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「筑波大学附属小学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 15:52時点における版

筑波大学附属小学校
地図北緯35度43分16.5秒 東経139度44分12秒 / 北緯35.721250度 東経139.73667度 / 35.721250; 139.73667座標: 北緯35度43分16.5秒 東経139度44分12秒 / 北緯35.721250度 東経139.73667度 / 35.721250; 139.73667
過去の名称 東京師範学校附属小学校
東京高等師範学校附属小学校
東京高等師範学校附属国民学校
東京教育大学附属小学校
国公私立の別 国立学校
設置者 国立大学法人筑波大学
校訓 教育目標
・人間の自覚を深めていくこども
・文化を継承し創造し開発するこども
・国民的自覚をもったこども
・健康で活動力のあるこども
設立年月日 1873年1月15日
創立記念日 1月15日
共学・別学 男女共学
学期 二期制
学校コード B113110000052 ウィキデータを編集
所在地 112-0012
東京都文京区大塚三丁目29番1号
外部リンク 筑波大学附属小学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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筑波大学附属小学校(つくばだいがくふぞくしょうがっこう、: Elementary School, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚三丁目にある国立小学校筑波大学附属校男女共学。通称は「筑附小」。

概要

1872年明治5年)の学制発布を受けて、1873年(明治6年)1月15日昌平坂学問所江戸幕府直轄)跡に、東京師範学校の附属小学校として設立された。日本国の制度に基づく、官立私立で初の小学校である[1]

日本の初等教育の教育拠点校、パイオニアであり、全国や海外から年1万人以上が訪れる。次世代を支える子供たちの育成を目指し、研究主題を設け、授業研究を伴いながら、理論と実践の研究を行っている。

  • 2012-2014「日本の初等教育 本当の問題点は何か」
  • 2015-2018「きめる」学び
  • 2019-「美意識」を育てる

1学年128名の4クラス編成である。古くから教科担任制をとっており、各教科で教育研究が行われてきたことから、いわゆる「職員室」は存在せず、教科ごとの「○○科準備室」が独立して校内随所に散在する。担任持ち上がり制を採用しており、4人が担任団となり、子供達の成長・発達を長い目で見守る。

一般の学校では学年・クラスを通常「○年○組」と称するが、当校では○部○年と称する[注 1]。1年から6年までの部ごとに縦割りの活動が存在する。部ごとにカラーがあり、1部~4部はそれぞれ黄、緑、紫、赤となっている。運動帽やリュックサックの紐、縄跳びバンダナなどの色は、部のカラーとなっている。

昭和50年代までは6年間クラス替えが無かったが、それ以降、3年から4年に上がる時の1回のみクラス替えを行うようになり、現在に至る。また、クラス替え前後で同じ部になることはない。担任は担当クラスを持ち上がりになるため、クラス替え前後で担任も同じになることはない。

体育館と土のグラウンドが広大な敷地内にそれぞれ2つずつある。毎朝登校すると、まず制服から体操着に着替え、授業前の「朝の活動」と呼ばれる時間にクラス単位でドッジボールや縄跳びをしたり、併設されている「占春園」(水戸徳川家2代徳川光圀の弟松平頼元1659年にこの地に構えた屋敷の名残である日本庭園)を走ったりする。また、占春園は自然観察など理科教育の場としても利用される。

入学に際して運動能力を見る2次検定試験があるため、運動神経が優れた児童が比較的多く、ハイレベルな体育の授業が行われている。校内では、教育発表会やテレビや新聞、出版の取材の時は制服で授業を受けるが、普段は登校後運動着に着替える。他校に比べ薄着で、真冬は長袖のセーターを着用してもよいが、大半は半袖短パン(女子はブルマー)で過ごす。

筑波大学附属中学校へは、内部進学入試を経るが、実際は希望者は進学できる状況である。

現在の募集人数は毎年128人(男64・女64)で、毎年の志願者数が募集人数の30倍程に上り、国内最多の志願者が集まる小学校である。このため入学試験では筆記・実技試験の前に、抽選器を用いた一次検定抽選が行われ、約4,500名の応募者のうち男女1,000名ずつ程度が2次検定試験を受けられる。筆記・実技試験の2次検定合格者男女各100名でさらに3次検定の第二次抽選を経て、最終的に男女各64名が最終検定合格者となる。

通学範囲は東京都区部西東京市埼玉県和光市である。大部分は片道1時間かけて通学し、中には1時間半や2時間近くかけて通う児童もいる。登校時間が早いため、朝、家を出る時間がとても早く、中には6時前に出る児童もいる。

主な行事

  • 大運動会が毎年10月1日付近の土曜日に行われる。文字通りの大運動会で、練習・準備・応援には児童・教師・保護者に大変熱が入り、徹底的に優勝劣敗を競う。そのため、9月には他の授業を振り替えての練習や朝7時半までに登校して朝練、空き時間でのチーム練習がとても盛んである。縄跳びが盛んな学校であり、大運動会の二重跳びの生き残りを争う競技では、20分間程し続ける児童が多くいる。
  • 毎年11月には、若桐会 (PTA) が主催する文化祭、「若桐祭」が催される。若桐会で活動する保護者のみならず、保護者全体に各分野で活躍する人材が豊富にいることも奏し、保護者同士が試行錯誤を繰り返し、在校生が楽しめる純粋で本格的な内容となっている。2014年には、桐の手紙を世界各国に発送し、エストニア共和国トーマス・イルヴェス大統領からは感謝状とモミの木が贈呈されている。生徒、学校、保護者の三者が一体となることで相乗効果を生み、価値観を共有している。
  • 春と秋には、学校の附属保谷農園(西東京市保谷)にサツマイモの苗差し、ジャガイモ掘り、サツマイモ掘り、狩りに行く。また、クラス替え前である3年次、卒業前である6年次の3月には、保谷農園でクラスごとに餅つきが催される。
  • 3年生以上は、山梨県清里高原にある附属清里若桐寮へ、毎年異なる季節に清里合宿に行く。3年次は美し森、4年次は飯盛山、5年次は(小天狗2000m級の山)、6年次では三ッ頭(八ヶ岳)の登山を全員でする。
  • 5年次では志賀高原へ「雪の生活」(スキー合宿)へ行く。
  • 6年次には、千葉県富浦の附属中学校富浦寮で遠泳を行う。古式泳法の一つである水府流太田派を伝承する附属桐游倶楽部会員の指導の下、全員が1時間前後で2km程を泳ぎ切る。このため、児童全員が1年生からスイミングスクールに通って練習し、中には選手コースで練習する児童もかなり多い。6年次7月の富浦合宿に向けて、毎年夏休みの期間、学校のプールで、1年・6年、2年・5年、3年・4年の各組対象に1週間ずつの「水泳学校」がある。主催は若桐会 (PTA) であり、本校の卒業生である大学生による指導が行われる。
  • 現在多くの初・中等教育校で実施されている修学旅行は、東京高等師範学校尋常中等科(現:筑波大学附属中学校・高等学校)がその発祥とされている。当小学校では6年次2月頃に行い、京都奈良へ行くのが伝統となっている。
  • 5年次6年次に、通称「統一テスト」が行われる。これは、内部進学入試の模擬試験であり、全員を対象に国算理社の4教科で実施される。その成績を基に評価が、1~40位はA、41~80位はB 81~120位はC、121~160位はDとなる。

沿革

校章・校歌

校章

1888年(明治21年)11月五三の桐校章が制定された。その桐章は、明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった。

校歌

佐佐木信綱作詞、信時潔作曲である。

著名な出身者

アクセス

関連校

脚注

注釈

  1. ^ 例えば、「1年4組」は当校では「4部1年」と称す。

出典

  1. ^ 海後宗臣仲新寺崎昌男『教科書でみる 近現代日本の教育』東京書籍、1999年
  2. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『大将の少年時代』174頁189頁(著者:中田千畝 出版者:実業之日本社 発行:1938年昭和13年)8月1日)(2018年11月19日閲覧。)

関連項目

外部リンク

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