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1936年度の将棋界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1936年度の将棋界(1936ねんどのしょうぎかい)では、1936年昭和11年)4月から1937年昭和12年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。

できごと

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1936年4月

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  • 升田幸三が四段昇段。三段から特別扱いで中外商業新報(大阪)戦に出場。7連勝を達成した[1]

1936年6月

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  • 29日 - 神田事件により分裂していた将棋界が全面和解。日本将棋連盟(旧)、日本将棋革新協会、十一日会が解散し、「将棋大成会」が結成される[2][3]

1936年8月

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1936年11月

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  • 6日 - 小菅剣之助八段の長年の功績を称え、「名誉名人」の称号が贈られた[3][4]
  • 升田幸三四段が中外商業新報(東京)の五段登竜門戦に出場。6戦全勝で優勝した[4]

1936年12月

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  • 18日 - 中外商業新報(東京)の五段登竜門戦の実績により、升田幸三四段、大和久彪四段、畝美与吉四段の3名が五段昇段[4]

1937年2月

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1937年3月

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昇段・引退

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昇段 棋士 昇段日
四段 升田幸三 1936年4月 [1]
高島一岐代 1936年 [9]
小堀清一 1936年 [10]
大和久彪 1936年 [11]
橋爪敏太郎 1936年 [12]
野村慶虎 1936年 [12]
五段 梶一郎 1936年 [13]
加藤治郎 1936年 [13]
升田幸三 1936年12月18日 [4]
大和久彪 1936年12月18日 [4]
畝美与吉 1936年12月18日 [4]
六段 大野源一 1936年 [14]
七段 坂口允彦 1936年 [10]
八段 萩原淳 1936年 [13]

脚注

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  1. ^ a b 加藤、原田、田辺 1999, p. 221.
  2. ^ 加藤、原田、田辺 1999, pp. 221–222.
  3. ^ a b 日本将棋の歴史(16)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 加藤、原田、田辺 1999, p. 222.
  5. ^ 日本将棋の歴史(17)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月16日閲覧。
  6. ^ 加藤、原田、田辺 1999, pp. 222–223.
  7. ^ 日本将棋の歴史(18)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月16日閲覧。
  8. ^ 加藤、原田、田辺 1999, p. 223.
  9. ^ 日本将棋連盟 1968, p. 296.
  10. ^ a b 日本将棋連盟 1968, p. 284.
  11. ^ 棋士紹介-物故棋士一覧-”. 日本将棋連盟. 2009年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月16日閲覧。
  12. ^ a b 日本将棋連盟 1968, p. 298.
  13. ^ a b c 日本将棋連盟 1968, p. 295.
  14. ^ 日本将棋連盟 1968, p. 283.

参考文献

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  • 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『[証言]将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0255-0 
  • 日本将棋連盟『将棋年鑑 昭和43年版』1968年。