コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「侯爵」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cite journal
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「衛瓘」「侯嬴」等の改名に伴うリンク修正依頼 (衛瓘) - log
19行目: 19行目:


=== 主要な中国の侯爵 ===
=== 主要な中国の侯爵 ===
咸熙元年の五等爵制発足時には、[[三公]]であった[[王祥]]・[[鄭沖]]、そのほかの重臣[[賈充]]、[[石苞 (西晋)|石苞]]、[[衛カン|衛瓘]]、[[裴秀]]、[[何曾]]たちが侯となったが、晋王朝成立後はいずれも公となっている{{sfn|袴田郁一|2014|p=103}}。また当時の晋王[[司馬昭]]の弟であった[[司馬駿]]も「侯」の爵位を受けているが、晋王朝成立後は諸侯王となった{{sfn|袴田郁一|2014|p=100}}。
咸熙元年の五等爵制発足時には、[[三公]]であった[[王祥]]・[[鄭沖]]、そのほかの重臣[[賈充]]、[[石苞 (西晋)|石苞]]、[[衛瓘]]、[[裴秀]]、[[何曾]]たちが侯となったが、晋王朝成立後はいずれも公となっている{{sfn|袴田郁一|2014|p=103}}。また当時の晋王[[司馬昭]]の弟であった[[司馬駿]]も「侯」の爵位を受けているが、晋王朝成立後は諸侯王となった{{sfn|袴田郁一|2014|p=100}}。


[[呉の滅亡 (三国)|太康の役]]の論功行賞として、[[杜預]]、[[王濬]]、[[唐彬]]、[[王戎]]といった軍事司令官や{{sfn|袴田郁一|2014|p=88-89、118}}、呉討伐を勧めた[[張華]]が侯の爵を受けている{{sfn|袴田郁一|2014|p=88-89、107}}<ref>張華は後に公に陞爵</ref>。これらの戦役の功労者には、規定を超えた食邑も与えられた。張華には一万戸、杜預には九千六百戸の食邑が下されている{{sfn|袴田郁一|2014|p=89}}。また[[羊祜]]は[[司馬炎|武帝]]受禅の際に子から侯に進められている{{sfn|袴田郁一|2014|p=118}}。他には西晋滅亡時の[[太尉]][[王衍 (西晋)|王衍]]も侯(武陵侯)であった{{sfn|袴田郁一|2014|p=100}}。
[[呉の滅亡 (三国)|太康の役]]の論功行賞として、[[杜預]]、[[王濬]]、[[唐彬]]、[[王戎]]といった軍事司令官や{{sfn|袴田郁一|2014|p=88-89、118}}、呉討伐を勧めた[[張華]]が侯の爵を受けている{{sfn|袴田郁一|2014|p=88-89、107}}<ref>張華は後に公に陞爵</ref>。これらの戦役の功労者には、規定を超えた食邑も与えられた。張華には一万戸、杜預には九千六百戸の食邑が下されている{{sfn|袴田郁一|2014|p=89}}。また[[羊祜]]は[[司馬炎|武帝]]受禅の際に子から侯に進められている{{sfn|袴田郁一|2014|p=118}}。他には西晋滅亡時の[[太尉]][[王衍 (西晋)|王衍]]も侯(武陵侯)であった{{sfn|袴田郁一|2014|p=100}}。

2021年3月22日 (月) 03:31時点における版

侯爵(こうしゃく)は、公爵の下位、伯爵の上位に相当する爵位[1]中国や近代日本華族爵位(五爵)の第2位として用いられた。転じてヨーロッパ諸国の貴族の称号の日本語中国語訳にも使われる。英語でmarquessまたはmarquisと呼ばれるヨーロッパ各国の爵位や、ドイツの爵位のFürstの訳語に充てられる。

公爵と発音が同じことから、俗に字体が似ている「候」から「そうろう-こうしゃく」と呼ばれ、区別される。

欧州の爵位との対応

中国の侯爵

西周時代に設置された爵について、『礼記』には「王者之制緑爵。公侯伯子男凡五等」とあり、「侯」は五つある爵の上から二番目に位置づけている[2]。一方で『孟子』万章下には「天子之卿、受地視侯、大夫受地視伯、元士受地視子男。」とあり、天子を爵の第一とし、侯は領地を賜るものとしている[3]。『礼記』・『孟子』とともに侯は公とともに百里四方の領地をもつものと定義している[3]。また『春秋公羊伝』には「天子は三公を公と称し、王者之後は公と称し、其の余大国は侯と称し、小国は伯・子・男を称す」という三等爵制が記述されている[4]。金文史料が検討されるようになって傅期年郭沫若楊樹達といった研究者は五等爵制度は当時存在せず、後世によって創出されたものと見るようになった[5]王世民が金文史料を検討した際には公侯伯には一定の規則が存在したが、子男については実態ははっきりしないと述べている[6]

代においては二十等爵制が敷かれ、「侯」の爵位は存在しなかったが、列侯関内侯が置かれた。咸熙元年(264年)、爵制が改革され、侯の爵位が復活した。「公侯伯子男」の爵位は列侯や亭侯の上位に置かれ、諸侯王の下の地位となる[7]食邑は大国なら千六百戸、七十里四方の土地、次国なら千四百戸、六十五里四方の土地が与えられることとなっている[7]。その後西晋でも爵位制度は存続し[8]恵帝期以降には公・侯の濫授が行われた[8]。このため東晋では恵帝期の爵位を格下げすることも行われている[9]

南北朝時代においても晋の制度に近い叙爵が行われている。においては国王・郡王・国公・県公・侯・伯・子・男の爵が置かれ、においては王・開国国公・開国郡公・開国県公・開国侯・開国伯・開国子・開国男の爵位が置かれた[10]

主要な中国の侯爵

咸熙元年の五等爵制発足時には、三公であった王祥鄭沖、そのほかの重臣賈充石苞衛瓘裴秀何曾たちが侯となったが、晋王朝成立後はいずれも公となっている[11]。また当時の晋王司馬昭の弟であった司馬駿も「侯」の爵位を受けているが、晋王朝成立後は諸侯王となった[12]

太康の役の論功行賞として、杜預王濬唐彬王戎といった軍事司令官や[13]、呉討伐を勧めた張華が侯の爵を受けている[14][15]。これらの戦役の功労者には、規定を超えた食邑も与えられた。張華には一万戸、杜預には九千六百戸の食邑が下されている[16]。また羊祜武帝受禅の際に子から侯に進められている[17]。他には西晋滅亡時の太尉王衍も侯(武陵侯)であった[12]

日本の侯爵家

日本では明治維新後の1884年明治17年)に宮内省達華族令が制定され、第二条において華族を公侯伯子男の五等爵とし、侯爵は公爵に次ぐ第2位とされた。1889年(明治22年)、勅令第11号貴族院令が制定されると侯爵は同令第1条の2により、侯爵たる者は貴族院議員となる資格を与えられることが規定された(華族議員)。1907年(明治40年)、皇室令第2号華族令が制定され、襲爵、華族の品位その他、手続きが細かく規定された。

なお、侯爵の授爵は以下のような基準により行われた。

  1. 皇族 - 当初、臣籍降下した皇族には伯爵が与えられ、後に降下の制度そのものが一時消失した。皇室典範増補以降、臣籍降下の際に原則として侯爵が授爵された。しかしこの事例は僅か3家に留まった。後に「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」を制定することによって臣籍降下を促すようになってからは、降下前に属していた宮家からまだ侯爵家が設立されていない場合(原則として最初の降下)であれば侯爵、それ以外は伯爵が授爵された。終戦までに華族となった旧皇族16家のうち7家が侯爵を授けられている。
  2. 公家 - 旧清華家。9家のうち、三条家公爵となり、西園寺家徳大寺家も後に陞爵した。また中山家明治天皇外戚)は清華家には含まれないが、その功績が加味されて侯爵を与えられた。後に維新時の功績を認められた嵯峨家中御門家および多年の軍功を認められた四条家が伯爵から陞爵し、最終的には合計10家が侯爵とされた。
  3. 武家 - 旧御三家及び旧大藩知事(戊辰戦争後の時点で現米15万石以上)。条件を満たしたのは計14家であったが、そのうち島津家毛利家公爵に叙せられた。後水戸徳川家が公爵に陞爵し、越前福井藩松平家と伊予宇和島藩伊達家が維新時の功績を認められて伯爵から陞爵したため、最終的には合計14家が侯爵とされた。
  4. 琉球藩王家 - 尚家
  5. 国家に勲功ある者 - 1884年(明治17年)の華族制度発足の時点では、新華族は大久保利通木戸孝允の子孫が叙せられたのみであったが(西郷隆盛の子孫は西南戦争のために発足時には除外されたが、西郷赦免後の1902年(明治35年)に隆盛の子孫に爵位が与えられた際には大久保・木戸の子孫と同じく直ちに侯爵に叙せられる待遇を受けている)、後に13家が侯爵となり、そのうち5家はさらに公爵にのぼった。最終的には計10家が侯爵とされた。
  • 公爵との間には給費面で差異があり(例えば公爵には家格保持のための家門永続資金があったが、侯爵にはなかった)、さらに伯爵以下であれば支給される貴族院議員歳費が、終身議員たる侯爵にはなかった。熱心な運動を続けて伯爵から陞爵した結果、かえって貧窮し給費の給付を求めたという事例も存在する。


昭和22年(1947年5月3日日本国憲法施行により、侯爵を含む華族制度が廃止された。

侯爵家(後に公に陞爵した家を除く)
家名 受爵者
襲爵者
旧家格
出自
叙爵年
所在
その他備考
大炊御門家 大炊御門幾麿
大炊御門経輝
清華家
藤原北家師実流
1884年7月7日、叙爵。
東京市赤坂区氷川町(現:東京都港区赤坂)
花山院家 花山院忠遠
花山院親家
花山院親忠
清華家
藤原北家師実流
1884年7月7日、叙爵。
東京市渋谷区千駄ヶ谷
菊亭家 菊亭脩季
菊亭公長
菊亭実賢
清華家
藤原北家閑院流西園寺家支流
1884年7月7日、叙爵。
1945年9月15日 爵位返上。
久我家 久我通久
久我常通
久我通顕
清華家
村上源氏
1884年7月7日、叙爵。
東京市牛込区新小川町
醍醐家 醍醐忠順
醍醐忠重
清華家
藤原北家一条家支流。
1884年7月7日、叙爵。
東京市赤坂区福吉町(現:東京都港区赤坂)
中山家 中山忠能
中山孝麿
中山輔親
羽林家
藤原北家花山院家支流
1884年7月7日、叙爵。
東京市麹町区有楽町(現:東京都千代田区有楽町)
広幡家 広幡忠礼
広幡忠朝
広幡忠隆
清華家
正親町源氏
1884年7月7日、叙爵。
東京市四谷区四谷仲町(現:東京都新宿区四谷)
浅野家 浅野長勲
浅野長之
浅野長武
広島藩
清和源氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
東京市本郷区向ヶ岡弥生町(東京都文京区弥生)
池田家
(岡山藩主家)
池田章政
池田詮政
池田禎政
池田宣政
岡山藩
清和源氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
東京市麻布区市麻布兵衛町(現:東京都港区六本木)
池田家
(鳥取藩主家)
池田輝知
池田仲博
鳥取藩
清和源氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
東京市品川区大崎町(現:東京都品川区大崎)
黒田家 黒田長成
黒田長礼
福岡藩
宇多源氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
東京市赤坂区赤坂福吉町(現:東京都港区赤坂)
佐竹家 佐竹義堯
佐竹義生
佐竹義春
佐竹義栄
久保田藩
清和源氏
1884年7月7日、叙爵。
東京市麹町区富士見町(現:東京都千代田区富士見)
徳川家
尾張徳川家
徳川義礼
徳川義親
名古屋藩
清和源氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
徳川家
紀州徳川家
徳川茂承
徳川頼倫
徳川頼貞
紀州藩
清和源氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
東京市麻布区飯倉(現:東京都港区東麻布)
鍋島家 鍋島直大
鍋島直映
鍋島直泰
佐賀藩
宇多源氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
東京市麹町区永田町(現:東京都千代田区永田町)
蜂須賀家 蜂須賀茂韶
蜂須賀正韶
蜂須賀正氏
徳島藩
清和源氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
1945年7月28日爵位返上。
東京市芝区三田町(現:東京都港区三田)
細川家 細川護久
細川護成
細川護立
熊本藩
清和源氏
1884年7月7日、叙爵。
東京市小石川区高田老松町(現:東京都文京区目白台)
前田家 前田利嗣
前田利為
前田利建
金沢藩
菅原氏と称するが明確でない。
東京市本郷区本郷元富士町(東京都文京区本郷)
山内家 山内豊範
山内豊景
高知藩
藤原北家秀郷流と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
東京市麹町区麹町(現:東京都千代田区麹町)
大久保家 大久保利和
大久保利武
大久保利謙
鹿児島藩出身
藤原氏と称するが明確でない。
1884年7月7日、叙爵。
東京市芝区芝二本榎西町(現:東京都港区高輪)
木戸家 木戸正二郎
木戸孝正
木戸幸一
萩藩出身
大江氏
1884年7月7日、叙爵。
東京市赤坂区赤坂新町(現:東京都港区赤坂)
尚家 尚泰
尚典
尚昌
尚裕
琉球藩 1885年5月2日、叙爵。
東京市麹町区富士見町(現:東京都千代田区富士見)
嵯峨家
(正親町三条家)
嵯峨公勝
嵯峨実勝
大臣家
藤原北家閑院流三条家支流
1888年1月17日、伯から陞爵(実愛の維新の功績による)
東京市下谷区下谷二長町(現:東京都台東区台東)
中御門家 中御門経明
中御門経恭
名家
藤原北家勧修寺流
1888年1月17日、伯から陞爵(経之の維新の功績による)
1898年12月14日 家督相続人不在により断絶。
1899年10月20日 経恭に再授。
東京市赤坂区赤坂裏町(東京都港区元赤坂)
松平家
越前松平家
松平茂昭
松平康荘
松平康昌
福井藩
清和源氏と称するが明確でない。
1888年1月17日、伯から陞爵(慶永の維新の功績による)
四条家 四条隆謌
四条隆愛
四条隆徳
羽林家
藤原北家魚名
1891年4月23日、伯から陞爵。
東京市麹町区富士見町(現:東京都千代田区富士見)
伊達家
(宇和島藩主家)
伊達宗徳
伊達宗陳
伊達宗彰
宇和島藩
藤原北家山蔭流と称するが明確でない。
1891年4月23日、伯から陞爵
東京市本所区小泉町(現:東京都墨田区両国)
西郷家
(西郷従道家)
西郷従道
西郷従徳
鹿児島藩出身
平氏と称するが明確でない。
1895年8月5日、伯から陞爵
1946年2月6日 爵位返上
東京市目黒区上目黒(現:東京都目黒区上目黒)
西郷家
西郷隆盛家)
西郷寅太郎
西郷隆輝
西郷吉之助
鹿児島藩出身
平氏と称するが明確でない。
1902年6月3日、叙爵。
東京市牛込区市ヶ谷加賀町(現:東京都新宿区市ヶ谷加賀町)
井上家 井上馨
井上勝之助
井上三郎
萩藩出身
清和源氏(信濃源氏
1907年9月21日、伯から陞爵
野津家 野津道貫
野津鎮之助
野津高光
鹿児島藩出身 1907年9月21日、伯から陞爵
佐々木家 佐々木高行
佐々木行忠
高知藩出身 1909年4月29日、叙爵。
小松家 小松輝久 賜姓皇族
北白川宮能久親王子孫
1910年7月10日、叙爵。
小松宮家祭祀を承継。
小村家 小村寿太郎
小村欣一
小村捷治
飫肥藩出身 1911年4月21日、伯から陞爵。
大隈家 大隈重信
大隈信常
大隈信幸
佐賀藩出身
菅原氏と称するが明確でない。
1916年7月14日、伯から陞爵。
山階侯爵家 山階芳麿 賜姓皇族
山階宮菊麿王子孫
1920年7月24日、叙爵。
久邇侯爵家 久邇邦久
久邇実栄
賜姓皇族
久邇宮邦彦王子孫
1923年10月25日、叙爵。
華頂家 華頂博信 賜姓皇族
伏見宮博恭王子孫
1926年12月7日、叙爵
華頂宮家祭祀を継承。
筑波家 筑波藤麿 賜姓皇族
山階宮菊麿王子孫
1928年7月20日、叙爵
東郷家 東郷平八郎
東郷彪
鹿児島藩出身
桓武平氏
1934年5月29日、伯から陞爵。
音羽家 音羽正彦 賜姓皇族
朝香宮鳩彦王子孫。
1936年4月1日、叙爵。
1944年2月6日 家督相続人不在により断絶。
粟田家 粟田彰常 賜姓皇族
東久邇宮稔彦王子孫。
1940年10月25日、叙爵。

家名については後年1947年(昭和22年)の皇籍離脱によって本家筋の家の家名が同名となってしまった家についてのみ、混同を避けるため「○○侯爵家」と表記した。

朝鮮貴族たる侯爵家

イギリスの侯爵

侯爵の紋章上の冠

イングランドに確固たる貴族制度を最初に築いた王は征服王ウィリアム1世在位:1066年 - 1087年)である。彼はもともとフランスのノルマンディー公であったが、エドワード懺悔王在位:1042年 - 1066年)の崩御後、イングランド王位継承権を主張して1066年にイングランドを征服し、イングランド王位に就いた(ノルマン・コンクエスト)。重用した臣下もフランスから連れて来たノルマン人だったため、大陸にあった貴族の爵位制度がイングランドにも持ち込まれることになった[18]

侯爵(marquesses)は、男爵(baron)、伯爵(earl)、公爵(duke)についで創設された爵位である。1385年にオックスフォード伯爵ロバート・ド・ヴィアーがダブリン侯爵(Marquess of Dublin)に叙されたのがその最初の事例である[19]

侯爵から男爵までの貴族への敬称は家名(姓)ではなく爵位名にLordをつけて「○○卿(Lord ○○)」とされる(公爵は「Duke of ○○」)。例えばウィンチェスター候の「ウィンチェスター」は姓ではなく爵位名で、家名は「ポーレット」であるが、ウィンチェスター卿と呼び、ポーレット卿とはならない。また日本の華族は一つしか爵位を持たないが、欧州貴族は複数の爵位を所持することが多く、中でも公爵・侯爵・伯爵の嫡男は父の持つ従属爵位のうち二番目の爵位を儀礼称号として称する[20]。侯爵の息子は全員がLord(、ロード)を、娘はLady(レディ)が敬称として付けられる。

現存侯爵一覧

侯爵家

紋章 爵位名
(爵位の創設年と分類)
家名
現侯爵の名前
ウィンチェスター侯爵
1551年創設イングランド貴族
ポーレット家
第18代ウィンチェスター侯爵
ナイジェル・ポーレット
(1941 - )
ハントリー侯爵
1599年創設スコットランド貴族
ゴードン家英語版
第13代ハントリー侯爵
グランヴィル・ゴードン英語版
(1944 - )
クイーンズベリー侯爵
1682年創設スコットランド貴族
ダグラス家
第12代クイーンズベリー侯爵
デイヴィッド・ダグラス英語版
(1929 - )
ツィードデール侯爵
1694年創設スコットランド貴族
ヘイ家
第14代ツィードデール侯爵
デイヴィッド・ヘイ英語版
(1947 - )
ロジアン侯爵
1701年創設スコットランド貴族
カー家
第13代ロジアン侯爵
マイケル・カー英語版
(1945 - )
ランズダウン侯爵
1784年創設グレートブリテン貴族
ペティ=フィッツモーリス家
第9代ランズダウン侯爵
チャールズ・ペティ=フィッツモーリス英語版
(1941 - )
タウンゼンド侯爵
1787年創設グレートブリテン貴族
タウンゼンド家
第8代タウンゼンド侯爵
チャールズ・タウンゼンド英語版
(1945 - )
ソールズベリー侯爵
1789年創設グレートブリテン貴族
ガスコイン=セシル家
第7代ソールズベリー侯爵
ロバート・ガスコイン=セシル
(1946 - )
バース侯爵
1789年創設グレートブリテン貴族
シン家
第8代バース侯爵
スーアリン・シン英語版
(1974 - )
ハートフォード侯爵
1793年創設グレートブリテン貴族
シーモア家
第9代ハートフォード侯爵
ヘンリー・シーモア英語版
(1958 - )
ビュート侯爵
1796年創設グレートブリテン貴族
クライトン=ステュアート家
第7代ビュート侯爵
ジョン・クライトン=ステュアート
(1958 - )
ウォーターフォード侯爵英語版
1789年創設アイルランド貴族
ベレスフォード家
第9代ウォーターフォード侯爵
ヘンリー・ベレスフォード
(1958 - )
ダウンシャー侯爵
1789年創設アイルランド貴族
ヒル家
第9代ダウンシャー侯爵
ニコラス・ヒル英語版
(1959 - )
ドニゴール侯爵
1791年創設アイルランド貴族
チチェスター家
第8代ドニゴール侯爵
パトリック・チチェスター英語版
(1952 - )
ヘッドフォート侯爵英語版
1800年創設アイルランド貴族
タイラー家
第7代ヘッドフォート侯爵
トマス・タイラー英語版
(1959 - )
スライゴ侯爵英語版
1800年創設アイルランド貴族
ブラウン家
第12代スライゴ侯爵
セバスチャン・ブラウン英語版
(1964 - )
エリー侯爵英語版
1800年創設アイルランド貴族
トッテナム家
第9代エリー侯爵
チャールズ・トッテナム英語版
(1943 - )
ロンドンデリー侯爵
1816年創設アイルランド貴族
ヴェイン=テンペスト=ステュワート家
第10代ロンドンデリー侯爵
フレデリック・ヴェイン=テンペスト=スチュワート
(1972 - )
カニンガム侯爵
1816年創設アイルランド貴族
カニンガム家
第8代カニンガム侯爵
ヘンリー・カニンガム英語版
(1951 - )
エクセター侯爵
1801年創設連合王国貴族
セシル家
第8代エクセター侯爵
マイケル・セシル英語版
(1935 - )
ノーサンプトン侯爵
1812年創設連合王国貴族
コンプトン家
第7代ノーサンプトン侯爵
スペンサー・コンプトン
(1946 - )
カムデン侯爵英語版
1812年創設連合王国貴族
プラット家
第6代カムデン侯爵
デイヴィッド・プラット
(1930 - )
アングルシー侯爵英語版
1815年創設連合王国貴族
パジェット家
第8代アングルシー侯爵
チャールズ・パジェット英語版
(1950 - )
チャムリー侯爵
1815年創設連合王国貴族
チャムリー家
第7代チャムリー侯爵
デイヴィッド・チャムリー
(1960 - )
アイルズベリー侯爵
1821年創設連合王国貴族
ブルーデネル=ブルース家
第8代アイルズベリー侯爵
マイケル・ブルードネル=ブルース英語版
(1926 - )
ブリストル侯爵英語版
1826年創設連合王国貴族
ハーヴェイ家
第8代ブリストル侯爵
フレデリック・ハーヴェイ英語版
(1979 - )
エイルザ侯爵
1831年創設連合王国貴族
ケネディ家
第9代エイルザ侯爵
デイヴィッド・ケネディ英語版
(1958 - )
ノーマンビー侯爵
1838年創設連合王国貴族
フィップス家
第5代ノーマンビー侯爵
コンスタンティン・フィップス英語版
(1954 - )
アバーガヴェニー侯爵
1876年創設連合王国貴族
ネヴィル家
第6代アバーガヴェニー侯爵
クリストファー・ネヴィル英語版
(1955 - )
ゼットランド侯爵
1892年創設連合王国貴族
ダンダス家
第4代ゼットランド侯爵
マーク・ダンダス英語版
(1937 - )
リンリスゴー侯爵
1902年創設連合王国貴族
ホープ家
第4代リンリスゴー侯爵
エイドリアン・ホープ英語版
(1946 - )
アバディーン=テメイア侯爵
1916年創設連合王国貴族
ゴードン家英語版
第8代アバディーン=テメイア侯爵
ジョージ・ゴードン
(1983 - )
ミルフォード・ヘイヴン侯爵
1917年創設連合王国貴族
マウントバッテン家
第4代ミルフォード・ヘイヴン侯爵
ジョージ・マウントバッテン
(1961 - )
レディング侯爵
1926年創設連合王国貴族
アイザックス家
第4代レディング侯爵
サイモン・アイザックス英語版
(1942 - )

公爵が従属爵位として持つ侯爵位

かつて存在した侯爵位

この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

アナンデール侯爵アントリム侯爵イーリー島侯爵ウィリングドン侯爵ウェストミース侯爵英語版ウェルズリー侯爵ウォートン侯爵オーモンド侯爵オールトン侯爵カーゾン侯爵カーナーヴォン侯爵カーマーゼン侯爵カリスブルック侯爵英語版キャザーロー侯爵クランリカード侯爵クリーヴランド公爵クルー侯爵クレア侯爵ケンブリッジ侯爵グレイ侯爵コーンウォリス侯爵シャンドス侯爵ソモンド侯爵ダファリン=エヴァ侯爵ダブリン侯爵ダルハウジー侯爵ダンガノン侯爵ティッチフィールド侯爵ドーセット侯爵英語版ドーチェスター侯爵英語版ドロヘダ侯爵ニューカッスル=アポン=タイン侯爵バークハムステッド侯爵バークレー侯爵英語版バッキンガム侯爵ハミルトン侯爵ハリファックス侯爵英語版ビバリー侯爵ブラックリー侯爵ブリーダルベイン侯爵英語版ヘイスティングズ侯爵ペンブルック侯爵英語版ポーイス侯爵マームズベリー侯爵モンザーマー侯爵モンタギュー侯爵英語版リポン侯爵リンカンシャー侯爵ロッキンガム侯爵

脚注

  1. ^ 新村出広辞苑 第六版』(岩波書店2011年)942頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂2006年)849頁参照。
  2. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 2-3.
  3. ^ a b 石黒ひさ子 2006, p. 3.
  4. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 5.
  5. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 4.
  6. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 6.
  7. ^ a b 袴田郁一 2014, p. 86-87.
  8. ^ a b 袴田郁一 2014, p. 95.
  9. ^ 袴田郁一 2014, p. 93.
  10. ^ 今堀誠二, p. 422-423.
  11. ^ 袴田郁一 2014, p. 103.
  12. ^ a b 袴田郁一 2014, p. 100.
  13. ^ 袴田郁一 2014, p. 88-89、118.
  14. ^ 袴田郁一 2014, p. 88-89、107.
  15. ^ 張華は後に公に陞爵
  16. ^ 袴田郁一 2014, p. 89.
  17. ^ 袴田郁一 2014, p. 118.
  18. ^ 小林(1991) pp.16-17
  19. ^ 森(1987) pp.5-6
  20. ^ 森(1987) p.15

参考文献

文献資料

  • 新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)ISBN 400080121X
  • 松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)ISBN 4385139059
  • 小林章夫『イギリス貴族』講談社講談社現代新書1078〉、1991年(平成3年)。ISBN 978-4061490789 
  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年(昭和62年)。ISBN 978-4469240979 
  • 石黒ひさ子「五等爵制」再考」『駿台史學』第129巻、明治大学史学地理学会、2006年12月25日、1-20頁、ISSN 05625955NAID 120001439019 
  • 袴田郁一「両晉における爵制の再編と展開 : 五等爵制を中心として」『論叢アジアの文化と思想』第23号、アジアの文化と思想の会、2014年12月、79-134頁、ISSN 1340-3370NAID 120005819881 
  • 今堀誠二「唐代封爵制拾遺」『社会経済史学』第12巻第4号、社会経済史学会、1942年、419-451頁、doi:10.20624/sehs.12.4_419ISSN 0038-0113NAID 110001212961 

関連項目