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'''ジュビロ磐田'''(ジュビロいわた、Júbilo Iwata)は、[[日本]]の[[静岡県]][[磐田市]]をホームタウンとする、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロ[[サッカー]]クラブ。2005年4月より[[ジャパンラグビートップリーグ]]に所属する[[ヤマハ発動機ジュビロ]]とチーム愛称を共有している。
'''ジュビロ磐田'''(ジュビロいわた、Júbilo Iwata)は、[[日本]]のサッカー王国[[静岡県]][[磐田市]]をホームタウンとする、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロ[[サッカー]]クラブ。2005年4月より[[ジャパンラグビートップリーグ]]に所属する[[ヤマハ発動機ジュビロ]]とチーム愛称を共有している。


== 概要 ==
== 概要 ==

2014年1月29日 (水) 05:43時点における版

ジュビロ磐田
原語表記 ジュビロ磐田
愛称 ジュビロ
クラブカラー   サックスブルー[1]
創設年 1972年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン2
クラブライセンス J1
ホームタウン 静岡県磐田市[1]
ホームスタジアム
ヤマハスタジアム[1]
収容人数 15,165[1]
運営法人 株式会社ヤマハフットボールクラブ[1]
代表者 高比良慶朗[1]
監督 ブラジルの旗 ペリクレス・シャムスカ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社ヤマハフットボールクラブ[1]
Yamaha Football Club Co.,LTD.
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 438-0025
静岡県磐田市新貝2500[1][2]
設立 1992年8月21日[2]
業種 サービス業
法人番号 2080401016049 ウィキデータを編集
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 高比良慶朗[1]
資本金 6億7,900万円[2][3]
売上高 33億9,100万円 (2013年3月期)[3]
営業利益 2億1,700万円 (2013年3月期)[3]
経常利益 2億3,600万円 (2013年3月期)[3]
純利益 1億7,000万円 (2013年3月期)[3]
純資産 6億9,200万円 (2013年3月期)[3]
総資産 13億4,000万円 (2013年3月期)[3]
決算期 3月期
主要株主 ヤマハ発動機[2]
静岡新聞社[2]
静岡放送[2]
ヤマハ[2]
外部リンク 公式ウェブサイト
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ジュビロ磐田(ジュビロいわた、Júbilo Iwata)は、日本のサッカー王国静岡県磐田市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。2005年4月よりジャパンラグビートップリーグに所属するヤマハ発動機ジュビロとチーム愛称を共有している。

概要

1972年に創部されたヤマハ発動機サッカー部が前身[1]。1993年にJリーグ準会員[1]となり、1994年よりJリーグ正会員となった[1]。運営会社は株式会社ヤマハフットボールクラブで[1]ヤマハ発動機などが出資している[2]。チーム名の「ジュビロ」はポルトガル語(Júbilo)・イタリア語(Giubilo)で「歓喜」を意味する[1]

ホームスタジアムはヤマハスタジアム[1]であるが、静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパスタジアム)でも不定期でホームゲームを開催している。練習場はヤマハ大久保グラウンド[1]、隣接する磐田スポーツ交流の里・ゆめりあを使用している(詳細は#スタジアム・練習場)。

。女子サッカークラブ「ジュビロ磐田レディース」(静岡県西部リーグ)、フットサルクラブ「DELIZIA磐田(ジュビロ磐田フットサルクラブより改称)」を有する。

JリーグのMVPを4人輩出している[4]、2012年シーズン終了時点でJリーグで最多記録であり、2013年シーズン終了時点、得点王を獲得した日本人は6人おりうち3人[5]

歴史

1990年代

ドゥンガ

1972年に創部されたヤマハ発動機サッカー部が前身であり、日本サッカーリーグ(JSL)1部での優勝1回、天皇杯優勝1回などの実績を有する。1992年Jリーグ準会員として承認され、1993年のJFL1部で準優勝し、1994年よりJリーグ正会員となった。

1994年より元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。オランダ代表ファネンブルグ、元イタリア代表サルヴァトーレ・スキラッチブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガなどの外国人選手を補強。 1994年に藤田俊哉田中誠奥大介、1995年に名波浩福西崇史が、1996年には服部年宏が加入、実業団時代からのメンバー中山雅史鈴木秀人らがレギュラーを確保。 固定化されたメンバーは次第に高度なチーム連携を実現。

1997年
  • 2ndステージで初優勝。
  • チャンピオンシップで1stステージ優勝の鹿島を破り、初の年間王者を獲得。
  • ドゥンガがMVP獲得。
  • ドゥンガと共に大神友明、名波、中山がベストイレブンに選出された。
1998年
  • 1stステージで優勝。2ndステージは2位となり、Jリーグチャンピオンシップは鹿島に敗戦。ナビスコ杯で優勝。
  • 中山が27試合の出場で36得点(現在リーグ戦最多得点記録)を記録。MVP、得点王などのタイトルを獲得した。
  • 1998 FIFAワールドカップ日本代表として中山、名波、服部が出場、ドゥンガがブラジル代表キャプテンとして出場。
  • 中山、名波、ドゥンガ、奥がベストイレブン選出。
  • シーズン終了後にドゥンガが退団した。
1999年
  • 1stステージで優勝し、チャンピオンシップで2ndステージ優勝の清水を破り2度目の王者.
  • 1stステージ後に名波浩イタリアACヴェネツィアへ移籍。
  • 福西が初のベストイレブンに選出された。

2000年代

2000年~2005年

2000年
  • ステージ優勝なかったが、FUJI XEROX SUPER CUP初優勝。
  • 9月に名波がイタリアから復帰。
  • 年間順位は4位。年間勝ち点数はに次ぐ2位。
  • 中山が2回目の得点王を獲得(29試合20得点)、ベストイレブン選出。
2001年
2001年ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
  • 1stステージで優勝。2ndステージは2位。チャンピオンシップは鹿島に延長の末敗戦。
  • ナビスコ杯は準優勝、天皇杯はベスト8の成績。
  • 藤田がMVPを獲得。
  • ヴァンズワム、大岩、藤田、福西、服部の5人がベストイレブンに選出された。
    • 1999年のアジアスーパーカップ優勝、7-8月にスペインで開催されるFIFAクラブ世界選手権2001への出場が決まっていたため[6]、「世界と戦う」ために名波を中心としたいわゆる「N-BOX」を採用。同年の同選手権は運営面の問題で開催不能となった。
2002年
2003年
2003年開幕戦。発煙筒の演出があった。
  • 成岡翔大井健太郎菊地直哉などが入団。
  • この年の後半に藤田がオランダFCユトレヒトへレンタル移籍(年明けに復帰)。
  • 1stステージは横浜FMに勝ち点1及ばず2位。
  • 2ndステージは14節の時点で首位に立ったが、最終節の横浜FM戦のアディショナルタイムに決勝点を決められて優勝を逃した(ステージ順位は2位)。
  • ゼロックス杯および天皇杯で優勝した。
  • ベストイレブンに福西が選出された。
2004年
  • 1stステージは2位。2ndステージは13位。
  • ゼロックス杯で優勝。
2005年

2006年~2009年

2006年
2007年
クラブスローガン :「VAMOS CONTIGO
  • 2月、MF福西崇史FC東京、服部が東京Vへ移籍、名波はセレッソ大阪へレンタル移籍。
  • 6月、菊地直哉が県の条例違反(淫行)容疑で逮捕された。起訴猶予となった6月29日にクラブは菊池との契約を解除した。
  • 9月2日、成績不振を理由にアジウソンおよびコーチが辞任。後任としてトップチームコーチ兼サテライトチーム監督である内山篤が就任。
  • 磐田および札幌元監督の柳下正明がヘッドコーチに就任。
  • 年間成績は9位。
2008年
クラブスローガン :「Hungrrrrry!
  • 入れ替え戦終了後、オフトが監督を退任した。名波浩が現役を引退した。
  • 馬淵が成績不振と大幅減収の責任をとり社長を退任、後任にヤマハモーター台湾社長の吉野博行が12月25日付けで就任。
2009年
クラブスローガン :「SPEEDY ACTION 2009
  • 磐田元監督で、内田、オフト両体制下でヘッドコーチを1年半務めた柳下正明が監督に就任。
  • 河村崇大東京V森下俊京都田中誠福岡へ完全移籍し、松井謙弥が京都へ期限付き移籍。那須大亮を東京Vから獲得し、ユースから2人昇格。
  • 3月7日の開幕戦は、J1初昇格山形に2-6、史上ワースト記録となる失点で敗戦。第2節はG大阪に1-4で敗戦。
  • 4月1日付けで、強化部長代理に服部健二が就任。
  • 現役の韓国代表イ・グノを獲得。イは初出場となった第6節の清水戦で2得点を挙げ、次節の京都戦で1ゴール2アシストを決めた。イは一度クラブを離れたが夏場には復帰、シーズン通算で11得点。
  • 7月、押谷祐樹FC岐阜へと期限付き移籍。
  • シーズン成績は11位。
  • 前田遼一が高原以来7年ぶりの日本人得点王を受賞(34試合20得点)し、自身初となるベストイレブンを受賞した。
  • シーズン終了後に中山雅史鈴木秀人が退団した。

2010年代

2010年
クラブスローガン :「EVOLUTION 2010
2010年ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
2011年
クラブスローガン :「ROAD TO CHAMPION 2011
2012年
クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2012
2013年
クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2013
  • 黄誠秀群馬千代反田充徳島荒田智之岡山ハン・サンウンが韓国の蔚山現代FCロドリゴ・ソウトがブラジル1部のナウチコへ完全移籍。竹重安希彦新潟押谷祐樹が岡山へそれぞれ期限付き移籍、岡田隆の移籍期限を延長。
  • 前年度、期限付き移籍で加入していた植村慶菅沼駿哉宮崎智彦小林祐希を完全移籍で獲得。また、神戸から伊野波雅彦を完全移籍で獲得、京都からチョン・ウヨンが期限付き移籍で加入。
  • 前年度磐田ユースに所属していた2種登録の牲川歩見、関西大学から田中裕人が加入。
  • リーグ戦は、開幕から7戦を2分5敗の成績で第7節時点で最下位に転落。第8節の湘南戦でリーグ戦初勝利を挙げたが、第9節の甲府戦で敗戦して、5月4日に森下を監督から解任。
  • ヘッドコーチの長澤徹が監督代行を務めた後、5月19日よりU-23サッカー日本代表元監督の関塚隆が監督に就任した(長澤はヘッドコーチに復帰)。
  • 第10節・第15節・第17節と16位に浮上するが、第18節の浦和戦に敗れて17位へ順位を落とした。その後も75~90分(アディショナルタイムも含む)にJ1最多の19失点を喫した事が物語る様に、あと一歩で勝ち点を得られるという所で踏ん張れず[要出典]、第18節以降は17位から浮上することなく、第31節の鳥栖戦に敗れて、J2降格が決定した。
  • 天皇杯は3回戦でJ2の札幌に敗れた。
  • シーズン終了後に関塚が監督を退任。また、GMの服部健二、ヘッドコーチの長澤徹が退任した[7]


2014年
クラブスローガン :「勝!!!

成績

開幕戦成績

年度 月日 会場 ホーム 得点 アウェイ 観客数
1994年 3月12日 J カシマ 鹿島 1-0 磐田 13,990
1995年 3月18日 市原臨海 市原 1-0 磐田 13,637
1996年 3月16日 ヤマハ 磐田 3-0 福岡 13,439
1997年 3月12日 ヤマハ 磐田 2-1 広島 9,545
1998年 3月21日 ヤマハ 磐田 2-0 京都 15,574
1999年 3月6日 J1 ヤマハ 磐田 3-1 神戸 13,349
2000年 3月11日 ヤマハ 磐田 0-1 14,056
2001年 3月10日 ヤマハ 磐田 4-1 市原 15,246
2002年 3月2日 エコパ 磐田 2-0 名古屋 29,763
2003年 3月21日 エコパ 磐田 2-4 横浜FM 32,930
2004年 3月13日 ヤマハ 磐田 2-0 東京V 15,088
2005年 3月5日 日産ス 横浜FM 0-1 磐田 41,868
2006年 3月5日 エコパ 磐田 1-1 福岡 28,564
2007年 3月4日 4-0 磐田 10,960
2008年 3月9日 2-0 磐田 11,210
2009年 3月7日 ヤマハ 磐田 2-6 山形 12,141
2010年 3月6日 ヤマハ 磐田 0-1 仙台 10,440
2011年 3月5日 中銀スタ 甲府 0-1 磐田 15,040
2012年 3月10日 札幌ド 札幌 0-0 磐田 25,353
2013年 3月2日 豊田 名古屋 1-1 磐田 21,748

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

表彰

個人記録

J1リーグ戦通算出場記録

  • 400試合出場
    • 川口能活 400試合 継続中
  • 300試合出場
    • 鈴木秀人 328試合 引退
    • 駒野友一 327試合 継続中
    • 名波浩 314試合 引退
  • 250試合出場
    • 前田遼一 293試合 継続中
  • 200試合出場
    • 金沢浄 221試合 継続中
    • 森下仁志 202試合 引退
  • 150試合出場
    • 阿部吉朗 180試合 継続中
    • 伊野波雅彦 166試合 継続中
    • 佐藤洋平 164試合 引退
    • 藤田義明 152試合 継続中
  • 100試合出場
    • 菅沼実 145試合 継続中
    • 山本康裕 115試合 継続中
    • 松岡亮輔 103試合 継続中

※2013年1月24日現在(2012年シーズン終了まで)。他チームでの出場も含む。 ※現在磐田に所属中、引退時に磐田に所属していた選手のみ記載。

リーグ戦通算最多得点

  • 中山雅史 157得点

リーグ戦記録ゴール

  • 6000得点目 鈴木秀人 【1999年2nd第12節(11月7日)・広島戦】

リーグ戦通算GK最小防御率

  • ヴァン・ズワム 0.89点

ハットトリック

Jリーグ ディビジョン1

  • 5得点
    • 中山雅史【1998年1st第6節(4月15日)・C大阪戦】
  • 4得点
    • 中山雅史【1998年1st第7節(4月18日)・広島戦】
    • 中山雅史【1998年1st第8節(4月25日)・福岡戦】
    • 高原直泰【2002年2nd第5節(9月22日)・FC東京戦】
  • 3得点
    • スキラッチ【1995年サントリー第20節(6月28日)・柏戦】
    • スキラッチ【1996年第14節(5月15日)・平塚戦】
    • 中山雅史【1997年2nd第13節(9月20日)・V川崎戦】
    • 中山雅史【1998年1st第9節(4月29日)・札幌戦】
    • 奥大介【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
    • 高原直泰【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
    • 中山雅史【1998年2nd第9節(10月3日)・横浜F戦】
    • 藤田俊哉【2000年1st第10節(5月3日)・川崎戦】
    • 中山雅史【2000年2nd第14節(11月23日)・広島戦】
    • 清水範久【2001年2nd第9節(10月17日)・FC東京戦】
    • 高原直泰【2002年1st第14節(8月10日)・仙台戦】
    • 前田遼一【2005年第15節(7月9日)・C大阪戦】
    • 前田遼一【2008年第28節(10月5日 ・札幌戦】
    • 前田遼一【2009年第30節(10月25日) ・名古屋戦】

エピソード

清水FC(エスパルス)との統合計画

  • Jリーグ加盟に際し、ヤマハサッカー部も当初は初年度からの加盟を目指した。清水市(現・静岡市)からも市民組織のクラブチーム・清水FC(エスパルスの母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた。
  • 全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会のプロ化検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案、ヤマハは単独クラブでのJリーグ参加を目指すとして拒否。
  • ヤマハ自体もプロチーム設立へ向けた法人化の手続きや、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとり、初年度参加メンバーから落選。ヤマハはこの後1992年に地元企業やマスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立、1993年ジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格の権利(2位以内)が与えられる準会員制度の適用第1号(他日立柏レイソルフジタ湘南ベルマーレ)となり、その年のリーグで準優勝してJリーグ昇格を決めた。

スタジアム・練習場

大久保グラウンド

ジュビロのトップチームの練習会場である大久保グラウンドは、元々はヤマハ発動機野球部(現在はクラブチーム登録)の本拠地として使用された野球場だった。その後、ジュビロがJリーグに加盟したのと同時期に野球部がここから撤退し、事実上のジュビロ専用グラウンドとして使用されるようになった。その野球場時代の名残りからベンチルームの一部が残されている。バックスクリーンも長くマスコットとロゴマークが貼り付けられて残されていたが、今は撤去されている。また、現在はグラウンドに併設する形でクラブハウスが建っている(このグラウンドの北側にもう一面芝のグラウンドが作られている。こちらはラグビーチームのヤマハ発動機ジュビロが使用している。)。

なお、ジュビロはこのほか、ヤマハスタジアムに近い安久路(あくろ)公園の多目的球技場も練習場として使っており、こちらは主に少年チーム(ジュニアユース・ジュニアチーム)の練習や試合に使用されている。

新スタジアム構想

1993年頃は静岡県浜北市(現在は浜松市浜北区)との広域ホームタウン化計画を持っていた。[要出典]

静岡県西部ではヤマハスタジアムの他にホンダ都田サッカー場静岡県遠州灘海浜公園球技場が全国規模のサッカーリーグで使用されていたが、ヤマハスタジアム以外はJリーグ規格(15,000人以上収容)のスタジアムではなく、また施設の用地スペースや遠州灘海浜公園の場合は周囲がアカウミガメの産卵地であることから夜間照明設備を設置することができないなどの理由でJリーグ規格に造り替えることが困難だった[要出典]ヤマハスタジアム自体も周辺にヤマハ発動機の本社工場オフィスや福利厚生施設などがある為、スタンド増築にも限界があった。[要出典]

そこで、旧浜北市に3-5万人収容規模のサッカー専用スタジアムとアリーナ(体育館)、商業施設を兼ね備えた本格的な複合施設を建設し、それをジュビロのホームスタジアムの一つに加える計画を持っていた。またこれと時を同じくして、ジュビロのホームタウンである磐田市でも3万人収容規模の新スタジアム建設計画が持ち上がっていた。

ところがその後の長期不況により行政の予算が制限されたことや、2002 FIFAワールドカップで使用するスタジアムとして、磐田市に隣接する袋井市掛川市の市境にエコパスタジアムが建設されたこともあって、その計画は頓挫した(この件についてはNHK総合テレビクローズアップ現代など数多くのテレビ番組でも取り上げられた)[要出典]

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 水色[1] [1] 水色[1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー

  •     サックスブルー[1]
    • Jリーグ昇格以前の1stユニフォームは、濃い青色の上下に赤をアクセントとして使用、2ndユニフォームは白に赤と青のライン。
    • 2003年、クラブ創立10周年を記念して全身紺色(ヤマハ時代のものよりも更に濃い青色)の3rdユニフォームが用意され、ホームの清水戦で着用。
    • 2005年、レアル・マドリード及びバイエルン・ミュンヘンとの親善試合等で全身紺色(サックスブルーがアクセントとして使用されている)を着用。
    • 2006年からは練習試合用としてその年のリーグ戦のユニフォームを紺色にしたものが用意されている。
    • 背番号下のネームは、Jチームでは珍しく[要出典]オ段の伸びる音「H」が表記されている(ネーム導入後に在籍していた選手では大井健太郎OHI太田吉彰OHTA)。
    • エンブレム上(2011年までは襟後ろ)の3つの星(★)は3度のJ1年間優勝を表している。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
ヤマハ発動機 YAMAHA 1993年、
2009年-
1997年-2008年までは袖、
2007年-2008年まではパンツ
背中 サーラグループ SALA 2011年- 2009年-2010年までは袖およびパンツ
浜松ホトニクス HAMAMATSU 2012年-
パンツ 静岡新聞社 静岡新聞 2014年-
  • 練習着 ヤマハ発動機 (YAMAHA)

AFCチャンピオンズリーグなどの国際試合では、規定によりスポンサーロゴ表示は1社のみとなることから、ヤマハ発動機(YAMAHA) のみの表示となる。

ユニフォームサプライの遍歴

  • 1994年 - 1996年: リーグ戦はミズノ、カップ戦はプーマ
  • 1997年 - 現在: プーマ

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1993 YAMAHA PUMA
1994 Nestle KitKat Buitoni Mizuno/PUMA
1995
1996 KitKat
1997 YAMAHA Buitoni PUMA
1998 KINCHO
1999
2000
2001
2002 –/VW
2003 VW
2004
2005
2006 飯田産業 Nestle KitKat
2007 Nestle MILO YAMAHA
2008 joinvest ジョインベスト証券
2009 YAMAHA SALA ARTNER SALA
2010 銀座deフットサル
2011 百年住宅 SALA アートネイチャー
2012 HAMAMATSU -/KONDO LEASE
2013 チェンジ
2014 静岡新聞

スポンサー


ダービーマッチ

清水エスパルスとの対戦。

その他クラブ情報

ロゴマーク

静岡県鳥のサンコウチョウと「三つの光」=「月・日・星」、サッカーボールを表している。

クラブエンブレム

ロゴマーク、チーム名、ホームタウン磐田市を流れる天竜川と静岡県内の大河、大井川安倍川富士川を象徴する上下の青い帯が描かれている。

マスコットキャラクター

モチーフは静岡県の県鳥、サンコウチョウ[1]

ジュビロくん
1993年11月16日生まれ。磐田市出身。身長182センチ、体重78キロ。
ジュビィちゃん
2003年3月21日生まれ。浜松市出身。身長163センチ、体重52キロ。ジュビロくんのガールフレンド。結婚はしていない。

シーズンシート

シーズンシートは「コルテアズー(Corte Azul)」というネーミングがある。ポルトガル語で「水色の宮廷」の意味[8]

特別招待事業「磐田市小学生一斉観戦授業」

磐田市の地域社会への貢献の一環として、ジュビロでは選手の磐田市内全小学校への訪問事業を展開しているほか、毎年5月を基本として「磐田市民デー」を開催。この日、バックスタンドのフリーゾーンアウェー(一部除く)を貸切にして、地元の小学生5-6年生とその保護者を招き「磐田市小学生一斉観戦授業」を行っている。

ジュビロの試合観戦をすることにより、チームへの愛着はもとより、磐田市をふるさととして誇りに想う気持ちを共有し、将来にわたって磐田市を愛する気持ちを持続させることを目的として2011年より始めている。該当試合はフリーゾーンアウェイ席の販売を行わないほか、フリーゾーンホーム席の一部も招待客専用となる。[9][10]

オフィシャルテーマソング

1994年に発売されたDR(デ・レーテ)が歌っている「ジュビロ・オレ!」がジュビロ磐田のオフィシャルテーマソングになっている。

2013年8月3日に榛葉樹人が歌うクラブアンセム「フォッツァ ジュビロ! 〜歓喜への讃歌〜」が発表された。アンセムはホームゲームの選手入場時や勝利後にスタジアムで流れる[11]

シーズンソング

また、オフィシャルテーマソングの他にシーズンソングがあり、スタジアムやジュビロTV内などで流れている。

年度
タイトル
アーティスト
2011 ソナーポケット ハレルヤ!!!!!!![12]
2012 シクラメン 必死マン[13]
2013 GOLD RUSH キミサンバ[14]
2014 シクラメン 未定[15]

ジュビロTV

2011年より、クラブの企画・制作・撮影によるオリジナル番組「ジュビロTV」を開始。スタジアムのビジョンで放送される「ジュビロTV~stadium channel~」、静岡放送で放送される「ジュビロTV~SBS channel~」、スカパー!で放送される「ジュビロTV PLUS」の3種類がある。また、2012年春からスマートフォンで視聴できる「ジュビロTVモバイル(会員登録必要)」がスタートした。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x クラブガイド:ジュビロ磐田”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年1月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 会社概要”. ジュビロ磐田. 2013年10月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 2012年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
  4. ^ ドゥンガ(1997年)、中山雅史(1998年)、藤田俊哉(2001年)、高原直泰(2002年)
  5. ^ 中山雅史(1998年・2000年)、高原直泰(2002年)、前田遼一(2009年・2010年)。他の日本人選手得点王は福田正博(浦和)、三浦知良V川崎)、佐藤寿人広島)。
  6. ^ 同大会のグループリーグでは、「銀河系軍団」の名を馳せUEFAチャンピオンズリーグを1999-2000年シーズンに優勝していたレアル・マドリード(スペイン)と初戦で対戦し、ロサンゼルス・ギャラクシーCONCACAFチャンピオンズリーグ2000年シーズン優勝、アメリカ合衆国)やアクラ・ハーツ・オブ・オークCAFチャンピオンズリーグ2000年シーズン優勝、ガーナ)との対戦が予定されていた。
  7. ^ 服部GM、関塚監督、長澤ヘッドコーチの契約満了について ジュビロ磐田公式サイト 2013.11.26付ニュース
  8. ^ コルテアズー”. ジュビロ磐田. 2013年10月23日閲覧。
  9. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=2632
  10. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=2588
  11. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=3279&year=2013&month=08
  12. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=1975&year=2011&month=03
  13. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=2423&year=2011&month=12
  14. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=2964&year=2012&month=12
  15. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=3485&year=2014&month=01

関連項目

外部リンク

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