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{{基礎情報 会社
{{基礎情報 会社
|社名 = 神奈川中央交通株式会社
| 社名 = 神奈川中央交通株式会社
|英文社名 = Kanagawa Chuo Kotsu Co., Ltd.
| 英文社名 = Kanagawa Chuo Kotsu Co.,Ltd.
| ロゴ = [[ファイル:Kanachu logo(400px).jpg|250px|]]
|ロゴ = [[image:kanachuhonsha.jpg|280px|グランドホテル神奈中平塚(画像の左棟手前側が神奈川中央交通本社)]]
| 画像 = [[ファイル:kanachuhonsha.jpg|250px]]
|種類 = [[株式会社]]
| 画像説明 = 神奈川中央交通本社
|市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 9081}}
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|略称 = 神奈中、かなちゅう
| 市場情報 = {{上場情報 | 東証プライム | 9081 | 1949年5月16日}}
|国籍 ={{JPN}}
| 略称 = 神奈中(かなちゅう)<br />Kanachu<br />神奈交(銘柄略称)
|本社郵便番号 = 254-0811
| 国籍 = {{JPN}}
|本社所在地 = [[神奈川県]][[平塚市]]八重咲町6番18号
| 本社郵便番号 = 254-0811
|設立 = [[1921年]]([[大正]]10年)[[6月5日]]
| 本社所在地 = [[神奈川県]][[平塚市]]八重咲町6番18号
|業種 = 5050
| 本社緯度度 = 35
|統一金融機関コード =
| 本社緯度分 = 19
|SWIFTコード =
| 本社緯度秒 = 36.5
|事業内容 = 旅客自動車運送事業、不動産業他
| 本社N(北緯)及びS(南緯) = N
|代表者 = 三澤憲一([[取締役]][[社長]])
| 本社経度度 = 139
|資本金 = 31億6千万円
| 本社経度分 = 20
|発行済株式総数 =
| 本社経度秒 = 59.1
|売上高 = 単体527億円、連結1,047億円<br/>(2010年3月期)
| 本社E(東経)及びW(西経) = E
|営業利益 =
| 本社地図国コード = JP
|純利益 =
| 設立 = [[1921年]]([[大正]]10年)[[6月5日]]
|純資産 = 単体169億円、連結270億円<br/>(2010年3月)
| 業種 = 5050
|総資産 = 単体1,006億円、連結1,409億円<br/>(2010年3月)
| 統一金融機関コード =
|従業員数 =
| SWIFTコード =
|決算期 = 3月31日
| 事業内容 = 一般旅客自動車運送事業、不動産業他
|主要株主 = [[小田急電鉄]] 44.23%
| 代表者 = 代表取締役社長 今井雅之
|主要子会社 = [[横浜神奈交バス]]<br/>[[藤沢神奈交バス]]<br/>[[湘南神奈交バス]]<br/>[[相模神奈交バス]]<br/>[[津久井神奈交バス]]<br/>[[神奈中観光]](以上、バス)<br/>グランドホテル神奈中<br/>[[神奈中ハイヤー]]<br/>相模中央交通
| 資本金 = 31億6000万円<br />(2020年3月31日現在)<ref name="fy">{{Cite report |和書 |author=神奈川中央交通株式会社 |date=2020-06-26 |title=第146期(2019年4月1日 - 2020年3月31日)有価証券報告書}}</ref>
|関係する人物 =
| 発行済株式総数 = 1260万株<br />(2020年3月31日現在)<ref name="fy" />
|外部リンク = http://www.kanachu.co.jp/
| 売上高 = 連結: 1127億0200万円<br />単独: 525億4400万円<br />(2020年3月期)<ref name="fy" />
|特記事項 =
| 営業利益 = 連結: 53億2900万円<br />単独: 32億2200万円<br />(2020年3月期)<ref name="fy" />
| 経常利益 = 連結: 54億7000万円<br />単独: 35億3100万円<br />(2020年3月期)<ref name="fy" />
| 純利益 = 連結: 22億8000万円<br />単独: 19億2000万円<br />(2020年3月期)<ref name="fy" />
| 純資産 = 連結: 605億5600万円<br />単独: 379億7200万円<br />(2020年3月31日現在)<ref name="fy" />
| 総資産 = 連結: 1561億5400万円<br />単独: 1049億4200万円<br />(2020年3月31日現在)<ref name="fy" />
| 従業員数 = 連結: 7,224人<br />単独: 2,236人<br />(2020年3月31日現在)<ref name="fy" />
| 決算期 = 3月31日
| 会計監査人 = [[EY新日本有限責任監査法人]]<ref name="fy" />
| 主要株主 = [[小田急電鉄]] 45.41%<br />[[横浜銀行]] 4.99%<br />[[横浜ゴム]] 1.96%<br />[[日本マスタートラスト信託銀行]](信託口) 1.82%<br />[[日本トラスティ・サービス信託銀行]]([[三井住友信託銀行]]退職給付信託口) 1.63%<br />三井住友信託銀行 1.49%<br />[[朝日生命保険]] 0.98%<br />[[第一生命保険]] 0.98%<br />日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 0.89%<br />[[明治安田生命保険]] 0.83%<br />(2020年3月31日現在)<ref name="fy" />
| 主要子会社 = [[#グループ会社]]参照
| 関係する人物 =
| 外部リンク = {{Official URL}}
| 特記事項 =
}}
}}
'''神奈川中央交通株式会社'''(かながわちゅうおうこうつう、{{Lang-en-short|Kanagawa Chuo Kotsu Co.,Ltd.}}<ref>神奈川中央交通株式会社 定款 第1章第1条</ref>)は、[[神奈川県]][[平塚市]]に本社を設置し、神奈川県を中心として、[[東京都]]、[[山梨県]]で営業する大手[[バス (交通機関)|バス]]事業者である。通称は「'''神奈中バス(かなちゅうバス)'''」。[[神奈川県バス協会]]と[[東京バス協会]]の双方に加盟している<ref name="kanagawabus">{{Cite web|和書|url=http://www.kanagawabus.or.jp/ncompany.html |title=乗合バス事業者一覧 |publisher=[http://www.kanagawabus.or.jp/ 神奈川県バス協会] |language=日本語 |accessdate=2012-04-19}}</ref><ref name="tokyobus">{{Cite web|和書|url=http://www.tokyobus.or.jp/company/ncompany.html |title=会員バス事業者一覧 |publisher=[http://www.tokyobus.or.jp/ 東京バス協会] |language=日本語 |accessdate=2012-04-19}}</ref>。
'''神奈川中央交通株式会社'''(かながわちゅうおうこうつう)は、三浦や足柄を除く[[神奈川県]]の大部分の地域と[[町田市]]・[[多摩市]]などの[[東京都]]多摩南西部を中心に[[路線バス]]や[[貸切バス]]の運行を行っている[[小田急グループ]]の[[バス (交通機関)|バス]]会社。通称'''神奈中バス'''(かなちゅうバス)。


[[小田急グループ]]のうちの一社で、[[小田急電鉄]]の[[持分法|持分法適用会社]]である。
神奈川県内及び東京都南多摩地域の路線バスの他にも、東京駅・新宿駅~平塚駅、新宿駅~町田バスセンター・相模大野駅・本厚木駅間の[[深夜バス|深夜急行バス]]を運行する。かつては横浜・町田・本厚木などから[[近畿地方]]各地や[[盛岡駅]]への[[高速バス]]路線があった(廃止前は子会社の[[横浜神奈交バス]]が運行していた)。現在も路線自体は現地のバス会社により運行されている。


== 概要 ==
2011年(平成23年)3月31日現在での車両規模は2,091台(乗合1,925台、特定他166台<ref>[http://www.kanachu.co.jp/kanachu/corporate/outline.html 会社概要]</ref>。神奈交車・神奈中観光など子会社の台数は含まず)である。
日本最大のバス事業者で<ref name="br68-43"/><!--出典『バスラマ・インターナショナル』通巻68号 p.43でこのように記載されているので、ここを変えようと思ったら別の出典を提示してください-->、バス専業の事業者としても日本一の規模であり<ref name="bj57-18"/><!--出典『バスジャパン・ハンドブックR・57』p.18でこのように記載されているので、ここを変えようと思ったら別の出典を提示してください-->、日本のバス業界のリーダー的存在とされている<ref name="bj23-16"/>。


[[川崎市]]臨海部や[[横浜市]]北東部、[[三浦半島]]、[[西湘]]・箱根を除く[[神奈川県]]の大部分の地域と[[町田市]]・[[多摩市]]・[[日野市]]・[[稲城市]]・[[八王子市]]の[[東京都]][[南多摩郡|南多摩地域]]を中心に[[路線バス]]や[[貸切バス]]の運行を行っているほか、[[東京国際空港]]・[[成田国際空港]]への[[リムジンバス|空港連絡バス]]を運行する。かつては東京駅・新宿駅からの[[深夜バス|深夜急行バス]]、横浜・町田・本厚木などから[[近畿地方]]各地や[[盛岡駅]]への[[高速バス]]路線の運行も行っていた([[#バス事業|後述]])。近年では都市間高速バスの運行にも力を入れている。
なお、同社は、[[神奈川県バス協会]]と[[東京バス協会]]の双方に加盟している。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
本節では、主にバス事業の歴史を中心として、関連事業についても適宜記述する。関連事業については[[#グループ会社|グループ会社]]の節も、車両の歴史は[[#車両|車両]]の節を参照。

=== 創業期 ===
=== 創業期 ===
[[2009年]]現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている[[神奈川県]]中央部に乗合自動車が走り始めたのは、[[1910年]]に佐藤某<ref group="注釈">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.6]]の表記による。</ref> が設立した合資会社による、[[厚木市|厚木]]と[[平塚市|平塚]]を結ぶ幌つき自動車による路線の開設に端を発する<ref name="bj23-16"/>。これに続くように、[[1911年]]には相陽自動車が車両3両で[[秦野市|秦野]]と平塚を結ぶ路線の運行を開始している。しかし、乗合馬車や人力車の方が安かったことや<ref name="50-6"/>、道路が悪く運転技術も未熟だった<ref name="50-6"/> こともあり、いずれも1年程度で廃業となっている<ref name="bj23-16"/>。
神奈川中央交通の直接的な起源は、[[1921年]]([[大正]]10年)[[6月5日]]に[[横浜市]]大岡町を拠点として設立された相武自動車だが、その前身は、現在の横浜市栄区本郷石橋の有志により、弘明寺と鎌倉を結ぶバス会社であった。
[[2009年]]現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている[[神奈川県]]中央部に乗合自動車が走り始めたのは、それ以前の[[1919年]](大正8年)に本田綱次が設立した合資会社による、[[厚木市]]と[[平塚市]]を結ぶ路線の開設に端を発する。これに続くように、[[1920年]](大正9年)には伊勢原自働車運輸が平塚と[[伊勢原市]]を結ぶ路線で運行を開始<ref name="bjh57-18">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p18</ref>、さらに1921年(大正10年)には秦野自動車が[[秦野市]]と平塚を結ぶ路線の運行を開始した<ref name="bjh57-18"/>。同年には大谷仁三郎により橋本と田名村(当時)を結ぶ路線などの運行が開始されている<ref name="bjh57-18"/>ほか、厚木と横浜を結ぶ路線が厚木町(当時)の有力者により開設されている。厚木 - 横浜線は[[1923年]](大正12年)に設立された中央相武自動車に営業譲渡されている<ref name="bjh57-18"/>。この他にも、厚木と[[藤沢市|藤沢]]を結ぶ片瀬自動車商会、厚木と戸塚を結ぶ鶴屋自動車商会の路線が開業するなど、[[1930年]]([[昭和]]5年)までに10数社のバス事業者が設立されている<ref name="bjh57-18"/>。[[東海道本線]]の鉄道駅と[[大山道]]の宿場町を結んで開設された路線が目立った。一方、[[東京府]](当時)でのバス営業は[[1934年]](昭和9年)に原町田乗合自動車が原町田と鶴川・淵野辺と小野路を結ぶ路線を開業させたのが端緒である<ref name="bjh57-19">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p19</ref>。


[[第一次世界大戦]]後の好景気により、[[横浜市]]内ではまず賃貸自動車営業<ref group="注釈">現代でいう[[タクシー]]のこと([[#60年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.6]])。</ref> が開始され、続いて兼営で乗合自動車の運行が開始された<ref name="50-8"/>。[[1917年]]頃から個人営業による乗合自動車業が設立されはじめ<ref name="50-8"/>、当時市街地として発展していた[[弘明寺駅 (横浜市営地下鉄)|弘明寺]]を中心に、複数の乗合自動車が激しい乗客争奪戦を行ったが<ref name="50-8"/>、無益な競争をやめて整理統合する機運が高まり<ref name="50-8"/>、[[1921年]]6月5日に[[横浜市]][[大岡 (横浜市)|大岡町]]を拠点として'''相武自動車'''が設立された<ref name="50-8"/>。これが神奈川中央交通の直接的な起源である<ref name="bj23-16"/>。
しかし、こうした小規模なバス事業者の乱立は、結果的に競合による疲弊を招く事となった。そうした中、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併する事で、事業規模を拡大すると共に無益な競合を解消する気運が現れ始めた<ref name="bjh57-19"/>。


; 相武自動車:横浜市大岡町字樋ノ口(現在の横浜市[[南区 (横浜市)|南区]][[通町 (横浜市)|通町]])に本社を置き、野口貞一が代表者を務めた。弘明寺 - [[大岡川村]] - [[本郷村 (神奈川県)|本郷村]] - [[鎌倉市|鎌倉町]][[小町 (鎌倉市)|小町]]、弘明寺 - [[日下村 (神奈川県)|日下村]][[田中 (横浜市)|田中]] - [[屏風浦村]][[杉田 (横浜市)|杉田]] - 横浜市[[滝頭 (横浜市)|滝頭町]]、鎌倉駅 - [[逗子駅]]、逗子駅 - [[六浦荘村]][[六浦|三分]][[瀬戸 (横浜市)|瀬戸]]([[1931年]]11月湘南乗合自動車(現在の[[京浜急行バス]])に譲渡)、横浜市[[南吉田町 (横浜市)|南吉田町]] - [[日枝神社 (横浜市南区)|お三の宮]] - [[六ツ川|引越]] - [[戸塚町 (神奈川県)|戸塚町]]旭町、[[鎌倉駅]] - [[高徳院|長谷大仏]]前 - [[藤沢駅]]などを運行していた。[[1923年]]9月の[[関東大震災]]の影響を受け社業が傾いたが、それでも同月横浜市八幡橋 - 横浜駅(現在の[[桜木町駅]])の新線を開業させた。しかし、奏功せず1925年に横浜市八幡橋 - 横浜駅、鎌倉駅 - 逗子駅、鎌倉駅 - 藤沢駅各線の撤退を余儀なくされた。[[1928年]][[梁瀬長太郎]]([[ヤナセ]]創業者)が社長に就任。横浜市南吉田町 - 戸塚町旭町の路線の起点を横浜市[[吉野町 (横浜市)|吉野町]]に変更して再建に務めていた。
[[1928年]](昭和3年)には、伊勢原自働車運輸が同じく伊勢原を拠点としていたサンエキ自動車と合併し伊勢原サンエキ自動車と改称<ref name="bjh57-19"/>、[[1932年]](昭和7年)には伊勢原自動車へ社名変更を行った<ref name="bjh57-19"/>。[[1931年]](昭和6年)には、江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車を合併して藤沢自動車が設立された<ref name="bjh57-19"/>。この藤沢自動車は藤沢近辺にとどまらず、厚木・津久井方面まで沿線事業者と合併の上規模を拡大した<ref name="bjh57-19"/>結果、[[1937年]]には営業キロが約300kmに達し、車両数約60台を有する大手事業者となった<ref name="bjh57-19"/>。同年、京王電気軌道(現在の[[京王電鉄]])の傘下に入っている<ref name="bjh57-19"/>。一方、[[1936年]](昭和11年)には原町田乗合自動車が[[関東バス|関東乗合自動車]]に合併されている<ref name="bjh57-19"/>ほか、相武自動車が鶴屋商会と戸塚自動車商会を合併した上で翌年に相武鶴屋自動車と改称した<ref name="bjh57-19"/>。[[1938年]](昭和13年)に東京横浜電鉄(現・[[東京急行電鉄]])の傘下に入り、[[1939年]](昭和14年)には先に東横傘下に入っていた中央相武自動車を合併の上東海道乗合自動車と改称し、主に東海道本線沿線への路線展開を行った<ref name="bjh57-19"/>。[[1941年]](昭和16年)にはやはり東横系となっていた関東乗合自動車の町田営業所を継承して東京都内に進出<ref name="bjh57-19"/>、[[1942年]](昭和17年)には同じく東横系となっていた秦野自動車を合併した<ref name="bjh57-19"/>。


[[1920年]]に伊勢原自働車運輸<!--「自働車」は誤字でも誤変換でもありません-->が平塚と[[伊勢原市]]を結ぶ路線<ref name="bj57-18"/>、1921年に秦野自動車が秦野と平塚を結ぶ路線の運行をそれぞれ開始した<ref name="bj57-18"/>。同年に大谷仁三郎が[[橋本 (相模原市)|橋本]]と[[田名村]]を結ぶ路線などの運行を開始し<ref name="bj57-18"/>、厚木町の有力者は厚木と横浜を結ぶ路線を開設したのち、[[1923年]]に設立された中央相武自動車に営業譲渡した<ref name="bj57-18"/>。ほかに片瀬自動車商会が厚木と[[藤沢市|藤沢]]を、鶴屋商会(鶴屋自動車商会とも)が厚木と戸塚を、結ぶ路線を開業するなど、[[1930年]]に10数社がバス事業を設立している<ref name="bj57-18"/>。[[東海道本線]]の鉄道駅と[[大山道]]の宿場町を結んで開設された路線が目立つ一方、[[東京府]]におけるバス営業は、[[1934年]]に原町田乗合自動車が[[原町田]]と[[鶴川村|鶴川]]、[[淵野辺]]と[[小野路町 (町田市)|小野路]]を結ぶ路線を開業させた<ref name="bj23-17"/>。
こうした自主的な統合という方向性は、1931年(昭和6年)に公布された[[自動車交通事業法]]の目的である「交通企業の合理化と交通事業の統制」にも叶うものであった<ref name="bjh57-19"/>。


=== 自主統合の流れ ===
その一方、藤沢自動車と競合する[[相模鉄道]]では自社の[[相模線]](現・JR相模線)を擁護するため<ref name="bjh57-19"/>、1935年(昭和10年)に大谷仁三郎の個人経営だった橋本・渕野辺から田名にいたる路線を譲り受けた<ref name="bjh57-19"/>上、1936年には愛高自動車商会の厚木と上溝を結ぶ路線を買収し、沿線を自社バス路線の営業エリアとした<ref name="bjh57-19"/>。
小規模なバス事業者の乱立は、結果的に競合による疲弊を招き<ref name="bj23-17"/>、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併することで、事業規模を拡大すると共に無益な競合を解消する気運が現れ始めた<ref name="bj57-19"/>。こうした自主的な統合という方向性は、1931年に公布された[[自動車交通事業法]]の目的である「交通企業の合理化と交通事業の統制」にも叶うものであった<ref name="bj23-17"/>。


[[1928年]](昭和3年)に、[[伊勢原市|伊勢原]]の伊勢原自働車運輸が同じく伊勢原を拠点としていたサンエキ自動車と合併して伊勢原サンエキ自動車と改称して<ref name="bj23-18"/>、[[1932年]](昭和7年)に伊勢原自動車へ社名を変更した<ref name="bj57-19"/>。[[1931年]](昭和6年)2月17日に江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車が合併して設立<ref name="bj23-17"/> された藤沢自動車は、藤沢近辺にとどまらず、厚木・津久井方面まで沿線事業者と合併の上規模を拡大した結果<ref name="bj57-19"/>、[[1937年]](昭和12年)には、営業キロが約300[[キロメートル]]で車両数約60台を有する大手事業者となり<ref name="bj57-19"/>、同年6月25日に同社は[[京王電鉄|京王電気軌道]]の傘下となる<ref name="bj23-17"/>。その一方、藤沢自動車と競合する[[相模鉄道]]は自社の[[相模線]]を擁護するため<ref name="bj23-18" />、1935年に大谷仁三郎の個人経営だった橋本・渕野辺から田名にいたる路線を譲受し<ref name="bj57-19" />、[[1936年]](昭和11年)に愛高自動車商会の厚木と上溝を結ぶ路線を買収し、沿線を自社バス路線の営業エリアとした<ref name="bj23-1718" />。また同年には東京[[新宿]]に拠点を置く[[関東バス|関東乗合自動車]]が原町田乗合自動車を合併している<ref name="bj57-19"/>。
=== 戦時統合 ===
戦時体制に入ると、[[陸上交通事業調整法]]の公布により、バス事業者は極力統合する方向となった<ref name="bjh57-19"/>。[[1942年]](昭和17年)に東京横浜電鉄は京浜電気鉄道(現在の[[京浜急行電鉄]])と小田急電鉄(現・[[小田急電鉄]]、[[京王井の頭線]])を統合して東京急行電鉄(東急)となっていたが、神奈川県内においては[[1943年]](昭和18年)に藤沢自動車と伊勢原自動車を傘下に収めた<ref name="bjh57-19"/>。


1936年[[横浜市]]の相武自動車も同年12月28日鶴屋商会と戸塚自動車商会を合併して翌年1月12日に相武鶴屋自動車と改称した<ref name="bj23-17"/>。相武鶴屋自動車は[[1938年]]5月10日に[[東京横浜電鉄]]の傘下に入り、すでに東横傘下に入っていた中央相武自動車を[[1939年]](昭和14年)6月16日に合併して'''東海道乗合自動車'''と改称し、主に東海道本線沿線へ路線を展開した<ref name="bj57-19" />。[[1941年]](昭和16年)12月15日に東横系となっていた関東乗合自動車の町田営業所を継承し<ref name="bj23-17" />、同じく東横傘下になっていた[[江ノ島電気鉄道]]の茅ヶ崎・平塚の2路線を譲受した<ref name="60-5" />。[[1942年]]に同じく東横系となっていた秦野自動車を合併した<ref name="bj23-18" />。
一方、1942年(昭和17年)には[[鉄道省]]通牒により強制統合が進められる事となったが、この時に神奈川県では横浜市・相模・地区外という3ブロックに分けられる事となった<ref name="bjh57-20">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p20</ref>。この時、町田地区は東京の調整区域から外されて相模ブロックに編入される事になった<ref name="bjh57-20"/>。相模ブロックの統合主体は東海道乗合自動車が選定され、[[1944年]](昭和19年)[[6月16日]]に藤沢自動車と伊勢原自動車を合併、神奈川中央乗合自動車が成立した<ref name="bjh57-20"/>。この時点では相模鉄道のバス部門はそのままであった<ref name="bjh57-20"/>が、既に相模鉄道自身も東急の傘下にあった上に鉄道線が国鉄に買収された事<ref name="bjh57-20"/>、神中線も東急に経営委託(事実上の統合)していたために鉄道業における実体がなくなっていた事<ref name="bjh57-20"/>から、同社バス部門は1944年(昭和19年)[[11月28日]]に神奈川中央乗合自動車に譲渡される事になった<ref name="bjh57-20"/>。

この時期までに東海道乗合自動車へ譲受されたバス事業の概要は以下の通りである。
; 鶴屋商会:[[1919年]](大正8年)5月開業。[[戸塚駅]] - 長後 - [[用田 (藤沢市)|用田]] - [[本厚木駅|相模厚木駅]]、長後 - [[相模大塚駅]]、長後 - 桜株 - [[大和駅 (神奈川県)|大和駅]]、戸塚駅 - [[長沼町 (横浜市)|長沼]]、戸塚駅 - [[藤沢駅]]、藤沢駅 - [[深沢地域|深沢]] - [[高徳院|長谷大仏]]前間の乗合自動車を運営。大木敏行が代表者を務めていたが、大木は相武自動車の横浜市[[吉野町 (横浜市)|吉野町]] - [[戸塚町 (神奈川県)|戸塚町]]旭町の路線を入手すべく相武自動車の梁瀬社長と交渉。[[1931年]](昭和6年)11月7日に梁瀬から相武自動車ごと経営を引き継いでいた。
; 戸塚自動車商会:[[1928年]](昭和3年)4月1日相沢今朝一が開業。戸塚駅 - [[岡津町|岡津]] - [[阿久和]]間の乗合自動車を運営。[[1933年]](昭和8年)10月1日合資会社設立。[[1934年]](昭和9年)6月20日鶴屋商会の大木敏行が経営に参加し、1936年(昭和11年)5月11日には経営権を獲得していた。
; 中央相武自動車:[[1923年]](大正12年)3月17日設立。[[横浜駅|横浜]] - [[鶴ケ峰]] - [[川井宿町|川井宿]] - 長津田辻 - [[鶴間駅]] - [[厚木市|厚木]]間の乗合自動車を運営。1936年(昭和11年)4月20日に[[東急玉川線|玉川電気鉄道]]の傘下会社である目黒自動車運輸が買収し、同社社長の志保沢忠三郎が社長に就任したが、同年10月13日に東京横浜電鉄が玉川電気鉄道を傘下に収めた事に伴い、[[1937年]](昭和12年)12月20日に中央相武自動車も東京横浜電鉄の傘下に入ることになり、東京横浜電鉄の経営下に移った<ref name="50-16"/>。{{see also|東急バス目黒営業所#目黒通りのバスの始まり}}
; 秦野自動車:[[1920年]](大正9年)9月三武鉄太郎が秦野自動車商会を興し、[[秦野町|秦野]] - [[金目村|金目]] - [[平塚駅|平塚]]間を開業。[[1921年]](大正10年)8月24日原慶太郎等が会社を設立<ref>大蔵省印刷局 [編]『官報』1921年10月28日 日本マイクロ写真 1921年 国立国会図書館デジタルコレクション</ref>。9月1日、秦野自動車商会の路線を継承したほか、秦野 - 二宮間を開業<ref>バス事業五十年史編纂委員会 編『バス事業五十年史』 日本乗合自動車協会 1921年 p1101</ref>。その後秦野を中心に秦野 - 田原 - 菩提間、秦野 - 蓑毛間、秦野 - 比奈窪間、秦野 - 真田間、平塚 - [[二宮駅|二宮]]間を開業。1936年(昭和11年)9月小室半蔵経営の路線(秦野 - 菩提間。1927年12月25日開業)を譲受。1938年(昭和13年)7月[[湘南軌道]]の乗合バス路線(秦野 - 二宮間。1929年8月14日開業)を吸収。[[1939年]](昭和14年)11月16日に東京横浜電鉄の傘下に入った。[[1942年]](昭和17年)2月13日、東海道乗合自動車に合併。
; [[関東バス|関東乗合自動車]]:[[1931年]](昭和6年)12月25日設立。[[新宿駅]] - 小滝橋 - [[梅照院|新井薬師]]口間と小滝橋 - 椎名町間を運行していたが、1936年(昭和11年)12月22日に原町田乗合自動車(同年4月に設立された会社で、[[1921年]](大正10年)9月より野渡太助が運行し、後に平井実造が経営していた路線を承継。)を合併することにより、現在の[[町田市]]内にも営業基盤を有することになった<ref name="50-17"/>。しかし、運営上不便だったため<ref name="50-17"/>、東海道乗合自動車へはこの原町田営業所([[町田駅|原町田駅]] - [[図師町|図師]]間、原町田駅 - [[瀬谷駅]]間、新原町田駅 - [[小野路町 (町田市)|小野路]]間)を譲渡した<ref name="50-17"/>。{{main|関東バス#関東乗合自動車の設立と戦時統合}}
; [[江ノ島電鉄|江ノ島電気鉄道]]:1931年[[7月11日]]、競合関係にあった鎌倉江ノ島乗合自動車商会([[1929年]](昭和4年)[[6月2日]]開業)より[[江ノ島]] - [[鎌倉駅|鎌倉]]間の営業権を譲受して10月10日に営業再開(これ以前に、1927年から1929年まで辻堂地区で乗合自動車業を行っていたが、廃業していた)<ref name="50-17"/>。[[1934年]](昭和9年)[[9月1日]]、藤沢自動車より[[片瀬]] - [[藤沢駅|藤沢]]間譲受<ref name="50-17"/>。[[1935年]](昭和10年)[[5月26日]]、岩崎清一より[[茅ヶ崎市]]内の路線(1930年(昭和5年)4月30日開業。[[茅ケ崎駅]]南口 - 魚市場間、茅ケ崎駅北口 - [[南湖院]]間)および平田忠心より[[平塚市]]内の路線(1926年(大正15年)2月1日開業。平塚駅表口 - 海岸循環ほか4路線)を譲受<ref name="50-17"/>。東海道乗合自動車へは、まずこの茅ヶ崎・平塚線を譲渡した<ref name="50-17"/>。{{main|江ノ電バス#沿革}}

なお、東海道乗合自動車は[[鎌倉市]]より南の三浦半島地区で営業していた湘南半島自動車と[[京浜急行線|日本自動車道]]にも統合を持ちかけたが、親会社の京浜電気鉄道が反発し議論は不調に終わる。結局湘南半島自動車が日本自動車道を吸収合併した後、京浜電気鉄道を経て東京急行電鉄に組み込まれた。{{main|京浜急行バス鎌倉営業所#沿革|京浜急行バス#湘南半島自動車}}

=== 戦時統合へ ===
戦時体制に入ると、[[陸上交通事業調整法]]の公布により、バス事業者は極力統合する方向となった<ref name="bj57-19"/>。[[1942年]]に東京横浜電鉄は京浜電気鉄道と小田急電鉄を統合して東京急行電鉄(東急)となっていたが、東急は[[1943年]]に藤沢自動車の経営権を京王電気軌道から譲受して傘下に収めた上で<ref name="bj23-18"/>、伊勢原自動車を買収した<ref name="bj57-19"/>。<!--さらに同年中には、東海道乗合自動車の経営にも東急が参加している<ref name="bj23-18"/>。-->一方、1942年には陸運統制令に基づく[[鉄道省]]通牒により強制統合が進められる事となったが、この時に神奈川県では横浜市・相模・地区外という3ブロックに分けられることとなった<ref name="bj57-20"/>。この時、町田地区は東京の調整区域から外されて相模ブロックに編入されることになった<ref name="bj23-18"/>。相模ブロックの統合主体は東海道乗合自動車が選定され<ref name="bj57-20"/>、[[1944年]](昭和19年)[[5月31日]]に東海道乗合自動車は藤沢自動車と伊勢原自動車を合併して、[[6月16日]]に'''神奈川中央乗合自動車'''に商号を変更した<ref name="bj23-18"/>。{{see also|大東急#成立と崩壊の経緯}}

なお、江ノ島電気鉄道のバス路線については、既に一部の路線が東海道乗合自動車に譲渡されており、残った路線も1944年までには全ての路線が運休となっていたことから、事実上のバス事業廃止となり<ref name="bj23-18"/>、[[11月28日]]に神奈川中央乗合自動車に譲渡された。この時点では相模鉄道のバス部門はそのままであったが<ref name="bj57-20"/>、既に相模鉄道自身も東急の傘下にあった上<ref name="bj23-19"/>、鉄道線が国鉄に買収され<ref name="bj57-20"/>、神中線も東急に経営委託(事実上の統合)していたため<ref name="bj23-19"/>、鉄道業における実体がなくなっていた<ref name="bj57-20"/>。同社バス部門も江ノ電と同日の1944年11月28日に神奈川中央乗合自動車に譲渡された<ref name="bj23-19"/><ref>『相鉄グループ100年史』では同年3月20日に東海道乗合自動車へ譲渡したとなっている。</ref>。この時点で相模ブロックの統合が完了したのである<ref name="bj57-20"/>。{{see also|相模鉄道#相模鉄道による神中鉄道の吸収合併}}

この時期までに統合されたバス事業の概要は以下の通りである。
; 伊勢原自動車:[[1920年]](大正9年)[[3月6日]]に米田精一郎が伊勢原自働車運輸<!--「自働車」は誤字でも誤変換でもありません-->を設立<ref name="60-7"/>。[[1923年]](大正12年)12月須馬自動車を、[[1924年]](大正13年)9月青木芳利経営の路線(太平自動車。平塚 - 二宮間)をそれぞれ吸収して業容を拡大。一方、同じ伊勢原に[[1926年]](大正15年)[[8月29日]]山田永三等がサンエキ自動車を設立し、平塚 - 伊勢原、伊勢原 - 大山間を開業する。[[1928年]](昭和3年)[[2月5日]]両社が合併のため解散して、伊勢原サンエキ自動車を新設。<ref name="60-7"/>。[[1932年]](昭和7年)9月伊勢原自動車と商号を変更<ref name="60-7"/>。1935年(昭和10年)12月旭自動車(1928年12月5日開業。平塚駅 - [[二宮駅]]間、公所 - 片岡間)を、1937年(昭和12年)10月中井自動車(1927年(昭和2年)11月18日開業。二宮駅 - 比奈窪 - 鴨沢間)と上倉定吉の上倉自動車(1927年(昭和2年)7月26日開業。[[国府津駅]] - 小竹間、国府津駅 - [[鴨宮駅]]間)をそれぞれ吸収<ref name="50-18"/>。1938年(昭和13年)3月には秦野自動車より平塚 - 二宮間と平塚 - 須賀間を譲受していた<ref name="50-18"/>。
; 藤沢自動車:1931年(昭和6年)[[2月17日]]に設立。同年6月片瀬自動車商会(大正9年(1920年)9月土屋忠要が開業)と鵠沼自動車を統合。同年7月17日江之島自動車(大正8年6月28日設立。同年7月開業)を合併<ref name="60-7"/>。以降、県央地区([[高座郡]]・[[愛甲郡]]・[[津久井郡]])の事業者を悉く買収・併合して統合<ref name="50-2021"/> する。まず、同年12月31日相模自動車(1920年(大正9年)8月10日中野再五郎が設立。本社・[[厚木市|厚木]]。厚木 - 平塚間、厚木 - 半原間、半原 - 八王子間)を合併。翌1932年(昭和7年)10月には寒川自動車商会(1924年(大正13年)7月開業。[[寒川駅]] - 用田間)の路線を、1934年(昭和9年)3月16日には梅沢馨児(津久井自動車商会。[[橋本駅 (神奈川県)|橋本]] - 青山 - 鳥屋間、青山 - 前戸間。1925年(大正14年)12月開業)の路線をそれぞれ譲受。1937年(昭和12年)6月25日には京王電気軌道(現在の[[京王線]]の母体)の傘下となるも、京王の資金力をバックに統合を続け、同年12月茅ヶ崎自動車(1929年(昭和4年)8月30日会社設立。翌1930年(昭和5年)3月22日、篠田富吉経営の路線(茅ヶ崎 - [[寒川神社|寒川一の宮]]間、茅ヶ崎 - 平塚間。1924年(大正13年)3月開業)を継承)の路線を譲受。[[1939年]](昭和14年)5月には七沢温泉自動車商会(海老名 - 厚木 - 七沢間。1928年(昭和3年)5月岩田敬一が開業。1931年(昭和6年)3月10日合資会社設立)、万便社自動車商会(厚木 - 煤ヶ谷 - 宮ヶ瀬間。1926年(大正15年)3月山田永三が開業した路線を1931年(昭和6年)1月14日に継承)、桜井伊勢(茅ケ崎駅北口 - 遠藤間。1930年(昭和5年)2月2日開業の[[小出村 (神奈川県)|小出村]]営バスを1935年(昭和10年)9月に払い下げ)、山田忠次(相北自動車商会。三増 - 箕輪辻 - 厚木間。1924年(大正13年)10月開業。1933年(昭和8年)3月、大谷仁三郎より半原 - 箕輪辻 - 小沢 - 田名間を譲受)の各路線を譲受。[[1940年]](昭和15年)9月、八王子中央自動車([[川尻村 (神奈川県)|川尻村]](現・[[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]])久保沢向原 - [[八王子市]]旭町間。[[1925年]](大正14年)11月開業)の路線を譲受。1943年(昭和18年)9月八木屋自動車(鈴木勇三経営。相模中野 - 与瀬 - 藤野 - 上野原間、与瀬 - 千木良間、藤野 - 上沢井間。1926年(大正15年)8月1日開業し、1941年(昭和16年)2月には戸高小きくが1931年(昭和6年)12月に開業した与瀬 - 勝瀬間を買収)の譲受で、南は藤沢 - 平塚から厚木・[[相模原市|相模原]]を経て北は八王子 - [[上野原市|上野原]]までに至る神奈川県を縦断する路線網を築き上げた<ref name="50-19"/>。
; [[相模鉄道]]:1935年(昭和10年)[[12月24日]]、大谷仁三郎経営の[[淵野辺駅|淵野辺]] - [[上溝駅|上溝]] - 田名間と田名 - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]間の乗合自動車業を承継して開業<ref name="50-24"/>。1936年[[6月9日]]、愛甲自動車商会(今福亀吉経営。1925年(大正14年)2月1日開業)より上溝 - 厚木間の路線を譲受。1941年[[6月30日]]、東京横浜電鉄の傘下に入り、1943年[[4月1日]]、神中鉄道(現在の[[相鉄本線]]の母体)を吸収合併するが、1944年[[6月1日]]、本来の鉄道路線である[[茅ケ崎駅|茅ケ崎]] - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]間が国家買収される(現在のJR[[相模線]])。従って同社は現在の[[相鉄ホールディングス]]と同一企業であるが、この時神奈中に編入されたバス路線と現在の[[相鉄バス]]([[1950年]][[6月20日]]、[[横浜市]]内で改めて開業)は全くの無関係であり別物である。{{main|相模鉄道#相模鉄道と神中鉄道}}

1945年には空襲に備え、本社事務所を伊勢原に疎開移転した<ref name="50-29"/>。


=== 戦後の復興 ===
=== 戦後の復興 ===
神奈川県中央部は、横浜・[[川崎市|川崎]]と比較すると戦災による路線の被害は少なかったが<ref name="bj23-19"/>、戦後の輸送量増加においては車両不足が顕在化した<ref name="bj57-20"/>。このため、[[1946年]](昭和21年)に神中自動車工業秦野工場を買収し、自社で車両再生を行った<ref name="bj23-19"/>。また車両不足から運休に追い込まれていた横浜市内の一部路線を再開するため、東京急行電鉄とともに[[横浜市営バス|横浜市交通局]]と臨時運転契約を結んだ。{{main|横浜市営バス#戦争と市営バス|京浜急行バス杉田営業所#戦後復興と堀内営業所への統合}}
[[画像:Kanagawa Chuo Kotsu Charcoal Bus.jpg|thumb|right|200px|戦後の石油不足の際に走った薪バス「三太号」(2007年10月)]]
神奈川県中央部は、横浜・[[川崎市|川崎]]と比較すると戦災による路線の被害は少なかった<ref name="bjh57-20"/>が、戦後の輸送量増加においては車両不足が顕在化した。このため、[[1946年]](昭和21年)に神中自動車工業秦野工場を買収し、自社で車両再生を行った<ref name="bjh57-20"/>。同工場で再生された車両は、自製のボンネット周りに外観上の特徴があった<ref name="bl68-53">バスラマ・インターナショナル68号「バス事業者訪問69 神奈川中央交通」p53</ref>。この工場は[[1953年]](昭和28年)に閉鎖されたが、戦後の車両復興に大きく貢献した。


[[1948年]](昭和23年)、戦時統合により巨大な鉄道事業者となっていた東急から、小田急・京急・京王帝都電鉄(現在の[[京王電鉄]])が分離したが、元来小田急の路線であった井の頭線京王の所属となり、その代わりとして[[箱根登山鉄道]]とともに神奈川中央乗合自動車が小田急の傘下に入る事になった<ref name="bjh57-21">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p21</ref>。同年にはディーゼルバスのを開始<ref name="bjh57-21"/>、戦時中は休止していた貸切バス事業も再開している<ref name="bjh57-21"/>。この時期、江ノ島電気鉄道(現在の[[江ノ島電鉄]])では自社鉄道線の擁護を目的として、かつて江ノ電が経営していたバス路線の買収を図った。交渉の難航はあったものの、[[1949年]](昭和24年)6月に藤沢・鎌倉・大船・弘明寺地区の路線の一部が江ノ電に譲渡された<ref name="bjh57-21"/>。[[1951年]]6月には社名を'''神奈川中央交通'''に変更した。
[[1948年]](昭和23年)、戦時統合により巨大な鉄道事業者となっていた東行電鉄([[大東急]])から、小田急電鉄・京行電鉄・京王帝都電鉄(現[[京王電鉄]])が分離したが、合併前は小田急の路線であった井の頭線京王の所属となり<ref name="bj23-19"/>、その代わりとして箱根登山鉄道(現・[[小田急箱根]]とともに神奈川中央乗合自動車が小田急電鉄の傘下に入る事になった<ref name="bj57-21"/>。{{main|東急バス#大東急解体と各社離脱|小田急箱根#小田急の乗りれと軌道線の廃止}}


なお同じ小田急グループの他のバス会社は当時まだ小田急電鉄とは無関係の独立会社であった。[[小田急バス]]は旧社名を'''武蔵野乗合自動車'''といい、小田急の傘下に入るのは神奈川中央乗合よりも後の[[1950年]](昭和25年)である。[[立川バス]]は戦前、[[南武線]]を運営していた南武鉄道(現・[[太平洋不動産]])の子会社で、[[1954年]](昭和29年)に小田急グループ入りした。また、[[東海自動車|東海バス]]が小田急グループに入るのは、それから20年近く後の[[1971年]](昭和46年)である。{{main|小田急バス#小田急電鉄による買収|立川バス#沿革}}{{see also|東海自動車#伊豆急行線の開業と小田急グループ入り|鶴見臨港鉄道#買収後}}
沿線住民や利用者からは、この時期から「神奈中」という通称で呼ばれる様になった<ref name="bjh57-21"/>。本項でも、以下神奈川中央交通を「神奈中」と表記する。


同年にはディーゼルバスの導入を開始<ref name="bj23-20"/>、戦時中は休止していた貸切バス事業も再開している<ref name="bj57-21"/>。
=== 高度成長期 ===

この時期、江ノ島電気鉄道(現在の[[江ノ島電鉄]])では自社鉄道線の擁護を目的として<ref name="bj23-19"/>、かつて江ノ電が経営していたバス路線の買収を図った<ref name="bj57-21"/>。交渉の難航はあったものの、五島慶太の斡旋によって買収が決定<ref name="bj23-19"/>、[[1949年]]6月に藤沢・鎌倉・大船・弘明寺地区の路線の一部が江ノ電に譲渡された<ref name="bj57-21"/>。{{main|江ノ電バス#沿革|江ノ電バス藤沢・湘南営業所#歴史}}

[[1951年]]6月には社名を'''神奈川中央交通'''に変更した<ref name="bj23-20"/>。1953年には本社を平塚市に移転した<ref name="50-41"/>。沿線住民や利用者からは、この時期から「神奈中」という通称で呼ばれるようになった<ref name="bj57-21"/>。本項でも、以下神奈川中央交通を「神奈中」と表記する。

=== 経済成長期 ===
==== 1960年代・団地輸送の増強と拡大 ====
==== 1960年代・団地輸送の増強と拡大 ====
1950年代後半に入ると、人口増加地域である神奈中エリアの通勤需要は増加の一途を辿る<ref name="bjh57-21"/>。特に[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]沿線の鉄道[[フィーダーバス|フィーダー]]輸送の必要性が高くなっていた<ref name="bjh57-21"/>事から、[[1953年]](昭和28年)に[[藤沢駅]]と[[横浜駅]]を結ぶ路線を15分ヘッドで運行し、急行便も新設した<ref name="bjh57-21"/>。その後、[[国府津駅]]までの鉄道と並行する路線も同様に運行便数の充実を図り、さらに鉄道駅から住宅地への路線を新設し鉄道との連携輸送を行った。同様に人口が増加していた小田急沿線からの路線も拡充し、町田地区では道路改良と共に次々と路線新設を行った結果、[[1956年]](昭和31年)までの3年間に導入した車両数は126台となり、約90系統が新設されている<ref name="bjh57-21"/>。[[1958年]](昭和33年)には京王との相互乗り入れという形態で東京都内にも路線拡大を展開、[[調布市]]や[[聖蹟桜ヶ丘駅|関戸]]へも乗り入れた<ref name="bjh57-21"/>。一方、横浜市内では[[横浜市交通局]]や[[相模鉄道]]との路線免許申請の競合が多くなった<ref name="bjh57-21"/>、[[1960年]](昭和35年)頃からは各社で申請前に協議するになり<ref name="bjh57-21"/>、[[1962年]](昭和37年)には3社で運輸協定を結んだ<ref name="bjh57-21"/>ため、以後競願による認可の遅れという事態は回避されるになった<ref name="bjh57-22">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p22</ref>。
1950年代後半に入ると、人口増加地域である神奈中エリアの通勤需要は増加の一途を辿る<ref name="bj23-20"/>。特に[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]沿線の鉄道[[フィーダーバス|フィーダー]]輸送の必要性が高くなっていたことから<ref name="bj57-21"/>、[[1953年]](昭和28年)に[[藤沢駅]]と[[横浜駅]]を結ぶ路線を15分ヘッドで運行し、急行便も新設した<ref name="bj23-20"/>。その後、[[国府津駅]]までの鉄道と並行する路線も同様に運行便数の充実を図り<ref name="bj57-21"/>、さらに鉄道駅から住宅地への路線を新設し鉄道との連携輸送を行った<ref name="bj23-20"/>。同様に人口が増加していた小田急沿線からの路線も拡充し<ref name="bj57-21"/>、町田地区では道路改良と共に次々と路線新設を行った<ref name="bj23-20"/> ほか宮ヶ瀬([[清川村]])や青根相模原市緑区などの山間集落にも路線を展開した<ref name="bj57-21"/>。[[1956年]]までの3年間に導入した車両数は126台となり<ref name="bj23-20"/>、約90系統が新設されている<ref name="bj57-21"/>。[[1958年]](昭和33年)には京王帝都電鉄や小田急バスとの相互乗り入れという形態で東京都内にも路線拡大を展開<ref name="bj23-20"/>、[[調布市]]や[[関戸 (多摩市)|関戸]]、[[吉祥寺駅]]へも乗り入れた<ref name="bj57-21"/>。一方、横浜市内では[[横浜市交通局]]や[[相模鉄道]]との路線免許申請の競合が多くなった<ref name="bj23-20"/>、[[1960年]]頃からは各社で申請前に協議することになり<ref name="bj57-21"/>、[[1962年]]には3社で運輸協定を結んだため<ref name="bj23-20"/>、以後競願による認可の遅れという事態は回避されることになった<ref name="bj57-22"/>。{{main|横浜市営バス#市民急増に対応し運行拡充}}


これらの路線規模の拡大と共に営業拠点の新設も行われ、[[1957年]](昭和32年)からの5年間で233台もの車両増備が行われた<ref name="bjh57-22"/>。[[1963年]](昭和38年)以降は、町田・横浜地区並びに小田急沿線での大規模団地造成と共に大幅な輸送力増強を迫られた<ref name="bjh57-22"/>。これに対応するべく車両の増備が急速に進められ、[[1970年]](昭和45年)に路線バスの保有台数は1,000台を超え<ref name="bjh57-22"/>、営業所を郊外へ移転すると同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた<ref name="bjh57-22"/>。
これらの路線規模の拡大と共に営業拠点の新設も行われ、[[1957年]]からの5年間で233台もの車両増備が行われた<ref name="bj23-20"/>。[[1963年]]以降は、町田・横浜地区並びに小田急沿線での大規模団地造成と共に大幅な輸送力増強を迫られた<ref name="bj57-22"/>。これに対応するべく車両の増備が急速に進められ、[[1970年]]に路線バスの保有台数は1,000台を超え<ref name="bj23-21"/>、営業所を郊外へ移転すると同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた<ref name="bj57-22"/>。


この時期、神奈中では関連事業の拡大にも着手している。[[1959年]](昭和34年)4月には湘南平に[[レストハウス]]を建設、[[1962年]](昭和37年)からはスーパーマーケット「[[神奈中商事|神奈中ストア]]」を開業し、沿線各地への店舗展開を行った(2007年撤退)。また、[[1964年]](昭和39年)7は[[ボウリング場]]の建設を進め、最盛期には沿線に11店舗にまで拡大していたが、ボウリング場の乱立による競争の激化で経営が悪化、[[1974年]](昭和49年)5月までに一部の店舗を除いて撤退する事になった<ref name="60-67">「神奈川中央交通六十年史」p67</ref>。[[1967年]](昭和42年)から不動産業にも進出、[[鎌倉市]]・[[二宮町 (神奈川県)|二宮町]]などで宅地分譲を行った。
この時期、神奈中では関連事業の拡大にも着手している。[[1959年]]4月には[[湘南平]]にレストハウスを建設<ref name="50-67"/>これにあわせて同年8月17日には神奈中商事を設立した<ref name="50-67"/>。[[1962年]]からはスーパーマーケット「[[神奈中商事|神奈中ストア]]」を開業し、沿線各地への店舗展開を行ったほか<ref name="50-71"/>、クリーニング業も着手した<ref name="ogm191"/>。また、[[1964年]]7からは[[ボウリング場]]の建設を進め、最盛期には沿線に11店舗にまで拡大した<ref name="50-71"/><!--その後の縮小については1970年代のところで記述-->。[[1967年]]から不動産業にも進出<ref name="50-67"/>、[[鎌倉市]]・[[二宮町]]などで宅地分譲を行った<ref name="50-67"/>


===== 整理券方式ワンマンバス =====
===== 日本初の整理券方式ワンマンバス =====
このに輸送力増強に追われる中、要員不足が顕在化するとなった<ref name="bjh57-22"/>。特に車掌の採用難が厳しくなった<ref name="bjh57-22"/>事から、当時都市部の一部路線で行われていた[[ワンマン運転|ワンマン化]]を進める事になった<ref name="bjh57-22"/>。しかし、ワンマン化自体は[[1951年]](昭和26年)に[[大阪市交通局]]で実施されていたが、それまでワンマン化されていた路線は均一運賃体系の路線が主で、神奈中の大多数の路線の様に乗車距離にって運賃が異なる多区間運賃制へのワンマン化事例は当時存在しなかった。特に神奈中においては運賃区間が多区間(路線によっては20区間近く)となるため、これまでシステムによワンマン化は困難であった。
このように輸送力増強に追われる中、要員不足が顕在化することとなった<ref name="bj57-22"/>。特に車掌の採用難が厳しくなったことから<ref name="bj23-21"/>、当時都市部の一部路線で行われていた[[ワンマン運転|ワンマン化]]を進める事になった<ref name="bj57-22"/>。しかし、ワンマン化自体は[[1951年]]に[[大阪市交通局]]で実施されていたが<ref name="nendaiki-164"/>、それまでワンマン化されていた路線は均一運賃体系の路線が主で、多区間運賃制路線では申告制前払いとしたところもあった<ref name="nendaiki-164"/>。しかし、神奈中の大多数の路線のように運賃区間の多い路線での多区間運賃制へのワンマン化事例は当時存在せず、運賃収受確実化を図必要があった<ref name="nendaiki-164"/>


そこで、乗車停留所を明確にするために、乗車時に[[乗車整理券]]を取り、乗客は降車時に整理券と照合して運賃を支払うという「整理券方式」のワンマンバスを導入する事になり、1962年(昭和37年)[[11月1日]]より試験的に運賃区界数2区間の路線でワンマン化が開始された。この時の整理券はボール紙鉄道の「硬券」と同様のもので<ref name="60-49">「神奈川中央交通六十年史」p49</ref>、前扉付近に整理券ホルダーを設置した。以後、神奈中の乗車方法は前乗り前降りが基本となる。その後も機器の開発を進め、1964年(昭和39年)4月には運賃区界数5区間の路線でもワンマン化が行われた<ref name="60-49"/>、この時には色分けされたプラスチック板の整理券を乗車時にボタンを押して受け取る方法<ref name="60-49"/>となり、さらに同年10月には運賃区界数8区間の路線にも導入された<ref name="60-49"/>。それを受けて、[[1965年]](昭和40年)[[2月1日]]より伊勢原と茅ヶ崎の2営業所で本格的なワンマン化を開始した。[[1966年]](昭和41年)にはロール紙に1枚ずつ番号を印刷してカットする機構が開発され<ref name="60-49"/>、運賃区界数にかかわらずワンマンバスの運行が可能になったから一気にワンマン化を促進し、同年[[10月1日]]には山間部の一部路線を除いてほぼ全路線がワンマン化された。
そこで、乗車停留所を明確にするために、乗車時に[[乗車整理券]]を取り、乗客は降車時に整理券と照合して運賃を支払うという「整理券方式」のワンマンバスを導入する事になり、1962年[[11月1日]]より試験的に運賃区界数2区間の路線でワンマン化が開始された。この時の整理券はボール紙<ref group="注釈">鉄道の「硬券」と同様のもの。</ref> で<ref name="60-49"/>、前扉付近に整理券ホルダーを設置した。以後、神奈中の乗車方法は前乗り前降りが基本となる。その後も機器の開発を進め、1964年4月には運賃区界数5区間の路線でもワンマン化が行われた<ref name="60-49"/>、この時には色分けされたプラスチック板の整理券を乗車時にボタンを押して受け取る方法となり<ref name="60-49"/>、さらに同年10月には運賃区界数8区間の路線にも導入された<ref name="60-49"/>。それを受けて、[[1965年]][[2月1日]]より伊勢原と茅ヶ崎の2営業所で本格的なワンマン化を開始した。[[1966年]]にはロール紙に1枚ずつ番号を印刷してカットする機構が開発され<ref name="60-49"/>、運賃区界数にかかわらずワンマンバスの運行が可能になったことから一気にワンマン化を促進し、同年[[10月1日]]には山間部の一部路線を除いてほぼ全路線がワンマン化された。


日本では'''多区間運賃制路線でのワンマン化は神奈中が初'''<ref name="bjh57-22"/>であり、会社の規模としては急速かつ広範囲にワンマン化が進められたが、監督官庁から安全性を危惧する意見があり、狭隘な道路では待避所やカーブミラーの設置を進めると共に<ref name="60-50">「神奈川中央交通六十年史」p50</ref>、見通しの悪い踏切などでは自社で交通整理要員を配置して対処した<ref>森彰英「小田急グループの未来戦略」(日本能率協会・1988年)p191</ref>。また、当時はワンマン化に反対するバス事業者が多く、他社の労働組合からワンマンバス導入展開にクレームもあり<ref name="60-49"/>、労使共に説得したこともあるという<ref name="60-49"/>。しかし、ワンマン化は時代の趨勢であり、以後整理券方式のワンマンバスは日本全国に拡大され、乗降ドアの違いなどはあるものの、日本のバスにおいて標準的な運賃支払い方式となった。神奈中においては、[[1974年]](昭和49年)5月の[[秦野駅|大秦野駅]]と[[ヤビツ峠]]を結ぶ路線を最後に、完全ワンマン化を達成している<ref name="bjh57-22"/>。
日本では多区間運賃制路線でのワンマン化は神奈中が初であり<ref name="bj57-22"/>、会社の規模としては急速かつ広範囲にワンマン化が進められたが、監督官庁から安全性を危惧する意見があり、狭隘な道路では待避所やカーブミラーの設置を進めると共に<ref name="60-50"/>、見通しの悪い踏切などでは自社で交通整理要員を配置して対処した<ref name="ogm191"/>。また、当時はワンマン化に反対するバス事業者が多く、他社の労働組合からワンマンバス導入展開にクレームもあり<ref name="60-49"/>、労使共に説得したこともあるという<ref name="60-49"/>。しかし、ワンマン化は時代の趨勢であり、以後整理券方式のワンマンバスは日本全国に拡大され、乗降ドアの違いなどはあるものの、日本のバスにおいて標準的な運賃支払い方式となった。神奈中においては、[[1974年]]5月の[[秦野駅|大秦野駅]]と[[ヤビツ峠]]を結ぶ路線を最後に、完全ワンマン化を達成している<ref name="bj23-21"/>。


==== 1970年代・さらなる輸送力増強 ====
==== 1970年代・さらなる輸送力増強 ====
[[1970年代]]になると、既に開発の進んだ鉄道沿線から離れた外縁部へも宅地化が進むになった<ref name="bjh57-23">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p23</ref>。[[1971年]](昭和46年)に入居を開始した[[多摩ニュータウン]]では、ニュータウン鉄道の開通まではバスに通勤輸送が委ねられるとなり<ref name="bjh57-23"/>、神奈中と京王が輸送を担当した。さらに都心から離れた厚木・伊勢原・秦野・平塚においても住宅地の造成が進み<ref name="bjh57-23"/>、路線と車両増強を繰り返した結果、小田急線・東海道本線沿線各駅のバス路線の集積度はきわめて高くなった<ref name="bjh57-23"/>。
[[1970年代]]になると、既に開発の進んだ鉄道沿線から離れた外縁部へも宅地化が進むことになった<ref name="bj57-23"/>。[[1971年]]に入居を開始した[[多摩ニュータウン]]では、ニュータウン鉄道の開通まではバスに通勤輸送が委ねられることとなり<ref name="bj23-22"/>、神奈中と京王が輸送を担当した<ref name="bj57-23"/>。さらに都心から離れた厚木・伊勢原・秦野・平塚においても住宅地の造成が進み<ref name="bj23-22"/>、路線と車両増強を繰り返した結果、小田急線・東海道本線沿線各駅のバス路線の集積度はきわめて高くなった<ref name="bj57-23"/>。

また、[[自家用バス]]による送迎が行われている企業や学校での車両代替に着目し<ref name="bj57-22"/>、[[1975年]]以降は特定バス事業にも着手した<ref name="bj57-22"/>。運行や車両整備はバス事業者が行うが、運行形態やバスのカラーリングなどは顧客側で決定するというもので、積極的にセールスを行ったことによって特定輸送の運行規模はその後大幅に拡大され<ref name="bj23-21"/>、その後の神奈中のバス事業の基幹の1つに位置付けられている<ref name="bj57-23"/>。[[1976年]]には山間部の路線において停留所以外でも乗降が可能な[[フリー乗降制|自由乗降方式]]の採用も開始した<ref name="bj23-23"/>。

関連事業においては、ボウリング場の乱立による競争の激化で経営が悪化、[[1974年]]5月までに一部の店舗を除いて撤退することになったが<ref name="60-67"/>、用途のなくなった建物の有効活用としてスイミングスクールの運営を1976年10月から開始し<ref name="60-68"/>、これをきっかけとしてテニススクールやフィットネススタジオなど、スポーツ事業への参入も開始した<ref name="ogm190"/>。また、不動産業では沿線外の宅地分譲も行うこととなり<ref name="60-65"/>、[[1974年]]から[[1985年]]までに[[兵庫県]][[三木市]]<ref name="60-65"/>・[[愛知県]][[名古屋市]]<ref name="60-65"/>・[[岐阜県]][[岐阜市]]<ref name="70-81"/>・[[秋田県]][[秋田市]]<ref name="70-81"/> での宅地分譲を行っている。また、市街地の再開発などにあわせて、自社用地に建設したビルを使用した賃貸業務も拡大させている<ref name="70-82"/>。この他、老朽化した営業所建屋を改築した際に生じた空きスペースを利用して<ref name="ogm190"/>、食堂業へ進出することとなり<ref name="60-40"/>、[[1977年]]10月24日からは「[[くるまやラーメン|サッポロラーメンくるまや]]」(当時)と業務提携を行うことによってラーメン屋の営業も開始している<ref name="60-40"/>。

===== 深夜バスの運行 =====
[[ファイル:PKG-MP35UM Kanachu A27 MidnightBus.jpg|200px|thumb|right|神奈中の深夜バス路線の例(本厚木駅24時35分発鳶尾団地行き)]]
[[ベッドタウン]]の外延化と共に、利用者からは路線バスをもっと遅くまで走らせることに対する要望が強くなっていた。神奈中においても例外ではなく、[[1970年]]5月には入居開始されてから間もない鶴川団地の住民から最終バスを延長するよう申し入れがあった<ref name="bj8-43"/>。神奈中ではこの要望への回答として、同年[[7月27日]]より[[鶴川駅]]→鶴川団地行きのバスについて23時10分と23時30分の深夜便を設定した<ref name="bj8-43"/>。


この深夜バスは、通常の路線バスと異なるサービスを提供するという観点から、[[道路運送法]]24条の2「貸切自動車運送事業による乗合許可」を適用した貸切扱いとし<ref group="注釈">[[東急バス]]が1975年に[[東急コーチ]]を運行開始した際にも、同様の理由で法的には貸切扱いとしていた。</ref>、運賃を通常の3倍に設定して<ref name="bj8-43"/> 定期券は利用不可とした<ref name="bj8-43"/>。
また、[[自家用バス]]による送迎が行われている企業や学校での車両代替に着目し<ref name="bjh57-22"/>、[[1975年]](昭和50年)以降は特定バス事業にも着手した<ref name="bjh57-22"/>。運行や車両整備はバス事業者が行うが、運行形態やバスのカラーリングなどは顧客側で決定するというもので、積極的にセールスを行った事もあり、特定輸送の運行規模はその後大幅に拡大され、その後の神奈中のバス事業の基幹の1つに位置付けられている<ref name="bjh57-23"/>。[[1976年]](昭和51年)には山間部の路線において停留所以外でも乗降が可能な[[フリー乗降制|自由乗降方式]]の採用も開始した<ref name="bjh57-24">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p24</ref>。


日本における深夜バスの運行は古くから行われており、[[1952年]]9月には[[阪急バス]]によって大阪 - 池田・宝塚および大阪 - 京都間で運行を開始しており、首都圏でも[[1964年]]には東京都交通局が東京駅~銀座・小滝橋・新宿方面を、1969年には首都圏近郊の民営バス8社によって6路線の深夜バスが運行を開始している。しかしながら、交通ジャーナリストの[[鈴木文彦]]は、この鶴川駅~鶴川団地における深夜バス運行を「日本で初めての深夜バス」と位置付けたことで<ref name="bj23-23" />、「神奈川中央交通が日本で初めての深夜バスの運行を開始した」であるという誤解が1990年代~2010年代にかけて広まった。
不動産業では沿線外の宅地分譲も行う事となり、[[1974年]](昭和49年)から[[1985年]](昭和60年)までに[[兵庫県]][[三木市]]・[[愛知県]][[名古屋市]]・[[岐阜県]][[岐阜市]]・[[秋田県]][[秋田市]]での宅地分譲を行っている。この他、[[1977年]](昭和52年)からはラーメン屋「[[くるまやラーメン]]」の営業も開始している。


この深夜バスに対して、鶴川団地住民は反対運動によるボイコットをおこした。1970年7月27日の運行開始の第1便に対して、住民は自家用車13台を動員し、初便に乗客が1人も乗らないという状況をつくりだした<ref>{{Cite journal|author=中村幸安|date=1971-01-22|title=総合生協への道--都下鶴川団地からの報告|journal=朝日ジャーナル|volume=第13巻|issue=3号(通巻622号)|pages=31-37|ISSN=0571-2378}}</ref>。当日の第1便は8名の利用者よりも報道陣が目立った状態で<ref name="br68-53"/>、運賃設定などに反発した一部の住民が会員制の「自主バス」を運行したり<ref name="bj8-43"/>、運賃制度について大学教授・利用者代表と会社役員がNHK番組で論戦を行うなどの動きもあったが<ref name="60-53"/>、路線拡充や深夜バス運賃の据え置き<ref group="注釈">通常運賃を20円から30円に改定する際に通常運賃の2倍に変更したため、深夜運賃は60円のままとなった。</ref> や引き下げ<ref group="注釈">定期券の場合は通常運賃の支払いで利用可能に変更された。</ref> により深夜バスに移行したため<ref name="bj8-43"/>、[[1980年]]までに「自主バス」は廃止となった<ref name="bj8-43"/>。
===== 深夜バス =====
[[File:PKG-MP35UM Kanachu A27 MidnightBus.jpg|200px|thumb|right|神奈中の深夜バス路線の例(本厚木駅24時35分発鳶尾団地行き)]]
ベッドタウンの外延化と共に、利用者からは路線バスをもっと遅くまで走らせる事に対する要望が強くなっていた。神奈中においても例外ではなく、[[1970年]](昭和45年)5月には入居が開始されてから間もない鶴川団地の住民より、最終バスを延長する様に申し入れがあった<ref name="bj8-43">「[[バス・ジャパン]]」8号「深夜バスの人気を探る」p43</ref>。神奈中ではこの要望への回答として、[[7月27日]]より[[鶴川駅]]→鶴川団地行きのバスについて23時10分と23時30分の深夜便を設定した<ref name="bj8-43"/>が、このバスは通常の路線バスと異なるサービスを提供するという観点から[[道路運送法]]24条の2「貸切自動車運送事業による乗合許可」を適用させた貸切扱いとし、運賃を通常の3倍に設定<ref name="bj8-43"/>、定期券は利用不可とした<ref name="bj8-43"/>。これが'''日本初の[[深夜バス]]'''である<ref name="bjh57-24"/>。当日の第1便は8名の利用者よりも報道陣が目立った状態<ref name="bl68-53"/>で、運賃設定などに反発した一部の住民が、会員制の「自主バス」を運行したり<ref name="bj8-43"/>、運賃制度について大学教授・利用者代表と会社役員がNHK番組で論戦を行う<ref name="60-53">「神奈川中央交通六十年史」p53</ref>などの動きもあったが、路線拡充や深夜バス運賃の据え置き<ref>通常運賃を20円から30円に改定する際に通常運賃の2倍に変更したため、深夜運賃は60円のままとなった。</ref>や引き下げ<ref>定期券の場合は通常運賃の支払いで利用可能に変更された。</ref>により深夜バスに移行した<ref name="bj8-43"/>ため、[[1980年]](昭和55年)までに「自主バス」は廃止となった<ref name="bj8-43"/>。


運輸省でもバスの終車延長には積極姿勢を見せ、1970年(昭和45年)12月には「大都市周辺部の深夜バス運行について」という通達を出した<ref name="bj8-43"/>。しかし深夜バスは、不規則労働となる乗務員に手当てを支払った上で採算性が確保できるかどうかの判断が事業者によって分かれる<ref name="bj8-43"/>。このため関東地方に限っても深夜バスを運行する事業者が大幅に増加するのは深夜の交通機関の確保について運輸省が再度勧告を出した[[1986年]](昭和61年)以降である。深夜バスの採算性を認めた神奈中においては、深夜バスの運行系統は年毎に増加し、東京都内の全事業者を合わせた深夜バスの系統数が約50系統となった[[1987年]](昭和62年)の時点で、神奈川県内では既に神奈中だけで50系統以上の深夜バスが運行されていた<ref name="bj8-43"/>。
運輸省でもバスの終車延長には積極姿勢を見せ、1970年12月には「大都市周辺部の深夜バス運行について」という通達を出した<ref name="bj8-43"/>。しかし深夜バスは、不規則労働となる乗務員に手当てを支払った上で採算性が確保できるかどうかの判断が事業者によって分かれる<ref name="bj8-43"/>。このため関東地方に限っても深夜バスを運行する事業者が大幅に増加するのは深夜の交通機関の確保について運輸省が再度勧告を出した[[1986年]]以降である。深夜バスの採算性を認めた神奈中においては、深夜バスの運行系統は年毎に増加し、東京都内の全事業者を合わせた深夜バスの系統数が約50系統となった[[1987年]]の時点で、神奈川県内では既に神奈中だけで50系統以上の深夜バスが運行されていた<ref name="bj8-43"/>。


==== 1980年代・さらに続く拡大傾向 ====
==== 1980年代・さらに続く拡大傾向 ====
[[1980年代]]に入ると、日本のバス事業全体の傾向として[[モータリゼーション]]と道路渋滞による走行環境の悪化と利用者減少に見舞われるが、神奈中の営業エリアは人口増加が続き、バス利用者も増加した。人口増加や企業・学校の郊外移転などで、鉄道からのフィーダー輸送の役割が求められたためである<ref name="bjh57-24"/>。
[[1980年代]]に入ると、日本のバス事業全体の傾向として[[モータリゼーション]]と道路渋滞による走行環境の悪化と利用者減少に見舞われるが、神奈中の営業エリアは人口増加が続き、バス利用者も増加した<ref name="bj23-23"/>。人口増加や企業・学校の郊外移転などで、鉄道からのフィーダー輸送の役割が求められたためである<ref name="bj57-24"/>。1980年代以降は沿線に大学の新設や移転などが続いたため、通学輸送の増強も行われる事になった<ref name="bj23-23"/>。既に1971年には相模原市に[[北里大学]]が移転していたが、1980年代初頭には相模原地区における輸送の要となっていた<ref name="bj57-24"/>。


[[ファイル:Kanagawa Chuo Kotsu Charcoal Bus.jpg|thumb|right|復元された薪バス「三太号」]]
1980年代以降は沿線に大学の新設や移転などが続いたため、通学輸送の増強も行われる事になった<ref name="bjh57-24"/>。既に1971年(昭和46年)には相模原市に[[北里大学]]が移転したが、1980年代初頭には相模原地区における輸送の要となっていた<ref name="bjh57-24"/>。これらの輸送力拡大に対応するため、道路環境が整備されているとは限らなかったにもかかわらず、高度成長期から[[1990年]]([[平成]]2年)までの神奈中で導入される車両の大半は11m級の長尺車であった<ref name="bjh57-25">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p25</ref>。車両数も[[#営業所別所属台数推移|別表]]に見られる様に増加の一途を辿り、特に厚木営業所では1985年度に所属台数が200台を超えている<ref>「神奈川中央交通七十年史」p106によると、1985年3月31日の時点で199台、1986年3月31日の時点で205台となっていた。</ref>。
[[1981年]]に会社創立60周年を迎えたが、この時に先人達の苦労を伝えるという意味で<ref name="bj57-25"/> 薪バス「[[三太号]]」を復元した<ref name="bj23-24"/>。薪バスは沿線各地で展示なども行われた<ref name="bj57-25"/>。同年、平塚市の本社の改築が終了したが、それまで本格的な[[レストラン]]がないという声が地元からあったため<ref name="ogm187"/>、本社に併設された[[グランドホテル神奈中|平塚グランドホテル]]の地下にレストランもオープンさせた<ref name="ogm187"/>。


また、[[1983年]]にはデジタル式[[運賃表示器]]を<ref name="100-182"/>、[[1985年]](昭和60年)には大型方向幕を導入するなど<ref name="70-55"/>、路線車両のサービス改善にも積極的に取り組んだ。特に[[1987年]](昭和62年)4月には一挙に300台もの新車導入が行われ<ref name="bj8-47"/>、同年5月には全車両の冷房化を達成した<ref name="bj57-25"/>。[[1988年]]にはそれまですべてを人手に頼っていたバスダイヤの作成を自動化すべく、バスダイヤ自動作成システム「AIDIA」も稼動開始し、日本のバス業界の注目を集めた<ref name="bj23-24"/>。
[[画像:MP117N-Kanachu-Sa102.jpg|200px|thumb|right|初の冷房車となった三菱ふそうMP117N(さ102)。ドアが通常と逆の客室側に開くのは、当時の「神奈中仕様」の一つだった。]]
[[1981年]](昭和56年)に会社創立60周年を迎えたが、この時に先人達の苦労を伝えるという意味で<ref name="bjh57-25"/>薪バス「[[三太号]]」を復元した<ref name="bjh57-25"/>。薪バスは沿線各地で展示なども行われた<ref name="bjh57-25"/>。同年、平塚市の本社の改築が終了したが、それまで本格的な[[レストラン]]がないという声が地元からあった<ref>森彰英「小田急グループの未来戦略」(日本能率協会・1988年)p187</ref>ため、本社に併設された[[グランドホテル神奈中|平塚グランドホテル]]の地下にレストランもオープンさせた。


[[1984年]]からは遊技場(パチンコ店)経営にも着手したほか<ref name="70-92"/>、[[1990年]](平成2年)[[10月30日]]には[[伊豆半島]]にゴルフ場「中伊豆グリーンクラブ」をオープンさせている<ref name="70-173"/>。また、当初は社有地の有効活用として進出した食堂業については、事業拡大のため用地の購入や賃貸による出店を行うことになり<ref name="70-88"/>、1983年6月には沿線外への店舗展開も開始された<ref name="70-88"/>。ラーメン屋の名称は、1989年3月17日から「くるまやラーメン」に名称変更された<ref name="70-88"/>。また、[[バスキン・ロビンス|サーティワンアイスクリーム]]・[[ミスタードーナツ]]・[[日本ケンタッキーフライドチキン|ケンタッキーフライドチキン]]などとの提携による出店も開始されている<ref name="70-90"/>。
また、[[1982年]](昭和57年)にはデジタル式[[運賃表示器]]を、[[1985年]](昭和60年)には大型方向幕を導入するなど、路線車両のサービス改善にも積極的に取り組んだ。特に[[1987年]](昭和62年)4月には一挙に300台もの新車導入が行われ<ref name="bj8-47">[[バス・ジャパン]]8号 p47</ref>、同年6月には全車両の冷房化を達成した<ref name="bjh57-25"/>。[[1988年]](昭和63年)にはそれまですべてを人手に頼っていたバスダイヤの作成を自動化すべく、バスダイヤ自動作成システム「[[AIDIA]]」も稼動開始し、日本のバス業界の注目を集めた<ref name="bjh57-25"/>。


===== 多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入 =====
関連事業については、前述の様にボウリング場を次々と閉鎖していったが、用途のなくなった建物の有効活用としてスイミングスクールの運営を同年10月から開始した。[[1984年]](昭和59年)からは遊技場(パチンコ店)経営にも着手したほか、[[1990年]](平成2年)[[10月24日]]には[[伊豆半島]]にゴルフ場「中伊豆グリーンクラブ」をオープンさせている。
{{Triple image|right|K-RC321kai Kanachu I32 BusCardTest.jpg|150|P-LV314L Kanachu Ma18 Machi28.jpg|150|Slight Card Reader for Bus.jpg|150|カード取扱テスト車|バスカード取扱車|初期のカードリーダー}}
当時の神奈中では、[[回数乗車券]]利用者が全乗客の27%を占めており<ref name="bj9-52"/>、定期券利用者とともに固定客とみられていた<ref name="bj9-52"/>。事業区域内の大半の路線が[[運賃制度#区間制|多区間運賃制]]であり<ref name="bj9-52"/>、どの区間にも対応させる目的で金種別に19種類もの多種にわたる回数券を発売していた<ref name="br2-40"/>。しかしすべての利用者に満足できるものではなく<ref name="br2-42"/>、また運賃精算などの後方業務も複雑になっていた<ref name="br2-4142">[[#br2|『バスラマ・インターナショナル』通巻2号 pp.41-42]]</ref>。これを解消するため、神奈中は[[プリペイドカード]]式回数乗車券(バスカード)の導入を決定した<ref name="br2-41"/>。


{{Anchors|神奈中バスカード}}当時、{{どこ範囲|バスカードは一部の均一運賃制路線での導入例はあったが|date=2019年8月}}、多区間運賃制の路線に対応したシステムは存在しなかったため、システムを新規に構築する必要があった。[[1985年]]に[[レシップ|三陽電機製作所]]と共同でシステム開発に着手、1987年[[10月20日]]より伊勢原の路線バス15台にて実用化を前提とした試験を開始<ref name="bj57-25"/>、この結果を受けて[[1988年]](昭和63年)[[5月9日]]より「神奈中バスカード」の運用を開始した<ref name="br2-46"/>。これは多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入事例であり<ref name="bj23-24"/>、[[1990年]](平成2年)[[3月26日]]には全車両での導入を達成している。
===== 神奈中バスカード =====
神奈中では、多区間運賃制に対応して金種別に19種類もの[[回数乗車券]]を発売していたが、すべての利用者に満足できるものではなく、また後方業務も複雑になっていた。これを解消するため、神奈中はプリペイドカード式回数乗車券(バスカード)の導入を決定した。


システム開発と導入にあたり、[[運輸省]]より「昭和63年度バス交通活性化補助」を受けているが、バスカード導入で補助対象になったのも日本で初めてである<ref name="bj9-51"/>。なお、この年度には[[長崎自動車]]のバスカードシステム導入も補助対象となっている<ref name="バス活性化補助">{{Cite book|和書|title=[[バス・ジャパン]] 第9号「乗合バスへのカードシステム導入とバス交通活性化について」|date=1988年7月|publisher=[[BJエディターズ|バス・ジャパン刊行会]]|last=鈴木敏|pages=50-52|isbn=4795277648|year=}}</ref>。
当時、バスカードは一部の均一運賃制路線での導入例はあったが、多区間運賃制の路線に対応したシステムは存在しなかったため、システムを新規に構築する必要があった。[[1985年]](昭和60年)に[[レシップ|三陽電機製作所]]と共同でシステム開発を行い、1987年(昭和62年)[[10月20日]]より伊勢原の路線バス15台にて実用化を前提とした試験を開始<ref name="bjh57-25"/>、この結果を受けて1988年(昭和63年)[[5月9日]]より「神奈中バスカード」の運用を開始した。これは'''多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入事例'''であり<ref name="bjh57-25"/>、1990年(平成2年)[[3月26日]]には全車両での導入を達成している。システム開発と導入にあたっては運輸省よりバス活性化に対する補助を受けているが、バスカード導入で補助対象になったのも日本で初めてである<ref name="bj9">バス・ジャパン9号の記述による</ref>。


同時期には[[奈良交通]](1989年)、長崎自動車(1990年)でもバスカードシステムが導入されており<ref name="br2-46"/><ref name="バス活性化補助"/>、この後バスカードシステムを導入するバス事業者は増加してゆくことになる。
折りしも同時期には[[奈良交通]]や[[長崎自動車]]でもバスカードシステムが導入されており、この後バスカードシステムを導入するバス事業者は増加してゆく事になる。また、神奈中バスカードはその後[[バス共通カード]]へ発展解消していく事になるが、当初は神奈中のバスカードに採用されていたシステムとバス共通カードを導入していたバス事業者のバスカードのシステムが異なっていたため、[[1998年]](平成10年)[[1月18日]]まではバス共通カードを使用できない車両が存在し、逆に他社のバス共通カード取扱車においては神奈中バスカードを利用する事はできなかった。一方でカードの割引率などは神奈中バスカードにおいて設定されたものがそのまま採用されており、[[PASMO]]の「バス利用特典サービス」の特典バスチケットにもその金額は引き継がれている。


神奈中バスカードが利用可能な車両には、前面に丸い青色の「バスカード取扱車」のマークを装着していた。この方式は奈良交通でも踏襲されている(奈良交通では緑色)。
===== 新しいバスサービスの展開 =====

一方、高速バス「[[ノクターン号]]」の成功をきっかけとして、日本ではブームの如く夜行高速バス路線が開設されることになった。神奈中ではターミナルとして横浜と町田に着目し<ref name="bjh57-25"/>、[[1989年]](平成元年)[[2月28日]]から[[奈良交通]]との共同運行により、夜行高速バスの運行を開始した<ref>これは神奈川県では初の夜行高速バス路線となった。</ref>。その後も順次路線を拡大し、1990年(平成2年)[[7月5日]]に運行開始となった[[盛岡 - 横浜線|盛岡線]]で6路線となった。1989年(平成元年)末からは深夜急行バスの運行も開始している。
その後、神奈中バスカードは[[バス共通カード]]へ発展解消していくことになるが、当初は神奈中バスカードのシステムとバス共通カード導入事業者のシステムが異なっていたため、神奈中でバス共通カードが完全導入されるまではバス共通カードを利用できない車両が存在し<ref name="bj23-13"/>、逆に他社のバス共通カード取扱車においては神奈中バスカードを利用することはできなかった。しかしバス共通カードの割引率などは神奈中バスカードで設定されていたものが踏襲されており、[[PASMO]]の「バス利用特典サービス」の特典バスチケットにもその金額は引き継がれている。
{{See also|乗車カード#歴史}}

===== 県内初の夜行高速バス =====
[[File:Shonankanako-yamato-shonan200ka511-20070730.jpg|thumb|right|夜行高速バス 横浜 - 奈良線([[やまと号]])<br/>[[湘南神奈交バス]]担当時代]]
[[1980年代]]には、[[高速道路]]網の整備や[[日本国有鉄道|国鉄]]の影響力低下([[中央高速バス]]を参照)などの時代的背景により、日本国内では[[高速バス]]路線の開業がブームとなった。

同じく神奈川県内をテリトリーとする[[京浜急行電鉄]](現・[[京浜急行バス]])は、[[1986年]]に夜行高速バス「[[ノクターン号]]」を運行開始して大きな成功を収めた。ただし当初は品川発着のみで、横浜への乗り入れ開始は1990年であった。

神奈中もターミナルとして地元の横浜・町田に着目し<ref name="bj57-25"/>、[[1989年]](平成元年)[[2月28日]]から[[奈良交通]]との共同運行により、横浜・町田と[[やまと号#奈良 - 横浜線|奈良]]を結ぶ夜行高速バスの運行を開始<ref name="bj23-24"/>。横浜発着の都市間高速バスは神奈中が最初であった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kanachu.co.jp/kanachu100th/gallery_bus/index.html |title=100周年記念サイト - Gallery バス車両 |publisher=神奈川中央交通 |date=2021-04-20 |accessdate=2021-05-29 |quote=夜間高速バス(1989年)横浜と各都市をダイレクトに結ぶ高速バスの運行は当社が初めてでした。 }}</ref>。またこれは、神奈川県下で初となる夜行高速バス路線であった<ref name="70-51"/>。

さらに同1989年中には、横浜・町田から[[ハーバーライト号|京都・大阪]]、[[サウスウェーブ号|和歌山]]、[[メイプルハーバー|広島]]への夜行高速路線を相次いで開業した<ref name="bj57-25"/>。なお現在、神奈中はこれらの路線からはいずれも撤退している。また、同1989年末からは深夜急行バスの運行も開始したが<ref name="bj57-25"/>、[[2024年]](令和6年)[[11月30日]]をもって全路線が廃止されたことで運行を終了した<ref name=":0" /><ref name="kanachu241029" />。

翌[[1990年]][[7月5日]]には、横浜から[[#本厚木・横浜 - 盛岡線|盛岡への路線]]を開業した<ref name="bj23-24"/>。
{{See also|#夜行高速バス}}


=== バス復権に向けて ===
=== バス復権に向けて ===
[[ファイル:Kanachuhire hi602.jpg|thumb|right|神奈中ハイヤーに移管された貸切バス]]
しかし、ここまで順調に規模を拡大してきた神奈中も、バブル経済崩壊後の不況の波から逃れる事はできなかった。[[1991年]](平成3年)に年間輸送人員が3億2百万人に達したのをピークに、[[1992年]](平成4年)以降はバス利用者数は減少傾向となった。神奈中沿線に製造業が多い事もあり、消費低迷は製造業での業務縮小を招いた<ref name="bjh57-26">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p26</ref>。さらに少子化による通学需要の減少も作用し、路線バス利用者は年毎に減少してゆく。
しかし、ここまで順調に規模を拡大してきた神奈中も、バブル経済崩壊後の不況の波から逃れることはできなかった。[[1991年]]に年間輸送人員が3億2百万人に達したのをピークとして<ref name="br68-44"/>、[[1992年]]以降はバス利用者数は減少傾向となった<ref name="br68-44"/>。神奈中沿線に製造業が多いこともあり、消費低迷は製造業での業務縮小を招いた<ref name="bj57-26"/>。さらに少子化による通学需要の減少も作用し、路線バス利用者は年毎に減少してゆく<ref name="br68-44"/>。


これに対応するべく、[[1995年]](平成7年)の路線バス車両はすべて中型車での導入となり、同年には貸切バス部門の大半を[[神奈中ハイヤー]]に移管した。その後、[[2000年]](平成12年)に[[神奈中観光|神奈川県観光(当時)]]の経営悪化に伴い同社の株式を取得の上子会社化し、[[2002年]](平成14年)には神奈中ハイヤーから貸切バス部門を神奈川県観光に移管した上で[[神奈中観光]]に改称した。
これに対応するべく、[[1995年]]の路線バス車両はすべて中型車での導入となり<ref name="br30-93"/>、同年には町田・平塚・戸塚営業所に置かれていた貸切・観光バス部門の大半を子会社の[[神奈中ハイヤー]]に移管した<ref name="bj23-25"/>。その後、[[2000年]]に神奈川県の第三セクター・[[神奈中観光|神奈川県観光(当時)]]の経営悪化に伴い同社の株式を取得の上子会社化<ref name="bj57-26"/>。同社の新横浜営業所とし、[[2002年]]に県観光は神奈中ハイヤー観光バスに称号を変更、更に神奈中ハイヤーの貸切バス部門(町田・平塚・戸塚)を神奈中ハイヤー観光バスに移管した上で、[[2004年]]に[[神奈中観光]]に改称した<ref name="bj57-26"/>。なお、この間の[[2002年]]2月には小田急グループ自体の事業再編の一環として、旧[[箱根登山観光バス]]の東京観光営業所(町田市鶴間)を神奈中ハイヤーで譲受し、野津田車庫に置かれていた自社の町田営業所と統合の上、旧箱根登山観光の営業所に移転している


関連事業においては、それまで「くるまやラーメン」のフランチャイズとして展開していたものを2000年(平成12年)に提携解消し、「らーめん花楽」として独自の店舗展開を行うになった。
関連事業においては、それまで「くるまやラーメン」のフランチャイズとして展開していたものを2000年に提携解消し、「らーめん花楽」として独自の店舗展開を行うことになった<ref name="80-68"/>。また、1999年からはビデオ・CDレンタル事業([[TSUTAYA]]のフランチャイズ)も開始した<ref name="80-69"/>


その一方で、これまでの神奈中にはなかった施策もいくつか行われている。
その一方で、これまでの神奈中にはなかった施策もいくつか行われている。


==== ミニバス展開 ====
==== ミニバス展開 ====
{{Double image aside|right|U-RB1WEAA-Kanachu-chi-95.jpg|200|KC-RX4JFAA Kanachu Fu201 Shonan-Loco.jpg|200|1992年に導入された小型バス<br/>[[日野・リエッセ#レインボーRB・レインボーAB|日野・レインボーRB]]|1997年に導入された小型バス「湘南ロコ号」<br/>[[日野・リエッセ]]}}
神奈中は元々大型車が中心で、狭隘路線など限定された範囲で中型車が導入されていた状態であった。これは、幅2m程度の小型車ではワンマン運行に適した車両が少なかった事による。しかし、住民からの路線開設が多い路線については、リアエンジンの小型バスが販売開始となった事を機に、[[1992年]](平成4年)10月から3路線で小型バスによる路線の運行を開始した。
神奈中は元々大型車が中心で、[[狭隘路線]]などに限定して中型車が導入されていた状態であった。これはかつて、幅2mクラスの小型車ではワンマン運行に適した車両が少なかったことによる。しかし住民からの路線開設要望が多い路線については、[[リアエンジン]]の小型バス([[日野・リエッセ#レインボーRB・レインボーAB|日野・レインボーRB]])が発売されたことを機に、[[1992年]]10月から3路線で小型バスによる路線の運行を開始した<ref name="br16-95"/>。


一方、[[藤沢市]]の藤が岡団地では、駅からの途中に急坂がある上に住民の高齢化が進んでおり、路線バス運行の要望が高くなっていた。神奈中では路線開設に向けて検討した結果、小型バスを使用すれば運が可能と結論づけ<ref name="mirai1-110">鈴木文彦「路線バスの現在・未来」(グランプリ出版・2001年)p110</ref>、[[1997年]](平成9年)5月より団地循環の路線を開設した。団地内では約100m毎に停留所を設置、バス車内には住民が自由に使用できるコミュニティボードを設置する<ref name="mirai1-110"/>など、[[コミュニティバス]]と同様の設定ではあるが、自治体からの補助は得ていない<ref name="mirai1-110"/>。使用する車両には「湘南ロコ号」と愛称が付けられた。以、同様のミニバス路線がいくつか開設されている。
一方、[[藤沢市]]の藤が岡団地では、駅からの途中に急坂がある上に住民の[[高齢化]]が進んでおり、路線バス運行の要望が高っていた<ref name="mirai1-110"/>。神奈中では路線開設に向けて検討した結果、小型バスを使用すれば運が可能と結論づけ<ref name="mirai1-110"/>、[[1997年]]5月より団地循環の路線を開設した。団地内では約100m毎に停留所を設置、バス車内には住民が自由に使用できるコミュニティボードを設置するなど<ref name="mirai1-110"/>、[[コミュニティバス]]と同様の設定ではあるが、自治体からの[[補助金]]は得ていない<ref name="mirai1-110"/>。使用する車両には「湘南ロコ号」と愛称が付けられた。以、同様のミニバス路線がいくつか開設されている<ref name="mirai1-110111"/>


==== 地域分社化 ====
==== 地域分社化 ====
[[ファイル:バスの御菓子屋さん.JPG|thumb|分離子会社の車内に設けられた車内売店(2008年3月31日付で終了)]]
一方で、[[1996年]](平成8年)に[[箱根登山バス|箱根登山鉄道バス]]が秦野地区から撤退する事になり、その受け皿として[[湘南神奈交バス]]が設立された。これを母体として、1997年(平成9年)からは相模原地区において同社への移管を行ったのを皮切りに、新たに地域毎に分離子会社の設立と管理委託などを進め、運行コストの低減を図った。また、移管された路線の大半では不採算路線の増収策として車内で物品販売も行われ<ref name="mirai1-185">鈴木文彦「路線バスの現在・未来」(グランプリ出版・2001年)p185</ref>、マスコミにも「車内売店のあるバス」として話題を提供した。販売品目に[[米]]が加わった際には売店の設置された各車両を米穀小売販売業者の店舗として神奈川県知事に登録していた<ref name="kome1">2004年(平成16年)までは[[食糧管理制度]]により登録が義務付けられており、米の販売には必ず県知事への登録が必要だったため、車内の売店をスーパーマーケット「神奈中ストア」の店舗扱いとする事で対応し、車内にも登録証が掲示されていた。</ref>。
一方で、[[1996年]]に[[箱根登山バス|箱根登山鉄道バス]]が秦野地区から撤退することになり、その受け皿として[[湘南神奈交バス]]が設立された<ref name="bj57-27"/>。これを母体として、1997年からは相模原地区において同社への移管を行ったのを皮切りに、新たに地域毎に分離子会社の設立と管理委託などを進め、運行コストの低減を図った<ref name="bj57-27"/>。また、移管された路線の大半では不採算路線の増収策として車内で物品販売も行われ<ref name="mirai1-185"/>、マスコミにも「車内売店のあるバス」として話題を提供した。販売品目に[[米]]が加わった際には売店の設置された各車両を米穀小売販売業者の店舗として神奈川県知事に登録していた<ref name="kome1" group="注釈">2004年までは[[食糧管理制度]]により登録が義務付けられており、米の販売には必ず県知事への登録が必要だったため、車内の売店をスーパーマーケット「神奈中ストア」の店舗扱いとすることで対応し、車内にも登録証が掲示されていた。</ref>。


これと並行して不採算路線の整理も進められる事になり、[[2002年]](平成14年)までに極端に乗車率の低い路線は廃止された。
これと並行して不採算路線の整理も進められる事になり、[[2002年]]までに極端に乗車率の低い路線は廃止された。

==== 日本初の環境定期券導入とスヌーピーバス ====
この頃、[[環境]]問題がクローズアップされていた折、神奈中でも環境問題に取り組むことになった。基本的にはマイカー通勤からバス通勤への移行を呼びかけるものであるが、ただ呼びかけるだけではバス会社の都合と受け止められる可能性を考慮し<ref name="br68-45"/>、バス会社側でも新しい運賃制度を導入することが必要と考えられた<ref name="br68-46"/>。


==== 環境定期券とスヌーピーバス ====
{{Double image aside|right|KC-MP717M Kanachu Hi132 SNOOPY BUS.jpg|200|KC-MP717M Kanachu Hi150 SNOOPY BUS.jpg|200|スヌーピーバス}}
{{Double image aside|right|KC-MP717M Kanachu Hi132 SNOOPY BUS.jpg|200|KC-MP717M Kanachu Hi150 SNOOPY BUS.jpg|200|スヌーピーバス}}
検討の結果、[[ドイツ]]において導入されている環境定期券制度の導入を行うことになった<ref name="br68-46"/>。これは通勤定期券を所持している利用者と同伴の家族が土休日に神奈中の一般路線を利用する際には1回の乗車が現金100円になるというものであるが、制度の導入だけではなく、広告塔に相当するものが必要と考えられた<ref name="br68-46"/>。そこで、知名度が高く他社が使用していないキャラクターを選定することになり<ref name="br68-46"/>、アメリカで環境問題について使用されている[[スヌーピー]]が選ばれた<ref name="br68-46"/>。版権を持つ法人にも「環境保全が目的」と認められ、格段の配慮があったという<ref name="br68-46"/>。
この頃、[[環境]]問題がクローズアップされていた折、神奈中でも環境問題に取り組む事になった。基本的にはマイカー通勤からバス通勤への移行を呼びかけるものであるが、ただ呼びかけるだけではバス会社の都合と受け止められる可能性を考慮し<ref name="bl68-45">バスラマ・インターナショナル68号「バス事業者訪問69 神奈川中央交通」p45</ref>、バス会社側でも新しい運賃制度を導入する事が必要と考えられた。


こうして、1997年[[9月20日]]の日本で初となる環境定期券制度導入と同時に「スヌーピーバス」が運行開始された<ref name="bj23-25"/>。スヌーピーバスは2年間で40台が導入され、[[2002年]]まで運行された他、一時期は[[江ノ電バス]]でも運行されていた。
検討の結果、[[ドイツ]]において導入されている環境定期券制度の導入を行う事になったが、制度の導入だけではなく、広告塔に相当するものが必要と考えられた。そこで、知名度が高く他社が使用していないキャラクターを選定する事になり<ref name="bl68-46">バスラマ・インターナショナル68号「バス事業者訪問69 神奈川中央交通」p46</ref>、アメリカで環境問題について使用されている[[スヌーピー]]が選ばれた。版権を持つ法人にも「環境保全が目的」と認められ、格段の配慮があったという<ref name="bl68-45"/>。

こうして、1997年(平成9年)[[9月20日]]の'''日本で初となる環境定期券制度導入'''と同時に「スヌーピーバス」が運行開始された。スヌーピーバスは2年間で40台が導入され、[[2002年]](平成14年)まで運行された他、一時期は[[江ノ島電鉄|江ノ電バス]]でも運行されている。


==== 潜在的需要の発掘 ====
==== 潜在的需要の発掘 ====
1997年(平成9年)夏には、これからバスを利用する世代となるであろう児童層に着目し、路線バスの利用方法を覚えてもらうという趣旨<ref name="bl68-44">バスラマ・インターナショナル68号「バス事業者訪問69 神奈川中央交通」p44</ref>「ちびっこ50円キャンペーン」を開始した。現金払いの場合は一般路線の全路線で小児運賃50円となるというもので、当初は長期休暇と[[ゴールデンウィーク]]のみの実施であったが、多い時には1日1万3千人もの利用がある<ref name="bl68-44"/>など一定の効果が認められた事から、後年すべての土曜・休日に適用を拡大している。
1997年夏には、これからバスを利用する世代となるであろう児童層に着目し、路線バスの利用方法を覚えてもらうという趣旨<ref name="br68-44"/>「ちびっこ50円キャンペーン」を開始した。現金払いの場合は一般路線の全路線で小児運賃50円となるというもので、当初は長期休暇と[[ゴールデンウィーク]]のみの実施であったが、多い時には1日1万3千人もの利用がある<ref name="br68-44"/> など一定の効果が認められた事から、後年すべての土曜・休日に適用を拡大している。2023年4月には、交通系ICカード利用時における「小児IC運賃の一律50円」を開始するのに伴い、ちびっこ50円キャンペーンは同年3月末で終了した<ref name="news20230224">{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/somu/2023/02.24release.pdf |title=4月1日より小児IC運賃を一律50円とします |publisher=神奈川中央交通 |language=日本語 |date=2022-05-09 |accessdate=2024-02-09}}</ref>

また、高齢者向けの施策としては、[[1996年]]より[[敬老の日]]に65歳以上の運賃を100円とするサービスを行った後、[[2001年]]6月より「かなちゃん手形」の発売を開始した。これは、初めに購入するパスを安価に設定<ref group="注釈">3か月券は3,500円、6か月券は5,900円、1年券は10,800円(2014年3月31日までは3か月券は3,000円、6か月券は5,000円、1年券は9,000円、2019年9月30日までは3か月券は3,250円、6か月券は5,400円、1年券は9,850円)</ref>、パスを提示した場合は乗車1回につき運賃を区間にかかわらず100円とするもので、1回毎の運賃を安価に設定することで乗車回数を増やす事を目的とした施策である<ref name="br68-47"/>。1日1万2千人の利用があるという<ref name="br68-47"/>。当初は車内でも発売していた。これと同時に、一般路線の全線に有効な「[[一日乗車券|一日フリー乗車券]]」の発売も開始している<ref name="90-42"/><ref group="注釈">発売金額は大人1,050円、小児530円(2014年3月31日までは大人1,000円、小児500円、2019年9月30日までは大人1,030円、小児520円)で、空港リムジンバス、深夜急行バス、一部のコミュニティバスを除く各線で利用可能。当初はスクラッチ式、磁気券の乗車券を発売していた。2011年12月19日からICカード「PASMO」または「Suica」を利用した1日フリー乗車券の発売が開始され、ICカードに発売金額がチャージされていれば車内でも乗務員に申告の上で購入できるようになった(交通系ICカード全国相互利用開始後も発売できるICカードは「PASMO」または「Suica」のみとなる)</ref>。

==== 高速バス路線の再編 ====
[[File:KC-MU612TA YokohamaKanako YK702.jpg|thumb|right|横浜神奈交バスに移管された夜行高速バス]]
[[1999年]]、神奈中では田村車庫・[[本厚木駅]]から[[東京国際空港|羽田空港]]へ向かう空港連絡バスの運行を開始、好調となった<ref name="bj57-27" />。以降は町田・相模大野・港南台・辻堂・藤沢の各駅から羽田空港・[[成田国際空港|成田空港]]を結ぶ路線も運行を開始した。

一方、夜行高速バスでは乗車率が高いにも拘らずコスト割れする路線もあり<ref name="80-40" />、生活路線でない赤字路線の運行を続ける理由はないとの見地から<ref name="br68-50" />、広島・和歌山・奈良への路線は廃止され、盛岡への路線は[[岩手県交通]]の単独運行となった<ref name="bj57-27" />。

その他の路線は子会社の運行コストであれば存続可能と判断され<ref name="br68-50" />、[[湘南神奈交バス]]に移管された<ref name="80-40" />。後に[[横浜神奈交バス]]に再移管されたが<ref name="90-97" />、2017年1月の事業再編で神奈川中央交通本体の運行に戻されている。

=== 2000年代以降の展開 ===
==== Jリーグとの関わり ====
2003年から、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)のクラブと関わりを持つようになり、同年より神奈中本社がある平塚市に[[本拠地|ホームスタジアム]]を置く「[[湘南ベルマーレ]]」のオフィシャルクラブパートナーとなり、神奈中主催のサッカースクール開催や最寄駅とスタジアム([[平塚競技場]])を結ぶシャトルバスの運行を担うようになり<ref name="100-81"/>、2009年にはベルマーレラッピングバスも運行された<ref>[https://www.bellmare.co.jp/6714 神奈川中央交通のシャトル&路線バスにベルマーレラッピングバスが登場!] 湘南ベルマーレ(2009年8月22日)</ref>。

さらに、2007年頃からは町田営業所の近くにホームスタジアムを置く「[[FC町田ゼルビア]](当時は[[日本フットボールリーグ|JFL]]のクラブ)」の観客輸送も担うようになり、2009年より神奈中の親会社である小田急電鉄がクラブスポンサーに就任した<ref>[https://zelvia.sakura.ne.jp/cgi-bin/info/info.cgi?month=200903&num=392 小田急電鉄、玉川学園、ジェイコム、町田市がゼルビア支援の共同記者会見] FC町田ゼルビア(2009年3月11日)</ref>。なお、前述の湘南ベルマーレとは異なり、神奈中としてはFC町田ゼルビアのクラブパートナーには参画していないが<ref>[https://www.zelvia.co.jp/partner/sponsor/ パートナー一覧] FC町田ゼルビア</ref>、2023年よりFC町田ゼルビアラッピングバスがシーズン期間限定で運行されている。

==== 横浜市などからの路線譲受 ====
[[File:PJ-MP37JK Kanachu O26 O72 Nakamurabashi.jpg|thumb|right|横浜市交通局から引き継いだ「11系統」]]
[[2004年]]以降は、他社局からの路線譲受も行われた。2004年2月には、横浜市交通局から路線移譲について申し入れがあったことから<ref name="90-40" />、2005年から2008年にかけて[[横浜市営バス滝頭営業所#11系統|横浜市営バス11系統]]を段階的に譲受した<ref name="90-40" />。

また、相模鉄道からも同時期に路線移譲の申し入れがあったため<ref name="90-40" />、こちらも2006年から2008年にかけて4系統を譲受している<ref name="90-40" />。


さらに2006年には「横浜市生活交通バス路線維持制度」の対象となる15系統について公募が行われたが<ref name="90-40" />、そのうち3系統については2007年から横浜市交通局に代わって運行を開始した<ref name="90-40" />。
また、高齢者向けの施策としては、[[1996年]](平成8年)より[[敬老の日]]に65歳以上の運賃を100円とするサービスを行った後、[[2001年]](平成13年)6月より「かなちゃん手形」の発売を開始した。これは、初めに購入するパスを安価に設定<ref>3か月券は3,000円、6か月券は5,000円、1年券は9,000円。</ref>、パスを提示した場合は乗車1回につき運賃を区間にかかわらず100円とするもので、1回毎の運賃を安価に設定する事で乗車回数を増やす事を目的とした施策である<ref name="bl68-47">バスラマ・インターナショナル68号「バス事業者訪問69 神奈川中央交通」p47</ref>。1日1万2千人の利用があるという<ref name="bl68-47"/>。当初は車内でも発売していた。


==== 自転車搭載バスなどの新サービス ====
=== 21世紀に向けた新展開 ===
[[File:PKG-MP35UM Kanachu Chi87 bicycle carrier close.jpg|200px|thumb|right|自転車ラックを装備したバス(ち87)]]
{{Double image aside|right|PKG-MP35UM Kanachu Chi87 bicycle carrier close.jpg|180|Kana-ch Monitor inside Kanachu Bus.jpg|180|自転車ラックを装備したバス|「かなch.」のモニター}}
[[2009年]][[3月26日]]からは、茅ヶ崎・辻堂駅発着の一部路線で自転車をバスに搭載するサービスが開始された<ref name="rj512-143"/>。自転車を搭載可能な路線バスは前例があるが<ref name="rj512-143"/>、バスの前面に[[自転車キャリア|自転車ラック]]を設置し、自転車をバスの前面に積載する方式は日本初の導入例である<ref name="rj512-143"/>。
[[1999年]](平成11年)、神奈中では田村車庫・[[本厚木駅]]から[[東京国際空港|羽田空港]]へ向かう空港連絡バスの運行を開始、好調となったため、以後町田・相模大野・港南台・辻堂・藤沢の各駅から羽田空港・[[成田国際空港|成田空港]]を結ぶ路線も運行を開始した。一方、夜行高速バスでは乗車率が高いにも拘らずコスト割れする路線もあり<ref name="80-40">「神奈川中央交通八十年史」p40</ref>、生活路線でない赤字路線の運行を続ける理由はないとの見地から<ref name="bl68-50">バスラマ・インターナショナル68号「バス事業者訪問69 神奈川中央交通」p50</ref>、広島・和歌山・奈良への路線は廃止され、盛岡への路線は[[岩手県交通]]の単独運行となった。その他の路線は子会社の運行コストであれば存続可能と判断され、[[湘南神奈交バス]]に移管された。後に[[横浜神奈交バス]]に再移管されている。


[[2011年]]10月1日より、[[神奈川中央交通横浜営業所舞岡操車所|舞岡操車所]]の路線バス50台の運転席後方にモニターを設置し、ニュース・天気予報・広告などを放映する「かなch.」というサービスを開始した<ref name="kakach"/>。
[[2009年]](平成21年)[[3月26日]]からは、茅ヶ崎・辻堂駅発着の一部路線で自転車をバスに搭載するサービスが開始された。自転車を搭載可能な路線バスは前例があるが、バスの前面に[[自転車キャリア|自転車ラック]]を設置し、'''自転車をバスの前面に積載する方式は日本初'''の導入例である。


関連事業においては、スーパーマーケット「神奈中ストア」は2007年度末までに全店舗撤退、同時期にバス車内における物品販売も終了となっている。
関連事業においては、2004年からは温浴施設([[スーパー銭湯]]「[[湯快爽快]]」)の運営に参入する一方で<ref name="90-52"/>、スーパーマーケット「神奈中ストア」は2007年9月30日をもって全店舗閉鎖となり<ref name="90-97"/>、同時期にバス車内における物品販売も終了となっている。


==== 連節バスと新たな公共交通の模索 ====
==== 連節バスと新たな公共交通の模索 ====
[[画像:TwinLiner.JPG|200px|thumb|right|ツインライナー (ち201)]]
通勤・通学路線においては、新しいタイプの公共交通の模索も進められた。
通勤・通学路線においては、新しいタイプの公共交通の模索も進められた。


[[湘南台駅]]と[[慶應義塾大学]]藤沢キャンパスを結ぶ路線は、朝のバス待ち行列が250人近く並ぶ有様で、通常のバスでは捌ききれない状況であった。また、駅前広場の状況も[[警察]]により一般車の乗り入れ規制や交通指導員の配置なども行われていたが、通常のバスによるこれ以上の増発は困難な状況であった。このため、[[2003年]](平成15年)には藤沢市が中心となって新たな公共交通システムを導入するための検討委員会が設立された。これは道路交通の遠隔化やバリアフリー化、さらに交通不便地域でのミニバスによるフィーダー路線運行によるマイカー抑制や環境保全などを目標とし、その前提として、1台あたりの定員の多い[[連節バス]]を基幹路線に導入することになった。
[[湘南台駅]]と[[慶應義塾大学]]藤沢キャンパスを結ぶ路線は、朝のバス待ち行列が250人近く並ぶ有様で、通常のバスでは捌ききれない状況であった。また、駅前広場の状況も[[警察]]により一般車の乗り入れ規制や交通指導員の配置なども行われていたが、通常のバスによるこれ以上の増発は困難な状況であった。このため、[[2003年]]には藤沢市が中心となって新たな公共交通システムを導入するための検討委員会が設立され<ref name="br89-21"/>、道路交通の遠隔化やバリアフリー化、さらに交通不便地域でのミニバスによるフィーダー路線運行によるマイカー抑制や環境保全などを目標と定めた<ref name="br89-21"/>。その前提として、1台あたりの定員の多い[[連節バス]]を基幹路線に導入することになった<ref name="br89-21"/>


[[ファイル:TwinLiner.JPG|thumb|right|藤沢市で導入された連節バス「ツインライナー」 (ち201)]]
日本において連節バスを製造していた[[富士重工業]]は、既にバス車体製造から撤退していた事、[[交通バリアフリー法]]が制定されていたため床面地上高を550mm以下に抑える必要もあった事から、輸入車を導入する事になり、[[大阪府]]の[[中央交通 (大阪府)|中央交通]]が日本総代理店となる[[ネオプラン]]製[[ネオプラン・セントロライナー|セントロライナー]]を導入する事になった。これは日本の道路運送車両法により定められた連節バスの構造要件には合致しない車両<ref>例えば、1999年(平成11年)に制定された構造用件では第1軸と第3軸が同一の軌跡を辿る事とされたが、セントロライナーでは第3軸にはステアリング機構がないため、必然的に第1軸と第3軸の軌跡は異なる。</ref>であったが、自治体及び警察の協力も得られた事から特別に認可され、[[2005年]](平成17年)[[3月14日]]より「ツインライナー」と命名された、'''日本では初めての導入となるノンステップ連節バス'''が運行を開始した。本路線を基幹路線とし、慶應義塾大学でツインライナーに接続し、ミニバスで周辺地区を循環する支線バスによる交通網の拡大も行われた。
日本において連節バスを製造していた[[富士重工業]]は当時既にバス車体製造から撤退しており<ref name="br89-24"/>、[[交通バリアフリー法]]が制定されていたため床面地上高を550mm以下に抑える必要もあったことから、輸入車を導入することになり、[[大阪府]]の[[中央交通 (大阪府)|中央交通]]が日本総代理店となる[[ネオプラン]]製[[ネオプラン・セントロライナー|セントロライナー]]を導入する事になった<ref name="br89-24"/>。これは日本の道路運送車両法により定められた連節バスの構造要件には合致しない車両<ref name="br89-24"/><ref group="注釈">例えば、1999年に制定された構造用件では第1軸と第3軸が同一の軌跡を辿る事とされたが、セントロライナーでは第3軸にはステアリング機構がないため、必然的に第1軸と第3軸の軌跡は異なる。</ref> であったが、自治体及び警察の協力も得られたことから特別に認可され<ref name="br89-24"/>、[[2005年]][[3月14日]]より「ツインライナー」と命名された、日本では初めての導入となるノンステップ連節バスが運行を開始した<ref name="br89-21"/>。本路線を基幹路線とし、慶應義塾大学で「ツインライナー」に接続し、ミニバスで周辺地区を循環する支線バスによる交通網の拡大も行われた<ref name="br89-21"/>。


==== 規制緩和への行動力 ====
==== 規制緩和への行動力 ====
これに続き、[[厚木市]]は朝方通勤時のバス利用者が多い[[厚木アクスト]]への通勤路線に連節バスの導入を検討し、[[2006年]](平成18年)には独自の補助金制度を定めた<ref>[http://www.city.atsugi.kanagawa.jp/outline/35/4590/p004984.html 厚木市連節バス運行システム導入事業補助金交付要綱]</ref>。しかし、この時には藤沢市で導入されていたセントロライナーが日本向け車両の供給を中止しており、車種選定を改めて行うになった。
これに続き、[[厚木市]]は朝方通勤時のバス利用者が多い[[厚木アクスト]]への通勤路線に連節バスの導入を検討し、[[2006年]]には独自の補助金制度を定めた<ref name="atsugi-twin"/>。しかし、この時には藤沢市で導入されていたセントロライナーが日本向け車両の供給を中止しており<ref name="br106-11"/>、車種選定を改めて行うことになった。


[[ファイル:Mercedes-Benz O530 CITARO-G Kanachu Ma201 Machida Sta 20140815.jpg|thumb|right|追加導入された「シタ―ロ」の連節バス「ツインライナー」 (ま201)]]
神奈中では[[三菱ふそうトラック・バス]]に対して、日本での連節バス製造の可能性について打診した<ref name="bl106-11">バスラマ・インターナショナル106号「神奈川中央交通のツインライナー第2弾が運行開始」p11</ref>が、三菱ふそうは日本での製造は困難と回答し、代わりに[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]グループの[[エボバス]]が製造する[[メルセデス・ベンツ・シターロ]]の導入支援を行うことになった<ref name="bl106-11"/>。受注にあたり、欧州規格のままの車体幅2.55mで[[非常口]]扉を設置しないという日本の道路運送車両法による保安基準をさらに超える仕様<ref>日本の道路運送車両の保安基準第二条において最大車体幅は2.5mと定められている他、第二十六条では定員30名以上の車両には非常口扉の設置が義務付けられている。</ref>での製造という条件があった<ref name="bl106-11"/>が、神奈中では藤沢市での連節バス運行実績を基に独自で基準緩和を働きかけ<ref name="bl106-14">バスラマ・インターナショナル106号「神奈川中央交通のツインライナー第2弾が運行開始」p14</ref>、[[2008年]](平成20年)[[2月4日]]より厚木市内でも連節バスの運行が開始された。'''日本国内で欧州規格そのままの路線バス車両導入は初めて'''の事例である。
神奈中では[[三菱ふそうトラック・バス]]に対して、日本での連節バス製造の可能性について打診したが<ref name="br106-11"/>、三菱ふそうは日本での製造は困難と回答し、代わりに[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]グループの[[エボバス]]が製造する[[メルセデス・ベンツ・シターロ]]の導入支援を行うことになった<ref name="br106-11"/>。受注にあたり、欧州規格のままの車体幅2.55mで[[非常口]]扉を設置しないという日本の道路運送車両法による保安基準をさらに超える仕様<ref group="注釈">日本の道路運送車両の保安基準第二条において最大車体幅は2.5mと定められている他、第二十六条では定員30名以上の車両には非常口扉の設置が義務付けられている。</ref> での製造という条件があったが<ref name="br106-11"/>、神奈中では藤沢市での連節バス運行実績を基に独自で基準緩和を働きかけ<ref name="br106-14"/>、[[2008年]][[2月4日]]より厚木市内でも連節バスの運行が開始された<ref name="90-37"/>。日本国内で欧州規格そのままの路線バス車両導入は初めての事例である。


これらの基準緩和に対する神奈中の行動力には、三菱ふそう関係者も大いに刺激を受けたという<ref name="br106-14"/>。
これらの基準緩和に対する神奈中の行動力には、三菱ふそう関係者も大いに刺激を受けたという<ref name="bl106-14"/>。また、これに関連して、連節バス導入を検討する自治体が増加しているとも報道された<ref>産経新聞2008年1月18日付[http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080118/sty0801180809002-n1.htm 導入広がる「連節バス」 輸送量2倍、人件費は節約 全国の自治体が注目]{{リンク切れ|date=2011年9月}}による。</ref>。神奈中では、日本全国でも連節バスの導入が広まる事を期待しているという<ref name="bl107-19">バスラマ・インターナショナル107号「評価も上々、運行開始から1か月 神奈中のツインライナー第2弾」p19</ref>。


神奈中では、日本全国でも連節バスの導入が広まる事を期待しており<ref name="br107-19"/>、連節バス導入を検討する他県の自治体に対して連節バスの貸し出し・実証実験運行や展示・試乗会への協力を行っている<ref name="90-37"/>。2008年8月には新潟市へ<ref name="90-37"/>、2009年10月には浜松市への貸し出しが行われた<ref name="90-37"/>。
== 年表 ==

* [[1921年]][[6月5日]] - '''相武自動車株式会社'''設立
連節バスは[[2012年]][[5月28日]]から、藤沢市と厚木市に引き続き、町田市内でも運行が開始<ref name="rj551-159"/>。東京都内の一般路線<!--一応、リムジンの連節バスがあったので念のため…-->で連節バスが運行される初のケースとなった<ref name="rj551-159"/>。
: 当時の横浜市大岡地区では乗合自動車を始める者が乱立し、競争が繰り広げられていた。この無益な競争に終止符を打つべく、関係者が同社を設立し整理統合を行った。

* 1921年[[10月29日]] - 金沢自動車運輸より路線承継(滝頭~杉田~瀬戸~[[逗子市|逗子]]間)。
その後、2018年には藤沢市で新たに2路線の運行を開始したほか、2021年には相模原市と町田市で新たに1路線ずつ、2024年には横浜市戸塚区で新たに1路線の運行を開始した<ref name="news20240617">{{Cite news|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/somu/2024/2024.06.17release.pdf |publisher=横浜市、神奈川中央交通 |title=戸塚区で連節バス「ツインライナー」の運行を開始します! |date=2024-06-17}}</ref>。2024年の導入車両は神奈中としては初となる国産連節バスの「[[日野・ブルーリボン#ブルーリボンハイブリッド連節バス|日野・ブルーリボンハイブリッド連節バス]]」が導入された<ref name="news20240617" />。
{{-}}

==== 自動運転推進への取り組み ====
2010年代後半に入ると、生活交通路線の維持や人為的ミスによる交通事故防止、運転士不足などに対処するため、[[自動運転バス]]の実用化に向けた取り組みを開始する<ref name="100-102">[[#100年史|『神奈川中央交通100年史』 p.102]]</ref>。

2017年に小田急電鉄、[[慶應義塾]]との間で先端技術の研究、地域の活性化、人材育成、教育活動などで連携協力する内容の協定を締結。2018年5月には、小田急電鉄、SBドライブ(現・[[BOLDLY]])との間で協業に関する協定を締結し<ref name="100-102"/>、同年6月には自社初となる小型自動運転バス(日野・ポンチョ)を使った[[オートパイロット|自動運転技術]]の実証実験を[[慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス]]で、2019年2月には[[多摩ニュータウン]]内でそれぞれ実施した<ref name="100-103">[[#100年史|『神奈川中央交通100年史』 p.103]]</ref>。2021年2月には、横浜市栄区において中型自動運転バス(いすゞ・エルガミオ)を使った実証実験が行われ、この実験では磁気マーカに加え、信号情報の受信、路側センサー等による自動運転バスと地上インフラとの連携により、自動走行割合の大幅な向上が見られた<ref name="100-104">[[#100年史|『神奈川中央交通100年史』 p.104]]</ref>。

2021年10月には[[東京都住宅供給公社]](JKK東京)と[[群馬大学]]が共同で、[[町田木曽住宅]]地域において乗客を乗せた自動運転車両(レベル2、[[トヨタ・アルファード]])を活用した実証実験を実施することになり、運行事業者として神奈中グループ(神奈川中央交通及び神奈中タクシー)が参画することになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.to-kousya.or.jp/k_news/r3_9_8press.html |title=高齢者などの「距離のバリアフリー化」を目指して自動運転車両を活用した移動支援の実証実験を実施 |publisher=東京都住宅供給公社 |language=日本語 |date=2021-09-08 |accessdate=2022-09-26}}</ref>。しかし、試験走行中に物損事故が発生したことを受けて実験開始が延期され<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.to-kousya.or.jp/k_news/r3_10_6press.html |title=「自動運転車両を活用した移動支援の実証実験」の延期について |publisher=東京都住宅供給公社 |language=日本語 |date=2022-10-06 |accessdate=2022-09-26}}</ref>、2022年9月に運用を見直したうえで改めて実験運行が実施された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.to-kousya.or.jp/k_news/r4_9_15press.html |title=「自動運転車両を活用した移動支援の実証実験」を実施します |publisher=東京都住宅供給公社 |language=日本語 |date=2022-09-15 |accessdate=2022-09-26}}</ref>。

2022年5月からは[[慶應義塾大学SFC研究所]]と共同で、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス内で自動運転による循環シャトルバス([[三菱ふそう・ローザ]])の本格運行を開始した。運行開始時は自動運転レベル2での運行だが、2025年度に自動運転レベル4(高度運転自動化)を目指すとともに、将来的には自社一般路線での自動運転バス導入を目指している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/somu/2022/05.09release.pdf |title=「自動運転車両を活用した移動支援の実証実験」を実施します |publisher=神奈川中央交通 |language=日本語 |date=2022-05-09 |accessdate=2022-09-26}}</ref>。

2024年1月からはいすゞ自動車などと共同で、平塚駅南口エリアにて自動運転仕様に改造された大型路線バス「いすゞ・エルガ」を用いて、自動運転バスの実証実験が行われた。実験は自動運転レベル2での運行で、自動運転バスの操作を習得した運転士が乗務し、平塚営業所の「[[神奈川中央交通西・平塚営業所#平塚駅南口 - 須賀・南口循環方面|平15系統]]」の運行経路を一般の乗客を乗せずに走行する形で実施し、今後は特定条件下における完全自動運転となる自動運転レベル4を目指している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/press/page02_e00001_02414.html |title=平塚駅南口エリアで自動運転バス実証実験を開始~1月19日(金曜日)に実証実験開始式と連携協定締結式を実施~ |publisher=平塚市 |language=日本語 |date=2024-01-12 |accessdate=2024-02-02}}</ref>。

==== 乗合バス事業の再編へ ====
先述の通り、1996年の湘南神奈交バス設立以降順次進められてきた、神奈交バス5社への一部路線移管および運行管理の委託だったが、エリアの特性に応じた事業環境や効率化・最適化などを考慮し、この従来までの体勢を一新することが、[[2015年]][[3月26日]]に行われた取締役会において決議された。
効力は2017年1月1日<ref name="kanachu20160427">[http://www.kanachu.co.jp/kanachu/ir/library/pdf/kaiji/kaiji_20160427_1.pdf 『グループ組織再編(連結子会社の吸収合併並びに連結子会社間の吸収合併及び連結子会社の商号変更)に関するお知らせ』の一部変更及び未確定事項の確定に関するお知らせ] - 神奈川中央交通(企業に関する情報) 2016年4月27日</ref> で、バス事業をエリアごとに'''神奈川中央交通'''(神奈川中央交通+横浜神奈交バス、相模神奈交バス町田営業所を含む)、'''神奈川中央交通東'''(藤沢神奈交バス+相模神奈交バス)、'''神奈川中央交通西'''(湘南神奈交バス+津久井神奈交バス)の3社にそれぞれ吸収合併し再編、これにより従来の'''神奈交バス'''5社(湘南、藤沢、横浜、相模、津久井)は消滅した。

再編の概要は、以下の表の通りである<ref name="kanachu20160427">[http://www.kanachu.co.jp/kanachu/ir/library/pdf/kaiji/kaiji_20160427_1.pdf 『グループ組織再編(連結子会社の吸収合併並びに連結子会社間の吸収合併及び連結子会社の商号変更)に関するお知らせ』の一部変更及び未確定事項の確定に関するお知らせ] - 神奈川中央交通(企業に関する情報) 2016年4月27日</ref><ref name="kanachu20150326">[http://www.kanachu.co.jp/kanachu/ir/library/pdf/kaiji/kaiji_20150326.pdf グループ組織再編(連結子会社の吸収合併並びに連結子会社間の吸収合併及び連結子会社の商号変更)に関するお知らせ] - 神奈川中央交通(企業に関する情報) 2015年3月27日</ref>。2016年12月26日のリリースで再編後の営業所が一部計画変更の上公表され、相模神奈交バス相模原営業所(峡の原車庫)が「橋本営業所(車番略称:「も」)」へ、相模神奈交バス厚木営業所(上荻野車庫)が「厚木北営業所(車番略称:「き」)」へ変更された<ref>[http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/2016/12.26info.pdf 社名再編のお知らせ2016-6] - 神奈川中央交通(企業に関する情報) 2016年12月26日</ref>。その後、[[2017年]][[12月16日]]より大和・相模原営業所が新たに神奈川中央交通東が加わったほか、[[2019年]][[4月1日]]より伊勢原営業所が新たに神奈川中央交通西に加わった。

[[2025年]]4月1日付けで、神奈川中央交通に神奈川中央交通東、神奈川中央交通西を吸収合併し、これらの子会社は消滅する予定となっている<ref name="news20240927">{{Cite web |url=https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS01250/1113bd43/bd35/4748/85ae/62c170b7b716/140120240830579176.pdf |title=完全子会社2社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ |date=2024-09-27 |accessdate=2024-10-14}}</ref>。

{| class="wikitable"
|-
!colspan="2"|再編前の営業所名
!再編前の事業者
!再編後の事業者
!colspan="2"|再編後の営業所名
!備考
|-
|あ
|厚木営業所(及川、下荻野操車所)
|神奈川中央交通
| rowspan="12" |神奈川中央交通
|あ
|厚木営業所
|&nbsp;
|-
|い
|伊勢原営業所
|神奈川中央交通
|い
|伊勢原営業所
|現在の事業者は神奈川中央交通西<ref name="kanachu20190318">[http://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=2032 神奈中グループバス会社再編に伴う会社名・営業所名の変更について] 神奈川中央交通 2019年3月18日</ref><ref name="kanachu20190318-pdf">[http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/2019/3.15-W-isehara.pdf 神奈中グループバス会社再編に伴う会社名・営業所名の変更について (PDF)] 神奈川中央交通 2019年3月18日</ref>
|-
|お
|(横浜営業所 舞岡操車所)<br />横浜神奈交バス 舞岡営業所
|横浜神奈交バス
|お
|舞岡営業所
|2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)。現在は全面解除
|-
|さ
|相模原営業所(麻溝操車所)
|神奈川中央交通
|さ
|相模原営業所
|現在の事業者は神奈川中央交通東
|-
|せ
|綾瀬営業所
|神奈川中央交通
|せ
|綾瀬営業所
|&nbsp;
|-
|た
|多摩営業所
|神奈川中央交通
|た
|多摩営業所
|&nbsp;
|-
|ち
|茅ヶ崎営業所
|神奈川中央交通
|ち
|茅ヶ崎営業所
|&nbsp;
|-
|と
|戸塚営業所
|神奈川中央交通
|と
|戸塚営業所
|&nbsp;
|-
|や
|(大和営業所 中山操車所)<br />横浜神奈交バス 中山営業所
|横浜神奈交バス
|な
|中山営業所
|2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託。現在は全面解除
|-
|ま
|町田営業所<br />相模神奈交バス 町田営業所
|神奈川中央交通<br />相模神奈交バス
|ま
|町田営業所
|2015年4月当時、相模神奈交バスへ一部委託
|-
|や
|大和営業所(鶴間操車所)
|神奈川中央交通
|や
|大和営業所
|2015年4月当時、鶴間操車所の一部を藤沢神奈交バスへ委託(神奈交自社路線あり)<br />現在の事業者は神奈川中央交通東
|-
|よ
|横浜営業所
|神奈川中央交通
|よ
|横浜営業所
|&nbsp;
|-
|
|相模神奈交バス 菅生営業所
|相模神奈交バス
| rowspan="5" |神奈川中央交通'''東'''
|
|菅生営業所
|川崎市交通局[[川崎市バス菅生営業所|菅生営業所]]を全面受託<br />2017年3月26日<ref name="kawasaki_ida">[http://www.city.kawasaki.jp/820/page/0000071256.html 川崎市交通局井田営業所管理の受委託に係る受託事業者の募集について] - 川崎市交通局 2015年10月30日</ref> より、受託営業所を菅生から[[川崎市バス井田営業所|井田営業所]]へ変更<ref name="kawasaki_itaku">[http://www.city.kawasaki.jp/820/cmsfiles/contents/0000000/338/H28yosan.pdf 平成28年度 川崎市自動車運送事業会計予算の概要(PDF形式, 388.04KB)] - 川崎市交通局 2016年3月20日、「管理委託する営業所の変更(菅生営業所→井田営業所)」と記載。</ref><ref name="kanachu_employ02">[http://www.kanachu.co.jp/kanachu/employ/employ02.html 社会人採用 神奈川中央交通グループ 各社バス運転士募集要項] - 神奈川中央交通(採用情報) 2016年6月5日、「川崎市交通局井田営業所(高津区明津)管理受託(予定)」と記載。</ref>。
|-
|あ
|(厚木営業所 上荻野操車所)<br />相模神奈交バス 厚木営業所
|相模神奈交バス
|き
|厚木北営業所
|2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託
|-
|ふ
|(茅ヶ崎営業所 藤沢操車所)<br />藤沢神奈交バス 藤沢営業所
|藤沢神奈交バス
|ふ
|藤沢営業所
|2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)
|-
|さ
|(相模原営業所 峡の原操車所)<br />相模神奈交バス 相模原営業所
|相模神奈交バス
|も
|橋本営業所
|2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)
|-
|や
|藤沢神奈交バス 大和営業所
|藤沢神奈交バス
|や
|大和営業所
|2015年4月当時、神奈川中央交通より鶴間操車場の一部を受託
(神奈交自社路線あり)
|-
|つ
|(相模原営業所 三ヶ木操車所・城山操車所)<br />津久井神奈交バス 津久井営業所
|津久井神奈交バス
| rowspan="3" |神奈川中央交通'''西'''
|つ
|津久井営業所
|2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)
|-
|は
|(伊勢原営業所 秦野操車所)<br />湘南神奈交バス 秦野営業所
|湘南神奈交バス
|は
|秦野営業所
|2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)
|-
|ひ
|伊勢原営業所 平塚操車所<br />湘南神奈交バス 平塚営業所
|神奈川中央交通<br />湘南神奈交バス
|ひ
|平塚営業所
|2015年4月当時、湘南神奈交バスへ一部委託(神奈交自社路線あり)
|}

=== 年表 ===
* [[1921年]]
** [[6月5日]] - '''相武自動車株式会社'''設立<ref name="50-8"/>。
**: 当時の横浜市大岡地区では乗合自動車を始める者が乱立し、競争が繰り広げられていた。この無益な競争に終止符を打つべく、関係者が同社を設立し整理統合を行った。
** [[10月29日]] - 金沢自動車運輸より路線承継(滝頭 - 杉田 - 瀬戸 - [[逗子市|逗子]]間)。
* [[1928年]]7月 - [[梁瀬長太郎]]([[ヤナセ]]創業者)が社長に就任。
* [[1928年]]7月 - [[梁瀬長太郎]]([[ヤナセ]]創業者)が社長に就任。
* [[1931年]]11月 - 鶴屋商会([[1919年]]5月創業、[[戸塚駅|戸塚]][[厚木市|厚木]]間の乗合自動車を運営)の大木敏行が買収。杉田逗子間を湘南乗合自動車へ譲渡(現在の[[横浜京急バス]]のルーツ)。
* [[1931年]]11月 - 鶴屋商会([[1919年]]5月創業、[[戸塚駅|戸塚]] - [[厚木市|厚木]]間の乗合自動車を運営)の大木敏行が買収。杉田 - 逗子間を湘南乗合自動車(現在の[[京バス]])へ譲渡
* [[1936年]]12月 - 鶴屋商会及び戸塚自動車商会(戸塚岡津間)を合併。
* [[1936年]]12月 - 鶴屋商会及び戸塚自動車商会(戸塚 - 岡津間)を合併<ref name="bj23-17"/>
* [[1937年]][[1月12日]] - '''相武鶴屋自動車株式会社'''に商号を変更。
* [[1937年]][[1月12日]] - '''相武鶴屋自動車株式会社'''に商号を変更<ref name="bj23-17"/>
* [[1938年]]5月 - 東京横浜電鉄(現在の[[東行電鉄]])に買収され、同社の傘下に入る。
* [[1938年]]5月 - 東京横浜電鉄(現在の[[東急]])に買収され、同社の傘下に入る<ref name="50-16"/>
* [[1939年]][[6月16日]] - 中央相武自動車を合併、'''東海道乗合自動車株式会社'''に商号変更。
* [[1939年]][[6月16日]] - 中央相武自動車を合併、'''東海道乗合自動車株式会社'''に商号変更。
* [[1941年]][[12月15日]] - 同じ東横傘下の[[関東バス|関東乗合自動車]]及び[[江ノ島電鉄|江ノ島電気鉄道]]の一部路線を譲受。
: '''中央相武自動車''':[[1923年]]3月設立。[[横浜駅|横浜]]~厚木間の乗合自動車を運営。[[東急玉川線|玉川電気鉄道(玉電)]]の傘下会社である目黒自動車運輸が買収したが、1936年10月に東横が玉電を傘下に収めた事に伴い、1937年8月に同社も東横の傘下に入った。
* [[1941年]][[1215日]] - 同じ東横傘下の関東乗合自動車及び[[江ノ島電鉄|江ノ島電気鉄道]]の一部路線譲受
* [[1942年]]2月 - 同じ東横傘下の秦野自動車(1921年8月設立、[[秦野市|秦野]] - 平塚間、秦野 - [[二宮町|二宮]]間他)合併<ref name="bj23-18"/>
: '''関東乗合自動車''':1931年12月設立。新宿~小滝橋間を運行していたが、1936年12月に原町田乗合(同年4月に設立され、1921年9月より野渡太助が運行し、後に平井実造が経営していた[[町田駅|原町田]]~図師間、原町田~[[鶴間駅|鶴間]]間、原町田~小野路間、原町田~[[瀬谷駅|瀬谷]]間などの路線を承継)を合併。一時現在の[[町田市]]内にも営業基盤を持っていた。東海道乗合自動車へはこの原町田営業所を譲渡した。現在の[[関東バス]]。
: '''江ノ島電気鉄道''':1931年[[7月11日]]、競合関係にあった鎌倉江ノ島乗合自動車商会([[1929年]][[6月2日]]開業)より[[江ノ島]]~[[鎌倉駅|鎌倉]]間の営業権を譲受して営業再開(これより先、1927年から1929年まで辻堂地区で乗合自動車業を行っていたが、廃業していた)。[[1934年]][[9月1日]]、藤沢自動車より片瀬~[[藤沢駅|藤沢]]間譲受。[[1935年]][[5月26日]]、岩崎清一及び平田忠心より[[茅ヶ崎市]]内及び[[平塚市]]内の路線を譲受。東海道乗合自動車へは、まずこの茅ヶ崎・平塚線を譲渡した。
* [[1942年]]2月 - 秦野自動車(1921年8月設立、[[秦野市|秦野]]~平塚間、秦野~[[二宮町 (神奈川県)|二宮]]間他)を合併。
* [[1943年]]4月 - 東京急行電鉄、神奈川県下の陸上交通統制の趣旨に基づき、伊勢原自動車及び藤沢自動車を買収。
* [[1943年]]4月 - 東京急行電鉄、神奈川県下の陸上交通統制の趣旨に基づき、伊勢原自動車及び藤沢自動車を買収。
* [[1944年]]
: '''伊勢原自動車''':[[1920年]]3月に伊勢原自動車運輸として設立。1928年2月サンエキ自動車([[1926年]]設立)と合併し、伊勢原サンエキ自動車と改称。[[1932年]]9月伊勢原自動車と商号を変更。周辺事業者を悉く統合。1938年3月には秦野自動車より平塚~二宮間と平塚~須賀間を譲受していた。
** [[5月31日]] - 東海道乗合自動車は伊勢原自動車及び藤沢自動車を合併<ref name="bj23-18"/>。
: '''藤沢自動車''':1931年に江之島自動車・片瀬自動車商会・鵠沼自動車が統合して設立。以来、県央地区([[高座郡]]・[[愛甲郡]]・[[津久井郡]])の事業者を悉く買収・併合して統合。1937年6月、京王電気軌道(現在の[[京王線]]の母体)に買収され、同社傘下となる。[[1940年]]9月、八王子中央自動車([[1925年]]11月開業。[[川尻村 (神奈川県)|川尻村]](現・[[相模原市]]城山町)久保沢向原~[[八王子市]]旭町間)の合併で、南は藤沢~平塚から厚木・[[相模原市|相模原]]を経て北は八王子~上野原までに至る神奈川県を縦断する路線網を築き上げた。
* [[1944年]][[531日]] - 東海道乗合自動車は伊勢原自動車及び藤沢自動車合併
** [[616日]] - '''神奈川中央乗合自動車株式会社'''に商号変更<ref name="bj23-18"/>
** [[11月28日]] - [[相模鉄道]]及び江ノ島電気鉄道の乗合自動車事業を譲受(3月に譲渡契約を締結。江ノ電バスはこれで一旦消滅)<ref name="bj23-18"/>。
* 1944年[[6月16日]] - '''神奈川中央乗合自動車株式会社'''に商号を変更。
* 1944年[[11月28日]] - [[相模鉄道]]及び江ノ島電気鉄道の乗合自動車事業を譲受(3月に譲渡契約を締結。江ノ電バスはこれで消滅)。
: '''相模鉄道''':1935年[[12月24日]]、大谷仁三郎経営の[[淵野辺駅|淵野辺]]~[[上溝駅|上溝]]~田名間と田名~[[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]間の乗合自動車業を承継して開業。1936年[[6月9日]]、愛甲自動車商会より上溝~厚木間の路線を譲受。1941年[[6月30日]]、東京横浜電鉄の傘下に入り、1943年[[4月1日]]、神中鉄道(現在の[[相鉄本線]]の母体)を吸収合併するが、1944年[[6月1日]]、本来の鉄道路線である[[茅ヶ崎駅|茅ヶ崎]]~[[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]間が国家買収される(現在のJR[[相模線]])。従って同社は現在の相鉄と同一企業であるが、この時神奈中に編入されたバス路線と現在の相鉄バス([[1949年]][[6月20日]]、[[横浜市]]内で改めて開業)は全くの無関係である。
* [[1945年]]11月 - [[ハイヤー]]・[[タクシー]]事業を相模中央交通に譲渡。
* [[1945年]]11月 - [[ハイヤー]]・[[タクシー]]事業を相模中央交通に譲渡。
* [[1948年]]6月1日 - 東京急行電鉄の再編成に伴い、同社より分離・新発足した小田急電鉄の傘下会社になる。
* [[1948年]]6月1日 - 東京急行電鉄の再編成に伴い、同社より分離・新発足した[[小田急電鉄]]の傘下会社になる<ref name="bj57-21"/>
* 1949年5月 - [[東京証券取引所]]に上場。
* 1949年
** 5月 - [[東京証券取引所]]に上場。
* 1949年6月20日 - 江ノ島電気鉄道に一部路線を譲渡(江ノ電バスの復活)。
** 6月20日 - 江ノ島電気鉄道に一部路線を譲渡(江ノ電バスの復活)<ref name="bj23-19"/>
: 藤沢駅七里ヶ浜鎌倉駅間、藤沢駅[[本鵠沼駅]]辻堂駅間(旧来の江ノ電路線)
**: 藤沢駅 - 七里ヶ浜 - 鎌倉駅間、藤沢駅 - [[本鵠沼駅]] - 辻堂駅間、石上 - 堀川間(旧来の江ノ電路線)
: 藤沢駅深沢鎌倉駅間、鎌倉駅[[大船駅]]日野[[弘明寺駅 (京急)|弘明寺]]間、大船駅飯島戸塚駅裏口間
**: 藤沢駅 - 深沢 - 鎌倉駅間、鎌倉駅 - [[大船駅]] - 日野 - [[弘明寺駅 (京急)|弘明寺]]間、大船駅 - 飯島 - 戸塚駅裏口間、関ノ下 - 杉田聖天橋
* [[1950年]][[5月31日]] - 相模中央交通を合併してハイヤー・タクシー事業を再び兼業する。
* [[1950年]][[5月31日]] - 相模中央交通を合併してハイヤー・タクシー事業を再び兼業する。
* [[1951年]][[6月29日]] - '''神奈川中央交通株式会社'''に商号を変更。
* [[1951年]][[6月29日]] - '''神奈川中央交通株式会社'''に商号を変更<ref name="bj23-20"/>
* 昭和30年代に平塚駅から伊勢原市大山までトロリーバスの運行を計画したことがあったが、道路事情の悪さから道路を管理する神奈川県が難色を示し、中止となった。
* [[1965年]]2月1日 - 伊勢原営業所・茅ヶ崎営業所の管内全路線で[[ワンマン運転|ワンマン運行]]を開始。多区間運賃路線での整理券方式によるワンマン化は日本では初めて。
* [[1965年]]2月1日 - 伊勢原営業所・茅ヶ崎営業所の管内全路線で[[ワンマン運転|ワンマン運行]]を開始<ref name="60-49"/>。多区間運賃路線での整理券方式によるワンマン化は日本では初めて<ref name="bj57-22"/>。
* [[1970年]][[7月27日]] - [[鶴川駅]]~鶴川団地線に日本初の[[深夜バス]]を運行開始。当時は運賃は3倍、定期券は利用不可であった。
* [[1970年]][[7月27日]] - [[鶴川駅]] - 鶴川団地線に[[深夜バス]]を運行開始<ref name="bj23-23"/>。当時は運賃は3倍で<ref name="bj8-43"/>、定期券は利用不可であった<ref name="bj8-43"/>(日本初の深夜バスといわれていたが<ref name="bj23-23" />、実際には誤りである。詳しくは[[日本の深夜バス]]を参照。)。
* [[1973年]]4月 - ハイヤー・タクシー事業を[[神奈中ハイヤー]]に譲渡。
* [[1973年]]4月 - ハイヤー・タクシー事業を[[神奈中ハイヤー]]に譲渡。
* [[1974年]]5月 - ヤビツ峠線のワンマン化に伴い、全路線のワンマン化が終了。
* [[1974年]]5月 - ヤビツ峠線のワンマン化に伴い、全路線のワンマン化が終了<ref name="bj23-21"/>
* [[1976年]][[5月1日]] - [[藤野町]](現・相模原市)の路線で[[フリー乗降制|自由乗降区間]]を初めて設定。以後順次導入路線を拡大。
* [[1976年]][[5月1日]] - [[藤野町]](現・相模原市)の路線で[[フリー乗降制|自由乗降区間]]を初めて設定<ref name="bj23-23"/>。以後順次導入路線を拡大。
* [[1978年]][[926日]] - 路線バス車両にデジタル式[[運賃表示器]]の導入開始。
* [[1979年]][[521日]] - 路線バス車両に冷房車の導入開始<ref name="70-164"/>
* [[1979年]][[521]] - 路線バス車両に冷房車の導入を開始。
* [[1980年]]99日 - 路線バス車両に大型方向幕の導入を開始<ref name="70-167"/>
* [[1981年]] - 開業60周年を記念し、薪バス「三太号」を復元<ref name="70-164"/>。
* [[1980年]]9月9日 - 路線バス車両に大型方向幕の導入を開始。
* [[1986年]]4月1日 - 全系統に[[系統番号 (バス)|系統番号]]を附番<ref name="70-168"/>。横浜市内の均一運賃区間において、共通回数券を導入。
* [[1981年]] - 開業60周年を記念し、薪バス「三太号」を復元。
* [[1987年]]
* [[1986年]]4月1日 - 全系統に[[系統番号 (バス)|系統番号]]を附番。横浜市内の均一運賃区間において、共通回数券を導入。
* [[1987年]]3月 - 一般路線バスの塗装を変更但し、在来車の塗り変えは行われなかった。塗り変えるより車両置き換えの方が早く終了するためとされている。
** 3月3日 - 一般路線バスの塗装を変更<ref name="70-168"/><ref group="注釈">但し、在来車の塗り変えは行われなかった。塗り変えるより車両置き換えの方が早く終了するためとされている。</ref>
* 1987年4月 - ギャラリーバスの運行開始。全社で26台導入し、すべての営業所に配置された。一般公募により、同年7月に「カナちゃん号」と命名された。
** 4月 - ギャラリーバスの運行開始<ref name="70-168"/>。全社で26台導入し、すべての営業所に配置された。一般公募により、同年7月に「カナちゃん号」と命名された。
* 1987年6月 - 路線バス全車両が冷房車となった。
** 529日 - 路線バス全車両が冷房車となった<ref name="70-169"/>
* [[1988年]][[5月9日]] - 多区間運賃制の路線バスでは日本初となるバスカードシステムを平塚・伊勢原・秦野の各営業所で導入開始。
* [[1988年]][[5月9日]] - 多区間運賃制の路線バスでは日本初となるバスカードシステムを平塚・伊勢原・秦野の各営業所で導入開始<ref name="70-170"/>
* [[1989年]]2月 - 夜行高速バス運行開始。
* [[1989年]]
** 2月28日 - 夜行高速バス運行開始<ref name="70-171"/>
* 1989年12月 - 深夜急行バス運行開始。
** 12月22日 - 深夜急行バス運行開始<ref name="70-172"/>
* [[1990年]][[3月26日]] - 横浜・舞岡・戸塚の各営業所での導入を最後に全路線へのバスカードシステム導入完了。
* [[1990年]][[3月26日]] - 横浜・舞岡・戸塚の各営業所での導入を最後に全路線へのバスカードシステム導入完了<ref name="70-172"/>
* [[1992年]]9月 - [[極東開発工業]]と共同で、従来のツーステップバスをペースに前扉のステップにリフト機器を取り付けた新ステップ車の試作車が5台運行開始。[[1993年]]3月にも10台の試作車が投入された。[[1994年]]から量産車を投入し、[[2000年]]までの大型車と中型車全車に取り付けた但し、日野中型車を除くU-車は全車改造扱いで平成6年排出ガス規制適合(KC-)車に移行された[[1997年]]以降の[[いすゞ自動車|いすゞ]](富士架装車)、[[UDトラックス|日産ディーゼル(現・UDトラックス)]]車も改造扱いとなる。
* [[1992年]]9月25日 - [[極東開発工業]]と共同で、従来のツーステップバスをペースに前扉のステップにリフト機器を取り付けた新ステップ車の試作車が5台運行開始<ref name="80-120"/>。[[1993年]]3月にも10台の試作車が投入された。[[1994年]]から量産車を投入し、[[2000年]]までの大型車と中型車全車に取り付けた<ref group="注釈">但し、日野中型車を除くU-車は全車改造扱いで平成6年排出ガス規制適合(KC-)車に移行された[[1997年]]以降の[[いすゞ自動車|いすゞ]](富士架装車)、[[UDトラックス|日産ディーゼル(現・UDトラックス)]]車も改造扱いとなる。</ref>
* [[1995年]] - [[観光バス]]並びに事業を神奈中ハイヤーに譲渡(現在の[[神奈中観光]])。
* [[1995年]]4月1日 - [[観光バス]]並びに事業を神奈中ハイヤーに譲渡<ref name="80-122"/>(現在の[[神奈中観光]])。
* [[1996年]]4月 - 一部路線並びに事業を[[湘南神奈交バス]]に譲渡。
* [[1996年]]4月1日 - 一部路線並びに事業を[[湘南神奈交バス]]に譲渡<ref name="80-123"/>
* 1997年[[9月20日]] - 環境保護キャンペーンの一環として「スヌーピーバス」の運行を開始。同時に日本初の環境定期券制度を導入。
* 1997年[[9月20日]] - 環境保護キャンペーンの一環として「スヌーピーバス」の運行を開始<ref name="80-124"/>。同時に日本初の環境定期券制度を導入<ref name="80-124"/>
* [[1999年]]
* [[1999年]]6月 - 相模原所属のさ154を最後に旧塗装車が全廃<ref>ただし、一部の営業所では早くに引退となった営業所もある。</ref>。
** 6月30日 - 相模原所属のさ154号車が廃車<ref name="80-126"/>。これにより波形デザインの旧塗装車が全廃<ref name="80-126"/>。
* 1999年11月 - 一部路線・事業を[[津久井神奈交バス]]に譲渡。
* 2000年10月 - 一部路線・事業を[[横浜神奈交バス]]に譲渡。
** 1121日 - 一部路線・事業を[[津久井神奈交バス]]に譲渡<ref name="80-126"/>
* [[2001]]4月 - 一部路線・事業を[[相模神奈交バス]]並びに[[藤沢神奈交バス]]に譲渡。
* 20001018日 - 一部路線・事業を[[横浜神奈交バス]]に譲渡<ref name="80-127"/>
* [[2001年]]
* 2001年12月 - 横浜担当の全線が前乗り・運賃先払いとなったため、整理券発行機が撤去された<ref>後に再度取り付けられ、現在はカバーで覆われている。</ref>。
** 4月1日 - 一部路線・事業を[[相模神奈交バス]]並びに[[藤沢神奈交バス]]に譲渡<ref name="90-92"/>。
* 2001年[[12月8日]] - 2代目となるギャラリーバスが運行を開始。各営業所に1台ずつ配置。愛称は「かなちゃん号」を踏襲。初代はこの日限りで引退。
** 12月 - 横浜担当の全線が前乗り・運賃先払いとなったため、整理券発行機が撤去された<ref group="注釈">後に再度取り付けられ、現在はカバーで覆われている。</ref>。
* [[2003年]][[4月1日]] - 藤野台団地 - 相模湖線の廃止で、一般路線は[[山梨県]]から撤退。
** [[12月8日]] - 2代目となるギャラリーバスが運行を開始<ref name="90-92"/>。各営業所に1台ずつ配置。愛称は「かなちゃん号」を踏襲。初代はこの日限りで引退。
* 2003年8月 - 「スヌーピーバス」の運行終了。車両はそのまま貸切兼用として運用。
* [[2003年]]
* [[2005年]][[2月1日]] - [[厚木市]]内全路線(厚木営業所は全路線)で[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]を利用した[[バスロケーションシステム]]の運用を開始。
** [[4月1日]] - 藤野台団地 - 相模湖線の廃止で、一般路線は[[山梨県]]から撤退。
* 2005年[[3月14日]] - 湘南台駅 - 慶應義塾大学で「ツインライナー」運行開始。同時にGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。
** 8月 - 「スヌーピーバス」の運行終了。車両はそのまま貸切兼用として運用。
* 2005年[[7月4日]] - [[横浜市交通局]]([[横浜市営バス]])から一部路線の移譲開始。
* [[2005年]]
* 2005年[[9月25日]] - 横浜営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。
** [[2月1日]] - [[厚木市]]内全路線(厚木営業所は全路線)で[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]を利用した[[バスロケーションシステム]]の運用を開始<ref name="90-38"/>。
* 2005年[[9月27日]] - 舞岡営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。
** [[3月14日]] - 湘南台駅 - 慶應義塾大学で「ツインライナー」運行開始。同時にGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="90-94"/>。
* 2005年[[11月28日]] - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。
* [[2006年]][[130日]] - 横浜市営バスから一部路線を完全移譲される(同年[[3月27日]]にも実施)
** [[74日]] - [[横浜市交通局]]([[横浜市営バス]])から一部路線移譲開始
** [[9月25日]] - 横浜営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。
* 2006年[[5月1日]] - [[上大岡駅]]発着路線でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。
** [[9月27日]] - 舞岡営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。
* 2006年[[11月17日]] - 昼行高速バス「[[新横浜駅]]線」の運行を開始。
* 2007年[[3月11日]] - 藤野町の相模原合併に伴い、藤野町営バス路線を子会社の津久井神奈交バスが受。こにより神奈中撤退区間が復活
** [[11月28日]] - 横浜市営バスから一部路線をる<ref name="90-95"/>
* [[2006年]]
* 2007年[[3月16日]] - 相模原・多摩・町田の各営業所管内及び大和営業所の町田市内乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="buslocation070316">[http://www.kanachu.co.jp/ 神奈川中央交通公式サイト]内{{cite web| url = http://www.kanachu.co.jp/newsinfo/topics/kanachu_news/bus_location3.html| title = 2010年2月23日付プレスリリース『バスロケーションシステムのサービスエリアを拡大』| accessdate = 2010-11-29}}</ref>。
* 2007年[[318日]] - 戸塚業所の全路線とツインライナーにて[[PASMO]]運用開始
** [[130日]] - 横浜市バスから一部路線を完全移譲される(同年[[3月27日]]にも実施)<ref name="90-95"/>
** [[3月27日]] - 伊勢原営業所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
* 2007年[[3月22日]] - [[京成バス]]と共管の[[成田国際空港|成田空港]]連絡バス、[[辻堂駅]]~[[藤沢駅]]~[[戸塚バスセンター]]~成田空港を運行開始。
** [[5月1日]] - [[上大岡駅]]発着路線でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="90-38"/>。
* [[2007年]][[4月1日]] - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。
** [[11月17日]] - 昼行高速バス「[[新横浜駅]]線」の運行を開始<ref name="90-96"/>。
* 2007年12月 - 茅ヶ崎・綾瀬の各営業所の全路線と藤沢神奈交バス(藤沢)にてPASMO運用開始。
* [[2007年]]
* 2008年1月 - 多摩・町田の各営業所の全路線にてPASMO運用開始。
** [[3月11日]] - 藤野町の相模原市合併に伴い、藤野町営バス路線を子会社の津久井神奈交バスが譲受。これにより神奈中撤退区間が復活。
* [[2008年]][[2月4日]] - 厚木バスセンター - 厚木アクスト線にツインライナー導入。同時に同路線にて[[PASMO]]の運用開始。
** [[3月16日]] - 相模原・多摩・町田の各営業所管内及び大和営業所の町田市内乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="90-38"/>。
* 2008年[[2月12日]] - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。
* 2008年[[217日]] - 大和営業所と藤沢神奈交バス(大和)の全路線にてPASMO運用開始。
** [[318日]] - 戸塚営業所の全路線とツインライナーにて[[PASMO]]運用開始<ref name="90-96"/>
* 2008年[[3月1日]] - 昼行高速バス「新横浜廃止
** [[4月1日]] - 横浜市営バスから一部路線を移譲される<ref name="90-96"/>
** 12月9日 - 茅ヶ崎・綾瀬の各営業所の全路線と藤沢神奈交バス(藤沢)にてPASMO運用開始<ref name="90-97"/>。
* 2008年[[8月12日]] - [[新潟市]]のオムニバスタウン事業の一環として、新潟市でツインライナーの試乗会が開催された。
* [[2008年]]
* 2008年[[8月16日]] - 相模鉄道から同社バス細谷戸線を委譲される。
* 2008年[[1013]] - 相模原営業所と相模神奈交バス(相模原)・津久井神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始。
** 120日 - 多摩・町田の各営業所の全路線にてPASMO運用開始<ref name="90-97"/>
* 2008年[[113日]] - 横浜・舞岡各営業所及び横浜神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始。
** [[24日]] - 厚木バスセンター - 厚木アクスト線にツインライナー導入<ref name="90-97"/>。同時に同路線にて[[PASMO]]の運用開始。
* 2008年[[1124日]] - 平塚業所と湘南神奈交バス(平塚)の全路線にてPASMO運用開始
** [[212日]] - 横浜市営バスから一部路線を移譲される<ref name="90-97"/>
* 2008年[[1221日]] - 厚木営業所の全路線にてPASMO運用開始。
** [[217日]] - 大和営業所と藤沢神奈交バス(大和)の全路線にてPASMO運用開始<ref name="90-97"/>
** [[3月1日]] - 昼行高速バス「新横浜駅線」を廃止<ref name="90-97"/>。
* [[2009年]]3月15日 - 伊勢原営業所と湘南神奈交バス(秦野)の全路線にてPASMO運用開始。これにより、夜間高速バス、成田空港線、羽田空港線を除いた全営業所の一般路線にてPASMOの利用可能となった。
* 2009年[[326日]] - 茅ヶ崎営の一部路線に自転車ックバス実証実験を始(~8月31日)
** [[812日]] - [[新潟市]]のオムニバスタウン事業の一環とし、新潟市でツインイナー試乗会が催された<ref name="90-97"/>
** [[8月16日]] - 相模鉄道から同社バス細谷戸線を委譲される<ref name="90-97"/>。
* 2009年[[12月16日]] - 秦野市内および座間市内への乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="buslocation091216">[http://www.kanachu.co.jp/ 神奈川中央交通公式サイト]内{{cite web| url = http://www.kanachu.co.jp/newsinfo/pdf/release20091209.pdf| title = 2009年12月9日付プレスリリース『サービスエリア拡大!秦野地区、座間地区へ「バスロケーションシステム」と「バス・鉄道運行情報システム」を導入!』| accessdate = 2010-11-29}}</ref>。
** [[10月13日]] - 相模原営業所と相模神奈交バス(相模原)・津久井神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始<ref name="90-98"/>。
* 2010年[[3月1日]] - 横浜市内全路線および藤沢市内の一部路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="buslocation100301">[http://www.kanachu.co.jp/ 神奈川中央交通公式サイト]内{{cite web| url = http://www.kanachu.co.jp/newsinfo/pdf/release20100223.pdf| title = 2010年2月23日付プレスリリース『「バスロケーションシステム」のサービスエリア拡大!横浜地区(全路線)と藤沢地区(一部路線)へ導入!』| accessdate = 2010-11-29}}</ref>。
** [[11月3日]] - 横浜・舞岡各営業所及び横浜神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始<ref name="90-98"/>。
* 2010年7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了。
** [[11月24日]] - 平塚営業所と湘南神奈交バス(平塚)の全路線にてPASMO運用開始<ref name="90-98"/>。
* 2010年[[12月16日]] - 藤沢・綾瀬・茅ヶ崎・平塚・伊勢原営業所管内の路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="buslocation101216">[http://www.kanachu.co.jp/ 神奈川中央交通公式サイト]内{{cite web| url = http://www.kanachu.co.jp/newsinfo/pdf/release20100223.pdf| title = 2010年2月23日付プレスリリース『サービスエリアが大幅に拡大!藤沢・綾瀬地区、茅ヶ崎地区、平塚地区、伊勢原地区に「バスロケーションシステム」と「バス・鉄道運行情報システム」を導入!』| accessdate = 2010-11-29}}</ref>。
** [[12月21日]] - 厚木営業所の全路線にてPASMO運用開始<ref name="90-98"/>。
* 2011年[[4月1日]] - 相模神奈交バスが[[川崎市交通局]]より[[川崎市バス菅生営業所]]の運行管理を受託。自社子会社が神奈川中央交通本体以外の運行管理を受託するのは初となる<ref name="kawasakicitybus">[http://www.kanachu.co.jp/ 神奈川中央交通公式サイト]内{{cite web| url = http://www.kanachu.co.jp/newsinfo/pdf/release20100903.pdf| title = 2010年9月3日付プレスリリース『相模神奈交バス(当社100%子会社)が川崎市バスの受託予定事業者に決定!!』| accessdate = 2010-11-29}}</ref>。
* [[2009年]]
** 3月15日 - 伊勢原営業所と湘南神奈交バス(秦野)の全路線にてPASMO運用開始<ref name="90-98"/>。これにより、夜間高速バス、成田空港線、羽田空港線を除いた全営業所の一般路線にてPASMOの利用可能となった。
** [[3月26日]] - 茅ヶ崎営業所の一部路線にて自転車ラックバスの実証実験を開始( - 8月31日)<ref name="90-98"/>。
** [[12月16日]] - 秦野市内および座間市内への乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="90-38"/>。
* [[2010年]]
** [[3月1日]] - 横浜市内全路線および藤沢市内の一部路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="90-38"/>。
** 7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了<ref name="90-99"/>。
** [[12月16日]] - 藤沢・綾瀬・茅ヶ崎・平塚・伊勢原営業所管内の路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始<ref name="90-38"/>。
* [[2011年]][[4月1日]] - 相模神奈交バスが[[川崎市交通局]]より[[川崎市バス菅生営業所]]の運行管理を受託。自社子会社が神奈川中央交通本体以外の運行管理を受託するのは初となる<ref name="kawasakicitybus">{{Cite press release| 和書| url = http://www.kanachu.co.jp/news/2010/pdf/release20100903.pdf| title = 相模神奈交バス(当社100%子会社)が川崎市バスの受託予定事業者に決定!!|publisher=神奈川中央交通|date=2011-09-03|format=PDF| accessdate = 2012-01-11}}</ref>。
* [[2012年]]
** [[3月24日]] - 茅ヶ崎営業所管内(藤沢操車所を除く)全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
** [[5月28日]] - 町田バスセンター - 山崎団地センター間でツインライナー導入<ref name="rj551-159"/>。
** [[10月29日]] - 伊勢原営業所秦野操車所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
* [[2013年]]
** [[3月23日]] - PASMO、[[Suica]]など交通系ICカード全国相互利用サービス開始。
** [[6月24日]] - 平塚営業所(湘南神奈交バスを含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
** [[10月27日]] - 相模原営業所(相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
* [[2014年]]
** [[3月24日]] - 厚木営業所(相模神奈交バス厚木営業所を含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
** 4月1日 - 消費税増税に伴い運賃を改定し、10円単位の現金運賃と1円単位のICカード運賃の2種類の運賃を設定するようになった。
** 9月24日 - 綾瀬営業所・茅ヶ崎営業所藤沢操車所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
* [[2015年]]
** 3月23日 - 戸塚営業所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。
** 7月 - 7月以降から新車導入は全車ノンステップバスに統一される。
* [[2016年]]
**[[3月22日]] - 大和営業所(藤沢神奈交バス大和営業所を含むが中山操車所を除く)管内のうち、横04・90系統を除く全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。
* [[2017年]]
** [[1月1日]] - 神奈中の再編に伴い神奈交バスが消滅。
** [[3月21日]] - 多摩営業所・町田営業所管内のうち、鶴01、08、10、11、13、26、町13(朝の山崎団地センター発のみ)、まちっこを除く全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」・「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。
* [[2019年]]
** [[4月1日]] - 神奈中の再編に伴い伊勢原営業所の事業者が神奈川中央交通西へと変更<ref name="kanachu20190318" /><ref name="kanachu20190318-pdf" />。
* [[2021年]]
** [[4月1日]] - 創立100周年を記念し、新[[制服]]を導入<ref>{{Cite news |url=https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1313677.html |title=神奈川中央交通、創立100周年を機に新制服導入。4月1日から |publisher=トラベルWatch |date=2021-03-22 |accessdate=2022-08-14 }}</ref>。
** [[4月2日]] - バス利用特典サービスを終了<ref name="news20210312">{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=2810 |title=【重要】バス利用特典サービス(バス特)の終了のお知らせ |publisher='''神奈川中央交通''' |language=日本語 |date=2021-03-12 |accessdate=2022-06-17}}</ref>。
** [[9月1日]] - 金額式IC定期券を導入。従来の区間式定期券は同年[[8月31日]]付で販売終了<ref name="news20210716">{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=2920 |title=金額式IC定期券を導入します! |publisher='''神奈川中央交通''' |language=日本語 |date=2021-07-16 |accessdate=2022-06-17}}</ref>。
* [[2022年]][[2月28日]] - 神奈中高速バス予約センターの予約受付業務を終了<ref name="news20220301">{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder2/3.1.pdf |title=神奈中高速バス予約センター 予約受付業務終了のお知らせ |publisher='''神奈川中央交通''' |language=日本語 |date=2022-03-01 |accessdate=2022-06-17}}</ref>。
* [[2023年]]
** [[4月1日]] - 小児IC運賃を一律50円に改定。この改定に伴い、ちびっこ50円キャンペーンは同年3月末で終了<ref name="news20230224" />。
** [[5月26日]] - 同年7月1日(予定)に、横浜市内均一運賃区間など一部を除き、乗合路線バスの運賃改定を発表<ref>{{Cite web|和書|title=路線バス(乗合バス)の運賃改定の実施について|url=https://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=4&tid=142|work=神奈川中央交通|date=2023-05-26|accessdate=2023-06-01}}</ref>。神奈川中央交通西の路線については認可申請中<ref>{{Cite web|和書|title=神奈川中央交通西(株)の路線の新運賃・新定期券運賃について|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/somu/2023/release/20230526_kanachuwest_.pdf|work=神奈川中央交通|accessdate=2023-06-01}}</ref>。
** [[7月1日]] - 乗合路線バスの運賃改定(横浜市内均一運賃区間など一部を除く)
** [[10月1日]] - バス車内に掲示している乗務員名札を廃止(同年8月に一部改正された旅客自動車運送事業運輸規則における乗務員氏名掲示義務の廃止により)
** [[10月27日]] - 一般塗装のリニューアルを発表(デザインは[[奥山清行]]が担当)<ref>{{Cite web|和書|title=乗合バス車両のカラーデザインを変更します |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000109612.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2023-10-27 |access-date=2023-10-29}}</ref>。基本デザインの大幅な刷新は1949年以来、74年ぶりとなる。2024年2月導入の新車両を皮切りに順次更新予定。
* [[2024年]][[12月1日]] - 深夜急行バス運行終了<ref name=":0">{{Cite press release|title=【深夜急行バス】「大船線」の路線廃止について|publisher=神奈川中央交通|date=2023-03-01|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder2/_7.pdf|archive-url=http://archive.today/2024.11.23-002736/https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder2/_7.pdf|archive-date=2024-11-23}}</ref><ref name="kanachu241029">{{Cite press release|title=【深夜急行バス】「平塚線」および「本厚木線」の 路線廃止について|publisher=神奈川中央交通|date=2024-10-29|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder3/_6.pdf|archive-url=http://archive.today/2024.11.17-025734/https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder3/_6.pdf|archive-date=2024-11-17}}</ref>。
* [[2025年]]4月1日 - 神奈川中央交通東・神奈川中央交通西を神奈川中央交通本体に吸収合併し、これら子会社2社は消滅予定<ref name="news20240927" />。

== バス事業 ==
=== 路線バス ===
[[ファイル:Kanagawa chuo kotsu Sumiredaira-kyoku-mae bus stop, Hiratsuka city, Kanagawa prefecture.jpg|thumb|right|菫平局前バス停(神奈川県平塚市)-[[2018年]]]]
神奈川県内及び東京都南多摩地域を中心に、神奈川県・東京都・山梨県に路線を持ち、2011年1月の時点で約700路線を運行している<ref name="asasaga110129"/>。

1960年代以降は当時収益性の高かった貸切バス事業の増強を抑え<ref name="bj23-21"/>、路線バス事業を中心とした経営に徹し<ref name="jtb726-105"/>、1989年時点では全営業収入の79.4%が路線バス事業による収入であったことなど<ref name="br2-44"/>、バス事業の収入比率が極めて高いことが特徴とされていた<ref name="br2-44"/>。1987年のインタビュー記事では、1つの路線に複数事業者が参入することは「客足が落ちた時に先に逃げた方が勝ちで、責任逃れが出来る」という理由により、決して好ましいことではないとしていた<ref name="jtb726-105"/>。

ほぼ全車で[[傘]]の販売を実施しているほか<ref name="mirai1-186"/>、一時期は収支改善のための努力として各神奈交バスの委託中型車に売店スペースを設置していた<ref name="mirai1-185"/>。なお、傘など一部を除き、車内物販については[[2008年]][[3月31日]]をもって廃止となった<!--この頃に神奈中ストアが全店撤退(神奈中商事の小売店舗全廃)-->。

将来の催しや施設が出来ることを見越し、採算度外視で運行している路線が2011年1月の時点で10路線ほど存在する<ref name="asasaga110129"/>。これらの路線は免許維持路線と称されており<ref name="asasaga110129"/>、廃止は考えられていない<ref name="asasaga110129"/>。但し、2020年以降は休日に運行されていた免許維持路線の多くが土曜に運行日が変更されるなど、年間を通しての運行回数は減少される傾向にある。<br>さらに改正労働基準法におけるバス運転士の改善基準告示等(時間外労働の上限規制等)、いわゆる「2024年問題」に対処するため、免許維持路線の整理が行われ、2024年3月9日[[調布駅]]への路線が、同月30日には[[小田原駅]]への路線がそれぞれ廃止になっている。

一般路線の詳細については[[#営業所|各営業所]]の記事を参照のこと。

==== 乗降方式 ====
[[File:Kanachu pasmo suica.JPG|thumb|right|「前乗り前降り」方式当時。前扉にICカードリーダーと整理券発行機が設置されていた(現在は中扉に移設済)]]
ワンマン化以後、乗降時の事故防止と運賃収受の適正化の観点から<ref name="90-43"/>、乗客の指向が鉄道駅などの一点に集中している路線や時間帯<ref name="90-43"/>、また均一運賃区間の路線などを除き<ref name="90-43"/>、乗降ともに前扉を使用する「[[ワンマン運転#前乗り前降り|前乗り前降り]]」方式を基本としていた<ref name="90-43"/>。

しかし、利用者の要望やバリアフリー対応という観点から、中扉から乗車して前扉から降車する「[[ワンマン運転#中(後)乗り前降り|中乗り前降り]]」方式の検討を進め<ref name="90-43"/>、2006年3月から伊勢原営業所管内で「中乗り前降り」方式の実証実験を開始した<ref name="90-43"/>。その後事故や問題などは発生しなかったことから本格導入に移行した<ref name="90-43"/>。神奈中では、停留所付近のバリアフリー整備など関係機関の協力が得られ次第、この乗降方式を拡大したい、としており<ref name="90-43"/>、2012年3月24日から茅ヶ崎営業所管内<ref name="nakanori-chi"/>、同年10月29日から伊勢原営業所秦野操車所(湘南神奈交バス秦野営業所を含む)管内<ref name="nakanori-ha"/>、2013年6月24日から平塚営業所(湘南神奈交バス平塚営業所を含む)管内<ref name="nakanori-hi"/>、同年10月27日から相模原営業所(相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む)管内、<ref name="nakanori-sa"/> 2014年3月24日から厚木営業所(相模神奈交バス厚木営業所を含む)管内<ref>[http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/omaturi/nakanori-atsugi-poster.2014.pdf 3/24(月)から厚木営業所管内(一部を除く)で乗降方式が変更] 神奈川中央交通 2014年2月17日</ref>、同年9月24日より綾瀬営業所管内及び茅ヶ崎営業所藤沢操車所(藤沢神奈交バス藤沢営業所を含む)管内<ref>[http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/H26.8.15nakanorihennkou.pdf 『綾瀬営業所および茅ヶ崎営業所藤沢操車所、藤沢神奈交バス藤沢営業所の路線バス全路線(※一部を除く)において、乗車・降車方法を「中乗り・前降り」方式に変更致します。』] 神奈川中央交通 2014年8月15日</ref>、2015年3月23日から戸塚営業所管内<ref>[http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/totuka-nakanori-posuta-.pdf 戸塚営業所管内の乗車方法変更について] 神奈川中央交通 2015年2月20日</ref>、2016年3月22日からは大和営業所(藤沢神奈交バス大和営業所を含む)管内(一部の路線を除く)<ref>[http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/release2803.pdf 大和営業所の路線バスにおいて、乗車・降車方法を「中乗り・前降り」方式に変更致します。] 神奈川中央交通 2016年2月19日</ref>、2017年3月21日からは多摩営業所管内及び町田営業所管内(一部の路線を除く)でも「中乗り前降り」方式へ変更された<ref>[http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/2016/yamakawa/syanai2903.pdf 3/21(火)から町田・多摩営業所管内で乗降方式を変更(一部系統除く)] 神奈川中央交通 2017年3月17日</ref>。

また、横浜市内均一運賃の区間を多く持つ横浜営業所・舞岡営業所(旧舞岡操車所・横浜神奈交バス舞岡営業所)・中山営業所(旧横浜神奈交バス中山営業所)では、対キロ路線も含む全路線で「[[ワンマン運転#前乗り中(後)降り|前乗り中降り]]」の運賃先払い方式を採用している。そのため、現在は営業所・路線ごとに乗降方式が混在している。

<gallery>
PJ-KV234N1-Kanachu-i-10.jpg|「中乗り前降り」方式採用当初は『中ドア乗車』の幕を掲げた
Nakanori Kanachu.jpg|本格導入後は行先表示器の系統番号に『中乗り』と表示する方式に変更
Kanachu-TsurukawaSta.jpg|町田営業所の前面行先表示。中乗り前降り導入後は『中乗り』もしくは『先払』と表示される
</gallery>

===== 乗り継ぎ割引 =====
路線再編に伴い、一部の停留所を発着する路線で乗り継ぎ割引を行っている。但し、2023年7月1日の運賃改定を機に、全ての紙式乗継割引制度とIC乗継割引制度の一部が廃止された<ref name="news20230526">[https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/somu/2023/release/20230526_other_.pdf 路線バス(乗合バス)の運賃改定の実施について 〇その他乗車券の取り扱いについて] 神奈川中央交通(2023年05月26日)</ref>。

; 継続中の乗り継ぎ割引
* 田名バスターミナル
: 乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間をPASMO及びSuicaで利用する場合に限る<ref>[http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/104/sagamihara140315_s.pdf 「広報さがみはら」 2014年3月15日号]</ref>。2014年4月1日の田名バスターミナル開業に伴う路線再編のため、同日より開始。1台目のバス降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して乗車した場合に限り適用。導入当時の割引額は大人100円、小児50円で、2023年7月の運賃改定以降の割引額は大人120円、小児60円<ref name="news20230526" />。
* 二宮駅南口
: 乗り継ぎ割引対象系統の停留所からPASMO及びSuicaで乗車した場合に限る<ref name="news20160326">[https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/28.3.26icnoritugi.pdf 神奈川中央交通 「平塚駅北口~(国道1号線)~国府津駅間、押切~比奈窪間のバス路線の変更について」]</ref>。2016年3月26日の平塚駅北口~二宮駅南口~国府津駅線の路線再編のため、同日より開始。1台目のバスの降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して同一バス停から乗車した場合に限り適用。なお、以下のように乗車する場合、1台目のバス降車時に乗務員へバスを2回乗り継ぐ旨を申告すると、3台目用の「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取ることができる。当初は2017年3月31日に終了予定とされていたが、その後も制度が存続している。導入当時の割引額は大人170円、小児85円で、2023年7月の運賃改定以降の割引額は大人210円、小児110円<ref name="news20230526" />。
* 紅葉橋
: 乗り継ぎ割引対象系統の停留所からPASMO及びSuicaで乗車した場合に限る<ref>[https://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=1287 3/26(日)より「紅葉橋」バス停(横浜営業所管内)で「ICカード乗り継ぎ割引」を実施]</ref>。地域からの要望を受け、2017年3月26日より開始<ref>[https://www.townnews.co.jp/0112/2017/03/30/376026.html 神奈中バス 市内で初、乗り継ぎ割引 栄区「紅葉橋」バス停が対象] タウンニュース港南区・栄区版(2017年3月30日)</ref>。1台目のバス降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後90分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して乗車した場合に限り適用。割引額は大人100円、小児50円で、2023年7月の運賃改定後も割引額に変更は無い<ref name="news20230526" />。
* 小山田桜台
: 町田市の検証運行路線(小山田桜台~多摩南部地域病院)と一般路線を乗り継ぐ場合に限る。2017年12月の検証運行路線開設にあわせて設定され、検証運行路線のバス降車時に乗務員へ乗り継ぎの旨を口頭で申告した場合に限り、検証運行路線が現金100円となる(PASMO・Suicaは適用外)<ref>[https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/sumai/kotsu/rosen/karakidakensyounko.files/unkouannai20230701.pdf 運行案内(2023年7月1日から)] 町田市</ref>
* 鶴ヶ峰駅
: 乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間をPASMO及びSuicaで利用する場合に限る<ref>[https://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=1938 2019年1月16日(水)より、「鶴ヶ峰駅」で「ICカード乗継割引」を開始] 神奈川中央交通(2018年12月26日)</ref>。2019年1月16日のダイヤ改正に伴う路線再編のため、同日より開始。1台目のバス降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後120分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して乗車した場合に限り適用。割引額は大人210円、小児110円で、2023年7月の運賃改定後も割引額に変更は無い<ref name="news20230526" />。

; 廃止された乗り継ぎ割引
* 原当麻駅、北里大学病院・北里大学、光が丘一丁目、上溝、小田急相模原駅、相武台前駅
: 乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間を利用する場合に限る<ref>[http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisei/toshikotsu/1004854/1004856.html バスサービスの充実|相模原市]</ref>。2003年12月の旧相模原市内における路線再編のため、2008年11月より開始。現金、PASMO及びSuica、回数券での支払いに限る。1台目のバス降車時に乗務員へ乗り継ぐ旨を申告し、運賃を支払って紙式の「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取り、2台目のバス降車時に「バス乗り継ぎ乗車証」を提示し、割引運賃を支払う。割引額は大人100円、小児50円。2023年6月30日をもって割引制度が廃止された<ref name="news20230526" />。
* 押切、押切・塔台橋
: 乗り継ぎ割引対象系統の停留所からPASMO及びSuicaで乗車した場合に限る<ref name="news20160326" />。2016年3月26日の平塚駅北口~二宮駅南口~国府津駅線の路線再編のため、同日より開始。1台目のバスの降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して同一バス停から乗車した場合に限り適用。なお、以下のように乗車する場合、1台目のバス降車時に乗務員へバスを2回乗り継ぐ旨を申告すると、3台目用の「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取ることができる。国道1号線経由 平塚駅北口方面~二宮駅南口で乗り継ぎ~押切(押切・塔台橋を含む)で乗り継ぎ~国府津駅、中井町役場入口、橘団地方面。割引額は大人170円、小児85円。当初は2017年3月31日に終了予定とされていたが、その後も制度が存続し、2023年6月30日をもって割引制度が廃止された<ref name="news20230526" />。

==== 指差呼称 ====
[[ファイル:Pointing and calling, Kanagawa Chuo Kotsu 20120606.jpg|thumb|right|指差呼称]]
乗務員は、旅客案内や車内事故防止の呼びかけなど、頻繁に車内アナウンスを行っている<ref name="rj533-116"/>。また、発車時に[[指差喚呼|指差呼称]]を励行している<ref name="rj533-116"/>。1976年から指差呼称が導入されたが<ref name="70-69"/>、1977年11月から1978年5月にかけて事故が多発したことから<ref name="60-29"/>、強力な実施指導に切り替えたもので<ref name="60-29"/>、1982年4月からは運行中の指差呼称を義務付けた<ref name="70-69"/>。2002年2月以降はそれまでに発生した事故の教訓から<ref name="90-48"/>、内容を「左よし、前方よし、右よし」から「左よし、下よし、右よし」に変更した<ref name="90-48"/>。交通ジャーナリストの[[鈴木文彦]]は、「ほぼ全員に徹底しているケースでは、神奈中グループがトップであろう」と評している<ref name="rj533-116"/>。
{{-}}

=== 高速バス ===
''深夜急行バスについては[[神奈川中央交通西・平塚営業所]]と[[神奈川中央交通舞岡営業所]]を参照。''

かつては神奈中本体で6路線の夜行高速バスを運行していた。その後、採算性の悪化により廃止や神奈交バスへの移管を経て、[[共同運行]]会社による単独運行や他系統への統合が行われた。一部路線は再編の上で存続しているが、神奈中では予約・発券業務のみを担当している。そのため現在は昼行高速バスと空港連絡バスのみ運行している。かつては電話予約も受け付けていたが、神奈中高速バス予約センターの閉鎖に伴って[[2022年]][[2月28日]]で予約受付業務を終了した(以降はインターネット予約のみ)<ref name="news20220301"/>

==== 夜行高速バス ====
[[File:P-MS729SA Kanachu A701 for Morioka.jpg|thumb|right|夜行高速バス盛岡線の車両(あ701)]]
; 横浜・町田 - 奈良線([[やまと号#奈良 - 横浜線|やまと号]])
: 1989年2月28日運行開始<ref name="70-171"/>。[[奈良交通]]と共同運行<ref name="kosoku110"/>。神奈中では初の夜行高速バスであると同時に、神奈川県下においても初の夜行高速バス路線である<ref name="70-51"/>。1991年からは[[五位堂駅]]まで延長<ref name="shipan143"/>、1993年11月4日からは[[本厚木駅|本厚木]]経由となる<ref name="80-121"/>。
: [[2003年]][[4月1日]]から[[湘南神奈交バス]]に移管、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管された。
: 2008年9月30日限りで神奈中は撤退し<ref name="90-97"/>、翌10月1日からは[[やまと号#奈良 - 横浜・千葉線|同名称の千葉線]]に統合。
; 横浜・町田 - 大阪線([[ハーバーライト号|ハーバーライト大阪号]])
: 1989年3月23日運行開始<ref name="kosoku110"/>。[[西日本ジェイアールバス]]との共同運行<ref name="kosoku110"/>。1991年5月11日からは横浜側の起点を[[神奈川中央交通横浜営業所|本郷車庫]]へ変更<ref name="80-120"/>。1999年10月1日からは本厚木経由となり<ref name="80-126"/>、同時にダブルデッカーを導入<ref name="80-126"/>。
: 2000年11月15日から湘南神奈交バスに移管<ref name="80-40"/>、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管された<ref name="90-97"/>。
: 2009年5月31日限りで神奈中グループは撤退し<ref name="90-98"/>、後述する横浜・町田 - 京都線と統合。
; 横浜・町田 - 京都線([[ハーバーライト号|ハーバーライト京都号]])
: 1989年7月20日運行開始<ref name="80-118"/>。西日本ジェイアールバスとの共同運行<ref name="shipan134"/>。1999年10月1日からは本厚木経由となり<ref name="80-126"/>、同時にダブルデッカーを導入<ref name="80-126"/>。
: 2000年11月15日から湘南神奈交バスに移管<ref name="80-40"/>、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管された<ref name="90-97"/>。
: 2009年5月31日限りで神奈中グループは撤退し<ref name="90-98"/>、前述の横浜・町田 - 大阪線と統合。
; 横浜・町田 - 和歌山線([[サウスウェーブ号]])
: 1989年12月22日運行開始<ref name="80-118"/>。[[和歌山バス]]との共同運行<ref name="shipan134"/>。1992年6月30日からは本厚木経由となった<ref name="80-120"/>。
: 1998年3月から神奈中が撤退し<ref name="80-40"/>、[[サウスウェーブ号|同名称の千葉線]]と統合(湘南神奈交への移管前に撤退)。
; 横浜・町田 - 広島線([[メイプルハーバー|赤いくつ号]])
: 1989年12月22日運行開始<ref name="80-118"/>。[[JRバス中国]]との共同運行<ref name="shipan132"/>。1993年11月4日からは本厚木経由となる<ref name="80-121"/>。神奈中の歴史上では最長距離の路線であった。
: 1997年10月に廃止された<ref name="80-40"/>(湘南神奈交への移管前に廃止)。
; [[岩手県交通#廃止された高速バス路線|本厚木・町田・横浜 - 盛岡線]]
: 1990年7月5日運行開始<ref name="shipan133"/>。[[岩手県交通]]との共同運行<ref name="shipan133"/>。神奈中の夜行高速バスでは初めて本厚木発着となった路線で<ref name="shipan38"/>、その後は他の夜行高速バスも本厚木を停車地に追加した。
: 検討段階から交通ジャーナリストの[[鈴木文彦]]が市場調査などで直接的に関わっており<ref name="shipan38"/>、盛岡での開業初日のテープカットでは鈴木も招待されていた<ref name="shipan38"/>。当初、岩手県側では岩手県交通と[[ジェイアールバス東北]]の2社が参入を希望したが<ref name="shipan182"/>、その後に両社間の調整で別路線への参入を条件に、ジェイアールバス東北は本路線への参入を見送ることになった<ref name="shipan182"/>。
: 他の夜行高速路線と異なり[[神奈川中央交通厚木営業所|厚木営業所]]が担当していた<ref name="shipan39"/>(他は[[神奈川中央交通横浜営業所|横浜営業所]])。車両更新時に三菱エアロクィーンIに代替されると同時に横浜営業所へ移管された(岩手県交通の車両は引き続き厚木営業所に入庫していた)。
: 2003年4月1日から[[湘南神奈交バス]]に移管された(横浜神奈交への再移管前に撤退)。
: [[2005年]][[11月30日]]限りで神奈中は撤退し、岩手県交通の単独運行となった後<ref name="bj57-16"/>、[[2016年]]3月31日に廃止された<ref name="iwateken">{{Cite web|和書|url=http://www.iwatekenkotsu.co.jp/morioka-yokohama-haishi20160401.html |title=夜行高速バス『盛岡横浜線』路線廃止のお知らせ |publisher=[[岩手県交通]] |language=日本語 |accessdate=2016-07-04}}</ref>。

==== 昼行高速バス ====
[[File:KC-UA521NAN Kanachu Hi812.jpg|thumb|right|田村車庫・本厚木 - 新横浜線の車両(ひ812)]]
[[File:神奈川中央交通バス.JPG|thumb|right|アクアラインバスとして使用された車両(さ854)]]
; 田村車庫・本厚木 - 新横浜線
: 2006年11月17日より運行開始<ref name="90-96"/>。2008年[[2月29日]]限りで廃止<ref name="90-97"/>。
; 相模大野・町田・南町田 - [[三井アウトレットパーク 木更津|三井アウトレットパーク木更津]]・[[木更津駅]]線([[東京湾アクアライン|アクアライン]]バス)
: [[小湊鉄道]]との共同運行で<ref name="outlet"/>、2012年12月13日より運行開始<ref name="outlet"/>。毎日1往復(両社が0.5往復ずつ)、朝は木更津方面、夕は相模大野・町田方面が運行される<ref name="outlet"/>。[[2017年]][[7月1日]]より[[南町田グランベリーパーク駅]]に停車<ref name="minami-machida20170701">[http://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=1349 7/1から南町田駅と空港を結ぶ路線など新たなバスアクセスが誕生] 神奈川中央交通</ref>。同年12月16日より木更津駅西口まで延長<ref>[http://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=1509 12/16より三井アウトレットパーク木更津線を延伸] 神奈川中央交通</ref>。[[2023年]][[3月26日]]をもって廃止された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder2/_6.pdf |title=【高速バス】「相模大野・町田・南町田〜三井アウトレットパーク木更津・木更津駅線」の路線廃止について |access-date=2023-02-06 |publisher=神奈川中央交通}}</ref>。
; 南町田・町田・橋本 - [[富士急ハイランド]]・[[河口湖駅]]線
: [[富士急モビリティ]](旧・[[富士急湘南バス]])との共同運行で<ref name="fujikyu"/>、[[2015年]][[8月10日]]より運行開始<ref name="fujikyu"/>。毎日1往復、朝は河口湖方面、夕は橋本・町田方面が運行される<ref name="fujikyu"/>。富士急側は2017年4月1日より[[富士急山梨バス]]から富士急湘南バス(当時)に運行移管。同年7月1日より南町田グランベリーパーク駅に停車<ref name="minami-machida20170701" />。
; 藤沢・辻堂・本厚木 - 富士急ハイランド・河口湖駅線
: 富士急モビリティ(旧・富士急湘南バス)との共同運行で<ref name="fujikyu"/>、2015年8月10日より運行開始<ref name="fujikyu"/>。毎日1往復、朝は河口湖方面、夕は本厚木・辻堂・藤沢方面が運行される<ref name="fujikyu"/>。富士急側は2017年4月1日より富士急山梨バスから富士急湘南バス(当時)に運行移管。
; 藤沢・辻堂・本厚木 - [[川越駅]]・[[本川越駅]]・[[東武バスウエスト川越営業事務所|神明町車庫]]([[首都圏中央連絡自動車道|圏央]]ライナー川越湘南線)
: 2019年3月16日より運行開始。運行開始当初は[[東武バス|東武バスウエスト]]との共同運行で、毎日2往復、朝は川越方面、夕は本厚木・辻堂・藤沢方面が運行され、両社とも同一経路で運行されていた。2020年7月18日より東武バス担当便は辻堂駅を経由せず、[[新江ノ島水族館]]・江ノ島海岸(藤沢方向のみ)・[[江ノ島駅]]経由に経路変更し、共同運行ながら神奈中と東武で一部運行経路が異なっていた。2020年11月1日より新型コロナウイルス感染拡大の影響によって運休が続いていたが、2022年9月3日の運行再開時より神奈中の単独運行(土休日1往復)となり、東武バスウエストが運行から撤退した<ref>{{Cite press release|和書|title=【高速バス】圏央ライナー川越湘南線の運行再開について|publisher=神奈川中央交通西|date=2022-8-2|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder2/HP_1.pdf|format=PDF|language=日本語|archiveurl=|accessdate=2022-8-5|archivedate=}}</ref>。2024年3月31日をもって廃止された<ref>{{Cite press release|title=高速バス 圏央ライナー川越湘南線(藤沢・辻堂・本厚木~川越・本川越・神明町車庫線)の路線廃止について|publisher=神奈川中央交通西|date=2024-2-29|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder3/_3.pdf|format=PDF|language=日本語|和書|archiveurl=|accessdate=2024-2-29|archivedate=}}</ref>。
; 相模大野・町田・南町田 - [[御殿場プレミアム・アウトレット]]/ホテルクラッド・木の花の湯線
: 2020年3月29日より運行開始。朝は御殿場方面、夕は相模大野・町田方面が運行される。[[2022年]][[3月1日]]より南町田グランベリーパーク駅に停車。2024年8月31日をもって廃止された<ref>{{Cite press release|title=高速バス 「御殿場プレミアム・アウトレット線」の路線廃止について|publisher=神奈川中央交通西|date=2024-7-31|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/eigyo2/new_folder3/_5.pdf|format=PDF|language=日本語|和書|archiveurl=|accessdate=2024-7-31|archivedate=}}</ref>。
; 相模大野・町田 - [[東京ディズニーシー]]・[[東京ディズニーランド]]([[東京ディズニーリゾート]]線)
: 京成バスとの共同運行で、2022年3月1日より運行開始。朝はディズニーリゾート方面、夕は相模大野・町田方面が運行される<ref name="Kanachu20220214">{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/somu/2022/03.01TDR.pdf|language=日本語|title=相模大野・町田から「東京ディズニーリゾート® 」への直行バスを運行します!|format=PDF|publisher=神奈川中央交通|accessdate=2022-02-14|date=2022-02-14}}</ref>。

==== 空港連絡バス ====
===== 羽田空港発着 =====
;田村車庫・本厚木発着:[[京浜急行バス]]<ref group="注釈" name="京急">運行開始当時は[[京浜急行電鉄]]。</ref> との[[共同運行]]で<ref name="80-55"/>、1999年6月14日より運行開始<ref name="80-55"/><ref group="注釈">ただし、京急車は田村車庫には乗り入れない。</ref>。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。[[大和バスストップ|東名大和バス停]]は、[[2018年]][[9月1日]]から停車<ref>{{PDFlink|[http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/2018/7.2release-yamato.pdf 9月1日より、東名大和バス停と羽田空港を結ぶ新たなバスアクセスが誕生します!]}} - 神奈川中央交通・2018年7月13日リリース</ref>。
;相模大野・町田・南町田発着:京浜急行バス<ref group="注釈" name="京急"/>との共同運行で<ref name="90-39"/>、2001年8月7日より運行開始<ref name="90-92"/>。2017年7月1日より一部便が南町田グランベリーパーク駅に停車<ref name="minami-machida20170701" />。
;戸塚・港南台発着:神奈中側では[[横浜神奈交バス]](現:神奈川中央交通)が運行を担当、京浜急行バス<ref group="注釈" name="京急"/>との共同運行で<ref name="90-39"/>、2003年7月18日より運行開始<ref name="90-93"/>。当初は港南台駅発着のみであったが、2004年12月1日より一部便が戸塚駅東口まで延長<ref name="90-94"/>。2015年4月より一部便が東戸塚駅東口・上永谷駅に停車。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、2021年5月20日から全便運休となったが、運行再開をせずに[[2022年]][[2月28日]]限りで廃止。2021年5月19日が事実上の最終運行日となった。
;海老名発着:京浜急行バス・[[相鉄バス]]との共同運行<ref name="br131-86"/>。2012年3月30日より運行開始<ref name="br131-86"/>。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、2020年9月1日から全便運休となったが、運行再開をせずに共同運行便も含めて[[2024年]][[5月31日]]限りで廃止<ref>{{Cite web |url=https://www.sotetsu.co.jp/news/bus/info-bus-2024-05-24-02/ |title=一部減便ダイヤの終了および各種変更について |access-date=2024-6-1 |publisher=相鉄バス |date=2024-5-24 |archive-date=2024-5-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240525042008/https://www.sotetsu.co.jp/news/bus/info-bus-2024-05-24-02/}}</ref>。2020年8月31日が事実上の最終運行日となった<ref>{{Cite web |url=https://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=3&tid=683 |title=空港リムジンバス・高速バスの運行状況について(運休情報あり) |access-date=2024-6-1 |publisher=神奈川中央交通 |date=2024-4-1 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240514230848/https://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=3&tid=683 |archive-date=2024-5-14}}</ref>。

===== 成田空港発着 =====
[[ファイル:Kanachu hi852 air-express-saloon.jpg|thumb|right|田村車庫・本厚木-成田空港線の車両(ひ852)]]
;橋本・相模大野・町田・南町田発着:[[京成バス]]<ref group="注釈" name="京成">運行開始当時は[[京成電鉄]]。</ref> との共同運行で<ref name="80-55"/>、2000年6月20日より運行開始<ref name="80-55"/>。当初は[[相模大野駅]]・[[町田バスセンター]]発着であったが、2004年12月16日より一部便が[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]南口まで延長<ref name="90-94"/>。神奈中側は2016年8月16日より一部を湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。2017年7月1日より一部便が南町田グランベリーパーク駅に停車<ref name="minami-machida20170701" />。
;田村車庫・本厚木発着:京成バス<ref group="注釈" name="京成"/>との共同運行で<ref name="80-127"/>、2001年6月14日より運行開始<ref name="90-92"/>。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バスに運行移管。
;茅ヶ崎・藤沢・戸塚発着:成田空港交通との共同運行で<ref name="90-39"/>、2007年3月22日より運行開始<ref name="90-96"/>。当初は[[辻堂駅]]・[[藤沢駅]]・[[戸塚バスセンター]]発着であったが、2009年3月1日より茅ケ崎駅まで延長<ref name="90-98"/>。2016年4月1日より京成バス運行便が[[成田空港交通]]に移管された。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。2016年10月1日より成田空港交通の単独運行化。

=== 貸切バス ===
[[ファイル:KL-MP35JM Kanachu A501 KonicaMinolta.jpg|thumb|right|契約貸切車の例(あ501)]]
{{main|神奈中観光}}
神奈川中央乗合自動車が発足した後、戦後1948年7月には貸切バス事業を再開している<ref name="br68-52"/>。その後も事業区域の拡大が進められたが<ref name="bj57-22"/>、1960年代以降は貸切バス台数の増強は控え<ref name="bj57-22"/>、帰省バスやスキー・スケートなどの需要拡大を強化する方向性となった<ref name="bj57-22"/>。

1995年7月には一部を除いて[[神奈中ハイヤー]]に貸切バス事業を譲渡<ref name="bj57-26"/>(現在は[[神奈中観光]])し、その後は企業の送迎などに使用される契約貸切や<ref name="br68-56"/>、路線バス車両を使用した貸切営業<ref name="br68-55"/> に限られている。
{{-}}

=== 特定旅客事業 ===
[[ファイル:PDG-LV234N2 Kanachu A303 Taito.jpg|thumb|right|特定バスに使用される車両の例(あ303)]]

神奈中の特定旅客事業(特定バス)は、1975年に[[東京都教育委員会]]の[[特別支援学校|養護学校]][[スクールバス]]運行を受託したことが始まりである<ref name="bj57-22"/>。その後、企業送迎や学校スクールバスの自家用車両の代替に着目し<ref name="bj57-22"/>、再雇用者によるコスト低減や運行計画・車体デザインの受け入れ態勢などを整備した上で<ref name="bj57-23"/>、専用のパンフレットまで作成してセールスを行った<ref name="mirai2-287"/>。この結果、顧客が大幅に拡大し、神奈中の事業の柱の1つにまでなった<ref name="bj57-23"/>。

他の事業に使用される車両と異なり、特定輸送バス事業における車種や車両仕様、外装デザインはさまざまであるが<ref name="bj57-28"/>、これは特定輸送は顧客の要望が反映されるためである<ref name="br68-56"/>。例としては、着手のきっかけとなった東京都教育委員会のスクールバスにおいて、他の地区にあわせて[[東京都交通局]]の貸切バス塗装が施されていた事例や<ref name="bj6-8"/>、伊勢原営業所の福祉施設送迎用車両で[[三菱・デリカスペースギア|三菱デリカスペースギア4WD]](定員6名・リフトつき)が採用されていた事例<ref name="br68-63"/> などが挙げられる。
{{-}}


== 営業所・操車所 ==
== 営業所 ==
営業所名後ろの括弧内の平仮名及び英字は営業所を略記する際の記号。個別の路線については各営業所及び操車所の項目を参照のこと。
営業所名後ろの括弧内の平仮名及び英字は営業所を略記する際の記号。個別の路線については各営業所及び操車所の項目を参照のこと。
<!--独立した営業所から操車所へと変更になった車庫は、営業所と同じ扱いで段を下げずに並べています-->
<!--独立した営業所から操車所へと変更になった車庫は、営業所と同じ扱いで段を下げずに並べています-->
* [[神奈川中央交通厚木営業所|厚木営業所]]('''''') - [[神奈川県]][[厚木市]]
; 神奈川中央交通
* [[神奈川中央交通綾瀬営業所|綾瀬営業所]]('''''') - [[神奈川県]][[綾瀬市]]
** 厚木営業所下荻野操車所 - 同上
** 厚木営業所上荻野操車所 - 同上
* [[神奈川中央交通伊勢原営業所|伊勢原営業所]]('''い''') - 神奈川県[[伊勢原市]]
* [[神奈川中央交通伊勢原営業所秦野操車所|伊勢原営業所秦野操車所]]('''は''') - 神奈川県[[秦野市]]
* [[神奈川中央交通相模原営業所|相模原営業所]]('''さ''') - 神奈川県[[相模原市]][[南区 (相模原市)|南区]]
** 相模原営業所峡の原操車所 - 神奈川県相模原市[[緑区 (相模原市)|緑区]]
* [[神奈川中央交通相模原営業所三ヶ木操車所|相模原営業所三ヶ木操車所]]('''つ''') - 神奈川県相模原市緑区
** 相模原営業所城山操車所 - 神奈川県相模原市緑区
* [[神奈川中央交通綾瀬営業所|綾瀬営業所]]('''せ''') - 神奈川県[[綾瀬市]]
* [[神奈川中央交通多摩営業所|多摩営業所]]('''た''') - [[東京都]][[八王子市]]
* [[神奈川中央交通多摩営業所|多摩営業所]]('''た''') - [[東京都]][[八王子市]]
* [[神奈川中央交通茅ヶ崎営業所|茅ヶ崎営業所]]('''ち''') - 神奈川県[[茅ヶ崎市]]
* [[神奈川中央交通茅ヶ崎営業所|茅ヶ崎営業所]]('''ち''') - 神奈川県[[茅ヶ崎市]]
* [[神奈川中央交通茅ヶ崎営業所藤沢操車所|茅ヶ崎営業所藤沢操車所]]('''''') - 神奈川県[[藤沢市]]
* [[神奈川中央交通戸塚営業所|戸塚営業所]]('''''') - 神奈川県[[横浜]][[泉区 (横浜市)|泉区]]
* [[神奈川中央交通戸塚営業所|戸塚営業所]]('''''') - 神奈川県横浜市[[泉区 (横浜)|泉区]]
* [[神奈川中央交通町田営業所|町田営業所]]('''''') - 東京都[[町田]]<ref group="注釈">2022年10月15日までは、グループ会社の[[小田急バス新百合ヶ丘営業所|小田急バス町田営業所]]が隣接していた(翌16日に新百合ヶ丘営業所に移転)。</ref>
* [[神奈川中央交通平塚営業所|平塚営業所]]('''''') - 神奈川県[[平塚市]]
* [[神奈川中央交通中山営業所|中山営業所]]('''''') - 神奈川県横浜市[[旭区 (横浜)|旭区]]
** 平塚営業所八幡操車所 - 神奈川県平塚市
* [[神奈川中央交通町田営業所|町田営業所]]('''ま''') - 東京都[[町田市]]
* [[神奈川中央交通大和営業所|大和営業所]]('''や''') - 神奈川県[[大和市]]
** 大和営業所中山操車所 - 神奈川県横浜市[[緑区 (横浜市)|緑区]]
* [[神奈川中央交通横浜営業所|横浜営業所]]('''よ''') - 神奈川県横浜市[[栄区]]
* [[神奈川中央交通横浜営業所|横浜営業所]]('''よ''') - 神奈川県横浜市[[栄区]]
* [[神奈川中央交通横浜営業所舞岡操車所|横浜営業所舞岡操車所]]('''お''') - 神奈川県[[横浜市]][[戸塚区]]
* [[神奈川中央交通舞岡営業所|舞岡営業所]]('''お''') - 神奈川県横浜市[[戸塚区]]
; 神奈川中央交通東
* [[神奈川中央交通東・厚木営業所|厚木営業所]]('''あ''')・[[神奈川中央交通東・厚木営業所|厚木北営業所]]('''き''') - 神奈川県[[厚木市]]
* [[神奈川中央交通東・相模原営業所|相模原営業所]]('''さ''') - 神奈川県[[相模原市]][[南区 (相模原市)|南区]]
* [[神奈川中央交通東・橋本営業所|橋本営業所]]('''も''') - 神奈川県相模原市[[緑区 (相模原市)|緑区]]
* [[神奈川中央交通東・藤沢営業所|藤沢営業所]]('''ふ''') - 神奈川県[[藤沢市]]
* [[神奈川中央交通東・大和営業所|大和営業所]]('''や''') - 神奈川県[[大和市]]
; 神奈川中央交通西
* [[神奈川中央交通西・伊勢原営業所|伊勢原営業所]]('''い''') - 神奈川県[[伊勢原市]]
* [[神奈川中央交通西・秦野営業所|秦野営業所]]('''は''') - 神奈川県[[秦野市]]
* [[神奈川中央交通西・津久井営業所|津久井営業所]]('''つ''') - 神奈川県相模原市緑区
* [[神奈川中央交通西・平塚営業所|平塚営業所]]('''ひ''') - 神奈川県[[平塚市]]


=== 受託事業所 ===
=== 廃止・改称・移管された営所・操車所 ===
* [[川崎市バス菅生営業所]] ('''M''')- 神奈川県[[川崎市]][[宮前区]]
* [[神奈中央交通横浜営業所|弘明寺営業所]] - 神奈川県横浜市([[1954年]][[12月21日]]に移転の上横浜営業所に改称<ref name="60-74"/>)
* [[神奈川中央交通相模原営業所|上溝営業所]] - 神奈川県相模原市([[1958年]][[9月22日]]に移転の上相模原営業所に改称<ref name="60-94"/>)
* [[神奈川中央交通厚木営業所|厚木営業所半原操車所]] - 神奈川県[[愛甲郡]][[愛川町]]([[1982年]][[5月16日]]廃止<ref name="70-165"/>)
* 藤沢営業所長後操車所 - 神奈川県藤沢市(現 長後駅前サービスセンター。[[1988年]][[12月24日]]廃止。営業所機能は綾瀬営業所に移行<ref name="70-71"/>)
<!--該当する記述が出典元にありませんでした。出鱈目な情報は書かないでください|藤沢営業所用田操車所 - 神奈川県綾瀬市(1988年[[12月24日]]廃止。営業所機能は綾瀬営業所に移行<ref name="70-71"/>)-->
* 横浜営業所笹下操車所 - 神奈川県横浜市[[港南区]]([[2001年]][[12月16日]]廃止<ref name="90-92"/>。営業所機能は管轄の本郷操車所に移転)
* 神奈中ハイヤー観光バス 新横浜営業所 - 神奈川県横浜市港北区(2004年廃止)
** 元は県の第三セクター'''神奈川県観光'''の営業所。同じ神奈中ハイヤー観光バス(当時)の平塚・町田・戸塚営業所へ統合し廃止。詳細は[[神奈中観光]]を参照。
* [[神奈川中央交通茅ヶ崎営業所藤沢操車所|藤沢営業所]] - 神奈川県藤沢市(2005年4月16日に茅ヶ崎営業所へ統合し廃止、操車所化<ref name="90-95"/>)
* [[神奈川中央交通相模原営業所三ヶ木操車所|津久井営業所]] - 神奈川県[[津久井郡]][[津久井町]](2005年4月16日に相模原営業所へ統合し廃止、操車所化<ref name="90-95"/>)
** 津久井営業所城山操車所 - 神奈川県津久井郡[[城山町 (神奈川県)|城山町]](2005年4月16日に相模原営業所に移管<ref name="90-95"/>)
* 神奈中観光 戸塚営業所 - 神奈川県横浜市戸塚区(2006年廃止)
** 先立った小田急グループ内の事業再編で、2002年に旧・箱根登山観光バス東京営業所を統合し、野津田車庫から旧箱根登山観光の車庫へ移転していた当時の神奈中観光'''町田営業所'''(町田市鶴間。現・東京営業所)と2006年に統合し廃止。詳細は[[神奈中観光]]を参照。なお、現在も車庫は現存し、神奈川中央交通戸塚営業所'''上矢部休憩所'''として休憩や待機で使用している。
* [[神奈川中央交通伊勢原営業所秦野操車所|秦野営業所]] - 神奈川県秦野市(2008年5月16日に伊勢原営業所へ統合し廃止、操車所化<ref name="90-97"/>)
* 神奈中観光 平塚営業所 - 神奈川県平塚市(2008年改称。現在の神奈川営業所)
* 神奈中観光 町田営業所 - 東京都町田市(2008年改称。現在の東京営業所)
* [[神奈川中央交通舞岡営業所|舞岡営業所]] - 神奈川県横浜市戸塚区(2011年10月16日に横浜営業所へ統合し廃止、操車所化)
前述の藤沢・津久井・秦野・舞岡については、子会社への全面委託化に伴う'''操車所'''化であり、それぞれ神奈交バスの営業所として現存していた。
また、事業再編の項での先述通り、舞岡については2017年の事業再編で再び神奈川中央交通の営業所となった。


以下は2006年12月まで存在した神奈交時代の営業所一覧で、記号は当時の各神奈交の自社所有車両に使用された(受託車両には用いない)。なお、所在地に併記した営業所名は、各神奈交の営業所が所在する神奈中本体の営業所・操車所を表す。
=== 廃止された営業所・操車所 ===
* [[湘南神奈交バス]]('''か''')
<!--単純な移転の場合は含めていない。-->
* [[神奈川中央交通横浜営業所|弘明寺営業所]] - 神奈川県横浜市([[1954年]][[12月21日]]廃止
** [[神奈川中央交通平塚営業所|平塚営業所]] - 神奈川県平塚市(平塚営業所田村操車所
* [[神奈川中央交通相模原営業所|上溝営業所]] - 神奈川県相模原市([[1958年]][[9月22日]]廃止
** [[神奈川中央交通伊勢原営業所秦野操車所|秦野営業所]] - 神奈川県秦野市(伊勢原営業所秦野操車所
* [[藤沢神奈交バス]]('''FK''')
* [[神奈川中央交通厚木営業所|厚木営業所半原操車所]] - 神奈川県[[愛甲郡]][[愛川町]]([[1982年]][[5月16日]]廃止)
* 藤沢営業所長後操車所 - 神奈川県藤沢市([[1988年]][[12月24日]]廃止
** [[神奈川中央交通大和営業所|大和営業]] - 神奈川県大和市(大和営業所鶴間操車所
* 藤沢営業所用田操車所 - 神奈川県綾瀬市(同上
** [[神奈川中央交通茅ヶ崎営業所藤沢操車所|藤沢営業所]] - 神奈川県藤沢市(茅ヶ崎営業所藤沢操車所
* [[相模神奈交バス]]('''SK''')
* 横浜営業所笹下操車所 - 神奈川県横浜市[[港南区]]([[2001年]][[12月16日]]廃止。営業所機能は管轄の本郷操車所に移転)
* [[神奈川中央交通茅ヶ崎営業所藤沢操車所|藤沢営業所]] - 神奈川県藤沢(2005年4月16日廃止
** [[神奈川中央交通相模原営業所|相模原営業所]] - 神奈川県相模原緑区(相模原営業所峡の原操車所
* [[神奈川中央交通相模原営業所三ヶ木操車所|津久井営業所]] - 神奈川県[[津久井郡]]津久井町上)
** [[神奈川中央交通厚木営業所|厚木営業所]] - 神奈川県厚木市厚木営業所荻野操車所
** 津久井営業所城山操車所 - 神奈川県津久井郡城山町(同上
** [[神奈川中央交通町田営業所|町田営業]] - 東京都田市町田営業所
* [[津久井神奈交バス]]('''T-''')
* [[神奈川中央交通伊勢原営業所秦野操車所|秦野営業所]] - 神奈川県秦野市(2008年5月16日廃止)
* [[神奈川中央交通舞岡営業所|舞岡営業所]] - 神奈川県横浜戸塚(2011年10月16日廃止
** [[神奈川中央交通相模原営業所三ヶ木操車所|津久井営業所]] - 神奈川県相模原(相模原営業所三ヶ木操車所
*** 津久井営業所城山操車所 - 神奈川県相模原市緑区(相模原営業所城山操車所)
* [[横浜神奈交バス]]('''YK''')
** [[神奈川中央交通舞岡営業所|舞岡営業所]] - 神奈川県横浜市戸塚区(横浜営業所舞岡操車所)
** [[神奈川中央交通大和営業所|中山営業所]] - 神奈川県横浜市緑区(大和営業所中山操車所)


=== 営業所の変遷 ===
なお、上記のうち藤沢営業所(現・茅ヶ崎営業所藤沢操車所)及び津久井営業所・城山操車所(現・相模原営業所三ヶ木操車所・城山操車所)は、2005年4月16日よりそれぞれ藤沢神奈交バス藤沢営業所及び津久井神奈交バス津久井営業所に、秦野営業所(現・伊勢原営業所秦野操車所)は2008年5月16日より湘南神奈交バス秦野営業所に、舞岡営業所(現・横浜営業所舞岡操車所)は2011年10月16日より横浜神奈交バス舞岡営業所に完全委託された。これにより、神奈川中央交通本体としての営業所機能は廃止された。営業所と操車所の違いについては以下を参照のこと。
統合により神奈川中央乗合自動車が発足した1944年6月16日の時点では、以下の営業所が存在した。
; 東海道乗合自動車の営業所:弘明寺<ref name="60-74"/>・戸塚<ref name="60-78"/>・平塚<ref name="60-84"/>・中野<ref name="60-92"/>・町田<ref name="60-98"/>
; 旧・藤沢自動車の営業所:藤沢<ref name="60-80"/><ref group="注釈">戦時中から1948年8月までは事業を中断していた([[#60年史|『神奈川中央交通六十年史』 p.80]])</ref>・茅ヶ崎<ref name="60-82"/>・厚木<ref name="60-90"/>
; 旧・秦野自動車の営業所:秦野<ref name="60-86"/>
; 旧・伊勢原自動車の営業所:伊勢原<ref name="60-88"/>
その後、同年9月16日には茅ヶ崎営業所を平塚営業所に統合した<ref name="60-82"/> ほか、相模鉄道のバス事業譲り受けに伴い、同年11月28日に上溝営業所が発足している<ref name="60-94"/>。


戦後、1952年2月23日に鶴間営業所が開設された<ref name="60-96"/> ことに伴い、町田営業所は鶴間営業所の出張所となった<ref name="60-98"/>。1954年には弘明寺営業所の業務を横浜市南区笹下町に新設された横浜営業所に移転<ref name="60-131"/>、1958年6月25日には町田営業所が開設され<ref name="60-98"/>、逆に鶴間営業所は町田営業所の出張所となった<ref name="60-96"/>。同年9月22日には、上溝営業所が移転の上相模原営業所に改称している<ref name="60-94"/>。1960年には中野営業所を津久井営業所に改称した<ref name="60-132"/>。
=== 営業所と操車所の違いについて ===
神奈川中央交通の車庫には、乗車券類の取り扱いなどの業務内容や各神奈交バスへの委託状況などにより、営業所・操車所の名称が使い分けられる。基本的に、神奈川中央交通が乗車券類の販売業務を行っている場合は'''営業所'''、各神奈交バスが乗車券類の販売業務を行っている(神奈交バスの営業所に業務を全面委託している)場合、もしくは一切の乗車券類などの販売業務を行っていない場合は、'''操車所'''であると考えてよい。但し、「営業所」であっても車庫が複数存在する場合は、それぞれの車庫自体の別称として操車所が使用される場合もある(厚木営業所の例:松蓮寺操車所・下荻野操車所・上荻野操車所)。


1960年代以降、輸送力の増強に伴う車両の増加に対応するために、営業所を郊外へ新設や移転を行い、同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた<ref name="bj57-22"/>。まず1962年には厚木営業所上荻野出張所(当時)・戸塚営業所長後出張所(当時)が開設され<ref name="60-132"/>、翌1963年4月20日には戸塚営業所を戸塚駅前から郊外(横浜市戸塚区中田町、現 立場ターミナル停留所)に移転<ref name="50-63"/>、同年5月10日には舞岡営業所が新設されたほか<ref name="60-133"/>、1963年12月25日には横浜営業所本郷出張所が竣工<ref name="60-133"/>、1964年8月15日には平塚営業所から分離して<ref name="50-63"/> 茅ヶ崎営業所が設立された<ref name="60-133"/>。なお、命令系統の明確化を目的として<ref name="50-63"/>、1962年以降は各営業所は運輸部所属部門から社長直轄の事業所に変更された<ref name="50-63"/>。
なお、バス停の名称などに使用される事が多い“車庫の名称”は、周辺の地名からとられる場合もあり、営業所や操車所の名称と違う場合が多い(例: 町田営業所は「野津田車庫」、藤沢操車所は「高山車庫」、秦野操車所は「高砂車庫」など)。


1965年に車両数が1000台を超えると、さらに郊外への移転が進められた。1966年6月10日に秦野営業所が移転<ref name="60-133"/>、1968年には平塚営業所田村操車所が竣工<ref name="60-134"/>、1969年には町田営業所が移転<ref name="60-134"/>、1970年には町田営業所から鶴間操車所が分離して大和営業所が発足<ref name="60-20"/>、1971年には相模原営業所峡の原車庫が開設され<ref name="60-135"/>、1972年には厚木営業所も移転した<ref name="60-136"/>。1973年には貸切業務が平塚・戸塚の2営業所に統合された<ref name="60-34"/> ほか、戸塚営業所長後操車所を藤沢営業所に<ref name="60-34"/>、津久井営業所の橋本操車所を相模原営業所へそれぞれ移管した<ref name="60-34"/>。
== 神奈交バス・神奈中観光 ==
* [[湘南神奈交バス]](か)
* [[藤沢神奈交バス]](FK)
* [[相模神奈交バス]](SK)
* [[津久井神奈交バス]](T)
* [[横浜神奈交バス]](YK)
* [[神奈中観光]](東京営業所:M、神奈川営業所:H)


1988年12月24日からは藤沢営業所から分離するかたちで<ref name="70-71"/> 綾瀬市吉岡に綾瀬営業所が開設され<ref name="70-70"/>、藤沢営業所長後操車所は廃止された<ref name="70-71"/>。2001年7月29日には多摩営業所が開設された<ref name="80-75"/>。
== 高速路線 ==
=== 他社運行路線 ===
以下の他社運行の路線は、かつて同社→グループ会社を経て運行してきた。路線自体存続しているが、同社では予約・発券業務のみを担当している。


2005年4月16日からは、藤沢営業所は茅ヶ崎営業所藤沢操車所に<ref name="90-95"/>、津久井営業所・城山操車所2005年4月16日よりそれぞれ相模原営業所三ヶ木操車所・相模原営業所城山操車所)に<ref name="90-95"/>、秦野営業所は2008年5月16日より伊勢原営業所秦野操車所に<ref name="90-97"/>、舞岡営業所は2011年10月16日より横浜営業所舞岡操車所に変更された。各地区の神奈交バスへの全面的な管理委託が行われたことによるもので、神奈川中央交通本体としての営業所機能は廃止された。
==== [[岩手県交通#盛岡 - 横浜線|盛岡 - 横浜線]] ====
※:[[岩手県交通]]が運行。
; 概説
本路線は鉄道では直行できない[[岩手県]]と神奈川県を結ぶ路線である。当初は岩手県交通と[[ジェイアールバス東北]]の2社が参入を希望したが、その後両社間の調整で別路線への参入を条件にジェイアールバス東北は本路線への参入を見送る事になった<ref>鈴木文彦『新版・高速バス大百科』p182</ref>。検討段階から交通ジャーナリストの[[鈴木文彦]]が市場調査などで直接的に関わっており<ref name="shipan38">鈴木文彦『新版・高速バス大百科』p38</ref>、盛岡での開業初日のテープカットでは鈴木も招待されていた<ref name="shipan38"/>。


その後[[2017年]][[1月1日]]の会社再編により神奈交バス5社は消滅し、次の通り再編された。
運行開始当初は'''神奈川中央交通'''(神奈中)との[[共同運行]]を行っていた。神奈川中央交通の夜行高速バスでは初めて[[本厚木駅]]発着となった路線で、その後神奈中の他の夜行高速バスも本厚木を停車地に追加した。後に神奈中より[[湘南神奈交バス]]に運行を移管されたが、[[2005年]]([[平成]]17年)[[11月30日]]をもって撤退し、現在は予約・発券業務のみ受託している。
* 旧'''横浜神奈交バス'''の営業所:[[神奈川中央交通舞岡営業所|舞岡(横浜営業所舞岡操車所)]]・[[神奈川中央交通中山営業所|中山(大和営業所中山操車所)]]を神奈川中央交通に移管<ref group="注釈" name="再編舞岡">舞岡営業所は神奈川中央交通の営業所に復帰した。</ref>。
* 旧'''相模神奈交バス'''の営業所:相模原(相模原営業所峡の原操車所)・厚木(厚木営業所上荻野操車所)を神奈川中央交通'''東'''に移管しそれぞれ[[神奈川中央交通東・橋本営業所|橋本営業所]]・[[神奈川中央交通東・厚木営業所|厚木'''北'''営業所]]に名称を変更し、[[神奈川中央交通町田営業所|町田]]は神奈川中央交通の営業所に一本化された。
* 旧'''藤沢神奈交バス'''の営業所:[[神奈川中央交通東・藤沢営業所|藤沢(茅ヶ崎営業所藤沢操車所)]]・[[神奈川中央交通東・大和営業所|大和]]を神奈川中央交通'''東'''に移管<ref group="注釈" name="再編大和1">大和営業所については、この時点では旧藤沢神奈交バスの営業所(現在の大和営業所鶴間操車所)のみ神奈川中央交通東に移管された。</ref>。
* 旧'''湘南神奈交バス'''の営業所:[[神奈川中央交通西・平塚営業所|平塚(伊勢原営業所平塚操車所)]]・[[神奈川中央交通西・秦野営業所|秦野(伊勢原営業所秦野操車所)]]を神奈川中央交通'''西'''に移管。
* 旧'''津久井神奈交バス'''の営業所:[[神奈川中央交通西・津久井営業所|津久井(相模原営業所三ヶ木操車所・城山操車所)]]を神奈川中央交通'''西'''に移管。


また、上記の再編に続き[[2017年]][[12月16日]]には、神奈川中央交通の営業所であった[[神奈川中央交通東・相模原営業所|相模原]]・[[神奈川中央交通東・厚木営業所|厚木]]・[[神奈川中央交通東・大和営業所|大和]]の各営業所が神奈川中央交通'''東'''に移管された<ref group="注釈" name="再編大和2">この際に大和営業所は神奈川中央交通東の営業所に一本化されたが、旧神奈川中央交通の営業所と旧藤沢神奈交バスの営業所(2017年1月1日付で神奈川中央交通東に移管済)では営業所の名称が異なる体制となり、前者は単に「大和営業所」であるが後者は「大和営業所'''鶴間操車所'''」となった。</ref>。[[2019年]][[4月1日]]には、神奈川中央交通の営業所であった[[神奈川中央交通西・伊勢原営業所|伊勢原営業所]]が神奈川中央交通'''西'''に移管された。
'''全席指定制'''([[学生割引]]運賃設定あり)
* [[本厚木駅]] - [[町田バスセンター]] - [[横浜駅]]東口 ⇔ [[北上駅]]前(西口) - 総合福祉センター前 - 花巻上町 - [[花巻駅]]前 - [[都南バスターミナル]] - [[盛岡駅]]東口 - [[盛岡バスセンター]]


なお、2009年6月からは、それまで社長直轄事業所であった各営業所は、運輸営業部に所属する部門に変更された<ref name="90-35"/>。
; 使用車両
[[File:P-MS729SA Kanachu A701 for Morioka.jpg|thumb|180px|right|神奈川中央交通の運行開始当初の車両(三菱ふそう・エアロクィーンM)]]
独立3列シート便所付きのスーパーハイデッカーが使用される。


各営業所の特徴として、乗務員の休憩室と事務室の仕切りがなく<ref name="mirai2-283"/>、事務員が多忙の際には休憩中の乗務員が外部からの問い合わせ電話を受けることもある<ref name="mirai2-283"/> という点が挙げられる。
運行開始当初の岩手県交通は[[いすゞ・スーパークルーザー|いすゞスーパークルーザー]]を使用していた。当時の岩手県交通の夜行高速バス車両は、らくちん号(現:[[ドリーム盛岡 (らくちん) 号]])に使用されていた車両が乗客定員27名となっており、本路線のために乗客定員29名とした車両が専用車として運行されていた。


== 運賃・乗車券類 ==
運行開始当初の神奈中は[[三菱ふそう・エアロエース|三菱エアロクィーンM]]が使用されていた。神奈中は他の路線と異なり[[神奈川中央交通厚木営業所|厚木営業所]]が担当していたが、車両更新時には三菱エアロクィーンIに代替されると同時に[[神奈川中央交通横浜営業所|横浜営業所]]に移管された(岩手県交通の車両は引き続き神奈中厚木営業所に入庫)。さらに湘南神奈交バスに移管された後、[[2005年]](平成17年)の撤退時に岩手県交通に譲渡され、塗装変更の上本路線で使用されている。
* かなちゃん手形
** 69歳以上の利用者限定で購入でき、手形を呈示することで一般路線バスを本来の運賃に関係なく1乗車100円(深夜バスは200円)で利用できる。3か月3,500円、6か月5,900円、1年10,800円である。当初は65歳以上としていたが、2022年3月10日発売分より69歳以上に対象年齢が引き上げられた。
* 一日フリー乗車券
** 神奈川中央交通グループの一般路線バスが乗り放題になるフリー乗車券で、当日のみ使用可能。PASMOまたはSuicaを利用し、バス車内でのみ発売。大人1,050円、小児530円。かつてはスクラッチ式(2011年12月31日販売終了)、磁気券(2022年2月28日販売終了)も存在した。


== 障害者割引 ==
岩手県交通の単独運行になってからは、エアロクィーンI・スーパークルーザーの他、日産ディーゼル・スペースウイングが使用される。
* [[身体障害者手帳]]・[[療育手帳]]
** 現金・ICは5割引、定期券は3割引、[[スマートフォン]][[アプリ]]「ミライロID」等を提示)した場合、本人と介護人に対してそれぞれ割引運賃が適用される。
** IC運賃を障がい者用[[ICカード]]で支払う場合、手帳の提示は不要。
* [[精神障害者保健福祉手帳]]
** 精神障害者保健福祉手帳(写真付)を提示(スマートフォンアプリ「ミライロID」等の提示も含む)し、かつ乗車降車ともに本人に限り5割引の運賃が適用される。
** 但し、東京都発行の手帳及び、東京都内での利用に限る(本社がある神奈川県及び山梨県において、東京都民以外の人は障害者割引が利用出来ないので注意が必要である)。


== 車両 ==
==== [[やまと号#奈良~千葉線|『やまと号』奈良~千葉線]] ====
本節では便宜上、大型車のうち全長が10.5mから10.9mの車両を「標準尺車」、全長が9mから10.5m未満の車両を「短尺車」、全長11m級の車両を「長尺車」と標記する。
※:[[奈良交通]]・[[京成バス]]との共同運行。<br/>
=== 車両史 ===
''[[やまと号#奈良~千葉線|当該記事]]を参照。''
==== 創業期の車両 ====
神奈中の前身となる事業者の1つである鶴屋商会では、[[フォード・モーター|フォード]]や[[ビュイック]]、[[レオ・モーター・カー・カンパニー|レオ]]などの輸入車両が使用された記録が残っている<ref name="br68-53"/>。


==== 戦時中から終戦直後 ====
==== [[ハーバーライト号]]・横浜昼特急大阪号 ====
1940年10月になると、石油消費規制が強化されたことに伴い、保有車両の7割が[[木炭自動車|代用燃料化]]された<ref name="50-15"/>。さらに、1941年8月には液体燃料配給停止の措置がとられたため、保有車両の全車両が代用燃料化されることになった<ref name="50-15"/>。
※:[[西日本ジェイアールバス|西日本JRバス]]が運行。<br/>
''[[ハーバーライト号|当該記事]]を参照。''


当初は代用燃料は木炭と薪が使用されていた。神奈川県内では清川村が良質の木炭の産地であった<ref name="50-26"/>。地元民からは「木炭を特別に配給するからダイヤの完全運行をしてほしい」という依頼もあったという<ref name="50-26"/>。ところが、1945年に入ると県内産木炭の入荷が途絶え<ref name="50-26"/>、やむを得ず福島県から鉄道輸送によって木炭を入手することになった<ref name="50-26"/>。しかし、神奈川県産の木炭と比べるとガス発生量は少なかったという<ref name="50-26"/>。その福島県産の木炭さえも入手が難しくなり、最終的にはほぼ薪に頼る状態となった<ref name="50-26"/>。
=== 廃止・撤退路線 ===
* [[やまと号#奈良~横浜線|『やまと号』横浜~奈良線]] - [[やまと号#奈良~横浜線|同名称の千葉線]]に系統統合(予約・発券業務は継続)。
* [[サウスウェーブ号]]横浜線 - 同名称の千葉線に系統統合。
* [[メイプルハーバー|赤いくつ号]](横浜~広島線)


薪については、代用燃料導入当初は、ガス発生にも適する状態のよく乾燥された良質の薪が入手できていたが<ref name="50-27"/>、1944年頃からは乾燥が不十分な状態のままで入荷することになった<ref name="50-27"/>。薪の産地は丹沢の森林地帯で<ref name="50-27"/>、トラックや座席を撤去したバスで足柄上郡三保村まで直接取りに行っていたという<ref name="50-27"/>。終戦直後になると、薪の加工工場の生産能力が間に合わず、1946年には渋沢に薪生産工場を設けて自社生産を行った<ref name="50-27"/>。
== 車両 ==
=== 概説 ===
一般路線用は[[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]]製が約80%、[[いすゞ自動車]]製が約15%を占める。[[日野自動車]]製は[[コミュニティバス]]やそれに準ずる路線では[[日野・リエッセ|リエッセ]]や[[日野・レインボー|レインボー]]が主力となっているものの、大型車は舞岡配備のハイブリッド車を除けば伊勢原に集中配備となっている。さらに[[UDトラックス|日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)]]製は厚木、秦野、平塚の3営業所にごくわずかが配備されているに過ぎず、ここ数年の新規導入は厚木・秦野のみである。系列会社籍の高速・観光バスはいすゞ製が若干存在するものの、三菱ふそう製にほぼ限定されていると言ってもよい状態である。


燃料以外の保守部品も不足しており、エンジンオイルは鉱物油・植物油・魚油を混合したものを使用し<ref name="50-27"/>、しかも一度使用したオイルは再生の上配給に回された<ref name="50-27"/>。窓ガラスが破れた場所には板が張られ<ref name="50-27"/>、雨漏りの補修もままならず<ref name="50-28"/>、雨の日には車内で乗客が破れた傘をさしている光景も見られたという<ref name="50-28"/>。
この様に、巨大事業者でありながらいびつな構成になっているのは、[[1980年代]]半ばに神奈川三菱ふそう自動車販売が傘下となったためで、従来は4社のバランスをとって新車を導入していたものが、[[1984年]]([[昭和]]59年)頃を境に、いすゞの拠点である藤沢市周辺地域を除くと三菱ふそう車が集中投入される下地となった。その結果、町田営業所や横浜営業所の様に三菱ふそう車でほぼ統一されている営業所も存在する(詳細については各営業所毎の解説を参照されたい)。なお、[[2004年]](平成16年)以降は日産形低公害車の実証実験を厚木営業所が担当する事となり、[[尿素SCRシステム|尿素SCR]]ステーションを設置した関係から日産ディーゼル車が継続的に配備され、[[2009年]](平成21年)[[2月28日]]現在で41台在籍、稼動車の30%程度にまで比率が上がっている。


なお、空襲を避けるため、横浜市内の路線を担当する戸塚営業所では全車両に装甲車に見えるようなカムフラージュを施して営業していたという<ref name="50-26"/>。
ボディはいすゞ製を除けば各社純正ボディ車(三菱ふそうは伝統的に呉羽製<ref>ただし、高速路線車および貸切車(一部を除く)では三菱ふそうバス製造に一本化されるまでは当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製で導入していた。</ref>)を採用していたが、いすゞについては純正の[[川崎重工]]の他、[[富士重工業|富士重工]]や[[北村製作所]]を並行して採用していた。特にいすゞ+富士重工の組み合わせは富士重工のバス車体製造撤退時まで取引を続けており、これらは茅ヶ崎に集中的に配備された他、藤沢・綾瀬を除く営業所では新製配置のいすゞ車は原則として富士重工ボディであった<ref>ただし、中型車では1999年(平成11年)導入のエルガミオ以降は純正ボディで導入されている。</ref>。日産ディーゼル車についても富士重工および[[西日本車体工業]]製で導入されていたが、2010年(平成22年)後半より三菱ふそうからのOEM車種であるスペースランナーAの導入が開始された。


==== 戦後の復興 ====
この他、連節バス([[ネオプラン・セントロライナー]]・[[メルセデス・ベンツ・シターロ]])が「ツインライナー」と命名されて、[[湘南台駅]]~[[慶應義塾大学]]間と[[厚木バスセンター]]~[[厚木アクスト]]間で各4台ずつ運用されているほか、コミュニティバス向けに小型ノンステップバス([[オムニノーバ・マルチライダー]]や[[日野・ポンチョ]])が導入されている。
戦後、稼動車両を早期に増強しないと収入が見込めない状態であった<ref name="50-34"/>。しかし、バスはシャーシが割り当てられたものの架装すべき車体がない状態であった<ref name="50-34"/>。また、部品を他の車両に流用したままになっていた遊休車両もあった<ref name="50-34"/>。そこで、秦野町(当時)にある神中自動車工業秦野工場を買収し、秦野工場として自社で車両整備を行うことになり<ref name="50-34"/>、1947年から秦野工場として本格的に業務が開始された<ref name="50-34"/>。同工場で再生された車両は、自製のボンネット周りに外観上の特徴があった<ref name="br68-53"/>。


また、戦後の貸切バス再開に伴い、1936年式のフォードの内装を改装した貸切バス車両を2台導入したが<ref name="50-36"/>、これも秦野工場で再生された<ref name="50-36"/>。
ノンステップバスの導入は[[1998年]](平成10年)より積極的に推進している<ref name="bjh57-28">バスジャパン・ハンドブックR「57 神奈川中央交通」p28</ref>。サイズは全長10.5mから10.9mの車(以下「標準尺車」と表記)と全長9mの車(以下「短尺車」と表記)を導入している。当初はノンステップバスには専用のカラーリング([[#車両塗装|後述するブルーイエロー色]])を採用していたが、[[2001年]](平成13年)以降は一般車と同じデザインに変更されている。三菱車においてはエアロスターを増備してきたが、[[2008年]](平成20年)から2009年(平成21年)前半までは一部を除いて<!--厚木にはスペースナンナーRAノンステップがいるので。はっきり言って見分けはつきませんが-->日産ディーゼルからの[[OEM]]車種であるエアロスター-S(AA系)を導入していた。


秦野工場は各営業所の付属工場の整備が進んだ[[1953年]]に閉鎖されたが<ref name="50-34"/>、戦後の車両復興に大きく貢献した。
[[2002年]](平成14年)5月以降、方向幕のLED化が進んでおり、現在は一部の小型車両に幕式の車両が見られるのみとなっている。なお、ごく一部を除き英語表記は行われていない。なお、回送は英語表記された表示をしており、表記内容は「OUT OF SERVICE」である。


==== ディーゼルバス導入から高度成長期へ ====
[[2003年]](平成15年)の新車より[[小田急グループマテリアルズ]]仕様で導入されている。これは同社を通じて購入する事によりコストを抑えながら短期間で大量の更新が行える様になっている。このため、床面処理・ドア配置や空調装備品<!--座席のモケットは、二代目かなちゃん号登場の頃には既に今の仕様になっていたはずです。-->などは小田急グループのバス事業者共通の仕様となっている。
1948年10月には、初のディーゼルバスとしていすゞ・BX91型が5台導入された<ref name="50-36"/>。翌1949年に導入された車両からは、路線バス車両のカラーリングについて、ベース色がクリーム色に変更された<ref name="50-38"/>。


1963年には、清川村の札掛へ乗り入れる路線が開設されたが<ref name="50-60"/>、この路線に導入された車両は、当時の神奈中としては唯一のマイクロバスであった<ref name="50-60"/>。
神奈中では[[1985年]](昭和60年)製の車両までは6年から8年程度(長くても10年程度)で廃車されるケースが多かった。そのため、[[昭和54年排出ガス規制]]適合車も[[1992年]](平成4年)までに全廃されている。

高度成長期は輸送力増強に対応するため、道路環境が整備されているとは限らなかったにもかかわらず、高度成長期から[[1990年]]までの神奈中で導入される車両の大半は長尺車であった<ref name="bj23-24"/><ref group="注釈">[[#BJ1997|『バスジャパン・ニューハンドブック23』 p.61]]の記述によれば、厚木・横浜・戸塚・舞岡の各営業所に配置されているギャラリーバス「カナちゃん号(初代)」も長尺車だった。</ref>。車両数も[[#営業所別所属台数推移|別表]]に見られるように増加の一途を辿り、特に厚木営業所では1985年度に所属台数が200台を超えている<ref group="注釈">[[#70年史|『神奈川中央交通七十年史』 p.106]]によると、1985年3月31日の時点で199台、1986年3月31日の時点で205台となっていた。</ref>。

=== 1980年代以降の車両概説 ===
[[1980年代]]半ばに神奈川三菱ふそう自動車販売が傘下となってからは三菱製車両の導入が多くなり<ref name="bj57-25"/>、2005年時点では9割以上が三菱車となっている<ref name="bj57-28"/>。相模原・多摩・戸塚・平塚・町田・横浜など、大型路線車のほとんど全車が三菱車で占められている営業所も多数存在する<ref group="注釈">なお、[[三菱ふそうトラック・バス]]の本社も同じ神奈川県([[川崎市]][[中原区]])に所在する。</ref>。いすゞ製の車両は綾瀬・茅ヶ崎・藤沢・大和の各営業所に多く<ref name="br68-58"/><ref group="注釈" name="いすゞ台数">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.29]]の表によれば、2005年10月31日時点での神奈中本体のいすゞ路線車は238台で、このうち茅ヶ崎の配置数は58台、藤沢が39台、大和が32台、綾瀬が47台。中山操車所開設後は大和のいすゞ大型路線車のほとんどが中山操車所配置となった。</ref>、日野製の大型車両はハイブリッド車と一部のブルーリボンII以外は全車両が伊勢原営業所に配置され<ref name="br68-59"/><ref group="注釈" name="日野台数">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.29]]の表によれば、2005年10月31日時点での神奈中本体の日野路線車は45台で、このうち21台が伊勢原に配置されている。また、[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 pp.54-55]]によれば、1991年から2004年までの日野製大型路線車は伊勢原にしか配置されていない。</ref>、日産ディーゼルは主に厚木・平塚・秦野の各営業所に配置された<ref name="br68-59"/><ref group="注釈">なお、[[2004年]]以降は日産形低公害車の実証実験を厚木営業所が担当することとなり、[[尿素SCRシステム|尿素SCR]]ステーションを設置した関係から日産ディーゼル車が継続的に配備され、[[2009年]][[2月28日]]現在で41台在籍、稼動車の30%程度にまで比率が上がっている。</ref>。各メーカーの車両とも、1990年以降はノンステップバスなど一部の短尺車を除き標準尺車のみの導入に統一されている<ref name="bj57-28"/>。狭隘路線や閑散路線には中型車も導入されており、こちらもかつては4メーカーから導入していたが、日野製の中型車は2009年までに日産ディーゼルの中型車は2011年に全廃となり、現在は三菱製といすゞ製のみの在籍となっている。[[1985年]]製の車両までは6年から8年程度(長くても10年程度)で廃車されるケースが多かったが<ref name="br68-55"/>、近年は<!--よくよく考えたら、排出ガス規制で使用年限を短くするならともかく、長くすることはないのでは?--自動車排出ガス規制により、-->使用年限を延長しており<ref name="br68-55"/>、2017年時点で最も古い車両は2001年式である<ref name="br68-55"/>。<ref group="注釈">一般乗合可能車両で最も古いのは2002年式。</ref>

一般路線車の車体は、三菱製は伝統的に(呉羽自動車工業→新呉羽自動車工業→三菱自動車バス製造→)[[三菱ふそうバス製造]]<ref name="br68-55"/><ref group="注釈">ただし、高速路線車および貸切車(一部を除く)では三菱ふそうバス製造に一本化されるまでは当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製で導入していた。</ref>、日野製は[[日野車体工業|日野車体]]<ref name="br68-55"/>、いすゞ製は純正の[[いすゞバス製造|川崎重工]]の他、[[スバルカスタマイズ工房|富士重工]]や[[北村製作所]]を並行して採用していた<ref name="br68-55"/><ref group="注釈">特にいすゞ+富士重工の組み合わせは富士重工のバス車体製造撤退時まで取引を続けており、これらは茅ヶ崎営業所に集中的に配備された他、藤沢・綾瀬を除く営業所では新製配置のいすゞ車は原則として富士重工車体であった。ただし、中型車では1999年導入のエルガミオ以降は純正車体で導入されている。</ref>。日産ディーゼル車についても富士重工および[[西日本車体工業]]製で導入されていたが<ref name="br68-55"/>、2010年後半以降は三菱からのOEM車種であるスペースランナーAを導入していた。

なお、ほかの事業者では2000年の[[三菱リコール隠し]]以降三菱製の導入を一時中止したり、減らしたりした事業者が多いが、当社は前述の理由から若干、いすゞが増えた程度。ただし、中型車を擁する営業所では[[三菱ふそう・エアロミディ|エアロミディ]]生産中止の影響でジェイ・バス製(いすゞ・日野)以外の選択肢がなくなり、いすゞや日野が増加する傾向にある。

<!--ここは画像投稿サイトではありませんので、画像の枚数は必要最小限にしてください。各メーカー1~2枚ずつで良いと思います。-->
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File:KanagawaChuoKotsu ma6.JPG|三菱ふそう・エアロスター ノンステップ(ま6) 撮影:町田バスセンター
ファイル:QKG-MP38FK Kanachu O07.JPG|三菱エアロスターノンステップ(お07)<br />撮影:馬車道駅前
File:PKG-MP35UM Kanachu A21 front.jpg|三菱ふそう・エアロスター ワンステップ(あ21) 撮影:愛川バスセンター
ファイル:PDG-LR234N2 Kanachu.JPG|三菱エアロミディS」ワンステップ(い103)<br />撮影:伊勢原営業所
File:PDG-LR234J2 Kanachu Ya0107 front.jpg|いすゞエルガミオ ノンステップ(や0107) 撮影:相武台前駅
ファイル:PDG-LR234J2 Kanachu Ya0107 front.jpg|いすゞエルガミオノンステップ(や0107)<br />撮影:相武台前駅
ファイル:Kanagawa-chuo-kotsu QQG-LV234L3 na44 A.jpg|いすゞ「エルガハイブリッド」ノンステップ(な44)<br />撮影:鶴ヶ峰駅
File:Kanachu SA852 air-express-saloon.jpg|三菱ふそう エアロバス 空港リムジン仕様(さ852) 撮影:成田国際空港
ファイル:Kanachu Hiratsuka Blue Ribbon.jpg|日野「ブルーリボンハイブリッド」ノンステップ(ひ114)<br />撮影:愛甲石田駅
ファイル:PKG-RA274KAN Kanachu A30.jpg|日産ディーゼル「スペースランナー」ノンステップ(あ30)<br />撮影:厚木バスセンター
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この他、「ツインライナー」と命名された連節バス([[ネオプラン・セントロライナー]]<ref name="bj57-76"/>、[[メルセデス・ベンツ・シターロ]]<ref name="br106-11"/>)が一部路線で運用されているほか、ミニバス路線や自治体から受託のコミュニティバス向けに小型ノンステップバス([[オムニノーバ・マルチライダー]]<ref name="bj57-76"/> や[[三菱ふそう・エアロミディME|三菱・エアロミディME]]、[[日野・ポンチョ]])などが導入されている。2023年からは同社初となる[[電動バス|電気バス]]([[BYD・K8]])が、翌2024年には小型電気バス([[BYD・J6]])がそれぞれ導入された。

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ファイル:神奈川中央交通 ひ201.jpg|BYD・K8(ひ201) 撮影:平塚駅北口
ファイル:OmniNova-Multi-Rider-Kanachu-Chi104-Eboshi.jpg|オムニノーバ・マルチライダー(ち104) 撮影:茅ケ崎駅
ファイル:KanagawaChuoKotsu_ya159_Kawasemigo.JPG|三菱・エアロミディME(や159) 撮影:境橋
ファイル:BDG-HX6JLAE Kanachu Ma175 Machikko 20130726.jpg|日野・ポンチョ(ま175) 撮影:町田バスセンター
ファイル:Kanachu Machikko-BYD J62.0.jpg|BYD・J6(ま178) 撮影:町田市役所
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自らが所属する営業所長から各運転士に対して乗務車両を任命し、運転士はその車両の専属乗務や簡単な車両管理などを行う「担当車制」を採用している<ref name="br68-55"/>。運転士の手入れにより、使用年限の途中での車体更新は行なわれていないにもかかわらず<ref name="br68-55"/>、経年車でも美しく保たれている車両が多い<ref name="br68-55"/>。

2012年の時点では神奈川中央交通本体における車両の保有台数は約2100台で<ref name="rj550-160"/>、これは日本最多保有台数である<ref name="rj550-160"/>。

=== 路線車両の仕様 ===
ノンステップバスの導入は[[1998年]]より積極的に推進している<ref name="bj57-28"/>。標準尺車と短尺車を導入している。当初はノンステップバスには専用のカラーリング([[#車両塗装|後述するブルーイエロー色]])を採用していたが、[[2002年]]以降は一般車と同じデザインに変更されている。三菱車においてはエアロスターを増備しているが、[[2008年]]から2009年前半までは一部を除いて<!--厚木にはスペースナンナーRAノンステップがいるので。はっきり言って見分けはつきませんが-->日産ディーゼルからの[[OEM]]車種であるエアロスター-S(AA系)を導入していた<ref name="br106-15"/>。なお、通常の路線車は1998年からアイドリングストップが標準に<ref name="bj57-28"/>、2001年からはワンステップバスが標準となった<ref name="bj57-28"/>。2002年7月25日からは、後窓に後方視界確保のための広角レンズ設置が開始された<ref name="90-93"/>。

大型方向幕は1985年9月から採用され<ref name="70-55"/>、[[2002年]]5月13日からLED行先表示器の導入が開始され<ref name="90-92"/>、方向幕の車両も2004年頃の改造開始から3年程度でLED表示器に載せ変えた<ref group="注釈">ごく一部を除き英語表記は行われていない。回送は英語表記された表示をしており、表記内容は「OUT OF SERVICE」である。</ref>。これにより、路線開設や廃止などによる幕交換やほこりなどで汚れた幕の清掃などの負担が大幅に軽減された<ref name="90-44"/>。[[2016年]]8月31日からは白色[[発光ダイオード|LED]]の新型行先表示器を搭載した車両が導入され、今後は全営業所で順次導入予定<ref>[http://www.kanachu.co.jp/service/cruise/pdf/cruise60.pdf 神奈中バス情報誌「くる~ず」No.60(2016年12月9日発行)]</ref>。また、路線バスの車内放送は長らく8トラテープを使用していたが、2005年10月23日より[[フォルシアクラリオン・エレクトロニクス|クラリオン]]製音声合成装置の導入が開始された<ref name="90-95"/>。出庫時に運行ダイヤを設定することによって、LED式行先表示器・運賃表示器・整理券発行器・カードリーダーが集中制御できるようになった<ref name="90-44"/>。
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ファイル:Kanachu Machida front signboard film.jpg|方向幕時代の前面行先表示
ファイル:Kanachu Machida front signboard LED 2010.jpg|LED前面行先表示器
ファイル:Kanachu Machida front signboard LED-2020.jpg|白色LED前面行先表示器
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File:Kanachu_Fare_Board.jpg|1983年から2004年頃まで使用されていたデジタル運賃表示器
File:Unchinhyo-K-Dengyo.jpg|1995年から順次導入された改良型デジタル運賃表示器
File:Unchinhyo-KS-Q2700.jpg|2014年から本格導入されたLCD運賃表示器
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[[2003年]]の新車より[[小田急グループマテリアルズ]]仕様で導入されている。これは同社を通じて購入することによりコストを抑えながら短期間で大量の更新が行えるようになっている。このため、床面処理・ドア配置や空調装備品<!--座席のモケットは、二代目かなちゃん号登場の頃には既に今の仕様になっていたはずです。-->などは小田急グループのバス事業者共通の仕様となっている。

2015年中盤の導入車から大型車は[[三菱ふそう・エアロスター]]のQKG-MP38FK、中型車は[[いすゞ・エルガミオ]]の SDG-LR290J1或いはSDG-LR290J2、小型車は[[日野・ポンチョ]]といったノンステップ化への統一や神奈中独自の仕様であった運賃幕や出入口幕の廃止に伴い、2014年中盤の新車から神奈中独自の仕様が消滅しつつある。

後部ブレーキランプについては、1988年式以降は2灯だったものを4灯に変更<ref name="bj23-28"/>、さらに1997年式からバス協型→角型に変更した<ref name="bj23-28"/>。
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ファイル:P-HT226AA-Kanachu-Ya15-rear.jpg|1987年まではブレーキランプは2灯
ファイル:U-MP218Mkai Kanachu A81 rear.jpg|1988年以降はブレーキランプは4灯
ファイル:KC-RJ1JJAA Kanako Ka1013 rear.jpg|1997年以降はブレーキランプを角型に変更
ファイル:Kanachu Bus Light.JPG|4灯にするために追加でブレーキランプを車内に設置された例
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室内は前向き座席が標準であるが、1988年9月の新車からは、優先席が横向きに変更された<ref name="70-55"/>。1998年までは、座席モケットは一般席が赤・優先席が青となっていた<ref name="br68-57"/>。2009年7月からは、熱線吸収ガラスと三角吊り手が導入され<!--、優先席付近の吊り手はオレンジ色のものを設置し-->た<ref name="90-43"/>。

[[降車ボタン]]は、ナイルス部品販売製や[[ゴールドキング]]製を経て(一部車両は[[レシップ]]製を設置)では、1990年代後半に導入されたノンステップバスからは[[オージ]]制のWS-210シリーズ及びWS-240シリーズが採用され、2000年代半ば頃からはレシップ製のKSP-400シリーズが、2010年代後半に導入された新車からはオージ製のWS-280シリーズを採用している。
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ファイル:MP218M車内.JPG|1998年までは座席モケットは一般席が赤・優先席が青
ファイル:PJ-MP35JM Kanachu Sa0162 inside.jpg|1999年以降の配色。標準的なワンステップ車の例
ファイル:PKG-RA274MAN Kanachu A163 inside.jpg|2009年7月以降の導入車は吊り手が三角になった
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=== 特徴的な仕様 ===
=== 特徴的な仕様 ===
バス専業としては日本最大の事業者だけに1年あたりの導入車両数が多く、その結果「神奈中仕様」とも言える特注仕様が存在する。
バス専業としては日本最大の事業者だけに1年あたりの導入車両数が多く、その結果「神奈中仕様」とも言える特注仕様が存在する。その中でも代表的なものが車両前面の向かって右側の窓下<ref>[[三菱ふそう・エアロスター|エアロスター]]ではセイフティウィンドーが標準装備されている部分。</ref>に設置された「運賃支払い方法表示窓」(運賃収受が前払いか後払いかを表示するためのもので、一部車を除き幕式になっている。)である<ref>ただし、1987年に26台が導入されたギャラリーバス「カナちゃん号」に限っては設置されていなかった。</ref>。また、かつて三菱にホイルベース5.8mで全長が11m級の車両(P-MP218P改・以下、全長11m級の車両は「長尺車」と表記)を特注し、これをMP218-Nとしてメーカーに追加で形式認定させた程の力を持つ<ref>その後、[[北陸鉄道]]や[[京浜急行バス]]などでも導入例が見られたが、ニューエアロスターでは設定されなくなった。</ref>。この特注の長尺車は厚木・藤沢・綾瀬・横浜・戸塚・舞岡の各営業所に多く配置されていたが(これらの営業所では、ギャラリーバス「カナちゃん号(初代)」も長尺車だった事で、長尺車がその営業所の標準であった事がうかがえる。)、[[1990年]](平成2年)以降は標準尺車をメインに導入されている。また、[[1995年]](平成7年)以降は全長9m級の中型車両もまとまった台数を導入している。
; 後ヒンジ式前扉
: 1979年まで、折戸の前扉が通常とは逆の後ろ側に開く後ヒンジ式だった<ref name="br68-53"/>。
; 運賃支払い方法表示窓(運賃幕)
: 1970年代から、車両前面上部左側の表示窓に乗車方法と運賃支払い方法を表示する「運賃支払い方法表示窓」が設けられ、1980年代からは乗降口に近い車両前面の向かって右側の窓下<ref group="注釈">[[三菱ふそう・エアロスター|エアロスター]]ではセイフティウィンドーが標準装備されている部分。</ref> に設置されるようになった<ref name="br68-56"/><ref group="注釈">運賃収受が前払いか後払いかを表示するためのもので、一部車を除き幕式になっている。ただし、1987年に26台が導入されたギャラリーバス「カナちゃん号」に限っては設置されていなかった。</ref>。尚、一時期江ノ電バスでも使用されたことがあった。2014年度からこの表示窓を廃止し、一部いすゞ・日野製車ではステッカーに変更される車両も登場したが、ステッカーは2018年前半までとなった。
; 大型バンパー
: 2000年導入車までは前後のバンパーは大型の仕様が標準となっていたが<ref name="br68-56"/>、これはバンパーをフロントガラスの清掃の際に使用するステップと兼用させるためであった<ref name="bj57-9"/>。
; 長尺車
: かつて三菱にホイルベース5.8mで全長が11m級の車両(長尺車)<ref group="注釈">三菱ふそう・エアロスター、P-MP218P改。</ref> を特注し、これをMP218-Nとしてメーカーに追加で型式認定させた程の力を持つ<ref group="注釈">その後、[[北陸鉄道]]や[[京浜急行バス]]などでも導入例が見られたが、ニューエアロスターでは設定されなくなった。</ref>。しかし、[[1990年]]を最後に長尺車の導入は終了し<ref name="bj23-28"/>、以後は標準尺車をメインに導入されている<ref name="bj57-28"/>。また、[[1995年]]には全長9m・幅2.3m級の中型車両を大量に導入している<ref name="bj23-28"/>。2014年中旬のMP38導入以降はノンステップバスは短尺車、2015年度以降は全車ノンステップの短尺車で統一されている。
; 新ステップ車
: 1992年9月25日から試用開始し<ref>{{Cite news |title=ステップリフトで楽々乗降 神奈中、乗合バスに導入 高さ地上から21センチ低床式の限界克服 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1992-10-06 |page=2 }}</ref>、1994年から2000年にかけて導入された標準床車両は全て前扉に[[極東開発工業]]製の可動式ステップを設置した「新ステップ車」となっている<ref name="br68-55"/>。これはさらに床の低い車両の導入や観光バスなどで見られる補助ステップでは、新興住宅地に多い急坂では車体と路面の接触の可能性があったため<ref name="br16-52"/>、乗降性の改善策として、[[三菱ふそうトラック・バス|三菱自動車工業(当時)]]・[[三菱ふそうバス製造|新呉羽自動車工業]]・[[極東開発工業]]との共同開発により導入された<ref name="br16-53"/>。この「新ステップ」は横浜市交通局・[[神戸市交通局]]・[[小田急バス]]など、他の事業者にも波及している<ref name="mirai1-31"/>。しかし、2017年に『つ605』を最後に新ステップ車は神奈中から消滅した。
; 車外ドアコックの鍵
: 2008年後期導入車より、前面および側面の車外ドアコックに鍵が取り付けられている。同時に既存車も全車取り付けられた。高速バスタイプの車両では至って普通の仕様だが、すべての路線車に導入する会社は珍しい。既存車への取り付けは車両によって位置が異なる。なお、一般路線車は2017年頃より、新車導入車に限り、アドブルー投入口にも鍵が設置されている。この他、同社高速路線車は全車、軽油及びアドブルーの投入口にも取り付けられている。


[[1994年]](平成6年)から[[2000年]](平成12年)にかけて導入された車両は全て前扉に可動式ステップを設置した「新ステップ車」となっている([[極東開発工業]]製)。これは神奈中では様々な事情からワンステップバスの導入が実現できなかったため、その代替として位置付けられていた。この「新ステップ」はほかの業者などに波及している。また、2000年導入車までは前後のバンパーは大型の仕様が標準となっていた。これはフロントガラスの清掃の際にバンパーをステップと兼用させるためであった。
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ファイル:MP117N-Kanachu-Sa102.jpg|前扉が後ヒンジ式の三菱ふそうMP117N
画像:P-MP218N-Kanachu-A191.jpg|特注車を形式認定させたP-MP218N(あ191・現在は廃車) 撮影:厚木バスセンター
ファイル:Kanachu Unchinmaku.jpg|運賃幕。左が旧仕様の幕、右が新様式の幕
画像:Kanachu-Step-Lift.JPG|「新ステップ車」は前扉にリフトを設置。またステップを兼ねた大型バンパーも「神奈中仕様」の一つ
画像:Kanachu Ya4 Big Bumper.jpg|大型バンパーの全体俯瞰
ファイル:Kanachu bumper.jpg|バンパーの比較。奥の車両がステップを兼ねた大型バンパー
ファイル:P-MP218N-Kanachu-A191.jpg|特注車を型式認定させた三菱ふそうP-MP218N
ファイル:Kanachu-Step-Lift.JPG|「新ステップ車」は前扉にリフトを設置
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=== 廃車車両の譲渡 ===
=== 廃車車両の譲渡 ===
神奈中で役目を終え廃車車両の多くは、日本国内の地方事業者へ譲渡されている。同社は[[京阪バス]]・[[西武バス]]と共に古くから全国の地方事業者に廃車車両を供給していること知られている。特に6~8程度で廃車にしていた1990年前後は多くの車両が地方バス事業者へ転出しこれらの車両は地方バスの冷房化率向上に貢献している。さらに[[2007年]](平成19年)頃からは中型車の廃車も始まり、こちらも全国の地方事業者へ大量に譲渡されている。
神奈央交通引退した車両は、[[京阪バス]]・[[西武バス]]と共に日本各地の地方事業者へ供給しており<ref name="rj238-134"/>、なかは「'''廃車車両の譲渡先数が日本一'''」と評されたことも<ref name="rj238-134"/>使用数が6年から8年と比較的早期代替していた1990年は多くの車両が地方事業者へ売却され、地方の冷房化率向上に貢献している。

最近では15年程度で廃車としており、ワンステップバスの国内移籍比率が上昇している。15年前後での廃車は他社と比べると比較的早期で、過去には[[ミャンマー連邦|ミャンマー]]、[[フィリピン共和国|フィリピン]]、[[ニュージーランド]]、[[ラオス]]など海外へも輸出されていた。


また、[[ミャンマー連邦|ミャンマー]]や[[フィリピン共和国|フィリピン]]・[[ニュージーランド]]・[[インドネシア]]など、海外へも大量に輸出されている。
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File:524-3693-JR-Hokkaido-P-MP118N.jpg|[[ジェイ・アール北海道バス|北海道旅客鉄道(当時)]]への譲渡車<br/>撮影:帯広営業所
ファイル:524-3693-JR-Hokkaido-P-MP118N.jpg|[[ジェイ・アール北海道バス|北海道旅客鉄道(当時)]]帯広営業所
File:K-MP118N KitamiBus ffrom Kanachu.jpg|[[北海道北見バス|北見バス]]への譲渡車<br/>撮影:北見駅前
ファイル:K-MP118N KitamiBus ffrom Kanachu.jpg|[[北海道北見バス|北見バス]]北見駅前
File:Akan-bus 109.jpg|[[阿寒バス]]への譲渡車<br/>貸切車を路線車に転用<br/>撮影:阿寒バス弟子屈営業所
ファイル:Akan-bus 109.jpg|[[阿寒バス]]<br />貸切車を一般路線用へ転用<br />阿寒バス弟子屈営業所
File:K-MP118N-Asaden.jpg|[[旭川電気軌道]]への譲渡車<br/>撮影:旭川駅前
ファイル:K-MP118N-Asaden.jpg|[[旭川電気軌道]]旭川駅前
ファイル:Dōhoku bus A200F 0810.JPG|[[道北バス]](旭川市内)
File:AkitaChuoKotsu 729.jpg|[[秋田中央交通]]への譲渡車<br/>撮影:秋田駅西口
ファイル:Chūō bus S200F 2952.JPG|[[北海道中央バス]]<br />(札幌ターミナル前)
File:Iwatekenkotsu-yokohamaline-iwt200ka972-20070730.jpg|[[岩手県交通]]への譲渡車<br/>撮影:横浜駅東口バスターミナル
ファイル:AkitaChuoKotsu 729.jpg|[[秋田中央交通]]<br />(秋田駅西口)
File:K-U31L-Kanto-J-from-Kanachu.jpg|[[関東自動車 (栃木県)|関東自動車]]への譲渡車<br/>撮影:宇都宮駅前
ファイル:Iwatekenkotsu-yokohamaline-iwt200ka972-20070730.jpg|[[岩手県交通]]<br />(横浜駅東口バスターミナル)
File:2627.JPG|[[群馬中央バス]]への譲渡車<br/>方向幕を改造<br/>撮影:伊勢崎営業所
ファイル:k-cjm500.kitamura.jpg|[[岩手県交通]]<br />(一関営業所)
File:BU10D-Tozan-B530.jpg|[[箱根登山バス|箱根登山鉄道(当時)]]への譲渡車<br/>撮影:小田原駅前
ファイル:K-U31L-Kanto-J-from-Kanachu.jpg|[[関東自動車 (栃木県)|関東自動車]]<br />(宇都宮駅前)
File:K-MS615S-Tokai-Bus-299.jpg|[[東海自動車]]への譲渡車<br/>貸切車を路線車に転用のため方向幕を増設<br/>撮影:下田営業所
ファイル:群馬中央バス.JPG|[[群馬中央バス]]<br />※方向幕改造済<br />(伊勢崎営業所)
File:Kumaden bus02.jpg|[[熊本電気鉄道]]への譲渡車<br/>塗装変更せずに導入<br/>撮影:熊本交通センター
ファイル:mr410.kureha.jpg|[[江ノ島電鉄|江ノ島鎌倉観光(当時)]]<br />(大船駅前)
File:P-MP218M-Oki-Bus-from-Kanachu.jpg|[[沖縄バス]]への譲渡車<br/>撮影:那覇バスターミナル
ファイル:BU10D-Tozan-B530.jpg|[[箱根登山バス|箱根登山鉄道(当時)]]<br />(小田原駅前)
ファイル:K-MS615S-Tokai-Bus-299.jpg|[[東海自動車]]<br />※貸切車を路線車に転用するため方向幕を増設<br />(下田営業所)
ファイル:Kumaden bus02.jpg|[[熊本電気鉄道]]<br />※「かなちゃんバス」塗装をそのまま流用<br />(熊本交通センター)
ファイル:P-MP218M-Oki-Bus-from-Kanachu.jpg|[[沖縄バス]]<br />(那覇バスターミナル)
ファイル:Kanachu Bus EKK Nagaoka.jpg|越後交通グループ<br />(新潟県長岡市)
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=== 薪バス「三太号」 ===
2000年(平成12年)以降は上記のほか、これまで神奈中中古とは無縁だった事業者([[北海道中央バス]]グループ・[[羽後交通]]・[[秋北バス]]・[[平成エンタープライズ]]・[[桜交通]]・[[茨城交通]]・[[越後交通]]グループ・[[富山地方鉄道]]・[[加越能鉄道]]・[[北陸鉄道]]グループ・[[サンデン交通]]・[[中国バス]]・[[中国ジェイアールバス]]・[[おのみちバス]]・[[西肥自動車]]・[[佐世保市交通局]]・[[大分交通]]・[[西表島交通]]など)への譲渡も増加している。
{{main|三太号}}


=== 車両塗装 ===
=== 車両塗装 ===
名称は一般的に呼ばれているものであり、正式なものではない。一部にラッピングのものも含まれる。
名称は一般的に呼ばれているものであり、正式なものではない。一部にラッピングのものも含まれる。
; 標準色
黄色(に近いクリーム色)+下部赤色+赤色と橙色の帯。なお、1987年(昭和62年)中の短期間、現行の塗り分けに決まるまで車体前面上部に赤色が掛かるなど細部に変遷が見られた。
; 波線カラー(旧塗装)
現在の標準色になる前のもので、下部の赤色が波線になっている。前面などにも差異がある。
; 神奈交色
白色の車体に、各神奈交指定色が前方~中央車体下部及び後方全体に塗られている。また大きくKANAKO BUSのロゴが入る。
* 新車として神奈交バスが購入した車両のみに施される塗装なので、数は非常に少ない。
* 各社の色は、湘南が黄橙、横浜が濃い青、藤沢が淡い青、相模が明るい青緑、津久井が深緑で、海や川、山など、各地をイメージした色になっているものと思われる。
; ブルーイエロー(B&Y色)
水色、青色などの車体に白と紺の波線、車体中央部にカモメをイメージした黄色のマークが3連あり、橙色で''Kanagawa Chuo''とロゴが入る。元々は夜行高速バス用の塗装である。
* 初期に導入されたノンステップ車、[[ワンロマ]]車に多い。
* 多摩営業所のCNGノンステップは、黄色のカモメが省略されているため、下記のカラーに近い。
; 青色 (ワンロマ色)
青色または紺色に白の波線、橙色で''Kanagawa Chuo''とロゴが入る。
* 基本的に上記のカラーと似ているが、異なる箇所が多い。なお、車体色が薄い青の車は「[[ポカリスエット]]」のデザインに酷似している。
* ワンロマ車に多いが、これは元々環境保護キャンペーンで運行した「[[スヌーピー]]バス」の契約期間が切れたため、キャラクターのラッピングをはがし、白い帯を入れたものである。なお、「スヌーピーバス」の時から白い帯が入っていた車両もあったため、帯はそれらの車両に合わせたものとなっている。
; 茶色(「YAMATE LINER」色)
茶色の濃淡にロゴが入る。
* [[2007年]](平成19年)4月に[[横浜市交通局]]より移管された舞岡営業所11系統用に'YAMATE LINER'とロゴが入ったものが登場。後に11系統にはノンステップ車を運用する事になり、それまで11系統で使用していたワンステップ車は3台を除き11系統の運用を外れ、それらの車両は塗色はそのままでロゴのみが'KANACHU-BUS'に書き換えられたものとなっている。
; ツインライナー色
ピーチピンク1色に窓周りは黒で、ロゴが入る。
; 特定色
白色+下部赤色+青色の帯
* 標準色の色違いのようなものだが、細部が異なる。主に特定車で使用されている。かつての観光用車の塗装に準じたものである。
; スヌーピーバス
[[江ノ島電鉄|江ノ電バス]]と共同の環境保護キャンペーンの一環で、当時導入したワンロマ車を青く塗装し、スヌーピー達をラッピングしたもの。数種類が存在していた。
* 契約終了後全車が上記の「青色」となったが、白帯や神奈中ロゴが入らずに完全な青一色で運行された期間もあった。
* 江ノ電では在来車を塗装変更した緑色のスヌーピーバスを運行したが、契約終了後は緑色に白帯のバスとなった。3台が存在したが、既に廃車済みである。
; 空港リムジン色
グレーに上半分が水色。窓の下と屋根に"Kanagawa Chuo(横浜神奈交車はYokohama Kanako Bus) AIR EXPRESS SALOON"ロゴが入る。
; 自転車ラックバス
前面がオレンジ、側面がオレンジと白のツートンカラー。「BICYCLE CARRIER」のロゴも施されている。


==== 一般路線車の標準色 ====
この他、初代カナちゃん号、2代目かなちゃん号・リフト車色・リフト車色(町田)・湘南めぐみが丘色・まちっこ色・その他ふじみ号・かわせみ号など各コミュニティーバス専用色などがある。
1949年の新車から採用された<ref name="50-38"/>。黄色に近いクリーム色<ref name="50-38"/>+下部赤色+赤色と橙色の帯。当初は下部の赤色が波形になっており、前面などにも差異があったが、1987年から直線的なデザインに変更された<ref name="bj23-24"/><ref group="注釈">ごく短期間、現行の塗り分けに決まるまで車体前面上部に赤色が掛かるなど細部に変遷が見られた。</ref>。波形デザインの車両は1999年6月30日に廃車となった「さ154」が最後であった<ref name="80-126"/>。2004年からは正面の社紋が「かなちゅう」「かなこう」ロゴマークに変更された<ref name="bj57-30"/>。2012年6月1日より神奈中グループのブランドマークが制定され<ref name="brand"/>、路線バス車両の前面、側面、後面に青色で「Kanachu」と書かれたブランドマークの貼り付けが順次行われている<ref name="brand"/><ref group="注釈">「かなちゅう」ロゴマークは「Kanachu」ブランドマークに貼り替えられているが、2003年までに導入された車両の正面の社紋は残し、前面以外に「Kanachu」ブランドマークを貼り付けしている。</ref>。
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ファイル:K-MP118N Kanachu O77.jpg|旧塗装(お77)
File:P-MP218N-Kanachu-A79.jpg|1987年より採用された塗り分け。初期は赤が目立つものだった(あ79)
ファイル:P-LV314N Kanachu Ya65 Zamayotsuya 1987.jpg|1987年より採用された塗り分け。初期は赤が目立っていた(や65)
File:K-MP118N Kanachu O77.jpg|旧塗装(お77)
ファイル:U-MP218Mkai Kanachu A81 front.jpg|1987年より採用された塗り分け(あ81)
File:KL-MP35JM-Kanako-FK001.jpg|神奈交色(藤沢神奈交バスFK002)
ファイル:KanagawaChuoKotsu ta37.JPG|2004年から「かなちゅう」ロゴマークを表示(た37)
File:KC-MP717M Kanachu A4 BlueYellow.jpg|ブルーイエロー(あ4)
ファイル:PJ-MP37JK Kanachu A135 front.jpg|2012年6月1日より「Kanachu」ブランドマークを表示(あ135)
File:KC-MP717M-Kanachu-Se27.jpg|青色・元「スヌーピーバス」(せ37)
File:PJ-MP35JM-Kanachu-o67-YAMATE-LINER.jpg|茶色「YAMATE LINER」色(お67)
File:Mercedes-Benz O530 CITARO-G Kanachu A201.jpg|ツインライナー色(あ201)
File:P-MK595J-Kanachu-I96.jpg|旧観光用色(い96)
File:P-MP218M Kanachu Ha87 Kanachango front 2.jpg|初代「カナちゃん号」(は87)
File:KL-MP35JM Kanachu Chi68 Kanachango front.jpg|2代目「かなちゃん号」(ち68)
File:KanagawaChuoKotsu ma197.JPG|町田営業所所属のリフト車色(ま197)
File:KL-MP35JM Kanachu Hi0165.jpg|湘南めぐみが丘色(ひ0165)
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=== 社番 ===
==== 神奈交色 ====
2002年4月1日から導入された<ref name="90-92"/>。白色の車体に、各神奈交指定色が前方から中央車体下部及び後方全体に塗られ、大きくKANAKO BUSのロゴが入るという、各社共通で色違いのデザインである<ref name="bj57-30"/><ref group="注釈">各社の色は、湘南が黄橙、横浜が濃い青、藤沢が淡い青、相模が明るい青緑、津久井が深緑。</ref>。新車として神奈交バスが購入した車両のみに施される塗装なので、数は少ない。2016年12月より神奈中再編に向けて、各神奈交色であった車両は、ラッピングにより神奈中色に変更されている。
[[File:Mercedes-Benz O530 Kanachu in-house number.jpg|thumb|right|250px|車体外部の社番表示]]


過去には各神奈交の塗装のままロゴの一部をシールで目隠しをしている車両もあったが、2017年6月の『つ604』を最後に消滅した。
==== 附番法則 ====
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所属車両に付けられている社番は、神奈中直管の営業所に所属する場合は「平仮名一文字」+「4桁以内の数字」で構成され、平仮名部分は上記営業所一覧に記載の通り所属営業所を表す。数字部分については多少例外はあるものの、基本的には以下のルールで附番されている。
ファイル:湘南神奈交バス新色 か1004 秦野駅.JPG|湘南神奈交バス(か1004)※現在は廃車
* 1~299:路線車
ファイル:Tsukui-Kanako.JPG|津久井神奈交バス(T-18)※現在は神奈中色に変更(写真は当時の神奈交色)
*: ミニバス・コミュニティバスなどの特殊な車両は、営業所によっては201、202…などのきりの良い番号から附番される場合もある。
ファイル:SagamiKanakoBus.jpg|相模神奈交バス(SK2010)※現在は神奈中色に変更(写真は当時の神奈交色)
* 301~399:特定車(学校・企業・病院などの契約輸送用)
ファイル:FujisawaKanakoBus FK013.jpg|藤沢神奈交バス(FK013)※現在は神奈中色に変更(写真は当時の神奈交色)
* 501~599:貸切車(特定車と同様に契約輸送用)
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* 601~699:[[神奈中観光]]車
* 701~799:夜行高速車
* 801~848:深夜急行・高速車
* 851~899:空港リムジン車
* 数字の頭に0('''ま02'''など):各神奈交バスへの管理委託車(車籍は神奈中本体のまま)
なお、42・49が付く番号及び400・900番台は忌番とされ、附番される事はない。


==== ギャラリーバス ====
==== バスロケーションシステムにおける社番表示 ====
<!--かなみんラッピングは下に記載-->
{{Double image aside|right|Kanachu-Bus-Number-for-Location-System.jpg|210|Bus Location mobile Kanachu on Congestion.jpg|120|バスロケーションシステム導入車両の車内に貼付されている社番の表示|携帯バスロケでは車両番号で当該車両の到着予想時刻が参照できる}}
[[1987年]]4月から26台導入されたギャラリーバスで<ref name="jtb726-105"/>、車体のベースカラーを白で統一し、風船を持った動物たちをデザイン<ref name="jtb726-105"/>。一般公募で「カナちゃん号」と命名された<ref name="70-57"/>。2001年には2代目の車両が登場<ref name="bj57-30"/>、愛称はひらがなで「かなちゃん号」となり<ref name="bj57-30"/>、車体のベースカラーはクリーム色に変わった<ref name="bj57-30"/>。
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ファイル:P-MP218M Kanachu Ha87 Kanachango front 2.jpg|初代「カナちゃん号」(は87)
ファイル:KL-MP35JM Kanachu Chi68 Kanachango front.jpg|2代目「かなちゃん号」(ち68)
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==== 夜行高速バス色(ブルーイエロー) ====
[[バスロケーションシステム]]のモバイル版では、現在乗車しているバスにおいて社番を入力する事で、その先の各停留所の到着予想時刻を参照したり、[[電子メール]]で送信する事が可能である。このため、バスロケーションシステム導入車両の車内には社番がステッカーで車内の数か所に貼付されている。通常、バスの社番は関係者や[[バスファン]]が用いる程度であるが、神奈中のバスロケーションシステム導入路線においては、利用者全般に提供される情報となっている。
1989年に初めて採用<ref name="bj57-31"/>。青色の車体にハイウェイをイメージした白と紺の波線、車体中央部にカモメをイメージした黄色のマークが3連あり、橙色で''Kanagawa Chuo''とロゴが入る。その後1997年からは貸切兼用車(ワンロマ車)に<ref name="br68-62"/>、1998年からはノンステップバスの車体色としても採用された<ref name="br68-61"/>。社内では「ブルーイエロー」と呼ばれている<ref name="br68-61"/>。
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ファイル:P-MS729SA-Kanachu-A701.jpg|夜行高速バス色(あ701)
ファイル:KC-MP717M Kanachu A4 BlueYellow.jpg|ブルーイエロー(あ4)
ファイル:KL-MP37JK Kanachu Ma0101 nonstep front.jpg|ブルーイエロー(ノンステップバス)(ま0101)
ファイル:Kanachu-bus_hira38_hi3.jpg|ブルーイエロー(ワンステップバス貸切兼用車)(ひ3)
</gallery>


==== ミニバス色 ====
なお、システム上では神奈中・神奈交委託車の区別はされておらず、神奈交委託車の頭の0番(や'''0'''5等)は入力しなくても表示され(例えば神奈交委託の'''ま0128'''は、'''ま128'''でも同じ表示がされるし、神奈中本体の'''あ86'''は、'''あ086'''でも同じ表示がされる)。<!--また、バスロケシステム導入後に神奈交バスへ委託された一部の車両など、委託前のステッカーをそのまま使用するために、頭に0が表記されていない場合がある。--ステッカーの枠は3桁分しかないので、頭に0はつけていない-->
1997年に藤沢市でミニバス路線を開設した際に採用された<ref name="bj57-30"/>。前述の塗装からイエローを省略したデザインに、アヒルのイラスト入れたものだが、イラストが入っていない車両も存在する<ref name="br68-61"/>)。車体の表記は前述のブルーイエローとは異なり、''KanaChu''(または''KanakoBus'')と省略している。しかし、2015年12月以降の導入されている小型車は青一色、その後、2020年2月導入のひ167,168は一般色に変更されている。
<gallery>
ファイル:KC-RX4JFAA Kanako Ka1011 front.jpg|ミニバス色(か1011)
ファイル:KK-MJ26HF kai Kanachu Sa32 front.jpg|ミニバス色(さ32)
</gallery><!--アヒルのいないミニバス色の画像が欲しい…-->


=== 車両その他 ===
==== 空港リムジン色 ====
1994年の「ひ852」及び、1999年以降に採用され<ref name="bj57-31"/>、グレーに上半分が水色。窓の下と屋根にロゴが入る<ref group="注釈">神奈中の車両では "Kanagawa Chuo AIR EXPRESS SALOON" となるのに対し、横浜神奈交バスの車両では "Yokohama Kanako Bus AIR EXPRESS SALOON" となっていた。</ref>。横浜神奈交の車両は側面の社名ロゴが異なる点で識別可能<ref name="bj57-31"/>。
各運転士は、自らが所属する営業所長から乗務車両を任命され、その車両の専属乗務や簡単な車両管理などを行う'''担当車制'''を採用している。そのためか、“自分のクルマ”に愛着がある運転士も多く、運転士によっては車両を良く磨いたり清掃を行っていたりするため、廃車間際の車両であっても新車のような美しい外見を保っていることもある。なお、勤続年数(年功)の若い運転士や嘱託運転士を中心とする一部の運転士は担当車のないフリー運転士とされ、フリー運転士は担当運転士の休暇などで開いている車両に乗務する。
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ファイル:Kanachu SA852 air-express-saloon.jpg|神奈中空港リムジン色(さ852)
ファイル:Yokohama Kanako Bus YK8112 Air Express Saloon.jpg|横浜神奈交バスリムジン色 (YK8112)
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==== スヌーピーバス ====
また、車両の新車は勤続年数の長い(年功の古い)運転士や班長・副班長運転士など乗務成績の良い運転士から割り当てられる事が多い。その中で、[[1987年]](昭和62年)4月から運行されたギャラリーバス「カナちゃん号」については、車体外装全面の下地色を白で統一し、可愛らしいキャラクターをあしらう斬新な塗装であった他、小規模な営業所(当時の津久井営業所など)には1台しか配置されなかった事から、導入当初カナちゃん号に乗務する事になった乗務員の中には「恥ずかしいので運転したくない」と思っていた人が少なからずいたとの話がある。
[[#年表|年表節]]で述べた環境保護キャンペーンの一環で、ワンロマ車を青く塗装し、スヌーピーや他の登場人物をラッピングしたもの<ref name="br68-60"/>。1997年に導入した14台は図柄も1種類であったが、1998年に導入された26台ではベースの青を明るくし<ref name="br68-60"/>、夜行高速バス色のベース色と同色となったほか<ref name="bj57-31"/>、キャラクターの図柄も2種類となった<ref name="br68-60"/>。契約終了後には白帯や神奈中ロゴが入らずに完全な青一色で運行された期間もあった。
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ファイル:KC-MP717M Kanachu Hi132 SNOOPY BUS Charter.jpg|スヌーピーバス 1997年式(ひ132)
ファイル:KC-MP717M Kanachu A151.jpg|元スヌーピーバス 1997年式(あ151)
ファイル:KC-MP717M-Kanachu-i-25-1.jpg|元スヌーピーバス 1998年式(い25)
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==== ツインライナー色 ====
== 運賃の支払い方法 ==
ベースカラーはピーチピンク1色<ref name="bj57-30"/>。窓周りは黒で、ロゴが入る。最初に導入されたセントロライナーでは、天井部分にもロゴが入れられていたが、シターロでは省略され、現行のシターロでは屋根の塗装自体が省略されていたが(エアコン部分を除く)、2024年導入の国産車では屋根に塗装が施されている。
均一路線や多区間運賃区間などを抱えるため、幾つかの運賃支払い方法が存在する。
<gallery>
; 前払い均一運賃
ファイル:Kanagawa-Chuo-Kotsu-TwinLiner-N4421.jpg|ツインライナー色(ち202)
* 前扉から乗車して運賃を支払い、中扉から降車する。通常、運賃支払いは'''両替'''方式(横浜・舞岡・大和営業所の場合は'''つり銭'''方式)。
ファイル:Mercedes-Benz O530 CITARO-G Kanachu A201.jpg|ツインライナー色(あ201)
; 前払い多区間運賃
ファイル:TwinLiner-Kanachu-Mo203-001.jpg|ツインライナー色(も203)
* 前扉から乗車して、降車停留所を申告し運賃を支払い、中扉から降車する。通常、運賃支払いは'''両替'''方式(横浜・舞岡・大和営業所の場合は'''つり銭'''方式)。
*: ほとんどの乗客が終点まで乗り通す系統での朝ラッシュ時にしばしば用いられている。また、均一路線周辺及び均一路線と周辺を跨ぐ路線でも用いられている。
; 後払い均一運賃
* 中扉から乗車し、降車時に運賃を支払い、前扉から降車する。運賃支払いは'''両替'''方式。
; 後払い多区間運賃
* 前扉から乗車し整理券を取り、降車時に運賃を支払い、前扉から降車する。通常、運賃支払いは'''両替'''方式。
* カードの場合は、乗車時にカードを'''車両前側'''(橙色)の挿入口から通す。この際に整理券番号の情報が記録される。その後降車時に再びカードを'''客席側'''(黄緑色)の挿入口から通す。
; 後払い多区間運賃(伊勢原営業所の場合)
* 中扉から乗車し、中扉に設置された整理券発行機から整理券を取る。降車は上記と同一。
* カードの場合も中扉に設置されたカードリーダーに通す。この際に整理券番号の情報が記録される。降車は上記と同一。


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後払いで起点から1運賃区間(整理券なし)の停留所で乗車の場合は、整理券を取る必要がない(カードに整理券番号の情報を記録する必要がない)ため、整理券発行機・カードリーダーのない車両でも『しめきり』と表示してある中扉から乗車する事が少なくない<!--券なし区間でも前扉からの乗車となるケースも存在する-->(伊勢原営業所の車両以外は整理券発行機・カードリーダーが中扉に設置されていない)。
: このため、後払い路線において途中停留所からカードを通さずに乗車し降車時にそのままカードを通したり、乗車の際客席側の挿入口から通した場合には、起点からカードを通した停留所までの運賃が引かれてしまう。


==== 貸切色 ====
停留所ポールの下部にある「ワンマンバス利用上のお願い」には乗り降り方法と運賃支払い方法が表の形になっており、そこでも確認できる。それぞれ「全線1区の区間」(上記の前払い均一料金)、「2区以上の区間」(上記の後払い多区間運賃)の利用方法を掲出している。2区以上の区間の場合、乗り降り方法が「前扉から乗車して前扉から降車して下さい。」と掲出されているが、実際には中扉から乗車する事があるのは上記の通り。
旧来の貸切色は、1953年6月に導入された車両から導入された<ref name="50-47"/>、白地に赤と青の塗り分け<ref name="br68-65"/>。貸切・観光バス用車両や、一部の路線バス車両・特定輸送車両等に用いられた。2013年現在でも、旧貸切色そのままあるいは簡略化(特定色)したデザインで、企業・学校・養護学校等の特定輸送車両に用いられている<ref name="br68-64"/>。


1989年には、スーパーハイデッカー車の導入とともに、ブルーイエローと共通する新デザインの貸切色が採用されたが<ref name="bj23-31"/>、1997年以降は順次小田急グループ統一デザインに変更された<ref name="bj57-31"/>。なお、車体のロゴ表記は、神奈中ハイヤー時代は''Kanachu Hire)''、神奈中観光となってからの車体表記は''Kanachu''で、いずれも神奈中本体の所属車両とは異なっている。
=== 例外 ===
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例外として'''町71'''系統([[町田バスセンター]]~[[中山駅 (神奈川県)|中山駅]]北口)は、町田バスセンターから[[青葉台駅]]まで後払い(上記後払い多区間運賃の伊勢原営業所以外)、青葉台駅から中山駅北口まで先払い(上記前払い均一運賃大和営業所の場合)で、町田~青葉台・青葉台~中山相互間を乗り通す場合、乗車時と降車時で運賃支払い方法が異なってしまう。これは青葉台~中山間が[[横浜市営バス]]・[[東急バス]]との共同運行区間であるため。なお、この系統の乗車方法は以下の通り。
ファイル:P-MK595J-Kanachu-I96.jpg|旧貸切色(い96)
; 町田~青葉台→青葉台~中山方面 (乗車時は後払い→降車時は前払い)
ファイル:Kanachu-kanko H-0622 Queen-II.jpg|1993年に導入された新貸切色(H-0622)
* 前扉から乗車し整理券を取り(最初の一区は中扉から無券乗車)、青葉台駅到着時に乗車全区間の運賃を支払う。降車時は中扉からそのまま降車。
ファイル:Kanachu-kanko H-0615 Queen-III.jpg|1997年以降は小田急グループ統一デザイン(H-0615)
; 中山~青葉台→青葉台~町田方面 (乗車時・降車時ともに前払い。朝9時台以前に町田に到着する便)
ファイル:Kanagawaken-kanko Y-0615.jpg|2000年に傘下に入った神奈川県観光の色 (Y-0615)
* この場合のみ上記の前払い多区間運賃制度の場合と同じで、前扉から乗車する際に降車停留所を乗務員に伝えてから運賃を支払う。降車の際は中扉からそのまま下車する。
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; 中山~青葉台→青葉台~町田方面 (乗車時は前払い→降車時は後払い。朝10時台以降に町田に到着する便)
* 前扉から乗車する際に青葉台駅より先まで乗車する旨(降車停留所名)を乗務員に伝え、運賃を支払わずに乗車する。その後、後払い区間での降車(前扉から)時に中山方面から乗車した旨を伝え、乗車した区間の運賃を全額支払う。現在は平日中山発の最終便のみ。


==== リフト付路線バス ====
なお、これは神奈川中央交通により公式に発表されているものではなく。大和営業所や乗務員による一般的な取扱例である。実際に乗車する際には、乗務員に確認を取ってから運賃を支払うのが望ましい。しかし、同系統の運行回数が少ない事や青葉台駅で乗客のほとんどが入れ替わるなどの理由により、上記例外に遭遇する事は稀である。
1994年に[[神奈川リハビリテーション病院|神奈川県総合リハビリテーションセンター]]と共同開発した<ref name="br68-61"/> 車両は青をベースとしたデザイン。一方、1996年に東京都の補助金により導入した町田営業所所属車は白地に水玉模様<ref name="br68-61"/>。
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ファイル:U-UA440LAN-Kanachu-I110.jpg|伊勢原営業所所属のリフト車色(い110)
ファイル:KanagawaChuoKotsu ma197.JPG|町田営業所所属のリフト車色(ま197)
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==== かなみんラッピングバス ====
また、他の例外として、平塚駅南口発着の循環線に始発乗車は後払い、途中乗車は先払いという混在した支払方法も存在する。
[[2014年]](平成26年)[[6月]]より各営業所(藤沢・秦野・厚木・津久井・相模原の神奈交委託も含む)に順次導入された、神奈川中央交通公式キャラクター'''かなみん'''のラッピングバス。車体デザインは、横浜みなとみらい地区が描かれた桃色、海水浴するかなみんが描かれた青色、登山するかなみんが描かれた緑色、住宅街が描かれた水色の4種類が存在し、それぞれその地域を所管する営業所にあったイメージのものが導入されている。2019年に全車ラッピングが剥がされ、同年導入の新車に新デザインの塗装がされている。また、このかなみんラッピングバスでは、前面の行先表示器左側へ「かなみん」ステッカー([[都営バス]]「みんくる」・[[東急バス]]「ノッテちゃん」・[[小田急バス]]「きゅんた」・[[関東バス]]「かんにゃん」ステッカーと同様のもの<ref group="注釈">これらの事業者は一般車両にもステッカーが貼られているが、神奈中ではラッピングバスのみの貼り付けとなっている。</ref>)を貼り付けており、車内の座席もかなみんが描かれた仕様となっている。しかしながら、『かなちゃん号』とは違い、コスト削減のためにラッピングで施されている。2019年以降の新デザインでは、ラッピング施工車が2015年標準仕様ノンステップのため、同位置にはベビーカーステッカーの貼り付けがなされており、「かなみん」ステッカーの貼り付けは一代限りとなった。
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ファイル:Kanachu-yo2a.jpg|初代「かなみんラッピングバス(横浜の風景カラー・前面)」(よ2)
ファイル:Kanachu-yo2b.jpg|初代「かなみんラッピングバス(横浜の風景カラー・後面)」(よ2)
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==== 新カラーデザインバス ====
== 付記 ==
「調和」をデザインテーマとし、これまでの標準色で使用されてきた赤、橙、黄の3色の縦ラインとグラデーションで表現される。デザインを担当したのは、フェラーリのデザインも担当した[[奥山清行]]氏。なお、「Kanachu」のブランドマークは引き続き使用される。[[2023年]]度下期から各営業所に配属され、その後車両代替に伴って導入される予定となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/somu/2023/release/10.27release.pdf |title=乗合バス車両のカラーデザインを変更します |publisher=神奈川中央交通 |language=日本語 |date=2023-10-27 |accessdate=2023-11-07}}</ref>。カラーデザインの刷新は、[[1949年]]以来74年ぶりとなる。
* 収支改善のための努力として、ほぼ全車で[[傘]]の販売を実施している他、横浜地区を除き中型車(基本的には各神奈交バス・委託車)に売店スペースを設置したり、い25・、い65号車に飲料[[自動販売機]]を試験的にではあるが設置していた事など、車販をするバス会社としても有名であった。なお、傘など一部を除く車内物販については[[2008年]](平成20年)[[3月31日]]をもって廃止となった<!--この頃に神奈中ストアが全店撤退(神奈中商事の小売店舗全廃)-->。
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* 停留所の[[時刻表]]は、[[1990年]](平成2年)頃からダイヤ作成システムでの印刷出力様式となったが、経由・行先共6文字に制限されていたため、長い行先や経由地の場合は妙な省略がされる事が多かった。例えば、「相武台グリーンパーク行」→「グリンパーク行」、「山崎団地センター」→「山団センター」などはまだ正式名称が想像できるが、「京急ニュータウン行」→「京急行」、「ヨーカドー・中沢橋経由」→「ヨ・中沢橋経由」など、地元利用者でなければ理解が困難な表記もあった<!--小田急時刻表1991年ダイヤ改正号ではこのまま掲載された-->。また、経由欄には必ず「経由」という文字列が、行先欄には「行」の文字が入ったため、「直通経由」「急行経由」「北循環行」という表記もあった。しかし、[[2000年]](平成12年)頃のシステム更新によりこれらの妙な省略表記は解消された。但し、「山団センター」の表記はダイヤ作成システム稼動以前から車両の方向幕やLEDでも用いられており、定着しているとみなされて現在でも使用されている。なお、「愛川ふれあいの村野外センター前」は、業務上の表示等で「野外センター前」と略記されているが、なぜか時刻表サイトではこの略記でないと検索できない。
ファイル:Kanachu Se17.jpg|新カラーデザインバス(せ17)
{{Double image aside|right|Kanachu Bus Stop Type-Shirayuri.jpg|180|Kanako Bus Stop.jpg|180|神奈川中央交通で主に使用される「しらゆり型」バス停ポール|一部で使用されるバス停ポール}}
</gallery>
* 一部停留所などで掲載している時刻表に、「基本様式」と違う独自様式のものを用いている事がある。独自様式は厚木営業所管内で多く見られる。また、同じ「基本様式」でもサイズや色が違う場合もあり、中でも[[町田バスセンター]]の町田営業所担当の乗り場に掲出されている時刻表はそのポールにより様々な色が使用されている。なお、独自様式であっても「基本仕様」の時刻表に似せて作成されている事が多い。他にも、掲出する時刻表の多さやスペースの都合により、非常に小さく印刷された時刻表が使用される場合があり、町田営業所管内などで多く見られる。[[町田市]]の「市民ホール前」停留所や[[稲城市]]にある「於部屋」停留所など、時刻表の高さがA6判程度の大きさより小さくなってしまう場合もある。
* 各乗務員は、基本的に発車時に「'''左よし、下よし、右よし'''」という[[指差喚呼|指差呼称]]を行っている。これは他社ではあまりされていなかった発車時の指差呼称を行うことによって事故などを防ごうというものである。他の事故対策などで乗客に見る事ができるものは「安全鉄則 '''先ず止まれ'''」と書かれたプレートが運転席近くに設置されている事や、『'''回送時もスピードをおさえる'''』のスピードメーターの上に張られているピンクに黒字で印刷されたテープが挙げられる。なお、「下よし」の呼称はかつて下方不注意による死亡事故が発生し、その教訓から成された呼称である。なお、営業所や乗務員によっては「左よし、下よし、前方よし、右よし」の四方確認や、右後方確認などの呼称を行う事がある。
* [[方向幕]]はごく一部を除いて[[発光ダイオード|LED表示器]]であり、方向幕の車両も2004年(平成16年)頃の改造開始から3年程度でLED表示器に載せ変えた。これは、路線開設や廃止などによる幕交換や、ほこりなどで汚れた幕の清掃を省略するためで、また音声合成放送放置の導入も予定されていたことから、それに先駆けて行われた。なお、通常は方向幕に[[終車灯|終バス灯]]などを点灯させない。
* 車内放送は長らく8トラテープを使用していたが、2005年(平成17年)10月より[[クラリオン]]製の音声合成装置が導入され、2008年(平成20年)3月までに設置が完了した。ただし、高速路線車やコミュニティバスなどではそれ以前より音声合成化されていた。
* 1日数本から週1本など、本数の少ない路線や、大型・中型車で運行される狭隘路線も多く存在する。
* 昭和30年代に平塚駅から伊勢原市大山までトロリーバスの運行を計画した事があったが、道路事情の悪さから道路を管理する神奈川県が難色を示し、中止となった。
[[File:KanaCh-Monitor.JPG|thumb|180px|「かなch.」のモニター]]
* 2011年10月1日より、[[神奈川中央交通横浜営業所舞岡操車所|舞岡操車所]]の路線バス50台の運転席後方にモニターを設置し、ニュース・天気予報・広告などを放映する「かなch.」というサービスを開始した。<ref>http://www.kanachu.co.jp/news/pdf/release_20110930.pdf</ref>

== 関連会社 ==
=== 連結子会社 ===
==== バス ====
* [[湘南神奈交バス]]
* [[津久井神奈交バス]]
* [[横浜神奈交バス]]
* [[相模神奈交バス]]
* [[藤沢神奈交バス]]
* [[神奈中観光]]


==== その他 ====
==== その他 ====
; YAMATE LINER:茶色の濃淡にロゴが入る。[[2007年]]4月に[[横浜市交通局]]より移管された舞岡営業所11系統用に登場<ref name="90-38"/>。後に11系統にはノンステップ車を運用する事になり、それまで11系統で使用していたワンステップ車は3台を除き11系統の運用を外れ、それらの車両は塗色はそのままでロゴのみが'KANACHU-BUS'に書き換えられたものとなっている。なお、同塗装の車両は11系統の他に、60系統、保土ヶ谷駅東口発着の77系統、保06系統でも運用される。
* [[神奈中商事]] - グループでの資材一括調達、かなちゅうクリーニング、[[JX日鉱日石エネルギー|ENEOS]][[ガソリンスタンド]]の経営など
; 自転車ラックバス:前面がオレンジ、側面がオレンジと白のツートンカラー。「BICYCLE CARRIER」のロゴも施されている。
* 神奈中タクシーホールディングス - 神奈中ハイヤー・相模中央交通の統合を目的として2009年(平成21年)9月に設立された
** [[神奈中ハイヤー]]
** [[相模中央交通]]
* [[クリエイトL&S]] - グループ内の娯楽施設・神奈中スイミング等の経営を一括。
* [[アドベル]] - 広告代理業、清掃業
* [[グランドホテル神奈中]]
* [[神中興業]]
* [[神奈川三菱ふそう自動車販売]]
* [[神奈中システムプラン]] - らーめん花樂、らーめん味噌工房の運営、各種店舗フランチャイズ経営
* [[神奈中情報システム]] - グループ企業のシステム・サーバー管理、ソフトウェア製作など
* [[横浜ビルシステム]]
* [[ヤナセ|神奈中相模ヤナセ]]


この他、「湘南めぐみが丘」色や各自治体から受託運行しているコミュニティバスの専用色などがある。
=== 持分法適用関連会社 ===
<gallery>
* [[大山観光電鉄]]
ファイル:Kanachu YAMATE-LINER 0116.jpg|YAMATE LINER(お0116)
* [[小田急保険サービス]]
ファイル:PKG-MP35UM Kanachu Chi87 bicycle carrier open.jpg|自転車ラックバス(ち87)
ファイル:KL-MP35JM Kanachu Hi0165.jpg|「湘南めぐみが丘」色(ひ0165)
</gallery>

=== 車両番号(社番) ===
==== 神奈中・神奈中東・神奈中西の社番 ====
{{Triple image|right|Mercedes-Benz O530 Kanachu in-house number.jpg|180|Kanachu-Bus-Number-for-Location-System.jpg|180|Bus Location mobile Kanachu on Congestion.jpg|150|車体外部の社番表示|バスロケーションシステム導入車両の車内に貼付されている社番の表示|携帯バスロケでは車両番号で当該車両の到着予想時刻が参照できる}}
{{Double image|right|P-HT226AA-Kanachu-Ya15.jpg|250|Kanachu-WhiteLED.jpg|250|同一の社番であっても時を経て同じ番号が異なる車両で蘇ることがある。(や15)}}
神奈川中央交通・神奈川中央交通東・神奈川中央交通西の所属車両に付けられている社番は、「平仮名1文字」と「1 - 3桁の数字(営業所別・用途別の固有番号)」の組み合わせにより構成され、平仮名は所属する営業所を示している<ref name="BUSRAMA168-p23">{{Cite journal|和書|title=バス事業者訪問No.203 神奈川中央交通グループ|date=2018-6-25|publisher=[[ぽると出版]]|journal=[[バスラマ・インターナショナル|バスラマインターナショナル]]|issue=168|pages=23|isbn=978-4-89980-168-9}}</ref><ref name="BUSmagazine100-p76">{{Cite journal|和書|title=おじゃまします! バス会社潜入レポートvol.100 神奈中グループ|date=2020-3-27|publisher=[[講談社ビーシー]]|journal=[[バスマガジン]]|issue=100|pages=76|isbn=978-4-06-519691-5}}</ref>。
; 営業所の略号
{{columns-list|10em|style=font-style:italic|
* あ:[[神奈川中央交通東・厚木営業所|厚木]]
* い:[[神奈川中央交通西・伊勢原営業所|伊勢原]]
* お:[[神奈川中央交通舞岡営業所|舞岡]]
* き:[[神奈川中央交通東・厚木営業所|厚木北]]
* さ:[[神奈川中央交通東・相模原営業所|相模原]]
* せ:[[神奈川中央交通綾瀬営業所|綾瀬]]
* た:[[神奈川中央交通多摩営業所|多摩]]
* ち:[[神奈川中央交通茅ヶ崎営業所|茅ヶ崎]]
* つ:[[神奈川中央交通西・津久井営業所|津久井]]
* と:[[神奈川中央交通戸塚営業所|戸塚]]
* な:[[神奈川中央交通中山営業所|中山]]
* は:[[神奈川中央交通西・秦野営業所|秦野]]
* ひ:[[神奈川中央交通西・平塚営業所|平塚]]
* ふ:[[神奈川中央交通東・藤沢営業所|藤沢]]
* ま:[[神奈川中央交通町田営業所|町田]]
* も:[[神奈川中央交通東・橋本営業所|橋本]]、[[神奈中タクシー]]相模原営業所
* や:[[神奈川中央交通東・大和営業所|大和]]、神奈中タクシー座間営業所
* よ:[[神奈川中央交通横浜営業所|横浜]]
}}
: 出典:<ref name="BUSRAMA168-p23" /><ref name="BUSmagazine100-p76" />
; 数字の付番ルール
基本的に下記のルールで付番される。下記では前述3社をそれぞれ神奈中・神奈中東・神奈中西と省略して表記し、グループ3社と表記した場合は前述3社を指すものとする。
* 1 - 299:神奈中の一般路線車<ref name="BUSRAMA168-p23" /><ref name="BUSmagazine100-p76" />
** ミニバス・コミュニティバス・連節バスなどの特殊な車両は、営業所によっては201、202…などのきりの良い番号から付番される場合もある。
* 301 - 499:グループ3社の特定車(企業・学校などとの契約輸送用)<ref name="BUSRAMA168-p23" /><ref name="BUSmagazine100-p76" />
* 501 - 599:グループ3社の貸切車(近距離送迎・イベント輸送などに使用)<ref name="BUSRAMA168-p23" /><ref name="BUSmagazine100-p76" /><ref group="注釈">一般路線で使用することがある。</ref>。
* 601 - 699:神奈中東・神奈中西の一般路線車<ref name="BUSRAMA168-p23" /><ref name="BUSmagazine100-p76" />
* 701 - 899:グループ3社の高速路線車・空港路線車<ref name="BUSRAMA168-p23" /><ref name="BUSmagazine100-p76" />
* 900 - 923:神奈中東から神奈中タクシーに移管されたコミュニティバス車両の一部
なお、基本的に廃車・転出車の社番は代替となる新車・転入車に引き継がれる<ref name="BUSmagazine100-p76" /> ほか、転属や用途変更時には改番が発生する<ref name="BUSRAMA168-p23" />。増車の際には欠番となっている番号を振ったり、減車の際にはその番号を欠番にすることがあるほか、減車台数が多い時には番号の整理を行うことがある<ref group="注釈">2001年の多摩営業所開設時に同所へ転出車が大量発生した際の相模原営業所での事例などが該当する。</ref>。

バス車内には、運転席上に表示された正式な社番とは別に、[[バスロケーションシステム]]用の「車両番号」が表示されている。なお、神奈中バスロケーションシステムのモバイル版では、現在乗車しているバスの車両番号を入力する事で、その先の各停留所の到着予想時刻を参照したり、[[電子メール]]で送信する事が可能である<ref>{{Cite web|和書|title=携帯電話・パソコンでリアルタイム情報発信|publisher=神奈川中央交通|format=PDF|language=日本語|url=http://www.kanachu.co.jp/news/2007/pdf/goriyou_houhou.pdf|accessdate=2012-04-25}}</ref><ref group="注釈">システム上では神奈中・神奈交委託車の区別はされておらず、神奈交委託車の頭の0番(や'''0'''5など)は入力しなくても表示される。</ref>。


==== 神奈中観光の社番 ====
== データ ==
{{Main|神奈中観光#社番}}
=== 大株主の状況(2007年9月30日現在) ===
* ※[[小田急電鉄]]株式会社 - 44.23%
* 株式会社[[横浜銀行]](常任代理人:[[資産管理サービス信託銀行]]株式会社) - 4.92%
* [[日本トラスティ・サービス信託銀行]]株式会社([[三井アセット信託銀行]]再信託分・[CMTBエクイティインベストメンツ]株式会社信託口) - 1.83%
* 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社([[中央三井信託銀行]]退職給付信託口) - 1.59%
* [[第一生命保険]]相互会社 - 1.59%
* [[横浜ゴム]]株式会社 - 1.59%
※神奈川中央交通は、小田急電鉄の持分法適用関連会社である。


=== 営業所別所属台数推移 ===
=== 営業所別所属台数推移 ===
特定車・高速車を含み、貸切車は含まない。<!--出典付の数値を消さないで下さい。もし2009年の台数が出典付なら、その旨明記して追加で対応してください-->
特定車・高速車を含み、貸切車・教習車は含まない。<!--出典付の数値を消さないで下さい。もし2009年の台数が出典付なら、その旨明記して追加で対応してください-->
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!colspan="2"|営業所名
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!1991年3月
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!備考
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== 広報 ==
=== 情報誌「くる~ず」 ===
沿線の見どころやバスに関するお得な情報、神奈中の歴史など、地域に密着した情報を提供する[[フリーペーパー]]として2002年(平成14年)に発行開始。バス車内などで配布していたが、情報提供媒体の多様化などを鑑み、一定の役割を終えたとして、2018年春号(No.65)をもって発行終了となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanachu.co.jp/service/cruise/ |title=くる~ず |publisher=神奈川中央交通 |language=日本語 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。

=== マスコットキャラクター「かなみん」 ===
[[2014年]](平成26年)[[3月28日]]に神奈川中央交通の公式マスコットキャラクターとして「かなみん」が制定された。乗客や地域住民に親しみを持ってもらうことを目的とし、神奈川中央交通の略称「神奈中(かなチュー)」から[[ネズミ]]をモチーフにしたキャラクターとなっている。名前募集には4,842件の応募が寄せられた。

=== 公式SNS ===
2014年7月の[[Facebook]]公式ページ開設を皮切りに<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.facebook.com/photo?fbid=1515437965352553&set=a.1515438508685832 |title=神奈川中央交通Facebookページ |language=日本語 |date=2014-07-22 |accessdate=2024-10-18}}</ref>、2019年1月には公式[[Instagram]]を<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.instagram.com/p/BsepTZvgk1W/ |title=神奈川中央交通公式Instagram |language=日本語 |date=2019-01-11 |accessdate=2024-10-18}}</ref>、2023年8月には公式[[YouTube]]チャンネルをそれぞれ開設し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/@kanachu_group |title=神奈川中央交通公式YouTubeチャンネル |language=日本語 |date=2023-08 |accessdate=2024-10-18}}</ref>、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]での情報発信を強化している。

== グループ会社 ==
=== 連結子会社 ===
; 一般旅客自動車運送事業
* 神奈川中央交通東(乗合、特定、貸切、運行管理受託)
* 神奈川中央交通西(乗合、特定、運行管理受託)
* [[神奈中タクシー]](乗用、乗合、特定、運行管理受託<ref group="注釈">一部地域で自治体からコミュニティバスを受託運行している。</ref><ref group="注釈">神奈中タクシーホールディングスとして[[神奈中ハイヤー]]・[[相模中央交通]]の経営統合を目的として2009年9月に設立。2019年7月に子会社を吸収合併し、現商号に改称。</ref>)
* [[神奈中観光]](貸切<ref name="90-76"/><ref group="注釈">[[2019年]][[11月13日]]から[[2020年]][[10月31日]]までの期間、乗合事業として[[相模大野駅]]北口~[[南町田グランベリーパーク駅]]間を結ぶ[[路線バス]]を運行していた時期が存在する。</ref>)

; その他事業
* [[神奈中商事]](2024年7月1日アドベルから商号変更。広告代理業、清掃業グループでの資材一括調達、ソーラー発電事業<ref>神奈中岩手金ヶ崎太陽光発電所を所有。平成15年8月竣工、最大出力1500KW、パネル枚数7440枚、発電電力量約190万KWh/年。</ref>、かなちゅうクリーニング、[[ENEOS]][[ガソリンスタンド]]の経営など<ref name="90-72"/>。)
* 神奈中スポーツデザイン(グループ内の娯楽施設・神奈中スイミング等の経営<ref name="90-72"/>。2017年10月にクリエイトL&Sから社名変更。)
* [[グランドホテル神奈中]](平塚・秦野におけるホテル事業<ref name="90-73"/>)
* [[神中興業]](自動車整備業<ref name="90-73"/>)
* [[神奈川三菱ふそう自動車販売]](自動車販売業<ref name="90-73"/>)
* [[神奈中システムプラン]](らーめん花樂の運営、各種店舗フランチャイズ経営<ref name="90-74"/>)
* [[神奈中情報システム]](グループ企業のシステム・サーバー管理、ソフトウェア製作など<ref name="90-76"/>)
* 横浜ビルシステム(総合ビルメンテナンス<ref name="90-76"/>)
* 神奈中相模ヤナセ(輸入自動車販売<ref name="90-77"/>)

==== 過去の子会社 ====
* [[湘南神奈交バス]](乗合、特定、貸切、運行管理受託<ref name="90-74"/>)
* [[津久井神奈交バス]](乗合、特定、運行管理受託<ref name="90-74"/>)
* [[横浜神奈交バス]](乗合、運行管理受託<ref name="90-75"/>)
* [[相模神奈交バス]](乗合、運行管理受託<ref name="90-75"/>)
* [[藤沢神奈交バス]](乗合、運行管理受託<ref name="90-75"/>)
* [[神奈中ハイヤー]](乗用、運行管理受託)
* [[相模中央交通]](乗用、運行管理受託)

=== 持分法適用関連会社 ===
* [[大山観光電鉄]]
* [[小田急保険サービス]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist|3}}
{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="50-6">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.6]]</ref>
<ref name="50-8">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.8]]</ref>
<ref name="50-15">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.15]]</ref>
<ref name="50-16">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.16]]</ref>
<ref name="50-17">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.17]]</ref>
<ref name="50-18">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.18]]</ref>
<ref name="50-19">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.19]]</ref>
<ref name="50-2021">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 pp.20-21]]</ref>
<ref name="50-24">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.24]]</ref>
<ref name="50-26">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.26]]</ref>
<ref name="50-27">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.27]]</ref>
<ref name="50-28">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.28]]</ref>
<ref name="50-29">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.29]]</ref>
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<ref name="50-36">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.36]]</ref>
<ref name="50-38">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.38]]</ref>
<ref name="50-41">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.41]]</ref>
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<ref name="50-60">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.60]]</ref>
<ref name="50-63">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.63]]</ref>
<ref name="50-67">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.67]]</ref>
<ref name="50-71">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.71]]</ref>
<ref name="50-116">[[#50年史|『神奈川中央交通五十年史』 p.116]]</ref>
<ref name="60-5">[[#60年史|『神奈川中央交通六十年史』 p.5]]</ref>
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<ref name="60-53">[[#60年史|『神奈川中央交通六十年史』 p.53]]</ref>
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<ref name="60-76">[[#60年史|『神奈川中央交通六十年史』 p.76]]</ref>
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<ref name="100-59">[[#100年史|『神奈川中央交通100年史』 p.59]]</ref>
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<ref name="100-81">[[#100年史|『神奈川中央交通100年史』 p.81]]</ref>
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<ref name="bj6-8">[[#盛永6|『バス・ジャパン』通巻5号 p.8]]</ref>
<ref name="bj8-43">[[#鈴木8|『バス・ジャパン』通巻8号 p.43]]</ref>
<ref name="bj8-47">[[#高橋8|『バス・ジャパン』通巻8号 p.47]]</ref>
<ref name="bj9-51">[[#運輸省9|『バス・ジャパン』通巻9号 p.51]]</ref>
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<ref name="bj23-13">[[#BJ1997|『バスジャパン・ニューハンドブック23』 p.13]]</ref>
<ref name="bj23-16">[[#BJ1997|『バスジャパン・ニューハンドブック23』 p.16]]</ref>
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<ref name="bj23-1718">[[#BJ1997|『バスジャパン・ニューハンドブック23』 pp.17-18]]</ref>
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<ref name="bj23-31">[[#BJ1997|『バスジャパン・ニューハンドブック23』 p.31]]</ref>
<ref name="bj57-9">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.9]]</ref>
<ref name="bj57-16">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.16]]</ref>
<ref name="bj57-18">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.18]]</ref>
<ref name="bj57-19">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.19]]</ref>
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<ref name="bj57-24">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.24]]</ref>
<ref name="bj57-25">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.25]]</ref>
<ref name="bj57-26">[[#BJ2006|『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.26]]</ref>
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== 参考文献 ==
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2005 |month=3 |title=走り出した国内初のノンステップ連節バス 神奈川中央交通の"ツインライナー"|journal=バスラマ・インターナショナル |issue=89 |pages=21-25 |publisher=ぽると出版 |ref = br89|isbn =4899800894}}
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2008 |month=4 |title=評価も上々、運行開始から1か月 神奈中のツインライナー第2弾|journal=バスラマ・インターナショナル |issue=107 |pages=16-19 |publisher=ぽると出版 |ref = br107|isbn =9784899801078}}
* {{Cite journal|和書|author= |year=2012 |month=5 |title=国内ニュース|journal=バスラマ・インターナショナル |issue=131 |pages=86-89 |publisher=ぽると出版 |ref = br131n|isbn =9784988901313}}

== 関連項目 ==
{{Commonscat|ページ名=Kanagawa Chuo Kotsu|タイトル=神奈川中央交通|追加1=Buses transferred by Kanagawa Chuo Kotsu|タイトル1=神奈川中央交通から譲渡された車両}}
* [[小田急グループ]]
* 神奈中グループ
** [[神奈中商事]]
** [[神奈中タクシー]]
** [[グランドホテル神奈中]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Official website}}
* [http://www.kanachu.co.jp/ 神奈川中央交通]


{{バス共通カード}}
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[[Category:神奈川中央交通|*]]
[[Category:関東地方の乗合バス事業者]]
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[[ko:가나가와 중앙 교통]]

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神奈川中央交通株式会社
Kanagawa Chuo Kotsu Co.,Ltd.
神奈川中央交通本社
種類 株式会社
市場情報
東証プライム 9081
1949年5月16日上場
略称 神奈中(かなちゅう)
Kanachu
神奈交(銘柄略称)
本社所在地 日本の旗 日本
254-0811
神奈川県平塚市八重咲町6番18号
北緯35度19分36.5秒 東経139度20分59.1秒 / 北緯35.326806度 東経139.349750度 / 35.326806; 139.349750座標: 北緯35度19分36.5秒 東経139度20分59.1秒 / 北緯35.326806度 東経139.349750度 / 35.326806; 139.349750
設立 1921年大正10年)6月5日
業種 陸運業
法人番号 6021001036307 ウィキデータを編集
事業内容 一般旅客自動車運送事業、不動産業他
代表者 代表取締役社長 今井雅之
資本金 31億6000万円
(2020年3月31日現在)[1]
発行済株式総数 1260万株
(2020年3月31日現在)[1]
売上高 連結: 1127億0200万円
単独: 525億4400万円
(2020年3月期)[1]
営業利益 連結: 53億2900万円
単独: 32億2200万円
(2020年3月期)[1]
経常利益 連結: 54億7000万円
単独: 35億3100万円
(2020年3月期)[1]
純利益 連結: 22億8000万円
単独: 19億2000万円
(2020年3月期)[1]
純資産 連結: 605億5600万円
単独: 379億7200万円
(2020年3月31日現在)[1]
総資産 連結: 1561億5400万円
単独: 1049億4200万円
(2020年3月31日現在)[1]
従業員数 連結: 7,224人
単独: 2,236人
(2020年3月31日現在)[1]
決算期 3月31日
会計監査人 EY新日本有限責任監査法人[1]
主要株主 小田急電鉄 45.41%
横浜銀行 4.99%
横浜ゴム 1.96%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 1.82%
日本トラスティ・サービス信託銀行三井住友信託銀行退職給付信託口) 1.63%
三井住友信託銀行 1.49%
朝日生命保険 0.98%
第一生命保険 0.98%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 0.89%
明治安田生命保険 0.83%
(2020年3月31日現在)[1]
主要子会社 #グループ会社参照
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神奈川中央交通株式会社(かながわちゅうおうこうつう、: Kanagawa Chuo Kotsu Co.,Ltd.[2])は、神奈川県平塚市に本社を設置し、神奈川県を中心として、東京都山梨県で営業する大手バス事業者である。通称は「神奈中バス(かなちゅうバス)」。神奈川県バス協会東京バス協会の双方に加盟している[3][4]

小田急グループのうちの一社で、小田急電鉄持分法適用会社である。

概要

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日本最大のバス事業者で[5]、バス専業の事業者としても日本一の規模であり[6]、日本のバス業界のリーダー的存在とされている[7]

川崎市臨海部や横浜市北東部、三浦半島西湘・箱根を除く神奈川県の大部分の地域と町田市多摩市日野市稲城市八王子市東京都南多摩地域を中心に路線バス貸切バスの運行を行っているほか、東京国際空港成田国際空港への空港連絡バスを運行する。かつては東京駅・新宿駅からの深夜急行バス、横浜・町田・本厚木などから近畿地方各地や盛岡駅への高速バス路線の運行も行っていた(後述)。近年では都市間高速バスの運行にも力を入れている。

歴史

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本節では、主にバス事業の歴史を中心として、関連事業についても適宜記述する。関連事業についてはグループ会社の節も、車両の歴史は車両の節を参照。

創業期

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2009年現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている神奈川県中央部に乗合自動車が走り始めたのは、1910年に佐藤某[注釈 1] が設立した合資会社による、厚木平塚を結ぶ幌つき自動車による路線の開設に端を発する[7]。これに続くように、1911年には相陽自動車が車両3両で秦野と平塚を結ぶ路線の運行を開始している。しかし、乗合馬車や人力車の方が安かったことや[8]、道路が悪く運転技術も未熟だった[8] こともあり、いずれも1年程度で廃業となっている[7]

第一次世界大戦後の好景気により、横浜市内ではまず賃貸自動車営業[注釈 2] が開始され、続いて兼営で乗合自動車の運行が開始された[9]1917年頃から個人営業による乗合自動車業が設立されはじめ[9]、当時市街地として発展していた弘明寺を中心に、複数の乗合自動車が激しい乗客争奪戦を行ったが[9]、無益な競争をやめて整理統合する機運が高まり[9]1921年6月5日に横浜市大岡町を拠点として相武自動車が設立された[9]。これが神奈川中央交通の直接的な起源である[7]

相武自動車
横浜市大岡町字樋ノ口(現在の横浜市南区通町)に本社を置き、野口貞一が代表者を務めた。弘明寺 - 大岡川村 - 本郷村 - 鎌倉町小町、弘明寺 - 日下村田中 - 屏風浦村杉田 - 横浜市滝頭町、鎌倉駅 - 逗子駅、逗子駅 - 六浦荘村三分瀬戸1931年11月湘南乗合自動車(現在の京浜急行バス)に譲渡)、横浜市南吉田町 - お三の宮 - 引越 - 戸塚町旭町、鎌倉駅 - 長谷大仏前 - 藤沢駅などを運行していた。1923年9月の関東大震災の影響を受け社業が傾いたが、それでも同月横浜市八幡橋 - 横浜駅(現在の桜木町駅)の新線を開業させた。しかし、奏功せず1925年に横浜市八幡橋 - 横浜駅、鎌倉駅 - 逗子駅、鎌倉駅 - 藤沢駅各線の撤退を余儀なくされた。1928年梁瀬長太郎ヤナセ創業者)が社長に就任。横浜市南吉田町 - 戸塚町旭町の路線の起点を横浜市吉野町に変更して再建に務めていた。

1920年に伊勢原自働車運輸が平塚と伊勢原市を結ぶ路線[6]、1921年に秦野自動車が秦野と平塚を結ぶ路線の運行をそれぞれ開始した[6]。同年に大谷仁三郎が橋本田名村を結ぶ路線などの運行を開始し[6]、厚木町の有力者は厚木と横浜を結ぶ路線を開設したのち、1923年に設立された中央相武自動車に営業譲渡した[6]。ほかに片瀬自動車商会が厚木と藤沢を、鶴屋商会(鶴屋自動車商会とも)が厚木と戸塚を、結ぶ路線を開業するなど、1930年に10数社がバス事業を設立している[6]東海道本線の鉄道駅と大山道の宿場町を結んで開設された路線が目立つ一方、東京府におけるバス営業は、1934年に原町田乗合自動車が原町田鶴川淵野辺小野路を結ぶ路線を開業させた[10]

自主統合の流れ

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小規模なバス事業者の乱立は、結果的に競合による疲弊を招き[10]、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併することで、事業規模を拡大すると共に無益な競合を解消する気運が現れ始めた[11]。こうした自主的な統合という方向性は、1931年に公布された自動車交通事業法の目的である「交通企業の合理化と交通事業の統制」にも叶うものであった[10]

1928年(昭和3年)に、伊勢原の伊勢原自働車運輸が同じく伊勢原を拠点としていたサンエキ自動車と合併して伊勢原サンエキ自動車と改称して[12]1932年(昭和7年)に伊勢原自動車へ社名を変更した[11]1931年(昭和6年)2月17日に江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車が合併して設立[10] された藤沢自動車は、藤沢近辺にとどまらず、厚木・津久井方面まで沿線事業者と合併の上規模を拡大した結果[11]1937年(昭和12年)には、営業キロが約300キロメートルで車両数約60台を有する大手事業者となり[11]、同年6月25日に同社は京王電気軌道の傘下となる[10]。その一方、藤沢自動車と競合する相模鉄道は自社の相模線を擁護するため[12]、1935年に大谷仁三郎の個人経営だった橋本・渕野辺から田名にいたる路線を譲受し[11]1936年(昭和11年)に愛高自動車商会の厚木と上溝を結ぶ路線を買収し、沿線を自社バス路線の営業エリアとした[13]。また同年には東京新宿に拠点を置く関東乗合自動車が原町田乗合自動車を合併している[11]

1936年横浜市の相武自動車も同年12月28日鶴屋商会と戸塚自動車商会を合併して翌年1月12日に相武鶴屋自動車と改称した[10]。相武鶴屋自動車は1938年5月10日に東京横浜電鉄の傘下に入り、すでに東横傘下に入っていた中央相武自動車を1939年(昭和14年)6月16日に合併して東海道乗合自動車と改称し、主に東海道本線沿線へ路線を展開した[11]1941年(昭和16年)12月15日に東横系となっていた関東乗合自動車の町田営業所を継承し[10]、同じく東横傘下になっていた江ノ島電気鉄道の茅ヶ崎・平塚の2路線を譲受した[14]1942年に同じく東横系となっていた秦野自動車を合併した[12]

この時期までに東海道乗合自動車へ譲受されたバス事業の概要は以下の通りである。

鶴屋商会
1919年(大正8年)5月開業。戸塚駅 - 長後 - 用田 - 相模厚木駅、長後 - 相模大塚駅、長後 - 桜株 - 大和駅、戸塚駅 - 長沼、戸塚駅 - 藤沢駅、藤沢駅 - 深沢 - 長谷大仏前間の乗合自動車を運営。大木敏行が代表者を務めていたが、大木は相武自動車の横浜市吉野町 - 戸塚町旭町の路線を入手すべく相武自動車の梁瀬社長と交渉。1931年(昭和6年)11月7日に梁瀬から相武自動車ごと経営を引き継いでいた。
戸塚自動車商会
1928年(昭和3年)4月1日相沢今朝一が開業。戸塚駅 - 岡津 - 阿久和間の乗合自動車を運営。1933年(昭和8年)10月1日合資会社設立。1934年(昭和9年)6月20日鶴屋商会の大木敏行が経営に参加し、1936年(昭和11年)5月11日には経営権を獲得していた。
中央相武自動車
1923年(大正12年)3月17日設立。横浜 - 鶴ケ峰 - 川井宿 - 長津田辻 - 鶴間駅 - 厚木間の乗合自動車を運営。1936年(昭和11年)4月20日に玉川電気鉄道の傘下会社である目黒自動車運輸が買収し、同社社長の志保沢忠三郎が社長に就任したが、同年10月13日に東京横浜電鉄が玉川電気鉄道を傘下に収めた事に伴い、1937年(昭和12年)12月20日に中央相武自動車も東京横浜電鉄の傘下に入ることになり、東京横浜電鉄の経営下に移った[15]
秦野自動車
1920年(大正9年)9月三武鉄太郎が秦野自動車商会を興し、秦野 - 金目 - 平塚間を開業。1921年(大正10年)8月24日原慶太郎等が会社を設立[16]。9月1日、秦野自動車商会の路線を継承したほか、秦野 - 二宮間を開業[17]。その後秦野を中心に秦野 - 田原 - 菩提間、秦野 - 蓑毛間、秦野 - 比奈窪間、秦野 - 真田間、平塚 - 二宮間を開業。1936年(昭和11年)9月小室半蔵経営の路線(秦野 - 菩提間。1927年12月25日開業)を譲受。1938年(昭和13年)7月湘南軌道の乗合バス路線(秦野 - 二宮間。1929年8月14日開業)を吸収。1939年(昭和14年)11月16日に東京横浜電鉄の傘下に入った。1942年(昭和17年)2月13日、東海道乗合自動車に合併。
関東乗合自動車
1931年(昭和6年)12月25日設立。新宿駅 - 小滝橋 - 新井薬師口間と小滝橋 - 椎名町間を運行していたが、1936年(昭和11年)12月22日に原町田乗合自動車(同年4月に設立された会社で、1921年(大正10年)9月より野渡太助が運行し、後に平井実造が経営していた路線を承継。)を合併することにより、現在の町田市内にも営業基盤を有することになった[18]。しかし、運営上不便だったため[18]、東海道乗合自動車へはこの原町田営業所(原町田駅 - 図師間、原町田駅 - 瀬谷駅間、新原町田駅 - 小野路間)を譲渡した[18]
江ノ島電気鉄道
1931年7月11日、競合関係にあった鎌倉江ノ島乗合自動車商会(1929年(昭和4年)6月2日開業)より江ノ島 - 鎌倉間の営業権を譲受して10月10日に営業再開(これ以前に、1927年から1929年まで辻堂地区で乗合自動車業を行っていたが、廃業していた)[18]1934年(昭和9年)9月1日、藤沢自動車より片瀬 - 藤沢間譲受[18]1935年(昭和10年)5月26日、岩崎清一より茅ヶ崎市内の路線(1930年(昭和5年)4月30日開業。茅ケ崎駅南口 - 魚市場間、茅ケ崎駅北口 - 南湖院間)および平田忠心より平塚市内の路線(1926年(大正15年)2月1日開業。平塚駅表口 - 海岸循環ほか4路線)を譲受[18]。東海道乗合自動車へは、まずこの茅ヶ崎・平塚線を譲渡した[18]

なお、東海道乗合自動車は鎌倉市より南の三浦半島地区で営業していた湘南半島自動車と日本自動車道にも統合を持ちかけたが、親会社の京浜電気鉄道が反発し議論は不調に終わる。結局湘南半島自動車が日本自動車道を吸収合併した後、京浜電気鉄道を経て東京急行電鉄に組み込まれた。

戦時統合へ

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戦時体制に入ると、陸上交通事業調整法の公布により、バス事業者は極力統合する方向となった[11]1942年に東京横浜電鉄は京浜電気鉄道と小田急電鉄を統合して東京急行電鉄(東急)となっていたが、東急は1943年に藤沢自動車の経営権を京王電気軌道から譲受して傘下に収めた上で[12]、伊勢原自動車を買収した[11]。一方、1942年には陸運統制令に基づく鉄道省通牒により強制統合が進められる事となったが、この時に神奈川県では横浜市・相模・地区外という3ブロックに分けられることとなった[19]。この時、町田地区は東京の調整区域から外されて相模ブロックに編入されることになった[12]。相模ブロックの統合主体は東海道乗合自動車が選定され[19]1944年(昭和19年)5月31日に東海道乗合自動車は藤沢自動車と伊勢原自動車を合併して、6月16日神奈川中央乗合自動車に商号を変更した[12]

なお、江ノ島電気鉄道のバス路線については、既に一部の路線が東海道乗合自動車に譲渡されており、残った路線も1944年までには全ての路線が運休となっていたことから、事実上のバス事業廃止となり[12]11月28日に神奈川中央乗合自動車に譲渡された。この時点では相模鉄道のバス部門はそのままであったが[19]、既に相模鉄道自身も東急の傘下にあった上[20]、鉄道線が国鉄に買収され[19]、神中線も東急に経営委託(事実上の統合)していたため[20]、鉄道業における実体がなくなっていた[19]。同社バス部門も江ノ電と同日の1944年11月28日に神奈川中央乗合自動車に譲渡された[20][21]。この時点で相模ブロックの統合が完了したのである[19]

この時期までに統合されたバス事業の概要は以下の通りである。

伊勢原自動車
1920年(大正9年)3月6日に米田精一郎が伊勢原自働車運輸を設立[22]1923年(大正12年)12月須馬自動車を、1924年(大正13年)9月青木芳利経営の路線(太平自動車。平塚 - 二宮間)をそれぞれ吸収して業容を拡大。一方、同じ伊勢原に1926年(大正15年)8月29日山田永三等がサンエキ自動車を設立し、平塚 - 伊勢原、伊勢原 - 大山間を開業する。1928年(昭和3年)2月5日両社が合併のため解散して、伊勢原サンエキ自動車を新設。[22]1932年(昭和7年)9月伊勢原自動車と商号を変更[22]。1935年(昭和10年)12月旭自動車(1928年12月5日開業。平塚駅 - 二宮駅間、公所 - 片岡間)を、1937年(昭和12年)10月中井自動車(1927年(昭和2年)11月18日開業。二宮駅 - 比奈窪 - 鴨沢間)と上倉定吉の上倉自動車(1927年(昭和2年)7月26日開業。国府津駅 - 小竹間、国府津駅 - 鴨宮駅間)をそれぞれ吸収[23]。1938年(昭和13年)3月には秦野自動車より平塚 - 二宮間と平塚 - 須賀間を譲受していた[23]
藤沢自動車
1931年(昭和6年)2月17日に設立。同年6月片瀬自動車商会(大正9年(1920年)9月土屋忠要が開業)と鵠沼自動車を統合。同年7月17日江之島自動車(大正8年6月28日設立。同年7月開業)を合併[22]。以降、県央地区(高座郡愛甲郡津久井郡)の事業者を悉く買収・併合して統合[24] する。まず、同年12月31日相模自動車(1920年(大正9年)8月10日中野再五郎が設立。本社・厚木。厚木 - 平塚間、厚木 - 半原間、半原 - 八王子間)を合併。翌1932年(昭和7年)10月には寒川自動車商会(1924年(大正13年)7月開業。寒川駅 - 用田間)の路線を、1934年(昭和9年)3月16日には梅沢馨児(津久井自動車商会。橋本 - 青山 - 鳥屋間、青山 - 前戸間。1925年(大正14年)12月開業)の路線をそれぞれ譲受。1937年(昭和12年)6月25日には京王電気軌道(現在の京王線の母体)の傘下となるも、京王の資金力をバックに統合を続け、同年12月茅ヶ崎自動車(1929年(昭和4年)8月30日会社設立。翌1930年(昭和5年)3月22日、篠田富吉経営の路線(茅ヶ崎 - 寒川一の宮間、茅ヶ崎 - 平塚間。1924年(大正13年)3月開業)を継承)の路線を譲受。1939年(昭和14年)5月には七沢温泉自動車商会(海老名 - 厚木 - 七沢間。1928年(昭和3年)5月岩田敬一が開業。1931年(昭和6年)3月10日合資会社設立)、万便社自動車商会(厚木 - 煤ヶ谷 - 宮ヶ瀬間。1926年(大正15年)3月山田永三が開業した路線を1931年(昭和6年)1月14日に継承)、桜井伊勢(茅ケ崎駅北口 - 遠藤間。1930年(昭和5年)2月2日開業の小出村営バスを1935年(昭和10年)9月に払い下げ)、山田忠次(相北自動車商会。三増 - 箕輪辻 - 厚木間。1924年(大正13年)10月開業。1933年(昭和8年)3月、大谷仁三郎より半原 - 箕輪辻 - 小沢 - 田名間を譲受)の各路線を譲受。1940年(昭和15年)9月、八王子中央自動車(川尻村(現・相模原市緑区)久保沢向原 - 八王子市旭町間。1925年(大正14年)11月開業)の路線を譲受。1943年(昭和18年)9月八木屋自動車(鈴木勇三経営。相模中野 - 与瀬 - 藤野 - 上野原間、与瀬 - 千木良間、藤野 - 上沢井間。1926年(大正15年)8月1日開業し、1941年(昭和16年)2月には戸高小きくが1931年(昭和6年)12月に開業した与瀬 - 勝瀬間を買収)の譲受で、南は藤沢 - 平塚から厚木・相模原を経て北は八王子 - 上野原までに至る神奈川県を縦断する路線網を築き上げた[25]
相模鉄道
1935年(昭和10年)12月24日、大谷仁三郎経営の淵野辺 - 上溝 - 田名間と田名 - 橋本間の乗合自動車業を承継して開業[26]。1936年6月9日、愛甲自動車商会(今福亀吉経営。1925年(大正14年)2月1日開業)より上溝 - 厚木間の路線を譲受。1941年6月30日、東京横浜電鉄の傘下に入り、1943年4月1日、神中鉄道(現在の相鉄本線の母体)を吸収合併するが、1944年6月1日、本来の鉄道路線である茅ケ崎 - 橋本間が国家買収される(現在のJR相模線)。従って同社は現在の相鉄ホールディングスと同一企業であるが、この時神奈中に編入されたバス路線と現在の相鉄バス1950年6月20日横浜市内で改めて開業)は全くの無関係であり別物である。

1945年には空襲に備え、本社事務所を伊勢原に疎開移転した[27]

戦後の復興

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神奈川県中央部は、横浜・川崎と比較すると戦災による路線の被害は少なかったが[20]、戦後の輸送量増加においては車両不足が顕在化した[19]。このため、1946年(昭和21年)に神中自動車工業秦野工場を買収し、自社で車両再生を行った[20]。また車両不足から運休に追い込まれていた横浜市内の一部路線を再開するため、東京急行電鉄とともに横浜市交通局と臨時運転契約を結んだ。

1948年(昭和23年)、戦時統合により巨大な鉄道事業者となっていた東京急行電鉄(大東急)から、小田急電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が分離したが、合併前は小田急の路線であった井の頭線が京王の所属となり[20]、その代わりとして箱根登山鉄道(現・小田急箱根)とともに神奈川中央乗合自動車が小田急電鉄の傘下に入る事になった[28]

なお同じ小田急グループの他のバス会社は当時まだ小田急電鉄とは無関係の独立会社であった。小田急バスは旧社名を武蔵野乗合自動車といい、小田急の傘下に入るのは神奈川中央乗合よりも後の1950年(昭和25年)である。立川バスは戦前、南武線を運営していた南武鉄道(現・太平洋不動産)の子会社で、1954年(昭和29年)に小田急グループ入りした。また、東海バスが小田急グループに入るのは、それから20年近く後の1971年(昭和46年)である。

同年にはディーゼルバスの導入を開始[29]、戦時中は休止していた貸切バス事業も再開している[28]

この時期、江ノ島電気鉄道(現在の江ノ島電鉄)では自社鉄道線の擁護を目的として[20]、かつて江ノ電が経営していたバス路線の買収を図った[28]。交渉の難航はあったものの、五島慶太の斡旋によって買収が決定[20]1949年6月に藤沢・鎌倉・大船・弘明寺地区の路線の一部が江ノ電に譲渡された[28]

1951年6月には社名を神奈川中央交通に変更した[29]。1953年には本社を平塚市に移転した[30]。沿線住民や利用者からは、この時期から「神奈中」という通称で呼ばれるようになった[28]。本項でも、以下神奈川中央交通を「神奈中」と表記する。

経済成長期

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1960年代・団地輸送の増強と拡大

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1950年代後半に入ると、人口増加地域である神奈中エリアの通勤需要は増加の一途を辿る[29]。特に東海道線沿線の鉄道フィーダー輸送の必要性が高くなっていたことから[28]1953年(昭和28年)に藤沢駅横浜駅を結ぶ路線を15分ヘッドで運行し、急行便も新設した[29]。その後、国府津駅までの鉄道と並行する路線も同様に運行便数の充実を図り[28]、さらに各鉄道駅から住宅地への路線を新設して鉄道との連携輸送を行った[29]。同様に人口が増加していた小田急沿線からの路線も拡充し[28]、町田地区では道路改良と共に次々と路線新設を行った[29] ほか、宮ヶ瀬(清川村)や青根(相模原市緑区)などの山間集落にも路線を展開した[28]1956年までの3年間に導入した車両数は126台となり[29]、約90系統が新設されている[28]1958年(昭和33年)には京王帝都電鉄や小田急バスとの相互乗り入れという形態で東京都内にも路線拡大を展開[29]調布市関戸吉祥寺駅へも乗り入れた[28]。一方、横浜市内では横浜市交通局相模鉄道との路線免許申請の競合が多くなったが[29]1960年頃からは各社で申請前に協議することになり[28]1962年には3社で運輸協定を結んだため[29]、以後競願による認可の遅れという事態は回避されることになった[31]

これらの路線規模の拡大と共に営業拠点の新設も行われ、1957年からの5年間で233台もの車両増備が行われた[29]1963年以降は、町田・横浜地区並びに小田急沿線での大規模団地造成と共に大幅な輸送力増強を迫られた[31]。これに対応するべく車両の増備が急速に進められ、1970年に路線バスの保有台数は1,000台を超え[32]、営業所を郊外へ移転すると同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた[31]

この時期、神奈中では関連事業の拡大にも着手している。1959年4月には湘南平にレストハウスを建設[33]、これにあわせて同年8月17日には神奈中商事を設立した[33]1962年からはスーパーマーケット「神奈中ストア」を開業し、沿線各地への店舗展開を行ったほか[34]、クリーニング業にも着手した[35]。また、1964年7月からはボウリング場の建設を進め、最盛期には沿線に11店舗にまで拡大した[34]1967年から不動産業にも進出[33]鎌倉市二宮町などで宅地分譲を行った[33]

日本初の整理券方式ワンマンバス
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このように輸送力増強に追われる中、要員不足が顕在化することとなった[31]。特に車掌の採用難が厳しくなったことから[32]、当時都市部の一部路線で行われていたワンマン化を進める事になった[31]。しかし、ワンマン化自体は1951年大阪市交通局で実施されていたが[36]、それまでワンマン化されていた路線は均一運賃体系の路線が主で、多区間運賃制路線では申告制前払いとしたところもあった[36]。しかし、神奈中の大多数の路線のように運賃区間の多い路線での多区間運賃制へのワンマン化事例は当時存在せず、運賃収受の確実化を図る必要があった[36]

そこで、乗車停留所を明確にするために、乗車時に乗車整理券を取り、乗客は降車時に整理券と照合して運賃を支払うという「整理券方式」のワンマンバスを導入する事になり、1962年11月1日より試験的に運賃区界数2区間の路線でワンマン化が開始された。この時の整理券はボール紙[注釈 3][37]、前扉付近に整理券ホルダーを設置した。以後、神奈中の乗車方法は前乗り前降りが基本となる。その後も機器の開発を進め、1964年4月には運賃区界数5区間の路線でもワンマン化が行われたが[37]、この時には色分けされたプラスチック板の整理券を乗車時にボタンを押して受け取る方法となり[37]、さらに同年10月には運賃区界数8区間の路線にも導入された[37]。それを受けて、1965年2月1日より伊勢原と茅ヶ崎の2営業所で本格的なワンマン化を開始した。1966年にはロール紙に1枚ずつ番号を印刷してカットする機構が開発され[37]、運賃区界数にかかわらずワンマンバスの運行が可能になったことから一気にワンマン化を促進し、同年10月1日には山間部の一部路線を除いてほぼ全路線がワンマン化された。

日本では多区間運賃制路線でのワンマン化は神奈中が初であり[31]、会社の規模としては急速かつ広範囲にワンマン化が進められたが、監督官庁から安全性を危惧する意見があり、狭隘な道路では待避所やカーブミラーの設置を進めると共に[38]、見通しの悪い踏切などでは自社で交通整理要員を配置して対処した[35]。また、当時はワンマン化に反対するバス事業者が多く、他社の労働組合からワンマンバス導入展開にクレームもあり[37]、労使共に説得したこともあるという[37]。しかし、ワンマン化は時代の趨勢であり、以後整理券方式のワンマンバスは日本全国に拡大され、乗降ドアの違いなどはあるものの、日本のバスにおいて標準的な運賃支払い方式となった。神奈中においては、1974年5月の大秦野駅ヤビツ峠を結ぶ路線を最後に、完全ワンマン化を達成している[32]

1970年代・さらなる輸送力増強

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1970年代になると、既に開発の進んだ鉄道沿線から離れた外縁部へも宅地化が進むことになった[39]1971年に入居を開始した多摩ニュータウンでは、ニュータウン鉄道の開通まではバスに通勤輸送が委ねられることとなり[40]、神奈中と京王が輸送を担当した[39]。さらに都心から離れた厚木・伊勢原・秦野・平塚においても住宅地の造成が進み[40]、路線と車両増強を繰り返した結果、小田急線・東海道本線沿線各駅のバス路線の集積度はきわめて高くなった[39]

また、自家用バスによる送迎が行われている企業や学校での車両代替に着目し[31]1975年以降は特定バス事業にも着手した[31]。運行や車両整備はバス事業者が行うが、運行形態やバスのカラーリングなどは顧客側で決定するというもので、積極的にセールスを行ったことによって特定輸送の運行規模はその後大幅に拡大され[32]、その後の神奈中のバス事業の基幹の1つに位置付けられている[39]1976年には山間部の路線において停留所以外でも乗降が可能な自由乗降方式の採用も開始した[41]

関連事業においては、ボウリング場の乱立による競争の激化で経営が悪化、1974年5月までに一部の店舗を除いて撤退することになったが[42]、用途のなくなった建物の有効活用としてスイミングスクールの運営を1976年10月から開始し[43]、これをきっかけとしてテニススクールやフィットネススタジオなど、スポーツ事業への参入も開始した[44]。また、不動産業では沿線外の宅地分譲も行うこととなり[45]1974年から1985年までに兵庫県三木市[45]愛知県名古屋市[45]岐阜県岐阜市[46]秋田県秋田市[46] での宅地分譲を行っている。また、市街地の再開発などにあわせて、自社用地に建設したビルを使用した賃貸業務も拡大させている[47]。この他、老朽化した営業所建屋を改築した際に生じた空きスペースを利用して[44]、食堂業へ進出することとなり[48]1977年10月24日からは「サッポロラーメンくるまや」(当時)と業務提携を行うことによってラーメン屋の営業も開始している[48]

深夜バスの運行
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神奈中の深夜バス路線の例(本厚木駅24時35分発鳶尾団地行き)

ベッドタウンの外延化と共に、利用者からは路線バスをもっと遅くまで走らせることに対する要望が強くなっていた。神奈中においても例外ではなく、1970年5月には入居開始されてから間もない鶴川団地の住民から最終バスを延長するよう申し入れがあった[49]。神奈中ではこの要望への回答として、同年7月27日より鶴川駅→鶴川団地行きのバスについて23時10分と23時30分の深夜便を設定した[49]

この深夜バスは、通常の路線バスと異なるサービスを提供するという観点から、道路運送法24条の2「貸切自動車運送事業による乗合許可」を適用した貸切扱いとし[注釈 4]、運賃を通常の3倍に設定して[49] 定期券は利用不可とした[49]

日本における深夜バスの運行は古くから行われており、1952年9月には阪急バスによって大阪 - 池田・宝塚および大阪 - 京都間で運行を開始しており、首都圏でも1964年には東京都交通局が東京駅~銀座・小滝橋・新宿方面を、1969年には首都圏近郊の民営バス8社によって6路線の深夜バスが運行を開始している。しかしながら、交通ジャーナリストの鈴木文彦は、この鶴川駅~鶴川団地における深夜バス運行を「日本で初めての深夜バス」と位置付けたことで[41]、「神奈川中央交通が日本で初めての深夜バスの運行を開始した」であるという誤解が1990年代~2010年代にかけて広まった。

この深夜バスに対して、鶴川団地住民は反対運動によるボイコットをおこした。1970年7月27日の運行開始の第1便に対して、住民は自家用車13台を動員し、初便に乗客が1人も乗らないという状況をつくりだした[50]。当日の第1便は8名の利用者よりも報道陣が目立った状態で[51]、運賃設定などに反発した一部の住民が会員制の「自主バス」を運行したり[49]、運賃制度について大学教授・利用者代表と会社役員がNHK番組で論戦を行うなどの動きもあったが[52]、路線拡充や深夜バス運賃の据え置き[注釈 5] や引き下げ[注釈 6] により深夜バスに移行したため[49]1980年までに「自主バス」は廃止となった[49]

運輸省でもバスの終車延長には積極姿勢を見せ、1970年12月には「大都市周辺部の深夜バス運行について」という通達を出した[49]。しかし深夜バスは、不規則労働となる乗務員に手当てを支払った上で採算性が確保できるかどうかの判断が事業者によって分かれる[49]。このため関東地方に限っても、深夜バスを運行する事業者が大幅に増加するのは深夜の交通機関の確保について運輸省が再度勧告を出した1986年以降である。深夜バスの採算性を認めた神奈中においては、深夜バスの運行系統は年毎に増加し、東京都内の全事業者を合わせた深夜バスの系統数が約50系統となった1987年の時点で、神奈川県内では既に神奈中だけで50系統以上の深夜バスが運行されていた[49]

1980年代・さらに続く拡大傾向

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1980年代に入ると、日本のバス事業全体の傾向としてモータリゼーションと道路渋滞による走行環境の悪化と利用者減少に見舞われるが、神奈中の営業エリアは人口増加が続き、バス利用者も増加した[41]。人口増加や企業・学校の郊外移転などで、鉄道からのフィーダー輸送の役割が求められたためである[53]。1980年代以降は沿線に大学の新設や移転などが続いたため、通学輸送の増強も行われる事になった[41]。既に1971年には相模原市に北里大学が移転していたが、1980年代初頭には相模原地区における輸送の要となっていた[53]

復元された薪バス「三太号」

1981年に会社創立60周年を迎えたが、この時に先人達の苦労を伝えるという意味で[54] 薪バス「三太号」を復元した[55]。薪バスは沿線各地で展示なども行われた[54]。同年、平塚市の本社の改築が終了したが、それまで本格的なレストランがないという声が地元からあったため[56]、本社に併設された平塚グランドホテルの地下にレストランもオープンさせた[56]

また、1983年にはデジタル式運賃表示器[57]1985年(昭和60年)には大型方向幕を導入するなど[58]、路線車両のサービス改善にも積極的に取り組んだ。特に1987年(昭和62年)4月には一挙に300台もの新車導入が行われ[59]、同年5月には全車両の冷房化を達成した[54]1988年にはそれまですべてを人手に頼っていたバスダイヤの作成を自動化すべく、バスダイヤ自動作成システム「AIDIA」も稼動開始し、日本のバス業界の注目を集めた[55]

1984年からは遊技場(パチンコ店)経営にも着手したほか[60]1990年(平成2年)10月30日には伊豆半島にゴルフ場「中伊豆グリーンクラブ」をオープンさせている[61]。また、当初は社有地の有効活用として進出した食堂業については、事業拡大のため用地の購入や賃貸による出店を行うことになり[62]、1983年6月には沿線外への店舗展開も開始された[62]。ラーメン屋の名称は、1989年3月17日から「くるまやラーメン」に名称変更された[62]。また、サーティワンアイスクリームミスタードーナツケンタッキーフライドチキンなどとの提携による出店も開始されている[63]

多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入
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カード取扱テスト車 バスカード取扱車 初期のカードリーダー
カード取扱テスト車
バスカード取扱車
初期のカードリーダー

当時の神奈中では、回数乗車券利用者が全乗客の27%を占めており[64]、定期券利用者とともに固定客とみられていた[64]。事業区域内の大半の路線が多区間運賃制であり[64]、どの区間にも対応させる目的で金種別に19種類もの多種にわたる回数券を発売していた[65]。しかしすべての利用者に満足できるものではなく[66]、また運賃精算などの後方業務も複雑になっていた[67]。これを解消するため、神奈中はプリペイドカード式回数乗車券(バスカード)の導入を決定した[68]

当時、バスカードは一部の均一運賃制路線での導入例はあったが[どこ?]、多区間運賃制の路線に対応したシステムは存在しなかったため、システムを新規に構築する必要があった。1985年三陽電機製作所と共同でシステム開発に着手、1987年10月20日より伊勢原の路線バス15台にて実用化を前提とした試験を開始[54]、この結果を受けて1988年(昭和63年)5月9日より「神奈中バスカード」の運用を開始した[69]。これは多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入事例であり[55]1990年(平成2年)3月26日には全車両での導入を達成している。

システム開発と導入にあたり、運輸省より「昭和63年度バス交通活性化補助」を受けているが、バスカード導入で補助対象になったのも日本で初めてである[70]。なお、この年度には長崎自動車のバスカードシステム導入も補助対象となっている[71]

同時期には奈良交通(1989年)、長崎自動車(1990年)でもバスカードシステムが導入されており[69][71]、この後バスカードシステムを導入するバス事業者は増加してゆくことになる。

神奈中バスカードが利用可能な車両には、前面に丸い青色の「バスカード取扱車」のマークを装着していた。この方式は奈良交通でも踏襲されている(奈良交通では緑色)。

その後、神奈中バスカードはバス共通カードへ発展解消していくことになるが、当初は神奈中バスカードのシステムとバス共通カード導入事業者のシステムが異なっていたため、神奈中でバス共通カードが完全導入されるまではバス共通カードを利用できない車両が存在し[72]、逆に他社のバス共通カード取扱車においては神奈中バスカードを利用することはできなかった。しかしバス共通カードの割引率などは神奈中バスカードで設定されていたものが踏襲されており、PASMOの「バス利用特典サービス」の特典バスチケットにもその金額は引き継がれている。

県内初の夜行高速バス
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夜行高速バス 横浜 - 奈良線(やまと号
湘南神奈交バス担当時代

1980年代には、高速道路網の整備や国鉄の影響力低下(中央高速バスを参照)などの時代的背景により、日本国内では高速バス路線の開業がブームとなった。

同じく神奈川県内をテリトリーとする京浜急行電鉄(現・京浜急行バス)は、1986年に夜行高速バス「ノクターン号」を運行開始して大きな成功を収めた。ただし当初は品川発着のみで、横浜への乗り入れ開始は1990年であった。

神奈中もターミナルとして地元の横浜・町田に着目し[54]1989年(平成元年)2月28日から奈良交通との共同運行により、横浜・町田と奈良を結ぶ夜行高速バスの運行を開始[55]。横浜発着の都市間高速バスは神奈中が最初であった[73]。またこれは、神奈川県下で初となる夜行高速バス路線であった[74]

さらに同1989年中には、横浜・町田から京都・大阪和歌山広島への夜行高速路線を相次いで開業した[54]。なお現在、神奈中はこれらの路線からはいずれも撤退している。また、同1989年末からは深夜急行バスの運行も開始したが[54]2024年(令和6年)11月30日をもって全路線が廃止されたことで運行を終了した[75][76]

1990年7月5日には、横浜から盛岡への路線を開業した[55]

バス復権に向けて

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神奈中ハイヤーに移管された貸切バス

しかし、ここまで順調に規模を拡大してきた神奈中も、バブル経済崩壊後の不況の波から逃れることはできなかった。1991年に年間輸送人員が3億2百万人に達したのをピークとして[77]1992年以降はバス利用者数は減少傾向となった[77]。神奈中沿線に製造業が多いこともあり、消費低迷は製造業での業務縮小を招いた[78]。さらに少子化による通学需要の減少も作用し、路線バス利用者は年毎に減少してゆく[77]

これに対応するべく、1995年の路線バス車両はすべて中型車での導入となり[79]、同年には町田・平塚・戸塚営業所に置かれていた貸切・観光バス部門の大半を子会社の神奈中ハイヤーに移管した[80]。その後、2000年に神奈川県の第三セクター・神奈川県観光(当時)の経営悪化に伴い同社の株式を取得の上子会社化[78]。同社の新横浜営業所とし、2002年に県観光は神奈中ハイヤー観光バスに称号を変更、更に神奈中ハイヤーの貸切バス部門(町田・平塚・戸塚)を神奈中ハイヤー観光バスに移管した上で、2004年神奈中観光に改称した[78]。なお、この間の2002年2月には小田急グループ自体の事業再編の一環として、旧箱根登山観光バスの東京観光営業所(町田市鶴間)を神奈中ハイヤーで譲受し、野津田車庫に置かれていた自社の町田営業所と統合の上、旧箱根登山観光の営業所に移転している。

関連事業においては、それまで「くるまやラーメン」のフランチャイズとして展開していたものを2000年に提携解消し、「らーめん花楽」として独自の店舗展開を行うことになった[81]。また、1999年からはビデオ・CDレンタル事業(TSUTAYAのフランチャイズ)も開始した[82]

その一方で、これまでの神奈中にはなかった施策もいくつか行われている。

ミニバス展開

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1992年に導入された小型バス 日野・レインボーRB 1997年に導入された小型バス「湘南ロコ号」 日野・リエッセ
1992年に導入された小型バス
日野・レインボーRB
1997年に導入された小型バス「湘南ロコ号」
日野・リエッセ

神奈中は元々大型車が中心で、狭隘路線などに限定して中型車が導入されていた状態であった。これはかつて、幅2mクラスの小型車ではワンマン運行に適した車両が少なかったことによる。しかし住民からの路線開設要望が多い路線については、リアエンジンの小型バス(日野・レインボーRB)が発売されたことを機に、1992年10月から3路線で小型バスによる路線の運行を開始した[83]

一方、藤沢市の藤が岡団地では、駅からの途中に急坂がある上に住民の高齢化が進んでおり、路線バス運行の要望が高まっていた[84]。神奈中では路線開設に向けて検討した結果、小型バスを使用すれば運行が可能と結論づけ[84]1997年5月より団地循環の路線を開設した。団地内では約100m毎に停留所を設置、バス車内には住民が自由に使用できるコミュニティボードを設置するなど[84]コミュニティバスと同様の設定ではあるが、自治体からの補助金は得ていない[84]。使用する車両には「湘南ロコ号」と愛称が付けられた。以降、同様のミニバス路線がいくつか開設されている[85]

地域分社化

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分離子会社の車内に設けられた車内売店(2008年3月31日付で終了)

一方で、1996年箱根登山鉄道バスが秦野地区から撤退することになり、その受け皿として湘南神奈交バスが設立された[86]。これを母体として、1997年からは相模原地区において同社への移管を行ったのを皮切りに、新たに地域毎に分離子会社の設立と管理委託などを進め、運行コストの低減を図った[86]。また、移管された路線の大半では不採算路線の増収策として車内で物品販売も行われ[87]、マスコミにも「車内売店のあるバス」として話題を提供した。販売品目にが加わった際には売店の設置された各車両を米穀小売販売業者の店舗として神奈川県知事に登録していた[注釈 7]

これと並行して不採算路線の整理も進められる事になり、2002年までに極端に乗車率の低い路線は廃止された。

日本初の環境定期券導入とスヌーピーバス

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この頃、環境問題がクローズアップされていた折、神奈中でも環境問題に取り組むことになった。基本的にはマイカー通勤からバス通勤への移行を呼びかけるものであるが、ただ呼びかけるだけではバス会社の都合と受け止められる可能性を考慮し[88]、バス会社側でも新しい運賃制度を導入することが必要と考えられた[89]

スヌーピーバス スヌーピーバス
スヌーピーバス

検討の結果、ドイツにおいて導入されている環境定期券制度の導入を行うことになった[89]。これは通勤定期券を所持している利用者と同伴の家族が土休日に神奈中の一般路線を利用する際には1回の乗車が現金100円になるというものであるが、制度の導入だけではなく、広告塔に相当するものが必要と考えられた[89]。そこで、知名度が高く他社が使用していないキャラクターを選定することになり[89]、アメリカで環境問題について使用されているスヌーピーが選ばれた[89]。版権を持つ法人にも「環境保全が目的」と認められ、格段の配慮があったという[89]

こうして、1997年9月20日の日本で初となる環境定期券制度導入と同時に「スヌーピーバス」が運行開始された[80]。スヌーピーバスは2年間で40台が導入され、2002年まで運行された他、一時期は江ノ電バスでも運行されていた。

潜在的需要の発掘

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1997年夏には、これからバスを利用する世代となるであろう児童層に着目し、路線バスの利用方法を覚えてもらうという趣旨で[77]「ちびっこ50円キャンペーン」を開始した。現金払いの場合は一般路線の全路線で小児運賃50円となるというもので、当初は長期休暇とゴールデンウィークのみの実施であったが、多い時には1日1万3千人もの利用がある[77] など一定の効果が認められた事から、後年すべての土曜・休日に適用を拡大している。2023年4月には、交通系ICカード利用時における「小児IC運賃の一律50円」を開始するのに伴い、ちびっこ50円キャンペーンは同年3月末で終了した[90]

また、高齢者向けの施策としては、1996年より敬老の日に65歳以上の運賃を100円とするサービスを行った後、2001年6月より「かなちゃん手形」の発売を開始した。これは、初めに購入するパスを安価に設定[注釈 8]、パスを提示した場合は乗車1回につき運賃を区間にかかわらず100円とするもので、1回毎の運賃を安価に設定することで乗車回数を増やす事を目的とした施策である[91]。1日1万2千人の利用があるという[91]。当初は車内でも発売していた。これと同時に、一般路線の全線に有効な「一日フリー乗車券」の発売も開始している[92][注釈 9]

高速バス路線の再編

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横浜神奈交バスに移管された夜行高速バス

1999年、神奈中では田村車庫・本厚木駅から羽田空港へ向かう空港連絡バスの運行を開始、好調となった[86]。以降は町田・相模大野・港南台・辻堂・藤沢の各駅から羽田空港・成田空港を結ぶ路線も運行を開始した。

一方、夜行高速バスでは乗車率が高いにも拘らずコスト割れする路線もあり[93]、生活路線でない赤字路線の運行を続ける理由はないとの見地から[94]、広島・和歌山・奈良への路線は廃止され、盛岡への路線は岩手県交通の単独運行となった[86]

その他の路線は子会社の運行コストであれば存続可能と判断され[94]湘南神奈交バスに移管された[93]。後に横浜神奈交バスに再移管されたが[95]、2017年1月の事業再編で神奈川中央交通本体の運行に戻されている。

2000年代以降の展開

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Jリーグとの関わり

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2003年から、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のクラブと関わりを持つようになり、同年より神奈中本社がある平塚市にホームスタジアムを置く「湘南ベルマーレ」のオフィシャルクラブパートナーとなり、神奈中主催のサッカースクール開催や最寄駅とスタジアム(平塚競技場)を結ぶシャトルバスの運行を担うようになり[96]、2009年にはベルマーレラッピングバスも運行された[97]

さらに、2007年頃からは町田営業所の近くにホームスタジアムを置く「FC町田ゼルビア(当時はJFLのクラブ)」の観客輸送も担うようになり、2009年より神奈中の親会社である小田急電鉄がクラブスポンサーに就任した[98]。なお、前述の湘南ベルマーレとは異なり、神奈中としてはFC町田ゼルビアのクラブパートナーには参画していないが[99]、2023年よりFC町田ゼルビアラッピングバスがシーズン期間限定で運行されている。

横浜市などからの路線譲受

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横浜市交通局から引き継いだ「11系統」

2004年以降は、他社局からの路線譲受も行われた。2004年2月には、横浜市交通局から路線移譲について申し入れがあったことから[100]、2005年から2008年にかけて横浜市営バス11系統を段階的に譲受した[100]

また、相模鉄道からも同時期に路線移譲の申し入れがあったため[100]、こちらも2006年から2008年にかけて4系統を譲受している[100]

さらに2006年には「横浜市生活交通バス路線維持制度」の対象となる15系統について公募が行われたが[100]、そのうち3系統については2007年から横浜市交通局に代わって運行を開始した[100]

自転車搭載バスなどの新サービス

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自転車ラックを装備したバス 「かなch.」のモニター
自転車ラックを装備したバス
「かなch.」のモニター

2009年3月26日からは、茅ヶ崎・辻堂駅発着の一部路線で自転車をバスに搭載するサービスが開始された[101]。自転車を搭載可能な路線バスは前例があるが[101]、バスの前面に自転車ラックを設置し、自転車をバスの前面に積載する方式は日本初の導入例である[101]

2011年10月1日より、舞岡操車所の路線バス50台の運転席後方にモニターを設置し、ニュース・天気予報・広告などを放映する「かなch.」というサービスを開始した[102]

関連事業においては、2004年からは温浴施設(スーパー銭湯湯快爽快」)の運営に参入する一方で[103]、スーパーマーケット「神奈中ストア」は2007年9月30日をもって全店舗閉鎖となり[95]、同時期にバス車内における物品販売も終了となっている。

連節バスと新たな公共交通の模索

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通勤・通学路線においては、新しいタイプの公共交通の模索も進められた。

湘南台駅慶應義塾大学藤沢キャンパスを結ぶ路線は、朝のバス待ち行列が250人近く並ぶ有様で、通常のバスでは捌ききれない状況であった。また、駅前広場の状況も警察により一般車の乗り入れ規制や交通指導員の配置なども行われていたが、通常のバスによるこれ以上の増発は困難な状況であった。このため、2003年には藤沢市が中心となって新たな公共交通システムを導入するための検討委員会が設立され[104]、道路交通の遠隔化やバリアフリー化、さらに交通不便地域でのミニバスによるフィーダー路線運行によるマイカー抑制や環境保全などを目標と定めた[104]。その前提として、1台あたりの定員の多い連節バスを基幹路線に導入することになった[104]

藤沢市で導入された連節バス「ツインライナー」 (ち201)

日本において連節バスを製造していた富士重工業は当時既にバス車体製造から撤退しており[105]交通バリアフリー法が制定されていたため床面地上高を550mm以下に抑える必要もあったことから、輸入車を導入することになり、大阪府中央交通が日本総代理店となるネオプランセントロライナーを導入する事になった[105]。これは日本の道路運送車両法により定められた連節バスの構造要件には合致しない車両[105][注釈 10] であったが、自治体及び警察の協力も得られたことから特別に認可され[105]2005年3月14日より「ツインライナー」と命名された、日本では初めての導入となるノンステップ連節バスが運行を開始した[104]。本路線を基幹路線とし、慶應義塾大学で「ツインライナー」に接続し、ミニバスで周辺地区を循環する支線バスによる交通網の拡大も行われた[104]

規制緩和への行動力

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これに続き、厚木市は朝方通勤時のバス利用者が多い厚木アクストへの通勤路線に連節バスの導入を検討し、2006年には独自の補助金制度を定めた[106]。しかし、この時には藤沢市で導入されていたセントロライナーが日本向け車両の供給を中止しており[107]、車種選定を改めて行うことになった。

追加導入された「シタ―ロ」の連節バス「ツインライナー」 (ま201)

神奈中では三菱ふそうトラック・バスに対して、日本での連節バス製造の可能性について打診したが[107]、三菱ふそうは日本での製造は困難と回答し、代わりにダイムラーグループのエボバスが製造するメルセデス・ベンツ・シターロの導入支援を行うことになった[107]。受注にあたり、欧州規格のままの車体幅2.55mで非常口扉を設置しないという日本の道路運送車両法による保安基準をさらに超える仕様[注釈 11] での製造という条件があったが[107]、神奈中では藤沢市での連節バス運行実績を基に独自で基準緩和を働きかけ[108]2008年2月4日より厚木市内でも連節バスの運行が開始された[109]。日本国内で欧州規格そのままの路線バス車両導入は初めての事例である。

これらの基準緩和に対する神奈中の行動力には、三菱ふそう関係者も大いに刺激を受けたという[108]

神奈中では、日本全国でも連節バスの導入が広まる事を期待しており[110]、連節バス導入を検討する他県の自治体に対して連節バスの貸し出し・実証実験運行や展示・試乗会への協力を行っている[109]。2008年8月には新潟市へ[109]、2009年10月には浜松市への貸し出しが行われた[109]

連節バスは2012年5月28日から、藤沢市と厚木市に引き続き、町田市内でも運行が開始[111]。東京都内の一般路線で連節バスが運行される初のケースとなった[111]

その後、2018年には藤沢市で新たに2路線の運行を開始したほか、2021年には相模原市と町田市で新たに1路線ずつ、2024年には横浜市戸塚区で新たに1路線の運行を開始した[112]。2024年の導入車両は神奈中としては初となる国産連節バスの「日野・ブルーリボンハイブリッド連節バス」が導入された[112]

自動運転推進への取り組み

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2010年代後半に入ると、生活交通路線の維持や人為的ミスによる交通事故防止、運転士不足などに対処するため、自動運転バスの実用化に向けた取り組みを開始する[113]

2017年に小田急電鉄、慶應義塾との間で先端技術の研究、地域の活性化、人材育成、教育活動などで連携協力する内容の協定を締結。2018年5月には、小田急電鉄、SBドライブ(現・BOLDLY)との間で協業に関する協定を締結し[113]、同年6月には自社初となる小型自動運転バス(日野・ポンチョ)を使った自動運転技術の実証実験を慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで、2019年2月には多摩ニュータウン内でそれぞれ実施した[114]。2021年2月には、横浜市栄区において中型自動運転バス(いすゞ・エルガミオ)を使った実証実験が行われ、この実験では磁気マーカに加え、信号情報の受信、路側センサー等による自動運転バスと地上インフラとの連携により、自動走行割合の大幅な向上が見られた[115]

2021年10月には東京都住宅供給公社(JKK東京)と群馬大学が共同で、町田木曽住宅地域において乗客を乗せた自動運転車両(レベル2、トヨタ・アルファード)を活用した実証実験を実施することになり、運行事業者として神奈中グループ(神奈川中央交通及び神奈中タクシー)が参画することになった[116]。しかし、試験走行中に物損事故が発生したことを受けて実験開始が延期され[117]、2022年9月に運用を見直したうえで改めて実験運行が実施された[118]

2022年5月からは慶應義塾大学SFC研究所と共同で、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス内で自動運転による循環シャトルバス(三菱ふそう・ローザ)の本格運行を開始した。運行開始時は自動運転レベル2での運行だが、2025年度に自動運転レベル4(高度運転自動化)を目指すとともに、将来的には自社一般路線での自動運転バス導入を目指している[119]

2024年1月からはいすゞ自動車などと共同で、平塚駅南口エリアにて自動運転仕様に改造された大型路線バス「いすゞ・エルガ」を用いて、自動運転バスの実証実験が行われた。実験は自動運転レベル2での運行で、自動運転バスの操作を習得した運転士が乗務し、平塚営業所の「平15系統」の運行経路を一般の乗客を乗せずに走行する形で実施し、今後は特定条件下における完全自動運転となる自動運転レベル4を目指している[120]

乗合バス事業の再編へ

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先述の通り、1996年の湘南神奈交バス設立以降順次進められてきた、神奈交バス5社への一部路線移管および運行管理の委託だったが、エリアの特性に応じた事業環境や効率化・最適化などを考慮し、この従来までの体勢を一新することが、2015年3月26日に行われた取締役会において決議された。 効力は2017年1月1日[121] で、バス事業をエリアごとに神奈川中央交通(神奈川中央交通+横浜神奈交バス、相模神奈交バス町田営業所を含む)、神奈川中央交通東(藤沢神奈交バス+相模神奈交バス)、神奈川中央交通西(湘南神奈交バス+津久井神奈交バス)の3社にそれぞれ吸収合併し再編、これにより従来の神奈交バス5社(湘南、藤沢、横浜、相模、津久井)は消滅した。

再編の概要は、以下の表の通りである[121][122]。2016年12月26日のリリースで再編後の営業所が一部計画変更の上公表され、相模神奈交バス相模原営業所(峡の原車庫)が「橋本営業所(車番略称:「も」)」へ、相模神奈交バス厚木営業所(上荻野車庫)が「厚木北営業所(車番略称:「き」)」へ変更された[123]。その後、2017年12月16日より大和・相模原営業所が新たに神奈川中央交通東が加わったほか、2019年4月1日より伊勢原営業所が新たに神奈川中央交通西に加わった。

2025年4月1日付けで、神奈川中央交通に神奈川中央交通東、神奈川中央交通西を吸収合併し、これらの子会社は消滅する予定となっている[124]

再編前の営業所名 再編前の事業者 再編後の事業者 再編後の営業所名 備考
厚木営業所(及川、下荻野操車所) 神奈川中央交通 神奈川中央交通 厚木営業所  
伊勢原営業所 神奈川中央交通 伊勢原営業所 現在の事業者は神奈川中央交通西[125][126]
(横浜営業所 舞岡操車所)
横浜神奈交バス 舞岡営業所
横浜神奈交バス 舞岡営業所 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)。現在は全面解除
相模原営業所(麻溝操車所) 神奈川中央交通 相模原営業所 現在の事業者は神奈川中央交通東
綾瀬営業所 神奈川中央交通 綾瀬営業所  
多摩営業所 神奈川中央交通 多摩営業所  
茅ヶ崎営業所 神奈川中央交通 茅ヶ崎営業所  
戸塚営業所 神奈川中央交通 戸塚営業所  
(大和営業所 中山操車所)
横浜神奈交バス 中山営業所
横浜神奈交バス 中山営業所 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託。現在は全面解除
町田営業所
相模神奈交バス 町田営業所
神奈川中央交通
相模神奈交バス
町田営業所 2015年4月当時、相模神奈交バスへ一部委託
大和営業所(鶴間操車所) 神奈川中央交通 大和営業所 2015年4月当時、鶴間操車所の一部を藤沢神奈交バスへ委託(神奈交自社路線あり)
現在の事業者は神奈川中央交通東
横浜営業所 神奈川中央交通 横浜営業所  
相模神奈交バス 菅生営業所 相模神奈交バス 神奈川中央交通 菅生営業所 川崎市交通局菅生営業所を全面受託
2017年3月26日[127] より、受託営業所を菅生から井田営業所へ変更[128][129]
(厚木営業所 上荻野操車所)
相模神奈交バス 厚木営業所
相模神奈交バス 厚木北営業所 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託
(茅ヶ崎営業所 藤沢操車所)
藤沢神奈交バス 藤沢営業所
藤沢神奈交バス 藤沢営業所 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)
(相模原営業所 峡の原操車所)
相模神奈交バス 相模原営業所
相模神奈交バス 橋本営業所 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)
藤沢神奈交バス 大和営業所 藤沢神奈交バス 大和営業所 2015年4月当時、神奈川中央交通より鶴間操車場の一部を受託

(神奈交自社路線あり)

(相模原営業所 三ヶ木操車所・城山操車所)
津久井神奈交バス 津久井営業所
津久井神奈交バス 神奈川中央交通西 津久井営業所 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)
(伊勢原営業所 秦野操車所)
湘南神奈交バス 秦野営業所
湘南神奈交バス 秦野営業所 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)
伊勢原営業所 平塚操車所
湘南神奈交バス 平塚営業所
神奈川中央交通
湘南神奈交バス
平塚営業所 2015年4月当時、湘南神奈交バスへ一部委託(神奈交自社路線あり)

年表

[編集]
  • 1921年
    • 6月5日 - 相武自動車株式会社設立[9]
      当時の横浜市大岡地区では乗合自動車を始める者が乱立し、競争が繰り広げられていた。この無益な競争に終止符を打つべく、関係者が同社を設立し整理統合を行った。
    • 10月29日 - 金沢自動車運輸より路線承継(滝頭 - 杉田 - 瀬戸 - 逗子間)。
  • 1928年7月 - 梁瀬長太郎ヤナセ創業者)が社長に就任。
  • 1931年11月 - 鶴屋商会(1919年5月創業、戸塚 - 厚木間の乗合自動車を運営)の大木敏行が買収。杉田 - 逗子間を湘南乗合自動車(現在の京浜急行バス)へ譲渡。
  • 1936年12月 - 鶴屋商会及び戸塚自動車商会(戸塚 - 岡津間)を合併[10]
  • 1937年1月12日 - 相武鶴屋自動車株式会社に商号を変更[10]
  • 1938年5月 - 東京横浜電鉄(現在の東急)に買収され、同社の傘下に入る[15]
  • 1939年6月16日 - 中央相武自動車を合併、東海道乗合自動車株式会社に商号変更。
  • 1941年12月15日 - 同じ東横傘下の関東乗合自動車及び江ノ島電気鉄道の一部路線を譲受。
  • 1942年2月 - 同じ東横傘下の秦野自動車(1921年8月設立、秦野 - 平塚間、秦野 - 二宮間他)を合併[12]
  • 1943年4月 - 東京急行電鉄、神奈川県下の陸上交通統制の趣旨に基づき、伊勢原自動車及び藤沢自動車を買収。
  • 1944年
    • 5月31日 - 東海道乗合自動車は伊勢原自動車及び藤沢自動車を合併[12]
    • 6月16日 - 神奈川中央乗合自動車株式会社に商号を変更[12]
    • 11月28日 - 相模鉄道及び江ノ島電気鉄道の乗合自動車事業を譲受(3月に譲渡契約を締結。江ノ電バスはこれで一旦消滅)[12]
  • 1945年11月 - ハイヤータクシー事業を相模中央交通に譲渡。
  • 1948年6月1日 - 東京急行電鉄の再編成に伴い、同社より分離・新発足した小田急電鉄の傘下会社になる[28]
  • 1949年
    • 5月 - 東京証券取引所に上場。
    • 6月20日 - 江ノ島電気鉄道に一部路線を譲渡(江ノ電バスの復活)[20]
      藤沢駅 - 七里ヶ浜 - 鎌倉駅間、藤沢駅 - 本鵠沼駅 - 辻堂駅間、石上 - 堀川間(旧来の江ノ電路線)
      藤沢駅 - 深沢 - 鎌倉駅間、鎌倉駅 - 大船駅 - 日野 - 弘明寺間、大船駅 - 飯島 - 戸塚駅裏口間、関ノ下 - 杉田聖天橋間
  • 1950年5月31日 - 相模中央交通を合併してハイヤー・タクシー事業を再び兼業する。
  • 1951年6月29日 - 神奈川中央交通株式会社に商号を変更[29]
  • 昭和30年代に平塚駅から伊勢原市大山までトロリーバスの運行を計画したことがあったが、道路事情の悪さから道路を管理する神奈川県が難色を示し、中止となった。
  • 1965年2月1日 - 伊勢原営業所・茅ヶ崎営業所の管内全路線でワンマン運行を開始[37]。多区間運賃路線での整理券方式によるワンマン化は日本では初めて[31]
  • 1970年7月27日 - 鶴川駅 - 鶴川団地線に深夜バスを運行開始[41]。当時は運賃は3倍で[49]、定期券は利用不可であった[49](日本初の深夜バスといわれていたが[41]、実際には誤りである。詳しくは日本の深夜バスを参照。)。
  • 1973年4月 - ハイヤー・タクシー事業を神奈中ハイヤーに譲渡。
  • 1974年5月 - ヤビツ峠線のワンマン化に伴い、全路線のワンマン化が終了[32]
  • 1976年5月1日 - 藤野町(現・相模原市)の路線で自由乗降区間を初めて設定[41]。以後順次導入路線を拡大。
  • 1979年5月21日 - 路線バス車両に冷房車の導入を開始[130]
  • 1980年9月9日 - 路線バス車両に大型方向幕の導入を開始[131]
  • 1981年 - 開業60周年を記念し、薪バス「三太号」を復元[130]
  • 1986年4月1日 - 全系統に系統番号を附番[132]。横浜市内の均一運賃区間において、共通回数券を導入。
  • 1987年
    • 3月3日 - 一般路線バスの塗装を変更[132][注釈 12]
    • 4月 - ギャラリーバスの運行開始[132]。全社で26台導入し、すべての営業所に配置された。一般公募により、同年7月に「カナちゃん号」と命名された。
    • 5月29日 - 路線バス全車両が冷房車となった[133]
  • 1988年5月9日 - 多区間運賃制の路線バスでは日本初となるバスカードシステムを平塚・伊勢原・秦野の各営業所で導入開始[134]
  • 1989年
    • 2月28日 - 夜行高速バス運行開始[135]
    • 12月22日 - 深夜急行バス運行開始[136]
  • 1990年3月26日 - 横浜・舞岡・戸塚の各営業所での導入を最後に全路線へのバスカードシステム導入完了[136]
  • 1992年9月25日 - 極東開発工業と共同で、従来のツーステップバスをペースに前扉のステップにリフト機器を取り付けた新ステップ車の試作車が5台運行開始[137]1993年3月にも10台の試作車が投入された。1994年から量産車を投入し、2000年までの大型車と中型車全車に取り付けた[注釈 13]
  • 1995年4月1日 - 観光バス並びに事業を神奈中ハイヤーに譲渡[138](現在の神奈中観光)。
  • 1996年4月1日 - 一部路線並びに事業を湘南神奈交バスに譲渡[139]
  • 1997年9月20日 - 環境保護キャンペーンの一環として「スヌーピーバス」の運行を開始[140]。同時に日本初の環境定期券制度を導入[140]
  • 1999年
    • 6月30日 - 相模原所属のさ154号車が廃車[141]。これにより波形デザインの旧塗装車が全廃[141]
    • 11月21日 - 一部路線・事業を津久井神奈交バスに譲渡[141]
  • 2000年10月18日 - 一部路線・事業を横浜神奈交バスに譲渡[142]
  • 2001年
    • 4月1日 - 一部路線・事業を相模神奈交バス並びに藤沢神奈交バスに譲渡[143]
    • 12月 - 横浜担当の全線が前乗り・運賃先払いとなったため、整理券発行機が撤去された[注釈 14]
    • 12月8日 - 2代目となるギャラリーバスが運行を開始[143]。各営業所に1台ずつ配置。愛称は「かなちゃん号」を踏襲。初代はこの日限りで引退。
  • 2003年
    • 4月1日 - 藤野台団地 - 相模湖線の廃止で、一般路線は山梨県から撤退。
    • 8月 - 「スヌーピーバス」の運行終了。車両はそのまま貸切兼用として運用。
  • 2005年
  • 2006年
    • 1月30日 - 横浜市営バスから一部路線を完全移譲される(同年3月27日にも実施)[146]
    • 3月27日 - 伊勢原営業所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
    • 5月1日 - 上大岡駅発着路線でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[144]
    • 11月17日 - 昼行高速バス「新横浜駅線」の運行を開始[147]
  • 2007年
    • 3月11日 - 藤野町の相模原市合併に伴い、藤野町営バス路線を子会社の津久井神奈交バスが譲受。これにより神奈中撤退区間が復活。
    • 3月16日 - 相模原・多摩・町田の各営業所管内及び大和営業所の町田市内乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[144]
    • 3月18日 - 戸塚営業所の全路線とツインライナーにてPASMO運用開始[147]
    • 4月1日 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される[147]
    • 12月9日 - 茅ヶ崎・綾瀬の各営業所の全路線と藤沢神奈交バス(藤沢)にてPASMO運用開始[95]
  • 2008年
    • 1月20日 - 多摩・町田の各営業所の全路線にてPASMO運用開始[95]
    • 2月4日 - 厚木バスセンター - 厚木アクスト線にツインライナー導入[95]。同時に同路線にてPASMOの運用開始。
    • 2月12日 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される[95]
    • 2月17日 - 大和営業所と藤沢神奈交バス(大和)の全路線にてPASMO運用開始[95]
    • 3月1日 - 昼行高速バス「新横浜駅線」を廃止[95]
    • 8月12日 - 新潟市のオムニバスタウン事業の一環として、新潟市でツインライナーの試乗会が開催された[95]
    • 8月16日 - 相模鉄道から同社バス細谷戸線を委譲される[95]
    • 10月13日 - 相模原営業所と相模神奈交バス(相模原)・津久井神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始[148]
    • 11月3日 - 横浜・舞岡各営業所及び横浜神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始[148]
    • 11月24日 - 平塚営業所と湘南神奈交バス(平塚)の全路線にてPASMO運用開始[148]
    • 12月21日 - 厚木営業所の全路線にてPASMO運用開始[148]
  • 2009年
    • 3月15日 - 伊勢原営業所と湘南神奈交バス(秦野)の全路線にてPASMO運用開始[148]。これにより、夜間高速バス、成田空港線、羽田空港線を除いた全営業所の一般路線にてPASMOの利用可能となった。
    • 3月26日 - 茅ヶ崎営業所の一部路線にて自転車ラックバスの実証実験を開始( - 8月31日)[148]
    • 12月16日 - 秦野市内および座間市内への乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[144]
  • 2010年
    • 3月1日 - 横浜市内全路線および藤沢市内の一部路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[144]
    • 7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了[149]
    • 12月16日 - 藤沢・綾瀬・茅ヶ崎・平塚・伊勢原営業所管内の路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[144]
  • 2011年4月1日 - 相模神奈交バスが川崎市交通局より川崎市バス菅生営業所の運行管理を受託。自社子会社が神奈川中央交通本体以外の運行管理を受託するのは初となる[150]
  • 2012年
    • 3月24日 - 茅ヶ崎営業所管内(藤沢操車所を除く)全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
    • 5月28日 - 町田バスセンター - 山崎団地センター間でツインライナー導入[111]
    • 10月29日 - 伊勢原営業所秦野操車所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
  • 2013年
    • 3月23日 - PASMO、Suicaなど交通系ICカード全国相互利用サービス開始。
    • 6月24日 - 平塚営業所(湘南神奈交バスを含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
    • 10月27日 - 相模原営業所(相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
  • 2014年
    • 3月24日 - 厚木営業所(相模神奈交バス厚木営業所を含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
    • 4月1日 - 消費税増税に伴い運賃を改定し、10円単位の現金運賃と1円単位のICカード運賃の2種類の運賃を設定するようになった。
    • 9月24日 - 綾瀬営業所・茅ヶ崎営業所藤沢操車所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。
  • 2015年
    • 3月23日 - 戸塚営業所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。
    • 7月 - 7月以降から新車導入は全車ノンステップバスに統一される。
  • 2016年
    • 3月22日 - 大和営業所(藤沢神奈交バス大和営業所を含むが中山操車所を除く)管内のうち、横04・90系統を除く全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。
  • 2017年
    • 1月1日 - 神奈中の再編に伴い神奈交バスが消滅。
    • 3月21日 - 多摩営業所・町田営業所管内のうち、鶴01、08、10、11、13、26、町13(朝の山崎団地センター発のみ)、まちっこを除く全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」・「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。
  • 2019年
    • 4月1日 - 神奈中の再編に伴い伊勢原営業所の事業者が神奈川中央交通西へと変更[125][126]
  • 2021年
  • 2022年2月28日 - 神奈中高速バス予約センターの予約受付業務を終了[154]
  • 2023年
    • 4月1日 - 小児IC運賃を一律50円に改定。この改定に伴い、ちびっこ50円キャンペーンは同年3月末で終了[90]
    • 5月26日 - 同年7月1日(予定)に、横浜市内均一運賃区間など一部を除き、乗合路線バスの運賃改定を発表[155]。神奈川中央交通西の路線については認可申請中[156]
    • 7月1日 - 乗合路線バスの運賃改定(横浜市内均一運賃区間など一部を除く)
    • 10月1日 - バス車内に掲示している乗務員名札を廃止(同年8月に一部改正された旅客自動車運送事業運輸規則における乗務員氏名掲示義務の廃止により)
    • 10月27日 - 一般塗装のリニューアルを発表(デザインは奥山清行が担当)[157]。基本デザインの大幅な刷新は1949年以来、74年ぶりとなる。2024年2月導入の新車両を皮切りに順次更新予定。
  • 2024年12月1日 - 深夜急行バス運行終了[75][76]
  • 2025年4月1日 - 神奈川中央交通東・神奈川中央交通西を神奈川中央交通本体に吸収合併し、これら子会社2社は消滅予定[124]

バス事業

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路線バス

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菫平局前バス停(神奈川県平塚市)-2018年

神奈川県内及び東京都南多摩地域を中心に、神奈川県・東京都・山梨県に路線を持ち、2011年1月の時点で約700路線を運行している[158]

1960年代以降は当時収益性の高かった貸切バス事業の増強を抑え[32]、路線バス事業を中心とした経営に徹し[159]、1989年時点では全営業収入の79.4%が路線バス事業による収入であったことなど[160]、バス事業の収入比率が極めて高いことが特徴とされていた[160]。1987年のインタビュー記事では、1つの路線に複数事業者が参入することは「客足が落ちた時に先に逃げた方が勝ちで、責任逃れが出来る」という理由により、決して好ましいことではないとしていた[159]

ほぼ全車での販売を実施しているほか[161]、一時期は収支改善のための努力として各神奈交バスの委託中型車に売店スペースを設置していた[87]。なお、傘など一部を除き、車内物販については2008年3月31日をもって廃止となった。

将来の催しや施設が出来ることを見越し、採算度外視で運行している路線が2011年1月の時点で10路線ほど存在する[158]。これらの路線は免許維持路線と称されており[158]、廃止は考えられていない[158]。但し、2020年以降は休日に運行されていた免許維持路線の多くが土曜に運行日が変更されるなど、年間を通しての運行回数は減少される傾向にある。
さらに改正労働基準法におけるバス運転士の改善基準告示等(時間外労働の上限規制等)、いわゆる「2024年問題」に対処するため、免許維持路線の整理が行われ、2024年3月9日調布駅への路線が、同月30日には小田原駅への路線がそれぞれ廃止になっている。

一般路線の詳細については各営業所の記事を参照のこと。

乗降方式

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「前乗り前降り」方式当時。前扉にICカードリーダーと整理券発行機が設置されていた(現在は中扉に移設済)

ワンマン化以後、乗降時の事故防止と運賃収受の適正化の観点から[162]、乗客の指向が鉄道駅などの一点に集中している路線や時間帯[162]、また均一運賃区間の路線などを除き[162]、乗降ともに前扉を使用する「前乗り前降り」方式を基本としていた[162]

しかし、利用者の要望やバリアフリー対応という観点から、中扉から乗車して前扉から降車する「中乗り前降り」方式の検討を進め[162]、2006年3月から伊勢原営業所管内で「中乗り前降り」方式の実証実験を開始した[162]。その後事故や問題などは発生しなかったことから本格導入に移行した[162]。神奈中では、停留所付近のバリアフリー整備など関係機関の協力が得られ次第、この乗降方式を拡大したい、としており[162]、2012年3月24日から茅ヶ崎営業所管内[163]、同年10月29日から伊勢原営業所秦野操車所(湘南神奈交バス秦野営業所を含む)管内[164]、2013年6月24日から平塚営業所(湘南神奈交バス平塚営業所を含む)管内[165]、同年10月27日から相模原営業所(相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む)管内、[166] 2014年3月24日から厚木営業所(相模神奈交バス厚木営業所を含む)管内[167]、同年9月24日より綾瀬営業所管内及び茅ヶ崎営業所藤沢操車所(藤沢神奈交バス藤沢営業所を含む)管内[168]、2015年3月23日から戸塚営業所管内[169]、2016年3月22日からは大和営業所(藤沢神奈交バス大和営業所を含む)管内(一部の路線を除く)[170]、2017年3月21日からは多摩営業所管内及び町田営業所管内(一部の路線を除く)でも「中乗り前降り」方式へ変更された[171]

また、横浜市内均一運賃の区間を多く持つ横浜営業所・舞岡営業所(旧舞岡操車所・横浜神奈交バス舞岡営業所)・中山営業所(旧横浜神奈交バス中山営業所)では、対キロ路線も含む全路線で「前乗り中降り」の運賃先払い方式を採用している。そのため、現在は営業所・路線ごとに乗降方式が混在している。

乗り継ぎ割引
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路線再編に伴い、一部の停留所を発着する路線で乗り継ぎ割引を行っている。但し、2023年7月1日の運賃改定を機に、全ての紙式乗継割引制度とIC乗継割引制度の一部が廃止された[172]

継続中の乗り継ぎ割引
  • 田名バスターミナル
乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間をPASMO及びSuicaで利用する場合に限る[173]。2014年4月1日の田名バスターミナル開業に伴う路線再編のため、同日より開始。1台目のバス降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して乗車した場合に限り適用。導入当時の割引額は大人100円、小児50円で、2023年7月の運賃改定以降の割引額は大人120円、小児60円[172]
  • 二宮駅南口
乗り継ぎ割引対象系統の停留所からPASMO及びSuicaで乗車した場合に限る[174]。2016年3月26日の平塚駅北口~二宮駅南口~国府津駅線の路線再編のため、同日より開始。1台目のバスの降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して同一バス停から乗車した場合に限り適用。なお、以下のように乗車する場合、1台目のバス降車時に乗務員へバスを2回乗り継ぐ旨を申告すると、3台目用の「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取ることができる。当初は2017年3月31日に終了予定とされていたが、その後も制度が存続している。導入当時の割引額は大人170円、小児85円で、2023年7月の運賃改定以降の割引額は大人210円、小児110円[172]
  • 紅葉橋
乗り継ぎ割引対象系統の停留所からPASMO及びSuicaで乗車した場合に限る[175]。地域からの要望を受け、2017年3月26日より開始[176]。1台目のバス降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後90分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して乗車した場合に限り適用。割引額は大人100円、小児50円で、2023年7月の運賃改定後も割引額に変更は無い[172]
  • 小山田桜台
町田市の検証運行路線(小山田桜台~多摩南部地域病院)と一般路線を乗り継ぐ場合に限る。2017年12月の検証運行路線開設にあわせて設定され、検証運行路線のバス降車時に乗務員へ乗り継ぎの旨を口頭で申告した場合に限り、検証運行路線が現金100円となる(PASMO・Suicaは適用外)[177]
  • 鶴ヶ峰駅
乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間をPASMO及びSuicaで利用する場合に限る[178]。2019年1月16日のダイヤ改正に伴う路線再編のため、同日より開始。1台目のバス降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後120分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して乗車した場合に限り適用。割引額は大人210円、小児110円で、2023年7月の運賃改定後も割引額に変更は無い[172]
廃止された乗り継ぎ割引
  • 原当麻駅、北里大学病院・北里大学、光が丘一丁目、上溝、小田急相模原駅、相武台前駅
乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間を利用する場合に限る[179]。2003年12月の旧相模原市内における路線再編のため、2008年11月より開始。現金、PASMO及びSuica、回数券での支払いに限る。1台目のバス降車時に乗務員へ乗り継ぐ旨を申告し、運賃を支払って紙式の「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取り、2台目のバス降車時に「バス乗り継ぎ乗車証」を提示し、割引運賃を支払う。割引額は大人100円、小児50円。2023年6月30日をもって割引制度が廃止された[172]
  • 押切、押切・塔台橋
乗り継ぎ割引対象系統の停留所からPASMO及びSuicaで乗車した場合に限る[174]。2016年3月26日の平塚駅北口~二宮駅南口~国府津駅線の路線再編のため、同日より開始。1台目のバスの降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して同一バス停から乗車した場合に限り適用。なお、以下のように乗車する場合、1台目のバス降車時に乗務員へバスを2回乗り継ぐ旨を申告すると、3台目用の「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取ることができる。国道1号線経由 平塚駅北口方面~二宮駅南口で乗り継ぎ~押切(押切・塔台橋を含む)で乗り継ぎ~国府津駅、中井町役場入口、橘団地方面。割引額は大人170円、小児85円。当初は2017年3月31日に終了予定とされていたが、その後も制度が存続し、2023年6月30日をもって割引制度が廃止された[172]

指差呼称

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指差呼称

乗務員は、旅客案内や車内事故防止の呼びかけなど、頻繁に車内アナウンスを行っている[180]。また、発車時に指差呼称を励行している[180]。1976年から指差呼称が導入されたが[181]、1977年11月から1978年5月にかけて事故が多発したことから[182]、強力な実施指導に切り替えたもので[182]、1982年4月からは運行中の指差呼称を義務付けた[181]。2002年2月以降はそれまでに発生した事故の教訓から[183]、内容を「左よし、前方よし、右よし」から「左よし、下よし、右よし」に変更した[183]。交通ジャーナリストの鈴木文彦は、「ほぼ全員に徹底しているケースでは、神奈中グループがトップであろう」と評している[180]

高速バス

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深夜急行バスについては神奈川中央交通西・平塚営業所神奈川中央交通舞岡営業所を参照。

かつては神奈中本体で6路線の夜行高速バスを運行していた。その後、採算性の悪化により廃止や神奈交バスへの移管を経て、共同運行会社による単独運行や他系統への統合が行われた。一部路線は再編の上で存続しているが、神奈中では予約・発券業務のみを担当している。そのため現在は昼行高速バスと空港連絡バスのみ運行している。かつては電話予約も受け付けていたが、神奈中高速バス予約センターの閉鎖に伴って2022年2月28日で予約受付業務を終了した(以降はインターネット予約のみ)[154]

夜行高速バス

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夜行高速バス盛岡線の車両(あ701)
横浜・町田 - 奈良線(やまと号
1989年2月28日運行開始[135]奈良交通と共同運行[184]。神奈中では初の夜行高速バスであると同時に、神奈川県下においても初の夜行高速バス路線である[74]。1991年からは五位堂駅まで延長[185]、1993年11月4日からは本厚木経由となる[186]
2003年4月1日から湘南神奈交バスに移管、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管された。
2008年9月30日限りで神奈中は撤退し[95]、翌10月1日からは同名称の千葉線に統合。
横浜・町田 - 大阪線(ハーバーライト大阪号
1989年3月23日運行開始[184]西日本ジェイアールバスとの共同運行[184]。1991年5月11日からは横浜側の起点を本郷車庫へ変更[137]。1999年10月1日からは本厚木経由となり[141]、同時にダブルデッカーを導入[141]
2000年11月15日から湘南神奈交バスに移管[93]、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管された[95]
2009年5月31日限りで神奈中グループは撤退し[148]、後述する横浜・町田 - 京都線と統合。
横浜・町田 - 京都線(ハーバーライト京都号
1989年7月20日運行開始[187]。西日本ジェイアールバスとの共同運行[188]。1999年10月1日からは本厚木経由となり[141]、同時にダブルデッカーを導入[141]
2000年11月15日から湘南神奈交バスに移管[93]、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管された[95]
2009年5月31日限りで神奈中グループは撤退し[148]、前述の横浜・町田 - 大阪線と統合。
横浜・町田 - 和歌山線(サウスウェーブ号
1989年12月22日運行開始[187]和歌山バスとの共同運行[188]。1992年6月30日からは本厚木経由となった[137]
1998年3月から神奈中が撤退し[93]同名称の千葉線と統合(湘南神奈交への移管前に撤退)。
横浜・町田 - 広島線(赤いくつ号
1989年12月22日運行開始[187]JRバス中国との共同運行[189]。1993年11月4日からは本厚木経由となる[186]。神奈中の歴史上では最長距離の路線であった。
1997年10月に廃止された[93](湘南神奈交への移管前に廃止)。
本厚木・町田・横浜 - 盛岡線
1990年7月5日運行開始[190]岩手県交通との共同運行[190]。神奈中の夜行高速バスでは初めて本厚木発着となった路線で[191]、その後は他の夜行高速バスも本厚木を停車地に追加した。
検討段階から交通ジャーナリストの鈴木文彦が市場調査などで直接的に関わっており[191]、盛岡での開業初日のテープカットでは鈴木も招待されていた[191]。当初、岩手県側では岩手県交通とジェイアールバス東北の2社が参入を希望したが[192]、その後に両社間の調整で別路線への参入を条件に、ジェイアールバス東北は本路線への参入を見送ることになった[192]
他の夜行高速路線と異なり厚木営業所が担当していた[193](他は横浜営業所)。車両更新時に三菱エアロクィーンIに代替されると同時に横浜営業所へ移管された(岩手県交通の車両は引き続き厚木営業所に入庫していた)。
2003年4月1日から湘南神奈交バスに移管された(横浜神奈交への再移管前に撤退)。
2005年11月30日限りで神奈中は撤退し、岩手県交通の単独運行となった後[194]2016年3月31日に廃止された[195]

昼行高速バス

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田村車庫・本厚木 - 新横浜線の車両(ひ812)
アクアラインバスとして使用された車両(さ854)
田村車庫・本厚木 - 新横浜線
2006年11月17日より運行開始[147]。2008年2月29日限りで廃止[95]
相模大野・町田・南町田 - 三井アウトレットパーク木更津木更津駅線(アクアラインバス)
小湊鉄道との共同運行で[196]、2012年12月13日より運行開始[196]。毎日1往復(両社が0.5往復ずつ)、朝は木更津方面、夕は相模大野・町田方面が運行される[196]2017年7月1日より南町田グランベリーパーク駅に停車[197]。同年12月16日より木更津駅西口まで延長[198]2023年3月26日をもって廃止された[199]
南町田・町田・橋本 - 富士急ハイランド河口湖駅
富士急モビリティ(旧・富士急湘南バス)との共同運行で[200]2015年8月10日より運行開始[200]。毎日1往復、朝は河口湖方面、夕は橋本・町田方面が運行される[200]。富士急側は2017年4月1日より富士急山梨バスから富士急湘南バス(当時)に運行移管。同年7月1日より南町田グランベリーパーク駅に停車[197]
藤沢・辻堂・本厚木 - 富士急ハイランド・河口湖駅線
富士急モビリティ(旧・富士急湘南バス)との共同運行で[200]、2015年8月10日より運行開始[200]。毎日1往復、朝は河口湖方面、夕は本厚木・辻堂・藤沢方面が運行される[200]。富士急側は2017年4月1日より富士急山梨バスから富士急湘南バス(当時)に運行移管。
藤沢・辻堂・本厚木 - 川越駅本川越駅神明町車庫圏央ライナー川越湘南線)
2019年3月16日より運行開始。運行開始当初は東武バスウエストとの共同運行で、毎日2往復、朝は川越方面、夕は本厚木・辻堂・藤沢方面が運行され、両社とも同一経路で運行されていた。2020年7月18日より東武バス担当便は辻堂駅を経由せず、新江ノ島水族館・江ノ島海岸(藤沢方向のみ)・江ノ島駅経由に経路変更し、共同運行ながら神奈中と東武で一部運行経路が異なっていた。2020年11月1日より新型コロナウイルス感染拡大の影響によって運休が続いていたが、2022年9月3日の運行再開時より神奈中の単独運行(土休日1往復)となり、東武バスウエストが運行から撤退した[201]。2024年3月31日をもって廃止された[202]
相模大野・町田・南町田 - 御殿場プレミアム・アウトレット/ホテルクラッド・木の花の湯線
2020年3月29日より運行開始。朝は御殿場方面、夕は相模大野・町田方面が運行される。2022年3月1日より南町田グランベリーパーク駅に停車。2024年8月31日をもって廃止された[203]
相模大野・町田 - 東京ディズニーシー東京ディズニーランド東京ディズニーリゾート線)
京成バスとの共同運行で、2022年3月1日より運行開始。朝はディズニーリゾート方面、夕は相模大野・町田方面が運行される[204]

空港連絡バス

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羽田空港発着
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田村車庫・本厚木発着
京浜急行バス[注釈 15] との共同運行[205]、1999年6月14日より運行開始[205][注釈 16]。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。東名大和バス停は、2018年9月1日から停車[206]
相模大野・町田・南町田発着
京浜急行バス[注釈 15]との共同運行で[207]、2001年8月7日より運行開始[143]。2017年7月1日より一部便が南町田グランベリーパーク駅に停車[197]
戸塚・港南台発着
神奈中側では横浜神奈交バス(現:神奈川中央交通)が運行を担当、京浜急行バス[注釈 15]との共同運行で[207]、2003年7月18日より運行開始[208]。当初は港南台駅発着のみであったが、2004年12月1日より一部便が戸塚駅東口まで延長[145]。2015年4月より一部便が東戸塚駅東口・上永谷駅に停車。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、2021年5月20日から全便運休となったが、運行再開をせずに2022年2月28日限りで廃止。2021年5月19日が事実上の最終運行日となった。
海老名発着
京浜急行バス・相鉄バスとの共同運行[209]。2012年3月30日より運行開始[209]。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、2020年9月1日から全便運休となったが、運行再開をせずに共同運行便も含めて2024年5月31日限りで廃止[210]。2020年8月31日が事実上の最終運行日となった[211]
成田空港発着
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田村車庫・本厚木-成田空港線の車両(ひ852)
橋本・相模大野・町田・南町田発着
京成バス[注釈 17] との共同運行で[205]、2000年6月20日より運行開始[205]。当初は相模大野駅町田バスセンター発着であったが、2004年12月16日より一部便が橋本駅南口まで延長[145]。神奈中側は2016年8月16日より一部を湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。2017年7月1日より一部便が南町田グランベリーパーク駅に停車[197]
田村車庫・本厚木発着
京成バス[注釈 17]との共同運行で[142]、2001年6月14日より運行開始[143]。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バスに運行移管。
茅ヶ崎・藤沢・戸塚発着
成田空港交通との共同運行で[207]、2007年3月22日より運行開始[147]。当初は辻堂駅藤沢駅戸塚バスセンター発着であったが、2009年3月1日より茅ケ崎駅まで延長[148]。2016年4月1日より京成バス運行便が成田空港交通に移管された。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。2016年10月1日より成田空港交通の単独運行化。

貸切バス

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契約貸切車の例(あ501)

神奈川中央乗合自動車が発足した後、戦後1948年7月には貸切バス事業を再開している[212]。その後も事業区域の拡大が進められたが[31]、1960年代以降は貸切バス台数の増強は控え[31]、帰省バスやスキー・スケートなどの需要拡大を強化する方向性となった[31]

1995年7月には一部を除いて神奈中ハイヤーに貸切バス事業を譲渡[78](現在は神奈中観光)し、その後は企業の送迎などに使用される契約貸切や[213]、路線バス車両を使用した貸切営業[214] に限られている。

特定旅客事業

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特定バスに使用される車両の例(あ303)

神奈中の特定旅客事業(特定バス)は、1975年に東京都教育委員会養護学校スクールバス運行を受託したことが始まりである[31]。その後、企業送迎や学校スクールバスの自家用車両の代替に着目し[31]、再雇用者によるコスト低減や運行計画・車体デザインの受け入れ態勢などを整備した上で[39]、専用のパンフレットまで作成してセールスを行った[215]。この結果、顧客が大幅に拡大し、神奈中の事業の柱の1つにまでなった[39]

他の事業に使用される車両と異なり、特定輸送バス事業における車種や車両仕様、外装デザインはさまざまであるが[216]、これは特定輸送は顧客の要望が反映されるためである[213]。例としては、着手のきっかけとなった東京都教育委員会のスクールバスにおいて、他の地区にあわせて東京都交通局の貸切バス塗装が施されていた事例や[217]、伊勢原営業所の福祉施設送迎用車両で三菱デリカスペースギア4WD(定員6名・リフトつき)が採用されていた事例[218] などが挙げられる。

営業所

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営業所名後ろの括弧内の平仮名及び英字は営業所を略記する際の記号。個別の路線については各営業所及び操車所の項目を参照のこと。

神奈川中央交通
神奈川中央交通東
神奈川中央交通西

廃止・改称・移管された営業所・操車所

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  • 弘明寺営業所 - 神奈川県横浜市(1954年12月21日に移転の上横浜営業所に改称[219]
  • 上溝営業所 - 神奈川県相模原市(1958年9月22日に移転の上相模原営業所に改称[220]
  • 厚木営業所半原操車所 - 神奈川県愛甲郡愛川町1982年5月16日廃止[221]
  • 藤沢営業所長後操車所 - 神奈川県藤沢市(現 長後駅前サービスセンター。1988年12月24日廃止。営業所機能は綾瀬営業所に移行[222]
  • 横浜営業所笹下操車所 - 神奈川県横浜市港南区2001年12月16日廃止[143]。営業所機能は管轄の本郷操車所に移転)
  • 神奈中ハイヤー観光バス 新横浜営業所 - 神奈川県横浜市港北区(2004年廃止)
    • 元は県の第三セクター神奈川県観光の営業所。同じ神奈中ハイヤー観光バス(当時)の平塚・町田・戸塚営業所へ統合し廃止。詳細は神奈中観光を参照。
  • 藤沢営業所 - 神奈川県藤沢市(2005年4月16日に茅ヶ崎営業所へ統合し廃止、操車所化[146]
  • 津久井営業所 - 神奈川県津久井郡津久井町(2005年4月16日に相模原営業所へ統合し廃止、操車所化[146]
    • 津久井営業所城山操車所 - 神奈川県津久井郡城山町(2005年4月16日に相模原営業所に移管[146]
  • 神奈中観光 戸塚営業所 - 神奈川県横浜市戸塚区(2006年廃止)
    • 先立った小田急グループ内の事業再編で、2002年に旧・箱根登山観光バス東京営業所を統合し、野津田車庫から旧箱根登山観光の車庫へ移転していた当時の神奈中観光町田営業所(町田市鶴間。現・東京営業所)と2006年に統合し廃止。詳細は神奈中観光を参照。なお、現在も車庫は現存し、神奈川中央交通戸塚営業所上矢部休憩所として休憩や待機で使用している。
  • 秦野営業所 - 神奈川県秦野市(2008年5月16日に伊勢原営業所へ統合し廃止、操車所化[95]
  • 神奈中観光 平塚営業所 - 神奈川県平塚市(2008年改称。現在の神奈川営業所)
  • 神奈中観光 町田営業所 - 東京都町田市(2008年改称。現在の東京営業所)
  • 舞岡営業所 - 神奈川県横浜市戸塚区(2011年10月16日に横浜営業所へ統合し廃止、操車所化)

前述の藤沢・津久井・秦野・舞岡については、子会社への全面委託化に伴う操車所化であり、それぞれ神奈交バスの営業所として現存していた。 また、事業再編の項での先述通り、舞岡については2017年の事業再編で再び神奈川中央交通の営業所となった。

以下は2006年12月まで存在した神奈交時代の営業所一覧で、記号は当時の各神奈交の自社所有車両に使用された(受託車両には用いない)。なお、所在地に併記した営業所名は、各神奈交の営業所が所在する神奈中本体の営業所・操車所を表す。

営業所の変遷

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統合により神奈川中央乗合自動車が発足した1944年6月16日の時点では、以下の営業所が存在した。

東海道乗合自動車の営業所
弘明寺[219]・戸塚[223]・平塚[224]・中野[225]・町田[226]
旧・藤沢自動車の営業所
藤沢[227][注釈 19]・茅ヶ崎[228]・厚木[229]
旧・秦野自動車の営業所
秦野[230]
旧・伊勢原自動車の営業所
伊勢原[231]

その後、同年9月16日には茅ヶ崎営業所を平塚営業所に統合した[228] ほか、相模鉄道のバス事業譲り受けに伴い、同年11月28日に上溝営業所が発足している[220]

戦後、1952年2月23日に鶴間営業所が開設された[232] ことに伴い、町田営業所は鶴間営業所の出張所となった[226]。1954年には弘明寺営業所の業務を横浜市南区笹下町に新設された横浜営業所に移転[233]、1958年6月25日には町田営業所が開設され[226]、逆に鶴間営業所は町田営業所の出張所となった[232]。同年9月22日には、上溝営業所が移転の上相模原営業所に改称している[220]。1960年には中野営業所を津久井営業所に改称した[234]

1960年代以降、輸送力の増強に伴う車両の増加に対応するために、営業所を郊外へ新設や移転を行い、同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた[31]。まず1962年には厚木営業所上荻野出張所(当時)・戸塚営業所長後出張所(当時)が開設され[234]、翌1963年4月20日には戸塚営業所を戸塚駅前から郊外(横浜市戸塚区中田町、現 立場ターミナル停留所)に移転[235]、同年5月10日には舞岡営業所が新設されたほか[236]、1963年12月25日には横浜営業所本郷出張所が竣工[236]、1964年8月15日には平塚営業所から分離して[235] 茅ヶ崎営業所が設立された[236]。なお、命令系統の明確化を目的として[235]、1962年以降は各営業所は運輸部所属部門から社長直轄の事業所に変更された[235]

1965年に車両数が1000台を超えると、さらに郊外への移転が進められた。1966年6月10日に秦野営業所が移転[236]、1968年には平塚営業所田村操車所が竣工[237]、1969年には町田営業所が移転[237]、1970年には町田営業所から鶴間操車所が分離して大和営業所が発足[238]、1971年には相模原営業所峡の原車庫が開設され[239]、1972年には厚木営業所も移転した[240]。1973年には貸切業務が平塚・戸塚の2営業所に統合された[241] ほか、戸塚営業所長後操車所を藤沢営業所に[241]、津久井営業所の橋本操車所を相模原営業所へそれぞれ移管した[241]

1988年12月24日からは藤沢営業所から分離するかたちで[222] 綾瀬市吉岡に綾瀬営業所が開設され[242]、藤沢営業所長後操車所は廃止された[222]。2001年7月29日には多摩営業所が開設された[243]

2005年4月16日からは、藤沢営業所は茅ヶ崎営業所藤沢操車所に[146]、津久井営業所・城山操車所2005年4月16日よりそれぞれ相模原営業所三ヶ木操車所・相模原営業所城山操車所)に[146]、秦野営業所は2008年5月16日より伊勢原営業所秦野操車所に[95]、舞岡営業所は2011年10月16日より横浜営業所舞岡操車所に変更された。各地区の神奈交バスへの全面的な管理委託が行われたことによるもので、神奈川中央交通本体としての営業所機能は廃止された。

その後2017年1月1日の会社再編により神奈交バス5社は消滅し、次の通り再編された。

また、上記の再編に続き2017年12月16日には、神奈川中央交通の営業所であった相模原厚木大和の各営業所が神奈川中央交通に移管された[注釈 22]2019年4月1日には、神奈川中央交通の営業所であった伊勢原営業所が神奈川中央交通西に移管された。

なお、2009年6月からは、それまで社長直轄事業所であった各営業所は、運輸営業部に所属する部門に変更された[244]

各営業所の特徴として、乗務員の休憩室と事務室の仕切りがなく[245]、事務員が多忙の際には休憩中の乗務員が外部からの問い合わせ電話を受けることもある[245] という点が挙げられる。

運賃・乗車券類

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  • かなちゃん手形
    • 69歳以上の利用者限定で購入でき、手形を呈示することで一般路線バスを本来の運賃に関係なく1乗車100円(深夜バスは200円)で利用できる。3か月3,500円、6か月5,900円、1年10,800円である。当初は65歳以上としていたが、2022年3月10日発売分より69歳以上に対象年齢が引き上げられた。
  • 一日フリー乗車券
    • 神奈川中央交通グループの一般路線バスが乗り放題になるフリー乗車券で、当日のみ使用可能。PASMOまたはSuicaを利用し、バス車内でのみ発売。大人1,050円、小児530円。かつてはスクラッチ式(2011年12月31日販売終了)、磁気券(2022年2月28日販売終了)も存在した。

障害者割引

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  • 身体障害者手帳療育手帳
    • 現金・ICは5割引、定期券は3割引、スマートフォンアプリ「ミライロID」等を提示)した場合、本人と介護人に対してそれぞれ割引運賃が適用される。
    • IC運賃を障がい者用ICカードで支払う場合、手帳の提示は不要。
  • 精神障害者保健福祉手帳
    • 精神障害者保健福祉手帳(写真付)を提示(スマートフォンアプリ「ミライロID」等の提示も含む)し、かつ乗車降車ともに本人に限り5割引の運賃が適用される。
    • 但し、東京都発行の手帳及び、東京都内での利用に限る(本社がある神奈川県及び山梨県において、東京都民以外の人は障害者割引が利用出来ないので注意が必要である)。

車両

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本節では便宜上、大型車のうち全長が10.5mから10.9mの車両を「標準尺車」、全長が9mから10.5m未満の車両を「短尺車」、全長11m級の車両を「長尺車」と標記する。

車両史

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創業期の車両

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神奈中の前身となる事業者の1つである鶴屋商会では、フォードビュイックレオなどの輸入車両が使用された記録が残っている[51]

戦時中から終戦直後

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1940年10月になると、石油消費規制が強化されたことに伴い、保有車両の7割が代用燃料化された[246]。さらに、1941年8月には液体燃料配給停止の措置がとられたため、保有車両の全車両が代用燃料化されることになった[246]

当初は代用燃料は木炭と薪が使用されていた。神奈川県内では清川村が良質の木炭の産地であった[247]。地元民からは「木炭を特別に配給するからダイヤの完全運行をしてほしい」という依頼もあったという[247]。ところが、1945年に入ると県内産木炭の入荷が途絶え[247]、やむを得ず福島県から鉄道輸送によって木炭を入手することになった[247]。しかし、神奈川県産の木炭と比べるとガス発生量は少なかったという[247]。その福島県産の木炭さえも入手が難しくなり、最終的にはほぼ薪に頼る状態となった[247]

薪については、代用燃料導入当初は、ガス発生にも適する状態のよく乾燥された良質の薪が入手できていたが[248]、1944年頃からは乾燥が不十分な状態のままで入荷することになった[248]。薪の産地は丹沢の森林地帯で[248]、トラックや座席を撤去したバスで足柄上郡三保村まで直接取りに行っていたという[248]。終戦直後になると、薪の加工工場の生産能力が間に合わず、1946年には渋沢に薪生産工場を設けて自社生産を行った[248]

燃料以外の保守部品も不足しており、エンジンオイルは鉱物油・植物油・魚油を混合したものを使用し[248]、しかも一度使用したオイルは再生の上配給に回された[248]。窓ガラスが破れた場所には板が張られ[248]、雨漏りの補修もままならず[249]、雨の日には車内で乗客が破れた傘をさしている光景も見られたという[249]

なお、空襲を避けるため、横浜市内の路線を担当する戸塚営業所では全車両に装甲車に見えるようなカムフラージュを施して営業していたという[247]

戦後の復興

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戦後、稼動車両を早期に増強しないと収入が見込めない状態であった[250]。しかし、バスはシャーシが割り当てられたものの架装すべき車体がない状態であった[250]。また、部品を他の車両に流用したままになっていた遊休車両もあった[250]。そこで、秦野町(当時)にある神中自動車工業秦野工場を買収し、秦野工場として自社で車両整備を行うことになり[250]、1947年から秦野工場として本格的に業務が開始された[250]。同工場で再生された車両は、自製のボンネット周りに外観上の特徴があった[51]

また、戦後の貸切バス再開に伴い、1936年式のフォードの内装を改装した貸切バス車両を2台導入したが[251]、これも秦野工場で再生された[251]

秦野工場は各営業所の付属工場の整備が進んだ1953年に閉鎖されたが[250]、戦後の車両復興に大きく貢献した。

ディーゼルバス導入から高度成長期へ

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1948年10月には、初のディーゼルバスとしていすゞ・BX91型が5台導入された[251]。翌1949年に導入された車両からは、路線バス車両のカラーリングについて、ベース色がクリーム色に変更された[252]

1963年には、清川村の札掛へ乗り入れる路線が開設されたが[253]、この路線に導入された車両は、当時の神奈中としては唯一のマイクロバスであった[253]

高度成長期は輸送力増強に対応するため、道路環境が整備されているとは限らなかったにもかかわらず、高度成長期から1990年までの神奈中で導入される車両の大半は長尺車であった[55][注釈 23]。車両数も別表に見られるように増加の一途を辿り、特に厚木営業所では1985年度に所属台数が200台を超えている[注釈 24]

1980年代以降の車両概説

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1980年代半ばに神奈川三菱ふそう自動車販売が傘下となってからは三菱製車両の導入が多くなり[54]、2005年時点では9割以上が三菱車となっている[216]。相模原・多摩・戸塚・平塚・町田・横浜など、大型路線車のほとんど全車が三菱車で占められている営業所も多数存在する[注釈 25]。いすゞ製の車両は綾瀬・茅ヶ崎・藤沢・大和の各営業所に多く[254][注釈 26]、日野製の大型車両はハイブリッド車と一部のブルーリボンII以外は全車両が伊勢原営業所に配置され[255][注釈 27]、日産ディーゼルは主に厚木・平塚・秦野の各営業所に配置された[255][注釈 28]。各メーカーの車両とも、1990年以降はノンステップバスなど一部の短尺車を除き標準尺車のみの導入に統一されている[216]。狭隘路線や閑散路線には中型車も導入されており、こちらもかつては4メーカーから導入していたが、日野製の中型車は2009年までに日産ディーゼルの中型車は2011年に全廃となり、現在は三菱製といすゞ製のみの在籍となっている。1985年製の車両までは6年から8年程度(長くても10年程度)で廃車されるケースが多かったが[214]、近年は使用年限を延長しており[214]、2017年時点で最も古い車両は2001年式である[214][注釈 29]

一般路線車の車体は、三菱製は伝統的に(呉羽自動車工業→新呉羽自動車工業→三菱自動車バス製造→)三菱ふそうバス製造[214][注釈 30]、日野製は日野車体[214]、いすゞ製は純正の川崎重工の他、富士重工北村製作所を並行して採用していた[214][注釈 31]。日産ディーゼル車についても富士重工および西日本車体工業製で導入されていたが[214]、2010年後半以降は三菱からのOEM車種であるスペースランナーAを導入していた。

なお、ほかの事業者では2000年の三菱リコール隠し以降三菱製の導入を一時中止したり、減らしたりした事業者が多いが、当社は前述の理由から若干、いすゞが増えた程度。ただし、中型車を擁する営業所ではエアロミディ生産中止の影響でジェイ・バス製(いすゞ・日野)以外の選択肢がなくなり、いすゞや日野が増加する傾向にある。

この他、「ツインライナー」と命名された連節バス(ネオプラン・セントロライナー[256]メルセデス・ベンツ・シターロ[107])が一部路線で運用されているほか、ミニバス路線や自治体から受託のコミュニティバス向けに小型ノンステップバス(オムニノーバ・マルチライダー[256]三菱・エアロミディME日野・ポンチョ)などが導入されている。2023年からは同社初となる電気バスBYD・K8)が、翌2024年には小型電気バス(BYD・J6)がそれぞれ導入された。

自らが所属する営業所長から各運転士に対して乗務車両を任命し、運転士はその車両の専属乗務や簡単な車両管理などを行う「担当車制」を採用している[214]。運転士の手入れにより、使用年限の途中での車体更新は行なわれていないにもかかわらず[214]、経年車でも美しく保たれている車両が多い[214]

2012年の時点では神奈川中央交通本体における車両の保有台数は約2100台で[257]、これは日本最多保有台数である[257]

路線車両の仕様

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ノンステップバスの導入は1998年より積極的に推進している[216]。標準尺車と短尺車を導入している。当初はノンステップバスには専用のカラーリング(後述するブルーイエロー色)を採用していたが、2002年以降は一般車と同じデザインに変更されている。三菱車においてはエアロスターを増備しているが、2008年から2009年前半までは一部を除いて日産ディーゼルからのOEM車種であるエアロスター-S(AA系)を導入していた[258]。なお、通常の路線車は1998年からアイドリングストップが標準に[216]、2001年からはワンステップバスが標準となった[216]。2002年7月25日からは、後窓に後方視界確保のための広角レンズ設置が開始された[208]

大型方向幕は1985年9月から採用され[58]2002年5月13日からLED行先表示器の導入が開始され[143]、方向幕の車両も2004年頃の改造開始から3年程度でLED表示器に載せ変えた[注釈 32]。これにより、路線開設や廃止などによる幕交換やほこりなどで汚れた幕の清掃などの負担が大幅に軽減された[259]2016年8月31日からは白色LEDの新型行先表示器を搭載した車両が導入され、今後は全営業所で順次導入予定[260]。また、路線バスの車内放送は長らく8トラテープを使用していたが、2005年10月23日よりクラリオン製音声合成装置の導入が開始された[146]。出庫時に運行ダイヤを設定することによって、LED式行先表示器・運賃表示器・整理券発行器・カードリーダーが集中制御できるようになった[259]

2003年の新車より小田急グループマテリアルズ仕様で導入されている。これは同社を通じて購入することによりコストを抑えながら短期間で大量の更新が行えるようになっている。このため、床面処理・ドア配置や空調装備品などは小田急グループのバス事業者共通の仕様となっている。

2015年中盤の導入車から大型車は三菱ふそう・エアロスターのQKG-MP38FK、中型車はいすゞ・エルガミオの SDG-LR290J1或いはSDG-LR290J2、小型車は日野・ポンチョといったノンステップ化への統一や神奈中独自の仕様であった運賃幕や出入口幕の廃止に伴い、2014年中盤の新車から神奈中独自の仕様が消滅しつつある。

後部ブレーキランプについては、1988年式以降は2灯だったものを4灯に変更[261]、さらに1997年式からバス協型→角型に変更した[261]

室内は前向き座席が標準であるが、1988年9月の新車からは、優先席が横向きに変更された[58]。1998年までは、座席モケットは一般席が赤・優先席が青となっていた[262]。2009年7月からは、熱線吸収ガラスと三角吊り手が導入された[162]

降車ボタンは、ナイルス部品販売製やゴールドキング製を経て(一部車両はレシップ製を設置)では、1990年代後半に導入されたノンステップバスからはオージ制のWS-210シリーズ及びWS-240シリーズが採用され、2000年代半ば頃からはレシップ製のKSP-400シリーズが、2010年代後半に導入された新車からはオージ製のWS-280シリーズを採用している。

特徴的な仕様

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バス専業としては日本最大の事業者だけに1年あたりの導入車両数が多く、その結果「神奈中仕様」とも言える特注仕様が存在する。

後ヒンジ式前扉
1979年まで、折戸の前扉が通常とは逆の後ろ側に開く後ヒンジ式だった[51]
運賃支払い方法表示窓(運賃幕)
1970年代から、車両前面上部左側の表示窓に乗車方法と運賃支払い方法を表示する「運賃支払い方法表示窓」が設けられ、1980年代からは乗降口に近い車両前面の向かって右側の窓下[注釈 33] に設置されるようになった[213][注釈 34]。尚、一時期江ノ電バスでも使用されたことがあった。2014年度からこの表示窓を廃止し、一部いすゞ・日野製車ではステッカーに変更される車両も登場したが、ステッカーは2018年前半までとなった。
大型バンパー
2000年導入車までは前後のバンパーは大型の仕様が標準となっていたが[213]、これはバンパーをフロントガラスの清掃の際に使用するステップと兼用させるためであった[263]
長尺車
かつて三菱にホイルベース5.8mで全長が11m級の車両(長尺車)[注釈 35] を特注し、これをMP218-Nとしてメーカーに追加で型式認定させた程の力を持つ[注釈 36]。しかし、1990年を最後に長尺車の導入は終了し[261]、以後は標準尺車をメインに導入されている[216]。また、1995年には全長9m・幅2.3m級の中型車両を大量に導入している[261]。2014年中旬のMP38導入以降はノンステップバスは短尺車、2015年度以降は全車ノンステップの短尺車で統一されている。
新ステップ車
1992年9月25日から試用開始し[264]、1994年から2000年にかけて導入された標準床車両は全て前扉に極東開発工業製の可動式ステップを設置した「新ステップ車」となっている[214]。これはさらに床の低い車両の導入や観光バスなどで見られる補助ステップでは、新興住宅地に多い急坂では車体と路面の接触の可能性があったため[265]、乗降性の改善策として、三菱自動車工業(当時)新呉羽自動車工業極東開発工業との共同開発により導入された[266]。この「新ステップ」は横浜市交通局・神戸市交通局小田急バスなど、他の事業者にも波及している[267]。しかし、2017年に『つ605』を最後に新ステップ車は神奈中から消滅した。
車外ドアコックの鍵
2008年後期導入車より、前面および側面の車外ドアコックに鍵が取り付けられている。同時に既存車も全車取り付けられた。高速バスタイプの車両では至って普通の仕様だが、すべての路線車に導入する会社は珍しい。既存車への取り付けは車両によって位置が異なる。なお、一般路線車は2017年頃より、新車導入車に限り、アドブルー投入口にも鍵が設置されている。この他、同社高速路線車は全車、軽油及びアドブルーの投入口にも取り付けられている。

廃車車両の譲渡

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神奈川中央交通で引退した車両は、京阪バス西武バスと共に日本各地の地方事業者へ供給しており[268]、なかには「廃車車両の譲渡先数が日本一」と評されたこともある[268]。使用年数が6年から8年と比較的早期に代替していた1990年代は多くの車両が地方の事業者へ売却され、地方の冷房化率向上に貢献している。

最近では15年程度で廃車としており、ワンステップバスの国内移籍比率が上昇している。15年前後での廃車は他社と比べると比較的早期で、過去にはミャンマーフィリピンニュージーランドラオスなど海外へも輸出されていた。

薪バス「三太号」

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車両塗装

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名称は一般的に呼ばれているものであり、正式なものではない。一部にラッピングのものも含まれる。

一般路線車の標準色

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1949年の新車から採用された[252]。黄色に近いクリーム色[252]+下部赤色+赤色と橙色の帯。当初は下部の赤色が波形になっており、前面などにも差異があったが、1987年から直線的なデザインに変更された[55][注釈 37]。波形デザインの車両は1999年6月30日に廃車となった「さ154」が最後であった[141]。2004年からは正面の社紋が「かなちゅう」「かなこう」ロゴマークに変更された[269]。2012年6月1日より神奈中グループのブランドマークが制定され[270]、路線バス車両の前面、側面、後面に青色で「Kanachu」と書かれたブランドマークの貼り付けが順次行われている[270][注釈 38]

神奈交色

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2002年4月1日から導入された[143]。白色の車体に、各神奈交指定色が前方から中央車体下部及び後方全体に塗られ、大きくKANAKO BUSのロゴが入るという、各社共通で色違いのデザインである[269][注釈 39]。新車として神奈交バスが購入した車両のみに施される塗装なので、数は少ない。2016年12月より神奈中再編に向けて、各神奈交色であった車両は、ラッピングにより神奈中色に変更されている。

過去には各神奈交の塗装のままロゴの一部をシールで目隠しをしている車両もあったが、2017年6月の『つ604』を最後に消滅した。

ギャラリーバス

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1987年4月から26台導入されたギャラリーバスで[159]、車体のベースカラーを白で統一し、風船を持った動物たちをデザイン[159]。一般公募で「カナちゃん号」と命名された[271]。2001年には2代目の車両が登場[269]、愛称はひらがなで「かなちゃん号」となり[269]、車体のベースカラーはクリーム色に変わった[269]

夜行高速バス色(ブルーイエロー)

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1989年に初めて採用[272]。青色の車体にハイウェイをイメージした白と紺の波線、車体中央部にカモメをイメージした黄色のマークが3連あり、橙色でKanagawa Chuoとロゴが入る。その後1997年からは貸切兼用車(ワンロマ車)に[273]、1998年からはノンステップバスの車体色としても採用された[274]。社内では「ブルーイエロー」と呼ばれている[274]

ミニバス色

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1997年に藤沢市でミニバス路線を開設した際に採用された[269]。前述の塗装からイエローを省略したデザインに、アヒルのイラスト入れたものだが、イラストが入っていない車両も存在する[274])。車体の表記は前述のブルーイエローとは異なり、KanaChu(またはKanakoBus)と省略している。しかし、2015年12月以降の導入されている小型車は青一色、その後、2020年2月導入のひ167,168は一般色に変更されている。

空港リムジン色

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1994年の「ひ852」及び、1999年以降に採用され[272]、グレーに上半分が水色。窓の下と屋根にロゴが入る[注釈 40]。横浜神奈交の車両は側面の社名ロゴが異なる点で識別可能[272]

スヌーピーバス

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年表節で述べた環境保護キャンペーンの一環で、ワンロマ車を青く塗装し、スヌーピーや他の登場人物をラッピングしたもの[275]。1997年に導入した14台は図柄も1種類であったが、1998年に導入された26台ではベースの青を明るくし[275]、夜行高速バス色のベース色と同色となったほか[272]、キャラクターの図柄も2種類となった[275]。契約終了後には白帯や神奈中ロゴが入らずに完全な青一色で運行された期間もあった。

ツインライナー色

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ベースカラーはピーチピンク1色[269]。窓周りは黒で、ロゴが入る。最初に導入されたセントロライナーでは、天井部分にもロゴが入れられていたが、シターロでは省略され、現行のシターロでは屋根の塗装自体が省略されていたが(エアコン部分を除く)、2024年導入の国産車では屋根に塗装が施されている。

貸切色

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旧来の貸切色は、1953年6月に導入された車両から導入された[276]、白地に赤と青の塗り分け[277]。貸切・観光バス用車両や、一部の路線バス車両・特定輸送車両等に用いられた。2013年現在でも、旧貸切色そのままあるいは簡略化(特定色)したデザインで、企業・学校・養護学校等の特定輸送車両に用いられている[278]

1989年には、スーパーハイデッカー車の導入とともに、ブルーイエローと共通する新デザインの貸切色が採用されたが[279]、1997年以降は順次小田急グループ統一デザインに変更された[272]。なお、車体のロゴ表記は、神奈中ハイヤー時代はKanachu Hire)、神奈中観光となってからの車体表記はKanachuで、いずれも神奈中本体の所属車両とは異なっている。

リフト付路線バス

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1994年に神奈川県総合リハビリテーションセンターと共同開発した[274] 車両は青をベースとしたデザイン。一方、1996年に東京都の補助金により導入した町田営業所所属車は白地に水玉模様[274]

かなみんラッピングバス

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2014年(平成26年)6月より各営業所(藤沢・秦野・厚木・津久井・相模原の神奈交委託も含む)に順次導入された、神奈川中央交通公式キャラクターかなみんのラッピングバス。車体デザインは、横浜みなとみらい地区が描かれた桃色、海水浴するかなみんが描かれた青色、登山するかなみんが描かれた緑色、住宅街が描かれた水色の4種類が存在し、それぞれその地域を所管する営業所にあったイメージのものが導入されている。2019年に全車ラッピングが剥がされ、同年導入の新車に新デザインの塗装がされている。また、このかなみんラッピングバスでは、前面の行先表示器左側へ「かなみん」ステッカー(都営バス「みんくる」・東急バス「ノッテちゃん」・小田急バス「きゅんた」・関東バス「かんにゃん」ステッカーと同様のもの[注釈 41])を貼り付けており、車内の座席もかなみんが描かれた仕様となっている。しかしながら、『かなちゃん号』とは違い、コスト削減のためにラッピングで施されている。2019年以降の新デザインでは、ラッピング施工車が2015年標準仕様ノンステップのため、同位置にはベビーカーステッカーの貼り付けがなされており、「かなみん」ステッカーの貼り付けは一代限りとなった。

新カラーデザインバス

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「調和」をデザインテーマとし、これまでの標準色で使用されてきた赤、橙、黄の3色の縦ラインとグラデーションで表現される。デザインを担当したのは、フェラーリのデザインも担当した奥山清行氏。なお、「Kanachu」のブランドマークは引き続き使用される。2023年度下期から各営業所に配属され、その後車両代替に伴って導入される予定となっている[280]。カラーデザインの刷新は、1949年以来74年ぶりとなる。

その他

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YAMATE LINER
茶色の濃淡にロゴが入る。2007年4月に横浜市交通局より移管された舞岡営業所11系統用に登場[144]。後に11系統にはノンステップ車を運用する事になり、それまで11系統で使用していたワンステップ車は3台を除き11系統の運用を外れ、それらの車両は塗色はそのままでロゴのみが'KANACHU-BUS'に書き換えられたものとなっている。なお、同塗装の車両は11系統の他に、60系統、保土ヶ谷駅東口発着の77系統、保06系統でも運用される。
自転車ラックバス
前面がオレンジ、側面がオレンジと白のツートンカラー。「BICYCLE CARRIER」のロゴも施されている。

この他、「湘南めぐみが丘」色や各自治体から受託運行しているコミュニティバスの専用色などがある。

車両番号(社番)

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神奈中・神奈中東・神奈中西の社番

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車体外部の社番表示 バスロケーションシステム導入車両の車内に貼付されている社番の表示 携帯バスロケでは車両番号で当該車両の到着予想時刻が参照できる
車体外部の社番表示
バスロケーションシステム導入車両の車内に貼付されている社番の表示
携帯バスロケでは車両番号で当該車両の到着予想時刻が参照できる
同一の社番であっても時を経て同じ番号が異なる車両で蘇ることがある。(や15) 同一の社番であっても時を経て同じ番号が異なる車両で蘇ることがある。(や15)
同一の社番であっても時を経て同じ番号が異なる車両で蘇ることがある。(や15)

神奈川中央交通・神奈川中央交通東・神奈川中央交通西の所属車両に付けられている社番は、「平仮名1文字」と「1 - 3桁の数字(営業所別・用途別の固有番号)」の組み合わせにより構成され、平仮名は所属する営業所を示している[281][282]

営業所の略号
出典:[281][282]
数字の付番ルール

基本的に下記のルールで付番される。下記では前述3社をそれぞれ神奈中・神奈中東・神奈中西と省略して表記し、グループ3社と表記した場合は前述3社を指すものとする。

  • 1 - 299:神奈中の一般路線車[281][282]
    • ミニバス・コミュニティバス・連節バスなどの特殊な車両は、営業所によっては201、202…などのきりの良い番号から付番される場合もある。
  • 301 - 499:グループ3社の特定車(企業・学校などとの契約輸送用)[281][282]
  • 501 - 599:グループ3社の貸切車(近距離送迎・イベント輸送などに使用)[281][282][注釈 42]
  • 601 - 699:神奈中東・神奈中西の一般路線車[281][282]
  • 701 - 899:グループ3社の高速路線車・空港路線車[281][282]
  • 900 - 923:神奈中東から神奈中タクシーに移管されたコミュニティバス車両の一部

なお、基本的に廃車・転出車の社番は代替となる新車・転入車に引き継がれる[282] ほか、転属や用途変更時には改番が発生する[281]。増車の際には欠番となっている番号を振ったり、減車の際にはその番号を欠番にすることがあるほか、減車台数が多い時には番号の整理を行うことがある[注釈 43]

バス車内には、運転席上に表示された正式な社番とは別に、バスロケーションシステム用の「車両番号」が表示されている。なお、神奈中バスロケーションシステムのモバイル版では、現在乗車しているバスの車両番号を入力する事で、その先の各停留所の到着予想時刻を参照したり、電子メールで送信する事が可能である[283][注釈 44]

神奈中観光の社番

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営業所別所属台数推移

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特定車・高速車を含み、貸切車・教習車は含まない。

営業所名 1970年9月 1981年12月 1986年3月 1991年3月 1997年11月 2001年3月 2005年10月 2011年3月 2021年3月 備考
厚木 116[284] 163[229] 205[285] 237[285] 232[286] 202[287] 191[288] 188[289] 108[290][注釈 45][注釈 46]  
伊勢原 61[284] 79[231] 86[291] 97[291] 104[286] 96[292] 100[288] 193[289][注釈 47] 96[293][注釈 48]  
舞岡 108[284] 132[294] 137[295] 154[295] 156[286] 146[296] 179[288] 189[297] 182[298]  
厚木北                 67[290] 2017年1月1日に厚木から分離独立[290]
相模原 102[284] 160[220] 174[299] 192[299] 195[286] 233[287] 162[288] 233[289][注釈 49] 105[300][注釈 50][注釈 46]  
綾瀬     [注釈 51] 105[301] 138[286] 120[243] 131[288] 124[302] 122[303] 1988年12月24日開設[301]
多摩           81[243][注釈 52] 95[288] 90[302] 97[304] 2001年7月29日開設[243]
茅ヶ崎 70[284] 84[228] 84[305] 89[305] 100[286] 88[292] 92[288] 196[297][注釈 53] 96[300][注釈 54]  
津久井 61[284] 67[225] 70[306] 77[306] 86[286] 65[287] 55[288] [注釈 49] 67[293][注釈 55][注釈 56]  
戸塚 121[284] 170[223] 179[307] 188[307] 189[286] 166[296] 196[288] 193[297] 173[298]  
中山                 77[304] 2017年1月1日に大和から分離独立[300]
秦野 85[284] 99[230] 112[308] 123[308] 132[286] 120[292] 121[288] [注釈 47] 111[303][注釈 55][注釈 57]  
平塚 97[284] 127[224] 137[309] 153[309] 169[286] 169[292] 188[288] 176[289] 192[303][注釈 55]  
藤沢 91[284] 129[227] 160[310] 91[310][注釈 58] 101[286] 96[296] 103[288] [注釈 53] 102[304][注釈 46][注釈 59]  
町田 97[284] 144[226] 185[311] 204[311] 208[286] 163[243] 182[288] 173[302] 145[298]  
橋本                 90[300][注釈 46] 2017年1月1日に相模原から分離独立[300]
大和 78[284] 98[232] 114[312] 127[312] 127[286] 124[287] 139[288] 195[302] 130[300][注釈 46][注釈 60]  
横浜 80[284] 112[219] 121[313] 138[313] 142[286] 126[296] 108[288] 108[297] 97[314]  
合計 1167 1564 1663 1975 2079 1995 2042 2058 2030  

広報

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情報誌「くる~ず」

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沿線の見どころやバスに関するお得な情報、神奈中の歴史など、地域に密着した情報を提供するフリーペーパーとして2002年(平成14年)に発行開始。バス車内などで配布していたが、情報提供媒体の多様化などを鑑み、一定の役割を終えたとして、2018年春号(No.65)をもって発行終了となった[315]

マスコットキャラクター「かなみん」

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2014年(平成26年)3月28日に神奈川中央交通の公式マスコットキャラクターとして「かなみん」が制定された。乗客や地域住民に親しみを持ってもらうことを目的とし、神奈川中央交通の略称「神奈中(かなチュー)」からネズミをモチーフにしたキャラクターとなっている。名前募集には4,842件の応募が寄せられた。

公式SNS

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2014年7月のFacebook公式ページ開設を皮切りに[316]、2019年1月には公式Instagram[317]、2023年8月には公式YouTubeチャンネルをそれぞれ開設し[318]SNSでの情報発信を強化している。

グループ会社

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連結子会社

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一般旅客自動車運送事業
その他事業

過去の子会社

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持分法適用関連会社

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『神奈川中央交通五十年史』 p.6の表記による。
  2. ^ 現代でいうタクシーのこと(『神奈川中央交通五十年史』 p.6)。
  3. ^ 鉄道の「硬券」と同様のもの。
  4. ^ 東急バスが1975年に東急コーチを運行開始した際にも、同様の理由で法的には貸切扱いとしていた。
  5. ^ 通常運賃を20円から30円に改定する際に通常運賃の2倍に変更したため、深夜運賃は60円のままとなった。
  6. ^ 定期券の場合は通常運賃の支払いで利用可能に変更された。
  7. ^ 2004年までは食糧管理制度により登録が義務付けられており、米の販売には必ず県知事への登録が必要だったため、車内の売店をスーパーマーケット「神奈中ストア」の店舗扱いとすることで対応し、車内にも登録証が掲示されていた。
  8. ^ 3か月券は3,500円、6か月券は5,900円、1年券は10,800円(2014年3月31日までは3か月券は3,000円、6か月券は5,000円、1年券は9,000円、2019年9月30日までは3か月券は3,250円、6か月券は5,400円、1年券は9,850円)
  9. ^ 発売金額は大人1,050円、小児530円(2014年3月31日までは大人1,000円、小児500円、2019年9月30日までは大人1,030円、小児520円)で、空港リムジンバス、深夜急行バス、一部のコミュニティバスを除く各線で利用可能。当初はスクラッチ式、磁気券の乗車券を発売していた。2011年12月19日からICカード「PASMO」または「Suica」を利用した1日フリー乗車券の発売が開始され、ICカードに発売金額がチャージされていれば車内でも乗務員に申告の上で購入できるようになった(交通系ICカード全国相互利用開始後も発売できるICカードは「PASMO」または「Suica」のみとなる)
  10. ^ 例えば、1999年に制定された構造用件では第1軸と第3軸が同一の軌跡を辿る事とされたが、セントロライナーでは第3軸にはステアリング機構がないため、必然的に第1軸と第3軸の軌跡は異なる。
  11. ^ 日本の道路運送車両の保安基準第二条において最大車体幅は2.5mと定められている他、第二十六条では定員30名以上の車両には非常口扉の設置が義務付けられている。
  12. ^ 但し、在来車の塗り変えは行われなかった。塗り変えるより車両置き換えの方が早く終了するためとされている。
  13. ^ 但し、日野中型車を除くU-車は全車改造扱いで平成6年排出ガス規制適合(KC-)車に移行された1997年以降のいすゞ(富士架装車)、日産ディーゼル(現・UDトラックス)車も改造扱いとなる。
  14. ^ 後に再度取り付けられ、現在はカバーで覆われている。
  15. ^ a b c 運行開始当時は京浜急行電鉄
  16. ^ ただし、京急車は田村車庫には乗り入れない。
  17. ^ a b 運行開始当時は京成電鉄
  18. ^ 2022年10月15日までは、グループ会社の小田急バス町田営業所が隣接していた(翌16日に新百合ヶ丘営業所に移転)。
  19. ^ 戦時中から1948年8月までは事業を中断していた(『神奈川中央交通六十年史』 p.80
  20. ^ 舞岡営業所は神奈川中央交通の営業所に復帰した。
  21. ^ 大和営業所については、この時点では旧藤沢神奈交バスの営業所(現在の大和営業所鶴間操車所)のみ神奈川中央交通東に移管された。
  22. ^ この際に大和営業所は神奈川中央交通東の営業所に一本化されたが、旧神奈川中央交通の営業所と旧藤沢神奈交バスの営業所(2017年1月1日付で神奈川中央交通東に移管済)では営業所の名称が異なる体制となり、前者は単に「大和営業所」であるが後者は「大和営業所鶴間操車所」となった。
  23. ^ 『バスジャパン・ニューハンドブック23』 p.61の記述によれば、厚木・横浜・戸塚・舞岡の各営業所に配置されているギャラリーバス「カナちゃん号(初代)」も長尺車だった。
  24. ^ 『神奈川中央交通七十年史』 p.106によると、1985年3月31日の時点で199台、1986年3月31日の時点で205台となっていた。
  25. ^ なお、三菱ふそうトラック・バスの本社も同じ神奈川県(川崎市中原区)に所在する。
  26. ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.29の表によれば、2005年10月31日時点での神奈中本体のいすゞ路線車は238台で、このうち茅ヶ崎の配置数は58台、藤沢が39台、大和が32台、綾瀬が47台。中山操車所開設後は大和のいすゞ大型路線車のほとんどが中山操車所配置となった。
  27. ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・57』 p.29の表によれば、2005年10月31日時点での神奈中本体の日野路線車は45台で、このうち21台が伊勢原に配置されている。また、『バスジャパン・ハンドブックR・57』 pp.54-55によれば、1991年から2004年までの日野製大型路線車は伊勢原にしか配置されていない。
  28. ^ なお、2004年以降は日産形低公害車の実証実験を厚木営業所が担当することとなり、尿素SCRステーションを設置した関係から日産ディーゼル車が継続的に配備され、2009年2月28日現在で41台在籍、稼動車の30%程度にまで比率が上がっている。
  29. ^ 一般乗合可能車両で最も古いのは2002年式。
  30. ^ ただし、高速路線車および貸切車(一部を除く)では三菱ふそうバス製造に一本化されるまでは当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製で導入していた。
  31. ^ 特にいすゞ+富士重工の組み合わせは富士重工のバス車体製造撤退時まで取引を続けており、これらは茅ヶ崎営業所に集中的に配備された他、藤沢・綾瀬を除く営業所では新製配置のいすゞ車は原則として富士重工車体であった。ただし、中型車では1999年導入のエルガミオ以降は純正車体で導入されている。
  32. ^ ごく一部を除き英語表記は行われていない。回送は英語表記された表示をしており、表記内容は「OUT OF SERVICE」である。
  33. ^ エアロスターではセイフティウィンドーが標準装備されている部分。
  34. ^ 運賃収受が前払いか後払いかを表示するためのもので、一部車を除き幕式になっている。ただし、1987年に26台が導入されたギャラリーバス「カナちゃん号」に限っては設置されていなかった。
  35. ^ 三菱ふそう・エアロスター、P-MP218P改。
  36. ^ その後、北陸鉄道京浜急行バスなどでも導入例が見られたが、ニューエアロスターでは設定されなくなった。
  37. ^ ごく短期間、現行の塗り分けに決まるまで車体前面上部に赤色が掛かるなど細部に変遷が見られた。
  38. ^ 「かなちゅう」ロゴマークは「Kanachu」ブランドマークに貼り替えられているが、2003年までに導入された車両の正面の社紋は残し、前面以外に「Kanachu」ブランドマークを貼り付けしている。
  39. ^ 各社の色は、湘南が黄橙、横浜が濃い青、藤沢が淡い青、相模が明るい青緑、津久井が深緑。
  40. ^ 神奈中の車両では "Kanagawa Chuo AIR EXPRESS SALOON" となるのに対し、横浜神奈交バスの車両では "Yokohama Kanako Bus AIR EXPRESS SALOON" となっていた。
  41. ^ これらの事業者は一般車両にもステッカーが貼られているが、神奈中ではラッピングバスのみの貼り付けとなっている。
  42. ^ 一般路線で使用することがある。
  43. ^ 2001年の多摩営業所開設時に同所へ転出車が大量発生した際の相模原営業所での事例などが該当する。
  44. ^ システム上では神奈中・神奈交委託車の区別はされておらず、神奈交委託車の頭の0番(や05など)は入力しなくても表示される。
  45. ^ 2017年1月1日に厚木北を分離したため台数が減少(『神奈川中央交通100年史』 p.59
  46. ^ a b c d e 神奈川中央交通と神奈川中央交通東の車両数を合算
  47. ^ a b 2008年5月16日に伊勢原に統合のため、伊勢原の台数には旧秦野の台数も含む(『神奈川中央交通九十年史』 p.97
  48. ^ 2017年1月1日に秦野を分離したため台数が減少(『神奈川中央交通100年史』 p.59
  49. ^ a b 2005年4月16日に相模原に統合のため、相模原の台数には旧津久井の台数も含む(『神奈川中央交通九十年史』 p.95
  50. ^ 2017年1月1日に津久井と橋本を分離したため台数が減少(『神奈川中央交通100年史』 p.58
  51. ^ 1989年3月時点での台数は91台(『神奈川中央交通七十年史』 p.111)。
  52. ^ 2001年7月29日開設時点での台数(『神奈川中央交通八十年史』 p.75)。
  53. ^ a b 2005年4月16日に茅ヶ崎に統合のため、茅ヶ崎の台数には旧藤沢の台数も含む(『神奈川中央交通九十年史』 p.95
  54. ^ 2017年1月1日に藤沢を分離したため台数が減少(『神奈川中央交通100年史』 p.58
  55. ^ a b c 神奈川中央交通と神奈川中央交通西の車両数を合算
  56. ^ 2017年1月1日に相模原より分離
  57. ^ 2017年1月1日に伊勢原より分離
  58. ^ 1988年12月24日に綾瀬を分離したため台数が減少。1988年3月時点での台数は165台(『神奈川中央交通七十年史』 p.101)。
  59. ^ 2017年1月1日に茅ヶ崎より分離
  60. ^ 2017年1月1日に中山を分離したため台数が減少(『神奈川中央交通100年史』 p.56
  61. ^ 一部地域で自治体からコミュニティバスを受託運行している。
  62. ^ 神奈中タクシーホールディングスとして神奈中ハイヤー相模中央交通の経営統合を目的として2009年9月に設立。2019年7月に子会社を吸収合併し、現商号に改称。
  63. ^ 2019年11月13日から2020年10月31日までの期間、乗合事業として相模大野駅北口~南町田グランベリーパーク駅間を結ぶ路線バスを運行していた時期が存在する。

出典

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  • 「走り出した国内初のノンステップ連節バス 神奈川中央交通の"ツインライナー"」『バスラマ・インターナショナル』第89号、ぽると出版、2005年3月、21-25頁、ISBN 4899800894 
  • 「神奈川中央交通のツインライナー第2弾が運行開始」『バスラマ・インターナショナル』第106号、ぽると出版、2008年2月、9-15頁、ISBN 9784899801061 
  • 「評価も上々、運行開始から1か月 神奈中のツインライナー第2弾」『バスラマ・インターナショナル』第107号、ぽると出版、2008年4月、16-19頁、ISBN 9784899801078 
  • 「国内ニュース」『バスラマ・インターナショナル』第131号、ぽると出版、2012年5月、86-89頁、ISBN 9784988901313 

関連項目

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外部リンク

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