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利用者:Cyclops/特別書庫-4


多賀町
地名との関係も深い、多賀大社(拝殿
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 滋賀県
犬上郡
市町村コード 25443-6
面積 135.77km2
総人口 7,059[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 52人/km2
隣接自治体 米原市彦根市甲良町愛荘町東近江市
岐阜県大垣市
三重県いなべ市
町の木 スギ [1]
町の花 ささゆり [1]
町の鳥 ウグイス [1]
多賀町役場
町長 久保久良
所在地 522-0341
滋賀県犬上郡多賀町多賀324
外部リンク 公式ウェブサイト

Cyclops/特別書庫-4位置図

― 市 / ― 町・村

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多賀町(たがちょう)は、日本近畿地方北東部に位置し、滋賀県犬上郡に属する

古代から近世にかけて犬上君(犬上氏)および多賀氏が勢力範囲あるいは本拠としてきた地域であり、古今を通じ、イザナギイザナミの2大神を祀る多賀大社を中核として発展してきた。

地理[編集]

町の標高は東に高く、西に低い。町東部は南北に走る鈴鹿山脈の西麓にあたり、東麓側にある三重県いなべ市(旧員弁郡地域)、および、岐阜県大垣市(旧養老郡上石津町地域)と県境を接する。主な山としては霊仙山や三国岳などが挙げられる。鈴鹿山脈一帯は過疎化が進んでおり、特に旧芹谷村・脇ヶ畑村地域の集落は多くが廃村となっている。町西部は湖東平野の一部をなしており、町の行政・産業の中心地である。

町域の北部寄りを流れる芹川は、霊仙山に発して西進し、彦根市域に入ったのち、琵琶湖に流入する。南部を流れる犬上川は、鈴鹿山脈に発した北谷川と南谷川が大字川相(かわない)で合流し、犬上川となって西進。多賀町域から甲良町域・彦根市域を経て琵琶湖に達している。

位置[編集]

  • 東端 :北緯35度12分13.8秒 東経136度25分4.4秒(鞍掛峠付近)。
cf. 国土地理院の地図閲覧サービスによる、この位置へのリンク(以下同様)[4]
  • 北端 :北緯35度17分15.5秒 東経136度22分38.2秒(霊仙山山腹)。[5]
  • 西端 :北緯35度13分42.1秒 東経136度15分27.6秒(猿木地区西端、犬上川河畔)。[6]
  • 南端 :北緯35度7分52.1秒 東経136度21分16.8秒(犬上川上流、南谷付近)。[7]

主要な地形[編集]

山地 [2]

渓谷地形等
  • 芹川沿い - 白谷、アサハギ谷、権現谷、河内風穴、行者の谷、大洞谷、エチガ谷、屏風岩
  • 犬上川沿い - 北谷(きたや)、板ヶ谷、南谷(みなみだに)、大蛇の淵
平地
水域
  • 芹川(別名 善利川。淀川水系一級河川、総延長約21km。主な支川:水谷川〈すいだにがわ〉、高松川、四手川〈しでがわ〉)
  • 犬上川淀川水系一級河川、総延長約25km。主な支川:北谷川〈きたやがわ〉、大杉川、南谷川〈みなみだにがわ〉)
  • 芹川ダム(別名 一円ダム[15])、四手川ダム[16]、高宮池[17]、大門池[18]犬上ダム[19]

気候[編集]

多賀町が属する犬上郡の気象データは観測されておらず、地域は彦根地方気象台管轄区域に属しているため、西隣りにある彦根市のデータが最も近い。よって、「彦根市#気候」を参照のこと。

生物相[編集]

広域地域区分[編集]

cf. 近畿地方および滋賀県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ 近畿地方”. 気象予報区区分表(ウェブサイト). 個人. 2012年11月30日閲覧。:近畿地方における多賀町の位置、滋賀県北部における多賀町の位置、湖東に属する多賀町、などが参照要素。

隣接する自治体[編集]

多賀町内の地域[編集]

集落は全て大字であるが(例:多賀町大字多賀)、通常的に省略される(例:多賀町多賀)。

中心地[編集]

  • 行政上の中心地 :多賀町多賀324番地。
  • 経済的中心地 :多賀町多賀。

消滅集落と限界集落[編集]

  • 消滅集落(廃村) :五僧集落 (1965)、向之倉集落 (S40s)、保月集落 (1976, 2005)、杉集落 (1976)、今畑集落 (1979)、落合集落、桃原(もばら)集落。
  • 限界集落 :後谷集落、入谷集落(冬季無人集落)、屏風集落(冬季無人集落)、甲頭倉集落。

現存集落[編集]

  • 一円いちえん
  • 一之瀬いちのせ
  • 後谷うしろだに
  • 大岡おおおか
  • 大杉おおすぎ
  • 大君ケ畑おじがはた
  • 萱原かいはら
  • 河内かわち
  • 川相かわない
  • 木曽きそ
  • 久徳きゅうとく
  • 栗栖くるす
  • 甲頭倉こうずくら
  • 五僧ごそう
  • 小原こはら
  • 佐目さめ
  • 猿木さるぎ
  • 四手しで
  • 霜ケ原しもがはら
  • 水谷すいだに
  • すぎ
  • 多賀たが
  • 月之木つきのき
  • 土田つちだ
  • つぼ
  • 富之尾とみのお
  • 中川原なかがわら
  • 楢崎ならさき
  • 入谷にゅうだに
  • 樋田ひだ
  • 屏風びょうぶ
  • 敏満寺びんまんじ
  • 藤瀬ふじせ
  • 保月ほうづき
  • 仏ケ後ほとけら
  • 南後谷みなみうしろだに
  • 向之倉むかいのくら
  • 八重練やえねり
  • 霊仙りょうぜん


歴史[編集]

『木曽海道六拾九次之内 高宮』
天保6- 8年(1835-1837年)頃、歌川広重 [* 1]
新暦導入以前(1872年以前)の日付和暦による旧暦を主とし、丸括弧内に西暦1581年以前はユリウス暦1582年以降はグレゴリオ暦)を添える。「同年4月(4月)」は「旧暦4月(新暦4月)」の意、「同年4月(4月か5月)」とあれば「旧暦4月(新暦では5月の可能性もあり)」の意。

地名の由来[編集]

一説に、古代には「タカ」と呼ばれていたと推測され、古文書に「多可」の名が認められる旧・多賀地域、多賀の(現・多賀大社)を中心として形成された門前町(古代においてはその前身となる集落)が、地域全体の中核をなしていることは、今日に至るまでの全ての時代を通じて変わりない。 古代の「タカ」は神(当地域ではイザナミイザナミ)の坐所としての「」を意味していたと推測されており、後世の「多賀」は異称として生じたものと考えられる。 また、江戸時代には中山道高宮宿として栄え、現在は彦根市に属している高宮町(たかみや ちょう)は、今も残る多賀大社参詣道の外郭に位置する地域であり、「タカミヤ」から発した関連地名の一つである。

多賀氏[編集]

多賀氏は、古代より多賀地方および近接の甲良地方に土着の豪族であり、多賀社を氏神にしていたと考えられる。しかし、家系図の上では公家中原氏と結び付けられ、天武天皇皇子舎人親王の末裔である中原真人長谷に始まる江州中原氏が、多賀社の神官を務め、多賀氏を名乗ったのが始まりであるとされている(旧説では、江州中原氏は崇峻天皇皇子・定世親王の後裔と見なされていたが、今では仮冒[他人の名を語る偽称]と判じられている)。いずれにしても、多賀氏は鎌倉初期から中期にかけて多賀と甲良に勢力を張る氏族であり、室町時代には犬上郡および坂田郡にて同族間で争いながらも隆盛であった。戦国期には、甲良の下之郷城に居城した多賀高忠を始めとする幾人かの著名な武将の名が見え、織田政権下・豊臣政権下でも為政者に直仕する、堀氏と縁戚関係になるなどして有利に活動していたが、関ヶ原の戦いの際、敗軍となる石田三成方についたことが禍し、戦後、所領を没収されて没落した。

年表[編集]

有史以前[編集]

近世以前[編集]

古代・中世[編集]
奈良時代[編集]
平安時代[編集]
  • 天安2年(858年) :惟喬親王藤原良房の追討を逃れて京の都から逃れる際、犬上郡の鞍掛峠(現・多賀町大君ヶ畑〈おじがはた〉の鞍掛峠)にて馬のを外して休憩をとらせたと伝えられる(鞍掛峠および大君ヶ畑の地名由来)。
  • 延長5年(927年平安時代後期) :この年に編纂された『延喜式神名帳』に「近江国犬上郡 多何神社二座」とあり、後世の多賀神社(多賀大社)のことと考えられる。
鎌倉時代[編集]
室町時代[編集]
近世[編集]
安土桃山時代[編集]
江戸時代[編集]

近代以降[編集]

明治時代[編集]
明治改元後[編集]
日清戦争後[編集]
日露戦争後[編集]
大正時代[編集]
第一次世界大戦後[編集]
昭和時代[編集]
太平洋戦争前[編集]
  • 1941年昭和16年)11月3日 :多賀村・芹谷村・久徳村が新設合併し、多賀町が発足(第一次多賀町)。
太平洋戦争中[編集]
太平洋戦争後[編集]
  • 3月31日 :多賀町立犬上東中学校が廃校[13]
  • 4月1日 :多賀町・大滝村・脇ヶ畑村が合併し、現在の多賀町第二次多賀町)が発足。多賀町立多賀中学校(第一次多賀中)と芹谷分校・脇ヶ畑分校・佐目分校、多賀町立大滝中学校と大君ヶ畑分校が開校[13]
  • 4月1日 :多賀町立多賀中学校が芹谷分校を統合(第二次多賀中)[13]。私立きぬがさ保育園が町立に変わる[15]
  • 月日未確認 :多賀町で初の空中防除が実施される[15]
  • 1963年(昭和38年)4月1日 :多賀町立多賀中学校が佐目分校を統合(第三次多賀中)[13]
  • 1964年(昭和39年)4月12日東海道新幹線、および、名神高速道路が開通し、多賀サービスエリアが供用開始。
  • 1965年(昭和40年) :五僧集落が廃村
  • 1968年(昭和43年)4月1日 :多賀中学校と大滝中学校が統合され、新生の多賀町立多賀中学校(第四次多賀中)となる[13]
  • 1969年(昭和44年)4月1日 :多賀町立多賀中学校が脇ヶ畑分校を統合(第五次多賀中)[13]
  • 昭和40年代 :向之倉(むかいのくら)集落が廃村(かつては製炭業を営んでいたが、の需要減少に伴って過疎化が進み、昭和40年代に無人となり、廃村となった。
  • 1970年(昭和45年)9月1日 :多賀中学校統合校舎(管理、普通、特別教室)の竣工[13]
  • 1974年(昭和49年)
  • 1月24日 :町に1億円を寄付した土田栄太郎のために多賀町名誉町民条例が整えられ、多賀町名誉町民(第1号)の称号を贈る[16][15]
  • 4月1日 :犬上郡3町(多賀町、甲良町豊郷町)の委託により、彦根市消防署犬上分署が発足[12]
  • 月日未確認 :多賀工業団地にてキリンビールが主力生産拠点の一つとして滋賀工場を竣工・操業開始。
  • 月日未確認 :多賀町の消防事務を彦根市に委託[15]
  • 月日未確認 :芹川ダムを取り巻く鳥獣保護区指定の森林地帯が「野鳥の森(正式名称:滋賀県野鳥の森)」として整備され、開場する[15]
平成時代[編集]
  • 1991年平成3年) :多賀町四手にて、びわ湖東部中核工業団地の造成着工[20]
  • 1993年(平成5年)2月 :多賀町四手で行われていた造成工事の際、建設会社の現場作業員らが古琵琶湖層の粘土中から大型動物の骨格化石を発見し、間もなくアケボノゾウのほぼ完全な形の全身骨格化石と判明する[21]
  • 1994年(平成6年)3月28日 :彦根市消防署にて彦根・犬上緊急通報システムの運用開始[12]
  • 1995年(平成7年)
  • 12月 :閉鎖されたSLホテル多賀SLパーク」の客車が解体される。
  • 月日未確認 :多賀町教育委員会が楢崎古墳群の発掘調査を開始(1999年終了)し、その結果、61基の古墳が確認された[5]
  • 3月:犬上郡豊郷町にて中山投棄場(正式名称:彦根愛知犬上広域行政組合中山投棄場)の竣工。同年9月に供用開始。
  • 3月31日 :多賀町立佐目小学校の閉校[15]
  • 4月1日 :近江鉄道多賀線の多賀駅が多賀大社前駅に改称。
  • 月日未確認 :多賀町立図書館の開館[15]
  • 月日未確認 :あけぼのパーク多賀公園の開園[15]
  • 1999年(平成11年)11月 :びわ湖東部中核工業団地の竣工[20]
  • 2002年(平成14年)4月1日 :多賀町立多賀幼稚園の開園[13]
  • 2005年(平成17年)
  • 6月 :多賀第二工業団地の造成着工[32]
  • 10月1日 :子育て支援事業の一環として、乳幼児および小学生に加えて中学生の医療費(自己負担分)も無料化される[33]

行政区域の変遷(市町村制施行以後)[編集]

  • 1889年明治22年)4月1日町村制施行に伴い、犬上郡彦根町・北青柳村・青波村・福満村・千本村・磯田村・南青柳村・日夏村・川瀬村・安水村・高宮村多賀村・久徳村・芹谷村・大滝村・脇ヶ畑村・東甲良村・西甲良村・豊郷村が成立。
  • 1937年昭和12年)2月11日 :犬上郡の彦根町・北青柳村・松原村(北青柳村から分離)・青波村・福満村・千本村が郡を離脱し、新設合併して市制を施行し、彦根市が発足。
  • 1941年昭和16年)11月3日 :多賀村・芹谷村・久徳村が新設合併し、多賀町が発足(第一次多賀町)。
  • 1942年(昭和17年)6月10日 :犬上郡の磯田村と南青柳村が彦根市に編入される。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 :犬上郡の日夏村が彦根市に編入される。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 :多賀町・大滝村・脇ヶ畑村が合併し、現在の多賀町第二次多賀町)が発足。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 :犬上郡の河瀬村(旧・川瀬村)と亀山村(旧・安水村)が彦根市に編入される。
  • 1957年(昭和32年)4月3日 :高宮町(旧・高宮村)が彦根市に編入される。

方言[編集]

現在の多賀町では全域で近畿方言(関西弁)の一種である近江弁が話され、そのなかでも湖東方言に分類される。湖東方言は京都色が強い湖南方言と特殊な湖北方言の中間的な方言であり、湖北方言圏と隣接する彦根市・犬上郡は湖東地方南部と比べて湖北方言との共通面が多い(近江弁#方言区画参照)。彦根市・犬上郡の方言の特徴としては、間投助詞「なあし」(「なあ」の上品な表現。主に高齢女性が使用)や終助詞「ほん」(柔らかな強調や念押しを表す)などが挙げられ、当地域を中心に湖北から湖東にかけて広く使われてきた[34]

人口[編集]

多賀町と全国の年齢別人口分布(2005年) 多賀町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 多賀町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
多賀町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 9,279人
1975年(昭和50年) 9,382人
1980年(昭和55年) 9,284人
1985年(昭和60年) 9,353人
1990年(平成2年) 9,136人
1995年(平成7年) 8,916人
2000年(平成12年) 8,463人
2005年(平成17年) 8,145人
2010年(平成22年) 7,761人
2015年(平成27年) 7,355人
2020年(令和2年) 7,274人
総務省統計局 国勢調査より


行政[編集]

歴代町長[編集]

役所・支所・出張所・町民会館等[編集]

町役場[編集]

  • 多賀町役場 :多賀町多賀324番地に所在。

税務[編集]

町民サービス施設[編集]

  • 多賀町立図書館
  • 多賀町立博物館
  • 多賀町立文化財センター
  • 多賀町B&G海洋センター
  • 多賀町中央公民館
  • 子ども家庭応援センター

警察[編集]

  • 多賀警察官駐在所 :多賀町久徳に所在。
  • 大滝警察官駐在所 :多賀町川相に所在。

消防・防災・救急救命[編集]

消防[編集]

救急救命[編集]

医療圏は湖東保健医療圏(彦根保健所管内。彦根市・多賀町・甲良町豊郷町愛荘町の1市4町で構成)に属している[27][28][29]cf. 2011.

救急告示医療機関

救急告示医療機関(救急指定病院等)は以下のとおり[27]

滋賀県災害拠点病院

防災[編集]

防災システム[編集]
災害時応援協定[編集]

主要な災害時等相互応援協定締結都市および団体は以下のとおり。

水道事業[編集]

上水道
  • 多賀浄水場 :水源地は敏満寺の浅井戸および深井戸。[38]
  • 川相浄水場 :水源地は川相の浅井戸。
  • 仏ケ後浄水場 :水源地は萱原の表流水。
  • 南後谷浄水場 :水源地は南後谷の表流水。
  • 大君ケ畑浄水場 :水源地は大君ケ畑の浅井戸。
下水道

清掃事業[編集]

姉妹都市・親善都市[編集]

1984年(昭和59年)2月11日、日置郡伊集院町(現・日置市伊集院町)と兄弟都市盟約を締結。2005年(平成17年)10月22日、日置市の発足に伴う旧・伊集院町との兄弟都市盟約継承を日置市と締結。cf. 1984, 2005.

立法[編集]

町議会[編集]

選挙区[編集]

司法[編集]

裁判所[編集]

検察庁[編集]

郵便事業[編集]

  • 多賀郵便局
  • 多賀佐目簡易郵便局
  • 大滝郵便局

経済[編集]

産業[編集]

多賀町は農林業を基幹産業としてきたが、後継者や高齢化等の問題から農業就業者は減少しつつある[40]1980年代以降は、観光業を中心としたサービス業が事業所数、従事者数ともに増加傾向にある[40]。また、1999年(平成11年)には企業の工場を誘致する目的を持った「びわ湖東部中核工業団地」(cf. 1991, 1999) が整備された[20]。さらにこれに加えて2012年(平成24年)には多賀第二工業団地の造成が着工し、2013年(平成25年)春頃からの操業を予定している (cf. 2012)。

産業分類別事業所数(2006年、上位5位まで)[40]

  1. サービス業 165
  2. 卸売・小売業 85
  3. 建設業 76
  4. 製造業 74
  5. 運輸・通信業 17

産業分類別従事者数(2006年、上位5位まで)[40]

  1. 製造業 1,908
  2. サービス業 1,179
  3. 運輸・通信業 778
  4. 卸売・小売業 380
  5. 建設業 327

工業団地[編集]

多賀工業団地
多賀第二工業団地
2012年(平成24年)造成着工。2013年(平成25年)春頃に操業予定。cf. 2012.
中川原工業団地
びわ湖東部中核工業団地
  • 多賀工場 第1棟 :2000年(平成12年)以前、すでに積水化学工業多賀工場として操業[47]。滋賀水口工場、九州積水工業と共に、2000年3月に工場ゼロエミッションを達成[48]
  • 多賀工場 第2棟(新工場棟) :2010年(平成22年)1月にIT分野製品の主力生産拠点として竣工・操業開始[47][48]
  • 森下仁丹 滋賀工場 :2001年(平成13年)10月、シームレスマイクロカプセル(継ぎ目のないマイクロカプセル)の受託製造工場として、「株式会社仁丹ミラセル工場びわ湖」として竣工・操業開始[49]。2009年(平成21年)10月1日、「森下仁丹滋賀工場」に名義変更[49]
  • 共栄社化学 滋賀工場 :2009年(平成21年)に竣工・操業開始[50]
  • 三和シヤッター工業 :操業時期は確認できず。
その他

地域[編集]

教育施設[編集]

中学校[編集]

cf. 多賀の学校、50年のあゆみ - 多賀町”. (公式ウェブサイト). 多賀町. 2012年12月2日閲覧。
cf. 滋賀県中学校の廃校一覧#犬上郡
  • 多賀町立多賀中学校 :学区(校区)は全町1区域。[51]

小学校[編集]

  • 多賀町立多賀小学校
学区内地域(大字名)は、多賀、四手、大岡、八重練、栗栖、一円、木曽、久徳、月ノ木、中川原、土田、敏満寺、猿木、桃原、向之倉、河内、甲頭倉、屏風、後谷、水谷、霊仙、保月、杉、五僧、大君ケ畑、佐目、南後谷。[51]
  • 多賀町立大滝小学校
学区内地域(大字名)は、川相、藤瀬、一ノ瀬、仏ケ後、大杉、小原、霜ケ原、樋田、富之尾、楢崎、壺、萱原。[51]

幼稚園[編集]

  • 多賀町立多賀幼稚園 :cf. 2002.

保育所[編集]

  • 多賀ささゆり保育園 :2004年(平成16年)4月1日、多賀保育園が改称[52]。定員160名。 [53]
  • たきのみや保育園 :2006年(平成18年)9月開園[54]。定員40名。

マスメディア[編集]

特記事項なし。

斎場[編集]

  • 彦根愛知犬上広域行政組合 紫雲苑 :敏満寺10番地63に所在する斎場火葬場[55]

交通[編集]

航空交通[編集]

最寄りの空港は、中部国際空港および大阪国際空港である。

陸上交通[編集]

鉄道路線[編集]

多賀大社前から彦根市方面へ近江鉄道多賀線が通ずる。なお、町域の西端部を近江鉄道本線および東海道新幹線が走るが、町域内にそれらのは無い。

多賀線 - 多賀大社前駅

自動車道[編集]

国道306号が町域を東西に貫き、西部でこれに国道307号が接続する。高速道路は、町域の西部を名神高速道路が南北に通ずるが、町域内にインターチェンジはなく、隣接する彦根市彦根ICが最寄となる。

高速自動車国道
一般国道
主要地方道
一般県道

名所・旧跡・観光地・行楽地・娯楽施設・祭事、ほか[編集]

名所・旧跡・観光地[編集]

自然物、自然物主体の名所

近世以前の人工物 [57]

  • 多賀大社奥書院庭園 :国指定名勝[59]
  • 胡宮神社社務所庭園 :国指定名勝[59]

近現代の人工物

  • 多賀の自然と文化の館 [61]

祭事・催事等[編集]

  • 多賀大社にて各種祭事が催される。
  • 多賀ふるさと楽市
  • その他 :cf. 関ヶ原戦跡踏破隊 (1960)。

文化財[編集]

特産物[編集]

多賀町を舞台とした作品[編集]

著名人[編集]

名誉町民[編集]

出身著名人[編集]

ゆかりある著名人[編集]

マスコット[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中山道の脇往還である木曽街道を題材として描かれた名所絵浮世絵風景画)『木曽街道六十九次』の1枚。cf. 中山道六十九次

出典[編集]

  1. ^ a b c 多賀町のプロフィール”. (公式ウェブサイト). 多賀町. 2012年12月2日閲覧。
  2. ^ 古墳・登山”. (公式ウェブサイト). 多賀観光協会. 2012年12月2日閲覧。
  3. ^ a b c 楢崎古墳群”. 滋賀県文化財学習シート 遺跡編(公式ウェブサイト). 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課. 2012年12月1日閲覧。
  4. ^ a b 紀要 第10号” (PDF). (公式ウェブサイト). 公益財団法人 滋賀県文化財保護協会[1] (1997年3月). 2012年12月1日閲覧。
  5. ^ a b 楢崎古墳”. 滋賀県観光情報(公式ウェブサイト). びわこビジターズビューロー (2008年6月17日). 2012年12月1日閲覧。
  6. ^ 多賀の歴史”. (公式ウェブサイト). 多賀町立博物館. 2012年12月1日閲覧。
  7. ^ 多賀町バイオマスタウン構想” (PDF). (公式ウェブサイト). 多賀町 (2010年3月11日). 2012年12月2日閲覧。
  8. ^ a b 五僧 - 林道・廃村 滋賀県地図”. e-konの道をゆく[2](個人ウェブサイト). 個人. 2012年12月2日閲覧。
  9. ^ 歴史”. (公式ウェブサイト). 多賀町立多賀小学校. 2012年12月2日閲覧。
  10. ^ 彦根地方気象台の歴史”. (公式ウェブサイト). 彦根地方気象台. 2012年12月2日閲覧。
  11. ^ ナウマンゾウの化石”. (公式ウェブサイト). 多賀町立博物館. 2012年12月1日閲覧。
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参考文献[編集]

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  • 多賀町史編さん委員会編 編『多賀町史』 下巻、1991年。 
  • 多賀町教育委員会編 編『敏満寺は中世都市か? ―戦国近江における寺と墓』サンライズ出版、2006年9月。ISBN 4-8832-5302-3 ISBN-13: 978-4-8832-5302-9{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  • 多賀町教育委員会編 編『敏満寺遺跡石仏谷墓跡』サンライズ出版、2005年6月。ISBN 4-8832-5279-5 ISBN-13: 978-4-8832-5279-4{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  • 多賀町教育委員会編 編『敏満寺の謎を解く―伝承する彫像と城塞・石仏群』サンライズ出版、2003年12月。ISBN 4-8832-5243-4 ISBN-13: 978-4-8832-5243-5{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  • さんどう会編 編『霊仙三蔵と幻の霊山寺』さんどう会、2001年12月。ISBN 4-8832-5215-9 ISBN-13: 978-4-8832-5215-2{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

行政
  • 多賀町”. (公式ウェブサイト). 多賀町. 2012年12月2日閲覧。
行政・観光
観光
その他

編集メモ[編集]