履正社中学校・高等学校
履正社中学校・高等学校 | |
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旧校舎(2008年)※新校舎が2017年に完成 | |
北緯34度46分30.8秒 東経135度28分49.6秒 / 北緯34.775222度 東経135.480444度座標: 北緯34度46分30.8秒 東経135度28分49.6秒 / 北緯34.775222度 東経135.480444度 | |
過去の名称 |
大阪福島商業高等学校 履正社中学校(旧制) 大阪福島商業学校 履正社学園豊中中学校・履正社高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人履正社 |
校訓 |
履正不畏 勤勞愛好 報本反始 |
設立年月日 | 1922年3月31日 |
創立記念日 | 4月20日 |
創立者 | 釜谷善藏 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 |
併設型(外部混合有) (旧6ヵ年特進コースは現在、集約文理S・I・II類)[1] |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
集約文理コース(S類・I類・II類・) 普通コース(III類)[2] |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C127310000513 中学校) D127310000799 (高等学校) | (
高校コード | 27509D |
所在地 | 〒561-0874 |
外部リンク | 履正社中学校・高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
履正社中学校・高等学校(りせいしゃちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Riseisha Junior and Senior High School)は、大阪府豊中市長興寺南4丁目に所在する私立中学校・高等学校。
中学校においては、他の高校への進学を目指すコース(「3ヵ年独立コース」)と、中高一貫教育を提供するコース(「学藝コース」)を設置し、高等学校においては、他の中学から外部進学する生徒と第1学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]。学校法人履正社が運営している。
概要
現在の履正社学園の発祥は、1922年(大正11年)、大阪府福島区海老江上2丁目(現・北区上福島1丁目)に創立された大阪府福島商業学校[注釈 1]であり、姉妹校として1940年(昭和15年)、 西淀川区加島町(現・淀川区加島)神崎川畔に設立された履正社中学校(旧制)が起源のひとつとなっている。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、学制改革により旧制中学校が廃止されて新制の履正社高等学校となり、1955年(昭和30年)、校名を大阪福島商業高校と改称する。
1972年(昭和47年)普通科を設置し、以後進学校としての道に進んでいく。1982年(昭和57年)商業科募集停止。1983年(昭和58年)、創立60周年を機に大阪福島商業高校を履正社高等学校と改称する。
1985年(昭和60年)、履正社学園豊中中学校を開校。
2000年(平成12年)、中学・高校ともに男女共学となる。高校に「国際特進コース」を設置し、中学に「6ヵ年特進コース」を新設、旧制履正社中学校以来の中高一貫教育が実現する。
2023年(令和5年)、履正社学園豊中中学校を履正社中学校と改称する。また、6ヵ年特進コースを学藝コースと改め、新たにカリキュラムを一新し、言語技術教育を西日本で初めて開始する。
創立以来、建学の精神を「履正不畏」「勤労愛好」「報本反始」としている[3]。
高校では、「集約文理コース」(S類(超難関国立大学を目指す)、I類(難関国公立大学を目指す)、II類(難関私立大学を目指す))、「普通コース」(難関私立大学を目指す。強化クラブは本コースにある)が設置されている[2]。I類では、2016年度より高校入試成績上位者約43名で編成される「スーパークラス」が編成されていた。
校訓
- 履正不畏…正を履んで畏れずとよむ。自ら由とするところを、自由・公正に勇気と責任を持って力強く履み行う、本校の基本的信条
- 勤労愛好…勤労愛好は、勤勉で学問を愛することが若人の生きるしるしであり、それを正であるとして国家・社会と人間に役立つ教育をするということ
- 報本反始…本に報い始めに返るとよむ。初心に返り、今日あらしめている本源、すなわち両親・先生などの先人の恩に報いるような教育をするということ
年表
- 1922年(大正11年) - 大阪府大阪市北区福島に履正社の設置する大阪府福島商業学校が仮校舎にて開校。
- 1940年(昭和15年) - 履正社中学校(旧制)創設。
- 1944年(昭和19年) - 大阪府福島商業学校が閉校。
- 1946年(昭和21年) - 学制改革により履正社中学校が履正社高等学校へ改組。
- 1955年(昭和30年)2月 - 履正社高等学校より大阪福島商業高等学校に改称。
- 1958年(昭和33年)4月 - 校外運動場を豊中市長興寺(現校舎所在地)に設置。
- 1963年(昭和38年) - 服部緑地前に2つの校舎完成。
- 1967年(昭和42年) - 十三校舎を廃止し、現地校(豊中市長興寺南)を本校として移転完了。
- 1972年(昭和47年) - 普通科設置。
- 1983年(昭和58年) - 大阪福島商業高等学校より履正社高等学校に改称。
- 1985年(昭和60年) - 履正社学園豊中中学校が開校(3ヵ年独立コース)。
- 1991年(平成 3年)3月 - バレーボール部が春高バレーに全国大会初出場。
- 1997年(平成 9年)
- 3月 - バレーボール部が春高バレーに出場。
- 8月 - 野球部が第79回全国高等学校野球選手権大会に大阪代表として出場[4]。夏の甲子園は初出場。初戦(2回戦)で敗退。
- 1998年(平成10年)3月 - バレーボール部が春高バレーに出場。
- 2000年(平成12年) - 履正社学園豊中中学校が6ヵ年特進コースを設置、高校に国際特進コースを設置、中学・高校が同時に男女共学化。
- 2001年(平成13年)
- 9月 - 体育館を廃止して図書館・音楽ホールを作り、学校南に総合体育館を竣工。
- 11月 - 履正社茨木グラウンド竣工。
- 2006年(平成18年)3月 - 野球部が第78回選抜高等学校野球大会に出場[5]。春の甲子園は初出場。初戦敗退。
- 2008年(平成20年)3月 - 野球部が第80回選抜高等学校野球大会に出場[5]。甲子園で初勝利を挙げるも、次3回戦で敗退。
- 2010年(平成22年)8月 - 野球部が第92回全国高等学校野球選手権大会に大阪代表として出場[6]。2回戦(対天理)で夏の甲子園初勝利、3回戦(対聖光学院)で敗退[7]。
- 2011年(平成23年)4月 - 野球部が第83回選抜高等学校野球大会に出場[8]。準決勝まで進出する。
- 2012年(平成24年)3月 - 野球部が第84回選抜高等学校野球大会に出場[8]。3回戦敗退。
- 2013年(平成25年)3月 - 野球部が第85回選抜高等学校野球大会に出場[8]。
- 2014年(平成26年)
- 1月 - サッカー部が冬の大会に初出場。準々決勝まで進むも国立を目の前に敗退。
- 4月 - 野球部が第86回選抜高等学校野球大会に出場。決勝に進出し龍谷大平安に敗れ、準優勝[9]。
- 2016年(平成28年)
- 8月 - 野球部が第98回選手権大会に6年ぶり3回目の出場。3回戦敗退。
- 10月 - 野球部が国民体育大会高等学校野球競技に出場し、初優勝。
- 11月 - 野球部が明治神宮野球大会に出場し、初優勝。
- 2017年(平成29年)
- 3月 - 野球部が第89回選抜高等学校野球大会に出場し、決勝で大阪桐蔭との史上初の大阪勢同士の対決に敗れ、準優勝[8][10]。
- 4月 - 新校舎完成[11]。
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 3月 - 野球部が第91回選抜高等学校野球大会に出場。初戦敗退。
- 8月 - 野球部が第101回全国高等学校野球選手権大会に出場。決勝で星稜に5-3で勝利し、初優勝[12]。大阪勢としては前年の大阪桐蔭に続く夏2連覇となった[13]。
- 2023年(令和 5年)
- 4月 - 中学校名を履正社学園豊中中学校より履正社中学校に改称。
教育課程の類型
履正社中学校
放課後には進学講座または部活動に出席することができる。
履正社高等学校
- 集約文理コース
- S類
- I類
- II類
- 普通コース(III類)- 強化クラブ(硬式テニス部、硬式野球部、サッカー部、陸上競技部、剣道部(男・女)、柔道部(男・女)、女子バレーボール部、吹奏楽部、女子硬式野球部)生のみで構成される。
設備
部活動
- 中学
社会科部や理科部、空手部などには合宿もある。鉄道研究会は、2011年度に部に格上げされた。空手部は文化祭時に板割りなどの演舞を行う。
- 高校
部活動 普通コースIII類以外を対象とした部活動。対外試合を目的としたり、大阪高体連に加盟したりするものではない
強化クラブは以下の通りで、所属できるのは高校のIII類の生徒のみである。
高等学校硬式野球部
- 選抜高等学校野球大会(「春の甲子園」)出場10回(2006年,2008年,2011年,2012年,2013年,2014年,2017年,2019年,2020年,2023年)、準優勝2回(2014年,2017年)、ベスト4:1回(2011年)
- 第78回選抜大会(2006年)に初出場。1回戦で同大会優勝の横浜高校(神奈川)に0-1で敗戦。
- 第80回選抜大会(2008年)に2年ぶり2回目の出場。2回戦(初戦)で下関商業高校(山口)に延長10回の末3x-2でサヨナラ勝ちを収め、念願の甲子園大会初勝利。3回戦で同大会準優勝の聖望学園高校(埼玉)に5-7で敗戦。
- 第83回選抜大会(2011年)に3年ぶり3回目の出場。1回戦で総合技術高校(広島)に4-0で完封勝利。2回戦で大塚尚仁を擁する九州学院高校(熊本)に8-2、準々決勝で智弁和歌山高校(和歌山)に10-3で圧勝。準決勝で同大会優勝の東海大相模高校(神奈川)に2-16と大敗し、甲子園大会初の決勝戦進出はならず。
- 第84回選抜大会(2012年)に2年連続4回目の出場。1回戦で地球環境高校(長野)に5-2で勝利。2回戦で濱田達郎を擁する愛工大名電高校(愛知)に2-9で敗戦。
- 第85回選抜大会(2013年)に3年連続5回目の出場。1回戦で岩国商業高校(山口)に0-1で完封負けを喫する。
- 第86回選抜大会(2014年)に4年連続6回目の出場。1回戦は21世紀枠で出場した小山台高校(東京)の伊藤優輔を打ち崩して11-0と大勝、2回戦で伊藤大海を擁する駒大苫小牧高校(北海道)に最大5点のリードを奪われながらも7x-6で逆転サヨナラ勝ち、準々決勝で福知山成美高校(京都)に6-2、準決勝で豊川高校(愛知)に延長10回の末12-7で勝利を収め、初の決勝進出。決勝では高橋奎二を擁する龍谷大平安高校(京都)に2-6で敗れて準優勝。
- 第89回選抜大会(2017年)に3年ぶり7回目の出場。1回戦で櫻井周斗を擁する日本大学第三高校(東京)に12-5、2回戦で呉高校(広島)に1-0、準々決勝で盛岡大付属高校(岩手)に8-1、準決勝で西垣雅矢を擁する報徳学園高校(兵庫)に6-4で勝利し、3年ぶり2度目の決勝進出。史上初の大阪勢同士の対戦となった大阪桐蔭高校との決勝では、3-3で迎えた9回に5点を奪われて3-8で敗れ準優勝。
- 第91回選抜大会(2019年)に2年ぶり8回目の出場。1回戦で星稜高校(石川)の好投手奥川恭伸に17三振を喫し、0-3で敗戦。
- 第92回選抜大会(2020年)に2年連続9回目の出場を決めるが、新型コロナウイルス感染症の流行により直前に開催中止が決定(なお交流試合では星稜高校に6-1で勝利している)。
- 第95回選抜大会(2023年)に3年ぶり10回目の出場。2回戦(初戦)で高知高校に2-3で敗戦。
- 全国高等学校野球選手権大会(「夏の甲子園」)出場5回(1997年,2010年,2016年,2019年、2023年)、優勝1回(2019年)
- 第79回選手権大会(1997年)に初出場。2回戦(初戦)で専大北上高校(岩手)に1-2で初戦敗退(9回裏2死2・3塁とサヨナラの絶好機に、3塁走者が同点を狙いホームスチールの奇襲に出るも失敗)。
- 第92回選手権大会(2010年)に13年ぶり2回目の出場。2回戦(初戦)で中村奨吾を擁する天理高校(奈良)を、山田哲人がホームスチールを決めるなど4-1で下して夏の甲子園大会初勝利。3回戦で聖光学院高校(福島)の歳内宏明に10三振を喫し、2-5で敗戦。
- 第98回選手権大会(2016年)に6年ぶり3回目の出場。1回戦で山野太一、椋木蓮を擁する高川学園高校(山口)に5-1、2回戦で藤平尚真、石川達也を擁する横浜高校に5-1で勝利。3回戦で鈴木昭汰を擁する常総学院高校(茨城)に4-7で敗戦。
- 第101回選手権大会(2019年)に3年ぶり4回目の出場(初の春夏連続出場)。1回戦の霞ヶ浦高校(茨城)戦では大会タイ記録の5本塁打を放つなど鈴木寛人を打ち崩し、11-6で勝利。2回戦は津田学園高校(三重)の前佑囲斗を攻略して7-3、3回戦で高岡商業高校(富山)に9-4、準々決勝で関東第一高校(東東京)に7-3、準決勝で中森俊介、来田涼斗を擁する明石商業高校(兵庫)に7-1で勝利し、夏の甲子園初の決勝進出。決勝戦で春に完封負けを喫した星稜高校に5-3で勝利し初優勝を果たした。
- 国民体育大会高等学校野球競技 - 優勝1回(2016年)
- 明治神宮野球大会 - 優勝1回(2016年)
進学指導
大学合格実績水増し問題
進学実績が、1990年代後半より急激に数字の上では向上したが、学校が一部の優秀な生徒に、有名大学の入試を数多く受験させ、学校側が全額受験料を負担して合格実績を水増ししていたことが背景にある。このことについて学校側は、2007年(平成19年)7月23日付けの読売新聞上で、「経済的支援が必要な生徒への奨学金のようなもの。合格実績を上積みした認識はなく、今後も続ける」と説明。
交通アクセス
- 最寄駅は阪急宝塚本線曽根駅または北大阪急行電鉄南北線緑地公園駅である。曽根駅からでは徒歩で国道176号線を越えて東へ20分弱ほど、緑地公園駅から徒歩20分弱ほどであるが、西へ向かって服部緑地内を通過し天竺川を渡ったところであるが、校門は反対側にあるため大回りをしなくてはならない。
- 下校時の緑地公園駅まで、女子生徒にのみスクールバスがある。緑地公園駅行きの下校時だけスクールバスがある理由は、服部緑地内は夜間に痴漢等の不審者が出る可能性があるためであり、かつ曽根駅前ロータリーには大型車は路線バス以外は入れないからである。バスは3台あるが、下校時に普段使われるのはそのうち一つである。他のバスは運動系クラブ員の学校から茨木グラウンドへの輸送などに使われる。
- 2021年4月1日から阪急バスが緑地公園駅 - 阪急曽根駅 - イオンモール伊丹(JR伊丹)を結ぶ路線(豊中東西線95系統)を開設した際に、履正社高校の停留所が設置されたため、一般路線バスでの通学も可能となった[15](ただし伊丹発着便は少ない)。
- 学校の許可が必要だが、自転車で通学することもできる。
- 自動車での送り迎えは原則禁止である。また校内に専用の駐車場はない。学校のスクールバスの駐車場は学校前の郵便局横に2006年(平成18年)に設置された。
歴代校長
- 初代:釜谷善蔵(1922年4月 - 1925年4月)
- 2代:西岡純平(1925年5月 - 1927年2月)
- 3代:釜谷善蔵(1927年3月 - 1940年4月)
- 4代:梅村武次郎(1941年4月 - 1949年3月)
- 5代:釜谷善蔵(1949年4月 - 1966年1月)
- 6代:釜谷行蔵(1966年2月 - 1973年3月)
- 7代:橘孝(1973年4月 - 1974年7月)
- 8代:江川登(1974年8月 - 1983年3月)
- 9代:井内嘉美(1983年4月 - 1993年8月)
- 10代:釜谷行蔵(1993年9月 - 1994年3月)
- 11代:岸仲徹(1994年4月 - 1997年3月)
- 12代:前田恭幸(1997年4月 - 2005年3月)
- 13代:村瀬典弘(2005年4月 - 2008年3月)
- 14代:小森重喜(2008年4月 - 2020年3月)[2]
- 15代:松本透 ((高校)2020年4月 - 現任)[16]、森田靖志((中学)2020年4月 - 現任)[17]
歴史
鮮満旅行
昭和初期には大阪の学校では珍しく、修学旅行で満州国へ行っていた。ルートとしては大阪から下関まで急行で行き、そこから船で釜山へ渡り、そこから朝鮮にて朝鮮神宮・朝鮮総督府・南大門などの観光をして満州へ入り、同国の観光をするといった経路であった。これを当時は朝鮮・満州の名前から取って、鮮満旅行と呼んでいた。後に大東亜戦争(太平洋戦争)が進むにつれ、反日運動が激化したために打ち切られることになったが、1925年(大正14年)から1936年(昭和11年)まで11回実施され、771名の生徒が参加した。
戦時下での廃校
1944年(昭和19年)、戦時下の影響により大阪府福島商業学校は廃校することとなった。戦局が悪化に伴い当局では工業教育が重視され、商業学校は工業学校に転換せよと政府から命令があったにもかかわらず、創立者の釜谷理事長が強固に反対したためである。これは釜谷理事長は戦時下でも商業は必要であると考えていたからである。
ブルートレインの車両
かつて、学校内で合宿を行うことがあり、その宿舎として、敷地内にはブルートレイン(国鉄20系客車の3段寝台車)の車両が置かれていた[18]。現在は解体されて無くなっている。
ブルトレの名前は「正夢号」で、1987年(昭和62年)、国鉄(現・JR)より、大阪・長野間を走っていた急行「ちくま」号の最後尾車両を学校が1600万円で購入したものであった。車掌室に畳を敷き、教師の宿泊室に、さらに冷暖房、水洗トイレ、外に3台シャワー室を取り付けて使用した。中は3段ベッドで定員は48人、ちょうど1クラス分であった。1987年に、NHKや全国版の新聞でこの合宿が報道されている。
著名な出身者
政治
野球
- 投手
- 岸田護(元オリックス)
- 寺島成輝(元ヤクルト)
- 益山性旭(元阪神) - 前身の大阪福島商業高校出身。
- 鍋屋道夫(元広島→元日本ハム) - 前身の大阪福島商業高校出身。
- 田上奏大(ソフトバンク)
- 内星龍(楽天)
- 捕手
- 坂本誠志郎(阪神)
- 内野手・外野手
- 岡田貴弘(T-岡田)(オリックス)
- 山田哲人(ヤクルト)[19]
- 土井健大(元オリックス→元巨人)
- 大原徹也(元西鉄/太平洋/クラウン/西武→元広島→元近鉄) - 前身の大阪福島商業高校出身。
- 安田尚憲(ロッテ)
- 宮本丈(ヤクルト)
- 中山翔太(ヤクルト→火の国サラマンダーズ)
- 井上広大(阪神)
- 小深田大地(DeNA)
- 福田幸之介(中日ドラゴンズ)
- アマチュア野球
- 女子プロ野球
サッカー
- 新村純平 - プロサッカー選手(KSグバルディア・コシャリン)
- 奥井諒 - プロサッカー選手(栃木シティFC)
- 町野修斗 - プロサッカー選手(湘南ベルマーレ)
- 大迫暁 - プロサッカー選手(アスルクラロ沼津)
- 牧野寛太 - プロサッカー選手(AC長野パルセイロ)
- 林大地 - プロサッカー選手(シント=トロイデンVV)
- 田中駿汰 - プロサッカー選手(北海道コンサドーレ札幌)
- 平岡大陽 - プロサッカー選手(湘南ベルマーレ)
- 平尾駿輝 - プロサッカー選手(カターレ富山)
- 寺村浩平 - 元プロサッカー選手(奈良クラブ)
- 名願斗哉 - プロサッカー選手(川崎フロンターレ)
- 西坂斗和 - プロサッカー選手(ラインメール青森FC)
バレーボール
スポーツその他
- 河口正史(アメリカンフットボール、履正社学園豊中中学校出身)
- 岩本健一朗 - ラグビー選手(元・トヨタ自動車ヴェルブリッツ)
- 伊勢田愛 - セーリング選手
- 野田英樹 - 元レーシングドライバー
芸能
- 大木実 - 俳優(前身の大阪福島商業学校)
- おぼん・こぼん - 漫才コンビ(前身の大阪福島商業高校)
- 松島庄汰 - 俳優(履正社学園豊中中学校出身)
- 滝川英治 - 俳優
- 中村秀香 - 読売テレビアナウンサー
- アイナ・ジ・エンド - BiSHの元メンバー
実業家
系列校
脚注
注釈
出典
- ^ a b “履正社学園豊中中学校 パンフレット”. 学校法人 履正社. 2020年5月21日閲覧。
- ^ a b c d e “履正社高等学校 パンフレット”. 学校法人 履正社. 2020年5月21日閲覧。
- ^ “教育理念 | 履正社中学校・高等学校”. www.riseisha.ed.jp. 2021年2月20日閲覧。
- ^ “選手権大会出場校一覧(第75回~第80回大会)”. 日本高等学校野球連盟. 2016年3月24日閲覧。
- ^ a b “選抜大会出場校一覧(第76回~第80回大会)”. 日本高等学校野球連盟. 2016年3月24日閲覧。
- ^ “選手権大会出場校一覧(第91回~第95回大会)”. 日本高等学校野球連盟. 2016年3月24日閲覧。
- ^ “試合日程 - 第92回夏甲子園 - 高校野球 - SANSPO.COM”. SANSPO.COM (サンケイスポーツ/産業経済新聞社). 2017年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月24日閲覧。
- ^ a b c d “選抜大会出場校一覧 (第81回~第85回大会)”. 日本高等学校野球連盟. 2016年3月24日閲覧。
- ^ “選抜大会出場校一覧(第86回~第87回大会)”. 日本高等学校野球連盟. 2016年3月24日閲覧。
- ^ a b “第89回選抜高等学校野球大会準優勝|履正社高等学校”. 履正社高等学校. 2018年7月31日閲覧。
- ^ “施設”. 履正社高等学校. 2019年12月23日閲覧。
- ^ “【試合結果】履正社、夏の甲子園初優勝! 星稜エース奥川を攻略”. SANSPO.COM(サンスポ) (2019年8月22日). 2019年8月22日閲覧。
- ^ “履正社、星稜破って初優勝 大阪勢が2大会連続V飾る:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年8月22日閲覧。
- ^ “「うそだろ」「豪華すぎ」履正社高校の新校舎がスゴイ”. リセマム. 2019年12月23日閲覧。
- ^ “2021年3月15日 【4月1日(木)より】豊中東西線の新設および豊中病院線・クリーンランド線の廃止について” (PDF). 阪急バス (2021年3月15日). 2021年3月19日閲覧。
- ^ “新校長よりごあいさつ”. 学校法人 履正社. 2020年5月21日閲覧。
- ^ “ニュース | 履正社学園豊中中学校”. riseisha.ed.jp. 2021年3月11日閲覧。
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第5号、鉄道ジャーナル社、1987年4月、124頁。
- ^ “ヤクルト・山田、宮本ら履正社OBがセンバツ出場の母校にプレゼント 多田監督、感謝「自分たちも日本一を目指して」”. デイリースポーツ online (デイリースポーツ). (2023年3月23日) 2023年3月23日閲覧。