蘇原中央町
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蘇原中央町 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 岐阜県 |
市町村 | 各務原市 |
地区 | 蘇原地区 |
人口 | |
• 合計 | 666人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
504-0813[2] |
市外局番 | 058 (岐阜MA)[3] |
ナンバープレート | 岐阜 |
蘇原中央町(そはらちゅうおうちょう)は、岐阜県各務原市の地名。現行行政町名は蘇原中央町一丁目から蘇原中央町四丁目。
地理
[編集]各務原市の蘇原地区に属する。町域の東部は各務西町、鵜沼三ツ池町、西部は蘇原東島町、南部は蘇原東島町、蘇原興亜町、北部は蘇原坂井町に接する。
この地域には赤星山という山があったが、1960年頃から採土が進められた。その後赤星山削って造成し[4]、新興住宅地である中央団地として開発された。
各務原市民会館、中央ライフデザインセンターなど、公共施設が集中する地域である。
- 道路
- 県道17号江南関線
- いちょう通り
歴史
[編集]1975年(昭和50年)、中央団地(中央町団地)(8.8ha、計画戸数269戸)の造成が完了[5]。1976年(昭和51年)5月28日に蘇原野口町の一部、蘇原熊田町の一部、各務の一部をもって蘇原中央町を設置する[4][6]。
1977年(昭和52年)2月に各務原市中央公民館(現・各務原市中央ライフデザインセンター、同年8月には各務原警察署新庁舎、同年10月には各務原市民会館が竣工。1987年(昭和62年)5月に各務原市文化ホールが竣工。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[7]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
蘇原中央町一丁目 | 15世帯 | 38人 |
蘇原中央町二丁目 | 102世帯 | 220人 |
蘇原中央町三丁目 | 162世帯 | 387人 |
蘇原中央町四丁目 | 17世帯 | 21人 |
計 | 296世帯 | 666人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8][9]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 各務原市立中央小学校 | 各務原市立中央中学校 |
交通
[編集]- 各務原市ふれあいバス蘇原線、稲羽線、東西線、東西線(朝夕便)
- 岐阜バス倉知線
主な施設
[編集]- 中央ライフデザインセンター
- 各務原市民会館
- 各務原市文化ホール
- 各務原警察署
- 中央町公民館
- 赤星第1公園
- 赤星第2公園
その他
[編集]- 現在の蘇原中央町に存在した赤星山には、太平洋戦争時に川崎航空機岐阜工場の防空壕が存在した。1945年(昭和20年)6月22日の空襲(各務原空襲)ではこの防空壕に1t爆弾が直撃し、従業員、勤労学徒ら37人が犠牲となっている[10]。地域にある公園、「赤星第1公園」「赤星第2公園」の名称は、赤星山に因む。
- 「中央」の名を持つ各務原市立中央小学校、各務原市立中央中学校は、蘇原中央町ではなく、東に隣接する各務西町四丁目に設置されている。
脚注
[編集]- ^ “町名別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2024年9月23日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年9月23日閲覧。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 866.
- ^ “都市計画マスタープラン2010 第4章 都市計画および社会資本整備の変遷” (PDF) (日本語1). 各務原市. 2024年9月23日閲覧。
- ^ 各務原市歴史民俗資料館 1991, p. 55.
- ^ “町丁目別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
- ^ “小学校就学区域”. 各務原市. 2024年9月23日閲覧。
- ^ “中学校就学区域”. 各務原市. 2024年9月23日閲覧。
- ^ 各務原高等学校 1975, p. 9-10.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0。
- 各務原市歴史民俗資料館 編『各務原市の地名(各務原市資料調査報告書第十四号)』各務原市歴史民俗資料館、1991年。
- 岐阜県立各務原高等学校郷土研究部 編『各務原空襲(郷土研究第2号)』岐阜県立各務原高等学校郷土研究部、1975年。