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蘇原六軒町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 岐阜県 > 各務原市 > 蘇原六軒町
蘇原六軒町
日本の旗 日本
都道府県 岐阜県
市町村 各務原市
地区 蘇原地区
人口
2024年(令和6年)10月1日現在)[1]
 • 合計 1,639人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
504-0905[2]
市外局番 058 (岐阜MA)[3]
ナンバープレート 岐阜

蘇原六軒町(そはらろっけんちょう)は、岐阜県各務原市の地名。現行行政町名は蘇原六軒町一丁目から蘇原六軒町四丁目。

地理

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各務原市の蘇原地区に属する。旧・中山道沿いであり、町域の東部は蘇原三柿野町、西部は那加信長町、南部は蘇原三柿野町及び岐阜基地、北部は蘇原緑町に接する。蘇原六軒町四丁目には高層マンションがあり、蘇原六軒町の人口は四丁目に集中している。

地域には名古屋鉄道各務原線が通過する。

地名は、蘇原町三柿野の通称地名である[4]

道路

歴史

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この地域は西市場村・桐野村・岩地村の三ヶ村入会地であったが、元禄15年(1702年)に加納宿脇本陣を営んでいた三宅佐兵衛[5]と森孫作により新田開発が行われ、三宅佐兵衛のと森孫作の屋号「滝屋」のから、三滝新田と名付けられた[6]。新田開発時の当初の軒数が6軒であったことから、この地域の通称を六軒と呼んでいた[6]。三滝新田の集落は中山道沿いにあり、住民は新田開発を行いつつ立場も営んでいた[6]

1874年(明治7年)9月、各務郡柿沢村、三滝新田、野村が合併し三柿野村が発足。1897年(明治30年)4月、伊飛島村和合村大宮村古市場村持田村と合併し蘇原村(1943年に町制施行し蘇原町)が発足。この地域は蘇原村大字三柿野の一部となる。

軍需工場の労働者の増加による人口増で、蘇原町大字三柿野に市街地が形成されると、大字三柿野では通称地名が付けられ、六軒町と呼ばれるようになる。

1963年(昭和38年)4月1日、蘇原町は那加町鵜沼町稲羽町と合併し各務原市が発足すると、大字三柿野から分立し蘇原六軒町が成立[7][8]

世帯数と人口

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2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[9]

丁目 世帯数 人口
蘇原六軒町一丁目 45世帯 90人
蘇原六軒町二丁目 62世帯 117人
蘇原六軒町三丁目 78世帯 155人
蘇原六軒町四丁目 781世帯 1,277人
966世帯 1,639人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10][11]

番・番地等 小学校 中学校
全域 各務原市立蘇原第二小学校 各務原市立蘇原中学校

交通

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各務原市ふれあいバス蘇原線に「六軒北」バス停があるが、所在地は蘇原早苗町である。

主な施設

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脚注

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  1. ^ 町名別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2024年10月13日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2024年10月13日閲覧。
  4. ^ 小林, 1984 & 付図.
  5. ^ 佐兵衛は元禄12年(1699年)に厚見郡野一色村で新田開発(左兵衛新田。現在の長森本町一丁目・野一色八丁目・琴塚一丁目、琴塚三丁目など)を行っている
  6. ^ a b c 各務原市教育委員会 2024, p. 87.
  7. ^ 各務原市の町区域の画定及び名称の変更(県告示第246号)” (日本語1). 岐阜県. 2024年10月13日閲覧。
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 867.
  9. ^ 町丁目別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
  10. ^ 小学校就学区域”. 各務原市. 2024年10月13日閲覧。
  11. ^ 中学校就学区域”. 各務原市. 2024年10月13日閲覧。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0 
  • 各務原市教育委員会 編『新発見!各務原市の歴史』各務原市教育委員会、2024年。 
  • 小林義徳 編『蘇原の歴史』蘇原の歴史刊行委員会、1984年。