神路信号場
神路信号場 | |
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跡地(2019年8月、列車内から) | |
かみじ Kamiji | |
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所在地 | 北海道中川郡中川町字神路 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 宗谷本線 |
キロ程 | 143.1 km(旭川起点) |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月8日 |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)3月14日 |
神路信号場(かみじしんごうじょう)は、北海道中川郡中川町字神路にあった日本国有鉄道宗谷本線の信号場である。事務管理コードは▲121832[1]。
歴史
[編集]北海道大学(以下、北大)演習林(現:北大中川研究林)の強い要望もあって木材搬出のために、当初は一般駅として設置された[2]。
所在した神路地区は、鉄道開通後もなお開拓農家のほか鉄道職員が住むのみの集落であったが、1963年(昭和38年)12月に、駅側の集落と対岸の国道40号を結ぶ神路大橋が落橋したことを動機に住民全員が撤退をはじめ[2]、1967年(昭和42年)に最後の農家が撤退[2]、鉄道官舎も消滅し[2]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』で「駅周辺には人家が一軒もないところ[3]」と紹介される状況にあった。
こうした状況から当駅も1977年(昭和52年)5月25日に宗谷本線営業体制近代化実施に合わせて、正規の駅から信号場となり[4]、便宜的に仮乗降場として1日1往復のみ客扱いを実施した。そして1985年(昭和60年)3月14日に廃止された。
年表
[編集]- 1922年(大正11年)11月8日:鉄道省の神路駅として開業[5][6][2][7]。一般駅。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1953年(昭和28年)度:前年度まで無電燈駅であったが、同年度に電燈駅化[8]。
- 1974年(昭和49年)10月1日:貨物取り扱いを廃止[9]。
- 1977年(昭和52年)5月25日:宗谷本線営業体制近代化の一環で正規の駅としての取り扱いを終了し、神路信号場となる[6][4]。旅客扱いについては仮乗降場扱いで継続[9][7]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:廃止[9][7]。
- 2005年(平成17年)5月頃:残存していた駅本屋を老朽化のため撤去[7]。
駅名の由来
[編集]当駅対岸の連山の最も高い山(現在の神居山、カムイル山とも)はアイヌ語で、「カムイルエサニ(kamuy-ru-e-san-i)」(カムイ〔神〕の・坂路が・そこから・浜〔=川端〕に出る・所)と呼ばれていた[10][11][12]。
ここでいう「カムイ」は「キムンカムイ〔kim-un-kamuy〕」(山・いる・カムイ、=熊)や、落石などが多い通行の難所で人間に危害を与えるカムイであることが多いが、ここのアイヌの伝承には、天塩川を通行する丸木舟に岩を投げつけるカムイがいる、という話がある[13]。
構造
[編集]相対式2面2線を持つ地上駅であった。現在の本線は当時の2番線に沿っている。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下の通り。1日乗降人員については元データを期間日数で割って算出した参考値を括弧書きで示す。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1922年度(大正11年度) | 589 | (10.9) | [15] | 開通初年度。11月8日から営業 |
1923年度(大正12年度) | 3,575 | (9.8) | ||
1924年度(大正13年度) | 4,155 | (11.4) | ||
1925年度(大正14年度) | 4,023 | (11.0) | ||
1926年度(大正15年度) | 3,413 | (9.4) | ||
1965年度(昭和40年度) | 2,666 | (7.3) | [16] | 同年住民が全戸撤退を決定[2] |
1966年度(昭和41年度) | 2,110 | (5.8) | ||
1967年度(昭和42年度) | 558 | (1.5) | 同年最後の農家が撤退[2] | |
1968年度(昭和43年度) | 492 | (1.3) | ||
1969年度(昭和44年度) | 306 | (0.8) | ||
1970年度(昭和45年度) | 328 | (0.9) |
周辺
[編集]前述の神路大橋落橋後も対岸に渡る橋は架橋されなかったため、駅跡地への到達は非常に困難となっている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、239頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「第8章.交通・運輸 鉄道開通とその影響」『中川町史』中川町、1975年4月、473頁。doi:10.11501/9570126 。
- ^ 「宗谷本線 神路」『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、179頁。ASIN B000J9RBUY。doi:10.11501/12068975 。
- ^ a b 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編『旭川・鉄道八十八年の歩み』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1987年3月、119頁。doi:10.11501/13278510。
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1922-11-03). “鉄道省告示 第154号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3078) .
- ^ a b 『北海道鉄道百年史 下巻』1981年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行、第5編資料/1年表。
- ^ a b c d 『中川町史第2巻』中川町、2016年4月、760‐761頁。
- ^ 北海道新聞社 編『北海道年鑑 1954年版』北海道新聞社、1953年10月15日、198頁。doi:10.11501/2980303 。
- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、901頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 山田, 秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、179頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北疆民族研究会、1939年、80頁。doi:10.11501/1029473 。
- ^ 更科, 源蔵『アイヌ語地名解』(1版)みやま書房〈更科源蔵アイヌ関係著作集〉、1982年7月30日、174頁。doi:10.11501/12572448 。
- ^ 若山一似 編『中川町史』中川町、1975年、73頁。doi:10.11501/9570126 。2022年5月23日閲覧。
- ^ 『中川町史』中川町、1975年4月、470頁。
- ^ 『中川町史』中川町、1975年4月、474頁。