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2020年2月3日 (月) 12:00時点における版
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![]() | ||||||||||||||||||||
名前 | ||||||||||||||||||||
愛称 | ホマ、ほーさん | |||||||||||||||||||
カタカナ | サワ ホマレ | |||||||||||||||||||
ラテン文字 | SAWA Homare | |||||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||||
国籍 |
![]() | |||||||||||||||||||
生年月日 | 1978年9月6日(45歳) | |||||||||||||||||||
出身地 | 東京都府中市 | |||||||||||||||||||
身長 | 165cm[1] | |||||||||||||||||||
体重 | 55kg | |||||||||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||||||||
1991-1998 |
![]() /読売JSCベレーザ/読売西友ベレーザ /読売ベレーザ | 136 | (79) | |||||||||||||||||
1999-2000 |
![]() | |||||||||||||||||||
2000-2003 |
![]() | 55 | (13) | |||||||||||||||||
2004-2008 |
![]() | 85 | (47) | |||||||||||||||||
2009-2010 |
![]() | 41 | (6) | |||||||||||||||||
2009-2010 |
![]() | 4 | (2) | |||||||||||||||||
2011-2015 |
![]() | 94 | (12) | |||||||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||||||||
1993-2015 |
![]() | 205 | (83) | |||||||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
澤 穂希(さわ ほまれ、1978年〈昭和53年〉9月6日 - )は、東京都府中市出身の元女子サッカー選手。元サッカー女子日本代表。ポジションはミッドフィールダー。 6度のW杯と4度の五輪に出場。2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会で得点王とMVPを獲得。2011年度FIFA最優秀選手賞受賞者。日本女子代表では歴代トップの出場数とゴール数を記録している(205試合83得点)。
経歴・人物
府中市立若松小学校、府中市立第五中学校、東京都立南野高等学校 (現:東京都立若葉総合高等学校) を卒業[2]。帝京大学中退[3]。左利き。
日本代表になるまで
小学2年のとき、東京府中市にある「府ロクサッカークラブ」に兄とともに入団を希望する。女の子ということで入団を渋られるが、母の努力により仮入団となる。その後、地元の「狛江杯」で、コーチの勧めにより試合に出場。いきなりゴールを決め、地元紙のニュースに取り上げられ、以後、正式に入団となる。また、チームメイトも澤を女の子として扱わなくなったと言う。このころは練習も遊びも年上の男子ばかりであり、それが女子としては突出したキック力やスキルが身に付いた理由だと本人が述べている。
中学に入学すると同時に、当時の日本代表が多く所属する強豪チーム読売サッカークラブ女子・ベレーザの下部組織であるメニーナに入団したが、当時の監督であった竹本一彦の判断で入団後わずか1ヶ月でベレーザに引き上げられる[4]。本人は、「同じようにプレーできなかったことが悔しくて」と述べているが、そのため一人で毎日居残り練習を行い、結果として大きく実力が磨かれる。中学一年の夏、Lリーグ (現在はなでしこリーグ) に出場、3試合目に初ゴールを決める。このあと日本代表に選出された[5]。
2011FIFA女子ワールドカップ優勝まで
1993年、15歳で日本女子代表に招集されて初出場を果たしデビュー戦で4得点を挙げる。その年のリーグベストイレブンに初めて選ばれその後も度々選出され、リーグを代表する選手となる。
1990年代末は、Lリーグに所属する企業が次々と女子サッカー部の廃部を決める。サッカーができなくなることを危ぶみ、1999年に大学を中退、米国に渡る決意をする。 1999年にコロラド・デンバー・ダイアモンズに所属。2000年にアトランタ・ビートに移籍する。このとき、米国選手とのスピード、パワーの差に驚くが、同時に自分自身の技術で、生きていく道が見えたと述べている。米国でも高い技術で実力を発揮し、「クイック・サワ」との異名を取る。
また、米国滞在中、結婚を考えたが、2003年9月アメリカ女子プロリーグ休止にともない、帰国する道を決断する[6]。
2004年にL・リーグに「ノンアマ (プロ契約) 選手」として復帰。同年4月に国立競技場行われたアテネ五輪アジア最終予選の北朝鮮戦では右ひざ半月板損傷をおして出場し、3-0で勝って日本に2大会ぶりの五輪切符をもたらした[7]。同年、アジア年間最優秀選手賞を受賞。その後も日本国外のチームからのオファーを受けるが、なでしこジャパンの選手としてベレーザでのプレーを続け、チームの優勝にも貢献。2006年、2008年にはなでしこリーグMVPにも選ばれる。なお、2004年7月に、サッカー日本女子代表の愛称が「なでしこジャパン」に決定し、記者会見を行った際、発表用に「なでしこジャパン」と毛筆で記したのは澤だった[8]。
主にトップ下で司令塔としての役割を果たしていたが、2007年に女子代表の監督に佐々木則夫が就任して以降は、ボール奪取能力の高さや展開力、予測に長けている事を評価されセンターハーフにコンバートされ、女子代表の攻守の要となった[9]。
2008年オフ、2009年開幕予定であったWPSからドラフト指名を受け、2009年1月にワシントン・フリーダムへ移籍した[10]。ワシントンでは20試合に出場し、3得点を挙げた。同年8月、古巣の日テレに一時的に復帰することになった[11]。
2011年、経営難の日テレからプロ契約の打ち切りを宣告され、1月5日大野忍、近賀ゆかり、南山千明とともにINAC神戸レオネッサへ移籍した[12]。
移籍後には「サッカーに専念出来るINACに来てから凄くコンディションがいい。」と語るなど、満を持して迎えた2011 FIFA女子ワールドカップではキャプテンとして出場。グループリーグ・メキシコ戦でのハットトリック (1得点目は決勝点)[13]、準々決勝ドイツ戦での決勝点のアシスト、準決勝スウェーデン戦での決勝点、決勝アメリカ戦での延長後半12分の同点ゴールの計5ゴール1アシストを記録し、日本サッカー史上初のW杯優勝に大きく貢献、自身も日本人初となるW杯での得点王とMVPの二冠を達成した[14]。
世界ランク1位のアメリカを決勝で下した試合によって、日本だけでなく,世界中のメディアが、なでしこジャパンを賞賛する。英国のザ・タイムズ紙は、「鉄の意志のチーム」と表現する。ニューヨークタイムズ紙は「復興への希望の上に築かれた勝利で、大震災で打撃を受けた国を盛り上げた」と賞賛している。 また、アメリカチームを率いたスンダーゲ監督は、「私たちは今日、観客にいい試合を見せられた。PKにまで及んだこの決勝戦を、ずっと覚えていただけるのではないか」とコメントした。[15]
尚、メキシコ戦でのハットトリックは自身の国際Aマッチでの記録としては2001年12月4日のシンガポール戦以来およそ10年ぶりのハットトリックであった。
2011FIFA女子ワールドカップ優勝以降
2012年1月9日、2011年度のFIFA年間表彰式にて男女を通じてアジア人では史上初となる「FIFA最優秀選手賞」を受賞した[16][17]。同月、全国のサッカー担当記者の投票によって選出される日本年間最優秀選手賞を、長友佑都や香川真司らを抑え、女子選手としては初めて受賞した[18]。
3月、ポルトガルで開催されたアルガルヴェ・カップ2012での遠征中に体調不良を訴え、帰国後検査を受け、「良性発作性頭位めまい症」と診断された[19]。以降、日韓女子リーグチャンピオンシップやキリンチャレンジカップを欠場し、4月22日のなでしこリーグ第2節福岡J・アンクラス戦で実戦復帰を果たした。
病のことを聞きつけたアメリカ代表のエース・ストライカーで在米時代の元チームメイト、アビー・ワンバックは、まだウォーキングしかできない澤をキャンプ地の鹿児島まで訪れ、「絶対に克服できる。また五輪で戦おう。でも次はやられないよ」と激励し、感激で号泣した澤は、復活への勇気を得た[20]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/27/Ginza1.jpg/220px-Ginza1.jpg)
2012年8月のロンドンオリンピックでは、決勝戦でアメリカに敗れるも、自身4度目のオリンピック出場で日本女子代表の史上初のメダル (銀メダル) 獲得に貢献した。
2014年11月21日、AFC初代殿堂入りを果たした[21]。
2014年5月に開催されたアジアカップ以後、日本代表から外されていたが2015 FIFA女子ワールドカップ日本代表に選出された。自身6度目のワールドカップであり男女を通して世界史上最多出場選手となる。年齢的なこともあり選ばれない、もしくは選ばれたとしても商業的なことが主たる理由等と言われていたが佐々木監督は選考の理由として「(リーグで) 誰よりも体を張って戦っており現在のパフォーマンスは問題ない。澤のプレーは小手先でなく90分集中して戦っている。なでしこの姿勢そのものであり (選手の) 模範である」ことをあげた[22]。
2015年8月11日にINAC神戸を通じて、8月8日に入籍した事を発表[23]。その後の各報道機関の取材で、結婚相手が元ベガルタ仙台DFの辻上裕章であることが明らかになり、澤本人もこれを認めた[24][25]。
同年、「FIFA女子ワールドカップ最多出場 (6回)」の記録が、ギネス世界記録に認定され、2016年9月10日発売の「ギネス世界記録2016」に掲載[26]。
2015年12月16日今季限りでの引退を表明し、17日都内で記者会見を開いた [27]。現役最後の試合となった27日の皇后杯決勝vsアルビレック新潟レディースでは、スコアレスで迎えた後半33分に川澄のCKからヘディングで決勝ゴールを挙げ、有終の美を飾った[28]。
2016年3月、イギリスのサッカー専門サイト「Squawka」により「歴代最高の女子フットボーラー10傑」の1人に選出された[29]。
現役引退後
引退後は辻上のいる仙台へ引っ越しをし、同居を開始。2016年7月19日、所属事務所を通じて第1子妊娠を発表[30]。2017年1月9日女児が誕生した[31]。
2020年1月、警視庁・捜査一課長 正月スペシャル (テレビ朝日)サッカーコーチ玉賀友代(たまが ともよ)役で女優デビュー [32]
競技歴
- 小学生時に安満サッカークラブに入団。のち府ロクサッカー少年団に所属。なお府ロクサッカー少年団では澤の2年後輩に、中村憲剛(現川崎フロンターレ)が居た。
- 1991年
- 読売クラブ女子・メニーナ入団。1か月後にベレーザへ昇格
- 7月7日 フジタ天台SCマーキュリー戦で日本女子サッカーリーグデビュー
- 7月28日 新光精工FCクレール戦で初得点
- 1993年12月6日 第9回アジア女子選手権(マレーシア)・フィリピン戦で代表デビューし4得点を記録
- 1996年 アトランタオリンピック女子サッカー競技に出場
- 1999年 帝京大学を中退し、アメリカWリーグのデンバー・ダイアモンズ (Denver Diamonds) に移籍
- 2000年 アメリカ女子サッカーリーグ (WUSA)、アトランタ・ビート (Atlanta Beat) に移籍
- 2004年
- 2005年
- 5月21日 キリンチャレンジカップ2005・ニュージーランド戦で女子代表最多となる通算52ゴール目を記録
- 7月11日 スペランツァF.C.高槻戦でL・リーグ通算得点ランクトップとなる105ゴール目を記録
- 2006年2月18日 キリンチャレンジカップ2006・ロシア戦で国際Aマッチ100試合出場を達成
- 2011年7月1日 FIFA女子ワールドカップ・メキシコ戦で通算76ゴール目を記録。釜本邦茂を超え、男女を通じての代表最多得点記録保持者となった[33]。また、この試合では自身としても男女通じてとしても初の「ワールドカップ」でのハットトリックを達成。このハットトリックは1999年にブラジルのシシーがメキシコ戦で達成した女子ワールドカップでの最年長記録である「32歳と17日」を「281日」更新して「32歳と298日」でのハットトリックとなった。[34]
- 2011年7月17日、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会決勝戦のアメリカ戦にて、延長後半12分にゴールを決め、代表通算80点目を記録[35]。
個人成績
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1991 | 読売サッカークラブ女子・ベレーザ | 25 | JLSL | 13 | 5 | - | |||||
1992 | 読売日本サッカークラブ 女子ベレーザ |
14 | 20 | 3 | - | ||||||
1993 | 17 | 5 | - | ||||||||
1994 | 読売西友ベレーザ | 10 | L・リーグ | 17 | 11 | - | |||||
1995 | 18 | 16 | - | ||||||||
1996 | 17 | 14 | - | ||||||||
1997 | 18 | 14 | |||||||||
1998 | 読売ベレーザ | 16 | 11 | ||||||||
1999 | NTVベレーザ | 0 | 0 | - | |||||||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | コロラド・デンバー・ ダイヤモンズ |
Wリーグ | |||||||||
2000 | |||||||||||
2001 | アトランタ・ビート | 8 | WUSA | 19 | 3 | - | - | 19 | 3 | ||
2002 | 21 | 7 | - | - | 21 | 7 | |||||
2003 | 15 | 3 | - | - | 15 | 3 | |||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 日テレ・ベレーザ | 10 | L・リーグ1部 (L1) |
6 | 5 | - | |||||
2005 | 21 | 16 | - | 5 | 3 | 26 | 19 | ||||
2006 | なでしこ Div.1 | 17 | 13 | - | 3 | 2 | 20 | 15 | |||
2007 | 20 | 6 | 2 | 0 | 4 | 5 | 26 | 11 | |||
2008 | 21 | 7 | - | 4 | 1 | 25 | 8 | ||||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | ワシントン・フリーダム | 10 | WPS | 20 | 3 | - | - | 20 | 3 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 日テレ・ベレーザ | 10 | なでしこ | 4 | 2 | - | 4 | 1 | 8 | 3 | |
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | ワシントン・フリーダム | 10 | WPS | 21 | 3 | - | - | 21 | 3 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 日テレ・ベレーザ | 20 | なでしこ | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2011 | INAC神戸レオネッサ | 8 | 16 | 4 | - | 4 | 0 | 20 | 4 | ||
2012 | 17 | 2 | 4 | 0 | 3 | 0 | 24 | 2 | |||
2013 | 16 | 2 | 6 | 0 | 4 | 0 | 26 | 2 | |||
2014 | 26 | 2 | - | 2 | 0 | 28 | 2 | ||||
2015 | なでしこ1部 | 19 | 2 | - | 5 | 1 | 24 | 3 | |||
通算 | 日本 | 1部 | 319 | ||||||||
アメリカ | WPS | 41 | 6 | - | - | 41 | 6 | ||||
アメリカ | WUSA | 55 | 13 | - | - | 55 | 13 | ||||
アメリカ | Wリーグ | ||||||||||
総通算 |
タイトル
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5a/Fuchu_City_Hall_20110806.jpg/150px-Fuchu_City_Hall_20110806.jpg)
所属チーム
-
- 日本女子サッカーリーグ:8回 (1991, 1992, 1993, 2005, 2006, 2007, 2008, 2010)
- 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会:7回 (1993, 1997, 2004, 2005, 2007, 2008, 2009)
- L・リーグカップ:1回 (1996)
- なでしこリーグカップ:1回 (2007)
- なでしこスーパーカップ:2回 (2005, 2007)
- 日本女子サッカーリーグ:3回 (2011, 2012, 2013)
- 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会:4回 (2011, 2012, 2013, 2015)
- なでしこリーグカップ:1回 (2013)
- 日韓女子リーグチャンピオンシップ:1回 (2012)
- FIFA女子ワールドカップ:1回 (2011)
- アジア競技大会:1回 (2010)
- AFC女子アジアカップ:1回 (2014)
- 東アジアカップ:2回 (2008, 2010)
個人
- FIFA最優秀選手賞:1回 (2011)
- 2011 FIFA女子ワールドカップ:大会最優秀選手、得点王、オールスターチーム(優秀選手)
- アルガルヴェ・カップ 大会最優秀選手:1回 (2011)
- アジア年間最優秀選手賞:2回 (2004, 2008)
- AFC女子アジアカップ 大会最優秀選手:1回 (2008)
- 東アジアカップ 大会最優秀選手:2回 (2008, 2010)
- 日本年間最優秀選手賞:1回 (2011)
- 日本女子サッカーリーグ最優秀選手賞:2回 (2006, 2008)
- 日本女子サッカーリーグベストイレブン:11回 (1993, 1995, 1996, 1997, 1998, 2005, 2006, 2007, 2008, 2011, 2012)
- 日本女子サッカーリーグ最多アシスト:1回 (1998)
- 日本女子サッカーリーグ敢闘賞:2回 (1991, 1992)
表彰
- 栄誉賞
- その他
- 第59回菊池寛賞(2011年)
- ギネス世界記録(2015年) - 「FIFA女子ワールドカップ最多出場(6回)」の記録[26]
代表歴
出場大会
- 日本代表
- 1993年 - 1993 AFC女子選手権 (3位)
- 1994年 - 1994年アジア競技大会 (準優勝)
- 1995年 - 1995 FIFA女子ワールドカップ (ベスト8)
- 1995年 - 1995 AFC女子選手権 (準優勝)
- 1996年 - アトランタオリンピック (グループリーグ敗退)
- 1997年 - 1997 AFC女子選手権 (3位)
- 1998年 - 1998年アジア競技大会 (3位)
- 1999年 - 1999 FIFA女子ワールドカップ (グループリーグ敗退)
- 2001年 - 2001 AFC女子選手権 (準優勝)
- 2002年 - 2002年アジア競技大会 (3位)
- 2003年 - 2003 AFC女子選手権 (4位)
- 2003年 - 2003 FIFA女子ワールドカップ (グループリーグ敗退)
- 2004年 - アテネオリンピック (ベスト8)
- 2006年 - 2006 AFC女子アジアカップ (4位)
- 2006年 - 2006年アジア競技大会 (準優勝)
- 2007年 - 2007 FIFA女子ワールドカップ (グループリーグ敗退)
- 2008年 - 2008 AFC女子アジアカップ (3位)
- 2008年 - 北京オリンピック (4位)
- 2010年 - 2010 AFC女子アジアカップ (3位)
- 2010年 - 2010年アジア競技大会 (優勝)
- 2011年 - 2011 FIFA女子ワールドカップ (優勝)
- 2012年 - ロンドンオリンピック (準優勝)
- 2014年 - 2014 AFC女子アジアカップ (優勝)
- 2015年 - 2015 FIFA女子ワールドカップ (準優勝)
試合数
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1993 | 4 | 4 |
1994 | 6 | 1 |
1995 | 8 | 0 |
1996 | 10 | 3 |
1997 | 7 | 13 |
1998 | 10 | 4 |
1999 | 8 | 0 |
2000 | 1 | 1 |
2001 | 8 | 6 |
2002 | 8 | 5 |
2003 | 12 | 10 |
2004 | 8 | 2 |
2005 | 9 | 3 |
2006 | 17 | 7 |
2007 | 14 | 6 |
2008 | 15 | 7 |
2009 | 1 | 0 |
2010 | 15 | 3 |
2011 | 14 | 5 |
2012 | 10 | 1 |
2013 | 3 | 0 |
2014 | 8 | 1 |
2015 | 9 | 1 |
通算 | 205 | 83 |
(2015年7月5日現在)[37]
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 1993年12月6日 | ![]() |
![]() |
○ 15-0 | 1993 AFC女子選手権 |
2. | |||||
3. | |||||
4. | |||||
5. | 1994年8月20日 | ![]() |
![]() |
△ 2-2 | スロバキア国際女子大会 |
6. | 1996年7月10日 | ![]() |
![]() |
△ 2-2 | 親善試合 |
7. | |||||
8. | 1996年7月15日 | ![]() |
● 1-3 | ||
9. | 1997年12月5日 | ![]() |
![]() |
○ 21-0 | 1997 AFC女子選手権 |
10. | |||||
11. | |||||
12. | |||||
13. | |||||
14. | |||||
15. | |||||
16. | 1997年12月7日 | ![]() |
○ 1-0 | ||
17. | 1997年12月9日 | ![]() |
○ 9-0 | ||
18. | |||||
19. | |||||
20. | 1997年12月14日 | ![]() |
![]() |
○ 2-0 | |
21. | |||||
22. | 1998年12月8日 | ![]() |
![]() |
○ 6-0 | 第13回アジア競技大会 |
23. | 1998年12月12日 | ![]() |
○ 8-0 | ||
24. | |||||
25. | |||||
26. | 2000年12月17日 | ![]() |
![]() |
△ 1-1 | 日米フレンドリーマッチ |
27. | 2001年12月4日 | ![]() |
![]() |
○ 14-0 | 2001 AFC女子選手権 |
28. | |||||
29. | |||||
30. | |||||
31. | 2001年12月8日 | ![]() |
○ 11-0 | ||
32. | |||||
33. | 2002年4月9日 | ![]() |
![]() |
○ 3-2 | 4ヶ国対抗戦 |
34. | |||||
35. | 2002年10月4日 | ![]() |
![]() |
○ 3-0 | 第14回アジア競技大会 |
36. | 2002年10月7日 | ![]() |
![]() |
○ 1-0 | |
37. | 2002年10月9日 | ![]() |
![]() |
△ 2-2 | |
38. | 2003年6月9日 | ![]() |
![]() |
○ 15-0 | 2003 AFC女子選手権 |
39. | 2003年6月11日 | ![]() |
○ 7-0 | ||
40. | |||||
41. | 2003年6月13日 | ![]() |
○ 7-0 | ||
42. | 2003年6月15日 | ![]() |
○ 5-0 | ||
43. | |||||
44. | 2003年7月12日 | ![]() |
![]() |
○ 2-0 | 2003 FIFA女子ワールドカップ・予選 |
45. | 2003年9月21日 | ![]() |
![]() |
○ 6-0 | 2003 FIFA女子ワールドカップ |
46. | |||||
47. | 2003年9月27日 | ![]() |
![]() |
● 1-3 | |
48. | 2004年4月18日 | ![]() |
![]() |
○ 7-0 | アテネオリンピック・アジア最終予選 |
49. | 2004年12月18日 | ![]() |
![]() |
○ 11-0 | キリンチャレンジカップ2004 |
50. | 2005年5月21日 | ![]() |
![]() |
○ 6-0 | キリンチャレンジカップ2005 |
51. | |||||
52. | 2005年5月28日 | ![]() |
![]() |
○ 2-0 | 親善試合 |
53. | 2006年3月10日 | ![]() |
![]() |
○ 4-0 | 親善試合 |
54. | 2006年7月19日 | ![]() |
![]() |
○ 5-0 | 2006 AFC女子アジアカップ |
55. | |||||
56. | 2006年7月21日 | ![]() |
○ 11-1 | ||
57. | |||||
58. | 2006年11月30日 | ![]() |
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○ 13-0 | 第15回アジア競技大会 |
59. | |||||
60. | 2007年3月10日 | ![]() |
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○ 2-0 | 2007 FIFA女子ワールドカップ・予選 |
61. | 2007年4月7日 | ![]() |
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○ 2-0 | 北京オリンピック・アジア最終予選 |
62. | 2007年4月15日 | ![]() |
![]() |
○ 4-0 | |
63. | 2007年6月3日 | ![]() |
![]() |
○ 6-1 | |
64. | 2007年8月4日 | ![]() |
![]() |
○ 8-0 | |
65. | 2007年8月12日 | ![]() |
![]() |
○ 5-0 | |
66. | 2008年2月18日 | ![]() |
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○ 3-2 | 東アジアサッカー選手権2008 |
67. | 2008年6月5日 | ![]() |
![]() |
● 1-3 | 2008 AFC女子アジアカップ |
68. | 2008年6月8日 | ![]() |
○ 3-0 | ||
69. | 2008年7月24日 | ![]() |
![]() |
○ 3-0 | 親善試合 |
70. | 2008年8月6日 | ![]() |
![]() |
△ 2-2 | 北京オリンピック |
71. | 2008年8月12日 | ![]() |
![]() |
○ 5-1 | |
72. | 2008年8月15日 | ![]() |
![]() |
○ 2-0 | |
73. | 2010年5月20日 | ![]() |
![]() |
○ 8-0 | 2010 AFC女子アジアカップ |
74. | |||||
75. | 2010年5月30日 | ![]() |
○ 2-0 | ||
76. | 2011年7月1日 | ![]() |
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○ 4-0 | 2011 FIFA女子ワールドカップ |
77. | |||||
78. | |||||
79. | 2011年7月13日 | ![]() |
![]() |
○ 3-1 | |
80. | 2011年7月17日 | ![]() |
△ 2-2(PK 3-1) | ||
81. | 2012年7月11日 | ![]() |
![]() |
○ 3-0 | キリンチャレンジカップ2012 |
82. | 2014年5月22日 | ![]() |
![]() |
○ 2-1 | 2014 AFC女子アジアカップ |
83. | 2015年5月24日 | ![]() |
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○ 1-0 | MS&ADなでしこカップ2015 |
著書
- 『ほまれ なでしこジャパン・エースのあゆみ 』(2008年、河出書房新社)ISBN 4309270271
- 『直伝 澤穂希 (トップアスリートKAMIWAZAプレミアム) 』(2008年、講談社)ISBN 4062950030
- 『負けない自分になるための32のリーダーの習慣』(2011年、幻冬舎) ISBN 9784344020917
- 『夢をかなえる。思いを実現させるための64のアプローチ』(2011年、徳間書店) ISBN 9784198632984
- 『なでしこキャプテン! 夢は見るものではなく、かなえるもの』(2012年、集英社) ISBN 9784083210679
脚注
- ^ 日本サッカー協会公式プロフィール
- ^ “オリンピック / アテネ2004 / 日本代表選手団 / サッカー / 澤 穂希”. 日本オリンピック委員会公式サイト. 2015年9月3日閲覧。
- ^ 知恵蔵2015
- ^ 【二十歳のころ 高倉麻子(4)】澤とのパスで理解した世界に通じるプレー SANSPO.COM 2017.12.29付、2018年1月16日閲覧。
- ^ 文芸春秋2011年9月号澤穗希
- ^ 文芸春秋2011年9月号P166
- ^ [澤穂希が未来を切り拓いた伝説の一戦]Sportsnavi. 2015.12.18付、2018年1月16日閲覧。
- ^ “2002 FIFAワールドカップ™10周年 メモリアルウェブサイト”. 日本サッカー協会. 2013年5月21日閲覧。
- ^ 澤穂希の軌跡(1)阪口夢穂とだからこそできた、「驚きのダブルボランチ」 WebSportiva. 2016.1.7付、2018年1月16日閲覧。
- ^ 澤穂希選手移籍のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト.2009.1.23付、2018年1月16日閲覧。
- ^ “米プロリーグの沢、荒川が古巣日テレ復帰”. 日刊スポーツ. (2009年8月21日) 2013年5月21日閲覧。
- ^ “日テレ・ベレーザ選手移籍のお知らせ”. 日テレ・ベレーザ公式サイト (2011年1月5日). 2013年5月21日閲覧。
- ^ 澤3得点でメキシコに快勝、なでしこジャパン決勝トーナメント進出 FIFA女子ワールドカップドイツ2011 グループリーグ第2戦(vsメキシコ)マッチレポート JFA公式.2011.7.2付、2018年1月16日閲覧。
- ^ なでしこ悲願のW杯初優勝、澤がMVPと得点王 REUTERS.2011.7.18付、2018年1月16日閲覧。
- ^ 文芸春秋2011年9月号「澤穂希」
- ^ “FIFA Ballon d'Or: Homare Sawa”. FIFA.com (2012年1月9日). 2013年5月21日閲覧。
- ^ “FIFAバロンドール2011 澤穂希選手がFIFA女子年間最優秀選手賞を受賞”. 日本サッカー協会 (2012年1月10日). 2013年5月21日閲覧。
- ^ “沢が長友、香川抑え年間MVP 女性で初”. 日刊スポーツ. (2012年1月27日) 2013年5月21日閲覧。
- ^ “沢「良性発作性頭位めまい症」”. 日刊スポーツ. (2012年3月12日) 2013年5月21日閲覧。
- ^ 『スポーツ報知』2012年8月9日付
- ^ AFC初代殿堂入り10名に奥寺氏、澤、キューウェル氏らが選出 サッカーキング 2014年11月22日
- ^ なでしこ佐々木監督、澤の選出理由は「誰よりも戦っている姿勢」 サッカーキング 2015年5月1日
- ^ “澤穂希選手入籍のお知らせ”. INAC神戸レオネッサ (2015年8月11日). 2015年8月11日閲覧。
- ^ “澤結婚!お相手はイケメン、温厚、ナイスガイの38歳元Jリーガー”. サンケイスポーツ (2015年8月11日). 2015年8月12日閲覧。
- ^ “澤、明かした お相手は辻上氏「責任感が強くて男らしいところが大好き」”. スポニチ Sponichi Annex (2015年8月12日). 2015年8月14日閲覧。
- ^ a b “澤穂希選手、W杯最多出場記録6回でギネス認定 ナイナイも祝福”. ORICON (2015年9月4日). 2015年9月4日閲覧。
- ^ “澤穂希、ほほえみ絶やさず「人生で最大の決断」”. ヨミウリ YOMIURI ONLINE (2015年12月17日). 2015年12月18日閲覧。
- ^ あまりにハッピーエンディングな澤伝説の最終章 「全く悔いもなくやり切りました」 SOCCER MAGAZINE ZONE.2015.12.27、2016年4月23日閲覧。
- ^ 世界に轟くなでしこの”レジェンド澤”の功績 英メディアが「歴代最高の女子選手10傑」に選出 SOCCER MAGAZINE ZONE.2016.3.9、2016年4月23日閲覧。
- ^ “澤穂希さん、第1子妊娠を発表 来年1月に誕生予定”. ORICON STYLE. (2016年7月19日) 2016年7月19日閲覧。
- ^ “澤穂希さん、第1子の長女出産「産声の瞬間、感動と感謝」なでしこ元エースコメント全文あり”. 産経WEST. (2017年1月10日) 2017年6月4日閲覧。
- ^ “澤穂希、ドラマ初出演「また演技したい」 『捜査一課長』で事件の第一発見者に”. ORICON NEWS. 20190104閲覧。
- ^ なでしこ8強沢は釜本抜き78発 日刊スポーツ 2011年7月2日付
- ^ 澤のハットトリックが女子W杯の史上最年長記録に/女子W杯 SOCCERKING 2011年7月2日付
- ^ なでしこ世界一! 沢がMVP/女子W杯 日刊スポーツ 2011年7月18日閲覧
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ^ 日本サッカー協会が、1993 AFC女子選手権準決勝での対中華人民共和国戦で途中出場した記録を記載漏れしていたため、2013年9月21日に訂正を行った。澤の代表キャップ、加算忘れで188に訂正 日刊スポーツ 2013年9月21日閲覧
外部リンク
- 日本の女子サッカー選手
- サッカー日本女子代表選手
- オリンピックサッカー日本代表選手
- サッカーのオリンピックメダリスト
- 日本のオリンピック銀メダリスト
- 1996年アトランタオリンピックサッカー出場選手
- 2004年アテネオリンピックサッカー出場選手
- 2008年北京オリンピックサッカー出場選手
- 2012年ロンドンオリンピックサッカー出場選手
- 日テレ・東京ヴェルディベレーザの選手
- INAC神戸レオネッサの選手
- アメリカ合衆国のクラブに所属するサッカー選手
- FIFA女子ワールドカップ日本代表選手
- 1995 FIFA女子ワールドカップ出場選手
- 1999 FIFA女子ワールドカップ出場選手
- 2003 FIFA女子ワールドカップ出場選手
- 2007 FIFA女子ワールドカップ出場選手
- 2011 FIFA女子ワールドカップ出場選手
- 2015 FIFA女子ワールドカップ出場選手
- アジア競技大会サッカー日本代表選手
- 日本のアジア競技大会金メダリスト
- 日本のアジア競技大会銀メダリスト
- 日本のアジア競技大会銅メダリスト
- FIFA年間最優秀選手賞受賞者
- アジア年間最優秀選手賞受賞者
- 日本年間最優秀選手賞受賞者
- FIFAセンチュリークラブ
- スポーツに関する日本のギネス世界記録保持者
- 紫綬褒章受章者
- 菊池寛賞受賞者
- 在アメリカ合衆国日本人のスポーツ選手
- 東京都出身の人物
- 1978年生
- 存命人物