおける演劇のポピュラー化:19世紀後半のツアー劇団の活動とその位置づけ」『社会志林』第58巻第4号、法政大学社会学部学会、2012年3月、66頁、hdl:0114/7341 
  33. ^ エリザベス英女王、対面での公務に復帰 フィリップ殿下死去後初めて」『BBCニュース』2021年4月14日。2024年11月3日閲覧。
  34. ^ 吉村, いづみ「イギリス映画の統制――映画法(1909年)の背景と、関連する様々な規制・法令について――」『名古屋文化短期大学研究紀要』第38巻、名古屋文化短期大学、2013年3月、2頁、CRID 1390001205323099648doi:10.20582/nfcc.38.0_1 

参考文献

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