五十崎駅
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五十崎駅 | |
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駅前(2008年12月) | |
いかざき Ikazaki | |
◄U10 内子 (1.6 km) (2.5 km) 喜多山 U12► | |
所在地 | 愛媛県喜多郡内子町五十崎1928 |
駅番号 | ○U11 |
所属事業者 | 四国旅客鉄道(JR四国) |
所属路線 | ■内子線 |
キロ程 |
3.7 km (新谷起点) 高松から233.6 km |
電報略号 | イキ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[1] |
乗降人員 -統計年度- |
10[2]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1920年(大正9年)5月1日[3] |
備考 | 無人駅[1] |
五十崎駅(いかざきえき)は、愛媛県喜多郡内子町五十崎にある四国旅客鉄道(JR四国)内子線の駅である[1]。駅番号はU11。
歴史
[編集]1920年に愛媛鉄道の駅として開業した時点の当駅は、旧五十崎町中心部の北側、現在の内子五十崎インターチェンジ南西の、松山自動車道と国道56号との立体交差地付近にあった。旧駅の位置は、現・五十崎駅より現・内子駅からの方が距離が近い。1986年の予讃線向井原 - 内子間(建設時名称は内山線)の開業に際して約1.6km西の現在地に移転した。
年表
[編集]- 1920年(大正9年)5月1日:開業[3][4]。
- 1933年(昭和8年)10月1日:愛媛鉄道の国有化により、国有鉄道の駅となる[4]。
- 1962年(昭和37年)9月25日:貨物取扱廃止[3]。
- 1964年(昭和39年)4月1日:業務委託駅となる[5]。
- 1971年(昭和46年)11月8日:荷物扱い廃止[6]。無人駅となる[7]。
- 1986年(昭和61年)3月3日:予讃線新線の開業と共に現在地に移転[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる[3]。
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅[1]。無人駅[1]。ホームの一部(内子側)が五十崎トンネルの中にある[1]。
利用状況
[編集]1日乗降人員推移 [8] | |
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年度 | 1日平均人数 |
2011年 | 4 |
2012年 | 4 |
2013年 | |
2014年 | 2 |
2015年 | 4 |
駅周辺
[編集]駅移転により旧五十崎町の中心地へは遠くなった。現・内子町庁舎(合併前の五十崎町庁舎)へも距離がある。
その他
[編集]ローマ字表記では「IKAZAKI」であり、ローマ字による回文駅名である。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『週刊 JR全駅・全車両基地』 53号 松山駅・伊予西条駅・下灘駅ほか83駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年8月25日、27頁。
- ^ “愛媛県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、644頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編)「予讃線・予土線・内子線・本四備讃線<瀬戸大橋線>」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第10号、朝日新聞出版、2009年9月13日、25頁。
- ^ 日本国有鉄道四国総局総務部情報管理室 編『鉄道要覧 昭和58年度』日本国有鉄道四国総局、1984年8月1日、36頁。doi:10.11501/12090522。全国書誌番号:84056405。
- ^ 「日本国有鉄道公示第436号」『官報』1971年11月6日。
- ^ 「通報 ●海岸寺駅ほか25駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年11月6日、8面。
- ^ 国土数値情報(駅別乗降客数データ) - 国土交通省、2019年7月12日閲覧