松平頼平
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松平 頼平(まつだいら よりひら、安政5年8月15日(1858年9月21日) - 1929年(昭和4年)12月16日)は、日本の華族(子爵)。常陸宍戸藩主松平頼位の三男で、旧陸奥守山藩主家当主松平喜徳の養子となった。幼名は鏸麻呂、初名は頼鏸。子に頼栄、秋雄、道(内藤政光夫人)、樋口行雄、森田静雄。
1884年(明治17年)6月、華族を対象とした陸軍予備士官学校に入学する。1885年(明治18年)9月、松平喜徳の養子となった。1891年(明治24年)6月、養父喜徳の死去により、家督を相続する。1894年(明治27年)3月28日に頼平と改名した[1]。宮内省御用掛を務めた。1929年、72歳で没した。時代考証や刀剣鑑定に対して深い知識を持っていた。没後は次男の秋雄が家督を継いだ。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本人名大辞典(講談社刊)
日本の爵位 | ||
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先代 松平喜徳 |
子爵 (守山)松平家第2代 1891年 - 1929年 |
次代 松平秋雄 |