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|画像説明= 駅舎(2017年10月) |
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|よみがな= ゆうち |
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|ローマ字= Yūchi |
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2020年2月15日 (土) 08:23時点における版
勇知駅 | |
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駅舎(2017年10月) | |
ゆうち Yūchi | |
◄W76 兜沼 (5.8 km) (8.3 km) 抜海 W78► | |
所在地 | 北海道稚内市抜海村字上勇知 |
駅番号 | ○W77 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 236.7 km(旭川起点) |
電報略号 | ユチ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1924年(大正13年)6月25日 |
備考 | 無人駅 |
勇知駅(ゆうちえき)は、北海道稚内市抜海村字上勇知にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW77。電報略号はユチ。
歴史
- 1924年(大正13年)6月25日:鉄道省天塩北線稚内駅(現・南稚内駅) - 兜沼駅間開通に伴い開業[1]。一般駅。
- 1926年(大正15年)9月25日:天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[1]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止。CTC導入に伴う合理化により無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
- 1980年代:駅舎改築、貨車駅舎となる。
駅名の由来
当駅の所在する地域名(字名)より。地域名は、アイヌ語の「イオッイ(イオチ)〔i-ot-i(i-otci)〕」〔それ(=蛇)・多くいる・ところ〕に由来する[2]。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の東側(稚内方面に向かって右手側、旧2番線)に存在する[3]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能駅で、駅舎側(東側)が上りの2番線、対向ホームが下りの1番線となっていた。ほかに1番線側に稚内方から分岐した側線を1本有していた[4]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央と対向ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[4]。
稚内駅管理の無人駅。開業時からの駅舎は改築され、ヨ3500形[5]車掌車を改造した貨車駅舎となっている。駅舎は構内の東側に位置し、ホームに接している。駅舎内にトイレを有する[6]。
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外壁改修前の駅舎(2005年5月)
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ホーム(2017年10月)
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駅名標(2017年10月)
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は56人[4]。
- 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は44人[3]。
- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗車人員(11月の調査日)平均は「10名以下」[7]。
- 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は3.6人[8]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は3.0人[9]。
- 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は3.8人[10]。
駅周辺
小さな集落が広がる。
- 市立稚内病院附属上勇知診療所
- 稚内警察署勇知駐在所
- 勇知郵便局
- 上勇知ふるさと資料館(稚内市立上勇知小・中学校の廃校舎を活用)
- 悠遊ファーム(観光農園)
- あとりえ華 画家高橋英生のアトリエ・カフェ
- 六花丘茶寮(レストラン・ギャラリー)
- 勇知川
簡易軌道勇知線
かつて当駅裏から勇知川河口の下勇知地区へ、簡易軌道勇知線が運行されていた。勇知駅前 - 下勇知間9.8km。動力は馬力で、農業開発が目的であった[11]。
歴史
- 1944年(昭和19年):勇知駅前 - 下勇知七線間工事着工(第一期)[11]。
- 1947年(昭和22年):勇知駅前 - 下勇知間開通(全線開通)[11][注 1]。
- 1955年(昭和30年)頃:運行休止[11]。
- 1958年(昭和33年):廃止[11][注 2]。
隣の駅
脚注
注釈
- ^ 別説として1949年(昭和24年)全線開通説あり(今尾恵介 監修『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線』 1巻、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年5月、49頁。ISBN 9784107900197。)
- ^ 別説として1957年(昭和32年)全線廃止説あり(今尾恵介 監修『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線』 1巻、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年5月、49頁。ISBN 9784107900197。)
出典
- ^ a b c d 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、14-17頁。
- ^ “アイヌ語地名リスト モク~リ P131-140”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ a b 宮脇俊三 著、原田勝正 編『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』小学館、1993年6月、151頁。ISBN 4093954011。
- ^ a b c 宮脇俊三 著、原田勝正 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、186頁。ISBN 4093951012。
- ^ 笹田昌宏『ダルマ駅へ行こう!』小学館〈小学館文庫〉、2007年5月、19頁。ISBN 9784094116519。
- ^ 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』北海道新聞社、2008年8月、225頁。ISBN 9784894534643。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区) (Press release). 北海道旅客鉄道. 8 December 2017. 2017年12月30日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2017年12月30日閲覧。
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が空白で指定されています。 (説明) - ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 4 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ a b c d e 田中和夫『北海道の鉄道』北海道新聞社、2001年2月、273頁。ISBN 4894531364。
関連項目
外部リンク
- 勇知|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|駅・鉄道・旅行|JR北海道- Hokkaido Railway Company
- 1947年(昭和22年)9月撮影航空写真 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス。 駅裏より南に向かった後、勇知川に沿って西へ向かう殖民軌道が確認できる。