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ウィル・クラーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウイル・クラークから転送)
ウィル・クラーク
Will Clark
サンフランシスコ・ジャイアンツでの新人時代
(1986年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州ニューオーリンズ
生年月日 (1964-03-13) 1964年3月13日(60歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1985年 MLBドラフト1巡目
初出場 1986年4月8日
最終出場 2000年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
五輪 1984年
オリンピック
男子 野球
1984 野球

ウィリアム・ナシュラ・クラークWilliam Nuschler Clark, 1964年3月13日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の元プロ野球選手一塁手)。左投左打。愛称は「Will the Thrill」(高校時代のクラスメイトがつけたニックネーム)及び「The Natural」。

経歴

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大学時代

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ミシシッピ州立大学英語版時代、1984年にはロサンゼルスオリンピック公開競技として行われた野球競技にアメリカ代表として出場し、銀メダルを獲得している。同年には第13回日米大学野球選手権に出場している[1]

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代 (1986年 - 1993年)

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1985年に全米大学選抜チーム入り。その年のMLBドラフトサンフランシスコ・ジャイアンツから1巡目(全体2位)の指名を受け、入団した。マイナーリーグでのデビュー戦の初打席では、調整登板していたロサンゼルス・ドジャースの名投手フェルナンド・バレンズエラから本塁打を打つ。翌1986年4月8日に早くもメジャーデビューを果たすと、デビュー戦で通算最多奪三振のノーラン・ライアン(当時ヒューストン・アストロズ)からメジャー初打席初本塁打を打つ。ルーキーイヤーの1986年は111試合で打率.287、11本塁打、41打点。新人王は当時の新人記録となる36セーブをマークしたトッド・ウォーレルに譲ったが、投票でも上位に入る活躍だった。

ホームゲームネクストバッターズサークルに立つクラーク(背番号22・1992年8月12日の対アストロズ戦にて)

1987年は打率.308、35本塁打、91打点の活躍でチーム16年ぶりの地区優勝に貢献。1988年には初のオールスター出場を果たし、全162試合に出場して109打点をあげ、打点王のタイトルを獲得。1989年には打率.333、23本塁打、111打点をあげてチームの地区優勝に貢献。シカゴ・カブスとのチャンピオンシップシリーズ第1戦(リグレー・フィールド)では、カブス先発のグレッグ・マダックスから、3回表にソロ本塁打を、4回表に満塁本塁打を打った(後述)。ジャイアンツが3勝1敗と王手をかけて迎えた第5戦(キャンドルスティック・パーク)では1-1と同点の8回裏に、クローザーのミッチ・ウィリアムズから、2点タイムリーヒットを打つ。この活躍でクラークはこのシリーズのMVPに選ばれ、チームは27年ぶりのワールドシリーズ出場を果たした。オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズでは良いところなく4連敗で敗れたが、これが唯一のワールドシリーズ出場となった。東西地区制最後の年となった1993年に、チームは103勝をあげるが、わずか1ゲーム差でアトランタ・ブレーブスの後塵を拝し、シーズンオフにFAでチームを離れる。

移籍後、引退まで (1994年 - 2000年)

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レンジャーズ時代のクラーク(1997年)

移籍先にはルイジアナの自宅に近いテキサス・レンジャーズを選ぶ。チームは1996年1998年に地区優勝し、プレイオフ進出を果たすが、いずれもディビジョンシリーズニューヨーク・ヤンキースに敗れる。1999年にはボルチモア・オリオールズに移籍し、6月15日カンザスシティ・ロイヤルズ戦で通算2,000本安打を達成。ただしこの年は故障のため77試合の出場に終わる。2000年途中に、マーク・マグワイアの故障で一塁手を探していたセントルイス・カージナルスに移籍。移籍後、51試合に出場して打率.345、12本塁打、42打点の活躍でチームをナ・リーグ中地区優勝に導く。特に、移籍最初の試合からは4試合連続本塁打の活躍で、復調を印象付けた。ディビジョンシリーズではブレーブスを寄せ付けず、ニューヨーク・メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズに進出。クラークは2000年シーズン限りで現役引退を表明するが、チームはメッツに1勝4敗で敗れ、10月16日に行われた第5戦の3打数1安打が最後の活躍だった。

2006年には大学野球殿堂入りを果たす。

2020年、古巣・ジャイアンツはクラークの在籍時の背番号『22』を永久欠番に指定し、同年7月11日に欠番表彰式を執り行う予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響により、来シーズン2021年に延期されることが報じられるが[2]、感染症が収まらずまた延期となり、2022年7月30日にようやく欠番表彰式が開催される見通しとなった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1986 SF 111 458 408 66 117 27 2 11 181 41 4 7 9 4 34 10 3 76 3 .287 .343 .444 .787
1987 150 588 529 89 163 29 5 35 307 91 5 17 3 2 49 11 5 98 2 .308 .371 .580 .951
1988 162 689 575 102 162 31 6 29 292 109 9 1 0 10 100 27 4 129 9 .282 .386 .508 .894
1989 159 675 588 104 196 38 9 23 321 111 8 3 0 8 74 14 5 103 6 .333 .407 .546 .953
1990 154 678 600 91 177 25 5 19 269 95 8 2 0 13 62 9 3 97 7 .295 .357 .448 .805
1991 148 622 565 84 170 32 7 29 303 116 4 2 0 4 51 12 2 91 5 .301 .359 .536 .895
1992 144 601 513 69 154 40 1 16 244 73 12 7 0 11 73 23 4 82 5 .300 .384 .476 .860
1993 132 567 491 82 139 27 2 14 212 73 2 2 1 6 63 6 6 68 10 .283 .367 .432 .799
1994 TEX 110 469 389 73 128 24 2 13 195 80 5 1 0 6 71 11 3 59 5 .329 .431 .501 .932
1995 123 537 454 85 137 27 3 16 218 92 0 1 0 11 68 6 4 50 7 .302 .389 .480 .869
1996 117 512 436 69 124 25 1 13 190 72 2 1 0 7 64 5 5 67 10 .284 .377 .436 .813
1997 110 450 393 56 128 29 1 12 195 51 0 0 0 5 49 11 3 62 4 .326 .400 .496 .896
1998 149 636 554 98 169 41 1 23 281 102 1 0 0 7 72 5 3 97 15 .305 .384 .507 .891
1999 BAL 77 294 251 40 76 15 0 10 121 29 2 2 0 3 38 2 2 42 5 .303 .395 .482 .877
2000 79 310 256 49 77 15 1 9 121 28 4 2 0 3 47 3 4 45 4 .301 .413 .473 .886
STL 51 197 171 29 59 15 1 12 112 42 1 0 0 1 22 0 3 24 3 .345 .426 .655 1.081
'00計 130 507 427 78 136 30 2 21 233 70 5 2 0 4 69 3 7 69 7 .319 .418 .546 .964
MLB:15年 1976 8283 7173 1186 2176 440 47 284 3562 1205 67 48 13 101 937 155 59 1190 100 .303 .384 .497 .881
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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アマチュア時代
MLB

背番号

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クラークのジャイアンツ在籍時の背番号「22」。
サンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番2022年指定。
  • 22(1986年 - 1998年、2000年途中 - 同年終了)
  • 12(1999年)
  • 23(2000年 - 同年途中)
  • 28(2000年途中 - 同年途中)

代表歴

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脚注

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  1. ^ 第13回 日米大学野球選手権(2020年3月20日閲覧)
  2. ^ ジャイアンツ・クラーク氏、永久欠番の式典が延期に”. 日刊スポーツ. 2020年7月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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