蘇原六軒町
蘇原六軒町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 岐阜県 |
市町村 | 各務原市 |
地区 | 蘇原地区 |
人口 | |
• 合計 | 1,639人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
504-0905[2] |
市外局番 | 058 (岐阜MA)[3] |
ナンバープレート | 岐阜 |
蘇原六軒町(そはらろっけんちょう)は、岐阜県各務原市の地名。現行行政町名は蘇原六軒町一丁目から蘇原六軒町四丁目。
地理
[編集]各務原市の蘇原地区に属する。旧・中山道沿いであり、町域の東部は蘇原三柿野町、西部は那加信長町、南部は蘇原三柿野町及び岐阜基地、北部は蘇原緑町に接する。蘇原六軒町四丁目には高層マンションがあり、蘇原六軒町の人口は四丁目に集中している。
- 道路
歴史
[編集]この地域は西市場村・桐野村・岩地村の三ヶ村入会地であったが、元禄15年(1702年)に加納宿で脇本陣を営んでいた三宅佐兵衛[5]と森孫作により新田開発が行われ、三宅佐兵衛の三と森孫作の屋号「滝屋」の滝から、三滝新田と名付けられた[6]。新田開発時の当初の軒数が6軒であったことから、この地域の通称を六軒と呼んでいた[6]。三滝新田の集落は中山道沿いにあり、住民は新田開発を行いつつ立場も営んでいた[6]。
1874年(明治7年)9月、各務郡柿沢村、三滝新田、野村が合併し三柿野村が発足。1897年(明治30年)4月、伊飛島村、和合村、大宮村、古市場村、持田村と合併し蘇原村(1943年に町制施行し蘇原町)が発足。この地域は蘇原村大字三柿野の一部となる。
軍需工場の労働者の増加による人口増で、蘇原町大字三柿野に市街地が形成されると、大字三柿野では通称地名が付けられ、六軒町と呼ばれるようになる。
1963年(昭和38年)4月1日、蘇原町は那加町、鵜沼町、稲羽町と合併し各務原市が発足すると、大字三柿野から分立し蘇原六軒町が成立[7][8]。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[9]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
蘇原六軒町一丁目 | 45世帯 | 90人 |
蘇原六軒町二丁目 | 62世帯 | 117人 |
蘇原六軒町三丁目 | 78世帯 | 155人 |
蘇原六軒町四丁目 | 781世帯 | 1,277人 |
計 | 966世帯 | 1,639人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10][11]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 各務原市立蘇原第二小学校 | 各務原市立蘇原中学校 |
交通
[編集]※各務原市ふれあいバス蘇原線に「六軒北」バス停があるが、所在地は蘇原早苗町である。
主な施設
[編集]脚注
[編集]- ^ “町名別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2024年10月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年10月13日閲覧。
- ^ 小林, 1984 & 付図.
- ^ 佐兵衛は元禄12年(1699年)に厚見郡野一色村で新田開発(左兵衛新田。現在の長森本町一丁目・野一色八丁目・琴塚一丁目、琴塚三丁目など)を行っている
- ^ a b c 各務原市教育委員会 2024, p. 87.
- ^ “各務原市の町区域の画定及び名称の変更(県告示第246号)” (日本語1). 岐阜県. 2024年10月13日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 867.
- ^ “町丁目別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
- ^ “小学校就学区域”. 各務原市. 2024年10月13日閲覧。
- ^ “中学校就学区域”. 各務原市. 2024年10月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0。
- 各務原市教育委員会 編『新発見!各務原市の歴史』各務原市教育委員会、2024年。
- 小林義徳 編『蘇原の歴史』蘇原の歴史刊行委員会、1984年。