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伊達市 (福島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福島県伊達市から転送)
だてし ウィキデータを編集
伊達市
伊達市旗 伊達市章
2006年3月26日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
市町村コード 07213-3
法人番号 2000020072133 ウィキデータを編集
面積 265.12km2
総人口 54,920[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 207人/km2
隣接自治体 福島市相馬市伊達郡桑折町国見町川俣町相馬郡飯舘村
宮城県白石市伊具郡丸森町
市の木 アカマツ
市の花 モモ
市の鳥
市の歌
セキレイ
伊達市歌(2016年制定)
伊達市役所
市長 須田博行
所在地 960-0692
福島県伊達市保原町字舟橋180番地
北緯37度49分09秒 東経140度33分47秒 / 北緯37.81914度 東経140.56297度 / 37.81914; 140.56297座標: 北緯37度49分09秒 東経140度33分47秒 / 北緯37.81914度 東経140.56297度 / 37.81914; 140.56297
伊達市役所(2008年10月)
外部リンク 公式ウェブサイト

伊達市 (福島県)位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
梁川城趾、心字の池
旧伊達郡役所を再現した保原駅

伊達市(だてし)は、福島県中通り北部に位置する

概要

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福島盆地北東部のおよそ半分を占め、江戸時代以降は養蚕業の街として発展した。現在は行政都市の福島市を支える位置づけにあり、衛星都市としての役割を担っている。

おおむね西端部を阿武隈川に福島盆地の一部。東端部を阿武隈高地の順に、高低差がある盆地特有の地形である。

名産のあんぽ柿や、全国有数の収穫量があるモモ(桃)の産地である。

市名

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郡名に由来した自治体名で、旧伊達町(現在の伊達地域)が中心となって合併したというわけではない。旧伊達町は元々は伊達郡長岡村と呼ばれており、東北本線開業時も村域内の駅名を長岡駅としていた。しかし、信越本線長岡駅との駅名の重複を避けるため、1924年大正13年)12月に郡名に由来して伊達駅と駅名を変更し、1940年昭和15年)に長岡村が町制を施行する際に、村内にあった伊達駅から町名をとった経緯がある。

江戸時代の前期以前は伊達は「だて」ではなく「いだて」または「いだち」と読んだ。

同一名称の市名

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北海道伊達市があったため、広島県府中市及び東京都府中市に続く、全国で2例目の「同一名称の市」となった。同一名称の市区町村一覧も参照。なお、過去には福島県若松市(現会津若松市)及び福岡県若松市(現北九州市若松区)が存在しており、史上3例目となる。

北海道伊達市は仙台藩伊達家(伊達宗家)の家臣だった亘理伊達氏(分家)が入植したのが由来である。その伊達家は、鎌倉時代に伊達郡の領地を与えられたために伊達氏と改姓したのが発祥であり、また、亘理伊達氏の初代当主である伊達成実も伊達郡の出身であり、いわば伊達郡が本家である。北海道伊達市側からは反論もなく、穏便に同名・同音の市となった。

北海道伊達市と区別するため、テレビ番組や地震情報などではしばしば「福島伊達市」あるいは「福島伊達」という字幕が表示されるが、これは「福島県伊達市」の意味であり、「福島伊達」という市名ではない。

地理

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面積265.1平方キロメートル。

平野部を含むため、福島県内でも比較的経済活動が活発で人口も多い地域である。福島県内の自治体として、人口は第7位、農業生産額は第3位、製造品出荷額は第6位、商品販売額は第8位、財政規模は第8位となる。

人口、商工業、農業は、福島盆地の平野部である伊達地域、保原地域の北部、梁川地域の西部が中心となっている。合併前の旧伊達町に当たる伊達地域は、福島県内で最も人口密度の高い自治体だった。一方で梁川地域東部、保原地域南部、霊山地域、月舘地域は阿武隈高地の山間部で、人口密度も低く、林業や農業が中心で過疎化も進んでいる。

河川

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隣接している自治体

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福島県

宮城県

気候

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  • 北西部は福島盆地の一部であり、内陸性盆地型気候。東部・南部は阿武隈高地の一部にあたる。
  • 盆地の低地は標高50m以下、盆地周辺部の霊山は標高825mと高低差があり、地域による気候・天気の差がある。
  • 特に夏は他の盆地同様暑く、最高気温が35度を超えることは多々ある。
  • 冬の積雪は年に数回、10~30cm降る程度。マイナス10度を下回ることはほとんどない。
  • 市内の梁川に気象庁アメダス観測点がある。
    • 2023年(令和5年)8月5日、全国での最高気温40.0度を観測した。これはこの夏全国で初めての40度台であり、福島県内初の40度台の観測だった。同日福島市では39.1度を観測し、伊達市、福島市とも観測史上1位となった[1]


梁川(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 16.6
(61.9)
21.5
(70.7)
25.4
(77.7)
32.2
(90)
36.2
(97.2)
36.6
(97.9)
39.1
(102.4)
40.0
(104)
36.7
(98.1)
30.8
(87.4)
26.0
(78.8)
20.9
(69.6)
40.0
(104)
平均最高気温 °C°F 5.9
(42.6)
7.2
(45)
11.2
(52.2)
17.7
(63.9)
23.0
(73.4)
25.7
(78.3)
28.9
(84)
30.4
(86.7)
26.2
(79.2)
20.6
(69.1)
14.6
(58.3)
8.7
(47.7)
18.3
(64.9)
日平均気温 °C°F 1.3
(34.3)
2.0
(35.6)
5.2
(41.4)
10.9
(51.6)
16.4
(61.5)
20.1
(68.2)
23.7
(74.7)
24.9
(76.8)
20.9
(69.6)
14.8
(58.6)
8.6
(47.5)
3.6
(38.5)
12.7
(54.9)
平均最低気温 °C°F −3.0
(26.6)
−2.6
(27.3)
−0.4
(31.3)
4.6
(40.3)
10.3
(50.5)
15.5
(59.9)
19.8
(67.6)
21.0
(69.8)
16.7
(62.1)
9.9
(49.8)
3.2
(37.8)
−1.0
(30.2)
7.8
(46)
最低気温記録 °C°F −12.6
(9.3)
−12.1
(10.2)
−10.2
(13.6)
−4.4
(24.1)
0.4
(32.7)
5.8
(42.4)
10.3
(50.5)
11.6
(52.9)
5.7
(42.3)
−1.7
(28.9)
−5.2
(22.6)
−16.2
(2.8)
−16.2
(2.8)
降水量 mm (inch) 49.9
(1.965)
33.0
(1.299)
64.1
(2.524)
75.1
(2.957)
83.0
(3.268)
109.4
(4.307)
159.2
(6.268)
143.9
(5.665)
158.4
(6.236)
123.4
(4.858)
53.2
(2.094)
41.5
(1.634)
1,095.4
(43.126)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 7.9 6.5 8.2 8.0 8.9 10.8 13.2 10.7 11.0 8.7 6.7 8.1 108.3
平均月間日照時間 133.2 142.5 172.1 186.6 192.0 145.5 135.6 157.3 127.1 132.0 127.6 119.2 1,765.3
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[2]

歴史

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先史時代

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伊達市は福島盆地とその周囲を山地を含む地域の北東側を占める。福島盆地が誕生したのは約20万年前の中期更新世で、その後緩やかに沈降しながら時に隆起し、盆地内に平野部と段丘を形成して現在に至っている。伊達郡桑折町の平林遺跡では約3万年前の旧石器時代打製石器が発見されているため、少なくともそのころには人の営みが始まっていた。

古代

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古墳時代前期、福島県域ではまず会津地方で畿内とほぼ同時期に前方後円墳などが作られ始めているが、中期(5世紀)となると、会津地方よりもむしろ中通り地方で多く古墳が作られるようになり、伊達市を含む福島盆地でも数多くの古墳が作られた。伊達市内には愛宕山古墳群、大泉みずほ古墳群、新山古墳群などがある。

5世紀末、福島盆地も大和朝廷の支配下にはいり、大和朝廷勢力圏の北限として信夫国造が置かれた。信夫(しのぶ)は福島盆地一帯の名称である。信夫近隣では伊具(宮城県伊具郡角田市)、思(おもい)(宮城県亘理郡)、阿尺(あさか)(福島県郡山市)、染羽(しねは)(福島県双葉郡)、白河(福島県白河市)に国造がおかれた。氏姓制度では血縁を表す(うじ)と職務を表す(かばね)が定められたが、信夫国造は久麻直(くまのあたい)なので、信夫国造の姓が(あたい)であったことがわかる。また、信夫国の部民は、丈部(はつかせべ)、壬生部(みぶべ)、太田部(おおたべ)などがいた。また、大和朝廷勢力圏の北限として、蝦夷に対するため、軍備の任も担っていた。また陸奥国開拓のため、関東や近畿地方からの半ば強制的と思われる大量移民も行われていた。太田部とは新田開発のための移民団である。

飛鳥・奈良時代

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7世紀中期 - 8世紀初頭には地方行政が再編され、(くに)は(こおり)を経て郡(こおり・ぐん)と名称が変わり、信夫国も信夫郡となった。また、道国郡制が整備され、東山道陸奥国信夫郡となった。行政官である国造も評司(こおりのつかさ)、郡司(ぐんじ)と変遷した。

701年(大宝元年)、律令制が始まると大和朝廷の勢力圏は現在の宮城県域まで北進し、それによって、718年(養老2年)には陸奥国の分国が行われた。陸奥国のうち、信夫郡、安積郡、岩背郡、白河郡、会津郡の5郡は石背国(いわせのくに)となった。同様に菊田郡、石城(いわき)郡、標葉(しねは)郡、行方(なめかた)郡、宇太(うだ)郡、曰理(わたり)郡は石城国となり、残る柴田郡、刈田郡、名取郡、宮城郡、黒川郡等の北部が新しい陸奥国となった。ただし、分国された新しい陸奥国では北方防備に十分な経済力を維持できなかったため、724年(神亀元年)までにこの3国は再び合併して陸奥国に戻された。

平安時代

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10世紀初頭、各郡の大きさ(人口、経済力)を平均化するために全国的に郡の分割や再編を行った。福島盆地域では、信夫郡から伊達郡を分割した。ここに始めて伊達郡が誕生する。信夫郡には8つの郷(ごう)があったが、そのうち小倉郷(福島市南部、大森川以南で阿武隈川以西)、安岐郷(福島市中心部、大森川以北で松川以南で阿武隈川以西)、岑越(みねこし)郷(信夫山周辺、松川以北で摺上川以南で阿武隈川以西)、曰理(わたり)郷(福島市南部、阿武隈川以東の南部)が信夫郡として残り、伊達郷(福島盆地北部、摺上川以北で阿武隈川以西)、靜戸(しずりべ)郷(伊達市主要域、阿武隈川以東の北部)、鍬山(くわやま)郷(伊達市月舘町や伊達郡川俣町、伊達郡飯野町などの阿武隈高地域)が、新しく伊達郡となった。 当時の松川信夫山(当時は岑越山)の南側を流れていたため、信夫山は松川以北となる。 11世紀末になると、奥州藤原氏が東北地方のほぼ全域を直接的間接的な支配下においた。信達地方(信夫郡と伊達郡)は、福島県中通りと会津をほぼ支配下におさめた藤原氏の一族である信夫佐藤氏の本拠地となった。

鎌倉・室町時代

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源頼朝奥州合戦の事実上の決戦が伊達郡国見町の厚樫山(国見山)山麓で行われた。このとき、信夫佐藤氏の佐藤基治を破った功で、関東武士で中村氏常陸伊佐氏)が源頼朝から伊達郡を拝領したため、下野国中村荘あるいは常陸国伊佐から分家して伊達郡に定住して伊達氏を名乗るようになった。奥州伊達氏の起こりである。これ以降安土桃山時代まで、伊達郡は伊達氏の本拠地として、一貫して伊達氏支配下にあった。長く伊達氏が本城を置いた梁川(伊達市梁川町)では、梁川城が築かれ、伊達氏の勢力拡大とともに南奥州の中心地の一つとして、多数の寺社が建立されたり、中世庭園が造園されたりしている。室町時代、伊達氏は京文化の取り入れに熱心だった。

一方、南北朝時代には、1337年、南朝側の義良親王(後村上天皇)と北畠顕家霊山(りょうぜん)に霊山城(伊達市霊山町)を構え、北朝に対する拠点となった。これを支えたのが伊達行朝(伊達行宗)や同族の中村経長らである。義良親王や北畠顕家らは霊山から京に攻め上り、伊達行朝も北畠顕家従って上洛した後、帰山した。その後も南朝側として奮戦したが、1347年に霊山城は落城し、伊達行朝も翌年死去した。

安土桃山時代

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伊達氏は勢力拡大や内紛を経て、本城を梁川城から桑折西山城米沢城、会津黒川城へと移していくが、豊臣秀吉が奥州仕置で伊達政宗岩出山に転封したことにより、伊達郡は会津に入封した蒲生氏領を経て、越後から会津に改易された上杉景勝領となった。関ヶ原の戦いの折りには、旧領回復を目指す伊達政宗軍が福島盆地に攻め寄せて梁川から福島で激しい戦いが繰り広げられたが(松川の戦いなど)、上杉軍は伊達軍を撃退した。

関ヶ原の戦いの翌年、上杉景勝は徳川家康に会津や中通り中部の諸郡を没収され、120万石から置賜郡(長井郡)と信夫郡、伊達郡のみの30万石になって江戸時代を迎えた。

江戸時代

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江戸時代初期の伊達郡は上杉氏米沢藩領であり、米沢藩の福島奉行(信夫伊達両郡代)の支配下となった。120万石から30万石となっても家臣の多くを抱えたままだったため、米沢藩では深刻な財政難に陥り、新田開発なども積極的に行われた。伊達郡北部では西根堰の完成により、飛躍的な増産を実現している。その後、1664年(寛文4年)の相続問題により、信夫郡、伊達郡は米沢藩より召し上げられ、米沢藩は15万石、信夫郡と伊達郡は天領(幕府直轄領)となった。

1679年本多氏福島藩15万石が成立するが、本多氏は1682年には転封され、再び天領となる。続く1683年松平氏梁川藩3万石が成立する。この梁川藩の成立によって、ながらく続いた信達平野(信夫郡伊達郡)の一括支配は終わりを迎え、この後明治維新まで、伊達郡、信夫郡とも、村単位で梁川藩領、福島藩領、天領、他藩の飛び地、預かり地などがめまぐるしく入り乱れる。桑折藩(伊達郡桑折町)や下手渡藩(伊達市月舘町)も置かれた。

たとえば、梁川一帯はすべて梁川藩というような単純なものではなく、梁川藩領の中に天領があったり、五十沢(いさざわ)(伊達市梁川町)が桑折陣屋管轄なのに五十沢と桑折の間の川内は川俣陣屋管轄だったり、半沢や成田(いずれも伊達郡桑折町)が福島藩の飛び地だったり、福島藩と梁川藩の間に二本松藩の飛び地があったり、という具合だった。また、梁川藩自体も、廃藩になったり、松前氏梁川藩となったり、会津藩や平藩の飛び地になったりした。

一方、江戸時代を通じて伊達郡一帯では養蚕業が発展し、特に梁川は全国的に知られる蚕都となった。江戸時代中期には、全国の蚕種生産高の半分以上は信達地方の生産だったという。幕末には品種改良や温暖育の技術を完成させ、蚕当計(養蚕用温度計)の発明によって、科学的な養蚕…高品質な生糸の安定生産を実現した。こうした好景気によって、民間レベルの学問の向上、全国からの蚕種・生糸買い付け人を迎えるための遊興施設や宿施設の充実などが興り、それらが土壌となって大衆文化が花開いた。

明治以降

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幕末からの養蚕業による好景気は明治になるまで続いたが、その後の養蚕業の低迷によって現在、農業は果樹中心に転向している。特に桃やりんご、柿の栽培が盛んである。特に五十沢で大正時代に発明されたあんぽ柿はこの地方の特産物として名高い。

一方、古来より信夫郡と伊達郡は同じ福島盆地として不可分の生活圏を構成していたが、福島市が福島県の県庁所在地となって急速に都市化したことにより、伊達郡域の町は福島市の衛星都市化した。特に高度成長期後にその傾向が顕著で、通勤通学も福島市へ行く人口が多い。

沿革

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市の変遷

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伊達郡5町合併の経緯

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伊達郡では当初、桑折町国見町川俣町飯野町を含む9町による郡全体での合併を検討し、2000年(平成12年)10月に伊達地方広域行政推進調査会を、2003年(平成15年)7月には伊達地方任意合併協議会を設置して協議してきた。しかし、川俣町、飯野町は福島市との合併を検討するとして離脱し、2003年(平成15年)12月に7町による伊達7町合併協議会を設置した。

法定合併協議会では地元住民を対象に、合併後の新市名を公募した。北海道伊達市があるため、公募にあたっては選定基準、募集要項から「伊達市」を除外した。しかし、実際に公募を締め切ったところ、「伊達市」も多く寄せられた。

協議の結果、新市名称及び事務所の位置検討小委員会は公募で1位となった「だて市」のほか、「桃花(とうか)市」、「あぶくま市」、「新伊達市」、「伊達みらい市」の5点を最終候補とした。「伊達」に関する応募が多いこと、歴史があり永く親しまれてきた名称であること、沖縄県宮古島市の合併で既存市名である宮古市を用いる動きがあったことなどから、「伊達市」の取り扱いについては協議会に判断を委ねることとなった。

「市」の名称に、既存の市と同じ名称をつけることについては、これを避けるようにとする自治省(現総務省)の通知(昭和45年3月12日付け自治振第32号自治事務次官通知)があった。この通知について合併協議会が総務省に照会した結果、「既存市から異議がなければ問題はない」との回答を得た。その後北海道伊達市の意向を確認したところ、正式見解は得られなかったものの、合併協議会が独自の判断で新市の名称を定めることに対し「異議を唱える立場ではない」との回答を得た。こうした状況の変化から、協議会は公募で決まった5点の候補から「だて市」を選定し、それを漢字表記の「伊達市」にするという経緯を経て、最終的に新市名を伊達市とすることに決定した。

新市名については一般公募を行い、市名採用者の中から抽選で数名に記念品が贈られた。ただし、「『伊達市』を除く」として新市名を公募したにもかかわらず、最終的には伊達市が新市名となり、記念品は「だて市」と応募した人に贈られた。「『伊達市』を除く」という公募条件から、ひらがな市名を嫌って別の市名を応募した人も多く、この記念品贈呈の経緯にも批判の声がある。

その後、2004年(平成16年)8月になり桑折町長が突如合併協議会から離脱を表明。同年11月に離脱したため、残る6町は伊達6町合併協議会を設置し合併協議を継続することとなった。

間もなく国見町で行われた町長選挙で合併慎重派の町長が誕生し、合併協議からの離脱を表明した。同町議会は合併推進の立場で町長と対立し、一時は新市の誕生が危ぶまれた。

残った5町で2005年(平成17年)1月に新たに伊達5町合併協議会を設置し、3月に合併協定調印に漕ぎ着け、5町議会、福島県議会の議決と総務大臣の告示を経て、2006年(平成18年)1月1日に「福島県伊達市」が誕生することとなった。

なお、伊達郡飯野町は、福島市2008年(平成20年)7月1日に編入された。さらに、福島市は、伊達市と伊達郡の全てと合併して福島市を中核市に格上げする構想、さらに二本松市安達郡も合併に加えて政令指定都市をめざす構想もあるが、組織的な活動には至っていない。

地域

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人口

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伊達市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 73,767人
1975年(昭和50年) 72,977人
1980年(昭和55年) 74,186人
1985年(昭和60年) 74,626人
1990年(平成2年) 74,200人
1995年(平成7年) 73,305人
2000年(平成12年) 71,817人
2005年(平成17年) 69,289人
2010年(平成22年) 66,027人
2015年(平成27年) 62,400人
2020年(令和2年) 58,240人
総務省統計局 国勢調査より

区分

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伊達市内には、旧自治体の枠組みで5地域に区分されている。

伊達地域梁川地域保原地域霊山地域月舘地域

住所表記

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合併に伴う住所表記変更は以下の通り。

  • 全域で住所の地番に枝番の「の」の表記を削除。例:「123番地の4」→「123番地4」
  • 伊達地域の場合
    • 「伊達郡伊達町」の表記を「伊達市」に改める。
    • 旧大字箱崎、旧大字伏黒以外では、「字」を削除。例:「伊達郡伊達町字荒町」→「伊達市荒町」
    • 旧大字箱崎、旧大字伏黒では、「大字」を削除し、「字」を残す。例:「伊達郡伊達町大字箱崎字愛宕山」→「伊達市箱崎字愛宕山」
  • 梁川地域、保原地域、霊山地域、月舘地域の場合
    • 「伊達郡○○町」(○○には旧町名が入る)の表記を「伊達市○○町」に改める。
    • 「大字」表記は削除、「字」表記は残す。例:「伊達郡梁川町大字五十沢字宮下」→「伊達市梁川町五十沢字宮下」

行政

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市長

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氏名 就任年月日 退任年月日
初-3代 仁志田昇司 2006年2月12日 2018年2月11日
4代 須田博行 2018年2月12日 現職

市役所

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市役所は本庁に2005年(平成17年)に完成したばかりの旧保原町役場、分庁舎に1991年(平成3年)に完成した旧梁川町役場を使用する。市役所機能は部署によって本庁か分庁舎に分けている。本庁と分庁舎は道のりにして約6km離れている。また、基本的な住民サービスについては遠くから市役所まで出向く必要のないように、旧保原町役場、旧梁川町役場、旧伊達町役場、旧霊山町役場、旧月舘町役場に総合支所として窓口を設けている。旧保原町役場、旧梁川町役場は1階が総合支所、2階以上が市庁舎となる。

市庁舎、総合支所の組織は以下の通り。

  • 本庁舎
    • 市長室
    • 総務部…総務課、人事課、市民協働推進室
    • 財務部…財政課、税務課、収納課
    • 出納…会計課
    • 企画部…企画調整課、情報政策課
    • 市民生活部…生活環境課、市民課、健康推進課
    • 選挙管理委員会事務局
    • 監査委員事務局
    • 議会事務局
    • 市議会
  • 梁川分庁舎
    • 子育て支援部…児童福祉課、こども育成課
    • 水道部…総務課、施設課、工事課
    • 産業部…農林課、商工観光課、農林課、国土調査課
    • 教育委員会…総務課、学校教育課、生涯学習課
    • 福祉部…社会福祉課、高齢福祉課
    • 建設部…土木課、建築住宅課、都市計画課、下水道課
    • 農業委員会事務局
  • 各総合支所(保原、梁川、伊達、霊山、月舘の5支所)
    • 総務課、地域振興課、市民課、建設課、国土調査室(国土調査室は梁川総合支所、霊山総合支所のみ)

財政規模

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  • 平成19年度一般会計予算 歳入・歳出 253億8,200円

姉妹都市・提携都市

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海外
国内
  • 北海道松前町:1984年(昭和59年)10月1日旧伊達郡梁川町と姉妹都市提携、その後2011年(平成23年)10月1日改めて姉妹都市提携
  • 長野県の旗 長野県南牧村:2017年(平成29年)8月3日友好交流都市提携
  • 千葉県白井市:2017年(平成29年)10月26日友好交流都市提携

経済

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隣接する福島市への通勤通学も多く、福島市の郊外地域、衛星都市としての性格も強い。福島県北部の中心地域である福島盆地は、西側を福島市、東側を伊達市と伊達郡国見町・桑折町が占め、文化的、経済的に不可分な状態にある。

統計

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  • 人口・世帯数
    • 2009年(平成21年)12月1日現在
    • 67,959人
    • 男: 33,118人, 女: 34,841人
    • 世帯数: 21,834世帯
  • 面積: 265.1 平方キロメートル (km2)
  • 農業生産額
    • 144億円(2004 (平成16)年)
  • 製造品出荷額
    • 2,577億円(2004 (平成16)年)
  • 商品販売額
    • 792億円(2004 (平成16)年)

農林水産業

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あんぽ柿。柿を干すための施設「柿ばせ」の内部
梁川町五十沢(旧五十沢村)で、大正期に養蚕からの転業の一つとして開発された干し柿ドライフルーツの一種である。この地域では江戸時代から干し柿が作られており、大正期、米国の硫黄燻蒸干しぶどうの製法をヒントに硫黄燻蒸の独特の干し柿を開発し、「あんぽ柿」と名付けた。「つるし柿」とも呼ばれる。現在では製法が広く知れ渡り、全国の山間部であんぽ柿が作られている。一般の農産物に比べると市場で値崩れしにくいため、梁川町を中心とした地域の農家では貴重な現金収入源として好んで作られている。
全国有数のモモの産地であり、年間収穫量も福島市に次ぐ県内2位である。伊達市のみで、都道府県別収穫量5位の山形県1県分を上回るほどの収穫量を誇る。

畜産業

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幕末から昭和初期にかけて養蚕によって栄えた。特に梁川町は蚕都と呼ばれ、全国からの生糸買い付け人でにぎわった。そのため梁川町には戦後まで旅館街や歌舞伎座などがあった。梁川町の歌舞伎座「広瀬座」は、その後福島市に寄贈され、文化財として移築保存されている。また、明治期には伊達市を含む福島盆地一帯で100以上の銀行が存在した。
養蚕が斜陽産業となってからは、農家は果樹栽培に、製糸業者などはメリヤス工業に転業した。保原町・梁川町を中心にメリヤス工業がさかんで、全国でもトップクラスの生産シェアを持っている。
梁川町に本社をおくブロイラー業者「伊達物産株式会社」が「伊達鶏」のブランドを確立している。

工業

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保原町の工業団地にある富士通グループの富士通アイソテックの本社・工場は、富士通ブランドのデスクトップPCの生産拠点である。小中学生を対象とした「富士通パソコン組み立て教室」を、2004年(平成16年)から毎年夏休みに開催している。
梁川町の工業団地には太陽誘電グループの福島太陽誘電(旧称: ザッツ福島)があり、かつては国内最大級のCD/DVD生産工場であった。福島太陽誘電で生産していたCD/DVDは、ソニー富士フイルムTDK日立マクセル等にもOEM供給していた。 現在はCD/DVDの生産から撤退している。
  • 主な製造工場

商業

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イオンモール伊達構想

観光・文化・スポーツ

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観光・名所・旧跡

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自然
  • 霊山(りょうぜん)
  • 水辺の小楽校
    • 梁川町五十沢柴崎。阿武隈川の親水公園で、冬期には多数の白鳥や鴨が集まる。
名所・旧跡・歴史的建造物
  • 梁川城趾
    • 梁川町鶴ヶ岡。福島県史跡。鎌倉幕府設立期に築城され、ながく伊達氏の本拠地だった。中世庭園の一部が復元されている。
  • 高子ヶ岡館趾
    • 保原町高子。常陸国から伊達郡入りした伊達氏が最初に居留した館の跡。2005年に公園として再整備された。
  • 農業協同組合発祥の地
    • 霊山町上小国。産業組合法公布の2年前、1898年(明治31年)10月23日、佐藤忠望が農民の困窮を救済するため、上小国に無限責任小国信用組合を設立。
  • 天平陣屋跡
  • 伊達市梁川美術館
    • 梁川町中町。太田良平の作品を中心に収集。企画展も多い。
  • 梁川八幡宮
    • 梁川町八幡。伊達氏の氏神だった神社。
  • 旧亀岡家住宅
    • 保原町総合公園。伊達郡桑折町伊達崎にあった亀岡家の住宅を移築保存。明治中期の和洋折衷住宅。外観は洋館だが、内部は日本家屋になっている。
旧亀岡家住宅

伝統・文化

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  • 保原町保原、つつこびき祭り。
  • 梁川町山舟生、羽山神社山車祭。
  • 霊山竹生嶋流棒術。霊山に古くから伝承され武術。現在、霊山竹生嶋流棒術健康会が地区交流センターで練習会を定期開催。
  • 大東流合気柔術。伝承によると1898年(明治31年)に霊山神社宮司保科頼母から武田惣角に伝承されたという。現在、霊山では伝承されていない。

施設・公園

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スポーツチーム

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教育

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高等学校

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県立
私立

中学校

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小学校

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  • 伊達市立伊達小学校
  • 伊達市立伊達東小学校
  • 伊達市立梁川小学校
  • 伊達市立粟野小学校
  • 伊達市立堰本小学校
  • 伊達市立保原小学校
  • 伊達市立大田小学校
  • 伊達市立上保原小学校
  • 伊達市立柱沢小学校
  • 伊達市立掛田小学校
  • 伊達市立小国小学校
  • 伊達市立月舘学園小学校

幼稚園

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市立
  • 伊達市立伏黒幼稚園
  • 伊達市立粟野幼稚園
  • 伊達市立堰本幼稚園
  • 伊達市立保原幼稚園
  • 伊達市立柱沢幼稚園
私立
  • 保原教会幼稚園

特別支援学校

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県立
  • だて支援学校

主要施設

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公立病院

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  • 公立藤田総合病院 - 所在地は国見町。伊達市、国見町、桑折町の1市2町による公立藤田総合病院組合が運営。

育児福祉

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  • 伊達市立保原保育園
  • 伊達市立保原第二保育園
  • 伊達市立月舘保育園
  • (私立)伊達保育園
  • (私立)梁川保育園
  • (私立)梁川中央保育園
  • (私立)ふれ愛保育園
  • (私立)霊山三育保育園

上記のほか、農繁期の4月 - 7月、8月 - 11月のみ、農業地区に開所する公立の季節保育所が設けられる。開所期間は地区によって異なる。

警察署

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郵便局

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郵便局

  • 梁川郵便局(集配局)
  • 掛田郵便局(集配局)
  • 伊達郵便局
  • 保原郵便局
  • 粟野郵便局
  • 五十沢郵便局
  • 石戸郵便局
  • 岩代小国郵便局
  • 大枝郵便局
  • 堰本郵便局
  • 月舘郵便局
  • 富成郵便局
  • 伏黒郵便局
  • 山舟生郵便局
  • 霊山郵便局

簡易郵便局

  • 大田簡易郵便局
  • 柱田簡易郵便局
  • 白根簡易郵便局
  • 小手簡易郵便局

交通

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梁川駅

鉄道

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※JTB時刻表による中心駅は、保原駅となっている。

バス

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一般路線
高速バス

道路

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高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道

著名な出身者

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出身者

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政治家
学者・研究
実業家
創作家
文化人
スポーツ選手
通算成績:403勝392敗50休 勝率.507(幕内成績:308勝322敗15休 勝率.489)。「りゃんこの信夫」というあだ名が付いた。
三浦弥平を記念して、1980年(昭和55年)より、毎年晩秋に福島県伊達市梁川町で三浦弥平杯伊達市梁川ロードレース大会が開催されている。
芸能

ゆかりの著名人

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公人
政治家
学者・研究
創作家
  • 安岡章太郎 - 安岡家の本家一家は、養蚕の盛んな梁川では眼病を患う女工が多いと聞いて移住し、眼科医を開業して成功した[9]
芸能
スポーツ選手
指導者
  • 斎藤智也(高校野球指導者・聖光学院野球部監督)

舞台とする作品

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アニメ

脚注

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  1. ^ 列島酷暑、今年初の40度 福島・伊達、各地で猛暑日”. 47NEWS. 共同通信 (2023年8月5日). 2023年8月5日閲覧。
  2. ^ 梁川 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年9月26日閲覧。
  3. ^ http://www.city.fukushima-date.lg.jp/uploaded/attachment/7276.pdf
  4. ^ http://www3.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=0710097&date=20170331
  5. ^ 旧大枝村地域には小学校・中学校が大枝小学校・大枝中学校の各1校しかなかったため、東大枝地区の梁川町編入に伴いそれぞれ国見町梁川町大枝小中学校組合立大枝小学校・国見町梁川町大枝小中学校組合立大枝中学校となった。(小学校は1961年3月国見町梁川町大枝小学校組合立大枝小学校に改称、2006年1月伊達市国見町組合立大枝小学校に改称。中学校は1961年3月に閉校された。)大枝中学校の閉校後、大枝小学校の卒業生は東大枝地区が梁川中学校(梁川町立→伊達市立)、西大枝地区と川内地区では国見町立県北中学校に進学した。国見町の小学校の統合により、組合は2012年(平成24年)3月31日に解散し、4月1日より旧東大枝村のみを通学域とする伊達市立大枝小学校になった。伊達市立大枝小学校は2017年(平成29年)3月31日に閉校された。[3][4]
  6. ^ 公式
  7. ^ 龍寳寺龍寶寺
  8. ^ 福島市
  9. ^ 『大世紀末サーカス』安岡章太郎、小学館、2017、p15

関連項目

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外部リンク

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