川島竹早町
川島竹早町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 岐阜県 |
市町村 | 各務原市 |
地区 | 川島地区 |
人口 | |
• 合計 | 0人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
501-6024[2] |
市外局番 | 0586 (一宮MA)[3] |
ナンバープレート | 岐阜 |
川島竹早町(かわしまたけはやまち)は、岐阜県各務原市の地名。丁番を持たない単独町名である。
地理
[編集]各務原市の南西部の川島地区に属する。
町域の東部は川島小網町、西部は川島河田町、川島松倉町、川島松原町、南部は川島小網町、川島河田町、北部は川島小網町、川島松倉町に接する。
かつてはエーザイ川島工園及びその関連会社であったクリニカル・サプライの敷地が町域を占めていたが、クリニカル・サプライがテルモ・クリニカルサプライと改称しテクモの完全子会社となり、廃止されたエーザイの社宅、寮の跡地には、物流企業の倉庫が建てられたため、2024年現在は川島竹早町の全域がエーザイ関連とは言えない。
歴史
[編集]1962年(昭和37年)、エーザイが新たな工場の建設を計画し、羽島郡川島町の河田町、松倉町、小網町に跨る土地、約13万坪を取得。1963年(昭和38年)12月にエーザイと川島町との間で本契約が調印される[4]。エーザイ川島工場(のちに川島工園)は1966年(昭和41年)3月に開所する[4]。
1970年(昭和45年)11月6日、エーザイ川島工園及びその周囲(河田町の一部、松倉町の一部、小網町の一部)をもって竹早町が成立[5][6]。
2004年(平成16年)11月1日、川島町が各務原市に編入されると同時に川島竹早町に改称する。
2009年(平成21年)、川島町中央土地区画整理組合[7][8]により行われていた川島河田町の一部と川島竹早町の一部(3.43ha)[7]の土地区画整理事業が完了。この地域をもって川島河田町一丁目から三丁目が設置される[9]。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
川島竹早町 | 0世帯 | 0人 |
かつてはエーザイ川島工園の社宅、寮などがあり、1980年(昭和55年)10月1日時点では、64世帯86人が居住していた[6]。その後社宅、寮は廃止となり、人口も0人となっている。
小・中学校の学区
[編集]前述のとおり人口は0人であるが、市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10][11]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 各務原市立川島小学校 | 各務原市立川島中学校 |
交通
[編集]- 各務原市ふれあいバス川島線
主な施設
[編集]- エーザイ川島工園
- 内藤記念くすり博物館
- テルモ・クリニカルサプライ
- CBRE GI 各務原
- 澁澤倉庫岐阜倉庫
脚注
[編集]- ^ a b “町名別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月7日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2024年11月7日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年11月7日閲覧。
- ^ a b 各務原市教育委員会 2024, p. 166.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 1113.
- ^ a b 川島町 1982, p. 51.
- ^ a b “岐阜県土地区画整理事業施行地区一覧表(令和4年4月1日時点)” (PDF). 岐阜県. 2024年11月7日閲覧。
- ^ “川島町中央土地区画整理事業をふりかえって(協会だより 平成22年度)” (PDF). 公益社団法人 岐阜県都市整備協会. 2024年11月7日閲覧。
- ^ “地名変更情報2009年3月”. 国土地理協会. 2024年11月7日閲覧。
- ^ “小学校就学区域”. 各務原市. 2024年11月7日閲覧。
- ^ “中学校就学区域”. 各務原市. 2024年11月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 川島町 編『川島町史 通史編』川島町、1982年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0。
- 各務原市教育委員会 編『新発見!各務原市の歴史』各務原市教育委員会、2024年。