松平頼慶
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝7年7月29日(1679年9月4日) |
死没 | 寛保2年1月6日(1742年2月10日) |
改名 | 知之助(幼名)→頼慶 |
戒名 | 登竜院殿頚誉松山寿栄大居士 |
墓所 | 茨城県常陸太田市の瑞龍山 |
官位 | 従五位下、淡路守、大炊頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 常陸宍戸藩主 |
氏族 | 水戸徳川家支流宍戸松平家 |
父母 | 父:松平頼道、母:於愛 |
妻 |
正室:なし 側室:実相院 |
子 | 本姫、頼多 |
松平 頼慶(まつだいら よりのり)は、江戸時代中期の大名。常陸国宍戸藩3代藩主。官位は従五位下・淡路守、大炊頭。
略歴
[編集]2代藩主・松平頼道の長男。母は鈴木重政の娘於愛。幼名は知之助。
享保6年(1721年)、父の死去により跡を継ぐ。寛保2年(1742年)正月6日、64歳で死去し、跡を長男・頼多が継いだ。法号は登竜院殿頚誉松山寿栄大居士。墓所は茨城県常陸太田市の瑞龍山。
狩野派の画に優れていたと言われる。
系譜
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