「雄信内駅」の版間の差分
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|画像説明= 駅舎(2017年7月) |
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|よみがな= おのっぷない |
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|ローマ字= Onoppunai |
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2020年2月15日 (土) 08:36時点における版
雄信内駅 | |
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駅舎(2017年7月) | |
おのっぷない Onoppunai | |
◄W67 糠南 (5.7 km) (6.0 km) 安牛 W69► | |
所在地 | 北海道天塩郡幌延町字雄興 |
駅番号 | ○W68 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 183.7 km(旭川起点) |
電報略号 | オノ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1925年(大正14年)7月20日 |
備考 | 無人駅 |
雄信内駅(おのっぷないえき)は、北海道(宗谷総合振興局)天塩郡幌延町字雄興(ゆうこう)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW68。電報略号はオノ。
歴史
- 1925年(大正14年)7月20日:鉄道省天塩南線問寒別駅 - 幌延駅間延伸開通に伴い開業[1][2][3]。一般駅。
- 1926年(大正15年)9月25日:天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[2]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[2]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1953年(昭和28年)11月:現在の駅舎に改築[4]。
- 1982年(昭和57年)3月29日:貨物扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)11月1日:電子閉塞化に伴い完全無人化[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 2017年(平成29年)9月8日:構内の琺瑯製第三種駅名標が盗難に遭っていることが判明[新聞 1]。10月13日にアルミと樹脂の複合板で復旧[新聞 2]。
駅名の由来
当駅が所在する幌延町から対岸の天塩町にかけての地名から。地名や、駅以外の公共施設、北海道道道の路線名における「雄信内」の読みは「おのぶない」である[天塩町 1]。
地名は、天塩町側を流れ、当駅の対岸付近で天塩川に合流する雄信内川のアイヌ語名「オヌㇷ゚ウンナイ(o-nup-un-nay)[6]」(川尻に・原野・のある・川)に由来する[7][8][9]。
なお、アイヌ語地名研究家の山田秀三は旧図に「ヲヌフナイ」とあることから「オヌㇷ゚ナイ(o-nup-nay)」と略して呼ばれた、と推察しており[7]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』でも「オ・ヌㇷ゚・ウン・ナイ〔ママ〕」が「オヌプナイ〔ママ〕」に転訛しそれに漢字をあてた、とする説を採用している[1]。
駅所在地の字名は現在「雄興」となっているが、これは、1959年(昭和34年)の字名改正で「新雄信内」をはじめとする幌延町内の「雄信内」と通称される地区の字名を再編したことによるもので[幌延町 1]、天塩町側の「雄信内」(現字名:オヌプナイ)と混同のおそれがあったことに加え、「地理的に今後雄々しく興隆の兆がある」として名付けられたものである[幌延町 1]。
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能となっている[10]。互いのホームは駅舎側ホーム東側と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡し[10]、駅舎側(南側)が下りの1番線、対向側ホームが上りの2番線となっている[10]。そのほか1993年(平成5年)3月時点では1番線の稚内方から分岐し駅舎西側に至る行き止りの側線を1線有していることが確認されている[10]。また、1983年(昭和58年)4月時点では副本線1線を2番線の反対側に有していた(この時点で旭川方・稚内方両側の分岐器は撤去されていた)が[11]、この旧副本線は1993年(平成5年)3月までには撤去された[10]。
駅舎は構内の南側に位置し、1番線ホーム中央部分に接している[10]。1953(昭和28)年11月に改築された木造駅舎[4][11]が修復を加えながら継続使用されており、旧事務室部分は無人駅化後も冬季に除雪担当職員の詰所として利用されている[12]。ホーム側には縦書きの駅銘板が掲示されている[8]。駅舎内のトイレは閉鎖されているが、駅舎とは別棟でプレハブのトイレ棟を有する[8]。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | ■宗谷本線 | 下り | 稚内方面 |
2 | 上り | 名寄方面 |
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1番線上より構内をみる(2018年8月)
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構内踏切(2017年10月)
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駅名標(2017年10月)
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2005年5月9日撮影の駅舎
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は44人[11]。
- 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は16人[10]。
- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗車人員(11月の調査日)平均は「1名以下」[JR 1]。
- 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.0人[JR 2]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.0人[JR 3]。
- 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.0人[JR 4]。
駅周辺
幌延町側(幌延町雄興)
幌延町によると、1970年(昭和45年)時点で「食料品店・鮮魚店・菓子店・日通が営業」しており、旅館・豆腐店・料理店・工務店・鉄工所なども存在した時期がある[幌延町 2]。
2017年(平成29年)3月の住民基本台帳月報によると、当駅前を含む幌延町雄興地区は2世帯6人の居住があるが[幌延町 3]、幌延町では2017年(平成29年)時点での同駅の紹介で、駅前については「ゴーストタウン[幌延町 4]」と表現している。
- 北海道道302号雄信内停車場線
- 北海道道256号豊富遠別線
- 雄信内大橋 - 天塩川に架かり、対岸の天塩町オヌプナイと当駅の所在する幌延町雄興を結ぶ。
- 幌延町道雄興1号線[幌延町 5]
- 天塩川 - 河川改修により人工的に生成された三日月湖(沼)が多く存在する。
- 雄興集会所 - 幌延町立雄信内小学校(1982年(昭和57年)3月閉校[幌延町 6])跡地。
天塩町側(天塩町オヌプナイ)
その他
1965年(昭和40年)7月以前、宗谷本線は上雄信内駅跡 - 当駅間にかけ、天塩川右岸の山肌を下平陸橋(桁15連、全長154.2m)と呼ばれる陸橋で通過していた。
しかし、下平陸橋は1961年(昭和36年)1月26日に、雪崩ですべて落橋[13][14]、翌1962年(昭和37年)には、8月17日に大雨により第8橋脚に土砂が押し寄せ折損・桁2連を流失、同年9月30日には地すべりにより、仮橋脚2基・桁2連を流失する[13]など、度重なる自然災害によって大きな被害を受けていた。
このため、下平トンネル(全長1,356m)を含む2.4kmの新線が、1963年(昭和38年)9月に着工し、1965年(昭和40年)7月15日から使用開始された[幌延町 3][13]。
旧線の一部は、その後幌延町道雄興1号線下平橋として転用され、上雄信内駅跡周辺へにある住家へのアクセス道路として機能しているが[幌延町 4]、下平橋の老朽化から2017年(平成29年)現在代替路線が検討されており、今後橋梁点検の結果から、居住者移転も視野に方針を検討していくこととなっている[幌延町 7][幌延町 5]。
隣の駅
脚注
出典
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、180頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179-180ページより。
- ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)47ページより。
- ^ a b nobuカワシマ (2015年10月17日). “駅前の風景は生い茂る草木と廃屋、雄信内駅”. 北海道Likers. 2017年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月4日閲覧。
- ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)149ページより。
- ^ 連音化しカタカナ表記では「オヌプンナイ」とも表記される。
- ^ a b “アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ a b c d 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)219ページより。
- ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、(2004年2月発行))124ページより。
- ^ a b c d e f g h 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)149ページより。
- ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)184ページより。
- ^ 書籍『すごい駅』(著:横見浩彦、牛山隆信、メディアファクトリー新書、2010年10月発行)14-15ページより。
- ^ a b c 太田幸夫『北の保線 線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む』交通新聞社、2011年8月15日、149-152頁。ISBN 978-4-330-23211-9。
- ^ 福山 幹基 (1961). “下平陸橋の雪崩事故について”. 雪氷 (日本雪氷学会) Vol. 23 (No.2): pp.30-31. doi:10.5331/seppyo.23.70 .
JR北海道
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区) (Press release). 北海道旅客鉄道. 8 December 2017. 2017年12月30日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2017年12月30日閲覧。
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が空白で指定されています。 (説明) - ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 2 July 2017. 2018年7月3日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年7月13日閲覧。
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: 不明な引数|deadlinkdate=
が空白で指定されています。 (説明) - ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 4 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
幌延町
- ^ a b “町の区域内の町及び字の区域及び名称(昭和34年4月23日北海道告示第573号)”. 幌延町例規類集第1編 総規/第1章 町制(北海道町村会法務支援室例規集データベース) (1959年4月23日). 2017年12月16日閲覧。
- ^ “今月の駅ノート” (PDF). 広報 ほろのべの窓 2018年5月号. 幌延町. p. 16 (2018年5月). 2018年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月2日閲覧。
- ^ a b 幌延町産業振興課 (2017年11月). “幌延町情報ボックス平成29年度版”. 幌延町. 2017年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月11日閲覧。
- ^ a b 幌延町内の各駅ご紹介”. 幌延町 (2017年11月6日). 2017年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月6日閲覧。
- ^ a b c “第6回まちづくり常任委員会報告(議会だより 第99号)”. 広報誌 ほろのべの窓 2017年11月号. 幌延町. p. p.8 (2017年11月). 2017年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月3日閲覧。
- ^ “幌延町史跡標柱等について”. 幌延町. 2017年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月19日閲覧。
- ^ “ほろのべ議会だより 第99号”. 広報誌 ほろのべの窓 2017年11月号. 幌延町. p. p.3 (2017年11月). 2017年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月3日閲覧。
天塩町
新聞記事
- ^ “「秘境駅」、駅名板相次ぎ盗難=JR宗谷線、「そっと返して」-北海道”. JIJI.COM. 時事通信社. (2017年9月14日)
- ^ “盗まれた駅名看板、そっと返してほしいけど…JR雄信内、問寒別の新看板設置”. どうしん電子版 (北海道新聞社). (2017年10月14日)