コンテンツにスキップ

「菅義偉」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
RxyBot (会話 | 投稿記録)
m ボットによる: 失効したテンプレートを削除
編集の要約なし
46行目: 46行目:
|退任日4 = [[1995年]]
|退任日4 = [[1995年]]
}}
}}
'''菅 義偉'''(すが よしひで、[[1948年]][[12月6日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]である。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[日本の国会議員|衆議院議員]](8期)であり、[[内閣官房長官]]([[第2次安倍内閣|第81代]]・[[第3次安倍内閣|第82代]]・[[第4次安倍内閣|第83代]])、[[沖縄基地]]負担軽減担当大臣、[[拉致問題対策本部#拉致問題担当大臣|拉致問題担当大臣]]である。
'''菅 義偉'''(すが よしひで、[[1948年]][[12月6日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[日本の国会議員|衆議院議員]](8期)であり、[[内閣官房長官]]([[第2次安倍内閣|第81代]]・[[第3次安倍内閣|第82代]]・[[第4次安倍内閣|第83代]])、[[沖縄基地]]負担軽減担当大臣、[[拉致問題対策本部#拉致問題担当大臣|拉致問題担当大臣]]である。


[[横浜市会|横浜市会議員]](2期)、[[総務副大臣]]([[第3次小泉内閣 (改造)|第3次小泉改革内閣]])、[[総務大臣]]([[第1次安倍内閣|第7代]])、[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)|地方分権改革]])、[[郵政民営化担当大臣]]([[第1次安倍内閣|第3代]])、[[自由民主党幹事長#歴代の自由民主党幹事長代行|自民党幹事長代行]](第2代)などを歴任した。
[[横浜市会|横浜市会議員]](2期)、[[総務副大臣]]([[第3次小泉内閣 (改造)|第3次小泉改革内閣]])、[[総務大臣]]([[第1次安倍内閣|第7代]])、[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)|地方分権改革]])、[[郵政民営化担当大臣]]([[第1次安倍内閣|第3代]])、[[自由民主党幹事長#歴代の自由民主党幹事長代行|自民党幹事長代行]](第2代)などを歴任した。
58行目: 58行目:
[[1975年]]、[[政治家]]を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代[[衆議院議長]][[中村梅吉]]秘書を紹介され、同じ派閥だった[[日本の国会議員|衆議院議員]][[小此木彦三郎]]の秘書となる。以後11年にわたり秘書を務めた<ref>「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号</ref>{{要出典|date=2015年3月}}。[[1983年]]、小此木の[[経済産業大臣|通商産業大臣]]就任に伴い大臣秘書官を務める<ref>[http://www.jiji.com/jc/giin?d=f63b32557bd8a2a0292134a658fb87c2&c=syu&rel=ja 菅義偉(すが よしひで)] 時事ドットコム</ref>。
[[1975年]]、[[政治家]]を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代[[衆議院議長]][[中村梅吉]]秘書を紹介され、同じ派閥だった[[日本の国会議員|衆議院議員]][[小此木彦三郎]]の秘書となる。以後11年にわたり秘書を務めた<ref>「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号</ref>{{要出典|date=2015年3月}}。[[1983年]]、小此木の[[経済産業大臣|通商産業大臣]]就任に伴い大臣秘書官を務める<ref>[http://www.jiji.com/jc/giin?d=f63b32557bd8a2a0292134a658fb87c2&c=syu&rel=ja 菅義偉(すが よしひで)] 時事ドットコム</ref>。


[[1987年]]、[[横浜市会|横浜市会議員]]選挙に[[西区 (横浜市)|西区]]選挙区から出馬し、初当選。その後市議を2期務めた。横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木の死後、当選回数わずか2回にも関わらず、小此木の事実上の代役として秘書時代に培った政財官の人脈を活かして辣腕を振るい、[[高秀秀信]]市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなど「影の横浜市長」と呼ばれた<ref>「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号</ref>。
[[1987年]]、[[横浜市会|横浜市会議員]]選挙に[[西区 (横浜市)|西区]]選挙区から出馬し、初当選。その後市議を2期務めた。横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木の死後、当選回数わずか2回にも関わらず、小此木の事実上の代役として秘書時代に培った政財官の人脈を活かして辣腕を振るい、[[高秀秀信]]市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなど「影の横浜市長」と呼ばれた<ref>「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号</ref>。


== 衆議院議員 ==
== 衆議院議員 ==
{{出典の明記|date=2015年12月|section=1}}
{{出典の明記|date=2015年12月|section=1}}
=== 経歴 ===
=== 経歴 ===
[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[神奈川県第2区|神奈川2区]]から自民党公認で出馬し、[[新進党]]公認・[[公明党|公明]]推薦の[[上田晃弘]]、[[民主党_(日本_1996-1998)|旧民主党]]公認の新人[[大出彰]]らを破り初当選した<ref>「[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MFJMCO6TTDT201.html 菅義偉・新官房長官:安倍政権誕生に尽力、議員秘書出身の苦労人 (1) ]」 『ブルームバーグニュース』 2012年12月26日 2014年5月20日閲覧。</ref>。
[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[神奈川県第2区|神奈川2区]]から自民党公認で出馬し、[[新進党]]公認・[[公明党|公明]]推薦の[[上田晃弘]]、[[民主党_(日本_1996-1998)|旧民主党]]公認の新人[[大出彰]]らを破り初当選した<ref>「[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MFJMCO6TTDT201.html 菅義偉・新官房長官:安倍政権誕生に尽力、議員秘書出身の苦労人 (1) ]」 『ブルームバーグニュース』 2012年12月26日 2014年5月20日閲覧。</ref>。


[[1998年]]の[[自由民主党総裁選挙]]では所属していた[[平成研究会]]会長の[[小渕恵三]]ではなく、師と仰ぐ[[梶山静六]]を支持し、同派閥を退会<ref name=president20130401>{{cite news |title=内閣官房長官 菅 義偉 -敗北で鍛えられた胆力と判断力|author= |agency=|publisher=プレジデントオンライン |date=2013-3-15|url=http://president.jp/articles/-/8822|accessdate=2014-1-13}}</ref>。その後[[宏池会]]に入会した。[[2000年]]の[[第2次森内閣]][[内閣不信任決議|不信任決議]]をめぐる「[[加藤の乱]]」では、[[加藤紘一]]らに同調して不信任案の採決では欠席したが、その後の加藤派分裂では親加藤派の[[小里派]](会長:[[小里貞利]])ではなく、反加藤グループの[[堀内派]](会長:[[堀内光雄]])に参加した<ref name=president20130401 />。
[[1998年]]の[[自由民主党総裁選挙]]では所属していた[[平成研究会]]会長の[[小渕恵三]]ではなく、師と仰ぐ[[梶山静六]]を支持し、同派閥を退会<ref name=president20130401>{{cite news |title=内閣官房長官 菅 義偉 -敗北で鍛えられた胆力と判断力|author= |agency=|publisher=プレジデントオンライン |date=2013-3-15|url=http://president.jp/articles/-/8822|accessdate=2014-1-13}}</ref>。その後[[宏池会]]に入会した。[[2000年]]の[[第2次森内閣]][[内閣不信任決議|不信任決議]]をめぐる「[[加藤の乱]]」では、[[加藤紘一]]らに同調して不信任案の採決では欠席したが、その後の加藤派分裂では親加藤派の[[小里派]](会長:[[小里貞利]])ではなく、反加藤グループの[[堀内派]](会長:[[堀内光雄]])に参加した<ref name=president20130401 />。
73行目: 73行目:


=== 総務大臣 ===
=== 総務大臣 ===
[[ファイル:Yudhoyono Suga.jpg|thumb|[[インドネシアの大統領|インドネシア共和国大統領]][[スシロ・バンバン・ユドヨノ]]と]]
[[ファイル:Yudhoyono Suga.jpg|thumb|[[インドネシアの大統領|インドネシア共和国大統領]][[スシロ・バンバン・ユドヨノ]]と]]
{{Wikisource|総務大臣、拉致問題の放送の命令を検討}}
{{Wikisource|総務大臣、拉致問題の放送の命令を検討}}
[[2006年]]10月、[[NHKワールド・ラジオ日本|NHK短波ラジオ国際放送]]への放送命令に定義されている放送事項に、「[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]」という具体的な内容を加える方針を示した。日本の[[放送法]]33条には『国際放送等の実施の[[命令]]等』という項目があり、そこには「[[総務大臣]]は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命ずることができる」とある([[2007年]]12月の放送法改正で「命令」から「要請」に変更された)。
[[2006年]]10月、[[NHKワールド・ラジオ日本|NHK短波ラジオ国際放送]]への放送命令に定義されている放送事項に、「[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]」という具体的な内容を加える方針を示した。日本の[[放送法]]33条には『国際放送等の実施の[[命令]]等』という項目があり、そこには「[[総務大臣]]は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命ずることができる」とある([[2007年]]12月の放送法改正で「命令」から「要請」に変更された)。


[[11月10日]]には、放送事項に「[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]による日本人拉致問題に特に留意すること」を追加する命令を[[日本放送協会|NHK]]に出した<ref name="nhk2007">{{Cite web | url = https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/focus/111.html | title = 総務大臣が「拉致問題」で NHK国際放送に「命令放送」 | publisher = [[NHK放送文化研究所]] | date = | accessdate = 2017-07-22 }}</ref>。一方で「[[報道の自由]]は守らなければならない。番組内容や放送回数を指示する訳ではない」とNHKに対して編集権の配慮も示した<ref name="nhk2007"/>。放送法44条には「編集権」に関して『放送番組の編集等』という項目があり、そこでは「NHKは、国際放送の放送番組の編集に当たっては、海外同胞に適切な慰安を与えるようにしなければならない」とある。また、当時海外から放送していた、[[短波放送]]『[[しおかぜ (放送)|しおかぜ]]』に対して[[無線局免許状]]を交付し、日本国内からの放送に道を開いた(放送局の免許は全て本省決裁で、免許者は総務大臣)。
[[11月10日]]には、放送事項に「[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]による日本人拉致問題に特に留意すること」を追加する命令を[[日本放送協会|NHK]]に出した<ref name="nhk2007">{{Cite web | url = https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/focus/111.html | title = 総務大臣が「拉致問題」で NHK国際放送に「命令放送」 | publisher = [[NHK放送文化研究所]] | date = | accessdate = 2017-07-22 }}</ref>。一方で「[[報道の自由]]は守らなければならない。番組内容や放送回数を指示する訳ではない」とNHKに対して編集権の配慮も示した<ref name="nhk2007"/>。放送法44条には「編集権」に関して『放送番組の編集等』という項目があり、そこでは「NHKは、国際放送の放送番組の編集に当たっては、海外同胞に適切な慰安を与えるようにしなければならない」とある。また、当時海外から放送していた、[[短波放送]]『[[しおかぜ (放送)|しおかぜ]]』に対して[[無線局免許状]]を交付し、日本国内からの放送に道を開いた(放送局の免許は全て本省決裁で、免許者は総務大臣)。


[[2007年]]に発覚した[[年金記録問題]]では、[[厚生労働大臣]]の[[柳澤伯夫]]を差し置き、総務大臣の菅が検証を担当した<ref>「官房長官の実像」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
[[2007年]]に発覚した[[年金記録問題]]では、[[厚生労働大臣]]の[[柳澤伯夫]]を差し置き、総務大臣の菅が検証を担当した<ref>「官房長官の実像」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。


[[日本郵政公社]][[総裁]]の[[生田正治]]と会談後、生田から総裁辞任の申し出があったことを発表した。その後、後任の日本郵政公社総裁には[[三井住友銀行]]出身の[[西川善文]]が就任することが発表された。なお、生田自身が政府に辞任を申し入れたことはない<ref>{{Cite web|date=2007年4月|url=http://facta.co.jp/article/200704060.html|title=菅義偉総務相が演じた生田正治総裁退任の「茶番劇」|publisher=FACTA|accessdate=2009年7月4日}}</ref><ref>{{Cite web|date=2007年7月19日|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/san-in_kaikaku/11770.html|title=2007参院選 改革はどこへ〈2〉特定局の力 一転温存|publisher=北海道新聞|accessdate=2009年7月4日}}</ref>。
[[日本郵政公社]][[総裁]]の[[生田正治]]と会談後、生田から総裁辞任の申し出があったことを発表した。その後、後任の日本郵政公社総裁には[[三井住友銀行]]出身の[[西川善文]]が就任することが発表された。なお、生田自身が政府に辞任を申し入れたことはない<ref>{{Cite web|date=2007年4月|url=http://facta.co.jp/article/200704060.html|title=菅義偉総務相が演じた生田正治総裁退任の「茶番劇」|publisher=FACTA|accessdate=2009年7月4日}}</ref><ref>{{Cite web|date=2007年7月19日|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/san-in_kaikaku/11770.html|title=2007参院選 改革はどこへ〈2〉特定局の力 一転温存|publisher=北海道新聞|accessdate=2009年7月4日}}</ref>。


[[2006年]]、[[再チャレンジ支援議員連盟]]の立ち上げに参加。この議連は実質、ポスト小泉を選出する[[2006年自由民主党総裁選挙]]に、[[安倍晋三]]を擁立する原動力になった{{要出典|date=2015年3月}}。結果{{要出典|date=2015年3月}}、総裁選で安倍は勝利する。同年9月に発足した[[第1次安倍内閣]]では当選わずか4回で[[総務大臣]]([[郵政民営化担当大臣]]を兼務)に任命され、初入閣する。同年12月、[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)|地方分権改革]])の補職辞令を受けた。
[[2006年]]、[[再チャレンジ支援議員連盟]]の立ち上げに参加。この議連は実質、ポスト小泉を選出する[[2006年自由民主党総裁選挙]]に、[[安倍晋三]]を擁立する原動力になった{{要出典|date=2015年3月}}。結果{{要出典|date=2015年3月}}、総裁選で安倍は勝利する。同年9月に発足した[[第1次安倍内閣]]では当選わずか4回で[[総務大臣]]([[郵政民営化担当大臣]]を兼務)に任命され、初入閣する。同年12月、[[内閣府特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)|地方分権改革]])の補職辞令を受けた。


[[2007年]]、[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北を受けた[[内閣改造]]では、安倍は菅の[[内閣官房長官]](次善案として[[内閣官房副長官]])起用を模索した{{要出典|date=2015年3月}}が、直前に菅に事務所費問題が発覚し実現せず、[[自由民主党選挙対策総局長|自民党選挙対策総局長]]に就任した。菅は就任早々「私の仕事は首を切ること」と発言し、候補者の大幅な調整を示唆した{{要出典|date=2015年3月}}。
[[2007年]]、[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北を受けた[[内閣改造]]では、安倍首相は菅の[[内閣官房長官]](次善案として[[内閣官房副長官]])起用を模索した{{要出典|date=2015年3月}}が、直前に菅に事務所費問題が発覚し実現せず、[[自由民主党選挙対策総局長|自民党選挙対策総局長]]に就任した。菅は就任早々「私の仕事は首を切ることです。」と発言し、候補者の大幅な調整を示唆した{{要出典|date=2015年3月}}。


同年9月、安倍首相退陣に伴い行われた[[2007年自由民主党総裁選挙]]では[[福田康夫]]を支持する宏池会の方針に反して[[麻生太郎]]を支持し、推薦人にも名前を連ねた。[[福田康夫内閣|福田政権]]の下で、選挙対策総局長を格上げした[[自由民主党選挙対策委員長|選挙対策委員長]]に[[古賀誠]]が就任すると古賀に手腕を買われ、同副委員長として引続き衆院選対策にあたることになった。古賀の配慮で選対総局長時代の部屋を選挙対策副委員長室として引き続き使用した{{要出典|date=2015年3月}}。
同年9月、安倍首相退陣に伴い行われた[[2007年自由民主党総裁選挙]]で[[福田康夫]]を支持する宏池会の方針に反して[[麻生太郎]]を支持し、推薦人にも名前を連ねた。[[福田康夫内閣|福田政権]]の下で、選挙対策総局長を格上げした[[自由民主党選挙対策委員長|選挙対策委員長]]に[[古賀誠]]が就任すると古賀に手腕を買われ、同副委員長として引続き衆院選対策にあたることになった。古賀の配慮で選対総局長時代の部屋を選挙対策副委員長室として引き続き使用した{{要出典|date=2015年3月}}。


[[麻生内閣]]発足後は麻生の側近として低[[内閣支持率|支持率]]にあえぐ[[政権]]を支え、[[中川秀直]]や[[塩崎恭久]]ら党内の反麻生派を硬軟取り混ぜた様々な手段で抑えた{{要出典|date=2015年3月}}。また、積極的な政策提言を行い、[[政府紙幣]]や[[無利子国債]]発行、[[世襲]]制限を唱えた{{要出典|date=2015年3月}}。
[[麻生内閣]]発足後は麻生首相の側近として低[[内閣支持率|支持率]]にあえぐ[[政権]]を支え、[[中川秀直]]や[[塩崎恭久]]ら党内の反麻生派を硬軟取り混ぜた様々な手段で抑えた{{要出典|date=2015年3月}}。また、積極的な政策提言を行い、[[政府紙幣]]や[[無利子国債]]発行、[[世襲]]制限を唱えた{{要出典|date=2015年3月}}。


[[2009年]]7月、古賀が[[2009年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]敗北の責任を取る形で辞任。麻生の解散予告後だったこともあり、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになる{{要出典|date=2015年3月}}。
[[2009年]]7月、古賀が[[2009年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]敗北の責任を取る形で辞任。麻生の解散予告後だったこともあり、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになる{{要出典|date=2015年3月}}。
99行目: 99行目:
[[2012年]]4月、[[郵政民営化法]]改正案の採決で、賛成する党の方針に反して反対した<ref>[http://archive.fo/cDryv 郵政改正案が衆院通過、自民・菅義偉氏と小泉進次郎氏ら造反/神奈川] 神奈川新聞 2012年4月13日</ref>。
[[2012年]]4月、[[郵政民営化法]]改正案の採決で、賛成する党の方針に反して反対した<ref>[http://archive.fo/cDryv 郵政改正案が衆院通過、自民・菅義偉氏と小泉進次郎氏ら造反/神奈川] 神奈川新聞 2012年4月13日</ref>。


同年9月、盟友関係にある安倍晋三の[[自由民主党総裁]]就任に伴い、[[自由民主党幹事長|自民党幹事長代行]]に起用された。同年12月の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、三村を[[比例復活]]も許さずに破り6選。
同年9月、菅は盟友関係にある安倍の[[自由民主党総裁]]就任に伴い、[[自由民主党幹事長|自民党幹事長代行]]に起用された。同年12月の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、三村を[[比例復活]]も許さずに破り6選を果たす


=== 官房長官 ===
=== 官房長官 ===
[[ファイル:VOA interviews Yoshihide Suga.jpg|thumb|2013年2月4日撮影]]
[[ファイル:VOA interviews Yoshihide Suga.jpg|thumb|2013年2月4日撮影]]
[[ファイル:USTR Froman with Japan’s Chief Cabinet Secretary Suga (9543625447).jpg|thumb|[[アメリカ合衆国通商代表]]マイケル・フロマンと]]
[[ファイル:USTR Froman with Japan’s Chief Cabinet Secretary Suga (9543625447).jpg|thumb|[[アメリカ合衆国通商代表]]マイケル・フロマンと]]
[[2012年]]12月、[[第2次安倍内閣]]の発足に伴い[[内閣官房長官]]に任命される。
[[2012年]]12月、菅は[[第2次安倍内閣]]の発足に伴い[[内閣官房長官]]に任命される。


[[2013年]]、[[郵政民営化]]の考えにそぐわないとして[[日本郵政]]社長[[坂篤郎]]を就任わずか6か月で退任させ、顧問職からも解任した。同年に発生した[[アルジェリア人質事件]]では[[防衛省]]の反対を押し切り、前例のない[[日本国政府専用機]]の派遣を行った<ref>「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号</ref><ref>[[塩田潮]][http://president.jp/articles/-/12601 「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」] PRESIDENT 2014年4月14日号 </ref>。
[[2013年]]、菅は[[郵政民営化]]の考えにそぐわないとして[[日本郵政]][[坂篤郎]]社長を就任わずか6か月で退任させ、顧問職からも解任した。同年に発生した[[アルジェリア人質事件]]では[[防衛省]]の反対を押し切り、前例のない[[日本国政府専用機]]の派遣を行った<ref>「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号</ref><ref>[[塩田潮]][http://president.jp/articles/-/12601 「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」] PRESIDENT 2014年4月14日号 </ref>。


[[2014年]]5月、[[内閣人事局]]の局長人事を主導し、局長に内定していた[[杉田和博]]に代わり[[加藤勝信]]を任命したとされる<ref name = "zakzak1558">{{Cite news | url = http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150508/dms1505080830008-n1.htm| title = 財務官僚が怯える7月人事 増税でミスリードした幹部 官邸の胸三寸で…| newspaper = ZAKZAK| publisher = [[夕刊フジ]]| date = 2015-05-08| accessdate = 2015-05-09}}</ref>。元[[内閣参事官]]の[[高橋洋一 (経済学者)|高橋洋一]]によると、局長人事を機に官僚を統制下に置き「歴代官房長官の中でも屈指の情報収集能力」を持つようになったという<ref name = "zakzak1558"/>。同年7月、自らが出演した[[NHK総合テレビ|NHK]]『[[クローズアップ現代]]』の放送内容について、放送後のNHKに[[総理大臣官邸|官邸]]を通じて間接的に圧力をかけたと報じられたが、事実や関与を否定した<ref>[http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/11/closeup-gendai-hiroko-kuniya_n_5576960.html 「NHK『クローズアップ現代』を首相官邸が叱責」フライデー報道 菅官房長官は否定]</ref>。さらに、同年11月には[[衆議院解散]]による[[第47回衆議院議員総選挙]]執行を安倍に進言した<ref>「官房長官の実像」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
[[2014年]]5月、[[内閣人事局]]の局長人事を主導し、局長に内定していた[[杉田和博]]に代わり[[加藤勝信]]を任命したとされる<ref name = "zakzak1558">{{Cite news | url = http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150508/dms1505080830008-n1.htm| title = 財務官僚が怯える7月人事 増税でミスリードした幹部 官邸の胸三寸で…| newspaper = ZAKZAK| publisher = [[夕刊フジ]]| date = 2015-05-08| accessdate = 2015-05-09}}</ref>。元[[内閣参事官]]の[[高橋洋一 (経済学者)|高橋洋一]]によると、局長人事を機に官僚を統制下に置き「歴代官房長官の中でも屈指の情報収集能力」を持つようになったという<ref name = "zakzak1558"/>。同年7月、自らが出演した[[NHK総合テレビ|NHK]]『[[クローズアップ現代]]』の放送内容について、放送後のNHKに[[総理大臣官邸|官邸]]を通じて間接的に圧力をかけたと報じられたが、事実や関与を否定した<ref>[http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/11/closeup-gendai-hiroko-kuniya_n_5576960.html 「NHK『クローズアップ現代』を首相官邸が叱責」フライデー報道 菅官房長官は否定]</ref>。さらに、同年11月には[[衆議院解散]]による[[第47回衆議院議員総選挙]]執行を安倍に進言した<ref>「官房長官の実像」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。


[[2016年]]7月7日、内閣官房長官の在職期間が1,290日となり、歴代1位の在職日数を記録した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS07H0A_X00C16A7EAF000/ 菅官房長官が在職1290日、歴代1位に 福田康夫氏抜く] 日本経済新聞 2016年7月7日</ref>。
[[2016年]]7月7日、菅の内閣官房長官の在職期間が1,290日となり、歴代1位の在職日数を記録した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS07H0A_X00C16A7EAF000/ 菅官房長官が在職1290日、歴代1位に 福田康夫氏抜く] 日本経済新聞 2016年7月7日</ref>。


[[File:Yoshihide Suga announcing new imperial era Reiwa 2.jpg|サムネイル|2019年4月1日、[[平成]]に代わる元号「[[令和]]」を発表した。]]
[[File:Yoshihide Suga announcing new imperial era Reiwa 2.jpg|サムネイル|2019年4月1日、[[平成]]に代わる元号「[[令和]]」を発表した。]]
118行目: 118行目:
* [[憲法改正論議|憲法改正]]に賛成<ref name="mainichi2012">{{Cite news|url = http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A14002001001|title = 2012衆院選 神奈川2区 菅義偉 |newspaper = [[毎日jp]] |publisher = [[毎日新聞社]] |date = |accessdate = 2014-04-20 }}</ref>。
* [[憲法改正論議|憲法改正]]に賛成<ref name="mainichi2012">{{Cite news|url = http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A14002001001|title = 2012衆院選 神奈川2区 菅義偉 |newspaper = [[毎日jp]] |publisher = [[毎日新聞社]] |date = |accessdate = 2014-04-20 }}</ref>。
* [[日本の集団的自衛権|集団的自衛権]]の行使を禁じた政府の[[法解釈|憲法解釈]]を見直すことに賛成<ref name="mainichi2012"/>。
* [[日本の集団的自衛権|集団的自衛権]]の行使を禁じた政府の[[法解釈|憲法解釈]]を見直すことに賛成<ref name="mainichi2012"/>。
* [[日本の核武装論|日本の核武装]]について検討すべきでないとしている<ref name="mainichi2012"/>。
* [[日本の核武装論|日本の核武装]]について検討すべきでないとしている<ref name="mainichi2012"/>。
* [[原子力規制委員会 (日本)|原子力規制委員会]]の新基準を満たした[[日本の原子力発電所|原発]]は再開すべきとしている<ref name="mainichi2012"/>。
* [[原子力規制委員会 (日本)|原子力規制委員会]]の新基準を満たした[[日本の原子力発電所|原発]]は再開すべきとしている<ref name="mainichi2012"/>。
* [[女性宮家]]の創設に反対<ref name="mainichi2012"/>。
* [[女性宮家]]の創設に反対<ref name="mainichi2012"/>。
* [[2002年]]に選択的[[夫婦別姓]]制度の導入を求める請願を出している<ref> 第154回国会 - 衆議院 - 法務委員会 - 20号 平成14年07月30日</ref>。一方、[[2014年]]のアンケートでは、選択的夫婦別姓制度導入に反対、としている<ref>朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。</ref>。
* [[2002年]]に選択的[[夫婦別姓]]制度の導入を求める請願を出している<ref> 第154回国会 - 衆議院 - 法務委員会 - 20号 平成14年07月30日</ref>。一方、[[2014年]]のアンケートでは、選択的夫婦別姓制度導入に反対、としている<ref>朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。</ref>。
* 「私は[[農家]]の長男が地方では[[農業]]が衰退しており集約化が必要だ。都市農業は[[相続税]]など税制で支援すべき。日本は資源のない島国。[[雇用]]をつくるのが政治家の仕事」として日本の[[環太平洋パートナーシップ協定|TPP]]参加に賛成<ref>[http://archive.fo/ZQB0p TPPめぐる攻防激化、県内議員は民自とも賛否交錯/神奈川] 神奈川新聞 2011年10月30日]</ref>。
* 「私は[[農家]]の長男ですが地方では[[農業]]が衰退しており集約化が必要だと思います。都市農業は[[相続税]]など税制で支援すべきです。日本は資源のない島国。[[雇用]]をつくるのが政治家の仕事なんです」として日本の[[環太平洋パートナーシップ協定|TPP]]参加に賛成<ref>[http://archive.fo/ZQB0p TPPめぐる攻防激化、県内議員は民自とも賛否交錯/神奈川] 神奈川新聞 2011年10月30日]</ref>。


== 人物 ==
== 人物 ==
=== 評価 ===
=== 評価 ===
*[[2014年]]の[[産業経済新聞社|産経新聞社]]と[[フジニュースネットワーク|FNN]]の合同世論調査によると、「第2次安倍晋三内閣で最も評価する閣僚」の1位となった<ref name="sankei20170725">{{Cite news |url = http://www.sankei.com/politics/news/140519/plt1405190008-n1.html | title = 人気トップは菅長官 首相を抜く | work = 産経ニュース | publisher = [[産業経済新聞社|産経新聞社]] | date = 2014-05-19 | accessdate = 2017-07-25 }}</ref>(2位は[[安倍晋三]]{{refnest|group="注"|産経ニュースは安倍が2位となったことについて、"「最も評価する閣僚は」と質問したためか"としている<ref name="sankei20170725"/>。}})。
*[[2014年]]の[[産業経済新聞社|産経新聞社]]と[[フジニュースネットワーク|FNN]]の合同世論調査によると、菅が「第2次安倍晋三内閣で最も評価する閣僚」の1位となった<ref name="sankei20170725">{{Cite news |url = http://www.sankei.com/politics/news/140519/plt1405190008-n1.html | title = 人気トップは菅長官 首相を抜く | work = 産経ニュース | publisher = [[産業経済新聞社|産経新聞社]] | date = 2014-05-19 | accessdate = 2017-07-25 }}</ref>(2位は[[安倍晋三]]{{refnest|group="注"|産経ニュースは安倍が2位となったことについて、"「最も評価する閣僚は」と質問したためか"としている<ref name="sankei20170725"/>。}})。


=== エピソード ===
=== エピソード ===
* 「安倍が最も信頼する側近の1人」とされ<ref>[http://archive.fo/kwEAo 飾らずに裏方に徹する 総務 菅 義偉] 読売新聞 2006年9月27日</ref>、[[第1次安倍内閣]]が閣僚のスキャンダルや問題発言などで混乱する中、存在感を増していった<ref>{{Cite web|date=2007年3月2日|url=http://www.nikkei.co.jp/neteye5/shimizu2/20070301nea31000_01.html|title=安倍晋三の「影の官房長官」菅義偉総務相|publisher=NIKKEINET|accessdate=2009年7月2日}}{{リンク切れ|date=2013年10月}}</ref>。地方分権改革推進法など19本の法案を成立させるとともに、[[ふるさと納税]]の提唱や、[[年金記録問題]]における省内委員会の設置を行うなど、閣僚のスキャンダルが続出した[[第1次安倍内閣]]にあって安定した存在感を発揮した。2012年(平成24年)の[[2012年自由民主党総裁選挙|自由民主党総裁選挙]]に際しては早くから安倍擁立に動き、第2次安倍内閣では念願だった内閣官房長官に抜擢された<ref name="bunshun20130124">{{Cite journal | 和書 |url = http://archive.fo/fR7ER | title = 安倍首相を再登板させた男 菅官房長官への期待と不安 | journal = [[週刊文春]] | volume = 2013年1月31日号 |publisher = [[文藝春秋]] | date = 2013-01-24 | accessdate = 2014-01-03 }}</ref><ref>{{cite news |title=安倍総理を支えた「官邸の300日」 -菅 義偉官房長官【1】|author= |agency=|publisher=プレジデントオンライン |date=2013-12-19|url=http://president.jp/articles/-/11381|accessdate=2014-1-13}}</ref>。
* 菅は、「安倍が最も信頼する側近の1人」とされ<ref>[http://archive.fo/kwEAo 飾らずに裏方に徹する 総務 菅 義偉] 読売新聞 2006年9月27日</ref>、[[第1次安倍内閣]]が閣僚のスキャンダルや問題発言などで混乱する中、存在感を増していった<ref>{{Cite web|date=2007年3月2日|url=http://www.nikkei.co.jp/neteye5/shimizu2/20070301nea31000_01.html|title=安倍晋三の「影の官房長官」菅義偉総務相|publisher=NIKKEINET|accessdate=2009年7月2日}}{{リンク切れ|date=2013年10月}}</ref>。地方分権改革推進法など19本の法案を成立させるとともに、[[ふるさと納税]]の提唱や、[[年金記録問題]]における省内委員会の設置を行うなど、閣僚のスキャンダルが続出した[[第1次安倍内閣]]にあって安定した存在感を発揮した。2012年(平成24年)の[[2012年自由民主党総裁選挙|自由民主党総裁選挙]]に際しては早くから安倍擁立に動き、第2次安倍内閣では念願だった内閣官房長官に抜擢された<ref name="bunshun20130124">{{Cite journal | 和書 |url = http://archive.fo/fR7ER | title = 安倍首相を再登板させた男 菅官房長官への期待と不安 | journal = [[週刊文春]] | volume = 2013年1月31日号 |publisher = [[文藝春秋]] | date = 2013-01-24 | accessdate = 2014-01-03 }}</ref><ref>{{cite news |title=安倍総理を支えた「官邸の300日」 -菅 義偉官房長官【1】|author= |agency=|publisher=プレジデントオンライン |date=2013-12-19|url=http://president.jp/articles/-/11381|accessdate=2014-1-13}}</ref>。
* 菅の先輩に当たる[[平沼赳夫]]が自民党に復党した際に、平沼の[[平和安全法制|安保法案]]に関する賛同について評価した上で「自民党としてさまざまな問題の中で判断され、復党が認められたと思う」と述べた<ref>{{Cite web|date=2015年10月2日|url=http://www.sankei.com/politics/news/151002/plt1510020019-n1.html|title=平沼赳夫氏らの復党「安保関連法案に賛成いただいた」菅官房長官|publisher=産経新聞|accessdate=2015年10月2日}}</ref>。
* 菅の先輩に当たる[[平沼赳夫]]が自民党に復党した際に、平沼の[[平和安全法制|安保法案]]に関する賛同について評価した上で「自民党としてさまざまな問題の中で判断され、復党が認められたと思う」と述べた<ref>{{Cite web|date=2015年10月2日|url=http://www.sankei.com/politics/news/151002/plt1510020019-n1.html|title=平沼赳夫氏らの復党「安保関連法案に賛成いただいた」菅官房長官|publisher=産経新聞|accessdate=2015年10月2日}}</ref>。
*地元の事務所の車のナンバーは548。これは、自民党に大逆風が吹いた2009年の総選挙の際に2位に548票差まで迫られ辛勝したことから、選挙の厳しさを忘れないため<ref>{{Cite news|url=http://www.zakzak.co.jp/soc/news/171014/soc1710140002-n2.html|title=【激闘10・22衆院選】枝野氏、まさかの大接戦 選挙プランナーらが分析 首都圏全46区「当落リスト」|work=zakzak.co.jp|newspaper=[[夕刊フジ]]|date=2017-10-14|accessdate=2017-10-19}}</ref>。
*地元の事務所の車のナンバーは548。これは、自民党に大逆風が吹いた2009年の総選挙の際に2位に548票差まで迫られ辛勝したことから、選挙の厳しさを忘れないため<ref>{{Cite news|url=http://www.zakzak.co.jp/soc/news/171014/soc1710140002-n2.html|title=【激闘10・22衆院選】枝野氏、まさかの大接戦 選挙プランナーらが分析 首都圏全46区「当落リスト」|work=zakzak.co.jp|newspaper=[[夕刊フジ]]|date=2017-10-14|accessdate=2017-10-19}}</ref>。
135行目: 135行目:


=== 交友関係 ===
=== 交友関係 ===
* 師と仰いだ[[梶山静六]]から「[[官僚]]は自分たちの考えがあり、政治家に説明するとき、必ずそれを入れてくる。おまえなんかすぐに騙される」と言われたことから、幅広い分野の有識者と交友関係を持って情報を収集するように務めているとされる<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。第2次安倍内閣で内閣官房長官に就任した際には、梶山の墓前にも就任を報告した<ref name="bunshun20130124"/>。
* 菅が師と仰いだ[[梶山静六]]から「[[官僚]]は自分たちの考えがあり、政治家に説明するとき、必ずそれを入れてくる。おまえなんかすぐに騙される」と言われたことから、幅広い分野の有識者と交友関係を持って情報を収集するように務めているとされる<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。第2次安倍内閣で内閣官房長官に就任した際には、梶山の墓前にも就任を報告した<ref name="bunshun20130124"/>。
* [[総務副大臣]]時代に[[総務大臣]]だった[[竹中平蔵]]と頻繁に意見交換を行う。竹中が株価を上げるため[[年金積立金管理運用独立行政法人]]を利用することを提案すると、菅は[[厚生労働省]]の反対を押し切って即座に有識者会議を設置した。竹中によると、[[2020年東京オリンピック構想]]なども菅の主導によるものではないかという<ref>[[塩田潮]][http://president.jp/articles/-/12601 「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」]PRESIDENT 2014年4月14日号 </ref>。
* [[総務副大臣]]時代に[[総務大臣]]だった[[竹中平蔵]]と頻繁に意見交換を行う。竹中が株価を上げるため[[年金積立金管理運用独立行政法人]]を利用することを提案すると、菅は[[厚生労働省]]の反対を押し切って即座に有識者会議を設置した。竹中によると、[[2020年東京オリンピック構想]]なども菅の主導によるものではないかという<ref>[[塩田潮]][http://president.jp/articles/-/12601 「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」]PRESIDENT 2014年4月14日号 </ref>。
* [[サントリーホールディングス]]社長の[[新浪剛史]]と交友があり、[[沖縄県|沖縄]]政策のため、沖縄でのテーマパーク展開を検討していた[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]運営会社社長[[グレン・ガンペル]]を、新浪から紹介された<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[サントリーホールディングス]]の[[新浪剛史]]社長と交友があり、[[沖縄県|沖縄]]政策のため、沖縄でのテーマパーク展開を検討していた[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]運営会社[[グレン・ガンペル]]社長を、新浪社長から紹介された<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[農業協同組合]]改革の際は、[[フューチャーアーキテクト]]会長兼社長の[[金丸恭文]]から意見を聞いた<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[農業協同組合]]改革の際は、[[フューチャーアーキテクト]]会長兼社長の[[金丸恭文]]から意見を聞いた<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[ヘッジファンド・サード・ポイント]][[最高経営責任者]]の[[ダニエル・ローブ]]と面会し、[[アベノミクス]]に関して意見交換を行った<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[ヘッジファンド・サード・ポイント]][[最高経営責任者]]の[[ダニエル・ローブ]]と面会し、[[アベノミクス]]に関して意見交換を行った<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[駐日アメリカ合衆国大使]]を2013年から4年間務めた[[キャロライン・ケネディ]]とは毎月会食を行っていた<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[駐日アメリカ合衆国大使]]を2013年から4年間務めた[[キャロライン・ケネディ]]とは毎月会食を行っていた<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[大韓民国]]大統領府秘書室長[[李丙ギ|李丙琪]]とは、李が[[駐日大韓民国大使]]を務めていた時代から関係を作り、大使離任後も電話で会談を行う<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。
* [[大韓民国]]大統領府秘書室長[[李丙ギ|李丙琪]]とは、李が[[駐日大韓民国大使]]を務めていた時代から関係を作り、大使離任後も電話で会談を行う<ref>「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面</ref>。


=== 性格 ===
=== 性格 ===
* [[平沢勝栄]]によると、菅は自ら表に出ることは少なく、人と話すときもあまり喋らずに聞き役に徹するタイプであるという。高校の同級生だった元[[十文字町]]町長の[[小川健吉]]も父・菅和三郎とは異なり、菅はあまり目立たない生徒で、自分の殻に閉じこもっているような印象を持っていたとする。また菅自身、自らを地味で真面目な性格で、特に[[パフォーマンス]]が苦手だという<ref>(ジャーナリスト)[[山崎柊]]「菅義偉官房長官「政権の黒幕」研究」文藝春秋2013年7月号</ref><ref>塩田潮[http://president.jp/articles/-/12601 「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」]PRESIDENT 2014年4月14日号 </ref>。
* [[平沢勝栄]]によると、菅は自ら表に出ることは少なく、人と話すときもあまり喋らずに聞き役に徹するタイプであるという。高校の同級生だった元[[十文字町]]町長の[[小川健吉]]も父・菅和三郎とは異なり、菅はあまり目立たない生徒で、自分の殻に閉じこもっているような印象を持っていたとする。また菅自身、自らを地味で真面目な性格で、特に[[パフォーマンス]]が苦手だという<ref>(ジャーナリスト)[[山崎柊]]「菅義偉官房長官「政権の黒幕」研究」文藝春秋2013年7月号</ref><ref>塩田潮[http://president.jp/articles/-/12601 「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」]PRESIDENT 2014年4月14日号 </ref>。
* [[2016年]][[4月1日]]の定例[[記者会見]]において、[[エイプリルフール]]に因んだ冗談はあったのかと記者に問われた際、「私は非常に堅物で、ユーモアのない、一つ一つ着実な発言ばかり」であるとした上で、官房長官の立場もあり嘘や冗談は控えていると答えている<ref>[http://archive.fo/rWxcZ 私は堅物、ユーモアない」=菅長官] 時事通信 2016年4月2日</ref><ref>[http://www.sankei.com/smp/politics/news/160401/plt1604010034-s.html 官房長官、エイプリルフールでも冗談は自制? 「私は非常に堅物なので…」] 産経新聞 2016年4月2日</ref>。
* [[2016年]][[4月1日]]の定例[[記者会見]]において、[[エイプリルフール]]に因んだ冗談はあったのかと記者に問われた際、「私は非常に堅物で、ユーモアのない、一つ一つ着実な発言ばかり」であるとした上で、官房長官の立場もあり嘘や冗談は控えていると答えている<ref>[http://archive.fo/rWxcZ 私は堅物、ユーモアない」=菅長官] 時事通信 2016年4月2日</ref><ref>[http://www.sankei.com/smp/politics/news/160401/plt1604010034-s.html 官房長官、エイプリルフールでも冗談は自制? 「私は非常に堅物なので…」] 産経新聞 2016年4月2日</ref>。


== 政治資金 ==
== 政治資金 ==
=== 所有ビルの事務所費 ===
=== 所有ビルの事務所費 ===
菅が代表を務める自民党支部と後援会が、いずれも菅本人の所有ビルに「主たる事務所」を置き、2005年分の[[政治資金収支報告書]]に計約1956万円の事務所費を計上していたことが、2007年に報じられている<ref>東京新聞、2007年8月25日</ref><ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-26/2007082601_02_0.html 菅総務相の「事務所費」/所有ビルに2千万円/家賃405万円 資産形成か] しんぶん赤旗 2007年8月26日</ref>。[[塩田潮]]によると、この報道により第1次安倍内閣での官房長官就任が見送られたとされている<ref>塩田潮[http://president.jp/articles/-/12601 菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】] PRESIDENT 2014年4月14日号</ref>。
菅が代表を務める自民党支部と後援会が、いずれも菅本人の所有ビルに「主たる事務所」を置き、2005年分の[[政治資金収支報告書]]に計約1956万円の事務所費を計上していたことが、2007年に報じられている<ref>東京新聞、2007年8月25日</ref><ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-26/2007082601_02_0.html 菅総務相の「事務所費」/所有ビルに2千万円/家賃405万円 資産形成か] しんぶん赤旗 2007年8月26日</ref>。[[塩田潮]]によると、この報道により第1次安倍内閣での官房長官就任が見送られたとされている<ref>塩田潮[http://president.jp/articles/-/12601 菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】] PRESIDENT 2014年4月14日号</ref>。


=== 総務大臣在任時の政治資金パーティー ===
=== 総務大臣在任時の政治資金パーティー ===
157行目: 157行目:


=== 白紙領収書への後日金額記入 ===
=== 白紙領収書への後日金額記入 ===
他の国会議員の政治資金パーティーに参加した際の費用の領収書を白紙でもらい、事務所で金額を記入していた。その理由について、「パーティー主催者の了解のもと、実際の日付、宛先、金額を正確に記載した」とし、「数百人規模の出席者全員の宛先と金額を書いてもらうと、受け付けが混乱する」と述べている。
菅は、他の国会議員の政治資金パーティーに参加した際の費用の領収書を白紙でもらい、事務所で金額を記入していた。その理由について、「パーティー主催者の了解のもと、実際の日付、宛先、金額を正確に記載した」とし、「数百人規模の出席者全員の宛先と金額を書いてもらうと、受け付けが混乱する」と述べている。


[[政治資金規正法]]を所管する[[高市早苗]][[総務大臣|総務相]]は「領収書作成方法の規定はない。主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じない」との見解を示している<ref>[http://mainichi.jp/articles/20161007/k00/00m/010/055000c 菅、稲田氏 パーティーで白紙領収書 総務相「問題ない」] 毎日新聞 2016年10月6日</ref>。総務省の手引では受領者側が領収書に追記するのは不適当とされている<ref>{{Cite news | url = http://www.sankei.com/politics/news/161012/plt1610120006-n2.html | title =【主張】白紙の領収書 非常識がまかり通るのか(2/2ページ)| work = 産経ニュース | publisher = [[産業経済新聞社|産経新聞社]] | date = 2016-10-12 | accessdate = 2017-07-17 }}</ref>。
[[政治資金規正法]]を所管する[[高市早苗]][[総務大臣|総務相]]は「領収書作成方法の規定はないです。主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じません」との見解を示している<ref>[http://mainichi.jp/articles/20161007/k00/00m/010/055000c 菅、稲田氏 パーティーで白紙領収書 総務相「問題ない」] 毎日新聞 2016年10月6日</ref>。総務省の手引では受領者側が領収書に追記するのは不適当とされている<ref>{{Cite news | url = http://www.sankei.com/politics/news/161012/plt1610120006-n2.html | title =【主張】白紙の領収書 非常識がまかり通るのか(2/2ページ)| work = 産経ニュース | publisher = [[産業経済新聞社|産経新聞社]] | date = 2016-10-12 | accessdate = 2017-07-17 }}</ref>。


[[2016年]][[10月11日]]、自民党は党所属の全ての国会議員に対し、領収書を出す際には金額など必要事項を事前に記載するよう通達をおこなった<ref>{{Cite news | url = http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS11H2R_R11C16A0PP8000/ | title = 領収書に金額明記を 自民が通知 | publisher = [[日本経済新聞]] | date = 2016-10-11 | accessdate = 2017-07-17 }}</ref><ref>{{Cite news | url = http://mainichi.jp/articles/20161012/k00/00m/010/056000c | title = 白紙領収書 自民が運用改善策 金額記載を通達 | work = [[ニュースサイト「毎日新聞」]] | publisher = [[毎日新聞社]] | date = 2016-10-11 | accessdate = 2017-07-17 }}</ref>。
[[2016年]][[10月11日]]、自民党は党所属の全ての国会議員に対し、領収書を出す際には金額など必要事項を事前に記載するよう通達をおこなった<ref>{{Cite news | url = http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS11H2R_R11C16A0PP8000/ | title = 領収書に金額明記を 自民が通知 | publisher = [[日本経済新聞]] | date = 2016-10-11 | accessdate = 2017-07-17 }}</ref><ref>{{Cite news | url = http://mainichi.jp/articles/20161012/k00/00m/010/056000c | title = 白紙領収書 自民が運用改善策 金額記載を通達 | work = [[ニュースサイト「毎日新聞」]] | publisher = [[毎日新聞社]] | date = 2016-10-11 | accessdate = 2017-07-17 }}</ref>。


== 所属団体・議員連盟 ==
== 所属団体・議員連盟 ==

2019年4月2日 (火) 00:45時点における版

菅 義偉
すが よしひで
生年月日 (1948-12-06) 1948年12月6日(75歳)
出生地 日本の旗 日本 秋田県雄勝郡雄勝町(現:湯沢市
出身校 法政大学法学部政治学科卒業
前職 段ボール工場作業員
建電設備株式会社社員
衆議院議員小此木彦三郎秘書
横浜市会議員
現職 衆議院議員
内閣官房長官
沖縄基地負担軽減担当大臣
拉致問題担当大臣
所属政党 自由民主党小渕派古賀派→無派閥)
称号 法学士(法政大学・1973年)
配偶者 一般女性
公式サイト すが義偉

日本の旗 第81·82·83代 内閣官房長官
内閣 第2次安倍内閣
第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
第3次安倍第1次改造内閣
第3次安倍第2次改造内閣
第3次安倍第3次改造内閣
第4次安倍内閣
第4次安倍改造内閣
在任期間 2012年12月26日 - 現職

内閣 第1次安倍内閣
在任期間 2006年9月26日 - 2007年8月27日

選挙区 神奈川2区
当選回数 8回
在任期間 1996年10月21日 - 現職

選挙区 西区選挙区
当選回数 2回
在任期間 1987年 - 1995年
テンプレートを表示

菅 義偉(すが よしひで、1948年12月6日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)であり、内閣官房長官第81代第82代第83代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣である。

横浜市会議員(2期)、総務副大臣第3次小泉改革内閣)、総務大臣第7代)、内閣府特命担当大臣地方分権改革)、郵政民営化担当大臣第3代)、自民党幹事長代行(第2代)などを歴任した。

生い立ち

秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後の雄勝町、現:湯沢市秋ノ宮)中央部旧国道沿いに家があった農家に長男として生まれる[1]。家族は父、母、姉2人、弟1人。父・菅和三郎は、満鉄職員として当時満州国の首都だった通化市日本の降伏を迎えた。引き揚げ後、郷里秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任し、2010年に93歳で死去した。母や叔父、叔母は元教員であり、2人の姉も高校教諭となった[2][3][4][5][6]

雄勝町立秋ノ宮小学校(現:湯沢市立雄勝小学校)卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現:湯沢市立雄勝中学校)に進学する。中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属した。後に、フライデーから「特に目立った成績ではなく、姉が進学した北海道教育大学を受験したが不合格となった」と報道されたが、森功の取材では菅本人は当時教員にだけはなりたくないと考えており、北海道教育大の受験はしていないと述べている。父から農業大学校への進学を勧められたが断り、高校卒業後、集団就職で上京する。「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京したが、秋田時代と変わらぬ日々を板橋区段ボール工場で過ごし、現実の厳しさを痛感する。上京から2年後、当時私立大学の中で一番学費が安かったという理由で法政大学法学部政治学科へ進学する[7][8]1973年、法政大学法学部を卒業し、建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に入社した。

市議会議員

1975年政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉秘書を紹介され、同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。以後11年にわたり秘書を務めた[9][要出典]1983年、小此木の通商産業大臣就任に伴い大臣秘書官を務める[10]

1987年横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬し、初当選。その後市議を2期務めた。横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木の死後、当選回数わずか2回にも関わらず、小此木の事実上の代役として秘書時代に培った政財官の人脈を活かして辣腕を振るい、高秀秀信市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなど「影の横浜市長」と呼ばれた[11]

衆議院議員

経歴

1996年第41回衆議院議員総選挙神奈川2区から自民党公認で出馬し、新進党公認・公明推薦の上田晃弘旧民主党公認の新人大出彰らを破り初当選した[12]

1998年自由民主党総裁選挙では所属していた平成研究会会長の小渕恵三ではなく、師と仰ぐ梶山静六を支持し、同派閥を退会[13]。その後宏池会に入会した。2000年第2次森内閣不信任決議をめぐる「加藤の乱」では、加藤紘一らに同調して不信任案の採決では欠席したが、その後の加藤派分裂では親加藤派の小里派(会長:小里貞利)ではなく、反加藤グループの堀内派(会長:堀内光雄)に参加した[13]

2006年9月19日東京都渋谷区での自由民主党総裁選挙の応援演説にて参議院議員山本一太(左から1人目)、衆議院議員片山さつき(右から1人目)らと

総務副大臣

竹中平蔵総務大臣の下、総務副大臣情報通信郵政担当[14])として総務省内部統制のトップを任され、事実上人事権なども行使した[15]

総務大臣

インドネシア共和国大統領スシロ・バンバン・ユドヨノと。

2006年10月、NHK短波ラジオ国際放送への放送命令に定義されている放送事項に、「拉致問題」という具体的な内容を加える方針を示した。日本の放送法33条には『国際放送等の実施の命令等』という項目があり、そこには「総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命ずることができる」とある(2007年12月の放送法改正で「命令」から「要請」に変更された)。

11月10日には、放送事項に「北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること」を追加する命令をNHKに出した[16]。一方で「報道の自由は守らなければならない。番組内容や放送回数を指示する訳ではない」とNHKに対して編集権の配慮も示した[16]。放送法44条には「編集権」に関して『放送番組の編集等』という項目があり、そこでは「NHKは、国際放送の放送番組の編集に当たっては、海外同胞に適切な慰安を与えるようにしなければならない」とある。また、当時海外から放送していた、短波放送しおかぜ』に対して無線局免許状を交付し、日本国内からの放送に道を開いた(放送局の免許は全て本省決裁で、免許者は総務大臣)。

2007年に発覚した年金記録問題では、厚生労働大臣柳澤伯夫を差し置き、総務大臣の菅が検証を担当した[17]

日本郵政公社総裁生田正治と会談後、生田から総裁辞任の申し出があったことを発表した。その後、後任の日本郵政公社総裁には三井住友銀行出身の西川善文が就任することが発表された。なお、生田自身が政府に辞任を申し入れたことはない[18][19]

2006年再チャレンジ支援議員連盟の立ち上げに参加。この議連は実質、ポスト小泉を選出する2006年自由民主党総裁選挙に、安倍晋三を擁立する原動力になった[要出典]。結果[要出典]、総裁選で安倍は勝利する。同年9月に発足した第1次安倍内閣では当選わずか4回で総務大臣郵政民営化担当大臣を兼務)に任命され、初入閣する。同年12月、内閣府特命担当大臣地方分権改革)の補職辞令を受けた。

2007年第21回参議院議員通常選挙敗北を受けた内閣改造では、安倍首相は菅の内閣官房長官(次善案として内閣官房副長官)起用を模索した[要出典]が、直前に菅に事務所費問題が発覚し実現せず、自民党選挙対策総局長に就任した。菅は就任早々、「私の仕事は首を切ることです。」と発言し、候補者の大幅な調整を示唆した[要出典]

同年9月、安倍首相の退陣に伴い行われた2007年自由民主党総裁選挙で菅は、福田康夫を支持する宏池会の方針に反して麻生太郎を支持し、推薦人にも名前を連ねた。福田政権の下で、選挙対策総局長を格上げした選挙対策委員長古賀誠が就任すると古賀に手腕を買われ、同副委員長として引続き衆院選対策にあたることになった。古賀の配慮で選対総局長時代の部屋を選挙対策副委員長室として引き続き使用した[要出典]

麻生内閣発足後は麻生首相の側近として低支持率にあえぐ政権を支え、中川秀直塩崎恭久ら党内の反麻生派を硬軟取り混ぜた様々な手段で抑えた[要出典]。また、積極的な政策提言を行い、政府紙幣無利子国債発行、世襲制限を唱えた[要出典]

2009年7月、古賀が東京都議会議員選挙敗北の責任を取る形で辞任。麻生の解散予告後だったこともあり、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになる[要出典]

同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、神奈川2区で民主党三村和也の猛追を受けるも548票の僅差で三村を破り、5選(三村は比例復活。)。2009年自由民主党総裁選挙において、96年当選同期の大村や新藤義孝松本純と共に河野太郎の推薦人になるとともに、宏池会を退会した[20]

2010年自民党国会対策副委員長及び広報本部長代理に就任。2011年自民党組織運動本部長に就任。

2012年4月、郵政民営化法改正案の採決で、賛成する党の方針に反して反対した[21]

同年9月、菅は盟友関係にある安倍の自由民主党総裁就任に伴い、自民党幹事長代行に起用された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、三村を比例復活も許さずに破り6選を果たす。

官房長官

2013年2月4日撮影
アメリカ合衆国通商代表マイケル・フロマンと

2012年12月、菅は第2次安倍内閣の発足に伴い内閣官房長官に任命される。

2013年、菅は郵政民営化の考えにそぐわないとして日本郵政坂篤郎社長を就任わずか6か月で退任させ、顧問職からも解任した。同年に発生したアルジェリア人質事件では防衛省の反対を押し切り、前例のない日本国政府専用機の派遣を行った[22][23]

2014年5月、内閣人事局の局長人事を主導し、局長に内定していた杉田和博に代わり加藤勝信を任命したとされる[24]。元内閣参事官高橋洋一によると、局長人事を機に官僚を統制下に置き「歴代官房長官の中でも屈指の情報収集能力」を持つようになったという[24]。同年7月、自らが出演したNHKクローズアップ現代』の放送内容について、放送後のNHKに官邸を通じて間接的に圧力をかけたと報じられたが、事実や関与を否定した[25]。さらに、同年11月には衆議院解散による第47回衆議院議員総選挙執行を安倍に進言した[26]

2016年7月7日、菅の内閣官房長官の在職期間が1,290日となり、歴代1位の在職日数を記録した[27]

2019年4月1日、平成に代わる元号「令和」を発表した。

2019年4月1日、同年5月1日から施行される新元号「令和」を発表した[28]

政策

人物

評価

エピソード

  • 菅は、「安倍が最も信頼する側近の1人」とされ[34]第1次安倍内閣が閣僚のスキャンダルや問題発言などで混乱する中、存在感を増していった[35]。地方分権改革推進法など19本の法案を成立させるとともに、ふるさと納税の提唱や、年金記録問題における省内委員会の設置を行うなど、閣僚のスキャンダルが続出した第1次安倍内閣にあって安定した存在感を発揮した。2012年(平成24年)の自由民主党総裁選挙に際しては早くから安倍擁立に動き、第2次安倍内閣では念願だった内閣官房長官に抜擢された[36][37]
  • 菅の先輩に当たる平沼赳夫が自民党に復党した際に、平沼の安保法案に関する賛同について評価した上で「自民党としてさまざまな問題の中で判断され、復党が認められたと思う」と述べた[38]
  • 地元の事務所の車のナンバーは548。これは、自民党に大逆風が吹いた2009年の総選挙の際に2位に548票差まで迫られ辛勝したことから、選挙の厳しさを忘れないため[39]
  • 官房長官会見ではその落ち着いた様子から、「鉄壁のガースー」という愛称もある[要出典]。ただし、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる問題では「異常なほどに熱くなり、冷静さを欠いた」と産経新聞に批判された[40][41][42]

交友関係

性格

  • 平沢勝栄によると、菅は自ら表に出ることは少なく、人と話すときもあまり喋らずに聞き役に徹するタイプであるという。高校の同級生だった元十文字町町長の小川健吉も父・菅和三郎とは異なり、菅はあまり目立たない生徒で、自分の殻に閉じこもっているような印象を持っていたとする。また菅自身は、自らを地味で真面目な性格で、特にパフォーマンスが苦手だという[50][51]
  • 2016年4月1日の定例記者会見において、エイプリルフールに因んだ冗談はあったのかと記者に問われた際、「私は非常に堅物で、ユーモアのない、一つ一つ着実な発言ばかり」であるとした上で、官房長官の立場もあり嘘や冗談は控えていると答えている[52][53]

政治資金

所有ビルの事務所費

菅が代表を務める自民党支部と後援会が、いずれも菅本人の所有ビルに「主たる事務所」を置き、2005年分の政治資金収支報告書に計約1956万円の事務所費を計上していたことが、2007年に報じられている[54][55]塩田潮によると、この報道により第1次安倍内閣での官房長官就任が見送られたとされている[56]

総務大臣在任時の政治資金パーティー

第1次安倍内閣の総務大臣任期中に開催したパーティによる収入約3180万円が、政治資金収支報告書に記載されていることが報じられている[57][注 2]。 菅が代表を務める政党支部が、農林水産省の補助金の交付決定を受けた横浜市南区の造園会社から2011年~2013年に計29万円の献金を受けていたことが明らかになったことが報じられている[58][注 3]。 また、同支部は2014年の衆院選公示直前、国の公共工事を受注していた横浜市の業者から15万円の献金を受けていたと報じられた。[59]

白紙領収書への後日金額記入

菅は、他の国会議員の政治資金パーティーに参加した際の費用の領収書を白紙でもらい、事務所で金額を記入していた。その理由について、「パーティー主催者の了解のもと、実際の日付、宛先、金額を正確に記載した」とし、「数百人規模の出席者全員の宛先と金額を書いてもらうと、受け付けが混乱する」と述べている。

政治資金規正法を所管する高市早苗総務相は「領収書作成方法の規定はないです。主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じません」との見解を示している[60]。総務省の手引では受領者側が領収書に追記するのは不適当とされている[61]

2016年10月11日、自民党は党所属の全ての国会議員に対し、領収書を出す際には金額など必要事項を事前に記載するよう通達をおこなった[62][63]

所属団体・議員連盟

著書

論文

脚注

注釈

  1. ^ 産経ニュースは安倍が2位となったことについて、"「最も評価する閣僚は」と質問したためか"としている[33]
  2. ^ 大臣規範では、大規模な政治資金パーティを自粛すると定めている[57]
  3. ^ 政治資金規正法は、国から補助金交付決定の通知を受けた企業に対し、その後1年間は政党(支部を含む)や資金管理団体への政治献金を禁じている[58]

出典

  1. ^ 官房長官に菅氏(湯沢市出身)就任 第2次安倍内閣 秋田魁新報 2012年12月26日[リンク切れ]
  2. ^ 「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」写真週刊誌『フライデー』2015年1月30日号
  3. ^ 塩田潮「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」PRESIDENT 2014年4月14日号
  4. ^ (ジャーナリスト)山崎柊「菅義偉官房長官「政権の黒幕」研究」文藝春秋2013年7月号
  5. ^ 菅和三郎氏死去 菅義偉元総務相の父 47NEWS 2010年6月28日
  6. ^ 菅義偉氏 北海道教育大受験の事実はなく逃げるように上京 SAPIO 2015年10月号
  7. ^ 田崎史郎『安倍官邸の正体』(講談社現代新書)P168 同書に「法政大学夜間部卒という噂があるが、これは間違いだ」との記述がある。また、松田賢弥「影の権力者 内閣官房長官菅義偉」(講談社+α文庫)p97にも、菅本人の発言として、昼(1部)に入学し卒業したと紹介している。
  8. ^ 菅義偉氏 北海道教育大受験の事実はなく逃げるように上京 SAPIO 2015年10月号
  9. ^ 「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号
  10. ^ 菅義偉(すが よしひで) 時事ドットコム
  11. ^ 「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号
  12. ^ 菅義偉・新官房長官:安倍政権誕生に尽力、議員秘書出身の苦労人 (1) 」 『ブルームバーグニュース』 2012年12月26日 2014年5月20日閲覧。
  13. ^ a b “内閣官房長官 菅 義偉 -敗北で鍛えられた胆力と判断力”. プレジデントオンライン. (2013年3月15日). http://president.jp/articles/-/8822 2014年1月13日閲覧。 
  14. ^ 総務省 副大臣記者会見 平成17年11月2日
  15. ^ 塩田潮「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【2】」PRESIDENT 2014年4月14日号
  16. ^ a b 総務大臣が「拉致問題」で NHK国際放送に「命令放送」”. NHK放送文化研究所. 2017年7月22日閲覧。
  17. ^ 「官房長官の実像」日本経済新聞2015/04/26第4面
  18. ^ 菅義偉総務相が演じた生田正治総裁退任の「茶番劇」”. FACTA (2007年4月). 2009年7月4日閲覧。
  19. ^ 2007参院選 改革はどこへ〈2〉特定局の力 一転温存”. 北海道新聞 (2007年7月19日). 2009年7月4日閲覧。
  20. ^ 菅選対副委員長、古賀派を退会…河野氏支援へ 読売新聞 2009年9月16日
  21. ^ 郵政改正案が衆院通過、自民・菅義偉氏と小泉進次郎氏ら造反/神奈川 神奈川新聞 2012年4月13日
  22. ^ 「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号
  23. ^ 塩田潮「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」 PRESIDENT 2014年4月14日号
  24. ^ a b “財務官僚が怯える7月人事 増税でミスリードした幹部 官邸の胸三寸で…”. ZAKZAK (夕刊フジ). (2015年5月8日). http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150508/dms1505080830008-n1.htm 2015年5月9日閲覧。 
  25. ^ 「NHK『クローズアップ現代』を首相官邸が叱責」フライデー報道 菅官房長官は否定
  26. ^ 「官房長官の実像」日本経済新聞2015/04/26第4面
  27. ^ 菅官房長官が在職1290日、歴代1位に 福田康夫氏抜く 日本経済新聞 2016年7月7日
  28. ^ 日本の新元号「令和」に決定…国民、新時代に期待感”. 中央日報 (2019年4月1日). 2019年4月1日閲覧。
  29. ^ a b c d e “2012衆院選 神奈川2区 菅義偉”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A14002001001 2014年4月20日閲覧。 
  30. ^ 第154回国会 - 衆議院 - 法務委員会 - 20号 平成14年07月30日
  31. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  32. ^ TPPめぐる攻防激化、県内議員は民自とも賛否交錯/神奈川 神奈川新聞 2011年10月30日]
  33. ^ a b “人気トップは菅長官 首相を抜く”. 産経ニュース (産経新聞社). (2014年5月19日). http://www.sankei.com/politics/news/140519/plt1405190008-n1.html 2017年7月25日閲覧。 
  34. ^ 飾らずに裏方に徹する 総務 菅 義偉 読売新聞 2006年9月27日
  35. ^ 安倍晋三の「影の官房長官」菅義偉総務相”. NIKKEINET (2007年3月2日). 2009年7月2日閲覧。[リンク切れ]
  36. ^ a b 安倍首相を再登板させた男 菅官房長官への期待と不安」『週刊文春』2013年1月31日号、文藝春秋、2013年1月24日、2014年1月3日閲覧 
  37. ^ “安倍総理を支えた「官邸の300日」 -菅 義偉官房長官【1】”. プレジデントオンライン. (2013年12月19日). http://president.jp/articles/-/11381 2014年1月13日閲覧。 
  38. ^ 平沼赳夫氏らの復党「安保関連法案に賛成いただいた」菅官房長官”. 産経新聞 (2015年10月2日). 2015年10月2日閲覧。
  39. ^ “【激闘10・22衆院選】枝野氏、まさかの大接戦 選挙プランナーらが分析 首都圏全46区「当落リスト」”. 夕刊フジ. (2017年10月14日). http://www.zakzak.co.jp/soc/news/171014/soc1710140002-n2.html 2017年10月19日閲覧。 
  40. ^ l “冷静さ欠いた菅義偉官房長官 前川喜平前文部次官を「許せない!」 個人攻撃で問題こじれた「怪文書」で誤算 「鉄壁ガースー」決壊”. 毎日新聞. (2017年6月17日). https://mainichi.jp/articles/20170618/k00/00m/010/016000c l 2017年9月30日閲覧。 
  41. ^ “冷静さ欠いた菅義偉官房長官 前川喜平前文部次官を「許せない!」 個人攻撃で問題こじれた”. 産経新聞. (2017年6月18日). http://www.sankei.com/politics/news/170618/plt1706180030-n1.html 2017年9月30日閲覧。 
  42. ^ 菅官房長官を狼狽させた東京新聞女性記者の“聞く力”週刊ポスト 2017年6月30日号”. 2017年9月23日閲覧。
  43. ^ 「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面
  44. ^ 塩田潮「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」PRESIDENT 2014年4月14日号
  45. ^ 「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面
  46. ^ 「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面
  47. ^ 「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面
  48. ^ 「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面
  49. ^ 「幅広い意見交換、心がけ」日本経済新聞2015/04/26第4面
  50. ^ (ジャーナリスト)山崎柊「菅義偉官房長官「政権の黒幕」研究」文藝春秋2013年7月号
  51. ^ 塩田潮「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】」PRESIDENT 2014年4月14日号
  52. ^ 私は堅物、ユーモアない」=菅長官 時事通信 2016年4月2日
  53. ^ 官房長官、エイプリルフールでも冗談は自制? 「私は非常に堅物なので…」 産経新聞 2016年4月2日
  54. ^ 東京新聞、2007年8月25日
  55. ^ 菅総務相の「事務所費」/所有ビルに2千万円/家賃405万円 資産形成か しんぶん赤旗 2007年8月26日
  56. ^ 塩田潮菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】 PRESIDENT 2014年4月14日号
  57. ^ a b 産経新聞 2008年9月12日
  58. ^ a b 「補助金企業献金:菅官房長官も29万円」、毎日新聞、2015年3月4日
  59. ^ “国契約業者が菅官房長官に献金 前回衆院選前、公選法抵触の疑い”. 共同通信. (2017年9月27日). http://www.47news.jp/news/2017/09/post_20170927175906.html 2017年10月2日閲覧。 
  60. ^ 菅、稲田氏 パーティーで白紙領収書 総務相「問題ない」 毎日新聞 2016年10月6日
  61. ^ “【主張】白紙の領収書 非常識がまかり通るのか(2/2ページ)”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年10月12日). http://www.sankei.com/politics/news/161012/plt1610120006-n2.html 2017年7月17日閲覧。 
  62. ^ “領収書に金額明記を 自民が通知”. 日本経済新聞. (2016年10月11日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS11H2R_R11C16A0PP8000/ 2017年7月17日閲覧。 
  63. ^ “白紙領収書 自民が運用改善策 金額記載を通達”. ニュースサイト「毎日新聞」 (毎日新聞社). (2016年10月11日). http://mainichi.jp/articles/20161012/k00/00m/010/056000c 2017年7月17日閲覧。 

外部リンク

公職
先代
藤村修
日本の旗 内閣官房長官
第81・82・83代:2012年 -
次代
現職
先代
竹中平蔵
日本の旗 総務大臣
第7代:2006年 - 2007年
次代
増田寛也
先代
創設
日本の旗 特命担当大臣地方分権改革
初代:2006年 - 2007年
次代
増田寛也
先代
今井宏山本公一
日本の旗 総務副大臣
山崎力と共同
2005年 - 2006年
次代
大野松茂田村憲久
党職
先代
田野瀬良太郎
自由民主党幹事長代行
第2代:2012年
次代
細田博之
先代
谷津義男
自由民主党選挙対策総局長
第2代:2007年
次代
選挙対策委員長