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== 著書 ==
== 著書 ==
*「東大vs」(東京大学公共政策大学院編、朝日新聞社、2005年)ISBN-4022500166
*「東大vs」(東京大学公共政策大学院編、朝日新聞社、2005年)ISBN 4022500166
*「国家と外交」([[田原総一朗]]と共著、講談社、2005年)ISBN-406213196X
*「国家と外交」([[田原総一朗]]と共著、講談社、2005年)ISBN 406213196X
*「日米FTA戦略-自由貿易協定で築く新たな経済連携」(ダイヤモンド社、2007年)<nowiki>ISBN 978-4-478-25008-2</nowiki>
*「日米FTA戦略-自由貿易協定で築く新たな経済連携」(ダイヤモンド社、2007年)<nowiki>ISBN 978-4-478-25008-2</nowiki>
*「外交の力」(日本経済新聞出版社、2009年)ISBN-4532166853
*「外交の力」(日本経済新聞出版社、2009年)ISBN 4532166853
*「プロフェッショナルの交渉力」(講談社、2009年)ISBN-4062153742
*「プロフェッショナルの交渉力」(講談社、2009年)ISBN 4062153742
*「中国は、いま」(「第9章 東アジアの中の中国-日本外交への視点」)(岩波新書、2011年3月)ISBN-4004312973
*「中国は、いま」(「第9章 東アジアの中の中国-日本外交への視点」)(岩波新書、2011年3月)ISBN 4004312973
*「グローバル化とリーダーシップ-国際文化会館新渡戸国際塾講義録〈2〉」(「大きな絵を描くということ-外交の現場から」(I-House Press、2011年6月)ISBN-4903452220
*「グローバル化とリーダーシップ-国際文化会館新渡戸国際塾講義録〈2〉」(「大きな絵を描くということ-外交の現場から」(I-House Press、2011年6月)ISBN 4903452220
*「REIMAGINING JAPAN」「CHAPTER FIVE : REDEFINING JAPAN'S FOREIGN RELATIONS - Forging a Partnership with China」(Viz、2011年7月)ISBN-142154086X
*「REIMAGINING JAPAN」「CHAPTER FIVE : REDEFINING JAPAN'S FOREIGN RELATIONS - Forging a Partnership with China」(Viz、2011年7月)ISBN 142154086X
*「日本の未来について話そう」「第5章 日本外交政策の選択 - 中国と向き合う」(小学館、2011年7月)ISBN-4093881898
*「日本の未来について話そう」「第5章 日本外交政策の選択 - 中国と向き合う」(小学館、2011年7月)ISBN 4093881898
*「日本外交の挑戦」(角川書店、2015年8月)ISBN-4040820053
*「日本外交の挑戦」(角川書店、2015年8月)ISBN 4040820053


== 定期寄稿記事 ==
== 定期寄稿記事 ==

2019年10月29日 (火) 00:04時点における版

田中均
2015年撮影
生誕 (1947-01-15) 1947年1月15日(77歳)
日本の旗 京都府京都市
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都大学法学部卒業
オックスフォード大学
大学院修士課程 (P.P.E.) 修了
職業 公益財団法人日本国際交流センター
シニア・フェロー
株式会社日本総合研究所国際戦略研究所
理事長
田中正一(
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田中 均(たなか ひとし、1947年1月15日 - )は、日本外交官公益財団法人日本国際交流センターシニア・フェロー株式会社日本総合研究所国際戦略研究所理事長[1]

北米局北米二課長、アジア局北東アジア課長、英国国際戦略研究所研究員、在連合王国日本国大使館公使、総合外交政策局総務課長、北米局審議官、在サンフランシスコ日本国総領事外務省経済局局長、外務省アジア大洋州局局長、外務審議官(政務担当)などを歴任した。[1]

2002年小泉純一郎総理大臣(当時)および金正日総書記による日朝首脳会談の史上初の実施や、日朝平壌宣言の調印の成立、また六者会合の開催における立役者として一躍有名となった。在職中から論壇で様々な主張を行なっており、外務省の論客として知られた存在である。

来歴

京都府京都市生まれ。府立洛北高校を経て、1969年京都大学法学部卒業後、外務省に入省。1972年オックスフォード大学哲学・政治・経済学修士課程(P.P.E.)修了。父は(総合商社日商岩井(のち双日)元会長)の田中正一で、3人の兄がいる。[2]

退官後は、公益財団法人である日本国際交流センターにて、シニア・フェローに就任。また、東京大学大学院公共政策学連携研究部客員教授に就任し、公共政策大学院の講義を担当した(2006年4月~2018年3月)。

現在、日本総合研究所において国際戦略研究所理事長を兼任している。[1]他、(公社)ユナイテッド・ワールド・カレッジ日本協会幹事[3]、(公財)経団連国際教育交流財団評議員[4](社)日本経済団体連合会 経営労働政策委員会のアドバイザーを務めている。

人物

2013年5月2日英国駐箚特命全権大使林景一(前列左から1人目)、衆議院議員小泉進次郎(前列左から2人目)、衆議院議員長島昭久(前列右から2人目)、イギリス貴族院議員マイケル・ハワード(前列右から1人目)、共同通信社論説委員長会田弘継(後列右から1人目)らと

入省当初は、経済協力・援助を手がけ、日本最大の援助対象国であったインドネシアに勤務している。1979年の米大使館赴任以降は対米関係の専門家として、安保政治経済いずれのポストも経験した。日米経済関係を担当する北米第二課長時代は日米半導体交渉で、安保を担当する北米局審議官時代は1996年4月の在日米軍普天間基地返還合意で、それぞれ第一線で実務を担当した[5]。また1996年日米安保共同宣言の外務省における責任者も務めた。

東アジア外交との関わりは1987年の北東アジア課長就任以降であり、以後朝鮮半島問題に様々な形で関与することになっていった。同課長時代に起きた大韓航空機爆破事件を巡って犯人の金賢姫とソウルで面会した際、北朝鮮による日本人拉致事件が事実であることを確認した。[2]その後在樺コリアンの帰国支援に関与した他、総合政策局総務課長時代には北朝鮮核危機1993年)における危機管理を手がけた。米朝枠組み合意後のKEDO設立における日本側の実務責任者でもあった。同じく総務課長時代には、アジアとの平和友好交流計画、村山談話アジア女性基金設立、のいずれにも携わった[6]

時の総理大臣・小泉純一郎の下、2001年にアジア大洋州局長に就任すると、同年末から30回以上に及ぶ北朝鮮代表者「ミスターX[7]」との水面下の交渉を担当。官邸・外務省の限られた幹部しか交渉の詳細を知らないという極秘の形で進められたが、総理とはこの間80回に渡って面談して官邸主導のスタイルで北朝鮮側との信頼関係を築き、2002年9月の歴史的な首脳会談実現の立役者となった。

瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件では、川口順子外務大臣より訓戒処分を受け、給与10%・1月分を自主返納した[8]

日朝首脳会談を実現させ、拉致被害者の帰国に導いたことが高く評価され、一官僚としては異例な程に田中の名前がクローズアップされたが、他方で日朝平壌宣言の文言には拉致問題に関する言及がなかったことから、日朝国交正常化を優先し拉致被害者問題を軽視したとの批判がなされた。[9]

2003年9月、「建国義勇軍国賊征伐隊」を名乗る右翼団体によって、自宅ガレージに爆発物が仕掛けられる事件が発生。この事件に対し、石原慎太郎東京都都知事は「爆弾を仕掛けられて、当ったり前の話だ。いるか、いないかわからないミスターXと交渉したと言って、向こう(北朝鮮)の言いなりになる」とコメントした[10]

2005年外務審議官(政務担当)を最後に退官。大使への転出打診を辞退し[11]、現在は執筆、評論、対外発信活動を精力的に行っている。

エピソード

  • 外交官をめざすきっかけとして、父・正一による勧めがあった。正一は、第二次世界大戦直前に岩井産業ロンドン支店へ赴任し、その後ペルーで商社マンとして行っていた情報収集活動をペルー当局から「スパイ容疑」をかけられ、死刑宣告を受けるも現地日系人の支援によって間一髪免れた。代わりに捕虜交換員として米国サンフランシスコアルカトラズ島に送られ取調べを受け、テキサス州の日本人強制収容所に送られ、更に捕虜交換のために南アフリカまで連れていかれ、ようやく日本へ帰国した。しかし今度は赤紙で中国戦線へ召集され、偶然が重なったことで最前線には送られず生きて生還することが出来た。こういった父の生き様、日本の運命がいかに外交によって変わっていったかという話を聞いて育ち、均は次第に外交官を目指すようになった。[2]
  • 幼少期から「均」の音読みを文字って「キンちゃん」などの愛称で呼ばれる。[2]

主張

  • ポピュリズムの台頭は、外交に世論を巻き込み、結果的に相手を嫌う世論を増幅させ、政府が世論から逃れられなくなるという悪循環を発生させる。昨今世界中でそのような現象が多く見られる中、日韓関係の悪化はその一つの例であり、安倍政権に代表される日本の保守ナショナリズムの台頭、韓国での文在寅政権に代表される市民派リベラルの浸透は、徐々に日韓の溝を拡大させている。[12]
  • 日韓にとり双方は共に中国、米国に次ぎ第3位の貿易相手国であり、投資の規模、人的交流(昨年の訪日外国人旅行客の25%は韓国から)などから見ても、きわめて重要なパートナー。安全保障面で見ても韓国の最大の脅威は北朝鮮であり、米韓の同盟関係が抑止力になっているが、実際に朝鮮半島有事となれば、日米安全保障体制に基づく日本からの支援がなければ米韓同盟も全く機能しない。[12]
  • 日本政府が掲げている深刻な懸案問題(竹島問題、慰安婦問題、徴用工問題、日本産水産物の輸入規制、日本海呼称問題)など、どれ一つをとっても解決が難しく、こうした多くの懸案は、双方が重要な友好国としてお互いを尊重せず、相手に対する思いやりのない冷淡な扱いが常態になるのであれば、相互依存関係は崩れ、必ず経済や国民レベルの交流にも悪影響を与える。いま一度、日韓両国政府は日韓関係が双方にとってどれだけ重要か国民レベルで啓発をするべきである。[12]
  • 朝鮮半島の安定は日本の死活的利益であり、日本が真っ先にパートナーシップを組むべき韓国との関係悪化は大きな痛手である。[13]
  • 日韓関係の修復のためには、過去数百年間に亘る日・朝鮮半島における歴史を理解し、緻密な戦略をもって、今一度、話し合いを基調とする外交に戻すべきである。[13]

経歴

2013年5月2日、日英21世紀委員会第30回合同会議の参加者らと

同期

著書

  • 「東大vs」(東京大学公共政策大学院編、朝日新聞社、2005年)ISBN 4022500166
  • 「国家と外交」(田原総一朗と共著、講談社、2005年)ISBN 406213196X
  • 「日米FTA戦略-自由貿易協定で築く新たな経済連携」(ダイヤモンド社、2007年)ISBN 978-4-478-25008-2
  • 「外交の力」(日本経済新聞出版社、2009年)ISBN 4532166853
  • 「プロフェッショナルの交渉力」(講談社、2009年)ISBN 4062153742
  • 「中国は、いま」(「第9章 東アジアの中の中国-日本外交への視点」)(岩波新書、2011年3月)ISBN 4004312973
  • 「グローバル化とリーダーシップ-国際文化会館新渡戸国際塾講義録〈2〉」(「大きな絵を描くということ-外交の現場から」(I-House Press、2011年6月)ISBN 4903452220
  • 「REIMAGINING JAPAN」「CHAPTER FIVE : REDEFINING JAPAN'S FOREIGN RELATIONS - Forging a Partnership with China」(Viz、2011年7月)ISBN 142154086X
  • 「日本の未来について話そう」「第5章 日本外交政策の選択 - 中国と向き合う」(小学館、2011年7月)ISBN 4093881898
  • 「日本外交の挑戦」(角川書店、2015年8月)ISBN 4040820053

定期寄稿記事

脚注

  1. ^ a b c 田中 均|研究員紹介|日本総研”. 日本総研. 2019年8月15日閲覧。
  2. ^ a b c d 田中均『外交の力』日本経済新聞社、2009年1月1日。ISBN 4532166853 
  3. ^ UWC派遣奨学生の激励会を開催 -21名の高校生が世界へ”. 経団連タイムス. 2019年9月18日閲覧。
  4. ^ 公益財団法人 経団連国際教育交流財団 評議員”. 2019年9月19日閲覧。
  5. ^ 船橋洋一「同盟漂流」(岩波書店)
  6. ^ 船橋洋一「ペニンシュラ・クエスチョン」(朝日文庫)
  7. ^ 正体は朝鮮民主主義人民共和国国家安全保衛部・柳京(リュ・ギョン)副部長とされている。
  8. ^ 「在瀋陽総領事館事件に関する処分 」外務省
  9. ^ 産経新聞』2008年2月9日
  10. ^ 石原知事「爆弾仕掛けられ当たり前」と発言 不審物事件”. www.asahi.com. asahi.com. 2017年8月1日閲覧。
  11. ^ 著書『外交の力』
  12. ^ a b c 日韓が「近くて遠い国」に戻った3つの要因と、唯一の打開策”. ダイヤモンド・オンライン. 2019年7月21日閲覧。
  13. ^ a b 「日韓泥沼化」を抜け出せ!元徴用工・輸出規制問題の解決シナリオ”. ダイヤモンド・オンライン. ダイアモンド・オンライン. 2019年9月18日閲覧。
  14. ^ 国際戦略研究所 田中均「考」|日本総研”. 日本総研. 2019年9月21日閲覧。
  15. ^ 研究員のコラム・レポート|田中 均|研究員紹介|日本総研”. 日本総研. 2019年9月13日閲覧。

外部リンク

先代
高野紀元
外務審議官(政務担当)
2002年 - 2005年
次代
西田恒夫