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「雄信内駅」の版間の差分

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2020年2月15日 (土) 08:36時点における版

雄信内駅
駅舎(2017年7月)
おのっぷない
Onoppunai
W67 糠南 (5.7 km)
(6.0 km) 安牛 W69
地図
所在地 北海道天塩郡幌延町字雄興
北緯44度54分41.1秒 東経141度56分9.5秒 / 北緯44.911417度 東経141.935972度 / 44.911417; 141.935972 (雄信内駅)
駅番号 W68
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 宗谷本線
キロ程 183.7 km(旭川起点)
電報略号 オノ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1925年(大正14年)7月20日
備考 無人駅
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雄信内駅(おのっぷないえき)は、北海道宗谷総合振興局天塩郡幌延町字雄興(ゆうこう)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。駅番号W68電報略号オノ

歴史

1977年の雄信内駅と周囲約500m範囲。左が稚内方面。国鉄型配線の2面3線。駅舎横の稚内側に貨物積卸場と引込み線。駅舎横の名寄寄りと駅裏のストックヤードは共に久しく使用されていない様子。かつては木材が山のように積まれていたこともあった。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅名の由来

当駅が所在する幌延町から対岸の天塩町にかけての地名から。地名や、駅以外の公共施設、北海道道道の路線名における「雄信内」の読みは「おのない」である[天塩町 1]

地名は、天塩町側を流れ、当駅の対岸付近で天塩川に合流する雄信内川のアイヌ語名「オヌㇷ゚ウンナイ(o-nup-un-nay)[6]」(川尻に・原野・のある・川)に由来する[7][8][9]

なお、アイヌ語地名研究家の山田秀三は旧図に「ヲヌフナイ」とあることから「オヌㇷ゚ナイ(o-nup-nay)」と略して呼ばれた、と推察しており[7]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』でも「オ・ヌㇷ゚・ウン・ナイママ」が「オヌプナイママ」に転訛しそれに漢字をあてた、とする説を採用している[1]

駅所在地の字名は現在「雄興」となっているが、これは、1959年(昭和34年)の字名改正で「新雄信内」をはじめとする幌延町内の「雄信内」と通称される地区の字名を再編したことによるもので[幌延町 1]天塩町側の「雄信内」(現字名:オヌプナイ)と混同のおそれがあったことに加え、「地理的に今後雄々しく興隆の兆がある」として名付けられたものである[幌延町 1]

駅構造

相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能となっている[10]。互いのホームは駅舎側ホーム東側と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡し[10]、駅舎側(南側)が下りの1番線、対向側ホームが上りの2番線となっている[10]。そのほか1993年(平成5年)3月時点では1番線の稚内方から分岐し駅舎西側に至る行き止りの側線を1線有していることが確認されている[10]。また、1983年(昭和58年)4月時点では副本線1線を2番線の反対側に有していた(この時点で旭川方・稚内方両側の分岐器は撤去されていた)が[11]、この旧副本線は1993年(平成5年)3月までには撤去された[10]

駅舎は構内の南側に位置し、1番線ホーム中央部分に接している[10]。1953(昭和28)年11月に改築された木造駅舎[4][11]が修復を加えながら継続使用されており、旧事務室部分は無人駅化後も冬季に除雪担当職員の詰所として利用されている[12]。ホーム側には縦書きの駅銘板が掲示されている[8]。駅舎内のトイレは閉鎖されているが、駅舎とは別棟でプレハブのトイレ棟を有する[8]

のりば
番線 路線 方向 行先
1 宗谷本線 下り 稚内方面
2 上り 名寄方面

利用状況

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は44人[11]
  • 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は16人[10]
  • 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗車人員(11月の調査日)平均は「1名以下」[JR 1]
  • 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.0人[JR 2]
  • 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.0人[JR 3]
  • 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.0人[JR 4]

駅周辺

駅前の雄興地区(2018年8月)
駅周辺の雄興地区(2017年8月)

幌延町側(幌延町雄興)

幌延町によると、1970年(昭和45年)時点で「食料品店・鮮魚店・菓子店・日通が営業」しており、旅館・豆腐店・料理店・工務店・鉄工所なども存在した時期がある[幌延町 2]

2017年(平成29年)3月の住民基本台帳月報によると、当駅前を含む幌延町雄興地区は2世帯6人の居住があるが[幌延町 3]、幌延町では2017年(平成29年)時点での同駅の紹介で、駅前については「ゴーストタウン[幌延町 4]」と表現している。

天塩町側(天塩町オヌプナイ)

  • 天塩町役場雄信内支所
  • 天塩警察署雄信内駐在所
  • 雄信内郵便局
  • 天塩町立啓徳小中学校
  • 天塩町立雄信内へき地保育所
  • 天塩町農業協同組合雄信内支所
  • Aコープ雄信内店

その他

1965年(昭和40年)7月以前、宗谷本線は上雄信内駅跡 - 当駅間にかけ、天塩川右岸の山肌を下平陸橋(桁15連、全長154.2m)と呼ばれる陸橋で通過していた。

しかし、下平陸橋は1961年(昭和36年)1月26日に、雪崩ですべて落橋[13][14]、翌1962年(昭和37年)には、8月17日に大雨により第8橋脚に土砂が押し寄せ折損・桁2連を流失、同年9月30日には地すべりにより、仮橋脚2基・桁2連を流失する[13]など、度重なる自然災害によって大きな被害を受けていた。

このため、下平トンネル(全長1,356m)を含む2.4kmの新線が、1963年(昭和38年)9月に着工し、1965年(昭和40年)7月15日から使用開始された[幌延町 3][13]

旧線の一部は、その後幌延町道雄興1号線下平橋として転用され、上雄信内駅跡周辺へにある住家へのアクセス道路として機能しているが[幌延町 4]、下平橋の老朽化から2017年(平成29年)現在代替路線が検討されており、今後橋梁点検の結果から、居住者移転も視野に方針を検討していくこととなっている[幌延町 7][幌延町 5]

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
糠南駅 (W67) - *上雄信内駅 - 雄信内駅 (W68) - 安牛駅 (W69)
*打消線は廃駅[8]

脚注

出典

  1. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、180頁。ASIN B000J9RBUY 
  2. ^ a b c 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)179-180ページより。
  3. ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)47ページより。
  4. ^ a b nobuカワシマ (2015年10月17日). “駅前の風景は生い茂る草木と廃屋、雄信内駅”. 北海道Likers. 2017年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月4日閲覧。
  5. ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社2011年6月発行)149ページより。
  6. ^ 連音化しカタカナ表記では「オヌプンナイ」とも表記される。
  7. ^ a b アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
  8. ^ a b c d 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社2008年8月発行)219ページより。
  9. ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、(2004年2月発行))124ページより。
  10. ^ a b c d e f g h 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)149ページより。
  11. ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)184ページより。
  12. ^ 書籍『すごい駅』(著:横見浩彦牛山隆信メディアファクトリー新書、2010年10月発行)14-15ページより。
  13. ^ a b c 太田幸夫『北の保線 線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む』交通新聞社、2011年8月15日、149-152頁。ISBN 978-4-330-23211-9 
  14. ^ 福山 幹基 (1961). “下平陸橋の雪崩事故について”. 雪氷 (日本雪氷学会) Vol. 23 (No.2): pp.30-31. doi:10.5331/seppyo.23.70. https://doi.org/10.5331/seppyo.23.70. 

JR北海道

  1. ^ 極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
  2. ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区) (Press release). 北海道旅客鉄道. 8 December 2017. 2017年12月30日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2017年12月30日閲覧 {{cite press release2}}: |work=で外部リンクを指定しないでください (説明); 不明な引数|deadlinkdate=が空白で指定されています。 (説明)
  3. ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 2 July 2017. 2018年7月3日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年7月13日閲覧 {{cite press release2}}: 不明な引数|deadlinkdate=が空白で指定されています。 (説明)
  4. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 4 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。

幌延町

  1. ^ a b 町の区域内の町及び字の区域及び名称(昭和34年4月23日北海道告示第573号)”. 幌延町例規類集第1編 総規/第1章 町制(北海道町村会法務支援室例規集データベース (1959年4月23日). 2017年12月16日閲覧。
  2. ^ 今月の駅ノート” (PDF). 広報 ほろのべの窓 2018年5月号. 幌延町. p. 16 (2018年5月). 2018年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月2日閲覧。
  3. ^ a b 幌延町産業振興課 (2017年11月). “幌延町情報ボックス平成29年度版”. 幌延町. 2017年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月11日閲覧。
  4. ^ a b 幌延町内の各駅ご紹介”. 幌延町 (2017年11月6日). 2017年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月6日閲覧。
  5. ^ a b c 第6回まちづくり常任委員会報告(議会だより 第99号)”. 広報誌 ほろのべの窓 2017年11月号. 幌延町. p. p.8 (2017年11月). 2017年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月3日閲覧。
  6. ^ 幌延町史跡標柱等について”. 幌延町. 2017年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月19日閲覧。
  7. ^ ほろのべ議会だより 第99号”. 広報誌 ほろのべの窓 2017年11月号. 幌延町. p. p.3 (2017年11月). 2017年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月3日閲覧。

天塩町

  1. ^ 天塩の歴史・年表”. 天塩町 (2018年4月11日). 2018年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月8日閲覧。

新聞記事

関連項目

外部リンク