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1943年度の将棋界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1943年度の将棋界(1943ねんどのしょうぎかい)では、1943年昭和18年)4月から1944年昭和19年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。

できごと

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1943年月日不明

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  • 第4期名人戦の第1回予備手合三番勝負は木村義雄名人の2連勝で、萩原淳八段は挑戦資格を獲得することができなかった[1][2]
  • 第4期名人戦の第2回予備手合三番勝負は木村義雄名人の2勝1敗で、大野源一八段は挑戦資格を獲得することができなかった[1][2]

1943年春

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  • 第4回昭和番付編成将棋が開始された。優勝は9勝1敗の松下力六段。次点の8勝2敗は木村義雄名人と中村熊治四段[3]
  • 昭和番付編成将棋の関西版である、関西本部朝日番附戦が開始された[3]

1943年8月

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  • 関西本部朝日番附戦は升田幸三六段が8勝2敗で優勝。木村義雄名人に勝利すれば八段昇段(飛付)であったが、逆転負けを喫した[3][4]

1943年9月

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1944年3月

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昇段・引退

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昇段 棋士 昇段日
四段 廣津久雄 1943年 [6]
京須行男 1943年 [7]
富沢幹雄 1943年 [8]
吉田六彦 1943年 [9]
五段 板谷四郎 1943年 [10]
本間爽悦 1943年 [11]
山中和正 1943年 [12]
野村慶虎 1943年 [13]
鈴木禎一 1943年
六段 大山康晴 1943年 [14]
七段 升田幸三 1943年 [3][14]
飯塚勘一郎 1943年 [7]
八段 梶一郎 1943年 [15]
村上真一 1943年 [7]

脚注

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  1. ^ a b 日本将棋の歴史(24)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  2. ^ a b 田辺 2006, p. 11.
  3. ^ a b c d 日本将棋の歴史(23)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  4. ^ 加藤、原田、田辺 1999, pp. 227–228.
  5. ^ a b 加藤、原田、田辺 1999, p. 228.
  6. ^ 広津久雄|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  7. ^ a b c 棋士紹介-物故棋士一覧-”. 日本将棋連盟. 2009年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月14日閲覧。
  8. ^ 富沢幹雄|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  9. ^ 吉田六彦|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  10. ^ 板谷四郎|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。
  11. ^ 日本将棋連盟 1968, p. 285.
  12. ^ 日本将棋連盟 1968, p. 289.
  13. ^ 日本将棋連盟 1968, p. 298.
  14. ^ a b 日本将棋連盟 1968, p. 280.
  15. ^ 梶一郎|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月14日閲覧。

参考文献

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  • 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6 
  • 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『[証言]将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0255-0 
  • 日本将棋連盟『将棋年鑑 昭和43年版』1968年。