「大田泰示」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: セントラル・リーグ分のTemplateについて (Template:横浜DeNAベイスターズの選手・スタッフ) - log |
||
254行目: | 254行目: | ||
* [https://www.baystars.co.jp/players/detail/900011 大田泰示] - 横浜DeNAベイスターズオフィシャルサイト |
* [https://www.baystars.co.jp/players/detail/900011 大田泰示] - 横浜DeNAベイスターズオフィシャルサイト |
||
{{横浜DeNAベイスターズ}} |
{{横浜DeNAベイスターズの選手・スタッフ}} |
||
{{Navboxes|title=業績 |
{{Navboxes|title=業績 |
||
|list1= |
|list1= |
2023年1月27日 (金) 04:58時点における版
横浜DeNAベイスターズ #0 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県福山市 |
生年月日 | 1990年6月9日(34歳) |
身長 体重 |
188 cm 96 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト1位 |
初出場 | 2009年6月21日 |
年俸 | 5000万円(2023年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
この表について
|
大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、広島県福山市出身[2]のプロ野球選手(外野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。
経歴
プロ入り前
広島県立三次高等学校で投手であった父の影響を受け、物心ついた頃からキャッチボールを始め、福山市立川口小学校1年の時にソフトボールを始める[3][4]。5年からは軟式野球クラブ鞆古城クラブでプレー[5]。
福山市立城南中学校2年時に秋の県大会で優勝。中学時代の所属クラブである松永ヤンキースでは上本崇司がおり、中学2年の時は三遊間、3年時はバッテリー(大田が投手)を組んでいた[6]。同年に元プロ野球選手が指導する野球教室に参加し、原辰徳からスイングを褒められたことで原の母校である東海大相模高等学校への進学を決める[7]。
東海大相模高校では1年春から三塁手としてベンチ入り。1年秋には4番打者を務め、2年秋からは主将を務めた。3年春に遊撃手に転向。3年夏の第90回全国高等学校野球選手権北神奈川大会決勝では大会新記録となる5本目の本塁打を記録した。甲子園出場は果たせなかったものの、高校通算本塁打65本(うち満塁本塁打5本)、推定飛距離140メートルの本塁打を打つパワー、投手として最速147km/hの地肩の強さ、デレク・ジーターを彷彿とさせる大型遊撃手であることなどから、ドラフト上位候補としてスカウトの注目を集めた[8][9][10]。高校の同期に角晃多、1学年先輩には菅野智之、田中広輔がいる。
当初は東海大学への進学を表明していたが、提出期限日にプロ志望届を提出[11]。2008年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスの2球団から1位指名を受け、抽選の結果、巨人が交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1200万円(金額は推定)で仮契約。背番号は松井秀喜のメジャーリーグ移籍以来「準永久欠番扱い」となっていた「55」に決まり[12]、選手寮では松井や坂本勇人らが使った部屋に入居[13]。
巨人時代
2009年は、キャンプから注目を集め、新人ながら原監督から打撃指導を受けた[14]。3月20日のイースタン・リーグ開幕戦に「3番・三塁手」としてスタメン出場。フェンス直撃の適時二塁打を打ち、公式戦初打点を記録。4月24日の湘南シーレックス戦にて公式戦初本塁打を記録。6月17日に初の一軍昇格。6月21日の千葉ロッテマリーンズ戦で代打として初打席に立ったが、三球で空振り三振に倒れた[15]。以降は二軍でプレーし、「4番・三塁」でスタメン出場した8月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2回にダレル・ラズナーからバックスクリーン右へ11号同点ソロ、8回二死一塁の場面で吉崎勝から左中間へ12号2ランとプロ入り初の1試合2本塁打を打った[16]。ファームでは101試合に出場し、打率.238、17本塁打、56打点、16盗塁の成績を残した[17]。
2010年は、6月12日と13日の福岡ソフトバンクホークス戦に「8番・一塁手」で先発出場したが、計6打数無安打に終わった。一軍での出場はこの2試合に終わった。一方、イースタン・リーグでは101試合に出場し、打率.265、本塁打21、打点70。本塁打と打点でリーグ2位を記録した[18]。10月23日から台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた[19]。
2011年も開幕を二軍で迎えたが、5月16日に一軍昇格。5月18日の楽天戦で延長10回一死満塁の場面でプロ初安打を打ち、これが決勝2点適時打となった[20]。しかし、守備面の不安に加え、28打席4安打9三振と打撃でも結果を残せず一軍定着はならなかった。より打撃に専念するため、6月以降は二軍で外野手としてプレー[21]。一軍では12試合の出場に終わったがイースタン・リーグでは105試合に出場し打率.254、本塁打は6本と大きく減らし、三振はリーグ最多の109。一方で盗塁数はリーグ2位の28を記録した(盗塁死はリーグ最多の15)[22]。秋季キャンプにおいて外野手へのコンバートが正式に決まった[23]。
2012年は、年始に阿部慎之助や長野久義らと共にグアムで自主トレを行い[24]、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦では21打席連続無安打など絶不調ながら外野の一角として起用され[25]、自身初の開幕一軍入りを果たす[26]。しかし、開幕後も調子は上がらず4月10日に二軍降格[27]。9月1日に再昇格し同日のDeNA戦に「7番・一塁手」でスタメン出場。先制適時打を含む3打点、自身初の猛打賞の活躍でお立ち台に上がった[28]。9月23日の東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)で山本哲哉からプロ第1号本塁打を打つと[29]、9月25日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でもバックスクリーン左に2試合連続本塁打を打った。リーグ終盤戦では中堅手などで17試合にスタメン出場。最終的に21試合に出場した。しかし、CS、日本シリーズではベンチからも外れた。11月からはアジア・ウィンター・リーグに参加。3本塁打、OPS.980を記録した。
2013年は、2年連続で開幕一軍入りするも、同じ外野手の橋本到や亀井善行らが優先的に起用され、5月2日に登録を抹消されて以降はほぼ二軍でシーズンを終えた。2年続けて21試合の出場に終わり本塁打も打てなかった。10月5日には自転車で転倒して負傷し[30]、教育リーグの遠征メンバーから外された。この年も二軍での三振数は圧倒的に多く、4年連続で二軍の三振王となっている[31]。11月26日、背番号が「44」へ変更[32]。後に、55をはく奪された時の心境や「55を返せ・付けるな」と言われたことがあると『バース・デイ』で告白している[31]。
2014年は、開幕を二軍で迎え、5月9日に昇格するも結果を残せず5月18日には登録を抹消された。その後しばらくは一軍昇格がなかったが、レスリー・アンダーソン、松本哲也、亀井善行が次々と怪我で離脱し、8月8日に再び一軍へ昇格。主に松本に代わる守備固め・代走要員として起用されていたが、9月17日の広島東洋カープとの首位攻防戦でシーズン第1号となる代打逆転2点本塁打を放つとスタメン起用される機会も増え、リーグ優勝翌日の9月27日には4番・中堅手で先発出場し、プロ入り後初めての4番起用だった[33][34]。巨人軍第81代目[33][34]、平成生まれとしてはチーム史上初の4番打者となった[35]。この年は44試合に出場して打率.246、2本塁打、12打点を記録した。オフの10月21日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出されたことが発表された[36]。
2015年は、4月30日の中日戦で負傷の坂本に代わり4番に座ると、3安打猛打賞でお立ち台に上がる。5月13日の広島戦では、第1号本塁打を大瀬良大地から打つなど、ほぼ一軍に定着し7年目でようやく出場機会が増加。最終的には60試合出場、138打席に36安打はいずれも自己最多、打率.277であったが、1本塁打、3打点に留まった。
2016年は6月3日の試合から1番中堅として先発出場し、6月5日の北海道日本ハムファイターズ戦では大谷翔平から自身初の先頭打者本塁打を打った。しかしその後は2打席連続空振り三振に終わり、他の打者も大谷を攻略できず敗れた[37]。1番打者でのスタメンも多かったが打撃好調を維持できず、二軍へ降格。62試合の出場で打率.202、4本塁打だった。
日本ハム時代
2016年11月2日、吉川光夫・石川慎吾との交換トレードで公文克彦と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍した[38]。11月23日のファンフェスティバルで背番号が「33」に決まったと発表された。陽岱鋼の抜けた外野の補強ポイントとして活躍が期待された[39]。
2017年は、怪我の影響で開幕に出遅れたが、4月23日に一軍に昇格。4月29日の楽天戦で美馬学から移籍後初の本塁打[40]、5月3日のロッテ戦では、益田直也からプロ初のサヨナラ適時打を打った[41]。5月12日のロッテ戦では、涌井秀章から移籍後初の1試合2本塁打を記録。年間を通して左翼手のレギュラーとして起用され、10月3日のオリックス・バファローズ戦でプロ入り9年目にして初の規定打席に到達した[42]。左翼手のレギュラーとして118試合に出場し、打率.258、15本塁打、46打点、出塁率.302を記録した。
2018年は、開幕を「7番・左翼手」で迎えたが、怪我から復帰した近藤健介が左翼を守ることもあるため、右翼手のレギュラーとして出場。4月24日のオリックス戦から「2番・右翼手」として出場し、金子千尋から2打席連続本塁打を打った[43]。7月8日のロッテ戦で田中靖洋から死球を受け左手第5中手骨を骨折[44]、9日に登録を抹消された。8月25日に出場登録され復帰した。怪我での離脱もあり、出場試合数は前年より減らしたものの104試合に出場、打率.274、14本塁打、59打点、出塁率.350を記録を残した。オフの12月26日に背番号を「5」へ変更[45]。
2019年も前年に引き続き右翼手のレギュラーに定着。自身の誕生日である6月9日の阪神タイガース戦で史上35人目となる全球団から本塁打を達成した[46]。またこれが通算本塁打49本目であり、50本塁打未満での達成は2015年の大引啓次に次いで2人目となった。自己最多となる132試合に出場し、打率.289、自身初の20本塁打、77打点、出塁率.325と数多くの部門でキャリアハイを記録した一方で、併殺打22本はリーグワーストとなった。オフの契約更改で3500万円アップの1億円でサインし、プロ11年目にして1億円プレイヤーとなった[47]。
2020年も右翼手のレギュラーとして120試合中115試合に出場。打撃成績は打率.275、14本塁打、68打点、出塁率.314と、安定した成績を残した。また、守備においてもリーグ2位となる補殺7回を記録するなど活躍し、ゴールデングラブ賞を初受賞した[48]。
2021年も右翼手で開幕スタメン入りを果たしたが[49]、59試合出場、打率.212、3本塁打、17打点と打撃不振に苦しみ、6月25日に登録抹消[50]。8月13日の後半戦開幕と共に一軍登録されたが、再昇格後も不振が続き、9月6日に再び登録抹消となった[51]。そして11月16日に球団から保留手続きを行わないことが発表され[52]、12月2日に西川遥輝、秋吉亮とともにノンテンダーで自由契約となった[53]。
DeNA時代
複数の球団からオファーを受けていたが[54]、2021年12月14日に横浜DeNAベイスターズと契約した[55]。推定年俸は5000万円[1]。背番号は前年まで中井大介が付けた「0」[56]。
2022年は、熾烈な外野争いの中で控えに回る事も多かったが、スタメンでは主に2番を任され打棒を発揮[57]し、4月17日のヤクルト戦では高橋奎二から移籍後初本塁打を放った[58]。しかし、5月8日の広島戦で守備の際に右太腿裏の肉離れを起こし、一軍登録を抹消された[59]。6月3日に一軍に復帰し様子を見ながら出場を続けていたが[60]、足の張りや体調面を考慮し、7月8日に再び登録抹消となった[61]。8月5日に再び一軍に合流すると、8月9日の阪神戦では同点の9回2死の場面で加治屋蓮から移籍後初となるサヨナラ適時打を打った[62]。8月11日に発熱や頭痛の症状があり新型コロナウイルス陽性判定を受け離脱[63]。8月28日に一軍復帰を果たすと、8月30日の中日ドラゴンズ戦では自身2度目となる1試合5安打を記録し、チームの勝利に貢献した[64]。最終的に62試合の出場にとどまったものの、打率.278、5本塁打、18打点 、OPS.774と昨年の不振からは脱し、成績以上にチームの盛り上げ役としても3年ぶりのクライマックスシリーズ進出に貢献した。
選手としての特徴
“走攻守”で躍動感に溢れるプレーが魅力の外野手[65]。打撃では豪快なフルスイングが信条であり[66]、類い稀な長打力を誇る[67]。外野手に転向後、右翼の守備面では守備範囲の広さや肩の強さで貢献している[68]。高校時代に投手として最速147km/hを記録した[10]。2018年は両リーグの右翼手で2位となるUZR13.3を記録した[69]。脚力もあり[70]、高校時代に50m走のタイム6秒1を記録した[71]。
2015年3月8日の阪神タイガースとのオープン戦終了後、記者から「最近はなかなか結果が出ず、打率は2割を切りそうな状況(試合前は打率.208)だったが?」と質問を受けている最中に、「そんなのじゃない!そんなことにおびえていたら野球にならないから!」と遮った。後日、大田のもとに謝罪に行くと、大田は「あれは違う聞き方があるだろ」と笑って許したという。ちなみに、この記者は2015年シーズンからプロ野球を担当する巨人の記者で、プロ7年目の大田と同い年である。そのため、記事では「“先輩”から学ばせてもらった」と書いている[72]。
日本ハム時代は2018年から3年間チームの二番打者として抜擢され、「繋ぐ」2番打者ではなく「攻撃」の2番打者として活躍し、「勝つためにはチームバッティングも考えないといけないんですけど、そうした奥深さであったり、新たな野球観にも出合えたと思っています。2番だからバントや右打ちをしてくれとかそういうのは一切ないですし、2番だからこうしなくちゃいけないとか、そういう固定観念とかは考えないようにしています。きっと栗山監督もそれを望んで僕を2番に置いていると思うので」とコメントした[73]。
人物
巨人時代の2014年12月24日に入籍したことを発表[74][75]。娘がいる[76]。
趣味は釣り[77]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | 巨人 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2010 | 2 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2011 | 12 | 28 | 26 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | .154 | .148 | .192 | .340 | |
2012 | 21 | 70 | 63 | 9 | 16 | 4 | 1 | 2 | 28 | 7 | 3 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 15 | 3 | .254 | .329 | .444 | .773 | |
2013 | 21 | 38 | 31 | 3 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 4 | 1 | 0 | 9 | 0 | .161 | .250 | .161 | .411 | |
2014 | 44 | 74 | 65 | 14 | 16 | 6 | 0 | 2 | 28 | 12 | 4 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 1 | 20 | 2 | .246 | .338 | .431 | .769 | |
2015 | 60 | 138 | 130 | 13 | 36 | 7 | 0 | 1 | 46 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 1 | 39 | 0 | .277 | .319 | .354 | .673 | |
2016 | 62 | 119 | 114 | 12 | 23 | 6 | 1 | 4 | 43 | 13 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 45 | 3 | .202 | .227 | .377 | .604 | |
2017 | 日本ハム | 118 | 457 | 427 | 41 | 110 | 21 | 1 | 15 | 178 | 46 | 5 | 2 | 0 | 2 | 28 | 0 | 0 | 88 | 14 | .258 | .302 | .417 | .719 |
2018 | 104 | 429 | 383 | 56 | 105 | 22 | 4 | 14 | 177 | 59 | 3 | 4 | 0 | 1 | 38 | 0 | 7 | 103 | 11 | .274 | .350 | .462 | .812 | |
2019 | 132 | 594 | 557 | 79 | 161 | 28 | 1 | 20 | 251 | 77 | 6 | 2 | 0 | 5 | 27 | 4 | 5 | 111 | 22 | .289 | .325 | .451 | .776 | |
2020 | 115 | 481 | 455 | 57 | 125 | 16 | 1 | 14 | 185 | 68 | 3 | 3 | 0 | 0 | 25 | 1 | 1 | 105 | 11 | .275 | .314 | .407 | .721 | |
2021 | 76 | 206 | 191 | 11 | 39 | 5 | 2 | 3 | 57 | 20 | 1 | 1 | 0 | 1 | 14 | 3 | 0 | 50 | 10 | .204 | .257 | .298 | .556 | |
2022 | DeNA | 62 | 153 | 144 | 17 | 40 | 10 | 1 | 5 | 67 | 18 | 0 | 1 | 1 | 1 | 6 | 0 | 1 | 33 | 4 | .278 | .309 | .465 | .774 |
通算:14年 | 832 | 2794 | 2593 | 316 | 680 | 126 | 12 | 80 | 1070 | 328 | 29 | 19 | 4 | 13 | 168 | 10 | 16 | 629 | 80 | .262 | .310 | .413 | .722 |
- 2022年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2009 | 巨人 | - | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||
2010 | 2 | 15 | 2 | 1 | 0 | .944 | - | - | |||||||||||
2011 | 9 | 52 | 3 | 1 | 2 | .982 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||
2012 | 12 | 83 | 5 | 2 | 8 | .978 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 15 | 21 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2013 | - | - | 16 | 17 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||
2014 | 3 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 37 | 34 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||
2015 | 8 | 15 | 0 | 1 | 2 | .938 | - | 44 | 53 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||
2016 | - | - | 43 | 49 | 0 | 1 | 0 | .980 | |||||||||||
2017 | 日本ハム | - | - | 102 | 196 | 3 | 1 | 0 | .995 | ||||||||||
2018 | - | - | 101 | 170 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||
2019 | - | - | 130 | 253 | 5 | 3 | 1 | .989 | |||||||||||
2020 | - | - | 113 | 185 | 7 | 1 | 2 | .995 | |||||||||||
2021 | - | - | 58 | 60 | 4 | 1 | 0 | .985 | |||||||||||
2022 | DeNA | - | - | 40 | 39 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
通算 | 34 | 173 | 10 | 5 | 12 | .973 | 6 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | 699 | 1077 | 24 | 7 | 3 | .994 |
- 2022年度シーズン終了時
- 太字年はゴールデングラブ賞受賞年
表彰
- ゴールデングラブ賞:1回(外野手部門:2020年)
記録
- 初記録
- 初出場:2009年6月21日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(東京ドーム)、9回裏二死二塁で松本哲也の代打で出場
- 初打席:同上、9回裏にブライアン・シコースキーの前に空振り三振
- 初先発出場:2010年6月12日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8番・一塁手で先発出場
- 初安打・初打点:2011年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、10回表にロムロ・サンチェスから中前決勝2点適時打
- 初盗塁:2012年9月4日、対阪神タイガース19回戦(阪神甲子園球場)、9回表に二盗(投手:福原忍、捕手:藤井彰人)
- 初本塁打:2012年9月23日、対東京ヤクルトスワローズ23回戦(東京ドーム)、8回裏に山本哲哉から左越ソロ
- その他の記録
背番号
- 55(2009年 - 2013年)
- 44(2014年 - 2016年)
- 33(2017年 - 2018年)
- 5(2019年 - 2021年)
- 0(2022年 - )
登場曲
- 「Closer」Ne-Yo(2009年)
- 「GEE(Korean ver.)」少女時代(2011年)
- 「ベイビー・アイラブユー」TEE(2011年)
- 「銀河鉄道999」ゴダイゴ(2012年)
- 「やってもないのに」RAY(2013年)
- 「Empire State of Mind (feat. Alicia Keys)」Jay Z(2014年)
- 「Here It Is」Flo Rida ft. Chris Brown(2015年 - 2016年)
- 「Boom Clap」Charli XCX(2015年)
- 「Street Dreams」Zeebra(2016年)
- 「You Give Love a Bad Name」Bon Jovi(2017年 - )横浜移籍後 奇数打席
- 「It's My Life」Bon Jovi(2017年 - )横浜移籍後 偶数打席
- 「裏庭独走最前線」TERRY THE AKI-06 (2022年 - ) 第一打席
代表歴
脚注
- ^ a b “DeNAが大田泰示と合意発表、年俸5000万円 今季1・3億から大幅減”. 日刊スポーツ (2021年12月14日). 2021年12月14日閲覧。
- ^ “広島出身日本ハム中田&大田 仁義なき鯉撃ちじゃ”. 日刊スポーツ (2018年6月5日). 2018年6月7日閲覧。
- ^ “日本ハム・大田泰示 全力野球を追い求めて 「全力プレーをするのは不器用だから。そういうことしかできないから」”. 週刊ベースボールONLINE (2017年10月9日). 2022年7月2日閲覧。
- ^ “【父の日企画】DeNA大田泰示「今でも心の中にあります」少年時代に父から受けた教え”. 日刊スポーツ. (2022年6月19日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ “巨人・大田泰示を変えた「心構え」とは”. 週刊ベースボールONLINE (2015年1月5日). 2022年7月2日閲覧。
- ^ 『野球小僧』、白夜書房、2008年8月号、48-50頁
- ^ “原辰徳に導かれた大田泰示の野球人生。”. Number Web (2009年1月29日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “東海大相模・大田通算53号/北神奈川”. 日刊スポーツ (2008年6月15日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “東海大相模大田連発で63号/北神奈川大会”. 日刊スポーツ (2008年7月23日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b “阪神、東海大相模・大田がドラフト上位”. 日刊スポーツ (2008年8月10日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “G一本! 東海大相模・大田、進学一転「プロ志望届」”. zakzak (2008年10月16日). 2008年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月9日閲覧。
- ^ “巨人が大田と仮契約、松井と同じ背番号55”. 日刊スポーツ (2008年11月19日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “巨人1位の大田は“ゴジラ部屋””. 日刊スポーツ (2008年11月22日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ 2009年2月5日 スポーツ報知
- ^ “巨人大田1軍初打席こん身の空振り三振”. 日刊スポーツ (2009年6月22日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “巨人大田がプロ初1試合2本塁打”. 日刊スポーツ (2009年8月4日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “2009年度イースタン・リーグ個人打撃成績(規定打席以上)”. 日本野球機構. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “2010年度イースタン・リーグ個人打撃成績(規定打席以上)”. 日本野球機構. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “2010年第17回IBAFインターコンチネンタルカップ 日本代表メンバー”. 日本野球機構. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “阿部2発!大田、初安打がV打!巨人、今季初3連勝”. スポーツニッポン (2011年5月18日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “【巨人】大田が公式戦初の外野守備”. 日刊スポーツ (2011年6月8日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “2011年度イースタン・リーグ個人打撃成績(規定打席以上)”. 日本野球機構. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “巨人大田、外野一本で勝負!”. 報知新聞社 (スポーツ報知). (2011年11月6日). オリジナルの2011年11月6日時点におけるアーカイブ。 2021年4月7日閲覧。
- ^ “阿部、大田に4つのノルマ!「今年ダメならやめろ」”. スポーツ報知 (2012年1月4日). 2012年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月9日閲覧。
- ^ “大田「失う物ない」開幕1軍へ起死回生1号!”. スポーツ報知 (2012年3月21日). 2012年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月9日閲覧。
- ^ “大田、プロ4年目初の開幕1軍!2軍戦で祝砲!!”. スポーツ報知 (2012年3月28日). 2012年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月9日閲覧。
- ^ “大田、高口が2軍に降格!加治前、中井が昇格”. スポーツ報知 (2012年4月10日). 2012年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月9日閲覧。
- ^ “大田1軍即先発でV打…人生変わるかも”. 日刊スポーツ (2012年9月2日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “CS使える!大田、待望の清原級一発 原監督「何度も夢に」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年9月24日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ “【巨人】大田が自転車で転倒し負傷流血”. 日刊スポーツ (2013年10月5日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ a b “巨人史上最も期待された男の現在”. ライブドアニュース (2014年7月6日). 2016年11月5日閲覧。
- ^ “大田、背番55に別れ「悔しさある」”. 日刊スポーツ (2013年11月30日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ a b “巨人の新4番候補に名乗り! 「眠れる大器」大田泰示の球歴とは”. BASEBALL KING (2015年2月22日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ “大田泰示(北海道日本ハムファイターズ)”. 週刊ベースボールONLINE. 2019年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月9日閲覧。
- ^ “2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 阪神・巨人連合チーム出場選手発表”. 阪神タイガース公式サイト (2014年10月21日). 2015年5月26日閲覧。
- ^ “巨人・大田 大谷から先頭打者弾も・・・お返し2三振「やられました」”. スポニチ Sponichi Annex (2016年6月6日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “電撃トレード! 大田&公文と日本ハム・吉川&石川慎の2対2で成立”. スポーツ報知 (2016年11月2日). 2016年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月9日閲覧。
- ^ “陽岱鋼FA移籍リスク考慮し大田補強/日本ハム思惑”. 日刊スポーツ (2016年11月3日). 2020年6月19日閲覧。
- ^ “日本ハム大田泰示、待望の移籍後初アーチ!「勢いづけられる一発になれば」”. BASEBALL KING (2017年4月29日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “日本ハム、大田泰示のサヨナラ打で劇的勝利…ロッテは益田直也が誤算”. CYCLE やわらかスポーツ情報サイト (2017年5月3日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “【日本ハム】大田、9年目で初の規定打席到達「栗山監督のおかげ、感謝しかない」”. スポーツ報知. (2017年10月3日). オリジナルの2017年10月5日時点におけるアーカイブ。 2017年10月5日閲覧。
- ^ “日本ハム・大田 1年ぶり2打席連続本塁打!「これからまだまだ打てるように頑張る」”. スポニチアネックス. (2018年4月24日) 2018年5月17日閲覧。
- ^ “ハムに痛手、大田は左手第5中手骨骨折で復帰まで3~4週間 8日に死球で交代”. Full-Count (2018年7月9日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “日本ハム大田 33→5 「ひと桁に憧れていた」”. 日刊スポーツ. (2018年12月26日) 2018年12月26日閲覧。
- ^ “日本ハム大田泰示が全球団弾達成 丸以来35人目”. 日刊スポーツ (2019年6月9日). 2019年6月18日閲覧。
- ^ “日本ハム大田1億円、メジャー挑戦は「夢の1つ」”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ (2019年12月3日). 2020年6月19日閲覧。
- ^ “日本ハム・大田泰示がゴールデングラブ賞 12年目で念願「守備はコンプレックスだった」【NPB】”. デイリースポーツ online (2020年12月18日). 2021年2月4日閲覧。
- ^ “12球団最速の開幕戦スタメン発表! 日本ハムは西川と松本の1・2番”. BASEBALL KING (2021年3月26日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ “【日本ハム】大田泰示と杉谷拳士の登録抹消 ともに打撃上向かず”. 中日スポーツ (2021年6月25日). 2021年9月8日閲覧。
- ^ “日本ハム・大田泰示を抹消、打率・199 オリックスは増井浩俊を抹消”. デイリースポーツ (2021年9月6日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ “日本ハム、西川遥輝らFA取得3選手に来季契約提示せず 海外含め交渉可能”. 日刊スポーツ (2021年11月16日). 2021年11月18日閲覧。
- ^ “【解説】日本ハムが選択 西川遥輝、秋吉、大田の「ノンテンダー」とは?”. 日刊スポーツ. (2021年11月16日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ “「ノンテンダー」大田泰示「考えすぎてハゲそうだよ」悩める胸中明かした”. 日刊スポーツ. (2021年12月12日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ “2022年シーズン 選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ (2021年12月14日). 2021年12月14日閲覧。
- ^ “大田泰示がDeNA入団 背番号0 「神奈川に縁、tvkで見てきた」”. 日刊スポーツ. (2021年12月20日) 2021年12月20日閲覧。
- ^ “DeNA大田が実証した“2番の適性” 連敗脱出に導いた、1番楠本との「Wタイシ」”. カナロコ. (2022年5月5日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ “DeNA大田 移籍後初アーチ「アジャストしようと」”. カナロコ. (2022年4月17日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ “【DeNA】大田泰示が右太もも裏の肉離れ「重症ではなかったということが幸い」三浦監督”. 日刊スポーツ. (2022年5月10日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ “DeNA、森敬斗内野手、大田泰示外野手が1軍合流”. カナロコ. (2022年6月3日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ “【DeNA】大田泰示の抹消に「足の張りもありながら、あとは全身の疲労も考慮」三浦監督が説明”. 日刊スポーツ. (2022年7月8日) 2022年9月14日閲覧。
- ^ “【DeNA】大田泰示移籍後初のサヨナラ打「ヨコハマ、サイコー!」15年以来ハマスタ9連勝”. 日刊スポーツ. (2022年8月9日) 2022年9月14日閲覧。
- ^ “プロ野球 DeNA 大田泰示選手が新型コロナ感染確認”. NHK. (2022年8月11日) 2022年9月14日閲覧。
- ^ “【DeNA】大田泰示5安打2打点の大暴れ「とにかく思い切って打ちに」初の5打席すべて安打”. 日刊スポーツ. (2022年8月30日) 2022年9月14日閲覧。
- ^ “【野球】日本ハム大田泰示にみる肉体改造効果 減量で疲れ残らず奮闘中”. デイリースポーツ online (2018年5月29日). 2021年7月20日閲覧。
- ^ “ハム大田泰示、フルスイングに滲む覚悟 移籍1号で自信「豪快に打ちたい」page2”. Full-Count (2017年4月29日). 2021年7月20日閲覧。
- ^ “日本ハム・大田泰示インタビュー 僕は二番打者に向いている 「二番を打ち始めて新たな野球観に出合えた」 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2019年8月23日). 2021年7月20日閲覧。
- ^ “前半と後半でまるで別のチームに…データで今季を振り返る【日本ハム編】”. Full-Count (2018年11月25日). 2020年6月19日閲覧。
- ^ “野手の守備力をデータから分析し評価する[1.02 FIELDING AWARDS 2018]右翼手部門”. 1.02 Essence of Baseball. 2020年6月19日閲覧。
- ^ ““和製ジャッジ”大田泰示と日本ハムの浮上 | BASEBALL KING”. BASEBALL KING (2018年6月25日). 2022年4月17日閲覧。
- ^ “「55」の後継者・大田泰示の現在地=宿命と戦い続ける“未完の大器””. スポーツナビ (2013年5月8日). 2022年4月17日閲覧。
- ^ 谷川直之 (2015年3月17日). “寛大な大田を怒らせてしまった質問…同い年から学ばせてもらった事”. サンケイスポーツ. 2015年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月17日閲覧。
- ^ “日本ハム・大田泰示インタビュー 僕は二番打者に向いている 「二番を打ち始めて新たな野球観に出合えた」”. 週刊ベースボールONLINE (2019年8月23日). 2020年6月19日閲覧。
- ^ “大田イブ婚 25歳元OLと2年愛「守るものできて一層頑張る」”. スポニチ Sponichi Annex (2014年12月25日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ “巨人大田が結婚 岐阜出身25歳と”. 日刊スポーツ (2014年12月24日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ HTB FFFFF 2017年6月10日放送分より
- ^ SANKEI DIGITAL INC (2019年12月14日). “「1億円更改」日本ハム・大田泰示“強気コメント”連発のワケ”. イザ!. 2020年8月6日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 大田泰示 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB
- 大田泰示 - 横浜DeNAベイスターズオフィシャルサイト